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試練の迷宮

長年慣れ馴染んでいる身体に戻ったイストが店を出て向かったのは、灯りも落ちて人影一つ無いギルドだった。

その懐からギルドカードを取り出し、鍵が掛けられビクリとも動かない扉に向かい掲げると、扉の真ん中から緑色の光を放ちながら水面のように波立ち、石造りの壁が奥まで続く通路が現れた。


「ようこそ、試練の迷宮へ」

イストが緑の光を潜り石造りの通路へ足を踏み入れると、緑の髪をふわふわと足元にまで伸ばした年若い女が微笑みかけ、頭を下げてみせた。

「『迷宮の大精霊』。待ち合わせをしているから、第5階層までスキップさせてもらってもいいかしら?」

「構いませんよ。イスト様はすでに8階層まで赴いていらっしゃいますから。

 本当に、イスト様方は試練をクリアするのが早いのですね。

 ジェノス様が12階層、バルト様が9階層、そして戦闘には向いていなさそうなラス様やフェウル様まですでに7階層まで進んでいらっしゃる。」

朗らかな笑い声をあげ『迷宮の大精霊』はイストに向けて両手を差し出した。

「それと、どうかわたくしのことは気軽にラヴィとお呼びになってくださいな。

 御父様方と同じ方々には、そう呼んで頂きたいのです。

 弟たちも、是非ヴィリーとプーマと呼んであげてください。

 御父様もそう呼んでいました。」

「・・・分かった。皆にもそう伝えるわ。」

「ありがとうございます。」

差し出された両手に向けて、イストは自身の腕を突き出した。

その手を『迷宮の大精霊』ラヴィリンソスは柔らかく両手で包み込んだ。

「では移動いたします。

 イスト様、悪酔いしてはいけませんから、目を瞑っていて下さい。」

以前、階層の移動を知ったバルトが試しにそれを行った時、この注意を聞かずに目を開けたままにしたらしい。そして移動を終わった際に、目の前がグルグルと回り、頭の奥を襲う鈍い痛み、止まらない吐き気に襲われリタイアせざる得なかったと語っていた。

それを覚えていたイストは、ラヴィリンソスの注意を素直に聞き、瞼を落とした。

「それでは移動を開始いたします。」



試練の迷宮は各地のギルドから入ることができる。

管理するのは『迷宮の大精霊』であり、ギルド長や幹部たちを始めとするギルド職員たち、そして弟たちである『書の大精霊』や『真贋の大精霊』も手出し出来ない領域となっている。

その扉はギルドカードを掲げることで開かれ、階層を下れば下るほど難易度は上がり、そこで得られる宝物は希少なもの、強力なものになっていく。それらの宝物は『書の大精霊』が得た情報から複製したものであったり、ギルドへと献上されたものであったり、『真贋の大精霊』が鑑定して手に入れたものだったりと、「弟の物は姉の物」を実践したものが配置されている。その分だけの情報から複製された魔物なども出現するが、挑戦する冒険者たちにとっては自分達がまだ行くことが出来ない場所でしか手に入らないものが得られたりと、挑めば挑むだけ得することができる場所となっている。

足を踏み入れてすぐの第一階層は石造りの迷路。ここでは簡単な謎を解き、魔物を倒しながら第二階層への扉を見つけていく。

第二階層は草原。地下へと潜っていることなど錯覚だったと思ってしまう程、精巧に作られた空間には無限に広がって見える草原と青い空がある。

そんな風に階層ごとにそれぞれ設定された空間が広がり、その空間に見合う複製の魔物、主である魔物、

宝物に次の階層へと繋がる扉が存在し、挑戦してくる冒険者たちを待ち構えている。


イストが取引相手と待ち合わせているのは、第五階層。

そこは、闇夜に小さな灯りが煌く花街という設定が成された階層だった。

様々な衣装を纏った女に扮した淫魔たちの誘惑を始めとした人間の持つ欲求を刺激する様々な試練が用意されたその階層では足を留める冒険者や、この階層を目当てとする冒険者が後を絶たず、ある意味で最難関といわれる階層として有名となっている。

