カレー星人 僕っ娘
姉たちは優しい。だが、兄はそうではない。昔から一度とて優しくしてもらった記憶がない。気まぐれでさえ。それは以前の詩季が王子様として育てられたから。親も姉たちも我が儘を許してしまう。
そしてそれはこの世界の男性に対して過保護になりがちな現代の問題の一つとされているがそこを女性が声高に叫ぶと「男女差別主義者」というレッテルを貼られてしまうが故に自然なことであった。男の我が儘を許容してこそ「女らしい女」だとする空気さえある。
詩季の家族は典型的な「男子に対し過保護になってしまう家庭」であったがそれでもこの世界の基準で言えば長女が時折諫める時点でまだまだ厳しい方だと言えないこともなかった。当時あまり効果は見えなかったが我が儘を助長する態度だったかと言えばそこまでとは言えず、むしろ二女三女である姉たちの方が酷かったと冬美は分析する。自分は末っ子だからかなおのこと理解出来ないという感覚だった。
「冬ちゃんはカレー好きだよね?」
「え……ん」
食卓に載せられたのはカレーとサラダというシンプルな献立。後でデザートのケーキが有ると聞いて少し冬美は心浮き立っていた。今の兄は攻撃的になるとも思えないというのも安心感に繋がっていた。
「日本人の十人に三十人はカレー好きだからなっ」
「平均的な日本人は一週間に十日食べるという統計が有るさ」
最早それは病気か宗教か独裁国家の統計である。
「二人ともさっきまでカレーじゃ詩季が可愛そうとか言ってたくせに」
「人間成長するもんだぜ?」
「そうさ。私たちはカレー星人にクラスアップしたのさ。数秒で」
斜め上にアップしてる。こんな二人が前生徒会長であり、現生徒会長である。詩季達の通う学校はギリギリ進学校とされるのだが姉二人のボケと長女のツッコミを聞いていると「本当にあの学校は大丈夫なのだろうか」と詩季は何となく考えてしまう程には緩い学校である。
以前から食事時に限らず会話に入って来ようとしない冬美に対し、詩季は行動することにした。このままでは変わらない。危害を加えないと体と心に覚えて貰うしかない、と。
「冬ちゃんはカレーは辛口派? 中辛派? 甘口派?」
「え……甘口」
「そう、僕も甘口派! いつもは中辛と甘口のミックスだけど今日は甘口にして貰ったんだよ! 肉は鶏肉派? 豚肉派? 牛肉派? シーフード派?」
「と、鶏」
「僕もだよ! じゃあ付け合わせは福神漬け? らっきょ?」
「無い、ほうが……らっきょ、苦手」
「やっぱり! 僕は福神漬けは大丈夫だけどらっきょが苦手でさ、ちょっと臭いがきついのと何が美味しいのか解らないんだ。あとそうだな、ホワイトシチューとビーフシチューならどっちが好き?」
「え、ど、どっちでも」
「ハヤシライスとライスハヤシは?」
「え、それって何が違」
「あ、同じだね! じゃあ半熟卵と温泉卵は?」
「それも」
「ほぼ同じだね! じゃあ麦茶とウーロン茶は?」
「む、麦茶」
「コーヒーと紅茶は?」
「紅茶?」
「コーラとビールは?」
「こ、コーラ」
「そりゃそうだよ! 未成年だもん!」
「え、あ、う」
「じゃあクレープとパフェは?」
「く、クレープ?」
詩季のこれまでにない追い込みに目を白黒させて何とか答える冬美。質問をし続け相手に他のことを考えさせないという作戦である。質問される方は質問者の言葉を遮ることに抵抗を感じ、労力もそれに比して必要となるためなし崩し的に質問に答え続けるしかなくなる。
詩季はこのテクニックを前世の営業中に体得し契約を結び、最終的にはその強引なやり口に対し顧客からクレームが入って契約破棄となり、そこまで至らなかった顧客からもその後邪険にされるという事態に至った。詩季にとって封印されし禁忌の技であった。が、妹との関係において使うにやぶさかではない。ましてや妹に不利益など無いはずだ、と奮い立ち封印から開放したのである。
