不器用 大変な変態
秋子は珍しく表に出るほどにテンションが高かった。詩季と家でちょっとした時間を二人きりで過ごすことは有ってもこのように外で、というのはこれまで無かったからである。
「秋子お姉ちゃんは生徒会とか部活無かったの?」
「生徒会は今日は差し迫ったものも無いし文芸部も一年通して開店休業中さ」
「文芸部って何をしてるの?」
「それは難しい質問さね」
「何で?」
「活動が多岐に渡るからさ」
文芸部というのだから皆で読書したり文章書いたり議論したり、というイメージだったのだが他にも有るのだろうかと詩季はアイス&クレープ専門店へ向かいながら考える。
「部員が適当に集まって適当に本読んだりスマホいじったりダベったりさ」
「あぁ、そういう感じね」
「読んでる本も大体がマンガというオチさ」
「文芸どこ行った」
「どっか逝ったさ。でも熊田君は有る意味文芸部らしい文芸部で本好きさ。特に三島由紀子とか正岡規子とか」
詩季は文学に元々興味が無く「ああ、三島由紀夫と正岡子規ね」程度の認識だった。
「インテリだねぇ」
「いやぁそれはどうさね。彼の趣味は中々偏ってるさ」
「へぇ。好きなジャンルみたいなのに集中しちゃうのかな」
詩季は前世ではファンタジー物が好きだったため見るアニメや読むマンガ・小説はそれらに偏っていた。逆にロボット物にはあまり食指が伸びなかったので何となく気持ちは解る、という気分である。
「まぁ、ジャンルというか性癖というか」
「え?」
「いや何でもないさ。あと本人も書くさ」
「何か書いてるなら今度読ませて貰おうかな」
三島由紀子も正岡規子も同性愛者の女性文豪である。
秋子は以前、熊田のノートを偶然拾い読んだ時に戦慄が背筋を走ったのが今また体感と共に思い出す。内容としては短編小説らしく、秋子と夏紀が主人公で姉妹が絡み合うというものであった。
秋子にしてみれば実の姉妹で絡み合う、というのを他人が想像しているなど知りたくもなかった。知った後も秋子は気色が悪くて夏紀にも誰にも言わず墓場まで持って行くつもりの無益な情報であった。
「腐るか腐らないか、それが問題さ」
詩季に余計な影響を与えて欲しくはないと思いつつ、熊田はその性癖を隠しているようだったので詩季に話すことはせず今この場では忘れる事にする。
「何それ?」
「気にしなくて良いさ、独り言独り言。さ、あそこがオススメのクレープ屋さ」
「オススメのチェーン店だね」
「間違い無いさ」
「確かにね」
登下校で使う駅近くにあるアイスクリーム&クレープ専門チェーン店の前に到着する。
「私はレアチーズケーキさ。詩季君は好きなのを。あと家のお土産用に千円のホームパックアイスをお願いさ。私はここで隠れてるから詩季君が行って。ほら、お金」
「え? うん? ありがと」
何故隠れるのか、と思いつつ言われた通り店に入り当初の予定通り注文する。
「なるほど。流石策士」
「泳ぎは苦手さ」
「ああ、よく策に溺れるのね」
「だから人に泳がせるのさ」
「あはは、酷いね」
「人が溺れるなら私は冷静に対処出来るさね」
参謀に拘ろうとするのは己の臨機応変さととっさの判断力が無いと自己評価している事が原因のようだ、と詩季も悟る。
「でも良かったね。トッピングサービスしてくれたよ」
「うん。だけどお釣り渡すときに手が触れていたさ」
「偶然でしょ」
詩季も苦笑いしてしまう程に女性店員に軽く手を握られていたのだが詩季としては小綺麗なお姉さんからなので悪い気はしなかった。むしろもっと触れ何なら第三の足も触る?と少し鬱屈が溜まっていた詩季は頭の中で下品な冗談を考える。
「あそこで食べよう」
「うん」
近くにある、滑り台とベンチしかない小さな公園で食べることにした。
「頂きます」
「ほいさ」
一口目。詩季の口の中にクレープの生地とクリームとチョコの甘みが広がりバナナの濃厚さが加わる。更に噛むとそこにかすかな酸味も加わってイチゴが控えめに主張した。イチゴは詩季の魅力によりゲットした特典である。
「美味しいね」
「同意さ」
