大学 叙叙
「君は、随分柔軟な思想を持っていますね。非常に興味深い」
詩季を自分が通う大学の講義に連れてきた春姫は困惑を隠せなかった。
そんな事態を招くこととなる切っ掛けは三日前の夜。
「春姫お姉ちゃん、今度の水曜日、開校記念日でうちの学校休みなんだ」
「ん? ああ、その位の時期だったか」
春姫も卒業生ではあるが開校記念日などあまり記憶にないのが本音である。
「でね、お願いが有るんだけど」
「なんだい?」
詩季のお願いは大学に行ってみたいということであった。
「まぁ大丈夫だが。何でだ?」
「後学のため、かな?」
弟の答えに姉としては応えたい気持ちになるのは当然であった。ましてや最近考え込む事も多い弟。気分転換にでもなれば儲け物だし今後の進路を考えれば大学のイメージを付けるのも悪い事ではないと判断したのである。
「ふむ。今度の水曜日なら講義もオープンだから問題ないよ。ただ午後からだが良いかい?」
「うん。あ、じゃあ学食って行けるかな?」
「ん? 構わんよ。興味有るのか?」
詩季の食い意地が張っているというのもあるが、キャンパスライフというものを前世では味わった事が無いので解りやすいところであり自分も参加出来るだろうという思惑から学食に興味を持っていたのである。
「うんうん」
「そうか。解った」
会話を聞いていた夏紀が心配そうに声をかけてきた。
「姉貴、詩季連れてくなら目離すなよ?」
「子供じゃないんですけど?」
「子供じゃないからだ。詩季はもてるから悪い女に悪さされないか心配なんだって」
「あらまぁ」
苦笑いしながらも警戒心の薄い弟の頭を撫でながらそう心配する夏紀。詩季は詩季で「痴女でも何でもバッチ来いなんですけど?」という考えであったがその一線を自ら越える勇気が未だに持てないヘタレ童貞であった。
「私が常に側に居れば問題無い」
春姫は弟を外で見せびらかすような趣味は無いが常に自分が側に行れば問題ないと判断した。夏紀も同行しようかと一瞬考えたが、自分が春姫の立場だったら折角の二人っきりの外出で邪魔されたくはないと判断し我慢したのであった。
当日、春姫と詩季は車に乗り込んだ。
「さて、行こうか」
「あのさ」
「ん?」
「ガヤルドが何であるの?」
「お、詳しいな」
所謂ランボルギーニである。千万では到底買えない代物だ。詩季は前世でそこそこの車好きではあったがネットで眺めたことがある程度。だが見間違う訳がない超高級車のフォルムに唖然とする。
「いつ買ったの?」
「いやこれはレンタカーだ。安心しろ、自分の稼ぎで借りたんだよ」
「いくらしたの?」
一日二万や三万では借りられないであろう高級車である。
「弟との二人きり初ドライブはプライスレスだ。今日は講義が一時半から四時までしかないから帰りは海沿いでもドライブして帰ろう。夕飯の支度は夏紀がやってくれる」
春姫は弟のデートに気合いを入れすぎた。
「それは良いけど。あれ、夏紀お姉ちゃんって料理」
「カレービーフシチューホワイトシチューハヤシライスに豚汁あたりがあいつの得意料理だ」
「ああ、なるほど」
前世で言うところの男の料理の王道パターンである。
「煮込むことに拘りが有るのか肉も柔らかくて旨い」
「へぇ、楽しみだねぇ」
そう言えば事件前も夏紀の料理を詩季は食べたことが無かった、と春姫は思い出す。元々滅多に台所で調理などしない夏紀ではあったがそれ以前に詩季が食べていたのはコンビニ弁当やスナック類、そして春姫の作る中でも肉料理だけであった。
夏紀の料理については「お前の汗が入ってそうでキモイし臭そう有り得ない」と本人の前で一蹴したことさえある。夏紀は「そんなことねぇけどなぁ、まぁしゃあねぇか」と言いつつも心で半泣きしながらスルーしていた。長女としては次女の心の涙が解らない訳が無い。
