5.魔剣問答
伊織という存在をどう認識すれば良いのか。
『魔剣を召喚した』という事になったクレールの父であるウェネフィクス公爵をはじめ、聖堂内にいる全員がそんな戸惑いの中で判断をつけかねている。
……彼らをここまで悩ませているのは、たった一つのシンプルな問題であった。
「──冗談ではございませんわ!」
突然。
答えを求めて囁き合う人々のさざめきを打ち消す様に、声を上げた者がいる。
全員がハッとなり、思わず口を噤む。
周りを囲む様にしていた取り巻き達を乱暴に押しやって前へと現れたのは、豪奢な緋色のドレスに身を包んだブロンドの少女──クレールの妹、ルミエール・ドゥ・ラ・ウェネフィクスである。
今の彼女の表情には、実験の前までみぎっていた筈の余裕が一切無い。その声音は激しい怒気と屈辱に塗れて震えている。
ルミエールが向かった先は、公爵の前に立つレナードのもとであった。
二人の身長差は大きい。
レナードに比べて頭一つ分以上低いルミエールは自然、彼を見上げる形となる。見下ろされる威圧感は相当なものだろう。しかし、憎悪にも似た強い光を瞳に宿したこの少女は、そんな事など一切問題としない。
「冗談……とは?」
例えルミエールが公爵令嬢という立場になかったとしても、今の彼女から発せられる語気は他人を竦ませるには充分過ぎる鋭さを備えている。だが、この蒼の魔術師はそれを真っ向から受け止めてなお、全く動じる気配が無い。
一体、この少女は何について納得いかないのか?──心底からそう思っている様子で、その感情の乏しい眼差しでルミエールを見下ろしている。
それが余計に、誇り高い公爵令嬢の感情を逆撫でしてしまう。
「とぼけるのもいい加減になさい! これがフェアエンデルグ? 伝説の魔剣? ──馬鹿馬鹿しい! 薄汚い身なりをした、ただの人間ではありませんの!」
激しい剣幕に大きな身振りを交えて、伊織を指をさすルミエール。
だが、それは彼女だけの言葉ではなく、その場にいたクレールとレナードを除く全員の抱いていた疑問の代弁でもあった。
『魔剣』というからに、もちろんそれは『剣』の姿をしているものだと全員が思っていたのである。しかし、現れたのはごく平凡に見える少年だった。それなのにレナードは、これをフェアエンデルグだと言う。
俄かには信じがたい話だった。
それは当然の事だろう。鹿を眼前に出されて「これは馬です」と言われてどう思うか、という事である。
その一方。
指をさされた側の伊織はすこしだけムッとしながら、ブロンドの少女の横顔を睨む。
「おいおい。初対面なのにちょっと言い過ぎじゃあないか?」
正直、全く状況はわからないわけだが。
思いっきり指をさされて、いきなり「薄汚い!」とか言われるのはさすがに男のプライドがちょっとだけ腹を立てる。
美少女だからって言って良いことばかりだと思ったら大間違いだ、美少女だからって!
……大いに彼女が美しい少女であることを認めながら、蒼いローブの男に喰ってかかかるその背に声を投げた。
だが──
「貴方はそこで黙っておいでなさい!」
「はっ! すいません! 黙ります、今すぐに!」
振り向き様、逆に一喝されて伊織はビタリと口を噤んでしまう。
その時、彼がとっていたのは心からの敬礼の姿であった。
『男のプライド? なにそれおいしいの?』って感じである。
しかし、今回に関して言えば、誰が彼をヘタレと罵れよう。
尋常じゃなかった。少女の怒りっぷりは、それはもう尋常ではなかった。問答無用で頬をひっぱたかれなかったのが不思議なくらい尋常ではなかったのだ。
「……って。なんでオレが謝ってんだ」
敬礼したままの状態で、半眼になった伊織がうめく。
そんな彼の前で「くすっ」と微かに聞こえる笑い声。視線をそちらへ落とすと、車椅子に腰掛けた女の子が口元に手を添えて笑みを隠していた。
その視線に気づいた少女は、ハッとした様子で笑みを押し隠すと顔を伏せ。その後、ちらりと上目遣いに、伊織の顔を見上げてくる。どこかおどおどしたその姿は「怒ってないかな?」と探るような、そんな様子だ。
そして、伊織の顔にはそんな彼女を安心させる何かがあったらしい。
あらためて、控えめながらも、はにかむような笑顔を伊織へと向ける。
