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家電は本来戦わない  作者: ぬいみねね
コンタクト
2/17

家電とは人々の生活に寄り添いそれを向上させる、今日ありとあらゆる一般家庭に存在しているものだ。最早なくてはならない生活の必需品と言える。そして、人は常に生活や己の向上を願い、努力、研鑽を続けてきた。故に自身が二学年に上がって初めての中間テストの勉強を疎かにするほどに、新しい家電の購入のためにアルバイトに励んだことは特段間違った行いではない、といった趣旨のことを桜屋に訥々と語る流星。

「へーそうなんだ。じゃあ次はこっちの問題を解いてみて淀橋君」

糠に釘、暖簾に腕押し、柳に風。日本には多種多様な効果がない様を表す表現がある。

桜屋が数学Ⅱのテキストを開き、すらりとした指で応用問題を指示する。ここは山田高校校舎三階二年三組の教室。気が遠くなるほど彼方の距離で燃える太陽の光が射す教室で、淀橋流星と桜屋麻耶は向かい合って勉強をしている。いや正確には、勉強をしているのは流星で、教えているのが桜屋だ。

先ほどの弁舌で桜屋の手が少しでも緩くなるとは流星も心底からは思っていなかった。ただ年頃の男女が教室で二人きり、少々楽しく会話をしても罰なんて当たらないのでは、と考えただけだ。

桜屋は、チョコレートブラウンの髪に涼しげなショートカット、小さい顔に切れ長の目、それに良く似合う黒縁のアンダーリムの眼鏡をかけている。以前教師により桜屋の髪色に指導が入り、桜屋が懇切丁寧に自身の髪が地毛であることを説明しているところを見たことを流星は思い出す。成績は学年で五指に入る程で、性格も真面目で通っている。

そんな桜屋にまさかあれほど綺麗に流されるとは、さすがに流星自身思っていなかった。義理でも何らかの反応を返してくれると想像していた。目論見が外れた流星は渋々ながらも桜屋が提示した課題に取り組む。

「……出来たよ、委員長」

 流星は、現在自分にとっての個人教師であり二年三組のクラス委員長桜屋に、問題が解かれたノートを見せる。

「合ってるわね。さっき教えた公式を使えば解けることにちゃんと気付くなんて、中々やるじゃない」

 一学年時の流星の成績は中の上といったレベルだった。今回はたまたま試験期間前と新しい冷蔵庫の発売が近く、購入資金のためのアルバイトに注力しすぎてしまっただけだ。

「ちょっと休憩にしましょうか。ところで、そんなに家電を買い替えたいの?」

「さっきの話聞いてたんだ」

 どうやら天然でスルーしたようではなかったようだ。

「聞いてたわよ。聞いた上で無視したの」

 より性質が悪い。

「委員長はもう少し優しさというものを学んだ方がいいよ」

「十分優しいでしょ! 人生の落伍者になろうとしている淀橋君を救おうとしてるのよ!」

 机を叩いて立ち上がらんばかりの勢いで捲し立てる桜屋。

「テストの成績が悪かったくらいでそこまでならないって!」

「冗談に決まってるでしょ」

 桜屋は様相を一転させ、脱力気味に答える。

「委員長が冗談を言うの初めて聞いたよ」

「そもそもまともに話したのも初めてじゃない?」

 担任の教師が、桜屋に中間テストの成績がずば抜けて悪かった流星の勉強を見てやれ、なんて言ったのが本日の勉強会の原因である。教師としては半ば冗談で言った発言であるが、律義な桜屋はそこまで親しくない流星に殊勝にも勉強を教えている。流星と桜屋は一年時、違うクラスだったし、今までもただの一クラスメイトで特に仲が良いわけではない。これまでにあった会話といえば「はい、プリント」「ん」くらいの会話が関の山であった。

「家電好きってことは聞いていたけど、そこまでとは思ってなかった」

「俺の家電好きは三国に轟いているようだね」

「えっ? 何で絵に描いたようなドヤ顔してるの?」

 端正な顔に心から意味がわからないという表情を貼り付け困惑する桜屋。

 はっと表情を引き締める流星。流星は何かを誇示するために家電を購入している訳ではない。流星にとってそれは実に神聖な行いであり、冒されざる聖域だ。そもそもそれで何が誇示出来るのか疑問だが。

 桜屋が訝しげな表情で問う。

「さっきの質問だけど使っていた冷蔵庫が壊れたから買い替えるの? もしかして何台も冷蔵庫が家にあるの?」

「壊れたわけじゃないよ。型落ちしたから最新の物を買うんだ。それに何台も有るわけじゃない。家電は使ってこそ、だからね。俺は今一人暮らしだから冷蔵庫は二台必要ない。だから以前使っていたのは馴染みのリサイクルショップに買い取ってもらうつもりだよ」