そのリベンジをするかどうかは春姫も聞いていないが朝から気合いを入れている妹に心の中でエールを送っていたのであった。
「普段乗らない車だと見える景色が違うねぇ」
「ああ、車高が低いしな」
「うわっトラック怖っ!」
「タイヤが真横に来るとビックリするな」
自家用車がバンタイプであり詩季自身もせいぜいプロボックスやフィールダーといったADバンタイプの社用車かそれこそトラックしか運転した事がないのでギャップが楽しかった。
「帰り運転させて。レッツドライブ」
「……ほう?」
本音ではあるが不法行為をするつもりもない詩季の冗談に春姫は予想以上に剣呑な空気を出す。
「いや、免許無いし冗談だよ」
「当然だな。私は指紋認証や運転免許認証でエンジン稼働するようにすべきだと常々思っている」
法学部の春姫にとっては冗談にはならないのだと詩季は思い至った。
実際には今の詩季になる前の詩季のスマホに誰の車か解らない、そして誰が助手席から撮影していたか解らない詩季の運転動画が存在したからであった。
それについては詩季が意識をなくしている時期に警察には既に届けており、起きた後も詩季の記憶が定かではない時期に警察からの事情聴取で「本人に記憶、自覚無し」とされ男性保護の観点からの配慮もあってお咎め無しとなった。余程緊急事態でもなければ再犯の可能性が今の詩季にはまず無いと考えると春姫の英断と言えたのである。
「まぁそうだよね。あとアルコールチェック機能とか付けた方が良いよね」
「うむ。抜け道はいくらでも有るものだが意識が高まるのは絶対だろう」
「それでチェック作動しなくて事故が起こったと訴訟祭りになって弁護士さんが儲かるんだね、やったねお姉ちゃんっ」
「弁護士ではないがもうちょっと意義の有る仕事をしたいね。それに実際は自動車メーカーとしては事故防止より利益確保を優先させるだろうし国からの命令が無い限り自ら付けないだろう」
「まぁ何でも凶器になるからきりが無いよね。包丁だってなんだって使い方次第だもん」
「極論水でだって空気でだって人を殺せるが、使い手次第なところにどこまで制限を掛けるべきか、というのは社会の命題だ。それに」
丁度大学の駐車場に着いたところで春姫は話題を締めた。
「新たな規制は新たな権利を生む。そして同時に権利の乱用も生まれるからして即座に対応するのが難しいのが法治国家というものだ」
詩季は春姫の目指すところを見た気がした。
「学食、というかカフェテリアと呼ばれているのがここだ」
「カフェっていうか食堂だね」
「国立でこっち方面にそこまで力を入れていないのに横文字にすりゃ良いってもんじゃないという良い例だな」
「何がお勧め?」
券売機の前で悩む。幸いにして早めに出発していたため到着したのは十一時。三十分で食べて講義まで学内を案内するという事になっていた。今はピーク時より大分早く、食堂はまだ人がまばらだった。
「安くて量が有るっていうのがコンセプトだからな……特には……ああ、先日台湾まぜそば食べたがちょっと美味しかったな」
「ふーん。じゃそれにしよ。ポチっとな。台湾まぜそばって台湾じゃなくて日本発なんだよね」
「なん、だとっ?」
「名古屋めしだよ」
「そんなことが許されるのか」
「それ言うなら東京ディスティニーランドなんて掠りもしてないねぇ。台湾まぜそばは台湾ミンチを使ってるからセーフセーフ」
「ふむ。それなら酢飯を使えばチョコを乗せても寿司と言い張れるな」
「まぁ言い張れると思うけど酢とスイーツってどうなんだろね」
「挑戦するならリアクション王の秋子にな」
