ストーカー ジャンピング土下座
十鬼紋女の片腕の一人、役員であり経理部長である須藤稟は会議室に節子を呼びだしていた。
「ぅわっ」
そして節子が扉を開けると須藤稟が直立不動でドアの前で待っていたため思わず二歩後ずさる。
「ビ、ビックリさせないで頂戴」
「失礼しました……お忙しい中お呼び立てし申し訳御座いません。どうぞ、こちらへ」
「え、ええ……」
須藤稟は詩季に告白した須藤香奈の実の親である。
昨夜、須藤稟は娘の須藤香奈と共に暦家に赴き玄関で己と娘の頭を床に打ち付けながら土下座した。詩季に告白した香奈であったがその香奈が詩季の使用済みティッシュを袋に入れ危ない薬の如くすーはーすーはーした件に対しての謝罪であった。
香奈が「男性の前でその男性の使用済みティッシュだと称したものの香りをひたすら嗅ぐ」という誰の目から見てもセクハラ行為を行ったためである。
女性の立場が弱いこの世界においては暦家の意向によっては香奈が矯正施設という名の少女院(少年院に該当)に収監される。未来に大きな陰が差すのは疑いようも無かった。被害届を出されたらアウトである。
しかし節子は折り悪く今日まで出張しており子供達から須藤稟の娘のことをまだ何も聞いて居なかったのである。
そして稟から節子に電話連絡をするにも稟は節子のプライベートの携帯番号は知らず、会社の携帯で私用電話はいけない、と最早強迫観念にも似た生真面目さが仇となり節子の帰社を待ったのである。ちなみに今は休憩時間であり、節子も稟も役員であるから時間の縛りはあってないようなものなので呼び出したのである。
この日節子は一度出社したらそのまま休みとするつもりだったところに須藤稟に一人で来て欲しいと呼び出されいぶかしみながら会議室に向かった。
「なんか貴女怖いわよ……どうしたのよ」
その事件を稟が知った流れも稟にとっては最悪であった。よりによって雇い主である紋女から伝えられたのである。
稟はその時のことを思い出すだけで血の気が引き貧血を起こしそうになる。
その日、外部監査の対応に向けて準備をしていた稟は紋女の承認印を受け取るべく社長室に赴くとスマホを顔に当て渋い顔をしたその部屋に迎えられた。
「稟……ちょうど良かった。お主の娘、節子の家族と揉めとるようじゃぞ?」
「はい? ……娘は確かに暦役員のお子さん達と同じ学校には通ってますが目立つような子では有りませんし、気弱なので誰かと揉めるような事は……ましてや暦役員のお子さん達は学校でも有名人だと聞いてますので……何かの間違いでは。それに何故社長がそのような事を?」
「娘のこと信用しとるんかよく解らんが現に今、暦の三女から電話入っとるぞ。まぁ奴らと我はダチだからの、何かあれば気軽に連絡を取り合う仲じゃ。ほれ」
「へは?」
紋女からスマホを受け取る。画面の通話相手の名前は「さ」と一文字だけ表示されている。「さ?」と思いつつ耳に当てた。
『初めまして、暦節子の娘、秋子と申します。母がいつもお世話になっております。失礼ですが須藤香奈さんのご母堂で?』
秋子の丁寧な挨拶と紋女の何とも言えない微妙そうな視線に鉄面皮の異名を持つ稟をして眉を情けなく八の字にさせた。
「ご、ご母堂? あ、はい」
『突然で申し訳有りませんがご息女の事です』
「娘は……何か問題を起こしたのでしょうか」
須藤稟にとって娘は文字通り宝であった。娘のために日々生きていると言い切れるほどに子煩悩であった。娘のためだと甘やかすことはあまり無かったが、愛情を持って育ててきたのである。
須藤稟は施設育ちであった。
高校へは住み込みの新聞配達奨学生として通っていた。そして高校生活一年目、同級生と恋に落ち身ごもったのである。
しかし相手の男性は上流階級と言って良い厳格な家柄。男性と別れ堕胎するようその家族から脅迫紛いの説得を受けた。
だが、施設で育った稟は男性と別れる事を覚悟出来ても己の身に宿った命を絶つなど出来なかった。何より家族を欲していた。
