休日 ボウリング
とある土曜日の朝。
詩季が作った朝食を冬美は詩季と二人で食べていた。
長女は朝から用が有ると出かけており夏紀は部活、秋子は夜更かしでまだ夢の中。母節子は休みの日は昼過ぎまで寝ていることはざらであるので敢えて起こさない。
詩季は母がいつ起きても良いように一食分は用意していてこの日は卵焼きサンドを用意していた。
二人の朝食はトーストと卵焼き、味噌汁とサラダ。
「美味」
「良かった。バターはどう?」
詩季は母に、昆布醤油に次ぐおねだりをしていた。
『お母さん……出来れば、欲しい物があるんだけど』
『な、何? 改まって何かしら?』
『あのね、買ってみたいバターがあって、でも高いんだ』
『バター……いくらするの?』
『普通よりちょっと大きめだけど、千八百円なんだ。美味しいらしいから、一度だけ買ってみたくて』
『……良いわよ? 醤油と同じパターンよね?』
『え? あ、うん。ごめんね、色々我が儘言って』
『ぜーんぜんオッケーよ? 桁が二つくらいなら増えても良いくらい』
生活費などの支払いは基本的に春姫に管理させている節子。春姫は春姫で家計簿を付けており節子も時折目を通している。
今や家事のほぼ七割を担っている詩季には生活費を有る程度預けられており詩季も詩季で春姫が家計簿を付けているのは知っているので食費や日用品購入用に別に財布を分けている。さらにレシートを春姫に渡しているので明朗会計であった。
依然は母に平気で数十万円の支払いをさせ、さらに荷物持ちまでさせていた息子の陰が全くないどころか高いと言えば高いものの高々二千円もしないバターを買いたいと申し訳無さそうにおねだりしてくる謙虚で倹約家っぽい少年である。
節子としては『正直この子に何を与えれば喜ぶのか解らないわ』と思ってしまう。
「このバター、極上」
「だよねっ おねだりしちゃったけど、これは買いだよね?」
「ずっとこれが良い」
「むぅ……確かに。贅沢品だけど、これ食べた後に普通のは味気ないよねぇ」
「お母さんも好きみたいだから良いと思う」
「そうなんだよねぇ……他でその分節約すれば良いかな? 春姫お姉ちゃんに相談してみよ」
冬美は暦家は金持ちの部類に入ると認識している。友人の家に行けばそれとなく解るものである。出されるお菓子や家具、家電、ゲームの購入頻度などで大凡裕福かそうじゃないか位は察しがついた。
そして自分が経済的には大分恵まれているということを理解しているため、兄が高々バターで考え込むというのが慎まし過ぎやしないかと思わないでもない。
「お兄ちゃん、お母さん一杯お給料貰ってるからだいじょぶだと思う」
「まぁ、そうなんだろうけどねぇ。でも贅沢したらキリが無いと思うんだよ」
兄が言う事も理解は出来る。確かにこのバターは美味しい。以前のものに戻して良いかと問われれば出来れば戻して欲しくないと思うほどに美味しい。更に美味しい物が見つかった時、また今美味しいと感じているバターに対して同じように思うかもしれない、と感覚的にも理解出来る。
「むぅ……なら、使い分け」
「どんな風に?」
「トーストだけ、とかちゃんと味わえる時間のある休みの日だけ、とか」
「なるほど~。それはいいねぇ。僕の妹は天才だねっ」
会話を楽しみながら詩季は朝食を平らげ、沸かしておいたポットから急須にお湯を注ぐ。詩季と冬美は温泉旅行以来緑茶派で夕食後や休みの日の食事後は決まって緑茶を飲む。
ちなみに春姫はコーヒー、夏紀は牛乳もしくは豆乳、秋子は紅茶を好む。節子は全くこだわりが無く、詩季は酒かその他かという括りしか無いのではないかと睨んでいる。
「冬ちゃんは今日道場無いんだっけ?」
「畳張り替えで休み」
「ああ、痛むだろうしねぇ」
「今日は暇。かなり暇。だいぶ暇。超暇」
冬美は暇アピールをさり気なくする。さり気ないかどうかは本人の主観である。
「あ、じゃあさ」
兄の言葉にピクンと一瞬背筋が伸びるが平静を装う冬美。
「僕のクラスメイトの熊田君と川原木君にボウリング誘われてるんだけど一緒に行かない?」
詩季は断られても問題無いが、暇だという冬美を一人放置するのも面白くない。さらに愛しの妹だ。いつでもどこでも一緒に居たいという気持ちは常に有るので当然誘う。
冬美にしても兄と単独ではないが、それはそれで魅力的であった。兄の友人達は見た目のレベルが高いと姉達が言っていたので興味が有った。普段の会話でも出てくる名前だったので今後の事を考えても一度会ったら兄との会話も更に楽しくなるのでは、と瞬時に判断し頷いた。
「冬ちゃん、ボウリングってしたことある?」
「掘削作業はない」
「まさかのマジボケ?」
「秋姉風」
「あはは。冬ちゃん、小学生っぽいボケではないねぇ」
二人で笑いあい、お出かけの準備をするのであった。
