2.剣を喚ぶ者
その日は彼女にとって、最も愉快な一日となるはずであった。
──エルネスタ。
『最西の白薔薇』とも謳われる、ウェネフィクス公爵の居城である。
聖王国で最も美しいと名高いその白亜の城は、その外観はもちろんの事、内装に至っても王都にある聖王の王城と比べてなんら遜色のない贅が尽くされている。
鏡の様に磨かれ抜いた大理石が敷き詰められるその廊下でさえ、いったいどれだけの手間と労力、そして金が傾けられているものか。平民がその仔細を聞かされたならば、驚愕のあまり羨望の念すら抱く事を忘れるだろう。
そんな廊下の上を無造作に、そしてどこまでも優雅にその少女は歩いてゆく。
歩調に合わせて揺れるブロンドの髪が窓から差し込む月の光を受けて、えも言われぬ色彩を放つ。歳はまだ16を数えたばかりだが、その姿にはすでに、将来の美貌が並々ならぬものになるであろう事を予感させる輝きが備わっていた。
しかも、ただ『美しい』というだけではない。
その表情、仕草、歩く所作ひとつをとっても、自身が古い歴史に彩られたウェネフィクス家の後継であるという誇りに満ち溢れているのだ。
少女の名は、ルミエール・ドゥ・ラ・ウェネフィクス。
すでに社交界においても華やかに名を馳せる、公爵にとっては二人目の愛娘である。
「お父様は?」
「はい。本日はお体の加減もよろしかったようで、たまにはお嬢様達をお迎えしたいと仰せになられ。レナード殿と、すでに大聖堂にてお待ちでございます」
「そう。それでは急がなくてはね」
ルミエールに供する者は多い。
近習を除いても、その傍には六人の若い貴族の姿があった。その誰もが、彼女の父親であるウェネフィクス公に仕える重臣達の子弟達である。前を向いたままの彼女が発した問いかけに間を置かず応えたのも、その内の一人であった。
しかし、なんとも仰々しい様子ではある。
この少女が『公爵令嬢』という立場にあるとしても、普段からこうも人が傍に着く必要はない。皆、彼女の覚えをめでたくして、後の重用を得ようと考える者達なのである。
しかし、例えそこにどんな下心があろうとも。
それらを従え堂々とするルミエールの姿はまるで、すでにこのウェネフィクスの当主となったかのようである。そしてそれは、彼女の持つ影響力がこの城においてすでに、父親の公爵にほんの少しずつ迫りつつある事を物語っていた。
ルミエールの足取りは、軽やかである。
そんな彼女が目指す大聖堂は、エルネスタ城の敷地内にあった。
頑強な石造りの建物で、古い時代には城と同じく幾度も戦火に晒されてきたが、こうして当時の姿をそのままに残している。しかしその偉容とは裏腹に、訳あって祀られていた神が廃され、使用される事が僅かになって既に百年近くが経とうとしていた。
だからこそ、父もあの魔術師にこの聖堂を貸し与えたのだ。そして、今、その魔術師が自分に大慶をもたらそうとしている。
そう考えると、笑みがこぼれる。
そんな事を言えば、あの怪しげな術師は「令嬢の為ではない」とばかりにムッとするであろうが、結果としては同じことだ。
「本当に、世界は面白い様に出来ているわ」
「……?」
聖堂の門を守る兵士達がこちらに気づいて跪くのを前にしながら、ルミエールはぽつりと呟きを零す。周囲にいた者達が彼女の言葉の意味をとりかねて顔を見合わせる中、それらを意に介さず、彼女はさっと手を門へと掲げる。
「開門」
凛としたルミエールの言葉が魔力を持ったかのように、彼女の命によって巨大な聖堂の門が重々しい音を立てて開いていく。
足元から這い上がってくる様な、ひやりとした石の冷たさ。それを肌に感じながら、ルミエールは聖堂へと足を踏み入れた。
「父上! ただ今、参りました。遅くなって申し訳ございません」
全てを差し置いて。まずルミエールの目に映ったのは父、ウェネフィクス公爵である。
それから父の側近中の側近達。
そして……父の傍ら、車椅子に座った銀髪の少女。
僅かに驚いた様な表情を見せた後で、ルミエールの視線が少女から外される。まるで汚らわしいものを忌避するような表情と共に。
「おお……ルミエールか」
公爵は側近と何やら話をしている様子であったが、彼女の声を聞くと娘へと顔を向け、その厳しい風貌に似合わぬ温和な笑みを浮かべてみせる。
長く患う病のせいで最近はひどく調子を崩している日が多いのだが、今日はルミエールの従者が言った通りに随分と体の具合は良さそうであった。