結末としては十代の娘にはあまりに多い手切れ金でもって二度とその男性と会わないと誓約書にサインさせられた。稟は高校を中退しその土地から遠く離れ、今の地に居を構えた。
その手切れ金で子育てをしつつ大検、そして最高学府に入学し卒業した。その後、数社を経て紋女に拾われたのである。
紋女に雇われるまでの数年、仕事と育児の両立はそれこそ血反吐が出る程に稟に負担をかけた。
そして紋女の会社に転職する頃には娘も手が掛からなくなり金も家も社会的地位も手に入れ日々の仕事にも充実感を覚えていた。何の不満も無い、どころか幸せだと言えた。
紋女を支え会社に貢献し続ける限りこの生活が維持できる、そう稟は考え行動してきた。
それなのに稟は秋子の淡々とした調子に暗雲が立ちこめたかのように感じた。
『本日、ご息女の須藤香奈さんは』
秋子の告げたあまりの内容に稟は膝から崩れ落ちる。
娘の香奈は多少甘えん坊なところはあったが昔から手の掛からない子であった。問題らしい問題など起こしたことのない内気で大人しい子である。故に斜め上な内容に『鉄面皮』の稟でさえ堪えきれなかったのである。
須藤香奈は見ようによっては犯罪に手を染めた訳ではなくオークションで『南部王子の使用済みティッシュ』だと騙されて買った被害者、と言えないこともないアホな奴と言えた。事実伊達絵馬達にはそう思われているがしかし問題は詩季の前ですーはーすーはーしたことであって犯罪とされるかどうかは暦家次第なのである。
いくら詩季本人が穏やかな性格をしているとしても烈火と呼ばれる節子が息子にセクハラ行為をした人間を野放しに許すとは稟は思えなかった。故に何とか許して貰おうと稟は必死だったのである。
会社を去る事さえ視野に入れ、それでも娘を守ることを第一と考え覚悟していた。
「申し訳御座いませんでしたっぐぅっ」
「いっ!?」
そして今、直立不動からジャンプし空中で土下座の姿勢となってそのまま床に膝と頭を打ち付ける須藤稟。
その光景に恐怖し、いつでも逃げ出せるように思わずドアノブを後ろ手に握る節子。
「………だ、ダイナミックな土下座だけど、何事よ?」
節子の様子に稟はまだ事情を聞いていないのだろうと察し己の口から説明する。
「私の娘が暦役員のご子息に大変失礼なことをしてしまいましたっ」
「え、何したの?」
「その……」
「なんじゃこんなとこにおったのか。我は昨日秋の字から電話あった後、暦家で酒飲んでその際に内容は聞いておる。被害者加害者じゃなく第三者の立場で説明した方がお互い不幸も少なかろうて。ほれほれ、二人とも座れ」
突如会議室に現れた紋女に二人は驚愕しつつも指示に従う。
節子にしてみれば珍しいどころか初めて見る稟の取り乱しように怖い物を感じており、稟にしてみても有り難かった。
節子は片手の力だけで小柄とはいえ紋女をアイアンクローしたまま持ち上げ振り回すというフィジカルエリート、むしろチートである。どんな筋肉をしているのだと見た目とのギャップに違和感しかない存在である。それは暦家の女性陣全てに多かれ少なかれ共通する部分でもあるが稟は単純に被害者家族から暴行を加えられるのは最終的には仕方ないと諦めと覚悟は有るが、せめて娘の免罪を勝ち得てから煮るなり焼くなり好きにしてください、という思いが強かったのである。
「まぁ結論から先に言うとの? 詩季君に惚れた稟の娘が詩季君に告白したものの返事をする前に暴走して他の同級生に止められた、ということじゃ」
「え!? し、詩季君に危害を!?」
「いや、危害っちゅーかなんちゅーか全く無事なんじゃが」
紋女は秋子や詩季から聞いていた内容をざっくりと説明する。ネットオークションで落札した「南部王子の使用済みティッシュ(嘘)」を詩季の目の前でスーハースーハースーハースーハーしただけで詩季もドン引き、ただし警察に被害届を出すつもりももない、と説明した。
被害届云々について稟は秋子から「それは母が帰ってきてからの話ですので」とスルーされており、不安で夜も一睡も出来なかった事柄である。