そして、煌く表通りから一歩奥に入ると入り組んでいる細道では、冒険者の中でも厭われるような依頼を受けているようなものたちの秘かな取引場所として用いられているとしても有名だった。


「目をお開け下さい、イスト様。」


そっと手を離したラヴィリンソスの言葉に促され、イストは閉ざしていた目をゆっくりと開け放った。

煌いている灯りに目を慣らそうと数度瞬きする。

慣れた目に映ったのは、露出の激しい装いや幾つもの羽織るような布を重ね着した女たちにデレデレと抱きついている男たちや、様々なタイプの男たちに声を掛けられ頬を染めている女たちの姿という、この階層では日常の光景だった。

その光景にハッと嘲笑を溢し目を背けると、イストは灯り一つない横道へと足を進めていった。

「ありがとう、ラヴィ。」

「いいえ、これもわたくしのお仕事ですから」

ひらひらと手を振るラヴィリンソスに手を振り替えし、イストの背中は暗闇の中に消えていった。

「ふふふ。ヴィーリやシアの言う通り、永の退屈の終わる時なのですね。

 なんて楽しみなんでしょう。

 ・・・・あら、あれは?

 あらあら。面白そう。」

退屈を好まず定期的に自ら事件を起こして、精霊の中でも問題児といわれている弟ヴィヴリオやエクリシアがウキウキと口元を綻ばせている姿を思い浮かべ、ラヴィリンソスも笑みを漏らした。

そんな彼女の目の端に微かに映ったそれに、ラヴィリンソスは目を瞬かせ、胸をときめかせた。

最後の英雄がこの世を去ってからの長き間ただ役目を果たすだけの日々に退屈を覚えていたのは、問題児だけではなかったのだ。

これから、彼らを中心に巻き起こる事柄にラヴィリンソスは胸を高鳴るのを感じている。



暗い細道を歩いていくイストに、待ち合わせの相手が接触してきたのは本当にすぐのことだった。

黒いローブで全身を覆った男は、身元を明かすことを避けたいのだろう。目深く布で覆われ見えない顔から放たれた声は、くぐもって聞こえ辛いものだった。

「どのように?」

それは、とても簡潔だった。

口調やイントネーションさえも判別しづらくしたいのだろう。

「守らなくてはと思った相手を守れずに逃げ出すしか出来なかった。

 彼の性格からして、もう冒険に出るなんて無理でしょうね。

 回収役をしている私の仲間から、家までの護衛を依頼されたって連絡が来たわ。

 どう?大人しく御家に帰るよう、ちゃんと仕向けたでしょ?」

「結構。

 では、依頼の際の取り決め通り。」

この男からの依頼は、大商家の坊ちゃまを家に連れ戻すこと。坊ちゃまに冒険者の道を諦めさせること。

仲間たちを説得して手を引かせたのに諦めずに冒険者を続けようとしている少年を、自分の足で家に帰すように仕向けるという依頼だった。

前金で銀500枚。成功すれば金10枚。

イストにとっては本当に、楽な仕事だった。

男から伝え聞いたり、実際に関わって少年の性格を知れば、目の前で絶望に襲われれば心がすぐに折れて治ることが無いと予想がついた。

依頼を二つ返事で受けたイストは、トールに空飛ぶ絨毯を借り奴隷の町へと向かうと、手頃な少女の死体を拾ってきた。そして、それに魂を映すと少年とパーティーを組み、魔の森の中に居座っていた後ろ暗い輩たちを煽り、フェウルの協力によって思考を誘導し、自分達を襲わせたのだ。

イストが宿る少女が嬲られている中に少年の目を覚まさせ、彼に逃げさせる。

逃げた少年は事情を話し待機させておいたバルトへと任せ、イストは利用した無法者たちを始末することにした。いくら誘導し利用した者たちだろうと、自分を害する形となった奴等を残して置くことは虫唾が走る。二人ほど取り逃がしたようだが、まぁ何れ見つけた時に始末してしまえばいいとイストは考えていた。

