おはよう 初めまして
「知らない天井だ」
新たな詩季にはお約束が好きな男の魂が宿っていた。ちなみに元々の詩季がどこに行ったかというとパラレルワールドに行ったのだが、それはまた別な物語となるためここでは割愛する。
「あれ?」
声がかすれている。そして、体が異常に重く起きあがれない。
「詩季! 起きた、良かった! 母さん、詩季が目覚めたよ!」
知らない女性がのぞき込んで来る。かなりの美人だと思われるが、顔色が悪い。自分のせいだろうか、とふと考えたがなぜそんな美人に心配されているのかが理解できない。ただ「しき」と呼んでいたので自分のことで間違いなさそうであった。奇しくも彼の前の体の名前と同じ名前であった。
「記憶喪失……ですか」
「有り体に言えば現状はそうですね。問診の結果、記憶に混乱が見られます。ご家族のことが解らないのも一過性のものかどうか……頭を打ったとしても外傷もないですしCTスキャンでもMRIでもひとまず問題が発見出来ませんでしたので定期的に受診頂き様子を見ましょう」
母の節子と名乗った女性と医師の会話を呆然と聞きながら詩季は徐々に状況を把握し始めていた。
「詩季君、本当に大丈夫? 無理しなくて良いのよ?」
「本当に大丈夫だよ。心配しないで」
詩季の母、節子は落ち着き無く息子の顔色を何度も伺う。
詩季は一命を取り留め三ヶ月入院し一ヶ月自宅療養していた。退院後初めての登校であった。記憶が戻らない事もあり、詩季の希望により姉二人が通う高校に転校することになったのである。
学力的には一段下がることがプライドの高かった詩季を刺激するのではと詩季の家族は戦々恐々としていたが本人も新天地でのスタートの方が何かと楽だろうと考え承諾したのである。
「母さん、大丈夫だっつの。俺も秋子も一緒なんだからよ」
ショートカット、というよりもベリーショートのよく陽に焼けた肌の次女、夏紀は何度も繰り返される問答に嫌気がさしていた。
「でも夏紀も秋子も学年違うしぃ」
「お母さん、本当に大丈夫だから」
「そうさ。休み時間毎に私が様子を見に行くから心配は要らないさ」
独特の話し方の三女秋子は淡々と、しかしよく通る声で母を宥める。背中まで伸びたロングへアを一本でまとめメガネを掛けた冷たい印象すら与える文学系美少女である。ちなみに眼鏡は伊達眼鏡で、つまりは敢えてキャラ作りをする変人である。
「いや、流石に休み時間ごとは」
「帰りは私が迎えに行こう。二人とも部活や委員会で忙しいだろう」
長女の春姫は有無を言わさぬ断定口調である。
「え、でも大学は」
「ちゃんと計算しているしこのペースだと後期は行かなくても良いくらいで終わってしまうからね。ああそうだ。夏紀、秋子。解ってるな?」
春姫の目は語っていた。「悪い虫は排除せよ」と。そして妹二人も「当たり前だ」と目で返す。
母と姉達の過保護っぷりに引きつつ、詩季は妹に目を向ける。
「あ、冬美ちゃん。もう行くの?」
「行って、きます」
「あ、行ってらっしゃい」
素っ気ない冬美の後ろ姿を眺めながら詩季はため息をつく。
この三ヶ月、妹である冬美とは禄に話が出来ていない。姉たちに相談してもみたのだが芳しい結果は得られなかった。
「まだ慣れてないだけだろうから気にしないでまずは自分のことを大事にしなさい」
「あ、はい」
「あぁ? 腹割って話せば良いじゃねぇか。よし俺が」
「そういう荒治療は止めておいた方が良いさ。冬美は頑固なところがあるからまだ詩季の変化を受け入れられないだけ。大丈夫、今の詩季と冬美ならきっと仲良くなれるさ」
解決には至らなかったがせっかく出来た家族、詩季は焦らず徐々にでも仲良くなろうと日々画策することにしていた。前世?では天涯孤独だった詩季にとっては母も姉も嬉しいが気恥ずかしさもまだある。そして妹という存在に憧れたことがあり、妄想していた妹以上に詩季の趣味にハマった冬美と仲良くなりたかったのである。
「あ、もう行かなきゃだわ。あなた達、ちゃんと詩季ちゃんの面倒見るのよっ」
「解ってる」
「はいよー」
「任せたら良いさ」
「お母さん、これお弁当」
既に恒例となっていた詩季お手製弁当をそれぞれに手渡す。
「ああ、有り難う! ハグしても良い?」
「あはは、行ってらっしゃい」
そして過保護で愛情たっぷりの母親に苦笑しながら軽くハグし見送った。
「ああもう! お母さんこれで今日も新記録間違いなしだわ!」
女所帯の家で、既に台所は詩季のテリトリーになっていた。それまでは春姫が主に作っていたのだが、基本的には焼いた肉・味噌汁・ご飯か店屋物だったため流石に飽き始めたことと健康が損なわれるのを危惧し詩季が毎食の料理をすると立候補したのである。前世では一人暮らしで節約のために自炊して、趣味と言える程には腕に自信が有ったので趣味と実益が今生でも合致したのである。
「はい、春姫姉さんも」
「うん。有り難う。詩季の料理は美味いから昼前に食べないよう気をつけなきゃな。車の免許、もうすぐ取れるからその内学校まで送っていくから」
「あはは、お金持ちのお坊ちゃまみたいだね」
「あれで母さんも結構稼いでるからお坊ちゃまと言えないこともない」
春姫は穏和になった詩季の頭をまだぎこちなくだが撫で礼を言って先に出かけ、詩季と他姉二人も共に家を出た。
「さぁ、行くか」
「そうさね」
玄関口で二人に手を差し出され詩季はまた苦笑いを浮かべた。
「子供じゃないんだから三人で手を繋ぐのは恥ずかしいよ」
子供が三人なら微笑ましいと言えるが体も成長した男女三人が手を繋いでいたらどんな関係だと訝しげに見られること必至であり実質的にも単に通行の邪魔にしかならない。
「なら私と手を繋げば良いさ」
三人より二人と言われればそうだが姉たちの過保護にため息すら漏れそうになった。
「いやいやいや、俺と手を繋ぐべきだ」
「意味不明よ。主に姉さんの存在自体が」
「何、喧嘩売ってんのか?」
「姉さんが詩季と手を繋いで詩季にどんなメリットが有るというのさ」
「ああ? 俺なら万が一詩季が車に牽かれそうになっても助ける自信がある。お前なんて一緒に牽かれて肉の盾にもならねぇよ」
「なら私と詩季が手を繋いでいるのを横目にしながらSPさながら私たちを護衛したら良いさ」
「お前の方が意味解らねぇよ!」
言い争いは同じレベルでしか始まらないしきっと仲が良い証拠なのだろうと思いつつ、詩季はいつまでも言い争う二人を置いて学校に向かい、その背中をあわてて二人が追いかけるのであった。