亡命貴族のミール公爵
朝食の席にはダナヒは居なかった。
早い時間に館を出発し、出航の準備に向かったらしい。
食堂に居るのは俺とユート、そしてナエミの三人で、時折、皿の片付けをしてくれるメイドさんが出入りしているだけだった。
「って訳で五日ほど留守にするから、何かあったらデオスさんに言ってくれ。それとあれ、修行だっけ? どこに行くのかも帰ったら教えろよ?」
「分かってる分かってる。気を付けて行って来てね」
理由を話すとナエミはそう言って、右手のフォークでハムを刺した。
それからキュウリの輪切りのようなモノを刺し、二つをまとめて口に入れる。
「うん。イケる。酢漬けにしたらハンバーガーも作れそう」
そんな事を一人で言うので、「人には勧めるなよ……」と忠告をする。
一人で楽しむなら問題無いが、あちらの文化を広げる事には規制がかかっていたからである。
「なんで?」
「いや、だって……」
聞かれた為に言いかけて、途中で気付いて口を噤む。
俺達マジェスティは説明書を読んでおり、評価システムの存在を知っている。
それによって元の文化を広めてはいけない事を意識しているが、マジェスティでは無いナエミには或いは関係が無いのかもしれない。
「あー……うん、何でもない。でも今は自分だけにしとけ。
今度俺が聞いてくるから」
しかし、もしもそうで無ければ、ナエミが突然消されるかもしれず、それを恐れた俺はそう言い、食事を終えて立ち上がるのだ。
「んー……ちょっと意味不明だけど……」
ナエミは直後は疑問したが、少ししてからそれを払拭。
「……ま、いっか。とにかく気を付けてね。ダナヒさんが居るなら大丈夫だと思うけど」
と、立ち上がった俺に右手を振って、にこやかな顔でそう言ってくる。
「そっちも気を付けろよ。一人であまりウロウロするな?
もし、どこかに行きたいのなら、俺が帰ってからにしろよ?」
「子供扱いはやめてくださいー」
舌を出された。好意で言っているのに。
親の立場とはこういう物かもしれず、「うるせえクソ親父!」と言われないだけマシだと考えて苦笑して動いた。
「ヒジリとナエミってケッコンするの?」
「ぶっ!?」
廊下に出るなりユートに言われ、突然の言葉に思わず噴き出す。
「な、なんで……?」
と、辛うじて質問すると、「仲が良いから?」とユートは言った。
「そんな事で結婚するなら俺とお前だってしちゃうじゃないか……
そういうもんじゃないんだよそれは」
「ふーん……」
このままずううううっと居るのであれば、もしかしたら、と言う事もある。
それは俺個人の想いで、ナエミの考えは当然分からない。
だが、現状ではそんな気は更々無いので、そこは素直にユートに伝えた。
聞いたユートは鼻を鳴らして、肩から目の前に移動する。
「じゃあしようよ! ボクとケッコン! ヒジリとだったらしても良いよ!」
それから笑顔でそう言ったので、俺は再び噴き出すのである。
逆プロポーズの破壊力は大きい。て事はアレも、アレもしても良いのか? なんて、小さなユートにすらも思う。
「か、からかうのはやめろよ……っていうか、するにしたって大きさとかで無理だろ」
「あれれ? そういうモノなんだ? ケッコンには大きさがカンケーするんだ? じゃあヒジリとはケッコン出来ないのかー……」
だが、分からずに言った物だと気付き、冗談と受け取って流して置いた。
傍目には凹んだ様子であったが、俺はそれには構わないようにする。
大きさが違っても結婚出来るよ。
なんて、慰めてやるのは恥ずかしいし、慰めたとして「ホンキにしたの?」と、かわされてしまったらトラウマものだ。
それ故に本心は気になるものの、忘れる努力をして部屋へと向かい、適当に準備を整えた後に、出発に備えて休むのである。
ゴートゥ・ヘル号は移動に特化した、中型くらいの帆船だった。
通常の帆船は帆が四角――というか、正面から見て横になっているが、この船の帆は正面から見て、全てが縦になっていた。
「(変わった船だな……)」
と、思いはしたが、知識が無いので意味は分からず、とりあえずの形で船に乗り込み、作業を傍目に内部を見回した。
