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4話 最後の一日④

 


 (――じじい、なにをたくらんでやがる)

 普段なら手ぐすね引いてそうな祖父の姿が道場にない。

 かわりに、見慣れない顔がふたつ、道場にざらつく殺気もどきをまきちらしている。

 祖父の不在が鬼の霍乱なら笑えるが。同じだけ飲んだカヲルがぴんぴんしているのだ。あの男があれくらいの酒でどうにかなるはずもない。心配などするだけ無駄だ。

 ただし、いるべき道場(ところ)にいないとなると、どこでなにを企んでいることやら。剣呑だと思うのは、カヲルの考えすぎだろうか。

 ともかく、他の門弟たちを見習って、鬼の居ぬ間に稽古を終わらせておくほうがよさそうだ。

「カヲル、あいつら……あいつは……」

 険しい表情で哲が言うのは、新顔のふたりのうち、カヲルにしつこい視線を向けてくる短髪のほうだろう。

「相手にするなよ」

 カヲルにしても、まったく気にならないと言えば嘘だが、かかわれば面倒そうな相手だ。

 なにより敵意に過敏に反応する哲が心配だった。



「若、武藤も――」

 師範の宋が、カヲルたちに気づいて手招く。

 そちらに向かう途中、稽古をしている門弟たちから遠慮のない声がかかる。

 日本語は半分以下、あとは英語とその仲間だ。英語と一口に言っても、お国訛りはいろいろで、慣れないと聞き取れないほどブロークンで癖が強い。なかにはきれいな英語を話すやつもいるが、そういうやつは得てして日本語も上手だったりする。

『Hey! カヲル。元気か』

『おはよう、軍曹(サージェント)、元気だよ』

 陽気なアフリカンアメリカンのロドニー・サムソン・マクミラン軍曹は元陸軍特殊部隊の下士官で、二メートル近い巨人族だ。

『哲、おまえは二日酔いじゃなかったのか?』

『……No……』

 ガードドッグモードの哲は愛想もくそもない。やっぱりカヲルが口の役目だった。

『軍曹はどうだった?』

『おう、すっかり回復したぞ』

 とサムズアップ。

『ニホンシュオイシー、ヤマトナデシコサイコー、カノコサンモ、ヒナサンモ、ウツクシー』

 ゆっくり片言の日本語のあとに、早口の母国語がつづく。

『もっと深く知り合えたら、もっとよかったんだがなあ』

『軍曹、ヤマトナデシコは絶滅危惧種なんだよ。花乃姉はともかく、比奈は突然変異種で、でっかい棘がいっぱいあるけど、いいのか?』

 ウツクシーという部分は否定しないが。

『ハッハッハッ、きれいな花には棘があるものだ。You Know、棘を恐れてたら花は摘めないぞ』

『軍曹、命知らずだね』

『男だからな。花の美しさを愛で、酒を喰らうのがこの世に生まれた楽しみってものだ。酒も女も最高の喜びと絶望をおれたち男に与えてくれるのさ』

 カヲルは二日酔になったことがないからわからないが、二日酔いとはそこまでつらいものなのだろうか? ひどい目に遭うとわかっていて、あえて挑む軍曹の境地には未だ至らずだ。

『おれにはまだ早いみたいだよ』

『早いなんてことがあるもんか、おれが十五のころには……』

『やめやめ。馬鹿いってんじゃねえ。軍曹(サージ)

