おばさんと少女
その日の夕方。執務を終えた私は、屋敷に戻って礼服に着替えた。
青を基調とした長いドレスは、ハッキリ言って動き難く、或いは少し太ったのだろうか、以前と比べて胸回りがキツイ。
だが、夕食への招待と言う物に対して、私服で行くのは失礼であり、故に私は不便を覚悟で、わざわざドレスに着替えた訳だ。
おそらく十回。いや、人生で五回も着た事が無い為だろう。着方を忘れて苦労したが、メイドに手伝って貰う事でやっとの事で着替えを完了。
「お嬢様。そこまでされたのであれば、この際、髪型も整えた方が……」
直後にメイドにそんな事を言われて、私は「いや」と言葉を返すのだ。
おそらく彼女は好意か善意で、そうした方が良いと思って言ったのだろうが、髪を上げたり、整えたり、挙句に匂いをつける作業を黙って待っているのは苦痛でしかない。
中には私の無言を察して、やたらと話しかけて来る整髪師が居るが、それはそれで面倒な為に、私は提案を拒否したのである。
特に、一番に酷かった物は、やたらと髪質を褒めて来る男だったか。
「魂が落ち着く良い匂いだよ」とか、「こんな手触りを感じたのは初めてだ!」とか、気持ちの悪い事を連発するので、裏拳を叩きこんで鼻を折ったのだ。
その頃はまぁ、私も幼く、やる事がいちいち過激であった。
流石に今はそんな事はしないが、面倒と思う気持ちに変わりは無い。
「すまないな。あまり他人に触られたく無いのだ」
「そうでしたか。これは失礼を」
嘘では無いが真実でも無い。本当の理由は面倒だからだ。
だが、メイドが納得してくれたので、それで良しとして部屋から移動。
「お嬢様! 何ですかその髪型は! パーティーに行くのでしたらそれ相応の恰好が……!」
「お待ちくださいお館様! 最低でも多少のメイクくらいは……ッ!」
その途中でメイド長と執事に見つかるが、早足になる事で何とか振り切り、待っていた馬車に慌てて乗り込んで、遠ざかるメイド長と執事を目にした。
「お館様ァァァ! カムバァァァック! アアウチ!?」
そんな声が聞こえた頃には、執事は地面に転倒しており、助け起こしたメイド長と共に、遠ざかる私の馬車を見ていた。
正直な所はやめて欲しい。何だか非常に悪い事をした気がする。
万が一「ああっ! 足が折れた! 痛い! 痛すぎる!」等と言い出したら、流石に戻らざるを得なくなる。
だが、そこまでは彼らも言わず、やがては視界の彼方に消えたので、若干、心苦しい気持ちはあったが、顔を戻して深く腰掛けた。
方角としては街の北東に十分ばかり走っただろうか。
一軒の廃館の前に着いて、「ここになりますが……」と、御者が言ったのだ。
場所を伝えたのは私であるので、彼の困惑は当然の物。
私もまた同様に困惑していたが、「ここはどこだ?」とは聞けなかった。
とりあえずの形で馬車から下りて、館の背にある林を目にする。
あれが無ければもう少し、不気味さと言う物が薄れるのだろうが、朽ちかけた館と併せて見ると、少なくとも年頃の娘が一人で、好んで近付く場所には見えない。
近付くとしたら廃屋嗜好者か。或いは地元の不良少年等。
聞き間違いの可能性もあるかと思い、私は無意識に口に手を当てる。
さて、どうするか。
そう思っていると、遠くから馬車が近付いて来た。
やがては私の馬車の後ろで止まり、見た顔がそこから姿を見せるのだ。
「ドーラス卿!? 釈放されたのか!?」
釈放されたとは聞いていないが、アレ以来、面会にも行っては居ない。
実際の所は釈放されていたかもしれず、そこには気まずさを多少に含む。
「うむ……まぁ、一応の形でな。証拠不十分と言う物で、まだ怪しまれてはいるのだが」
どうやら釈放されていたらしい。
ミッシェラン内務大臣――つまり、この食事会を企画した男の働きが大きかったのだろう。
「貴殿も色々とあったようだが、無事なようで何よりだ。
それにその、ドレス姿も……なかなかその……味があって良い」
「あ、ああ。そうか……」
何やら妙な言い回しである。良いのか悪いのかが良く分からない。
だが、以前のドーラスなら顔を合わせるなり、
「アレから一度も面会に来なかったな?」等と、皮肉をかまして来ただろうから、少なくとも僅かに成長したと言うか、私への敵意は薄れたのだと思われた。
「貴殿もミッシェラン卿に?」
そこを責められると何も言えないので、機先を制して話題を変える。
すると、ドーラスは「うむ」と答え、廃館の方に両目を見やる。
やはり間違いでは無かったか。
そう思った私が歩き出し、ドーラスがすぐに後ろに続く。
まさか罠では無いと思うが、一応の警戒をして中へと入り、やがてミッシェラン本人に迎えられ、私達はようやく警戒を解くのだ。
場所としては二階の広間で、丸いテーブルに三脚の椅子がある。
その一脚に座っていたミッシェランは、私達に気付いて振り向いて来た。
暗視があるので見えてはいるが、照明としては蝋燭が三本だけ。
それはテーブルの中心に置かれ、周囲には料理が並べられている。
念の為にと気配を探ったが、私達以外に人の気配は無かった。
「不便な所に申し訳ない。あまり人には聞かせられぬ話でして」
おそらく何かが分かったのだろう。
神妙な顔でミッシェランはそう言い、私達に着席を勧めて来る。
私が左に。ドーラスが右に行き、ミッシェランの背後の椅子へと向かう。
そして、私達が座った後に、ミッシェランは先程の椅子に座った。