まず目に映るのは二本のマスト。かけられている帆は全て紺色だ。
それから見えたのは八門の大砲で、これは背後にも同数あって、十六門あるのが確認できた。
「(大砲とかあるんだ……ってそりゃそうか、カレルさんなんてマシンガン持ってるしな)」
物珍しさで触れていると、ダナヒが「おい」と姿を現す。
それに対して「ヒイッ!?」と驚くと、「何やってんだ……」とダナヒは呆れた。
「オメェはこっちだ。丁度良いから、船の動かし方を教えてやるよ」
「珍しかったんで」と言おうとすると、続けて言って腕を掴まれる。
掴まれた俺は困惑したが、ユートは「ヤッタね!」と嬉しそうだった。
そこからは殆ど強制的に、海賊育成コースに進み、海の事を知らない俺にダナヒは色々と叩きこんで来た。
ハッキリ言って言われた事の、二割位しか覚えて無いが、「よし、じゃあこの船の帆は?」と、復習の意味で聞かれた際に。
「えーと……じゅ、縦帆でしたっけ……?」
と、おぼろげな記憶で回答すると、ダナヒは「そうだぁ!」と大喜びして、俺の脇を叩いて来たのだ。
それは宛らお手を覚えた小さな犬を褒めるようなもので、ついには頭まで撫でられてしまって、「まさにそれだな」と俺は思う。
「ちなみに向かい風で推進力を得やすい。
逆は横帆で、こいつの場合は、追い風の場合に推進力を得やすいな。
ヨゼル王国の沿岸は、今の時期は向かい風になりやすい。
だからこの船を選んだ訳だ。ついでにそれもよく覚えとけ」
「あ……はい……横帆、横帆ですね」
そうは言ったがすぐにも混ざり、何が何やら分からなくなる。
もう一度聞かれたらアウトであったが、幸いにもダナヒは聞いては来なかった。
間違っていたらどうなったのか。子犬にするが如くお尻ぺんぺんか?
「よし! そろそろ出航だ! 野郎共、錨を上げろ!!」
「オーーゥ!!」
そう思っているとダナヒが叫び、水夫が応えて声を上げた。
錨へ続く荒縄を持ち、数人がかりでそれを引き上げる。
「来い、舵も握らせてやる。なぁに慣れりゃあ楽勝さ。
下についてるモンを握るよりな」
それを尻目にダナヒが動くので、とりあえずの形で「えーっと……」と返した。
「下についてるモン? 下についてるモンって何???」
ユートのそれには「さぁ……?」と言い、素知らぬ顔で歩き出す。
「若干右曲りのアレだよ」なんて、口が裂けても言える事では無い。
「何で隠すのー? 教えてよー!」
知っている事がばれたようだが、それでも無視してダナヒの背を追う。
下唇を噛んでダナヒを見るのは、「要らん事を言ってくれた」と思うが故だった。
目的地に到着したのは、それから二日後の夕方の事だった。
人里離れた浜辺がそれで、そこには人が十人程居り、こちらに気付くと腰を上げ、松明を使って何かをして見せた。
「知らされていた通りの合図です。ミール公で間違いねぇかと」
「ああ。悪ぃが頼むわ……念の為にヒジリを連れてけ」
それを目にした水夫が言って、言われたダナヒが俺を指さす。
どうやらかなり酔っている(船に)ようなので、同情心から黙って従った。
小舟に乗って浜辺に行くと、一人の男に「遅いぞ!」と怒鳴られる。
見た目の年齢は五十前後。
服装はこの場に相応しくは無く、かなり派手だと言って良い。
態度と立ち位置。それに服。
それらを総合するのであれば、この人物が亡命を希望するヨゼル王国の貴族だと考えられた。
「遅れてしまってすみません」
小舟の中から一応謝ると、男は「まぁ良い……」と一言言った。
それから後ろの兵士に振り返り、「もう良いぞ。ご苦労だった」と言い、重みのある袋を渡したのである。
おそらく金か。或いは財宝。警護の必要が無くなった為に、護衛を帰してしまったのだろう。
残った者は男と男女と、後は一人のメイドだけ。
「(横に居るのは奥さんと息子さんかな……)」
紹介をされた訳では無いが、衣服のセンスや雰囲気等々、それらが猛烈に似ている事から、男女は妻子だと勝手に察した。
メイドの方は何なのだろう。表情が非常に暗い気がするが。
「さぁ行くぞ」
そんな疑問に答えてくれず、男が言って小舟に乗り出した。