『絶望してるのは貴様だけだろ。貴様の女運の悪さを、一般論にするのはやめろ』

 他の門弟の参入で、長くなりそうだった軍曹の武勇伝は、幸いなことに聞けずじまいだった。

『おはよう、ラリー、アルも』

『Good day, Mate.カヲル、哲……おまえは相変わらずカヲルにべったりか』

『……』

 哲はいまちょっとナーバスになってるので、あまりイジらないで欲しかったが、この連中はわかっていて、わざとかまっているのかもしれない。

『おいおい、力抜くときは抜かないと、いざって時にカヲルの邪魔になっちまうぞ』

 哲がきつい目で睨んでも、ラリーは肩をすくめ、ぐりぐりと頭を撫でていなしてしまう。

 大人と子供の構図だ。

『ところで、昨日はクレイジーな夜だったな。カヲルは酒が強いんだな、驚いたよ』

『あんだけ飲めたら一人前だ。軍曹のたわごとはほっとけ』

『くそったれのオージーが、やるのか』

『おう、おまえとは以前から、拳で話し合う必要がありそうだと思っていた』

 詳しく話し合うつもりなら、もっと離れたところでやってほしい。

『稽古にもどれ、師匠が来るぞ』

 ――うげっ。

『ヤマモトー、心臓止まるようなこと言わんでくれ』

『一瞬、本気にしたぞ』

 カヲルも思わず背後をふり返ってしまった。

『くだらん話をしているからだ。若先生、師範が呼んでます』

 どうやら、カヲルたちを救出に来てくれたらしい。

『ありがと、山本さん』

『ほら、バカタレども、稽古にもどるぞ』

 師匠の恐ろしさが身に染みてる門弟たちは、案外あっさりそれぞれの稽古にもどっていく。

 おかげで、ようやく宋師範のところにたどりついた。



「宋さん、おはよう。昨日はどうも」

 宋師範も、昨日のはっちゃけた酒宴で、あえなく撃沈されたうちのひとりである。

「身内がいろいろ迷惑かけてごめんな」

「なかなか楽しかったですよ。あれほどハメをはずす機会はそうないので、他の連中も喜んでいましたしね」

 宋師範は華僑の出身で、中国拳法界では神槍の再来と言われるほどの人物らしい。そんな人がまたなぜ、日本の片田舎の古武術道場で師範なんかをやっているのか、大いに疑問だが。

 本人曰く、カヲルの祖父の首を取りに来たところが、軽く一蹴されていまだに成らず、気がつけばいつのまにか道場の師範におさまっていたのだとか。

 いつだったか、カヲルが『じじいの首は諦めたのか』とたずねたら、意味深に笑われた。

「ならよかった。ところで……聞いてもいいかな、あれって?」

 問題のふたりのことを聞いてみる。

 さすがに道場破りはないだろう。

 朝っぱらから道場に来ているくらいだから、弟子入り志願かなにかだろうが、それにしては不作法な殺気もどきと、絡んでくる視線がうっとおしい。

「ああ、あの二人ですか」

 宋師範も困ったような微苦笑だった。

 宋師範といい、軍曹たちといい、殺気もどきに気づかないはずはないが、きれいにスルーしているところが大人な対応だ。

 哲にも見習って欲しいが、どうだろう。

 カヲルの隣で毛並みを逆立てている哲を見て、宋師範は苦笑から苦味が抜ける。

「武藤、気持ちはわからないでもないが自重しなさい。あのふたりは、方丈のご隠居の推挙で、しばらくこちらであずかることになりそうです」

(――そういえばいたなあ、方丈のじーさま。昨日も、じじいの取り巻きのなかに)

 坊主頭の温厚そうな老人だが、本当に温厚なら祖父の取り巻きなどつとまるはずがない。たしか、祖父のところとは比べものにならないほど、大きな道場を手広くやっているメジャーな流派の先代総師だとか。祖父の信者のなかでもとくに熱心なひとりだった。

 自分のところの身内を、わざわざ余所に預けるってことは、よほど優秀か手に負えないかのどちらかだが。危険を察知すること野生動物並みの哲が、いまだに警戒を解かないのだから、やはり手に負えない方なのだろう。

