第三の師 ジャック・ライバード
両目を開くと天井が見えた。
ダナヒの館の自室の天井だ。
背中には寝慣れたベッドがあったので、誰かに運ばれたのだと俺は理解した。
あれからの記憶が全く無いのが、そう思った最大の原因である。
何時間、いや、何日が経ったのか、部屋の中は少々薄暗い。
首を動かして窓を見ると、カーテンの隙間から陽射しが見えた。
時刻は朝か、もしくは昼頃。
起き上がろうとすると痛みを感じたので、驚きながらに顔を顰る。
腹や、脚や、腕等が痛い。おそらく筋肉痛だが、ピークは過ぎている。
それ故に我慢をすれば動けるのだが、なぜ、どうしてそうなったのかに俺は驚きを隠せない。
「って、原因はアレしかないよな……」
考えるまでも無かった。高速化が原因だ。
無意識に筋トレをして居たので無ければ、アレ以外にこうなる原因は無い。
或いはやらされたという可能性もあるが……
まぁ、正直やらせる意味と手間を考えるとありえないので、やはりはこうなった原因は高速化した事に集約するのだろう。
「(それよりダナヒだ……あいつの事も聞かないと……)」
一言で言うなら諸刃の剣だが、その事は一先ず考えずにおく。
怪我をしたダナヒと、あいつ――アンティミノスのしもべが、あの後どうなったのかが気になったからだ。
「いぃ……?!」
ベッドから抜け出し、パジャマ姿である事に気付く。
一体誰が着替えさせたのか。そして、どこまで見られてしまったのか。
そんな事を思うが、仕方が無い事なので、服に着替えて部屋の外に出た。
「(そう言えば海に飛び込んだんだよな……って事は普通ならベタベタな訳だけど……)」
髪の毛はさらさら。体にベタつきも感じない。
と言う事は誰かに体を拭かれたか、或いは風呂に入れられた訳で、そこを思うと先程以上に何だかイヤーな気持ちになって来た。
男であっても、女であっても、誰に見られても嫌な物は嫌だ。
だが、それは仕方が無い事。病院なんかに入院したら、看護婦さん達がやってくれる事なのだ。
そう、前向きに考える事で、嫌な気持ちを飛ばして歩いた。
廊下を進み、右に曲がる。執務室とダナヒの自室がある方だ。
そこで、デオスの背中を見つけ、名前を呼んで小走りで近付いた。
「ああ、ヒジリ君。目を覚ましたんですね」
振り向いた後にデオスが言って来る。いつものように微笑みを湛えている。
「お蔭様で。ダナヒさんはどうですか?」
「ええ……まぁ……」
聞くと、デオスはそう言って、湛えていた微笑みを若干曇らせた。
まさかダナヒに何かがあったのか。
もしかして、傷が深かったのだろうか。
「それはそれとしてご苦労様でした。惨事は未然に防がれましたよ。
全てあなたの活躍のお蔭です」
「あ、いえ……そんな事は……」
……話が強引に変えられた気がする。
しかし、奴――アンティミノスのしもべはどうやら無事に倒せたらしい。
「それで、ダナヒさんは……?」
「うーん……それがちょっとですねぇ……」
改めて聞くと、言葉を濁す。
隠していると言うよりは、言い難そうな印象だ。
重傷なのか。それとも或いは……
いや、そんな事はありえない。ダナヒが簡単に死ぬ訳がない。
確信と言うより、願うような気持ちで、その考えを即座に否定した。
「まぁ、自分の目で見るのが一番でしょう。少し、ここで待っていて下さい」
デオスが言って歩き出し、執務室の手前の部屋へと入る。
そこはダナヒ個人の部屋で、執務中でも六割位は、そこで駄弁っている場所だった。
二分程が経ってドアが開けられる。「どうぞ」と言うのはデオスの声だ。
「失礼します」
一応言って中に入ると、まずは立っているデオスが見えた。
方向は右で、ソファーの横である。
ソファーの端からは脚が出ており、誰かが寝ている事が分かったが、こちらからでは分からないので、少し歩いて顔を向けてみた。
「なっ……」
直後は絶句。そして唖然。
嘘だろう。とすぐに思う。
だが、目の前に広がる光景は、そう思っても消えてはくれず、ようやくの思いで体を向けて、震える右手をゆっくり伸ばした。
そこにダナヒが眠って居たからだ。
ただし、普通の状態では無く、顔には白い布がかけられており、両手は胸の上で組まされている。
生きている者にこんな事はしない。生きて居ないからこんな事をしているのだ。
「ダナヒさん……」
信じられない気持ちで呼ぶも、当然言葉は返って来ない。
「ダナヒさん……!」
もう一度名前を呼んだ時には、ソファーの横で膝をついていた。
自分がもう少しうまくやって居れば、ダナヒはもしかしたら助かったかもしれない。
或いはもう少し早く動いて居れば、死ぬと言う事は無かったかもしれない。