妻子と思われる男女も続き、しかめっ面で近寄って来た。
「ちょっと! 手くらい貸したらどうなの!?」
男の妻らしき女に言われ、「すみません……」と謝って右手を伸ばす。
妻らしき女は黙ってそれを引き、「あーもう!」と言いながら船に乗って来た。
更年期障害か。いや、流石に早いな。
しかしながら怒りっぽいようで、現状ではしかめっ面しか目にしていない。
「あんな船で大丈夫なの? 随分と甲板が低いようだけど……」
「無事に届けてくれるんだろうな? 俺達の価値を分かってるよな?」
今度は文句だ。妻が言って、息子と思われる男が続く。
「大丈夫ですよ! 俺達に全て任せてくだせぇ!」
それを聞いた水夫の一人が精一杯の笑顔を見せたが、二人はそれを無視した挙句、汚いものを見るような目で、「ちらり」と一瞥しただけだった。
感じが悪い。水夫も思っただろう。基本は海賊連中なので、ダナヒの賓客で無かったならば、簀巻きにして海に放り込んだかもしれない。
「おい! 早く乗れ!」
これは最後に乗った男で、向かっている先は浜辺のメイド。
言われたメイドは「えっ?!」と言い、驚いた顔で男を見つめた。
見た目の年齢は二十前後。
大人しい印象の女性である。
髪は薄い金髪で、顔には眼鏡を付けており、頭には白のカチューシャをつけ、黒いメイド服を身に纏っていた。
年上だろうが素直に可愛い。眼鏡補正があるのかもしれないが。
「私が安全な場所に着くまで! 約束ではそうなっていただろうが!
ここが安全な場所だと思うか! 分かったら乗れ! 早くしろ!」
「ひっ……!」
男に怒鳴られてメイドは恐怖し、その後に仕方なく小舟に乗って来た。
何やら複雑な理由がありそうだが、聞くにしてもここでは聞けない。
「なんかコイツムカツクー!」
ユートの意見に心で同意し、苛立ちを我慢して船へと戻った。
「おぉー! これは海王陛下! まさか自らのお出迎えとは、流石に恐縮してしまいますぞ!」
船に戻るなり男は言って、満面の笑顔でダナヒに近付いた。
先程までの不平はどこへやら。男の家族も皆笑顔だ。
「あぁ……悪ぃが近付かねぇでくれ……
あんたにゲロっちまうかもしれねぇからよ……
まぁ、約束はきっちり果たす。安全な場所には連れて行くさ……
その辺で適当にくつろいでてくれや」
「あ、は、はぁ……」
が、それを拒否された為に、顔色を変えて何歩か後退。
「で、では適当にくつろがせて頂きます」
と言い、家族と共に歩き出した。
「サーヤ! お前も来るんだよ!!」
「は、はい! 只今!」
名前を呼ばれたメイド――サーヤが、小走りで男の元へと向かう。
「あんたは本当にノロマなドンガメねぇ!!」
と、男の妻に理不尽に叱られて「すみません!!」とすぐに謝っていた。
胸糞が悪いとはこの事だろうか。ストレスのはけ口にされて居るらしい。
助けてあげたいが事情が分からないし、何より口出しして良いのかが分からない。
「なんだありゃあ……?」
「さぁ……何か事情があるみたいですね」
ダナヒに聞かれたのでそう言って、国王権限の解決を期待した。
「うぉ! 来た! ヤベェ!?」
が、ダナヒは口を押えて、手すりに走って嘔吐を開始。
サーヤの事等に構っていられないグロッキーモードへの突入を開始する。
「(目に余るようなら何とかするべきかな……)」
その対象はダナヒでは無く、船室に消えた家族とサーヤで、隙を見つけて事情を聞こうと密かに決めたのはこの時の事だった。
その日の夜中。おそらく三時頃。
俺達はヨゼル王国内にある、とある港街に侵入していた。
その目的は私財の回収で、本来の予定にそれは無い。
しかし、依頼人の貴族――
ミール公爵が、どうしても回収してくれと言うので、やむを得ずに予定を変更して、密かに寄港をした訳だった。
港の中には漁船の他に軍船が一隻停泊しており、沖にも二隻の軍船が居て、港への出入りを監視している。
俺達の船はそんな中をなんとか入港したのであるが、続く私財の積み込みには、正直、それ以上に手こずっていた。
「ああ! それは駄目だ! 直に置かんでくれ!
