悲しみのバースデイ
それから更に何日かが過ぎた。
何もしないのは流石に悪いので、俺も畑仕事を手伝うようになり、それを目にした子供達も、少しずつ心を開いてくれるようになってきた。
その中に一人、異常なまでに、俺に懐いて来ている子が居る。
名前は知らないし、言葉も分からない。
でも、気付くとすぐ傍に居て、目が合うとそそくさと逃げるのである。
見た目の年齢は五才くらいで、カメのような人形をいつも持っている。
性別は女の子で、黒い髪をしており、目が合った途端に今日も逃げたので、作業の手を止めて、彼女の背を見ていた。
「あの子には昔、兄が居ました。生きていればミスターヒジリと、おそらく同じくらいの年齢でしょうね……そう言えば耳にした特徴も似ています。
……ですが、もし、ご迷惑なら、私がさりげなく言いますが?」
それに気付いたピシェトも止まり、その子の背を見てそう言って来た。
場所は畑で、やっている作業は、男二人による畑の拡大だ。
その格好は上半身が黒光りせんばかりの裸と言うモノで、汗にまみれた筋肉が、怪しい輝きを構築している。
一方の俺は白のシャツで、ピシェトと同様の作業をしていたが、並ぶとなんだか恥ずかしい気がして(筋肉の量的に)、汗まみれのシャツの嫌悪感に耐えていた。
ちなみに、ユートは畑の端で、木の柵に乗ってこちらを見ており、退屈そうに大きく欠伸して、自身の暇さをアピールしている。
暇なら手伝えよ。と言いたい所だが、あいつの大きさでは無理な話だ。
「……俺、あの子の言葉が分からないんですが、ここじゃない所から来た子なんですか?」
先の質問に答えずに、質問に質問で返してしまう。
これまた爺ちゃんの嫌がる事だが、聞いてしまった物は仕方ない。
内心では「しまった……」と思うものの、ピシェトの答えを黙って待った。
「いえ、むしろ我々が余所者なのです。
おそらくあなたが理解しているのは、大陸の東部の言葉だと思います。
彼女の生まれは大陸の西部。即ち、ここだという事ですね」
その言葉には「そうですか」と納得をする。
それから改めて「迷惑では無いんですが……」と、聞かれた事の答えを返した。
「ただ……対応に困っている、と」
それには「はい……」と、苦笑いを見せる。
俺は一人っ子で、兄弟は居ない。
その為に、年下の子供に懐かれても、言われた通りに対応に困るのだ。
それがもし、兄を求めての行動であれば尚更に。
「少しずつ、彼女なりに、距離を詰めて来ているように見えます。
ご迷惑で無いのであれば、特に何もしなくても良いでしょう。
小動物に接するように、ソフトに、生暖かく見守ってあげましょう」
ピシェトはそう言って微笑んだ後に、止めていた作業を再開させた。
今のピシェトにソフトに見守られても、小動物はきっと焼け焦げるだろう。
「そういうものですか……」
そうは思うが口には出さず、代わりに言って鍬を振り上げる。
農作業はキツイがやりがいがある。結果が出る所は稽古に似ている。
そんな事を思いつつ、俺は夕暮れまで作業を続けた。
彼女の名前はリースと言った。
本人から聞いたという訳でなく、他の子供達が教えてくれた。
歳は六才で、三歳の頃に、この孤児院に来たらしく、その時にはもう、一番上のお兄さんは、紛争に巻き込まれて死んでいたらしい。
「(可哀想にな……)」
そうは思うが、実際の所はどうにも出来ない。
まさか、紛争を終わらせる事なんて出来ないし、生き返らせる事も当然無理だ。
しかし、今日も近付いてきたリースに対して何かをする事は可能であった。
ソフトに、生暖かく、頭を撫でてみよう。俺は反射的に避けてしまうが、まさか子供が避けはしないだろう。
「(逃げられないかな……)」
少々ビビリつつ、ぎこちない動きで右手を伸ばす。
リースは一瞬「ビクリ」としたが、いつものように逃げ出さなかった。
やがて右手は頭に到達し、無様な動きでそこを撫でる。
すると、リースは「にこり」と笑い、いつもとは違う動作で離れた。
それはいつもの逃げでは無くて、仕事の邪魔になるからという、彼女なりの気遣いに思えた。