ひたすらの後悔。繰り返す自責。
気付けば両目から涙が溢れ、口からは嗚咽が漏れ出していた。
友であり、師であり、上司でもあった。口は悪いが最高の人だった。
こんな事になるんだったら、もっと冗談に付き合ってやれば良かった。
「あー……悪ぃ……」
そう思っていると、頭に手を置かれ、俺は「ぴたり」と嗚咽を止めるのだ。
顔を上げるとダナヒが起きていた。
申し訳なさそうな顔で頬を掻いている。
「言ったでしょう。悪質すぎると……
これでヒジリ君がこの国から去っても、私は擁護しませんからね」
これはデオス。そう言った後にはため息を吐いて仕事を開始する。
ダナヒは生きていて、デオスは「悪質」と言う。
繋がる答えはたったの一つだ。
「ちょっとアレだ……からかってやろうかと思ってな。
すぐに起きるつもりだったんだが……」
要するに、死んだフリをして見せて、俺をからかって遊んで居た訳だ。
おそらくダナヒがしてきた中で、最高で最低のジョークと言える。
生きていた事は嬉しかったが、それ以上に怒りが込み上げて来る。
「良いっすか……一発だけ本気で殴っても……!?」
根に持たないとは約束できない。
だが、それをすれば今だけは許せる。
怒ったような、それでいて笑ったような顔をしていただろう、俺を見たダナヒは「お、おう」と言って、甘んじて罰を受け入れたのである。
「じゃあ行きますよ! 歯を食いしばって下さい!」
「こ、コイヤー!!?」
直後のパンチは左頬に命中。
ダナヒは奥歯を一本失い、それを教訓として今後は二度と、死んだフリをしない事を決めたのだった。
「それは殴られても仕方が無いわね。
あたしだったらずっと根に持つし、マトモに話をしなくなるわ」
その日の十五時頃。いつもの軽食店。
通りに面した窓際の席で、俺とカレルは話をしていた。
現在の話題は死んだフリの事で、カレルも俺には賛同的だった。
しかし、一方で実際に死にかけていた話をして、俺を「マジですか……?」と驚かせるのである。
ちなみにユートは話を聞かず、新作のバニラハルルに夢中になっている。
「ヤバいヤバい! バニラ味マジヤバい!」と、目の色を変えて食いついており、正直、それが苦手な俺は、そちらにも「マジですか……」と小さく聞くのだ。
「腎臓が一つ潰れてたのよ。医者に診て貰って分かったんだけどね。
いくら回復魔法とは言え、欠損した臓器は流石に治せない。
そうとは知らずに放置していたから、しばらくの間は苦しんでたわ。
最終的には摘出して貰って、大事には至らずに済んだと言う訳」
「そ、そうだったんですか……当たり所が悪かったんですね」
いや、むしろ良かったのか。
腎臓とは確か人の体に二つある臓器の名前のはずだ。
腎臓を売れ、なんて都市伝説で良く聞くが、一つを失っても何とかなるらしい。
心臓なんかに当たって居たら、取り換えが効かずに死んでいた訳だから、当たった場所が腎臓だったのは、ある意味で幸運と言って良いのだろう。
カレルもおそらくそう思うのか、「そうでも無いんじゃない?」とまずは一言。
その後に紅茶を一口飲んで、「結局あれは何だったのかしら」と続けた。
あれ、つまりアンティミノスのしもべの事だろうが、俺にも正直名前しか分からない。
だが、それすらもイサーベールとの約束があるので、話せないと言うのがもどしかしい。
「そういえば龍はどうなったんですか?」
そんな気持ちを誤魔化す為に龍のその後を聞いてみる。
すると、カレルは「龍……?」と言って、不思議そうな顔を見せて来るのだ。
言わずとも分かる。「何の事っすかね?」と、疑問している顔である。
「あ、いや。雨雲の中に居たんですけど……カレルさんは見て無かったんですね」
指差していたが見たのは雲だけか。
結論としてそう考えて、言った後に笑って見せる。
愛想笑いこそしなかったものの、カレルは「へぇ」と興味深そうに言っていた。
「(て事は、どこに行ったかは分からないのか……結局アレがそうだったのかな……)」
イサーベール曰くの助っ人。
確かに人とは言っていないが、流石にあれでは無いと思うのだが。
そう思いながらに外を見ると、通りでのちょっとしたやりとりが目に入る。
老人――七十歳くらいの男性なのだが、主婦らしき二人に話しかけているようで、話しかけられた二人の主婦が困惑した顔で対応している。
どうやら道を聞いているような感じだが、結局の所は慌てて手を振って、老人を残して逃げて行った。
アフレコするなら「分からない分からない! 違う人に聞いて!」と言ったような図で、残された老人は頭を掻いて「参ったなこりゃ」とでも言わん顔をしている。