「怒られちゃいましたね。ぁ……でも、私も妹からはよく怒られるんです。怒られた回数は私の方がずっと多いですから、あんまり気にしなくて大丈夫ですよ」
「は、はぁ」
この殺伐の極まる空間の中、おっとりと、どこかズレた事を言う少女に曖昧な相槌を返しながら。しかし、その笑顔が不安に固まっていた伊織の心にほんのすこしだけ和やかさを与えてくれる。
今回の当事者であるはずの二人。
しかし、そんな二人を蚊帳の外にしたまま、話は進んでいく。
「──……ルミエール様は『真名』というものをご存知か?」
ルミエールの舌鋒の鋭さに辟易したような表情を見せた後。
レナードは手を掲げて相手の言葉を遮ると、魔法陣の前まで歩きながらそんな問いを彼女へと投げかける。
「真名?」
訝しげな表情を浮かべながら、ルミエールはその言葉を反芻する様に口にする。
魔術は扱えるが、その方面の知識についてまでは明るくない。
「そう。『真名』とは人によって与えられる名前とは別に、万物の魂の最も奥深くへ刻まれた、この世界に生まれ出でる存在に対して女神が与える最初の祝福の言葉……この真名を騙る事はいかなる魂にも不可能。それゆえ私はその真名をキーワードとして魔法陣に組み込む事で、異界に蠢く魂の中からフェアエンデルグの魂だけを絞り込み、こうして招く事ができたのです」
ルミエールの口の端が、嘲る様な笑みに歪む。
「なるほど……ですが、貴方の使用した真名とやらが本当にフェアエンデルグのものだと、どうして断言する事ができるのでしょう?」
その言葉にもさしたる反応は見せず。
歩きながら、床に乱雑に散らばっていた書物の一冊を、レナードは拾い上げる。
「本来……その真名を知る術というのはほんの僅かしかなく、困難を極めます。しかし、フェアエンデルグは古い歴史を持つ剣……幸運な事に、神聖教会の聖典に記された一句がその真名を明らかにしてくれていました。私をお疑いになるようでしたら、この教会発行のレプリカをお貸し致しますよ。教会自体に問い合わせてみられてもよいでしょう。しかし、こんな事を申したくはないのですが……よもや、お嬢様は聖典に記された真名自体をお疑いになられる、などと言う事はありますまいな?」
「……っ」
レナードの言葉に、思わずルミエールは言葉を詰まらせる。
これは信仰云々の問題ではなく、単純な脅しだ。
聖典に記された記述を疑うという事は、聖典自体を疑う事であり、すなわち神聖教会……さらに言えばその主神である『女神』すら疑うという事でもある。
教会の耳目は多い。
ただでさえ教会の影響力が強い聖王国内で彼らのつまらぬ関心を引くのは、公爵令嬢であるルミエールだとしても出来る事なら避けたい。いつそれが自身に降りかかる災厄の引き金になるか分からないのだ。
痛いところをついてくるレナードを、忌々しげに睨み上げる。
だが、この魔術師の話はまだ終わったわけではない。
「先ほどお嬢様は『人間の姿をしたものが魔剣であるはずがない』という意味の事を仰ったかのように思いますが、フェアエンデルグはディープエルフ達の言葉で『変わりゆく者』という意味がございます。各地の伝承を紐解けば幾度も、フェアエンデルグは人間の姿をとって現れます。ウェネフィクス家の祖となられる方の前に初めてこの魔剣が現れてからの事が記された書物にも、最初は乙女の姿で記述されているのに、後にその描写は剣へと姿を変えている……姿や形など、この場合は些細な問題に過ぎないと私は考えております」
普段のレナードからは想像もつかない程に、その語りは雄弁だった。
それほどまでに自身の研究に自信を持っている、という事の現れだろうか。
「……それら全てが正しかったにしても。貴方の魔術自体が誤っていた可能性もあるのではなくて? もしくは別に何らかのイレギュラーが発生した可能性は? その結果、全てのピースが揃っていたにも関わらず、別の物が召喚されてしまったという話も否定できないはず。どうして貴方の行使した魔術が完全だと言い切れるのでしょう?」
「確かに。お嬢様の仰る通り、この召喚実験で使用した魔法陣は私が独創した物。他の魔術師が見ても、これを『正しい形である』とは断言できますまい」
いささか苦し紛れの弁になってしまった感はあったものの。
あっさりとレナードは、彼女の言葉を頷いて肯定してみせる。
……しかし。
