レナスの黒歴史
所謂、色恋沙汰と言う物は、私には昔から無縁なものだった。
騎士の家に生まれ、一人娘だった私には、家名を存続する義務があり、日々、剣の道に打ち込んでいた為に、うつつを抜かす暇が無かった。
それでも一度、父上の付き合いでデートと言う物をさせられた事がある。
だが、これがまたヒドイ結果で、例のメニューの人には見せられないページに記載される程のモノとなったのである。
相手は確かスード家の次男か三男だったはずで、行く行くは私の家の婿として、期待をされていた男であった。
お互いの年齢はその時十七。名前は確かケンニッヒと言ったか。
向かった場所は郊外にある、森に包まれた湖だった。
移動手段はお互いに馬で、流石に鎧は身に付けてはいない。
しかし、念の為に剣を持ってきた事が、相手の動揺を誘ったようで、私がそれを無視した事により、空気は一気に悪くなったのだ。
「(私のせいか…? いやしかし、騎士にとって剣は命。
こちらからするなら持って居ない奴の方が、どうかしていると思わざるをえんが……)」
その頃の私は考え方が幼く、空気が悪いのは分かった上で、そう考えて相手を睨んだ。
「もしかして……何か嫌な事でもあった……?」
ケンニッヒはそう言って、睨まれた理由を探って来たが、私は「いや」と返しただけで口を閉ざしてしまったのである。
現在ならばまことに遺憾だが、当時の私は本当に子供で、確か、
「(面倒だな、早く帰って稽古がしたい……)」
等と思って、適当に馬を操っていたと思う。
それでもケンニッヒがその点では大人で、色々と質問をしてきた為に、それに短く答えながらに森の中の湖に着いたのだ。
目の前に広がるは花畑の絨毯。
そして、その先には輝く湖面。
周囲には緑の森が広がり、遙か彼方には山が見えた。
「これは素晴らしい光景だな……」
そこは私も女であるので、景色に感動してそう呟き、馬から下りて花畑に入って、周囲を見ながら湖に近付いた。
「僕もここには初めて来たけど、確かに素敵な景色だね。
多分、君がそこに居るせいかな? この景色が素敵だと思うのは」
馬から下りてケンニッヒが言い、その言葉に私が足を止める。
普通であれば嬉しいだとか、或いはときめきを感じるのだろうが、私がこの時感じたものは、
「(こいつは何を言っているんだ……?)」
という、ケンニッヒの言動を疑ったものだった。
誤解の無いように言って置きたいが、ケンニッヒはあくまで普通の顔で、外見もまぁ、良いのだろうが、私の好みではありえなかった。
というか、私は外見よりも、中身を重視する傾向にあり、良くは知らない相手の事を評価する事は出来なかったのだ。
それは今もあまり変わらず、口だけの男は信用すらしない。
無言で、黙々と仕事をする男を最大限に信用し、口には出すが、結果を残す男をその次に信用すると言うような感じだ。
話がズレたが、要はこの時点ではケンニッヒは評価の対象にすらなりえず、故に普通の女であれば喜ぶだろうその言葉でも、私の心は微動だにしなかったのだ。
「この花畑で一番美しいのは、どの花でも無いキミだよレナス。
煌めく髪、整った目鼻、そして、脇から腰にかけての全く無駄が無い流れるような曲線。全てが神の生み出した芸術だ」
「ううっ……」
それどころか何やら寒気すら感じ、私は両手で肩を押さえ、奴の妄言から逃れる為にその場から一歩を後ずさった。
「オイオーイ! 見せつけてくれるじゃねぇか? お花畑でランランルーってかぁ!?」
「おぢさん達も混ぜてくれるかニャアアア!?」
直後の声は右からのモノで、三人の男が森から出て来た。
見る限りでは山賊のようで、腰には大きなナタを下げている。
何が目的で居たかは謎だが、どうやら私達が気に食わないらしく、三人で「にたにた」と笑いながらこちらの方へと近付いて来た。
「(どうする……勝てない相手では無いが……)」
思っていると、ケンニッヒが歩み出て、奴らの前に立ちはだかった。
まさかやるのか、と見直しかけると、
「僕はスード・ケンニッヒ! 栄光あるスード家に名を連ねる者だ!
それでもやるのか!? やるって言うのか?!
父さんや兄さんが黙ってないぞ!?」
と言い、私の額に右手を当てさせ、山賊達からは笑われるのだ。
まさか家名で相手を脅すとは、思ってもみない行動である。
「父さんや兄さんが黙ってないぞ!? だと!!
