やむを得ぬ決意
その島で二日を過ごした頃に、大きな帆船が島にやってきた。
全体の色は茶色であるが、縁取りが赤い目立った船で、甲板上には海賊の他、見るからに強そうな男達が見えた。
船は島の沖合で停止し、小舟を下ろして三人程が移乗。
その内の二人がオールを漕ぎながら、こちらの方へと近付いて来た。
説明は無いが、俺は勝手に迎えの船だと推測をした。
「やっと来たか。干からびちまうかと思ったぜ」
これを言ったのは金髪の男で、直後には飛び上がって小舟に飛び乗る。
距離にするなら十mはあったので、その衝撃には小舟が揺れたが、海賊達は慌てはした物の、男に何も言わなかった。
随分大人しい海賊だな……と、その時の俺は思った物だが、その程度の事でフルギレする程短気では無いのかとも一方で考えた。
そんな事を思っている内に小舟の先が砂浜に着く。
「乗れ」
そして、一人が一言を発して、俺達五人に乗船を促した。
おそらく会場に連れて行ってくれるのだろう。
そう思った俺が船に乗り、残りの四人もそれに続く。
試験を見ていた海賊達は、どうやら島に残るらしく、小舟の海賊が何かを伝えて、沖へと向かって俺達は漕ぎ出した。
帆船についても説明は無く、小舟を回収して船は動き出す。
見える限りの海賊の数は、およそで百人は居るようで、それを手伝わない強そうな人達は、四十人は居るように見えた。
「他の島で勝ち残った人かな?」
「っぽいね。皆、ひとつやふたつ位は、ジューダイな犯罪を犯してそうな顔だね」
俺が聞いてユートが答える。
その評価には「酷いな……」と笑い、人が少ない船尾に移動した。
そこで俺が思った事は、空気がかなり悪いという事。
物理的では無く、雰囲気的に、海外の路地裏宛らだったのだ。
いや、行った事は一度も無いので、これは俺のイメージなのだが、両腕を組んで睨んで来ていたり、武器を磨いてニヤリとする者。
理由は知らないが押したり押されたりして、額に血管が剥き出しの人も居る。
挙句には明らかに麻薬だろうと言う物を鼻に当てて嗅いでいる者も居り、「よこせ!」と言われてケンカに発展。
俺はそれを見ないようにして、船尾で海を見て大人しくしていた。
「あー、これからの予定を説明します! 参加者の皆さんは集まってくださーい!」
説明の為に誰かが現れたのは、それから三時間程が経った時の事か。
船の中央辺りに集まり出したので、説明を聞く為に俺も向かう。
「あれ……? 良いんですか?」
言葉の対象は金髪の男だ。これからの説明が始まると言うのに、どういう訳か行こうとしていない。
そればかりか手すりを背にぐったりとしていたので、余計なお世話で質問してみた。
「良い、良い、知ってんだ。毎度の事だから何を言うかってのをな。
ていうか、酔い覚ましの方法、知らねぇ……?」
昨日の夜に飲み過ぎたのか、ぐったりしている理由はそれらしい。
一応の形で「酒の……ですか?」と聞き返して見ると、男は「いやいや」とまずは言った。
「酒じゃねぇよ……船酔いの方。
今にもゲロしちまいそうなんだが、いっそ吐いた方が楽だと思うか……?」
どうやら船が苦手のようだ。言われてみればそんなテンションである。
「まぁ多分、我慢するよりは……」
生憎、気持ちは分からなかったが、思った所を素直に返す。
すると、男は力無く「そうか……」と言って一瞬俯いた。
「おおうっ……! キタっ!