その様子を口を開けてポカーンと眺める姉三人。これまで詩季から冬美にここまで積極的かつ友好的に、そして矢継ぎ早に話しかけたことが無かったので唖然としたのだ。
「じゃあじゃあ、モンブランと苺ショート、どっちが好き?」
「え、と……どっちも」
「そう! じゃあ後でお姉ちゃん達が買ってきてくれたケーキ、半分こしよう!」
「う、うん」
詩季に押し切られる冬美。
彼女たちの人生で一度も無かった詩季を含めての平和で賑やかな食事に姉三人集は感動していた。そうだこれだ! この男の子が居て明るく楽しい、そして華やかな食卓こそ自分たちが求めていたものの一つだ! と浮かれた。
そして待望のデザートタイム。
皆でお茶を飲みながらケーキを食べるために台所の椅子掛けテーブルからソファーセットの居間へと移る。一人成人女性の春姫はお茶ではなくビールに口を付けだした。今夜のビールは祝杯だっ! といつもは真面目な表情だが今夜の表情はどこか柔らかい。
「冬ちゃんこっちこっち」
いつもの定位置である端のスツールに座ろうとした冬美にソファーに座る自分の隣をぽんぽんと叩いて示す詩季。
「ぼ、僕はこっち」
冬美に断られたが、それ以上の衝撃を詩季は受けていた。
「ぼっ!」
僕っ娘だと!? ……冬美は一人称が「僕」の所謂「僕っ娘」であった。これまでまともに会話が成立していなかったために詩季は気付きようがなかったのである。
僕っ娘。
それは浪漫である。
僕っ娘。
それは正義である。
僕っ娘。
それは世界の秘宝。
以下略
詩季は一瞬で「僕っ子賛歌」三十二小節を作り上げる程に魅了された大変な変態となった。
元々冬美は詩季にとっては可愛い妹であり、実際に美少女でもあり、さらには兄である自分に対してトラウマが有るという何が何でも仲良くならなければならないと使命感を覚えてしまう相手である。これからは可愛がり倒したいと思っている相手だ。願うことならばブラコンに仕立て上げ「お兄ちゃん大好き☆ お兄ちゃんのお嫁さんになるの☆」とか言われたい所存。そんなターゲットであり妹であり女の子が自分を自分で僕と呼ぶのである。オマワリサンこっちです。
「圧倒的じゃないか!」
詩季は悶え、ほぼ無理矢理な流れで驚いて動けない冬美の両脇に手を差し込み、そして小柄な冬美の体を持ち上げ抱え込んだまま自分の席に座り込んだ。つまり膝に抱っこした状態で座ったのだ。
「ちょ、詩季?」
「今日から冬ちゃんの席はここです!」
「ぶっ」
「汚ぇ! 痛っ! 目が、目がぁああ!」
ビールで毒霧する春姫とそれを食らって目潰し宜しく染みて悶える夏紀。
「何それ羨ましい。冬美ちゃんその席一万円で私に譲ったら良いさ?」
マイペースに下手なアーティストのコンサートS席より高い価格で買い取ろうとする三女。
「ななななな」
そして慌て逃げようとする冬美を後ろからガッチリホールドした詩季は冬美の耳元で宣言する。
「さぁ冬ちゃん? あーん……の時間だよ? 大人しくして?」
僕っ娘大好きという歪んだ性癖の持ち主は恍惚とした笑みでフォークを握るのであった。ちなみに詩季は他にも様々な性癖を持っているのだが、多すぎて断定的に紹介出来ない。少なく見積もっても十万文字を突破してしまい文字数稼ぎと罵られかねない。
その一件から冬美は詩季からの家庭内暴力にではなく愛情表現に戸惑い混乱する方向に強制的にシフトしたため母や姉たちは安堵し、同時に母も姉達も全員冬美に嫉妬するという大人げない状況に陥るのであった。
後日、冬美は日記にこう記す。
「お兄ちゃんの前で、僕と言ってはいけない」と。




