4.『日常』発→『ファンタジー』行き
──溶けていく。
暗転した視界。
どこまでも続く深い闇。
まるで水の中に沈みながら、たゆたうような感覚。
その内。
何時の間にか『体』と『心』の境目が無くなっていき、境界を失った剥き出しの魂が、次第に漆黒の闇とゆっくり交じり合っていく。
曖昧になる『綾村 伊織』という認識。
そんなまどろむような意識の中、ずっと夢を見続けていた。
まるで古い映画の様にセピアかかった場面。
それが走馬灯の様にして、次々に切り替わっていく。
誰の夢なのだろうか。
夢の中で、その誰かは戦い続けている。
どこまで遡るかも知れない永遠に続くような時の中で、延々と。
時には王として。
時には賢者として。
時には奴隷として。
時には老人として。
そして、時には少女として。
様々な時代の中で、様々な思いを抱き、様々な敵を相手にし、そして誰もが黒い剣を振るって戦っている。
殺して、殺して、殺して、殺して──そして、殺される。
ただ、それを繰り返す。
何時までも何時までも、どこまでもどこまでも。
繰り返している。
これは悪夢だ。
いや、悪夢でならなければならない。
こんな現実が、あっていいはずがない。
セピア色の夢の中、恋人を斬った少女の慟哭と、いたたまれなくなった伊織の悲鳴が、闇の中で木霊する。
「──迎えに来た」
夢を斬り裂く、冷たい刃を備えた声。
セピア色の悪夢を断ち切って現れたのは、黒いドレスを纏った黒髪の乙女。
ここから連れ出しに来たのだ。──そう告げる様に、その白い手をこちらへと差し出してくる。
この手を掴んで、はやくここから逃げ出したい。
そう思う一方で、しかし、伊織の心の中に生じた奇妙な迷いがそれをさせてくれない。
差し出された手を見つめ惑い続ける。
永遠とも思える長い時が過ぎていく。
その時。
もう一つ、手が差し出されていた事に気づいた。
ほのかに光を帯びたその手は、闇の中ですこしだけ震えていた。
ここは冷たい。
不意に凍えているのではと心配になった伊織は、すこしでもぬくもりを分けてあげたくて、その小さな手に自分の手を重ねる。
その瞬間。
光が、全ての闇を追い払った──
◆◆◆◆◆
──闇から光へ。
一気に戻ってくる体の感覚。
足と膝から伝わる硬い感触に、伊織は自分が膝をついて座っている事を認識する。
目が眩んだ様に未だホワイトアウトした視界。
ただ、それでもなんとか状況を確認しようと辺りへと視線をめぐらせた。そして、ぼんやりとだが周囲に人がいる事を知ってホッと胸を撫で下ろす。
じわじわと輪郭を取り戻していく世界の中、伊織は自分の目の前にも誰かがいることに気づいた。
それだけではない。
自分の手に感じる、心地よいやわらかさと温かさ。それはあの闇の中で重ねた小さな手の感触そのままのものだ。
いったい、何がどうなったって言うんだ?
一度、深く目を閉じ。
再びゆっくりと瞼を持ち上げる。
「……え?」
ようやくクリアになった視界。
そこへ向かって、思わず素っ頓狂な言葉が伊織の口から飛び出す。
無理もない。
なにせ彼の目に真っ先に飛び込んで来たのは、教室ではなく、あの光の紋様でもなく、プラチナブロンドの美少女だったからだ。
しかも、その美少女となぜか手を重ね合わせている。
車椅子に腰掛けたまま、きょとんとした表情でこちらを見つめ返してくる女の子。その愛らしさに、状況は全く分からないものの、赤面して伊織は視線を足元に落とした。
そこで、もう今日で何度目になるか分からないが、再び目を丸くする事になる。
薄々、ゴツゴツとした違和感は感じていたのだが。
そこにあったのはフローリングの教室の床などではなく、冷たく硬い石造りの床。
ファッ?!
驚愕の余り言葉も出てこない。
出てくるのは引きつった笑顔だけだ。別に面白くもなんともない状況なのに。
かるく自身の常識を飛び越えている事態に、思わず助けを求める様に周囲を見まわして……もう口も目もあいたまま塞がらなくなった。
いかにも中世ヨーロッパ風の教会か大聖堂。
その中で、ファンタジーな衣装に身を包んだ老若男女の方々に周りを取り囲まれている。
なんというか、これを前にして口を塞げって言う方が無理難題だった。
だが、驚きに驚いているのは伊織だけというわけではない。
周囲にいた人々もまた同様に、伊織を見つめて驚きの余りに声を失っていたのである。
そんな中、一人の男──蒼いローブを来た黒髪の男が、一番豪奢な衣装を纏った壮年の男の前に歩み出て、恭しく礼をとった。
「お喜びください、公爵。私の実験は成功です。……クレール・ドゥ・ラ・ウェネフィクス様は見事、再び魔剣フェアエンデルグをこの地へと召喚あそばされました」
「これが……この少年が……フェアエンデルグ……」
まるでローブの男の言葉が、全員の金縛りを解いた様に。
にわかに囁きあう様なざわめきが、さざなみの様に聖堂の中に満ちていく。
そんな中、すっかり置いてきぼりにされている伊織。
「えーっと…………どういうこと?」
その疑問に、答える者は今はなく。
ただ伊織を見つめるプラチナブロンドの少女──クレールの瞳だけが、眩しい物を見る様にきらきらと輝いていた。
評価が付いてウハウハしながらの投稿でございます……!
のんびり&寸刻み進行になっておりますが、次回のお話にもお付き合いいただければ幸いでございます!