「了解。

 報酬は私の講座に。」

男は一つ頷き、そのまま去っていった。

イストたちが冒険業を始める際にそれぞれ作った口座には、あれから幾つもの依頼で手にした報酬が貯めこまれていた。

特に、後ろ暗い依頼を好き好んで受けているイストの口座のそれは、日々残高を眺めてニヤけている姿が目撃され、バルトたちの興味を引いていた。

「さて、帰って寝るか。」

イストは各階層に一つある上の階層へと戻る扉を探そうと、表通りに足を向けた。

多くの挑戦者たちは前に進むことだけを考え、戻るとしたら力尽きてリタイアを選び地上へと転送されていく。

だからこそ、あまり知られていないことだったが上の階層へと戻る扉が隠されている。これは一番階層を下っているジェノスが見つけ、イストたちに教えてくれた情報だった。ジェノスは一人、まだバルトやイストが第3階層にいた時点で第6階層に進み、今や第12階層まで進んでいた。その実力を見込まれ、DランクにしてBランクのパーティーへと誘われ、魔の森の中にある獣人の村へと行商しに行く一行の護衛という依頼に動向して行っている。


「第4階層の扉は、『山猫亭』というお店の一階女子トイレの三番目になっていますよ。」


目だけを動かし周囲を見定めながら歩いていると、ラヴィリンソスがイスト腕に自身の腕を絡ませ、隠しているはずの扉の在り処を明かしてきた。

「何、その変な場所。」

「殿方にとっては試練となりますでしょ?」

確かに、男には入り辛い場所ではある。

イストが浮かべた微妙な表情に、ラヴィリンソスは悪戯が成功した子供のように、無邪気な笑みを浮かべた。

「それで、何か用?」

「えぇ、お帰りになる前に少しお付き合いくださいな」

返事を待つこともなく、ラヴィリンソスは絡めた腕に力を込め、イストを再び暗い横道へと引きずり込んでいく。

たおやかな少女の姿形をしていようと、流石は精霊。

ぐいぐいと引っ張るその力はイストに反抗することを許さず、どんどんと細い道を進んでいく。

「お疲れのようで心苦しいのですが。」

心にも無いことを、その言葉をイストはラヴィリンソスへと吐き捨てた。

驚くことも、傷ついた様子もなく、ただニコニコとラヴィリンソスは笑っている。

「何やら、商業ギルドの方が秘密のお話をなさっているようなんです。

 興味、おありでしょう?」

それを無理やりにもイストに聞かせようというのだ。

ただの後ろ暗い話だけではなく、トールが楽しんでいる店「カラミタ」に関することだとイストにはすぐに分かった。

「いやね。大人しくしておけって、言っておいたはずなんだけど?」

この近隣で一番幅を利かせている商業ギルドの人間を、フェウルの力で抑え込んでおいた筈だった。その場にはイストも立ち会っていた。フェウルの力による暗示がこんなに早く切れるとは思えない。

「どんな奴等?」

「上が動かないことをいぶかしんだ方々ですね。

 それにしても・・・パクロ殿が動かないのは、やっぱり貴女方の手際だったのですね。

 彼が動かないことは、わたくしたちも不思議だったのです。」

「迷宮を管轄にしているのに、そんなことにも気を配っているの?」

精霊が自分の司るモノ以外にはあまり興味を向けないと聞いていたイストには、少し不思議に感じることだった。

「試練の迷宮を管理する精霊であると以前に、わたくしは冒険者ギルドを司る精霊ですから。

元はギルドから派生した、わたくしたちでは管理しきれなかった分野を担う為に切り離された商業ギルドですが、最近は少々己の領分を弁えなくなってきておりました。

監視は欠かさず、介入の術を探っていたところだったのです。

ですから、何やら御座いましたらわたくし共のことは気になさらないよう。」

怖いこと。それがラヴィリンソスの光が消えた目で浮かべられた笑みへと向けられたイストの感想だった。

「・・・そういうことは皆で話しあわないと。」

「えぇ、分かっております。

 そうだ。

 その際は弟たちにも協力させます。どうかお申し出下さい。」

「・・・彼らに聞かなくても?」

「弟は姉の言うことを聞くものだと、御父様も仰っていましたから。」

イストの中で、英雄タクマがどういった人だったかと少しだけ興味が沸いてきた。

「そういうもの?」

弟なんていなかったイストには、その教えの真相は終ぞ謎なものだった。

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