「一口頂戴」
「ほいさ」
姉のクレープの端にかじり付く。
「はい、お返し。あーん」
「詩季君、何か欲しい物とか無いのさ?」
「僕達は学生なんだしお母さんみたいなこと言わないの。ほらあーん」
「あーむ」
詩季との間接キスとかまさに理想のデートと言った状況に秋子の脳内麻薬による快楽信号は全身を全力疾走中である。
「ああ。本当のデートみたいさ」
「美味しいねぇ」
感無量と言った様子の秋子だったが詩季が一息付いたと見た瞬間に切り込んだ。
「詩季君、悩みが有るならいつでも相談して欲しいのさ」
「あ」
「無くても取り敢えずお姉ちゃんを構うべきさ。有る時は絶対に独りで抱え込んじゃ駄目さ。むしろマスト」
「うん。でも」
詩季は己の存在意義に悩んでいた。成長しなければ、と思いつつも三十年以上もうだつが上がらない男だった己を信じることが出来ない。踏み切れない。体が心が噛み合わないのである。
「大丈夫じゃないのさ」
秋子が詩季の言葉を横取りする。
「う……ん」
「詩季君。例えば冬君が悩んでいたらどう思うのさ?」
「力に、なりたい」
脊髄反射で出た偽りのない本心である。そして姉が何を言いたいのかも解る。
「どんな悩みでも、言いにくい事でもお姉ちゃんは受け止めたいのさ。もし詩季君が億万長者になりたいとか宇宙に行きたいとか窃盗や殺人を犯しちゃってどうしようとか悩んでたら希望に添えるよう私は全力投球するさ」
想定される悩みと対応可能レベルが経済的にも空間的にも法的にも広過ぎる。
「有り難う……でも、もうちょっと独りで考えたいんだ」
精神実年齢三十歳を越える男がまだ十代の少女に諭され相談に乗られるだけではささやかなプライドが許さなかった。ただ、自分が前のように孤独ではない、気に掛けてくれる人達が居る。それは明確であったもののこうやって言葉にして向き合ってくれると大きな力が涌いてくるのを感じた。
「ラジャー、いつでもトゥエンティフォー体制でウェルカムさ」
詩季の変化を敏感に察知した秋子は安堵した。可愛い弟の成長ぶりと己への信頼を感じ、更に愛しさが胸に広がる。
「有り難う。秋子お姉ちゃんって、面白いし優しいし何でも出来て凄いね」
「ん? 誉められるのは嬉しいけど、私は姉妹の中で一番低スペックさね」
「え? そんなことないでしょ?」
明らかに言葉が足らない秋子に聞き返す。
「私は夏紀姉さんに言わせると、突発的な事態への対応速度が低いのさ」
「そんなこと無いと思うけど……」
「そんなこと有るさ」
秋子はその傾向が強い、というだけで他の同世代と比べれば暦家の女らしく軒並み能力が高い。だが長姉の春姫が居るため夏紀の妹に対する評価も秋子の自己評価もそれが基準となってしまうのである。
ただ、秋子の中ではそこが己のトラウマの原因であると分析している。
切っ掛けは詩季が強盗に襲われている状況に出会した事であった。姉二人は詩季の叫び声にリビングに飛び込んだ。結局犯人を取り押さえる姉二人、二階から降りて慌てて救急車を呼ぶ冬美、そして己だけ気が動転してオロオロと役立たずだったのである。
「私も最近まで悩んでたのさ」
冬美もまた最近では己と似たような悩みを抱えていたのは同類として感じていた。
だが、冬美は体格に恵まれていない事を除けば何事に対しても器用で頭も良く秋子から見ると最強の姉である春姫の小型成長過程版を見ている気分で劣等感さえ抱いてしまっていた。少なくとも電話一本出来ない体たらくで小学生の妹にも劣った。己が情けないと責めていたのである。
「で、煮詰まってしまってさ。夏紀姉さんに相談したのさ。そしたら悩みなんて吹き飛んださ」
「夏紀お姉ちゃんが? 何て言われたの?」
「要は適材適所さ。私は母や夏紀姉さんみたいに前に出て人を引っ張っていくのが苦手なのさ」
ちなみに春姫の場合は歩いているといつの間にか背後に軍勢が出来ていた。ただ春姫自身はほぼ振り返らないためそういった意識はなく、それもカリズマとされる由縁の一つである。
「そう、かな? 秋子お姉ちゃんも人気有るし」