込み上げてき……おおうっぷ……! オエエエエエッ!!」
そして直後に軽く覚醒。
口を押えて立ち上がり、海に吐瀉物をブチまけ始める。
太陽の光が当たって居る為か、後方に流れゆくそれは輝き、宛ら砂金のようにも見えたが……
実際は男の胃液やら何やらなので、俺は直後に不快感に見舞われた。
「やべっ! 鼻から、鼻からも出た! すっぺぇって言うか痛ェ!」
「(何だこの人……)」
それは分かるが変わった人だ。ていうかブッチャケ少々呆れる。
しかし、どうやら息切れをしているようなので、気を利かせて男の背中を擦った。
擦られた男は「悪ィな……」と一言。一応、感謝をしているらしい。
「はぁ……少しは落ち着いたか……」
口を拭って男が言って、甲板の上に腰を下ろす。
ツン、とした饐えた臭いが漂うが、仕方が無いとそこは諦めた。
「オメェ、名前は?」
「あー……カタギリ・ヒジリです」
聞かれた為に素直に名乗る。隠すモノでもないからである。
「珍しい名前だな……まぁ、俺様も人の事は言えねぇけどよ」
「(俺様!?)」
直後の言葉に俺は驚き、内心ではかなりそれに引いた。
理由は勿論、「俺様」と言う固有名詞にビビったからだ。
俺が知る限り、あちらの世界では某テニスの漫画のあいつしか言って無い。
そう言えば声も似ている気がするが、それはおそらく気のせいだろう。
「ダナ……いや、ダーナだ。俺様はダーナ。よろしくなヒジリ」
男――ダーナはそれに構わず言って、握手を求めて右手を伸ばして来た。
「どうも……」
放置するだけの理由は無いので、それに応じて右手を掴む。
「オオー!!」
という歓声が聞えて来たのは、その直後の事であった。
場所は中央で、声を上げたのはそこに集まる人達である。
「多分、優勝者への賞品の事だろ」
何だと思って顔を向けると、ダーナが言って右手を離した。
やけに詳しいが、「毎度の事」らしいので、聞かなくても大体は分かるのだろう。
「闘技大会の賞品ですか……? やっぱり、そういうものがあるんですね」
そう思った上で聞くと、ダーナは「ああ」と言い、
「海王が所有しているものであれば、なんでも一つ貰う事が出来る。
例えばそれが地位であってもな」
と、質問に答えて話してくれた。
随分と豪気な話であるが、俺はまるで興味が湧かない。
そもそも参加する気が無いのだから、それは当然の事だと言える。
「そういえば……」
ダーナが続けて立ち上がる。何かを思い出した様子に見える。
「海王の奴はつい最近、異文化の女を手に入れたらしい。
名をナエミとか言っていたか? ……オメェと一緒で変わった名前だよな?」
それから遠くを見ながら言って、最後の部分で俺の顔を見た。
この人は何か知っているのかもしれない。タイミングがあまりに良すぎる気がする。
ならばいっそ全てを話すか。
そうも思ったが踏みとどまって、そこでは「そうですか……」と、言葉を返した。
信用できないという訳では無いが、全てを彼に話すまでの理由も無いと思ったからだ。
「ま、お互い欲しい物は、闘いに勝って手に入れるとしようや?
俺様も今回はやる気が出て来たぜ。欲しいものが見つかったからな」
その言葉には何も返せず、俺は無言で海を眺めた。
ナエミは攫われ、捕らわれている訳で、自ら望んでそうなった訳では無い。
なのにそいつの定めたルールに、従う必要があるのだろうか。
いや、そんなものは一切無視して、見つけた直後に取り返しても、文句を言われる筋合いは無い。
大会なんてどうでも良い。とにかくナエミを見つけて取り返す。
俺はそう考えるが故に、黙って海を見続けていた。
その日の夜には島に着き、俺達は船から島へと移った。
入り江の中に作られた港には、何隻もの船が停泊しており、一体どこから聞きつけたのか、観客らしき人達が、街には溢れかえっていた。
参加者達はここで待機し、二日後の大会に備えるらしいが、そんな事には興味の無い俺は、独自の行動を取る事にしていた。
「おーい。帰ったよー。開けとくれー」
その日の深夜。
街の宿屋で、眠りはしないが横になっていた俺は、ユートの声で体を起こす。
「分かったか?」
それから歩き、窓を開けると、ユートは「もちろん」と言葉を返した。
探らせていたのはダナヒの館で、宿屋の亭主の言葉によって、この街にある事を俺は知った。
その為、ユートにその場所を探して来て貰ったという訳なのだ。
