馬鹿な試み
「嫌…本当にさ…。お前うちの店出入り禁止な、しばらくの間。」
バルトは右隣に立つ友を横目で睨みつける。
声も両隣にしか聞こえないように潜めているが、バルトが出来る限りの凄みを効かせて喉の奥から搾り出して、ニックに投げかけた。
バルトよりも幾分か背の低いニックは、チラリと睨みを落としてくるバルトの顔を、自分の顔を正面に固定しながら拝み、背筋を振るわせた。
口元には笑みが浮かんでいるが、こういう風に怒る奴ほど怖いとニックの人生経験上、色々と体験していたし、何より最近意気投合して仲間となった友人の得体が知れない部分も実力もよく理解している。
「いやいや。本当に悪いと思ってる。スマン、この通りだ。だから出入り禁止だけは!お前の所で買い物出来ないわ食事出来ないわになったら、俺飢え死にしちまう!!!」
ニックは、"味方でいたい"ではなく、"友でありたい"と思う存在にバルトを置いている。
人柄や実力もそうだが、何よりも彼の家族が経営している「謎が謎を呼ぶ」と結構な噂となっている店が大きい。初めに口にしたのは、ある魔獣を狩る為に集められて組んだパーティーの中にいたバルトが、夜営で一人食そうとしていた軽く白い入れ物に入っていた「ラーメン」というものだった。湯を注いでズルズルと口へと運ぶそれの匂いに、その時にパーティーを組んでいた全員が注目し、唾を飲みこんでいた。あまりにも食欲を誘う香りに包まれた屈強な体格の冒険者達に囲まれ、一口でいいと願い出られたバルトはそれはニコヤカに、気前良く自分の荷物から新しいラーメンを取り出して全員に配った。
「俺の家族が店で売ってんだよ。ちょっと色々と特殊っていうか、変わった商売方法を取ってる店だけど、良かったら顔でも覗かせてくれよ。」
そう言って湯が注がれたラーメンを口にした全員が、街に帰ってすぐにバルトの後に付いて店カラミタへと向かっていた。
食事を取るだけでなく、商品を買うことが出来る金属のカードを手に入れることが出来た時には、店を出たすぐの往来でニックは神に感謝を捧げていた。
今でも、あの時の面々でカードを手に入れるまで至っていない者達は時間を見つけては店に通っていると語っていた。そういう者は増えていく一方だとか。滅多に手に入れることの出来ないカードを持つ者は、あの街を拠点としている冒険者達に崇敬の眼差しを受けていた。
「別に、飯屋なら他にもあるから飢え死にするわけ無いだろ。」
器用にも、潜めた声で泣き叫ぶニックをバルトは冷たく切り捨てる。
これからも出来るだけ永く友で居たいな。そんな風にバルトも思っているニック相手であっても簡単には許せない光景が、今バルトが真っ直ぐに顔を向けている正面に広がっていた。
バルトの左隣で、顔に出始めている皺をより深めてフェウルも表情を固めている。
二人のそんな表情や気配を察し、ニックは泣いて縋ろうとしていた自分を諌め、真面目な顔となってバルトやフェウルには身体を向けずに、周囲には気づかれないように頭を下げた。
「本当に悪い。俺も、こんな所まで連れて来られた上に、こんな馬鹿げたことになっているとは思ってもみなかった。言い訳にはならないが、本当に悪いと思ってる。帝国から出さないって脅されたっていうのもあるが、これも考えれば方法もあったんだよな。」
子供に戦い方を教えて欲しいという、珍しいが全く無い訳ではない依頼をニックは受けた。
戦争が始まった時に、戦場に立つのは貴族の役目の一つだ。その義務を果たすと約束しているからこそ、国から領地を運営し利益を得ることを許されているのだし、実力主義である帝国では剣の一つも振るい実戦と幾つもこなさない事には下の者に地位を奪われる可能性が高くなる。
貴族が始めに習うお綺麗な剣技や戦術などではない、泥臭い血肉が飛び交う戦場とも呼べない喧嘩のやり方を見せて置きたい。
それがニックに依頼を持ち込んだ、ボルトン公爵と名乗る眼光鋭い老人が10歳程の孫の背中を押して言った言葉だった。
そして数日、用意された屋敷で若君に戦場で起こる言葉に起こされる事の無い泥臭い実態や、相手を殺すことだけを考える戦い方などを簡単に手解きした。
事が起こったのは、依頼を終えて報酬を受け取って屋敷を去ろうとした時だった。
ボルトン公爵はニックに言った。