「だが、それならそれで良いではありませんか」
「なっ?!」
思いもかけない言葉に、ルミエールのその美しい顔が驚きに染まる。
「私は今回の『召喚』実験に大いに満足いたしました。召喚するものにはなるべくこの世界と関わりの強い物を……またこの公爵家に深い縁を持つ物をと思い、フェアエンデルグを選択したのですが……結果として見事に召喚は成功した。私は、私のこれまでの研究の成果に依ってこの少年をフェアエンデルグだと信じますが……」
そこで一旦言葉を区切ると、レナードはルミエールを見つめて、涼しげな微笑を口元に浮かべてみせた。
「確かにお嬢様の仰る通りの理由から、これが本当にフェアエンデルグだとは、この時点で誰にも断言できるものでもありませんな。また断言できる術があるのかも分かりませんが……しかし、それならそれで、曖昧なままでもよいではありませんか。それでもお嬢様が真贋にこだわりになられる理由が他にあるなら、話は別かもしれませんが」
『召喚』という実験が成功した以上、それによって呼び出されたものが果たして本当にフェアエンデルグなのかは、この際どうでもいい。喚び出した『魔剣』に対して勝手に特別な付加価値を見出そうとしているなら、そちらで勝手にやってくれ。──レナードの言葉はそう告げているに等しかった。
その言葉に、ルミエールはぎりぎりと歯噛みする。
曖昧なままでは困るのだ。
召喚されたこの少年は絶対に、フェアエンデルグであってはならない。
『ルミエール・ドゥ・ラ・ウェネフィクスは魔剣の召喚に失敗した』──そんな事実が残ってしまっては絶対にならないのだ。
「…………お父様、気分が優れないので……私はこれで失礼いたします。お騒がせしてもうしわけございません」
その時、焦燥と不安が綯い交ぜになった表情を彼女が見せたのは、他ならぬ父が相手だったからだろう。
公爵に一礼すると、取り巻き達や近習すら置き去りにするようにして、ルミエールは聖堂を出て行ってしまう。
場の緊張が、一気に弛緩した。
「──ふむ……今日はこれにてお開きとしよう。皆の者、ご苦労であった。もう夜も遅い……下がって休むが良い」
静まり返った聖堂の中に、公爵の大きな嘆息が聞こえ。
公爵が周囲の人々に笑顔を向けながら、場の解散を促した。
そんな中、その厳しいながらも温和な表情が伊織にも向けられる。
「召喚早々、見苦しい所を見せてすまなかった。聞きたい事はいろいろとあるだろうが、それは明日からの話としよう。城の一室をあてがわせるゆえ、今日のところはそちらでゆっくりすると良い」
「あ……ありがとう、ございます」
まるで劇か何かを観客席から見ている様な。
ファンタジーな人々が眼前で繰り広げていた光景を、どこか他人事の様に眺めていた伊織だったが、公爵の言葉が彼を舞台の上へと引き上げるように現実へと連れ戻す。
思わず頭を下げて礼を言う伊織を、隣にいるクレールは誇らしげに見上げながら。
「あとでお部屋に、お伺いいたします」
彼の手をつんつんと小さく引っ張ると、そんな言葉をやわらかな微笑と共に残して。彼女もまた、執事の様に見える白髪の老人に車椅子を押されながら聖堂を後にした。
手に残るのは、少女のあたたかさ。
しかし、そんな余韻に小さな幸せを感じる暇もなく、伊織の眼前には重たい鎧を着込んだ兵士達がずらりと並ぶ。
「お部屋へご案内いたします。どうぞこちらへ……」
「ど、どどどど、どうも。あの……できれば痛いのとかは無しの方向で、なんてー……あはは」
兵士達の発する、その余りの威圧感に、思わず暴力に晒されるか弱い自分を想像した伊織。
そのかわいた笑い声すら押しつぶすように四方を固めた彼らによって、伊織は城の一室へと連行──もとい案内されてゆくのだった。
新しい評価をつけていただいた事に、喜びのあまり『ようかい体操第一』を踊りながら。
というわけで、のんびり書いてる内に『その5』へと到達いたしましたー。
他の方の作品だと、すでにモンスターの一匹や二匹はボッコボコにしててもおかしくないのですが……うちはまだ『異世界に到着した』ってだけであります(○∀○)タハー
少しづつ話が加速してくれればなーと、自分自身に言葉を投げつつ。
次回のお話もお付き合いいただければ幸いでございます!!