「見たところ、まだ学生みたいだけど、学校どうすんの?」

「今月から、若にや哲と同じ高校ですよ。二学年上らしいですが」

「三年なのに転校かあ。いろいろ、たいへんそうだね」

 学校と道場を両立させる困難さは身にしみついている。慣れてるカヲルでさえ、鬱が入りそうだ。

 同情はするが、しょせん他人ごとである。

 カヲルが関わらない方向に結論をだすのはすぐだった。

(じじいの門弟なら、じじいがなんとかするだろ)

 話の途中だが、宋師範は別の門弟に呼ばれて離れてゆき、カヲルと哲とが残された。



「哲、警戒しすぎ。物騒な気配はひっこめとけよ」

 テリトリーを侵害されたガードドッグのように、きりきり気配を尖らせる哲の側は、居心地が悪い。

 なにより、女子供でもあるまいに、哲に背中でかばわれても、あまりうれしくない。

 すこしばかりむかついたので、険しく寄った眉間のしわに、でこぴんをくらわしておく。

「痛い、カヲル」

「痛くしてんの。あたりまえ」

 外部刺激に対して痛みがあるのは、自己防衛のために必要だからだ。

 なのに、哲は自分の痛みには鈍くさい。

 義理堅すぎて、早死にしそうなタイプだ。飛んで来るのが鉄砲玉でも、盾になりそうで怖い。

「おれのこと、庇おうとか守ろうとか、考えなくていいから」

 むしろ、自分の身をかわいがれ。

 カヲルの安心のためにも、長生きする習慣を身につけて欲しいものだ。

「ごめん」

 しゅんとうなだれる哲の頭に、へたる耳の幻覚が見えて、カヲルは嘆息する。

(なにそれ。まるでおれがいじめたみたいだろ。ああ、もう、このでっかい図体したワンコにどう言えば――)

 なるたけ具体的にわかりやすく、といっても現実(リアル)でそんな状況はありえない。

(ブレード)(フォース)のタッグモードで敵に囲まれました。哲、どーすんの?」

 カヲルがようやく思いついたのは、やりなれたフルダイブのVR格闘ゲームだった。

「味方と連携とらずに、おまえひとりで敵陣につっこむのか? 味方が初心者(ビギナー)とかなら別だけど、普通ないだろ。それとも、まさかと思うけど、おれのこと初心者あつかいか?」

 哲はあわてたように、首を横にふる。

「なら、おれを無視してひとりでテンパるのなし」 

「うん、わかった。ごめん。けど……」

「けど、なに?」

「嫌な感じがする。カヲルは……平気なのか?」

「空気は悪いし、ガン飛ばされるのもうっとおしい。けど、哲がもっと空気悪くしてどうすんのさ」

 祖父の教えによれば、殺気とは刃物の切っ先のようなもの。切っ先を切っ先で受ける必要はない。

「見えてる刃物は怖くない。そこにあるとわかってれば、避けることも奪うこともできる。怖いのは見えないときだ」

 ノーマークの相手に、不意打ちでブスリとやられるのは遠慮したい。

 暗い夜道でならともかく、道場の中で不意打ちはない。

 フラストレーションをそのまま吐き出したような、殺す気のない殺気では、刃物にしてもせいぜいカッターナイフだ。嫌な感じが勘にひっかからなければ、警戒するだけ馬鹿らしいくらいだ。

「リラックスしろよ。いざってときはおまえにまかせるから」

 ふ、と息をはいて、哲の肩から力が抜ける。

(おお、素直ー)


「はじめるか?」

 カヲルとしては、いっそのことこのまま稽古はなしで、ずらかりたい気分だった。

 否が応でも、始めなければ、終わらないのが稽古である。

 哲の目を確かめる。落ち着いている、力のある目だった。

 いつもどおりの哲だ。

「いいけど。軽めにしとこう」

 あまり手のうちを晒したくなくて言うと、日ごろのさぼり癖のせいか、哲に疑いの目で見られた。

「どのくらい?」

「五の三」

「手抜きはよくない」

「じゃあ、六の四」

 哲がしぶしぶうなずき、交渉成立。

 稽古好きの哲には不満だろうが、ウエイトの差を考えろと言いたい。

(この体力馬鹿に、手加減を覚えろと言っても無駄か……)



