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幕間 暦家の風邪

 詩季は幸せを噛みしめていた。


 前世では風邪を引いても孤独に治るのを待った。休んでいても会社からガンガン電話が掛かってきて仕事の内容を聞かれる。労れることもなく「テメェのせいで大変なんだからよ、さっさと出て来いや!」と怒鳴られることが恒例であった。


「詩季君、氷交換よ~」


 それが今や愛する家族が世話をしてくれる。詩季は今の体になって初めての風邪を引いた。


「ゴホッお母さん、仕事行かなくて良いの?」

「大丈夫よ~」


 月に一度の重要な会議が有るのだが、節子は部下に任せて詩季の看病に専念している。

 本当は朝出社まではしていたのだが元気の無い節子に声を掛け事情を聞いた次の瞬間怒声が響いたのである。


「家族を大事にせん奴など要らん! クビにされたくなくば即刻帰れぇッ!」


 社長である紋女が既に出社していた社員達の目の前でそう怒鳴ったのである。

 元々激情家で有名な社長ではあった。仕事人間で、努力や結果に対して公正な評価を下す信頼出来る人物と社員全員から信頼されている。それが紋女の会社の底力である。

 そしてその熱意は仕事だけではなく家族に対しても適用されるという事例を目の当たりにした社員達はより一層仕事に励む流れとなり、事実家族の不調や行事のために休むことは管理職からも推奨されるようになり、結果その期は過去最高益を記録することとなる。


「お母さん、ありがとう」


 朝起きたら自分でも解るほどに熱があったので、流石に学校は無理だろうと休む旨を家族に言うと大騒動であった。


「病院行こう」

「だ、大丈夫か? 苦しくないか? 死ぬときは一緒だからな!?」

「きゅきゅきゅ救急車っ110っ? 911っ?」

「おおおおおおおおちつくっこんな時はお尻にネギをっ」


 春姫、夏紀、秋子、冬美の反応に呆れる母節子。比較的冷静な春姫はともかくそこは流石に母である。多くは春姫が対応してくれていたのだが、子供の体調不良などこれまで数え切れないほど経験していた。


 この日は折り悪く春姫は大学で試験があるため看病が難しかった。春姫本人はは気にせず休もうとするのだがそこは母として看過する訳に行かず、看病される詩季としてもそこまで足を引っ張れないと断ったのであった。


「お母さん、ごめんね」


 詩季は自分の部屋のベッドに寝ながら母に詫びる。


「もう、そういう事言わないの。私は詩季君のお母さんなんだから当然よ」


 散々春姫達に頼っておいてどの口で言う、と思う自分が居たが節子は詩季の額に浮かんだ汗を優しく拭う。


「もうちょっと寝る? お医者様は午後来てくださるからまだ寝てて大丈夫よ」

「……ん」


 ポンポン、と胸のあたりの布団を優しく叩く節子と徐々に熱と安堵の気持ちから眠りに落ちていく詩季。


「……ふふ」


 息子が具合悪いのに悪い親だ、と節子は自嘲しながらもいつの間にか詩季の右手に握られた左手をじっと見つめた。


 詩季とこうやって手を繋いだのは先日のデート以来だ。だが、その時は恋人のような気分での胸のときめきが主であった。

 今は違う。愛しい子供が自分の温もりを求めているのに節子は母性としか言いようがない保護欲が満たされていくのを感じる。


「貴方は……なんでも私にくれるのねぇ……親孝行な子だこと」


 ベッドに肘をかけて詩季の顔を間近で眺める。


「口にキスしたら、流石に悪いわよねぇ」


 そう節子は苦笑し、最愛の息子の額に唇を一瞬だけ触れさせ微笑む。詩季の髪を撫でていると詩季の表情が和らいだような気がした。


「なんか……この子って犬っぽいのよねぇ。でもちょっと悪戯っぽいとこもあるから性格は猫っぽいと言えば猫っぽいか」


 そんなことをつらつら考えていたらいつの間にか節子はまどろみに飲まれていった。




「母よ」

「……ん?」

「お医者様がいらっしゃったので詩季を起こしてくれ」


 いつの間にか午後になっていた。詩季のベッドにもたれるように寝てしまったのである。


「ん?」


 詩季を起こそうと顔を見ると、ふと気になった。息子の唇を指で拭う節子。指にグロスが微かに残った。


「全く、あの子は」


 ため息混じりに苦笑いを漏らした。




 二日後。


「病み上がりなのにうつったら可哀想だから私一人でみっちり看病してあげるわよ?」

「ありがとう」

「詩季君も他の子も指一本足一本入れさせないから安心してね?」

「…………ありがとう」


 二日後、詩季は全快し学校へ。そして見事に詩季と入れ替わりで風邪を引いた春姫の看病を節子がまた請け負ったのである。


「悪い子には天罰が下るのねぇ?」

「む」

「全く、貴女はしっかりしてるようで抜けてるわよねぇ」

「……詩季の菌なら本望だ」

「馬鹿ねぇ」

「何とでも言ってくれて構わない」


 今まで頼りっぱなしだった長女の看病は何年ぶりだろうか、と思い出そうとするが脳裏に浮かぶのはどれも今より遙かに小さい春姫の姿だけで思い出せないほどに昔の事であった。

 あの頃は仕事仕事で看病も丸一日という訳にはいかず可哀想な思いをさせたと申し訳なさからため息が出た。


「はぁ……本当に馬鹿よねぇ」

「痛っ」


 また長女のおでこを指で弾いた。


「ぁあぁ……詩季と会いたい」

「あらあら、普段健康過ぎるからこういう時弱いのかしら」

「電話しよう」

「寝てなさい」

「痛っ」


 その後春姫が寝付くまで何度も漫才を繰り返しデコピンをされ続けた。春姫は春姫で母に構われる一時に不思議な充足感を感じ、うっすらと笑みを浮かべた寝顔を母に晒す。


 節子は幸せを噛みしめていた。




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