意外に良いもんだ。こっちもほっこりする。
それが分かった俺も微笑んで、リースの前で仕事を続けた。
「さて、今日も一戦行きますか?」
そして夕暮れ。
太陽が傾き、夕焼け空が見え出した頃、汗を拭ってピシェトが言ってきた。
俺はそれを「良いですよ」と受けて、タオルを柵にかけて庭へと動いた。
「がはっ!?」
結果はいつもの通りに敗北。なんだか日毎に強くなっている。
俺に合わせて本気を出しているのか、それでも武器がショベルなんて、実際まだまだの証拠と言える。
それでもピシェトが嬉しそうなので、鍛練にもなるしで俺も付き合った。
「ヒジリ!」
言ってきたのはユートでは無く、タオルを持ったリースであった。
「あ、ありがとう……」
そう言って、タオルを受け取ると、リースは嬉しそうに走って行った。
「(名前、覚えてくれたんだな……)」
「リースはもうあなたの味方ですね。背中を刺されないように注意しておきましょう」
思いながらに汗を拭いていると、冗談を言ってピシェトが笑う。
それには「ピシェトさん……」と言葉を返し、少しの間を俺も笑った。
「(あれ……なんだか楽しいな……)」
そう思えたのは久しぶりの事で、その理由はこの場所と、ピシェトにあるのだと俺は気付く。
「(新しい居場所……か)」
思った途端に怖くなり、掻き消す為に首を振る。
それを見たユートが「どうしたの?」と聞いたので、「何でも無いんだ」と答えて置いた。
言葉にした瞬間、消えてしまいそうな。そんな不安を感じた為だった。
その日は大量に野菜が獲れた。
正式な名前は不明だが、見た目にはジャガイモみたいな例の野菜だ。
それの殆どは食糧になるが、一部は物々交換するらしく、ピシェトはそれを箱に入れて、早速交換に行くと言った。
「一緒に行きますか?」
と、言われた俺は、やる事も無いしでそれに従う。
そして、ピシェトの後ろについて、近隣(と言っても十キロは歩いた)の民家を訪ねて回った。
カボチャらしきものにニンジンらしきもの。
何かの肉や調味料を受け取り、その代わりにピシェトは箱の中身を彼らのものと交換して行った。
子供達の為にとお菓子をくれる人も居り、それにはピシェトばかりでは無く、俺も深々と頭を下げた。
「これだけあれば行けるかもしれませんね」
家への帰り道、ホクホク顔でピシェトは俺達にそう言って来た。
「どこに?」
「そういう意味じゃないだろ……」
ユートの言葉にすぐに突っ込む。
聞いたユートは不満げだったが、ピシェトはそれには「ははは」と笑う。
「明日はリースの誕生日なのですよ。殆どカボチャ味になってしまいますが、材料的にはケーキが作れます。良かったら手伝っていただけますか?」
それから言って、聞いて来たので、それには「良いですよ」と笑顔で応えた。
何をするのかは不明だが、手伝えと言うからには何かが出来るのだ。
それでリースの笑顔が見れるなら、それこそお安い御用と言える。
「あ」
そこへ、牛を引いてくる、二人の男が道の先に見えた。
言葉を出したのはユートである為、あちらはこっちに気付いていない。
嫌がる牛を無理に引き、一人が尻を蹴り飛ばしている。
どうやら武装をしているようで、俺は露骨に警戒をした。
「この土地の領主の私兵ですね。おそらく、徴収してきたものでしょう」
「徴収……?」
小さな声でピシェトが言って、同じような大きさで俺が聞く。
「協力の強制。言い換えるなら、問答無用の強奪行為です。やられる方はたまったものじゃないですが」
酷い話だ。俺ならキレる。だが、キレても何もしないのが、元の世界の俺達であり、そういう意味ではこちらの人もキレるだけならキレているのかもしれない。
思っていると奴らが近付いてきたので、顔を逸らしてやり過ごそうとした。
「$#%%&'((((?」
何かを言っているが言葉が分からない。
先日のピシェトの言葉通りなら、これがこの地方の言語なのだろう。
兵士の一人が箱に気付いて、立ち止まった上で更に何かを言う。
「ああ、野菜や調味料等です。果物もありますよ。良かったらどうですか?」
答えたのはピシェトだ。言葉が分かるらしい。