『カラミタ』という摩訶不思議な道具を扱う商人と話がしてみたい、と。
丁度、帝都に行商に来ているようで、君の友人も一緒に招待したいのだ、と。
暗に、帝国から、いや帝都から出たいのなら、と仄めかされた。
見張りを付けられ逃げることも出来ず、丁度一緒にいたバルトとフェウルを公爵が待つ屋敷に連れていくしかなかった。馬車に乗せられての移動の途中、見覚えの無い道に進み始め、屋敷ではない、こんな場所に連れて来られることになっていたなどとニックは知らなかった。だが、それを言って弁解したからといって、ニックがバルトの信頼を裏切ってしまったことに変わりは無かった。
はぁ。
バルトが吐き出した息の音がニックの耳に響いた。
「いい。分かってるよ。あんな奴等に一介の冒険者が逆らえないって事はさ。八つ当たりだよ。」
「そうですね。意地悪はいけませんよ、バルト。」
フフフと笑いを漏らしてバルトを嗜める声が、バルトの体の向こう側からニックへと届いた。
「だから、『そう落ち込まず』に。」
不思議と、ストンッと心の奥へとフェウルの声は落ちていった。
そして、ニックを襲っていた全身を圧迫しているような感覚が消えていくのを感じた。
「すみません、フェウルさん。」
「いいんですよ。そもそも私が店を離れて回っているのも、客層を増やそうと思ってのこと。少し、厄介な階級にまで名前を知られるようになった為ですよ。君がいなくても、この場に連れて来られていたでしょう。」
どうしてこう、フェウルの声は心地よいのか。そう思いながらニックはホッと息をついた。
食べ物がどうとか、ニックはそうバルトに言っていたが、実際の所では食品だけでなく、店でしか手に入らない薬や道具はニックの冒険者家業に無くてはならないものにすでになっていた。
もう、バルトや店と出会う前に、どうやってそれらの道具や薬無しに依頼をこなしていたのか、ニックは思い出すことも出来なくなっている。たった、数ヶ月前の事だというのにだ。
首から紐に吊るして服で隠しているカードをニックは無意識に握っていた。
一度無くしてしまえば、二度と手にすることが出来ない、カラミタの客であることを示すそれは、ニックにとって何よりも重要な宝だった。
「それにしても、厄介なことですね。」
どうやって皆に説明するか。フェウルが悩む声が漏れた。
考えているのは、バルトも同じ。メルリーウェやトール、ジェノスは「大丈夫、大丈夫」と許してくれるから良いとして、面白がって厄介事を増長させそうなセイの笑い声とイストやラスの怒る顔が容易に想像が出来た。
「始まるみたいだな。」
三人は目の前に広がる光景に集中した。
三人が逃げられないようにガッチリと周囲を固められた馬車に揺られて連れて来られたのは、帝都の中心、皇帝が座する帝城の地下。一目に付かないように隠されていた扉を潜らされ、薄暗く人気が無い冷たい廊下を通って辿り着いたのは、詰めて立っていれば百人の単位で収容出来そうな広大な地下の広間だった。
貴族だと見ただけで分かる人間達が広間の中央へと顔を向けて時間を待っていた。
広間の壁沿いには、微動だにせず鋭い視線を廻らせている兵士達の姿があった。
異様な熱気がバルト達を入れる為に開かれた扉から漏れ出る広間の様子に驚いて足を止めた三人に、声をかけて先に入っていった人物がいた。
その人物は、貴族達を押しのけて中心に当たり前のような顔で進んでいった。
あれがボルトン公爵だ、とニックの説明があり、貴族達が後から来たにも関わらず前に進んでいく老人を咎めない理由が分かった。
そして、彼が三人を追い抜く際に告げた言葉に、どうして此処に自分たちが連れて来られたのか察することがバルトとフェウルには出来た。
「帝国の歴史が大きく変わる瞬間に関わる、その誉をそなた達に味合わせてやろう。」
広間の中心には、貴族達に囲われて開けた空間がある。
光り輝く翡翠色の線で描かれた魔術陣。
少しではあるが魔術に齧っているニックは、見た事のない魔術だと零していたが…。
バルトとフェウルには、たった一度だけだが見覚えがあるものだった。
薄暗い空間で見た魔術陣。
それは、メルリーウェとバルト達をこの世界へと運んだ魔術陣と全く同じものだった。
その魔術陣を作り出している翡翠色の光が強まっていく。
そして、バルトとフェウルの視界を翡翠色が染め上げた。