 流星は毎度リサイクルショップに持っていく前に、製品の取扱説明書をコピーすることや、外観を写真に収めておくことは黙っておいた。以前何気なくクラスメイトにこのことを言い、偏執狂扱いされたことを根に持っているからだ。更に購入日、購入店、値段、使用期間、使い心地などを記した家電ノートまであるのだが、その時そのことを言わなくて本当に良かったと流星は思っている。

「馴染みのリサイクルショップって……」

「委員長にだって好きな物や趣味があるだろ。俺はそれがたまたま家電だっただけだよ」

 平静を装いつつ自らをフォローする流星。

「まあ人の趣味をとやかく言うのも野暮よね。うん」

 流星は桜屋が理解のある人で良かったとほっと胸を撫で下ろす。

「それで今度はどんな冷蔵庫を買うの?」

 流星は咄嗟に自らの鞄から商品のパンフレットを取り出しそうになる。しかし、いつも持ち歩いていることがばれると、以前と同じ轍を踏んでしまうような気がしたのでさっと手を戻す。

「三菱の新製品だよ」

 スペックや従来の製品と違う点を列挙しそうになる心を抑える流星。大概の人はそこまでそんな情報を知りたくないことを既に知っているのだ。

「あれ? てっきりスペックとか今回のはここが売り! みたいなのを熱く語るんだと思っていたんだけど?」

 流星の心臓が一際大きく跳ねる。

「あっ、我慢してる顔。淀橋君も中々苦労しているみたいね。確かに家電の詳細な情報を知りたい人なんてあんまりいないかも。私も別にそこまで知りたくなかったし……。話題を変えましょうか。そういえば淀橋君って一人暮らしなのよね?」

「ああ、そうそう! 母さんは俺が子供の頃に逝っちゃったし、父さんは常にどこかに単身赴任中だから。今は京都に行ってる」

 流星はこれ幸いとばかりに話題を変えたが、言ってからしまったと思う。母の死を話題にすると、憐れまれたり、慰めの言葉をかけられたりするのだ。物心つく前に母は亡くなっていたので、流星自身はあまり母がいないという実感を持っていない。元からそういうものだったと感じている。

「そうだったんだ……」

 軽く頭を下げる桜屋。流星はわざとらしい言葉をかけてこない桜屋に好感を抱く。

「別に気を遣わなくていいよ。俺なんかより委員長の方が大変でしょ」

 色々と気が利く上に、流星のようなあまり品行方正でない生徒を見て見ぬフリが出来ない性格だ。挙句クラスの長にまでなってしまって責任も重くのしかかっているだろう。

「誰しも苦労を抱えているものね。そうだ。メアド教えてくれる?」

「えっ、いいけど……」

 内心ドキッとしたが桜屋のことなので勉強に関する指示でもされるのだろう、と流星は思う。ポケットからスマートフォンを取り出し、データ交換用アプリで桜屋とアドレス交換をする。あまり使ったことのないアプリだが説明書きを熟読するタイプの流星は上手く使いこなした。

「さあそろそろ学生の本分に戻りましょうか」

 流星は黒板の上に据えられている時計を確認する。

「ごめん! 今日はもう家に帰らなきゃいけないんだ! 勉強は家でしておくから! それじゃあ委員長!」

 机の上の勉強道具や教科書をまとめ鞄に突っ込み、さっと立ち上がりその場を離れる。

「あっ! ちょっと淀橋君!」

 桜屋は捕まえようと手を伸ばすが、流星はするりとかわして教室を出ていく。

「ほんとーにごめーん!」

 廊下から叫ぶ流星の声が桜屋の耳に届く。

「ほんとーに落第しても知らないからねー!」

 教室から叫ぶ桜屋の声が流星の耳に届く。

 お互いの苦労を少し分かち合ったばかりではあるがそれはそれ、これはこれである。迷惑をかけて申し訳ないとは思うが、譲れない用事というものもある。本日の夕方五時、中間テストの成績を捧げてまでアルバイトに勤しんで購入資金を貯め、予約しておいた新型冷蔵庫が流星の家に届く予定なのだ。

 流星は高鳴る鼓動に身を任せ、我が家を目指し自転車でひた走る。


 流星の家は山田高校から川を挟んで向かいの位置にある。通学路にはショッピングモール、その存在によって客足が遠のいた商店街、市の窓口である駅、新興住宅街、古くからある住宅街、その二つの住宅地を分断する国道、工場が林立する一帯、とどこの街でも見られる要素が揃っている。流星はそれらを愛用のマウンテンバイクで颯爽と駆け抜ける。