箱の中から果物を出し、兵士の一人に奪い取られる。
ピシェトは続けてもう一つを出し、片割れの兵士にそれを渡した。
渡された兵士は「当たり前だろ?」と言わんばかりの顔で、何も言わずにそれを食べた。
正直かなりイラッとしたが、後先を考えて我慢をして置く。
兵士の二人は満足したのか、果物を食べつつ去って行った。
「何で渡したんですか?」
少しキレてそう聞くと、ピシェトは「あはは」と軽く笑った。
「人と言うのは押せば引き、引けば押そうとするものです。最初にこちらが押してしまえば、意外に引いてくれるものなのですよ」
それから言って、「シンリだね」等と、分かったような事をユートに言われるのである。
「(もし、あいつらが調子に乗って、全部よこせって言ったらどうするつもりだったんだ?)」
俺はというとそう思い、二人のように気楽では居られない。
だが、その時には反抗する(主に力で)と信じて、しばらくしてから心を鎮めた。
家に着いたのは陽が沈んだ頃で、その日の夕食は質素に済ませた。
そして翌日。
昼頃から、俺とユートとピシェトは三人で、誕生日の為の料理を作り出したのである。
「ピシェトさんってなんでもできるねー! ヒジリも少し見習ったら?」
料理の最中、ユートはそう言って、憎らしい顔で俺を見て来た。
「ちょっと前まで高校生だったんだぞ? そんな事、いきなり出来る訳ないだろ……」
指示されるままに棒を持ち、転がしながら俺が言う。
その下にはピザでも作るのだろうか、小麦粉の生地が寝かされており、転がす度に少しずつ、広く、平らに変形していた。
「コーコーセー? それどういうショクギョー?」
ユートの返した言葉はそれで、「職業じゃないよ……」とため息をつく。
それを聞いたピシェトは「ははは」と、何かを茹でながら笑い声を発した。
「そう言えばピシェトさんはずっとここに?」
あ、余所者って言ってたか……と、聞いた直後に気付いたが、取り消しが間に合わずピシェトは答えた。
「いえ、三年ほど前に来たばかりですね。あの頃の私はまだ若かった。
筋肉があれば大抵の事は解決できると信じていました。最近になって解決できるのは、八割位だと気付けましたよ」
結構高いっすね……とは、流石に言えず、「そうなんですか……」と言葉を返す。
しかし確かにあの筋肉なら、凄んだだけで八割は逃げるだろう。
「手が止まってるよー!」
「分かってるよ……」
ユートに言われて腕を動かす。家庭科の先生ばりの粘着性だ。
そういうお前は何をしているの? そう思ってユートをチラリと見ると、卵を割った後に欠けらに気付いた。
そして、右手を伸ばした後に、ボウルに「ずぼり」と突っ込んだのだ。
「ああああああ!」
「何やってんだ……」
泣きそうな顔でユートが言って、俺が紙を「ずっ」と突き出す。
ユートはそれを「ありがとー……」と受けて、顔に付着した卵白を拭いた。
「さて、良い具合に煮えました。そろそろメインに取り掛かりますか」
鍋の中からカボチャを引き上げ、棒を突き刺してピシェトが言った。
それから俺達はカボチャの種を取り、中身をくりぬいてそれを潰す。
ケーキと料理が完成したのは、それからおよそ五時間後の事。
質素だが、心の篭った料理が、キッチンのテーブルに大量に並んだ。
「すごーい! おいしそー!」
「ああ、後は食堂に運ぶだけだな」
それらを目にしたユートが言って、頷いた後に俺が言う。
それにはピシェトが「お願い出来ますか?」と続け、ケーキを切り分ける為に包丁を持った。
「分かりました」
言葉を返して皿を持つ。
子供達の正確な人数は分からないので、ピシェトに任せる他に無い。
「リョウカイですっ!」
と、返したユートは、水差しを持とうとしていたが、無理だと気付いてフォークやナイフ等、持てるものを数本抱えて飛んで来た。
「(リース……喜んでくれると良いな……)」
準備はこれで全て整った。後はパーティーを始めるだけだ。
リースの笑顔を頭に浮かべ、その笑顔に釣られるように俺は微笑んだ。
それから一時間後。
リースの誕生日を祝う会は、料理に興奮する子供達の騒動の中で開始された。