その持ち方は何だ!? 指紋がつくだろう!
その絵がいくらすると思ってるんだ! 本来ならばお前達のような者は、触る事すら出来んものなんだぞ!!」
理由は一つ。ミール公爵がやたらと指図をするからである。
彼にしてみればそれは財産で、大事にしたいという気持ちは分かる。
だが、こちらにしてみれば、一刻も早く終了させたい余計な作業と言う他に無く、そこに文句を言われる事には殆どの者が苛立っていた。
「サーヤ! 何をボーッとしている! お前も作業を手伝わんか!」
「は、はい! すみません!!」
その為、荷物の積み込みは捗らず、ついにはミールはサーヤにまで命令。
「にたにた」と笑う妻子の前でサーヤに荷物を運ばせ始めた。
「(ヤバイ……結構ムカついてきた……)」
「やっちゃえやっちゃえー!」
まずお前らがやれ! と言いたい所だが、俺は未だに我慢をしている。
それは奴らがダナヒに取って重要な人物だと思うが故だ。
だが、つい、小声を漏らしてしまい、聞いたユートが焚き付けて来るのだ。
しかし、そこでも何とか耐えて、サーヤの為にも速度を上げた。
それから何回運んだだろうか、桟橋の辺りで物音が聞こえた。
「すみません! お許しください! わざとじゃないんです! 本当です!」
「わざとじゃなければ許されると思ったか! そんな事は関係無いんだよ!」
行くと、サーヤが謝っており、一方のミールが激怒している。
見た限り大体怒鳴られているが、今回はそれもひとしおのようだ。
「どうしたんですか……?」
「いや、あの子が海の中に彫像をひとつ落としたみたいで……」
理由が分からず聞いてみると、水夫の一人が教えてくれた。
急いでいればそんな事もあるだろう。実際俺も花瓶を割ったし。
「さぁいけ! 潜れ! 取って来るんだよ! 見つけるまでは上がって来るな!」
謝っているのにミールは許さず、サーヤに非情な命令を下す。
「そんな……」
それを聞いたサーヤが震えると、公爵は家族と笑い出した。
「ヒジリ!」
「ああ。分かってるよ」
ユートの言葉に小さく頷く。流石にこれは黙って見過ごせない。
かと言って奴らを切り裂く訳では無く、サーヤの代わりに拾ってくるのだ。
息を吸い込み、それを止め、桟橋の脇から海へと飛び込む。
「(あれか……)」
幸いにも彫像はすぐに見つかり、難なくそれを取る事が出来た。
「これで良いですか?」
浮上し、それをミールに見せると、つまらなそうな顔で「フン……」と言った。
良いですか? と聞いてるんだから、せめて「ああ」とか言え無いものか。
「あぁぁぁぁ!! ム・カ・ツ・クゥゥ……!」
これはユートで、拳を作り、今にも殴りに行きそうな雰囲気だ。
しかし実際、ダメージは無いので、俺も敢えて止めはしなかった。
「あいつのシチューにゴキブリいれちゃる!」
結果としてはそこで妥協し、密かな罰をユートが決める。
割と陰湿な罰ではあるが、俺はそれも止めはしなかった。
「あ、あ、あ、あ、ありがとうございました!
私その、泳げないので……本当に、本当に助かりました!」
「そうだったんですか。でも気にしないで下さい」
サーヤの感謝にはそう返し、伸ばされた水夫の手を右手を握る。
そして、波止場に上がった上で、待っていたサーヤに彫像を渡した。
「はい。次は気を付けて」
「ありがとうごさいます! ありがとうございます!」
渡した際に一言言うと、サーヤは三回も頭を下げた。
ふと見ると、ミールの一家は面白くなさそうにそれを見ており、俺が彼らの視線に気付くと舌打ちをしてから姿を消した。
「(ダナヒさんは気付いて無いのか……? いくら影響力があると言っても、あんな奴らは膿になるだけだろ……)」
そうは思うが告げ口は趣味じゃ無く、苦々しい気持ちを我慢して身体を拭く為に船へと戻った。
ヒジリ「だから紙に書いてさり気なく教えよう!」
ユート「天才! ヒジリマジ天才!」




