孤児院での日々
「そうですか。それは大変でしたね……ここで会ったのも何かの縁。良ければゆっくりして行って下さい」
俺とユートは食堂に居た。
ハッキリ言ってかなり広い。
長いテーブルが三本もあり、それぞれに十五脚は椅子がついている。
その人、おそらく、この建物の主は、俺達をここに呼んで成り行きを聞いた。
そして、全てを聞いた後に、俺達の正面でそう言ったのだ。
「あの……一つ聞いても良いですか? えーと……」
「ああ、名前を言っていませんでしたね。
私はピシェト。ピシェト・ノールスです」
言葉を詰まらせて居る事に気付き、その人、ピシェトが名前を名乗る。
そう言えばこちらもまだだと思い、俺とユートがそれぞれ名乗った。
「ミスターヒジリにミス・ユートですか。お二人とも素敵なお名前ですね」
ピシェトが言って「にこり」と笑う。
顔だけを見ると本当に美形だ。別に照れた訳では無いが、「いや……」と、少し謙遜した後に、俺は一つの異常に気付く。
「えっ……!? ユートの声が聞こえるんですか!?」
そう、ユートが見えて居る事。
ラーク王国――今はその名の国は無いが、あの国に居た時にはユートの存在は、誰にも気付いて貰えなかった。
良くて独り言。悪ければ危ない奴扱いをされてしまい、それをネタに笑われた事は両手の指では収まらない程だ。
それなのにこの人。
ピシェトと言う人は、ユートの声が聞こえるばかりか、どうやら姿も見えているようで、俺の肩へと視線を向けて、「それが何か?」と言ってくるのだ。
「い、いえ……別に……」
「まさか」と思って肩を見てみる。だが、そこには妖精は無く、近くにも居ると言う気配も無い。
或いはレナスや俺と同様、マジェスティかと思ったが違うようだ。
「(見える人も居るのか……? いや、聞こえるだけ……?)」
思っていると、「それで質問とは?」と、ピシェトが俺に聞いて来た。
「あ、はい……」
そう言ってから思い出し、聞こうとした言葉を彼にぶつける。
つまり、それは「治してくれたんですか……?」と言う、腕に対する疑問であり、数時間、もしくは数十時間前まで、折れていた物が治っていた為に、不思議に感じての質問だった。
「そうなるのでしょう。五割くらいですけどね。残りはあなたの回復力ですよ。凄まじい力をお持ちのようですね」
返された言葉がそれだったので、両手を見ながら「本当に……?」と呟く。
「ええ、本当ですよ」
ピシェトがにこりと笑った事で、俺はようやく真実として受け入れた。
自身の回復力。それにも驚くが、治してくれた手段が少し気になる。
順当に考えるなら神父なのだから、何らかの魔法を使ったのだろうか。
だが、この世界の一般人は殆ど魔法が使えないらしいので、ああいう状態の時にピシェトと会えたのは、俺にとっては幸運だったのだろう。
「あ、ありがとうございました……それとあの、も、もう一つ聞いても良いですか?」
腕を下ろしてまずは礼を言う。まだ行って居ない事に気付いたからだ。
その上で腕を下ろして落ち着き、周囲を見ながら答えを待った。
「どうぞ」
すぐにもピシェトの答えが返る。
得られた情報は「広いな」という物だけ。全く把握が出来なかったので、「ここはどこですか?」と結局聞いてみた。
「大陸の西、キーロスという地です。
内紛続きで王が不在。有力な領主が好き勝手をやっている、少々困ったお土地柄ですね」
直後の答えはそれである。言葉はまだ続くようだ。
「ですが、月ごとの納税が無いので、どうにかうまくやっていますよ。
食糧も、水も手に入れにくいと言う、過酷な環境ではありますけどね」
ピシェトが笑うがどう言って良いのか分からない。
「そうですか」は他人事すぎるし、「ですよねー」では知ったかである。
結果として俺は何も言えず、若干ながら顔を俯けた。
「パパー!」
そこへ、一人の子供が現れる。
「パパー!!」
続けて更に一人が現れ、連鎖するようにして数人が登場。
それはあっという間に十数人になり、食堂は一気に賑やかになった。
子供の年齢は平均で五~六才。
中には十才位の子も居る。
性別は男女織り交ざっていて、人種なんかもバラバラである。
そのせいか、言葉の分からない子も居たが、そこは顔には出さないようにしておいた。
「パパー! この人新しい仲間ー? 僕達と同じキョウグーの人?」
「いや、この人達は違うんだよ。でも、仲間ではあるのかもしれないね」
男の子が聞いて、ピシェトが答える。
五才位の金髪の少年だ。
「あ、これは失礼をしました」
見ている事に気付いたのだろう、ピシェトはその子を膝に乗せて、俺達の方に顔を向けた。
「この子達は私の子供です。血は繋がっていませんけどね。所謂、孤児、というものでしょうか」
それには「はぁ……」と言葉を返す。
興味が無いという訳では無く、純粋に「凄い」と思ったからだ。
一方の男の子は興味が失せたのか、ピシェトの腕から逃れた後に、他の子供と走り去った。