「海賊って割にはドードーとしてたよ。見張りなんかも居なかったしさ」
「見張りが居ない? 間違いじゃないのか?」
そう言いながらにユートが入り、窓を閉めて俺が聞く。
聞かれたユートは「シッケーな!」と、顔を膨らませてベッドに着地した。
「一応、中も見て来ましたから! ナエミかどうかは分かんないけど、茶髪の女の子もちゃんと居たよ?」
「ナエミが居たのか!? どこに居た!? ていうか、どういう状況だった!?」
「うわっぷ!? 唾! 唾飛ばさない!」
詰め寄ると、ユートがそう言ったので、それには「ごめん……」と一先ず謝る。
それから改めて「どうだった?」と聞くと、顔を拭きつつユートは答えた。
「えーとね、割とふつーだった。何かの本を読んでたよ。ギャクタイとかはされてない感じ? 部屋も結構良い部屋だった……けど」
「けど……?」
「誰だか知らないオトコの人と、たのしそーにお話もしてました。ボクが思うにあの顔は、恋をしている女の顔だね……」
ユートが言って「あーあ」と締めくくる。
言いはしないが「諦めた方が良くない?」、と言わんばかりのものである。
俺はそれを受け入れられず、「いや……」等と訳の分からない言葉を発した。
何と言うか、爺ちゃんが死んだ時のような、信じられない気持ちが大きい。
「な、ナエミはきっと騙されてるんだ! あいつはそういう純粋な所があるし、世間知らずな奴だから……
言葉も分からないしで騙されてるんだよ……」
必死で言うも、ユートは「うーん……」と、簡単には意見を曲げない様子だ。
俺はと言うとそうは言ったが、説得力が無い事は自分でも分かって居た。
だが、そう思わないと今までして来た事や、ここまで来た事が全て無駄になり、自分がピエロになるような気がして、何だか異常に情けなかった。
「自分の目で見るのがイチバンかもね……今から行く? 案内するよ?」
悩んだ末にユートが言ったので、無言で小さく頷きを返す。
そして、閉めていた窓をもう一度開け、通りを見てから下に飛び降りた。
そこからはユートの先導で、深夜の通りを素早く駆ける。
館についたのは五分後くらいの事で、ユートが先に話したように、誰も警備についていなかった。
庭には熱帯樹が数多く見え、遠くには二階建ての館が見える。
ただ、もう眠っているのか、そこには今は灯りは見られない。
「侵入しちゃう? 部屋も分かるよ?」
「うん……」
ユートに聞かれ、少々迷う。
理由は、ナエミが幸せだとしたら、俺のやる事が間抜けだからだ。
「俺と一緒に行こう!」と言っても、幸せならば「は?」となり、俺は完全にピエロとなるし、それでも無理矢理連れて行こうとすれば、それこそ当初のダナヒと変わりない。
そして何より、俺自身への心のダメージは計り知れない。
要するに、ナエミが幸せだった場合、それを認めるのが怖い為に、俺は踏み入る事も出来ずに、二の足を踏んでいた訳なのである。
「(だったら不幸だった方が良かったかって言うと、そう言う訳でも無いんだけどな……なんていうか、想定外なんだよ……)」
喜んでくれる。そう思っていた。
無条件で喜んでくれると信じていたのだが……
もし、ナエミが俺を必要としていなかったら、これからやる事は全て無意味だ。
どうすれば良い。
両目を押さえてそう思っていると、不意に誰かに肩を掴まれた。
「よぉ」
振り向くと、後ろにはダーナが立って居て、「どうした?」とすぐにも質問して来た。
「ダーナさん……」
こういう時にはどうすれば良いのか。
誰かに……出来れば年上の同性に相談に乗って貰いたい。
そう思った俺はこの人に、事情を話して見る事にした。
「ハッハー! なんだ、そんな事か? 俺様はてっきり海が好きなのに、船酔いする人はどうすれば良いですか? とか、そんなクソ重い話かと思ったぜ!」
所代わってそこは酒場。
殆ど閉めかけの酒場に押しかけ、ダーナは中央に腰を下ろした。
店主は「あの…」と何かを言ったが、ダーナを見るなり「ああ……」と納得。
「どうぞごゆっくり」
と、態度を変えて、すごすごとカウンターに戻って行った。
冷静な時ならこの態度にも俺は疑問を持ったのだろうが、今は兎に角どうすればいいのかの答えが欲しくて仕方なかった。
故に、ダーナに視線を釘付けにして、出されるだろう答えを待ったのだ。
「まぁ要するに出方の問題だな?