久しぶりに見る父親の翳りない笑顔に先ほどとは打って変わって、ルミエールの表情にもどこか安堵した柔らかな笑みが浮かぶ。
しかし、そんな彼女の表情を再び曇らせる者が二人の会話へと割って入ってくる。
「ルミエール様……本日は我が研究所に起こしいただき、ご協力まで賜る事となり……恐悦至極の限りでございます」
彼女へと、敬意を感じさせない形ばかりの礼をとってみせるのは、深い蒼色のローブを纏った黒髪の男である。生気の無いぼそぼそとした低い声が謝意を述べるが、ルミエールにとってはその言葉一つ一つが不快に思われた。
「……御機嫌よう、レナード。ひとつ、つまらない事を言う様ですが……いつからこの聖堂は『貴方の物』になったのかしら?」
このレナードという魔術師のせいで、聖堂内部は依然とは大きくその姿を変えていた。
どこの文字とも知れぬ怪しげな書物の山が聖堂の四隅を埋め尽くし、何に使うかも分からぬ器具が粗雑に散らばっている。しかも現在は天上や壁、そして床に至るまでが、白墨で描かれた複雑怪奇な図形によってびっしりと埋め尽くされているという有様である。
これでは聖堂と言うよりも、邪教の巣窟である。
戯れに父から招かれただけの居候の分際で、よくもここまで好き勝手にやってのける。──ルミエールの言葉には、そんな感情に色づく棘があった。
しかし、このローブの男はそんな相手の意など介する風もなく。一歩だけ退くと、つとめてわざとらしさのある所作で、ウェネフィクス公爵を恭しく手で示す。
「貴方の父君である公自身が仰ったのです。この聖堂を私めの物と思って使うが良い……と。それとも……この聖堂は貴女の所有物であり、公ではなく貴女に許可を求めるべきでしたかな?」
「っ、平民風情が……無礼な!」
敬慕する父をぞんざいに引き合いへと出され、その父の前で自身まで愚弄された事に、ルミエールの美貌がカッと怒りを帯びて鮮やかに燃える。
「そのくらいにしておかないか、二人とも」
そんな二人を、公爵は苦笑を浮かべながら手で制す。
そして、傍らにいた車椅子の少女を労わる様にその両肩へと手を置いた。
「あまり剣呑にすると、クレールがおびえてしまうぞ? 実験で驚かす前から、何も泣かせる事もあるまい?」
公爵にからかわれ、恥じ入る様に。
言葉は発さないものの車椅子に乗った少女の頬が、さっと赤みを帯びる。
しかし、さすがと言うべきか。
公爵の言葉には朗らかながらも反論を許さぬ重さがある。実際、二人の間にあった空気からは一気に鋭さが失われていく。今にもレナードの頬を打ちすえそうな雰囲気のあったルミエールからは、特に。
だが、彼女の怒気は決して治まったわけではない。むしろ、父の慰めを受ける少女の姿を見ることになって、先ほどよりも大きくなっていた。
「……なぜ、クレールお姉様がここに?」
父に気取られたりしないように努めて平静を装いつつも、言葉の端々に「いったい誰がここに連れてきたのか」という苛立ちが隠し切れずに滲み出す。
「僭越ながら、私がお越しいただく様にお願いいたしました」
「なぜ──」
「私が公にお願いしたのは『公爵の血を引くお嬢様』の力をお借りしたいと言うもの。公爵にお嬢様は二人おられる。私はただ、可能性は多いに越した事はないと思ったまでの事です」
食って掛かろうとする公爵令嬢を、レナードは言葉で制す。先ほどの公爵の刺した釘も効いているのか、ルミエールは飲み込むようにして言葉を噤む。そして、その代わりに自身の姉──クレール・ドゥ・ラ・ウェネフィクスを睨みつける。
「っ……」
その視線の鋭さにクレールはびくりと怯えた様に身を竦ませると、妹から顔を逸らす様に俯いた。妹とは対照的なプラチナブロンドの髪がかすかに震えている。
白子め。これがウェネフィクス家の娘か?──そんな姉の姿を冷たい瞳で見下ろしながら、心の中で侮蔑を吐き捨てた。
ウェネフィクスは武門の名家である。聖王国の歴史を見ても、この名を持つ武人達の活躍は枚挙に暇が無い。そんな英雄達が残した血脈の末尾に自分達は生きているのである。
だが、今ルミエールの前で震えている姉には、その誇りが感じられない。
もしかすると、車椅子の上に小さく納まったその華奢な体の中には、そんな誇りなど最初から存在しないのかもしれない。
そういう考えがルミエールの中で沸き起こる度に、彼女は自身の自負と決意を固くする。
──自分以外にウェネフィクス家を継ぐに相応しい者はない、と。
「しかし……実験はごく少人数でとの話であったが、それにしては些か賑やかな場所となってしまったな? レナード?」