「ははは……全く」
それを見たピシェトが楽しそうに微笑む。完璧に親の顔である。
親父と母さんのそんな顔を小さい時には何度も見たが、中学に入った位からは、そんな顔をあまり見なくなった気がする。
「そういう訳で、ここには沢山の子供達が住んでいます。こんな所で良かったら、どうぞゆっくりして行って下さい」
まぁ、それは素行の為だな、と、両親の事に決着を付け、何かをする為に動き出したピシェトに「あの」と言って引き止めた。
そして立ち上がり、頭を下げる。
「助けてくれてありがとうございました……! あのままだったら俺は多分、死んでいたと思います……」
正直、生きようとは思ってなかったが、助けられた事は真実である。
きちんとした礼が言えないようでは、それこそ両親に申し訳が無い。
それを聞いたピシェトは「いえいえ」と、俺の正面でまずは一言。
「彼女が助けを求めに来なければ、私はあなたに気付けなかった。
お礼なら彼女に言ってあげてください」
その後にお礼を言うべき相手が、ユートである事を示したのである。
顔を上げるとピシェトはすでに、背中を見せて歩き出していた。
「あ、ありがとうユート……助かったよ……」
少々照れるが仕方が無いので、左肩に居るユートにそう言った。
「い、良いよ別にぃ……」
ユートも照れたのか、モジモジしている。お礼を言われるのは慣れてないらしい。その辺は俺と同じだと思い、自嘲気味に笑って顔を逸らした。
でも、助かって良かったのか。
助かって一体何をするのか。
誰も居なくなった食堂を見ながら、俺は一人で考えていた。
「良い機会ですから戦って見ませんか?」
そんな事をピシェトに言われたのは、それから三日が経った時の事だった。
場所は食堂で、数十人の子供達と、朝食を一緒に摂っていた時の事だ。
「ちょ、ちょっと意味が分からないんですが……」
苦笑いでそう答えると、「そのままの意味ですよ」と、ピシェトは言った。
そして、ゆっくりと食事を終えて、口を拭いて立ち上がり、
「では、庭でお待ちしています」
と、言い残して食堂から去って行くのだ。
残された俺はパンを右手に「ええー……」と困惑していたと思う。
戦う理由が無いのもそうだが、なぜ、そんな事がしたいのかと言う動機の部分も分からなかったからだ。
ピシェトが騎士ならまぁ分かる。強くなる為の訓練等として。
だが、基本神父のピシェトに戦う理由などあるのだろうか。
疑問はしたが、お世話になっている以上は、それを無視する訳には行かず、その為に俺は食事を終えて、子供達と共に庭へと向かう。
ドアを開けて外に出ると、眩しい青空が広がっていた。
ピシェトは俺から見るなら左手。
こちらに右側面を向ける形で、目の前に広がる荒野を見ていた。
手前に広がる小さな畑は、子供達と一緒に作った物らしく、俺達の世界で言うジャガイモのツルのようなものが、地面の中から伸びて来ている。
その背後には子供達の家。つまり、孤児院が存在しており、「ガンバッテネー」と言ったユートが、屋根の上を目指して飛んだ。
「さて、お得意な武器はなんですか?」
顔を向けてピシェトが言った。
「一応、槍、なんですけど……」
生憎、それを持っては居ないので、微妙な表情で俺が答える。
「では、それを使って下さい」
言葉と共に右手を伸ばすと、俺の目の前に何かが現れた。
「なっ!?」
それは白く輝く槍だった。
それにはまずは驚いてから、浮遊する槍をゆっくりと掴む。
重さとしては五キロ程か。材質は不明だがやけに軽い。
「私はこれを使わせて貰いましょう」
一方のピシェトの武器はと言うと、土を掘り返すショベルと言う物。
鉄製のごくごく普通のショベルで、左手に持って正面に構える。
「(一体この人は何者なんだ……)」
そう思いながら腰を下げ、切っ先を斜め下に開始を待った。
「それでは行きますよ!」
戦いが始まり、ピシェトが飛んでくる。
お互いの一撃目が中央で重なり、「ガアン!」と言う鈍い音が辺りに響く。
二撃目がピシェトの脇をかすめ、ショベルが「ぶん」と頭上を過ぎる。
すかさず繰り出した三撃目は、仰け反る事で回避され、カウンターで放たれた叩きつけを、両手を使って槍で防いだ。
その後の応酬も殆ど互角。
ただし、スタミナの点に於いて、ピシェトの方が優勢である。
「いやはや! なかなかやりますね! 少々時間を頂けますか」
距離を取ってそう言って、ピシェトが畑の中へと向かう。
そして、木の柵を乗り越えた後に、そこに転がっていたショベルを持った。
「二刀なんですか!?」
驚き言うと「ええ」と言う。
「にこり」と笑った後には飛んで、頭上から俺に襲い掛かった。
「くっ!?」
受け止めるのは無理だと思い、地面を蹴って後方に飛ぶ。
立っていた場所の地面が窪み、舞い上がった土煙が視界を妨げた。
「(なんなんだ!? 殆どバケモノじゃないか!?)」