いきなり押しかけて幸せだったら、こいつは一生モンの赤っ恥だ。
が、やる事をやってそこで聞く分にゃ、恥も何もねーんじゃねぇか?
例えばそうだな、大会で優勝して、何が欲しいって聞かれた時に、「あの子と話がしたい」とか何とか言って、あとは勢いで聞いちまうとか?
そん時にゃ向こうも気付いてるだろうし、話が出来りゃあ誤解も解けるだろ。まぁ、誤解があればの話だが」
ダーナが言って、その後に、亭主に「酒だ!」と注文をする。
亭主は「ヘイ!!」と、大声で言い、ダッシュでグラスを持ってきた。
「幸せなら幸せで事情が聞けるし、これからどうしたいかも話せる訳ですか……」
それにはダーナは「そうだな」と言い、亭主が持ってきたグラスを呷った。
確かに、いきなり押しかけるより、「そうだった場合」のダメージは少ない。
落ち着いた雰囲気で話せるのなら、そこまでの経緯も聞ける事だろう。
誤解が無ければそこで終わりで、あったならそれを解く事で終わり。
後者であればナエミを連れて、ここから無事に去れるという訳だ。
「確かに、それが一番かもしれないですね……虐待なんかもされてないみたいだし、焦る必要も無いかもしれません」
「オイオイ、そんな事する訳ねーだろうが。
仮にも俺様……いや、あいつは海王なんだぜ?
弱きを助け強きを挫く、世間じゃどう言われてるか知んねーが、ヘール諸島の海賊団はそういうスローガンを掲げてるんだからよ」
俺が言ってダーナが言った。
そこには引っかかる何かがあったので、少しの間、言葉を止める。
「海王とダナヒってドーイツジンブツ?」
しかし、ここではユートを優先し、ダーナにそれを聞いてみた。
「まぁな。聞いた話じゃあ、前の世界では国王だったんだってよ。
海洋国家ハールゲン。そこと併せて海・王って訳だ」
言ったダーナが酒を飲み、飲みつくした為に「おかわり!」と言う。
亭主はすぐに「ヘイイイイ!」と返し、再びダッシュでグラスを持ってきた。
その間数秒。いつもこうなら、この店の好感度はずば抜けていると思う。
「(あれ……? 海王って確かマジェスティって言ってたっけ? いや、あれは違う話かな?)」
「んーん。海王がマジェスティで合ってるよ。カレルさんが言ってたよね」
小さな声でユートに言って、ユートがそのままの声で言った。
それを聞いたダーナは「おい」と言い、少しばかり不機嫌な顔で「人様の前で陰口を叩くんじゃねーよ」と怒った。
「あ、すみません……陰口じゃなくて、独り言です……」
「ああ」
不快な事には変わりないだろう。
そこの部分には素直に謝罪し、聞いたダーナがグラス呷る。
「まぁ、何にしろ」
それからそう言葉を前置きし、グラスをテーブルの上に置いた。
「オメェとは決勝で当たる事になるな。事情を聞いたからって手加減はしねぇぜ。ハナっから全力でぶつかってこいや?」
その後に続けて立ちあがり、「ごちそうさん!」と言って店から出て行く。
亭主は料金も貰ってないのに「ありやとぉございやしたあああああああ!!」と全力で頭を下げていた。
「とか言って自分が負けてたらウケるね」
「いや、絶対に勝ち上がって来るよ。むしろ俺の方が気をつけないとな……」
ユートに答えて立ち上がり、俺は、興味が無かった大会に、参加して勝ち進むと言う覚悟を決めた。
そうするだけの理由が出来てしまったが故に。
分からぬは女心と秋の空。ヒジリのトラウマとなるのでしょうか。