惨劇へと続く階段 後編
ムメの蒸し方。これは分かった。
魚の切り方。これも分かった。
コックのおばさん――ミーシャさんが、殆どをやってくれたからだ。
だが、そんなミーシャさんにも、俺にも分からない事が一つあり、蒸されたムメを左手に、台の前で硬直していた。
それは即ちスシの握り方。
出来るだろうと甘く見ていたが、これがどうして非常に難しく、試しに握った二つのスシは、宛ら沈みかけた船の如し。
ネタを乗せると「くしゃり」と崩れ、俺達の気分まで沈ませるのである。
水分が多いのか、握りが緩いのか。素人の俺には良く分からない。
無理だったのか……と、少しだけ思うが、それは後の祭りと言えた。
現在もムメは次々蒸され、魚も切りネタとして展開されている。
つまり、もう、引き返す事は、絶対に出来ない状況だったのだ。
「とにかく握って慣れるしか無いです! ミーシャさんにもお願いして良いですか!?」
「あ、あー、別に構わないけど……」
故に、俺はミーシャさんにも頼み、とにかくそこからは数をこなした。
握っては置き、そして戻し、戻したシャリを再び握る。
そんな事をどれだけ繰り返したか、ようやくそれらしいシャリが出来上がり、感動のあまりに一歩を後ずさり、震える声で「出来た……!」と言うのだ。
「こんな感じかな? ちょっと慣れてきたかも」
「眩しいまでに輝くご飯! これぞまさに銀シャリですわ!」
それは俺の声では無くて、隣で握るミーシャの声だ。
褒めたのはユートで、顔を向けると、俺の握りの遙か上を行く、銀色に輝くシャリが見えた。
それと比べるなら俺の握り等、ちょっと硬い犬のうん〇。
恥ずかしくなった俺は黙り、無言で握りを再開させた。
流石は女性。そしてコック長。経験やセンスがまるで違う。
「これ! 会心の出来ですよ!」なんて、焦って言わなくて良かったと思いつつ、俺も地味ーー……に握って行った。
「なんかボク暇なんですけどー。やる事無い? ねーヒジリー?」
「あ? じゃあネタ乗せてくれよ。ワサビ……じゃない、青色のアレをちょっとだけシャリにつけてからな」
「ふぁーい。四つに一つはつまみぐいー!」
暇そうなので頼んでみると、ユートはノリノリで作業を始めた。
ミーシャにはそれは当然聞こえず、また、見えても居ない訳なので、ワサビ(のようなもの)が塗られてネタが浮く様を、唖然とした様子でしばらく見ていた。
「あ、魔法みたいなものです……間に合わないかと思ったんで……」
「そ、そう……ホント、凄いのね。若いのに……」
一応言うと、それで納得し、ミーシャは握りを再開させる。
全員で一致団結したお蔭か、昼前には握りは終えられそうだ。
「おっと。すげぇ事になってんなー」
そこへ一人のイレギュラーが登場。館の主のダナヒである。
俺達の握りを興味深そうに見ながら、やがては俺の横へとやって来て、手も洗わずにシャリに突っ込み、見よう見まねで握り出した。
「ちょっ、それ自分で食べて下さいよ! 不潔とまでは言いませんけど、人の口に入る物なんですから!」
「わーったわーった。姑みてぇな野郎だな。で? この後どうすんだ?」
見せられたシャリはまるで軽石。密度が正直ハンパ無い。
どれだけの力で握ったかは謎だが、空気なんて少しも入ってないだろう。
「あー……えっと、好きなネタで……
あそこに色々置いてますんで、好みで青い奴を付けて下さい……」
「ほーん? んーじゃ、こいつで行って見るか」
一応言うと、ダナヒは歩き、握ったシャリに白身を乗せる。
「……こう言っちゃ何だが、あんまだな。握り方が悪かったのか?」
そして、それを口へと運び、微妙な顔を作って見せるのだ。
予想であるが、カロリー的なアレ。チーズやらチョコやらの味があるアレ。
歯ごたえとしてはアレなのでは無いかと思い、それなら微妙だろうと心で呟く。
だが、居座られて邪魔をされても嫌なので、黙って見送って作業を続けた。
その甲斐あって昼前には、全ての作業が何とか完了。
個数にするなら百カン余りが、三つの皿に分割して乗せられた。
ネタとしては鯛に鮪、ホタテにタコにエトセトラ。
全てがあくまで「それっぽい」物なので、実際の所の名前は知らない。
しかし、漁師も「食べれるぜ」と言ったし、念の為に全ての味見はしたので、危ないネタ等は無い筈だった。
「よし! んーじゃ持ってくかぁ! 運び終わる頃には皆も来るだろ!」
「オッケー! 毒見もカンペキだしねー! 皆きっと喜ぶよー!」
俺の言葉にユートが答える。
協力してくれたミーシャにも一応誘いをかけてみたが。
「いやいや、あたしゃ遠慮するよ。雇われ人が出しゃばる場じゃないし。
ここで余りモノをメイド達と食べてるさ」
立場を気にして遠慮するので、「そうですか……」と答えて裏庭に向かった。
皿を抱えてそこに行くと、会場はすでに完成していた。
どうやらメイド達がやってくれていたようで、すれ違いざまに礼を言う。
