朝、家に帰ると
『試練の迷宮』を出ると、空がうっすら明るくなり始めていた。
今日は店を開ける日ではなかった筈。
さっさと帰って、さっき見知った事を皆に説明してから一眠りするとしよう。
あくびを我慢して目から涙をにじませながら、店へと足を進めた。
早朝とはいえ、そこかしこに人影があり、冒険へと出発する者、商売の準備をする者など様々に忙しく動いている。そして、それなりに噂となっている店の住人の一人として顔を知られている為に、そこかしらから注がれる視線の中に、慣れ親しんだ心地よいものが含まれている。
悟られないよう視線を動かせば、姿を消すように物影に潜み、店の様子を探る者たちが。
始末しようと思えば出来るくらいの知れた程度の者達ばかりのようだったが、一応は仲間達に相談してからの方がいいだろうと思い止まる。
トールやセイ、ラスたちに任せた方が、殺すよりも面白い手段が出てくるだろうし。
ほんの少し歩くだけで辿りついた店の扉には「休み」と書かれた気の板が吊り下げられている。トールが住人かカードを持った人しか入れなくする防犯装置というものを設置したという扉を潜ろうと手を着くと、中から複数の人の気配を感じた。
『暴虐の野獣』メンバーを始めとする、ほんの僅かな人間にしかカードはまだ渡していない。バルトやジェノス、セイが街の外に出かけている現在、休みの店の中にいる人間は限られているはず。
まさか、と思いながらも、自分の持つ獲物に手をかけ扉を開けた。
「これは、何の騒ぎ?」
何があろうと反応できるようにと準備していた身体から力が抜けていく。
獲物からも手を離した。
目の前に広がるのは、3つの机の上に並べられた料理の数々と、その上に乗っていたものが無くなっている汚れた皿の数々。1つの机の上に並べられた、トールが料理に使っている調味料の数々。最後の机の上には、酒の瓶や樽や紅茶の缶などが鎮座している。
そして、その机を囲むように一口一口をゆっくりと口に入れ味わっている数名の男たちだった。
男たちから一歩下がった位置に立っているフェウルに目をやった。
珍しく、中年の男の姿で店に出ているフェウルの姿に驚く。最近は、売り上げが違うんですよと女の姿で給仕を手伝っていることが多かった。実は、そういう趣味があるんじゃないの、このおっさんなどとバルトやラスと話ていたくらいには、卒の無い女っぷり。惑わされたファンに花なども貢がれているらしい。
「おかえりなさい、イスト。」
「こいつら、誰?」
「トールのファンの方々で、この町で飲食業をなさってるのだそうです。」
「敵情視察?」
そんな奴等をどうして休みの店に入れたのかしら。
「そうだ。商業ギルドが何かを仕掛けてくるみたいよ。
今も、外で見張ってるみたいだし。
この人たちも、ここにいるとヤバイんじゃない?」
「おや。彼は役には立たなかったと?」
料理を噛み締めながらも聞こえていたらしい。
男たちの肩がビクっと動いて、フォークを動かす手が止まった者もいる。
「役に立たなかったっていうか、不審過ぎて下が動いたってところ。
『迷宮の大精霊』に好きにしていいって言われたわよ。」
「おや。それは太っ腹なことで。」
「ギルドも、商業ギルドは持て余しているんですって。」
「それは、それは。皆でしっかり話合わなくてはいけませんね。」
「しょ、商業ギルドとやりあう気か?」
「皆さんはお帰りになられた方がいいでしょうね。
ここに居たとあっては、組したと思われるかも知れませんよ?」
「いや、だが・・・・」
「心配は必要ありませんよ。ありがとうございます。
これでも、私達は腕には自信がありましてね。」
それは彼等にも分かっている事。
この店に住んでいる面々の話は、瞬く間に街中に広がりっている。バルトやジェウスと私といった冒険者組ではない、優男な見た目のラスまでもが、それなりの戦力を有している事でさえ知れ渡っている。
それに、いざとなればトールが取り出す異世界の近代兵器というものもあるし、フェウルの声もある。今は、ルシアールが張り付いて研究しているがセイの作ったピアノを始めとする魔道具を使えば、どんな大軍が来ようと負ける気がしない。
私達にとって話し合わなければいけない問題というのは、何処までやるべきかということ。やり過ぎて追われることになったら目も当てられないもの。
メルリーウェの望みは、自由に生きる事。皆で楽しくおかしく暮らす事。
鬼ごっこも隠れ鬼もお呼びではない。
「・・・これ・・・どうぞ・・・」
ぬぅっと厨房から出てきたトールが、男たちに赤い液体の入った瓶を渡していく。
「・・・さっき食べた・・・ケチャップ・・です。
あちらから・・・何か言われたら、これを奪ってきた・・・と・・・言えばいいよ。
そうすれば・・・貴方たちに・・・悪さする理由がなくなる・・・」
「・・・・すまない。」
「頑張ってくれ。」
一人、また一人と男たちが走り去るように店を後にする。
最後まで残っているのは、最初に声をあげた白髪交じりの頭をした男だった。
「本当に大丈夫なのか。」
物量に任せて客を奪った相手に、呆れるくらい人が良いことだわ。
「大丈夫ですよ。
事が終わりましたら、また、いらして下さい。
トールも貴方がたの料理を知りたがっていますしね。」
「そうか。分かった。
気をつけろよ、あいつらはどんな手でも使ってくる。」
男の背中が店から消えていった。
「それで、彼等は一体なんだったの?」
「店を開ける度にいらっしゃって厨房を覗いたり、長時間いらっしゃって吟味しながら食事されてた方々でね。共通する点があった方々だからね、それとなく聞き出したところ、街で飲食の店を開いている方ばかりということで、ゆっくり賞味できるよう今日ご招待したんだよ。」
「何で?」
「この店がある事で御迷惑をおかけしたところもあるだろうし。
それに、近所付き合いというものも大切にしなくてはいけないということだ。
付き合いを作り、好意を持たれておけば、何かという時には手を貸してくれるというものだからね。」
そうは言っても、敵が商業ギルドとなれば商売をしている人間は手を貸してはくれないでしょうけどね。
「今回は手を貸してくれそうには無いわよ?」
「それは仕方のないことだ。
それに、手を貸してもらうと色々と不都合がある。
彼等には、この店でしか手に入らない希少な調味料を無償で譲られたという事実と、ライバルである彼等に快く料理を出したという好感を忘れないでいてくれればいい。今はまだ。」
「何か考えがあるの?」
のほほんとした、子供等に店をまかせっきりのお気楽店主という認識をされているフェウルだけど、私たちにとっては、こういう風に悪巧みしている時が一番彼らしいと感じる。
「えぇ。商業ギルドには世間の欲求に押し潰されてもらおうと思うのですよ。」
「彼等のやり方は、『雇った者を使った直接的な嫌がらせ』と『周囲の加盟者を使って取引を一切止めさせる』『その店を利用する冒険者が他の店を利用できないように手回しをする』というもの。店を壊され、仕入れもままならず、客も来ない、そうなれば店を閉めるかギルドに許しを請うしか道はないということになる。生活が出来なくなりますからね。ですが、それは普通の店での話。
元より周囲から仕入れを行っているわけでもなく、客が来なくなったとしても生活が出来なくなるわけでもなく、そんじょそこらの者に嫌がらせされようと対処出来る戦力を有している。
むしろ、取引を停止するというやり方は彼等の首を絞めることになるだろうね。」