「性格の問題さ。勿論やるべき時に出来るよう備えるべき。でも、自分より適任が居るならその人をリーダーに、私は他の人達の補佐に回るのが私の持ち味だと気付いたっていうか、思ったのさ」
秋子も強盗に押し入られた際に何も出来なかったのは事実だ。だが秋子のその後の対応も卑下するものではなかったのを母親も姉妹も知っていた。むしろ秋子が居たからこそ節子も春姫も詩季に集中出来て、生活が大きく破綻することなく維持されたのである。
節子と春姫は詩季の事に集中し、夏紀は冬美のフォローに徹した。しかし詩季が不在で四人だけとは言えど生活を営なければならない。
夏紀も秋子にばかり任せてはいなかったが、考え込み、沈み込みがちだった冬美の傍に居るようにしたのだ。そんな中、秋子はとにかく家事やあらゆる雑務をこなした。
食事だけはホットケーキ以外まともに作れないため、冷凍食品や出来合いの弁当に頼ったものの、詩季が退院するまで人数分の食事が用意されていないということは一度として無かった。そして病院に缶詰状態の母と姉二人には出来るだけ栄養の有る物をと気を使って選んで届けていたのである。
「詩季君。家族が元気ないと心配するさ。言えないことも有ると思うさ。でも、元気がないことそのものを隠そうとしないのさ。皆で気遣って、皆で相談に乗って、出来るだけ協力するのが家族ってものさ。詩季君、私達は君が大好きなのさ」
「う……ん」
ここまで誰かに親身になって言われた事は詩季の前世も含め経験が無かった。
勿論母や姉妹達が自分を大事にしてくれているのは感じている。だが、秋子は直接言ってくれた。胸から何かがこみ上げてくる。
「秋……子、おねえちゃん」
実のところ、秋子はここまでの話の展開を予想し掛ける言葉を全て用意していた。計算通りに、詩季が欲しているであろう言葉を秋子は詩季の心に染み込ませたのである。
だが、弟が涙するとまでは予想していなかった。そこがよく春姫から『詰めが甘い』と言われる由縁である。
「し、詩季君っ?」
二人きりの公園で、泣く弟に焦る姉。
「そ、そのっえっと」
何とか対処しようとする秋子の耳に、詩季の嗚咽混じりの掠れた声が微かにだが届く。
「あ、りが……と、う」
突然の対処が苦手な秋子ではあったが、その言葉に体は自然と動いていた。
帰宅後。
「汚してごめんなのさ」
「いやいや、僕が慌てさせちゃったからだよ。ごめんね?」
詩季の手にまだ握られていたクレープごと抱きしめてしまったため、二人の制服はチョコとクリームまみれになった。
「しかし勿体ないのさ」
「また食べに行こ?」
「至福の極みさっ」
「あはは」
洗う前に詩季の制服についたアレコレを舐めとりたい、という欲望に秋子は耐えきれずこっそり実行しようとしたのだが、
「あ」
「あ、じゃない。秋子、お前は今、何をやっている。その手に持っているのは詩季のワイシャツじゃないか」
「た、食べ物が、も、も、勿体ないので、え、エコ活動さ?」
「エロ活動だろとツッコまれたいだけだろ貴様」
「ゆ、許して欲しいのさっ今日はいろいろあっていろいろキャパオーバーなので心神喪失状態無罪判決が妥当ささっ?」
「良く舌が回るじゃないか。まずはそれをこちらに寄越せ」
とこのように春姫に見つかり折檻されるという一幕も有った。
その翌日そのシャツがどこに行ったのだろうか?この新しいシャツは誰が用意してくれたのだろうか?と詩季は首を傾げるのだが行方を知るのは二人居る。
「詩季チョコクリーム……ぬふ……」
「うわぁこれは引くさぁ酷い絵面さぁ」
「……お前もやろうとしたことだろうが」
「いや、さっきはどうかしてたさ。実際目の当たりにするとちょっと」
「そんなこと言う奴に分けてはやらん」
生みの母も一部上回る多才さと超人的な能力、予想を常に上回る性格と性癖は頭脳派の秋子をして逆らおうと思わせない。そんな存在が長姉春姫という女である。
「御姉様、一生ついて行くさっだから一口だけでも欲しいのさっ」
勿論その妹だけあって秋子も大概なのであった。




