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正解 未回答


 俊郎は詩季の部屋に入り、驚愕した。


「適当に座ってください。今、クッション持ってきますから」


 十二畳ほどだろうか。フローリングの部屋の中央には円形の若草色のカーペットが一枚敷かれている。


「……ああ」


 なんということはない筈の空間。

 だが、なんということはない筈の空間が、玄関から見えたリビングルームとは同じマンションの一室だと認識できない程の違和感を俊郎にたたき込んでいた。


 詩季の部屋はあまりに物が少なかったからである。


 勉強机と参考書、筆記用具。

 ベッド。

 目覚まし時計。

 電源タップとスマートフォンの充電器。


 衣類は添え付けのクローゼットの中だろうか。


 他には、一つを除き何も存在しなかった。

 住宅メーカーのモデルルームとてもう少し小道具を置くであろう。ましてや家にほとんど帰らないような社会人ではない。



「……綺麗にしているな」


 思わずつぶやき、その己の言葉に前提条件が誤っていると心のどこかで勘付く。



 綺麗、というよりも散らかす、散らかせる物が存在しない。



 そして一枚の、通常ならば自然な筈の存在が、その空間では違和感を生むものとなっている。


 その元凶とも、何かの被害者のようにも見えるコルクボードを眺める。


「じゃ、俊郎さん。今、姉がお茶持ってくるので飲んでて下さい。クッキー焼いてきますから」


 クッションを持ってきた詩季から受け取る。


「ああ。悪いな」

「いえいえ~」


 部屋を出ていく詩季を見送り、俊郎はすぐに行動に移した。



 暦詩季という人間は変だ

 記憶を失くしたとはいえど、あまりに異質だ



 俊郎は、まだ数回とはいえ共に過ごした時間、電話や文字でのやりとりだけでもそう感じていた。


 暦詩季は何者なのだ


 疑っていたと言っても良い。



 俊郎は暦詩季という人間を斜め上にという注釈付きではあるが高く評価していた。


 春姫に会うまでは俊郎は運動でも勉学でも、そして弁舌でも誰にも負けたことがなかった。

 春姫に会って、多くの敗北を知った。劣等感を抱いた。そして幾度と無く奮起した。

 そこに甘い、恋愛の類の感情が入る余地は現在に至っても微塵も生まれず、強敵と書いてそのままライバルと読む、そんな存在であった。


 だが、その強敵の弟は違った。


 その年下の男は俊郎に思いもよらぬ価値観を提示したのである。


 一時はそれに反発も覚えた。

 ただ俊郎は激情家であるが、理屈屋でもあった。


 詩季が春姫と大学の講義に参加した時の、教授との問答を幾度となく俊郎は反芻する。


『それは差別じゃないですか?』


 それまでの俊郎にとって、差別とはいつも、いつでも常に男性が被害者として対になって存在する言葉であった。それまでは。


『こっちで損してるからあっちで得しよ、って問題のすり替えじゃないですか?』


 男性に与えられる数多の利得を、当然の権利のように主張する男は少なからず居る……むしろ大多数だろう。

 俊郎は生まれてからずっと、当たり前のように見て、当たり前のように聞いてきた、そして己も受けてきた『男性であるが故の利益』を初めて認識した瞬間であった。


『得する場面は損してる場面での補填というか帳尻合わせではなくて、性別によってどちらかが得したり損したりするのを是正しなくちゃ男女平等とは言えないんじゃないでしょうか』


 自分は『男である』というだけの条件でハンディを貰うほど劣った存在ではない。


 女に負けるか、とどこかで考え、あらゆる場面で強くあろうとした。

 春姫に出会うまで、敗北を知らなかった。


 その気高さは今も変わらないが、しかし、その矜持は男だからではなく、己が培ってきた知識や鍛えた肉体に()るものである。


 俊郎はその『矜持』があるからこそ、フェアで無ければならない、あらゆる面で己が女と同じステージに立たねばならないと、と努力を続けたが、詩季の言葉で気付いてしまったため、足下が崩れた。


 自分は、社会が築いた高台から不当に女を見下し、上から男が見た理想論という一方的な価値観で固まった石を投げ落としている、投げ落とそうとしているだけではないか、と。

 気付いた、というよりも、『自ら考え、納得』したと表すのが妥当であったかもしれない。


『なので本当の男女平等の定義から僕は話し合う必要があるんじゃないかと思うんです』


 同じ位置に立てば、同じ目線の高さになれば、(わかりあ)えるのかもしれない。


 男だからって、弱くない、強くなれる。


 守ることが出来る。


 これまで妹の宮子を守ってきたように。


 母を応援してきたように。


 俊郎という人間の根元は『母を、妹を、守りたい』であった。態度はとげとげしくも、彼の原動力は家族愛であった。


 詩季と同じように、俊郎は幼少のころ、年下の家族を求め、母親にねだった。出来れば弟が良いと思っていた。

 だが、俊郎は詩季と違って、弟ではない、妹の誕生に歓喜した。男だとか女だとか関係なく、新しい生命に喜び、涙を流した。


 その新しい生命を、そして母を、守るためには強くならなければならない。

 故に知識を、体力を、能力を、人脈を、地位を追い求めた。

 ただ、そこで『男だから』と見くびられるなど許すわけにいかなかった。


 『男だから』と相手に言い訳の原材料を供給するなど許容できない。


 俊郎のもともとの人格と培ってきた経験が詩季の言葉によって、変革を迎えたのである。


「詩季君は、本当に、家族と友人を大事にしているんだな」


 コルクボードに貼られた、数々の思い出の欠片。


 詩季が抱いているであろう想いの片鱗を覗き見るかのような、新鮮さ。


「詩季君……らしい、か」


 だからこそ。


 だからこそ、()せない。


 俊郎は持っている人脈を使い、過去の詩季を調べていた。


 その結果、とても俊郎が仲良くなろうとは思えない人物像であった。『今の暦詩季』の片鱗さえ見えない。



 記憶喪失



 何かが欠けるなら解る。何かが突出してしまうなら解る。


 だが『元々持っていたとは思えない価値観』をどうして手に入れられる?

 暦詩季の家族でさえ持っていたとは思えない、その思想。後から芽生えるには環境的にも時間的にも腑に落ちない。


 解らない。というよりも、もっと感覚的なもの。

 将棋盤の上にチェスの駒が乗っているかのような違和感。


「…………異世界から、来たか?」


 答えの見えない難題を振り払うように、己への冗談を呟いた。

 だが、その言葉に思いの外、違和感を覚えず、むしろ納得しそうになった。


 俊郎が夢見がちな人格であればそのまま正解へとたどり着いたであろう。だが現実的なその人格がそれを解答だと提示する訳もなかった。


 自嘲めいた乾いた笑いを小さく漏らし、クッションに座って詩季を待った。



 まぁ、何にしても、『今の』彼の力になれればそれで良い



 俊郎の想いは、妹に向けるのとは少し違うが純粋な好意であった。


 





 おまけ



 ガチャ


詩季「俊郎さん、もうちょっと時間かかるんで、暇だったらベッドのマット下にあるエロ本でも読んでて下さい」

俊郎「え、を、エロ、って、おい、ちょ、ちょっとは恥じらいを持て!」

詩季「あ、それ捨てました!」

俊郎「拾え!」


詩季(この人本当におもろいあんちゃんだなぁ)



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