思っていると、飛び出して来て、二本のショベルで猛攻を繰り出す。
なんとか防いで後退していると、建物の壁に背中をぶつけた。
「があっ!?」
苦痛の声を発した直後、ピシェトの猛攻が「ぴたり」と止まる。
「ありがとうございました。良い汗をかけましたよ」
それから左手に二本を持って、笑顔で右手を差し出して来た。
「(マジェスティでも無いのになんて人だ……)」
そう思いながら右手を伸ばし、「いえ……」と言って手を握る。
どうやら満足してくれたのか、力強い握手でピシェトは応えた。
「パパすごーい!」
「パパつえええ!!」
油断をしていた事もあるが、形の上では完敗である。子供達の声に苦笑いをして、俺は建物から背中を離した。
『勝負に負けて笑って居る奴は、ここぞと言う勝負では絶対に負ける。
勝ちたければ負けても笑うな。悔しさを糧に精進をしろ』
そんな事を爺ちゃんが言っていたが、ここはもう、笑うしか無かった。
まぁ、勝負じゃないんだから良いだろ。
そう思っていると槍が消え、俺の左手は空を掴んだ。
「これからも時折、お願い出来ますか?」
「あ、はい……俺で良ければ……」
ピシェトは命の恩人である。「嫌です」なんて事はとても言えない。
実際、そんなに嫌では無いし、こんな事で喜んでくれるなら、断る理由は特に無いだろう。
「ありがとうございます」とお礼を言われたので、俺は「とんでもない」と微笑みを返した。
その日の夜に夢を見た。セフィアが助けを求めている夢だ。
でも、俺には何も出来ず、セフィアは縄に吊るされる。
そして、体を「ビクビク」と痙攣させ、俺の目の前で死んで行くのだ。
目が覚めた時には俺は泣いていて、体を小刻みに震わせていた。
セフィアは死んで、奈恵美も死んだ。なのに俺は生きている。
元の世界に帰ると言う、目的ももはや薄れてしまった。
「俺だけが生きる意味……か……」
分からず呟き、体を起こす。
それからゆっくりと着替えを終えて、ユートと共に食堂に向かった。
「孤児院か教会かと聞かれると、どちらかというと孤児院なのでしょう。
称える神は存在しますが、信者は私以外に居ませんからね」
それは、向かい合って食事をしていた際の、ユートへのピシェトの回答だった。
質問内容は、
「ここって孤児院なの? それともキョーカイって奴?」
というもの。
聞かれたピシェトは食事を止めて、そう答えてくれたのである。
「そうだ。良ければミスターヒジリ、私の神を信仰しませんか?
何、別に難しい事では無く、名前を書いてくれるだけで構わないのです」
眺めていると、ピシェトは唐突に俺に話を振って来た。
「え、ええ!? しゅ、宗教ですか……!?」
驚き、難色を示して見せると、「いえいえ、そんな大層なものでは」と言う。
俺は宗教は好きでもないし、同時に嫌いという訳でも無い。
でも、興味が無いものに入信させられるのは、正直ちょっと勘弁だった。
「まぁ、強制はいけませんね。私としてはあなたには、出来れば同志になって欲しかったのですが……」
残念そうにそう言って、ピシェトが食事を再開させる。
間違った事はしていないつもりだが、なんだか悪い事を言ったような気がした。
「(シンコーしてあげれば? 悪い人じゃないよ?)」
ユートが小声で言って来る。悪い人じゃないのは十分承知だ。
だが、無宗教の俺にとって、入信というのは少々重い。
宗教=よろしくないもの。と言う、妙な先入観があるのかもしれない。
しかし、実際、お世話になっているし、折れた腕も治して貰った。
生活には何ら貢献していないのに、こうして毎日食事までさせてくれる。
そこには引け目も恩もあるし、特に何かをしないで良いなら、受けてあげても良いのかもしれない。
「……わかりました。良く分かりませんけど、ピシェトさんの神様を信仰しますよ」
考えを改めてそう言うと、ピシェトは「おぉ!」と喜んだ。
「何、難しい事は本当に無いのです。ただ、名前を書いて下されば……
あぁ、今、紙を持ってきますね!」
そして、口早にそう言って、食事をそのままにして走って行くのだ。
「よっぽど嬉しかったんだね」
「ああ……」
呆れたようにユートが言って、苦笑いをして俺が言う。
ピシェトはそれから二分後には戻り、紙の一ヶ所に俺の名前を書かせた。
一応、警戒してみたが、借金やら保証人やらの類では無く、純粋に「女神メルシエルを信仰します」と書かれた紙だった。
「いやぁ、良かった。これで少し未来が見えました。後は私達の頑張り次第ですね!」
そんな事を言われた為に、「ひ、広げませんよ?」と一応言って置く。
聞いたピシェトは「あ、あぁそうですか……」と、ちょっぴり残念そうではあった。
「いや、しかし良かった。一人と二人では大違いですから」
「(まぁ、喜んでくれたなら良いか……)」
嬉しそうなピシェトを目にして、俺はそう思ってスープをすすった。
実は二つ折りになってまして、裏には借金の借用書が…(嘘)