「ちょっとスミマセン。すぐに戻りますんで」
見てしまった手前は無視もできず、カレルに言って外へと向かう。
「うぉーい! どこに行くのさヒジリぃー!」
食べて居れば良いのにユートがついてくる。口の周りがハルルまみれだったので、「拭けよ」と笑ってからドアを開けた。
通りに行くと老人はまだ居た。
髪の毛を撫でつつため息をついている。
改めて見ると髪は白色。青いローブを纏った老人で、一体それは何なのだろうか、右肩の上には拳大のひし形の何かが浮遊していた。
色は灰色で回転している。
「何で浮いてんの? ナニアレナニアレ?」
と、ユートがすぐに興奮し出すが、俺にも当然何かは分からない。
とりあえずの形で「あの……」と言うと、老人はこちらに振り向いて来た。
瞳の色は青色で、髪の毛と同色の髭を蓄えている。
牛乳瓶の蓋のような、金のレンズを左目だけにつけており、懐中時計の蓋を開けるような形で現在はそれを押し上げている。
主な服装は青いローブ。下には黄色の肌着が見える。
左手には一m程の杖を持っているが、歩行の補助の為では無いらしい。
おそらく百八十㎝はあるだろう高身長でも、老人が「ぴしり」と背を伸ばして居たからだ。
これは普通の人では無いな。直後はそう思い、反応を待つ。
すると、老人は軽く笑い出し、「いやはや」と言う言葉を繰り出して来たのだ。
「ワシの家はどこじゃったかな? 的な?」
人前なので注意は出来ず、心の中だけで「ダマレ」と呟く。
果たしてそれが伝わったのか、ユートはとりあえず静かになった。
老人は一頻り笑った後に、「助かった」とまずは一言。
その後に更に言葉を続け、助かった理由を俺に言った。
「言葉がまるで通じなくての。少しばかり困っておった。
実は人を探しておるのじゃが、協力して貰ってもええじゃろうかな?」
どうやら言葉が分からなかったらしい。故に、主婦達は逃げたのだろう。
気付けばカレルが店内から見ている。「なにやってんの?」と思っているのだ。
すぐに戻ると言った手前だが、困っている人を放置できない。
果たして伝わるかどうかは謎だが、とりあえずカレルには右手を見せた。
「ちょっと待ってて下さい」と言う、意味合いを含めたジェスチャーである。
それを見たカレルは顔を戻して、メニューを見た後に右手を挙げた。
多分、店員を呼んだのだろう。と言う事はきっと伝わったのだ。
「あっ、すみません。良いですよ。誰ですか?」
その後に素早く体を戻して、協力する旨を老人に伝えた。
「もしかしてデート中かな? 邪魔をしたなら申し訳ないが」
それには「いやいや」と即答をする。
どう見ても兄と妹か、或いは親戚の女の子だろ。
だが、それを言うとユート経由でカレルに言葉が伝わるかもしれず、その事による不興を恐れた俺はその後の言葉は続けなかった。
「実はこの人物を探しておるんじゃ。近くに居るとは思うのじゃがね」
懐を漁り、紙を出して来る。
いつか、どこかで見たような字だ。
そして渡され、それを見た時、俺は小さく「いぃ!?」と言うのだ。
「あれ? これってナエミと書いたセンセーをボシューするコーコクだよね?
て事はナニ? このお爺ちゃんはヒジリのガッコーに通いたいと言う訳?」
前半は正解。だが後半は違う。
その紙はユートが言ったように、俺とナエミが発した求人。
つまり、新しく作る学校の教師を募集した広告だったのだ。
上から真ん中までは内容と条件で、一番下には連絡先がある。
ヘール諸島中心首都。ダナヒの館。カタギリ・ヒジリ迄。
老人が教師をしたいのであれば、探しているのは俺と言う訳だ。
「えっと……教師希望……という事で良いんですか?」
「うん? まぁ、そうじゃな。知っておるのかね? その人物の居場所を?」
一応聞くと、そう言ったので、「ハハハ……」と苦笑いを作って見せる。
「俺です……俺がカタギリ・ヒジリです」
それから言うと、老人は「なんと」と言い、両目を少々大きくして見せた。
「これぞ天啓。数奇なる運命。
ワシの名前はジャック・ライバード。
ジャックでもライバードでもどちらでも構わんよ」
そして、自身の名前を名乗り、右手を差し出して来たのである。
「あ。よろしく……お願いします」
採用するかどうかは置いて、とりあえずの形で握手に応じる。
「っ……!」
微弱な電流が体に走った。静電気が体中に流れたような感じだ。
しかし、別段、大した事では無いので、苦笑いを作ってライバードの手を離した。
運命の出会いへの物理的な直感。
後になって思えばその感覚は、或いはそういう物だったのかもしれない。
タイトルですでにモロバレと言うね…