「ラジャ。いただきまーす」
「いただきます」
「いただきますっ」
席について早速食べようとしたところへの突然の第三者乱入に暦姉弟は当然驚く。
「台湾まぜそば美味しいよね!」
「え? あ、はい。えと、お姉ちゃんのお友達?」
「知らない人だから無視して良いぞ」
「冷たいねっ?」
春姫は悪友の伊達真希にシッシッと追い払うような仕草をする。
「犬扱いっ?」
「犬に失礼だぞ」
「犬以下っ?」
「人のメシ狙ってくる奴が何言ってる」
「いやいやいやハッピーがここと講義でしか捕まらないからでしょうが」
真希はサークルにも一切参加せず付き合いも宜しくない春姫にツッコミを入れる。付き合いが悪いのは昔からなので気にはならないが見かけたら声をかけたくなる程には仲が良いと思っている。春姫は春姫で家のことが優先事項なので割り切っていたが伊達真希は悪友と認識していた。
「その呼び名は止めろ。詩季、こいつは残念なことに高校の頃からのストーカーで伊達真希だ。おい、こっち座れ」
春姫は追い払うのは一旦諦め詩季の隣に座ろうとする伊達真希に椅子をテーブルしたで蹴って牽制し隣に座るよう命令する。
「もう、乱暴なんだからぁ。は~いこんにちは~伊達真希ちゃんで~す」
「こんちには。弟の詩季です。姉がいつもお世話になってます」
「おおっ! 噂通り礼儀正しい良い子だ! 妹がお世話になってます」
「あ、やっぱり絵馬さんのお姉さん?」
詩季は絵馬との会話でお互いの姉が同じ大学だと聞いていたのを思い出す。姉同士が知り合いだとは思わなかったものの、真希と絵馬の顔立ちが似ていたのも思い出すのに役立った。
「おっ! 妹から聞いてた?」
「ええ。お姉さん自慢してましたよ」
「おお? あいつ普段そんなこと言わないのに」
「何でも出来るお姉ちゃんだって言ってました」
詩季は笑顔で答える。
「あらま。帰りケーキでも買って行ってあげましょ。自己紹介も終わって仲良くなったところでさぁ冷める前に食べましょう! 校内案内するんでしょ? 私にお任せあ~れ!」
「いや帰れよ」
「ええ? ハッピー大学の中ちゃんと案内出来るの?」
「馬鹿にするな。二年目だぞ」
「サークル棟とか解る? 我が校名物クッキー売ってる場所は? 伝統あるステンドグラスは見たこと有る?」
「真希、半径十メートル以内に入らなければ案内させてやる」
「遠い遠い。大丈夫、踊り子さんには手を触れませんから」
「お姉ちゃん……もうちょっと大学楽しんだら? 僕、もっと家事やるから」
詩季の哀れな子を見るような視線に思わず顔を伏せてまぜそばに食いつく春姫であった。
「そうだよ、ハッピーもてるんだから彼氏でも作ったらいいんだよ。お試しで付き合ったら良いんだ。この間も文学部のメガネ男子がアプローチしてたじゃん」
弟の前で余計なことを、と春姫が殺気を放つがすぐに霧散した。
「駄~目」
詩季が即座に却下したからである。
「え?」
「ちゃんと好きな人だったら仕方ないけどお試しとか軽い気持ちでなんとなくなんて弟として許せませんっドドドドドッ」
「おお……口で効果音とは新しいっ」
「ドドドドドッ悪魔の囁きをする悪魔は滅びよッドドドドドッ」
「あはは、ごめんごめん、もう言わないよ。お姉ちゃん大好きなんだねぇ」
「自慢の姉ですからドドドドドッズギャーンッ!」
『仕方ない』ということは詩季としては望んでいない上に『自慢の姉』と言われ春姫は心の中で「ウヒッ」となったが何とか堪えニマニマしそうな表情筋もかろうじて抑えるのであった。
「ハッピー、この子超面白いわっ」
「燃え尽きるほどピートッ!」
ドドドドドッ
作者「読者ッ!君の意見を聞こうッ!」(訳:ネタ募集)