 流星の自宅は歴史がある方の住宅街の端にある。大昔に切り開かれた山の中腹に位置し、殺人的な坂を登らなければ家に辿り着くことは出来ない。流星は、行きはよいよい帰りは怖い、という言葉を以前に聞いて真っ先に自宅への道のりを思い出した。

流星の自宅は、部屋の構成は一般的な一軒家なのだが見た目は少し変わっている。昭和初期からある日本家屋に継ぎはぎして増改築していったので、見た人にちぐはぐな印象を与える。元は和室しかなかったのに、現在はダイニングキッチンに二階まである。二階は流星の父の「子供は二階の子供部屋で思春期を過ごすべき」という何が何やらわからぬ理屈で足された。流星は律義にそれを守って二階に自室を持っている。空き部屋が幾つかあるので利便性をとり一階に自室を定めてもよかったのではあるが。

 両親が家にいない今、流星一人で住むには広すぎる家だ。

 流星は坂の始まりに着く。いつもなら自転車を降り、歩いて坂を登るが、今日はそうはいかない。腕時計を確認すると配達予定の時間まで間もないことがわかる。流星は気合を入れ、立ち漕ぎで坂を登り始める。しかし、坂の中ほどまで来たところで足が限界を迎えようとしていた。もういいじゃないか。俺は頑張った、もうやめてもいいんじゃないか? こんなことをして何になるというのだ? そういった思いが流星の頭を巡る。

 牛歩の如きスピードの流星は今、地に足をつけようと――

 その刹那、見慣れた一台のトラックが流星の横を通り過ぎる。

 諦めかけていた気持ちに火が灯る。

「うおおおおおおっ!」

 自らを奮い立たせるため叫ぶ。先ほど通り過ぎたトラックは、流星の家にいつも購入した家電を配達してくれる運送会社のものだ。つまり今追いかけないと再配達、新型冷蔵庫との邂逅は明日以降に持ち越されることになる。

 ペダルに力を入れ、力強く踏み込む。止まりかけていたマウンテンバイクが再び走り出す。限界を超えた走りを見せた流星は、何とかトラックが家から去ってしまう前に自宅に着くことが出来た。

「あっ、淀橋さん。判子かサインいただけます?」

 顔馴染みの配達員が玄関先で受領確認を迫る。

「はぁはぁ……ちょ、ちょっと待って下さい……」

 一息ついてから自宅から判子を持ってくる。

「はい、確かに頂戴いたしました。じゃあ今から搬入しますんで」

 配達員は既に何度か淀橋家に家電を搬入した経験があるのでキッチンの場所を一々言う必要はない。プロの手際で冷蔵庫が搬入、設置される。もちろん購入前に寸法を測り、設置できるスペースを確保しているので滞りなく作業は終了する。

「段ボールはこちらで処理しなくていいんですよね?」

 外装もまた製品の一部であると考えている流星は、それを後生大事にとっておく。

「それじゃあ毎度ありがとうございました!」

 配達員は一際元気良くそう言い、去って行った。

 キッチンには一人暮らしには不釣り合いな大きな冷蔵庫が威風堂々と佇んでいる。男子高校生の平均身長の流星よりも大きなそれは白物家電の王たる威厳を放っている。包装材から解き放たれたばかりで輝いているようだ。

 流星はキッチンの端に置いてあるクーラーボックスを持ってくる。緩む頬を抑えられない様子で、クーラーボックスに入っている以前使用していた冷蔵庫に入っていた食品を新しい冷蔵庫に移す。傍から見たら気色悪いことこの上ないが、流星はこの行為というかある種の儀式が好きなのだ。

 半分ほど使ったソースや父が残していったご当地漬物などをせっせと移す流星。そこで異変に気付く。

「あれ? 何か後光が差してないか……」

 流星には冷蔵庫自体が光を発しているように見える。一瞬そういった機能が備わっているのかと思うが、そんなことはパンフレットにもホームページにも書かれていなかったと思い到る。

 では一体この現象は? 壊れたのか? いや買ったばかりでそれはない。昭和中期から電化製品を開発、販売している信頼の会社だ。不具合のある製品を出荷させるなんてことはないはずだ。あまりにも楽しみにしすぎていてそう見えているだけで、実際には光ってなんかいないのでは? ならばこの目の痛みは何だ?

 半分ほどの人参を片手に持ってそう煩悶している内に、その光は最早直視することが困難なレベルにまで到達する。

「うわっ!」

 光が爆発的に周囲に放射され、光線に襲われたような感覚を受けた流星は思わず両手を顔の前に掲げ、目を守る。

 再び目を開けた流星は信じ難い光景を目にする。

 先ほど配達員によって持ち込まれた冷蔵庫が跡形もなく消失しているのだ。

 その代わりに、長身で銀髪の女性がそこに立っていた。


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