「それではみなさん、いただきましょう」
と言う、ピシェトの言葉を待たずに食べた子も居て、それには近くの年長の子が、「駄目でしょ!」等と言って叱りつけていた。
当の本人のリースはと言うと、俺の右隣りに座っており、他の子が「うめー!」と食べ出した後も、硬直したままで動いて居なかった。
「どうしたの? 食べて良いんだよ?」
そう言うと、俺の顔を見た後に、「にこり」と笑ってようやく動く。
そして、ケーキを口にした後に、理解不能な言葉を発した。
「おいしい、って言ってるよ! すごいおいしいって!」
ユートがそれを通訳したが、顔を見ればそれは分かる。
こんな笑顔で「クソまじい!」とか言ってたら、人間不信になっても仕方ない。
「(良かった……皆も喜んでるな)」
食堂を見渡して微笑んでいると、唐突に何者かが乱入してきた。
その数は六人。
中には昨日見た兵士の二人の姿も見える。
何やら訳の分からない事を喚き、近くに居た子のケーキを奪った。
ケーキを奪われた男の子が泣く。奪った奴は楽しそうだ。
「やめて下さい! 食料なら出しましょう! 子供達の食べ物まで奪わないでいただけますか!」
それを目にしたピシェトが立ち上がり、顔を顰めて奴らに叫んだ。
聞いた男はケーキを置いて、何かを言った後に道を空ける。
おそらくだが、ピシェトの出した交換条件のようなものに応じたのだろう。
「すみませんが少し外します。子供達の事をお願いします」
ピシェトが俺にそう言って、彼らの元へと近付いて行く。
それから空けられた道を進み、ドアを開けてどこかへ消えた。
兵士の内の四人が続き、食堂の中から姿を消すが、残った二人は「ウロウロ」と彷徨い、目が合った子供に威嚇をして回った。
「#$&&$%$?」
それを見ていた俺とも目が合い、何かを言って近付いて来る。
何かをしないか。警戒して見ていた事が奴らのカンに障ったのかもしれない。
「なんだその目は? って言ってるよ! ナニナニどうする? 察しろよ……って言葉教える?」
やはりはカンに障ったらしい。
ユートの通訳で理由が分かり、争いを避ける為に視線を外す。
しかし、それは少し遅く、そいつは俺の横に来て、髪の毛を「ぐい」と掴んで来たのだ。
「ケンカ売ってたんだよな? あん!? だって! カルシウムが足りない人のようです! 察しろよ! って言葉教える?」
それには「ああ」とは言えないし、「売ってない」とも言い切れない。
正直、ムカつく奴らだとは思うが、ピシェトの為にも耐えるしか無い。
その為にぐっと我慢をしていたが、そいつが不意に掴む手を緩めた。
見ると、リースがそいつの手を持ち、何かを言って首を振っていた。
「やめろ!」
と言ったがそれも遅く、リースはそいつに手を振り払われて、人形を床へと落としてしまった。
そして、片割れの男がそれを持ち、二人で笑って人形を裂いたのだ。
それを見たリースは両目を見開き、大粒の涙をそこから流した。
「お前えええ!!!」
クソ野郎だ。人間のクズだ。
俺はその事により一瞬で沸騰し、立ち上がってそいつの襟を掴んだ。
掴まれた男は一瞬戸惑い、それから俺の顔を殴った。
それでも怯まず体を持ち上げると、もう一人の男が剣を抜いた。
「(構うもんか! ぶん殴ってやる!)」
「わー! パパー!!!!」
そう思って拳を引くと、子供達が悲鳴を上げて逃げて行った。
入れ替わるようにして先の四人が現れて、何事かを言って剣をしまわせる。
「ミスターヒジリ! やめてください!」
それに遅れてピシェトが現れ、そう言ってきた為に男を下ろす。
下ろされた男は舌打ちをして、片割れと共に歩いて行った。
立ち去る奴らの手には箱があり、そこには食料が詰められていた。
リースは引き裂かれた人形を持ち、声には出さずに静かに泣いていた。
「(こんな事で……良いんですか……こんなにも非道な事を許して……)」
それらを目にした俺は自分と、ピシェトに向かって心の中で聞き、どうしても奴らが許せなかった為に、ひとつの決断をしたのであった。
教会の裏手で丑三つ時参り。