知るかよクソガキがぁ! 豆でも食ってろ!」
「ヒイイイイッ!?」
山賊達がナタを持ち、それを片手にケンニッヒを脅かす。
ケンニッヒは腰が抜けたかの如くに、後ずさった後に花畑に尻をついた。
「……もう良い。私がやる」
やむを得ないので前に出て、腰に下げていた剣を抜く。
山賊達はこれにも笑ったが、結果としては私の圧勝。
ドレスの腰辺りを少々切られたが、体自体には傷は無かった。
「な、なんだこの女はぁ?!」
「に、逃げろぉぉ!!」
重傷を負った一人を引き摺り、山賊達が森へと逃げて行く。
「す、凄いねレナス……本当に強いんだ……!」
輝く瞳でそう言われたが、私にとってはそれすら嫌悪で、一応、父に言い訳する為にケンニッヒに黙って剣を差し出した。
「こ、これは……?」
「今後も許嫁を名乗りたいのなら、私と勝負して勝って貰う。それが出来ないなら今日でさよならだ」
当然の疑問に答えてやると、ケンニッヒは無言で口の端を動かし、少ししてからようやくに「無理でしょ……」と、ひねり出すような小声で言った。
「無理でも何でもやって貰う。私より強い事。最低限の条件だ」
私はと言うと木の枝を拾い、それを片手にケンニッヒに向かう。
木の枝と剣。この時点でも相当のハンデを与えたつもりだ。
「かすり傷でも良い。傷一つでも作れたらそちらの勝ちにしてやっても良い。さぁ抜け! 男ならかかって来い!」
そして、更に条件を緩和して、ケンニッヒのやる気を奮い立たせた。
「く、くそっ、どうなっても知らないからな!!」
それでようやくやる気になったか、ケンニッヒが渡した剣を抜く。
傷でもつけられるならむしろ本望。そんな男なら付いて行ってやる。
「うわああああ!!」
そう思ったが、何も考えず、剣を上段に直進して来る。
力量を見る為に攻撃はせず、敢えて、二度、三度とかわしたが、やはりは素人だと判断をして枝を頭に叩きつけた。
「ハギャアア!?」
乾いた音が鳴り響き、ケンニッヒはそれで剣を落とした。そして、花畑の上を転がり、頭を押さえてのたうち回るのだ。
「そんなに強く叩いて居ないが……」
余りに脆い。脆すぎる。こんなのと付き合うのは不可能である。
呆れた顔でその様を見守り、自分の剣を屈んで拾った。
「ともあれ、これで関係は解消だ。気分転換にはなった。礼を言う」
剣を収めて立ち去りかけると、ケンニッヒが「いやだぁああ!!」とまとわりついて来た。
意外に早い。
油断をしていた事もあるが、ナイフでも持って居たら危なかった。
そこの部分は評価して、抜き身の剣を鞘に収める。
「ええい! 離せ! 見苦しいぞ!」
「見苦しくても良い! 叩きのめされても良い!
僕はレナス! 君の強さと、君の美しさに心底参ってしまったんだ!
だから頼む! 会うだけでも! 今後会うだけでも認めてくれよ!」
その上で押し退けようと試みるも、ケンニッヒは今までに無く力強い。
言葉の内容に動揺した事もあり、私は一瞬両手を止めた。
「行かないでくれレナスー!!」
直後に何かが破れる音がした。
「……??」
下を見ると、私のドレスの腰から下が無くなっていた。
賊との戦いで切れ目が入った事が、破れやすくなっていた原因らしい。
「あれ……これは……?」
四つん這いになったケンニッヒが破れたドレスを両手に呟く。
「き……き……」
私はそこで状況に気が付き、顔色を変えてまずはそう言った。
「貴様は死ねぇぇぇぇぇ!!」
出てきた言葉は「キャー」では無くて、ケンニッヒを驚かすそんな言葉。
「キャアアアアー!!?」
むしろケンニッヒが悲鳴を上げて、私の拳を両手で防いだ。
花畑の中で下半身を露出。
今でも耐えきれる自信は無いが、当時の私は死ぬほど恥ずかしく、真っ赤な顔と剥き出した目で、ひたすらケンニッヒを殴り続けた。
それが、黒歴史に載っている顔であり、私の唯一の男性との交際。
ちなみにケンニッヒは生きてはいたが、後日にあちらから関係を解消され、
「ヒドイものだ……男女交際等面倒なだけか……」
と言う印象をその時に私は抱いたのである。
以来は男女交際無しで、あの日を迎えて私は死んだ。
マジェスティになってからもそういう事は一度も無いが、私自身は気にして居ない。
「(しかし、妙な事を思い出したな……)」
なぜ、このタイミングでそんな事を思い出したのか。
自分の思考の不明瞭さに呆れ、馬上で大きなため息を吐いた。
よくよく考えたらただの事故なので、ケンニッヒはあまり悪く無かったりします。
内容自体は変えてませんが、加筆と修正を行いました。(1~10話)
登場人物への印象が変わるかもなので、お時間がある方は良ければどうぞ。
それではまた木曜日に~