「ちょっと失礼」
息子達に電話する、と言って会議室を出る節子を見送った二人。
「何、あまり緊張するでない。詩季君は気にしておらんかった訳じゃないが嫌悪感とかじゃなくドン引きだっただけで訴えるつもりはないと思うぞ?」
「は、はい……ですが、暦役員がどう判断されるかで、娘の将来が……」
震える声で涙を堪える稟に紋女は立ち上がってその背を撫でた。
「大丈夫じゃ。詩季君は優しい子じゃし、稟の娘は詩季君に指一本ふれておらんし話を聞くに悪い娘だと思えん。何よりお主の娘じゃしな。万が一節子が訴えると言うならば我が節子や詩季君を説得しようぞ。戦艦に乗ったつもりで安心せよ」
雇い主の言葉に稟の涙腺は決壊した。言葉にならない声しか漏れない。それだけ娘のことが大事で、命に代えても守りたい存在なのである。
「うわっ」
「節子、早かったのう」
「え、ええ……まぁ、色々不安でしょうがないんでしょうけど、須藤さんが泣いてるとか最早ホラーですわ」
ドン引きしたままの節子はさっきより稟から離れた席に座った。
「とりあえず、社長、須藤さん。何も心配ありません、これまで通りです。息子も無事だし何か直接された訳じゃないですしね。すーはーすーはーによる精神的被害も無いと本人も言ってるので訴えたり被害届出したりする必要も御座いません。謝罪は昨日の時点で十分して貰ったと娘達も言っています」
「で、あろうな。お主は基本身内には甘いからの」
「まぁ、須藤さんには世話になってますし。何より息子が無事で真摯な謝罪も頂いている以上は無闇に騒ぎたくありませんね」
「あ”り”がどう”ござい”ま”ずぅ」
「うわ汚っ」
娘が施設に入らず離ればなれにもならないと感極まった稟は節子の下半身にすがりつく。
「うわぁ」
「カッカッカ一件落着じゃな! 節子、そのクリーニング代くらいは請求して良いじゃろ! しかし問題はそのネットオークションそのものじゃ」
紋女の言葉に節子は頷くと「警察には春姫から昨日の内に向かったそうですがあまり相手にされなかったようで、秋子が今独自に動いているそうです。あの子の事だからきっと何か見つけるでしょう」と娘達に丸投げしたことを告げる。
節子は相手の適性や状況を考慮するものの部下にもこの調子で仕事を投げ与えるため端から見ると無責任にも見えてしまう時がある。ただ、彼女の場合それが成績に繋がっているので社長である紋女も口出しすることはない。人使いが上手いのである。
「で、あったな。まぁあやつに任せればよかろ。お主達二人は昨日の今日で仲良しこよし仲直りという訳にもいかんじゃろうが落ち着いたら皆で飲もうぞ!」
「はいはい、どうせ我が家なんでしょう」
「我の家でも良いぞ?」
「だったらホームで戦った方が安心ですわ」
「お。 ……物騒な」
「似てません」
紋女と節子のやりとりを呆然と眺めながらも稟は良い意味で脱力しているのであった。
おまけ
「ただいま……香奈ぁ?」
「ママ! おかえり!」
「……ただいま。あなた、元気ね」
「私ね! 秋子先輩から王子の護衛役任命されたの!」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………そう…………暦家の人たちに、絶対迷惑かけちゃ駄目よ? 今回だって危機一髪だったんだから」
「うん! 頑張る!」
娘の妄想だとしたら今度こそアウトだと恐怖した稟は、念のためあらかじめ連絡先を交換していた秋子に電話する。
「秋子さん、あの、娘を護衛にって、本気ですか?」
秋子の答えは稟にとって非情に過ぎる内容であった。
『一応忠誠心は有るから様子見で宝を守る肉の盾を任命したのさ。何枚有っても構わんしそもそも本人の希望さ。あとあと逆らうようなら今回のこと蒸し返して豚箱にぶち込むだけさ』
取り繕うことをやめた秋子の言葉、稟は血の気が引きつつも、紋女が秋子の宛名を「さ」と登録した理由に納得いくのであった。