「いえいえ……」
直後の返事はそれだったのだが。
「ホラ、あの子、ダ・チン祭で準優勝した」
「マジデー!? イヤー! 妊娠させられちゃうー!」
どうやら噂が広がっているようで、すれ違うなりに二人は言って、小走りで館に逃げて行くのだ。
一体何がどうして妊娠……? 戸惑う俺には言葉が出せない。
だが、ため息をついてどうにか立ち直り、三往復して料理を並べた。
「おやおや。準備は完了ですか。お待たせしたようですみません」
「それがスシ? 変わってるわね」
しばらくするとデオスとカレルが。
「ブッチャケ、あんまうまくねーぞそれ」
遅れてダナヒが姿を現す。
「ほっほっ、ちぃと遅れてしもうたか」
「おいーっす! ヒジリ! 呼ばれて来たぜー!」
「ヒジリさんこんにちはー!」
最後に現れたのがライバードと、彼に連れられてやってきたギースとニースの二人であった。
招いたメンバーはこれで全員。ダナヒが「ほれ」と背中を叩く。
「ああ……えっと……ダ・チン祭の準優勝賞品が届いたので、いつもお世話になっている皆さんに、お礼の意味で作りました。
素人料理なんで、味の保証は出来ませんが、良かったら色々と食べて見て下さい」
何かを言え、と言う事だと受け取り、適当な挨拶を皆の前でした。
「おぉー」
「何照れてんだ」
直後には拍手。そして野次。皆が適当にテーブルに着く。
それから少しずつスシを食べ始め、笑顔と会話が広がり出した。
滅茶苦茶好評! ……とまでは行かないが、おおむね好評のように見える。
「何コレ……? モスタルホーケンじゃない? 食べれるのコレ?」
中でも不評が所謂タコで、カレルを中心に女性達は、露骨にそれを避けていたが、唯一、ギースだけが「コリコリしてうめぇ」と、率先してそれを平らげていた。
残れば食べようと思っていたが、その必要はどうやら無さそうだ。
「あれ? 意外にウメーんだけど……全然モサモサしてねーわ」
「この青い物をつけると臭みが消えますね。いや、味に深みが出るのか。
ともかく、変わった食べ物ですよ」
こちらはダナヒとデオスの会話。「いや、もっと硬かったんだって」とは、ダナヒが握った場合の事だけだ。
カレルは意外にもニースと共に居て、ワサビ(のようなもの)をネタに付け過ぎてたのか、二人で変な顔をして笑い合っていた。
「良かったねヒジリ! 皆、喜んでくれて!」
「ああ、頑張った甲斐があったな。これからもたまにこういう事をして、皆で集まるのも良いかもしれないよな」
こういう集まりはあちらでは無かった。
せいぜいが正月と盆の一日に、親戚連中が集まるだけだ。
それに比べるとこちらはどうだろう。元々は全く知らない者同士が集まり、あんなに楽しそうな顔をしている。
奇妙な縁で出会った仲間。そして上司。友のような存在。
彼ら、彼女らのような者が居る世界こそ、本来、自分が居るべき場所ではないか。
そんな事を思っていると、不意に、デオスが苦しみ始めた。
それはすぐにもダナヒに移り、ギースやニースに広がって行く。
「な、何コレ……胸が苦しい……ッ!」
やがてはカレルにまでそれは伝染し、テーブルクロスが地面に引かれる。
「ヒジリテメェ! ナニ食わせやがった……!?
毒のあるモンでも混ざってたんじゃねーのか……!?」
「いや、そんな!? だって俺、ちゃんと毒見しましたよ!?
だいぶ前に食べた俺がピンピンしてるのに、今食べた皆が倒れる訳無いでしょ!?」
ダナヒに言われ、焦って答える。
言っている内にダナヒは膝を折り、「だったら何でだよ……ッ!」と、胸を押さえた。
全員が全員苦しんでいる。タイミング的には原因はスシだろう。
だが、俺は先にも言ったように、きちんとネタの毒見をしたのだ。
その上で大丈夫と判断したから……
「!?」
血の気が引いて行く。ある事を思い出した為に。
それは今月の初めに取った、特能の七が関係している。
……そう、俺は毒耐性を「毒無効化」に変えたばかりだったのだ。
それはつまり、毒見をしても、全く意味が無いと言う事で、先に食べたから安全だと言う認識は、根本的に大きな間違い。
その事に早く気付いて居れば、この惨状は無かったはずだった。
「と、兎に角人を呼んできます! 耐えて下さい! 皆も耐えて!」
兎にも角にもこのままで居ると、最悪の場合死者が出る。
そう思った俺は皆に言い、台所で待機しているはずのミーシャとメイドの元へと走った。
が。
「あハッ……が……かはっ……!」
「胸がくるしい……ッ……!」
ドアを開けると全員が悶絶中。目の前には余ったスシがズラリ。
そう言えば食べると言っていた事に気付き、ユートと共に「イヤァァ!」と叫んだ。
結果としては医者の元に行き、なんとか全員が無事だったのだが、以降、「スシ」と言う単語を聞く度、拒絶反応を示す者が出たのは、間違いなく俺のせいだと言えた。
殆ど無差別テロのレベル。鋭い人は気付いてましたかね(汗)