本当は冬美は「玉転がしは女の甲斐性」というこの世界ならではの下世話な台詞を言いそうになったのだが何とか堪えていた。
言葉から容易に推測出来る通り、男性の局部を握って意のままに操ることこそ女性の甲斐性だとしている慣用句である。
兄は自分にそういった汚れた思考や言動を望んでいないと汲んでの事であるが、所詮そこは夏紀や秋子の妹、しっかりと同じ属性を持っているのであった。
そして待ち合わせ場所。
「こんにちは。妹の冬美です」
道場に通うようになってから冬美は礼儀正しくなった。それ以前ならせいぜい『……』と、『ども』すら省略したであろう。これは冬美が師匠と慕う友田千代の功績と言える。
詩季の隣で挨拶をした冬美に川原木も熊田も微笑ましそうな表情で挨拶を返す。
この子が詩季から耳に蛸が出来そうな程聞かされている少女か、と二人は不躾に冬美を観察した。。
「どこか秋子先輩な雰囲気有るね」
秋子も夏紀との対照もあってパッと見はクールな優等生のイメージが強い。
ただ同じ格好の生徒からは尊敬されつつも秋子以上に得体の知れない強者のオーラが有り、単なる文学少女な学生ではないと知れ渡っている。それも踏まえての熊田の冬美評であった。
「そうか? 夏紀先輩みたいなオーラも感じるが」
対して川原木は脳筋らしく野生で夏紀に似た冬美の何かを素直に感じ取る。ただ、それは川原木がその系統を感じやすい、というだけであり冬美の全体を捉えた訳ではない。
そんな風に好き勝手に感想を述べる二人に割って入るは冬美の兄。
「冬ちゃんはねぇ」
詩季の腰に手を当て指を立ててのドヤ顔の解説が入りそうになって川原木と熊田が即座に、そして交互に解説する。
「頭が良くて」
「器用で」
「優しくて」
「可愛い、だろ?」
「確かに流石暦家。美少女だね」
「画像で見るより美形だな」
自分の台詞を取られて詩季は一瞬停止したがまたドヤ顔で答える。
「せやでっ」
「お兄ちゃん。勘弁して」
冬美は思わず兄に苦情を入れる。兄とは系統の違う美少年二人に褒められるのは兄の友人とは言えあまり居心地が良くない。そもそも冬美は小柄な己にコンプレックスが有り容姿の他の面のプラスなど全く感じていない。
「やっぱ仲良いなぁ。俺の妹、すげー生意気だぜ? 無駄に食うからでかいし最近反抗期だしで可愛くねぇんだわ。冬美ちゃん何年生?」
「六年生です」
「同じだわ。こうしてみるとあいつマジでかいんだなぁ」
「僕、クラスでも小さい方ですから」
川原木に妹が居ることは前から聞いていた詩季は特に驚かないで聞き流す。ちなみに冬美は「クラスでも小さい方」とは言ったが正確には「一番小さい」である。
しかし冬美本人からするとまだ自覚に到らない小さな変化だが最近は運動していることと詩季の作るバランスの良い食事、そして稽古の疲れから夜更かしをしなくなった事から前よりも健康的に成長してきている。
「僕らに敬語じゃなくて良いよ?」
「そうだな。こっちが気を使うわ」
「冬ちゃん、二人もそう言ってるし普通にお喋りしよ?」
「ん」
「じゃ、早速行こうぜ! 予約してっからすぐ出来るぞ」
冬美が頷くのを確認してから川原木は号令を掛ける。
「川原木ってそういうとこマメだよね」
「確かにねぇ。僕なら絶対予約しようなんて思いつかないよ」
「詩季はのんびりし過ぎ」
「確かに詩季君はのんびり屋だ」
「超しっかり者ですけど?」
「お前はそのネタ使い過ぎ」
「暦先生の次回作に期待だね」
二人がバッサリ切ったのに詩季は憮然とした表情で「僕ほど内面の大人っぽさがにじみ出てる高校生居ないよ?」と言うが友二人は「まだ言うかこの男」と呆れた。
最近詩季が半ば本気で言っている事を感じ始めていたのでその内「詩季は自分が思っているほど大人じゃない」「詩季君は天然系だよ」と解らせてやらねばと二人はアイコンタクトで意志の統一を行った。
「ちなみに冬美ちゃん、兄貴があんなこと言ってっけど妹的にはどうなんだ?」
「これも兄の味」
無表情でサムズアップする冬美のクールな対応に笑いが漏れた。
熊田も川原木も変に男女を意識していないと見え淡々としている冬美に、女子に対しては珍しく自主的に好感を抱く。
「さて順番どうする?」
受付で申し込み容姿を前での相談。結果じゃんけんで熊田、詩季、川原木、冬美の順番に決まる。
「暦家ペア対文武片方ペアで対決しようか?」
熊田の提案である。
「ああ、良いな。負けた方がジュースおごりな」
川原木は遠回しに脳筋と言われている事に気付かず話に乗る。
「ええ? 僕、ボウリング初めてなんだけど!」
「まぁ遊び遊び。冬美ちゃんはボウリングやったことある?」
「無い」
初心者ペアに対して川原木と熊田は不敵な笑みを浮かべ揃って宣言する。
「手加減は無礼の極みだから」
「ボッコボコにしてやんよ?」
かくして四人はボウリングで対決することになった。