「では手短に。ティレロ卿の事ですが、二~三、分かった事があります。
その報告と言いますか、お二人にも判断を仰ぎたいと思い、このような形でお呼び立てした次第。その点、まずはご容赦下さい」
そうでは無いかと思っていたが、そうだと分かって納得をする。
だからこそ人里離れた……とまでは行かないが、人の来づらい所に呼んだのだ。
加えてこの場所。妙にだだっ広く、誰かが来たならすぐに分かる。
朽ちた館を選んだ理由も、例えばドアでも開けようものなら、異常なまでに物音が発される事を見据えての事だろう。
なかなかどうして食えない男だが、現状ではおそらくこちらの味方。
その事には素直に感謝して、ミッシェランの続ける言葉を待った。
「まずは第一に、前国王の暗殺ですが、ティレロ卿は陛下の暗殺に、深い所で関わって居ました。具体的には指令書です。
『ドーラス卿が陛下を拉致し、武力によって国政を壟断しようと企んでいる。
真実か、噂か、難しい所だが、真実であったなら静観は命取り。即座にこれを全兵士に伝達し、ドーラス卿を逮捕せしめろ』
と、こう言った物を軍務大臣に持ち掛け、彼の心を揺さぶったようです。
軍務大臣も愚かでは無いので、独自に真相を探ったようですが、おそらく情報を操作されたのでしょう、最終的な判断はご存知の通り。
自身の無能を知られたく無かったのか、先日までこの事を黙って居ました。
しかし、ドーラス卿が証拠不十分になり、今度は自分が投獄された為に、私にそれを話してくれたのです」
「なるほど……」
まずは一言、それだけを言う。話がまだ続くはずだからだ。
ドーラスも「なんと」と一言言ったが、何かを聞く事はここではしなかった。
ミッシェランは小さく頷き、その後に更に話を続ける。
「次の第二。ティレロ卿はおそらく、ゴルズリアの密偵と通じております。
それらしき者と接触している所を、こちらの手の者が捉えているのです。
以前は部下の女性……マジェスティだったようですが、彼女を使っていたのでしょうが、どういう訳か彼女が居なくなり、以降は自らが行っているようです。
それ故に足が掴めた訳ですから、こちらにしてはありがたい事ですな」
部下の女性とはマジェスティであり、あの夜に私が撃退した者だ。
実際の所はそうしなくても彼女は自然に消えていたのだが、ティレロに手を貸した事によって、そういう状態に落ちたのだとしたら――
――一体どういう目的の為に、マジェスティを使い捨てにしようとしたのか。
普通であれば生かして置いてこその、マジェスティ、即ち駒では無いか。
……考えて居ても仕方が無いので、両目を瞑って息を吐く。
その後には再び耳を傾け、話している途中のミッシェランを目に入れた。
「……という所でしたが、何とか先手を取る事が出来ました。
私には正直扱いかねますので、レナス卿にお預けしたいと思います。
異存があれば考え直しますが、卿のお気持ちは如何なものでしょう?」
「ん???」
気付けば質問されていた。重要な部分を聞き逃したようだ。
助けを求めてドーラスを見るが、「どうなのだ?」と、真面目な表情。
割と重要な質問だと思い、そこは素直に聞き返して見た。
改めて話してくれた所によると……
ティレロは自身の駒として使える新しいマジェスティを探していたようで、先日、それがようやく見つかって迎えを出そうとしていたらしい。
だが、それをミッシェランの手の者が聞き、ティレロよりも早くその者を保護。
結果として、ここに連れて来たマジェスティを私に預けたいと言う事のようだった。
正直な所ゼーヤの二の舞が怖いが、拒否する理由はそれ一つしか無い。
それとて目的の為だとあれば、仕方が無い事の一つでもあり、それを覚悟した私は頷き、「承知した」と言う言葉を返すのだ。
「それでは早速紹介しましょう。生憎、言葉が通じないので、私には名前すら分かりませんがね」
返事を聞いたミッシェランが微笑み、椅子から立って少々歩く。
向かう場所は私の背後で、どこへ行くのかと顔を向けると、一人の少女が視界に入った。
私はここに来た直後、気配探知を使用した。その結果、誰も居ない事を間違いなく確認したはずだった。
それなのにその少女はいつの間にか、私の後ろのソファーに居たのだ。
長年マジェスティをやっているが、マジェスティ同士でも免れないそれを搔い潜った者を見たのは初めての事だ。
一体何者だと密かに思いつつ、椅子から立って少女を見つめた。
見た目の年齢は五歳程か。髪の毛はピンクでツインテール。
ここいらでは見ない変わった格好……強いて言うなら肌に密着する、灰色のスーツのような物を身に纏っており、右手の指先を移動させて床の木片を動かしている。
誤解を生まない為に言うと、少女の手と木片の間には一mばかりの空間がある。
つまり、少女は直接触れず、何かの力で動かしていたのだ。
確かにこれは普通では無い。幼いが相当の魔法力だ。
いや、格好を見る限りでは、魔法力と断定する事も出来ない。
呆然とした様で木片を見ていると。
「わたしアイニーネ。おばさんには言葉が通じるかなー?
テレキネシスって言うんだよコレ」
少女――アイニーネはそう言って、私に微笑みかけて来たのである。
私が返した第一声は、言葉にならない「おばっ!?」と言う物。
反してアイニーネは「言葉がわかるー!」と、驚いた後に嬉しそうな顔をして、ソファーから勢い良く立ち上がったのであった。
五歳くらいの女の子から見ればね…