 修練は動とすれば、稽古は静である。

 型の稽古では、スピードは必要ない。基本の動作を丁寧になぞる。できるだけゆっくり、自分の体を完全にコントロールすることを意識して、動作の意味とつながりを理解するようにつとめる。

 型は合理性だ。無駄を廃して“水の低きに就くが如く”、理で動く。無駄な動きをそぎ落としていけば動きは洗練される。洗練をつきつめれば型となる。型は理に叶う動きゆえにある種の美しさを持ち得る。型の稽古で陥りやすい罠のひとつだ。『型の美しさに目的を見失うなかれ』――実際、きれいすぎる動きは読みやすい。

 もうひとつの落とし穴。無駄をそぎ落とし、理に叶う洗練をつきつめれば、動きに遊びがなくなる。遊びというのを余裕と言い換えてもいい。遊びのない歯車は回らない。無駄に見えても無駄ではない。『型にはまるなかれ』――つまるところ型は型にすぎず、それだけでは技たりえない。

 ならば、『技とはなんぞや』――。

 カヲルは答えをもたない。

 そんなものがわかってたら、わざわざ苦しい修練や稽古なんかやってるわけがない。

 昔、祖父にそのまんま質問した馬鹿がいた。祖父の答えは言葉ではなく実力行使で、身体に教えられて死ぬほどの目にあった馬鹿が悟れたかどうか……。わからないからといって、聞けば答えが得られると思ったら大間違いだといういい例だ。

 そのあと、祖父に同じ質問をするやつはいない。

 ともあれ祖父の流儀は戦場往来、徒手を基本に古来の刀剣や長物から近代の銃まで――といっても銃については撃つことよりも撃ってくる相手にどう対応するかのほうが主体だが、一通りざっくり含まれている。どれをとっても、いかに効率よく人体から戦闘能力を奪うか。つまりは、人殺し目的に特化している。

 ルールに支配されるスポーツとしての武道武術とは根本的に違う。当然、フェアプレー精神などとは無縁である。技は詐術であり、奇術であり、そこに卑怯という言葉は存在しない。

 技が入れば、即ち死だ。

 何度も殺し、殺される。

 繰り返すうちに死は特別なものではなく、あたりまえでありふれた身近なものになっていく。

 哲とはガキのころから数えきれないくらい稽古もしたし、試合ってもいる。技量も性格も手もすべて知ってる相手だ。それほど確かな相手でも、向かい合い、いざ試合うとなると、六割でもかなりギリギリな感じする。

 哲を殺すにはどうすればいいか、いつのまにか考えてる自分が、本気で気持ち悪い。

 フルダイブのバーチャル・リアリティ環境が実装されたゲーム機の普及して、ゲーム内での擬死体験が一時期大きな社会問題になっていた。二、三年前に法律が制定されて同調率が五割以下に規制されることになった。ゲーマーの間では不評だったけど、正解だと思う。

 偽りであっても死は死だ。絶対に影響はある、少なくとも確実に死に対するハードルは低くなる。より現実的な環境で、擬死体験を繰り返しているカヲルが言うのだからまちがいない。

 そんなこんなで、いらない神経を使いつつ、無手と小太刀と棒で稽古すること一時間半……本気で疲れた。

(もう、今日はやめ。誰がなんと言おうとやめ。じじいだろうと、やめったらやめ!)


「そういや、じじいがいないよな。哲、今朝から一度でも見たか?」

「見てない。師匠はいなかった」

「ちょっと拍子抜け。昨日の今日だから、手ぐすね引いてるかと思ったんだけど。どういうことだろ?」

 ぽろっと、口に出したとたんだった。


「カヲル、ちょっと来い」

 侘び寂びの低音が、道場の隅々までずしりと響いた。








2011. 7. 3. / 改稿

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