「……は。まことに不本意ながら」
愛娘達の間に横たわる深い亀裂を知ってか知らずか、公爵は周りを見回して呑気な笑顔を見せる。なにせその場には、公爵の主だった側近達がずらりと勢ぞろいしている。ルミエールが引き連れて来た者達なども合わせると、かなりの人数が聖堂の内部に参集していた。これについてはレナードも意図しない事態だったのか、いつもは無表情なその顔にも珍しく苦い色が浮かんでいる。
「私が声をおかけして、皆様にはご足労いただいたのですわ」
苦々しげなレナードの横顔を満足そうに見つめながら、ルミエールが胸をそらす。
そして、いぶかしむ公爵を前に子供の様な無邪気な笑顔を見せながら、聖堂の内部を示すように大仰に手を広げてみせる。
「なにせこのウェネフィクス家に大いに関わりを持つ、あの魔剣を召喚いたしますのよ? その様な喜ばしい事をこそこそとやっては、それこそ当家の偉業の一助となってきた剣に対して礼を失するというもの……二百年ぶりの帰還なのですから、皆で出迎えてあげるべきなのですわ」
父の側近達や従者達の顔を見回しながら、ルミエールの弁には熱がこもる。
そう、人は多ければ多いほど良い。ここにいる全員が観客であり証人となるのだ……『ルミエール・ドゥ・ラ・ウェネフィクスこそ後継に相応しい』という事実の証人に。
この際、姉のクレールがいることも彼女の『無能』を証明するのにちょうど良いと思えてきた。
「……そろそろ良い時間です。召喚実験を始めましょう。まずはルミエール様から、よろしいかな?」
「よしなに、レナード」
魔術の世界では、月が天頂に昇る時こそ最もエーテルが高まる時であるとされる。
レナードが待っていたのはその『時』であろう。彼に促され、ルミエールは聖堂内部を覆いつくす白墨で描かれた図形群の前へと促される。
「彼の魔剣を召喚する為に聖堂自体を『魔法陣』としました。もっとも本当に伝説に語られる様な代物であるならば、これでもまだ小さい方かもしれませんが……贅沢は言えませんな」
何か液体の入った小瓶を机の上から取り上げたレナードは、その中に入っているモノを床に描かれた魔法陣の上へと落とし始める。すると、その液体に触れた部分の白墨が青白い光を放ち始め、まるで炎が広がってゆく様にやがて全ての図形が淡い輝きを放ち始めた。
「魔法陣を起動しました。あとは魔剣と関わりの深いウェネフィクス家の者が、自身のエーテルを道標として此処へと誘うのです」
魔法陣を前にしてルミエールは口元を笑みで彩る。
儀式の内容はすでに聞かされていて熟知していた。だからこそ自身にとってこんなに都合の良い『イベント』はないと思っている。そこには、絶対に魔剣を姉には召喚できないであろうという計算があるからだ。
姉は先天的な要因から、身に宿るエーテルの総量が他人よりも圧倒的に少ない。子供でさえ扱える様な魔術すら使うに窮する有様なのである。そんな者にこんな大掛かりな儀式を行える筈はなく、ウェネフィクスの英雄達が携えてきた魔剣を導く事ができるはずがない。
召喚できるとするなら私をおいて、他にない。──ルミエールは心底からそう信じて疑わない。病に弱った父を除けば、その資格を有するのは自分しかいないという燃えるような自負が彼女にはある。
魔剣を召喚し、その剣を我が身に帯びる姿を想像したルミエールは、恍惚の余りに声を上げて笑いだしそうになった。
無論、実験が失敗し何も起きない事も容易に予想できる。そちらの可能性の方がむしろ高いかもしれない。しかしどう転んでも、ルミエールには痛くも痒くも無い。その際には心ゆくまでレナードを罵り、彼の無能を理由に城を追い出すように父へと進言するだけの事である。
だが本当に実験が成功したその時には、この場にいる全員が認める他ないだろう。
一族の英雄達が帯びた剣を召喚できなかった姉よりも、見事に召喚してみせた妹の自分の方がどれほどウェネフィクス家の人間として優れているかを。
「さぁ、はじめましょう」
ルミエールは魔法陣へと向かって手を差し伸べる。彼女のエーテルの高まりに応じて、次第に魔法陣が輝きを増し、僅かに大気が鳴動し始める。
「来なさい。私の……新しい主の手の下へ──フェアエンデルグ……!」
さらっと書いて次に移るはずだったのに、予想以上に長々と書いてしまいました……お嬢様を書くのは楽しいです(´д`*
拙い文章が続きますが、次のお話にもお付き合いいただけたら幸いでございます。