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辺境夫人はただ笑う

作者: ひらふら
掲載日:2026/03/22

 貴族に生まれた以上、淑女は何も決めてはいけないのですって。

 許されるのは婚姻した男性に対する頷きと、その男性がやってしまったちょっとした失敗の後始末だけ。

 そういう女が幸せを掴むのですって。

 ……違うだろうと思ってすらいけないのですって


 婚約を結んだのはいつだったかしら、十歳にならない頃だったかしら? よくできたお人形の私と、よくできたお人形みたいな彼と。

 側から見たらそれはそれは楽しい人形劇だったんじゃないのかしら。

 よろしくと意味のないことを言う彼に、意味のないこちらこそを返しながら、心底この王子なんてどうでもいいと思っていたことがあの日の一番大きな秘密です。


「君は、やりたいことがないんだろう」

 そう言われたのは多分高等学校に入ったころじゃなかったかしら。それまでも似たようなことは言われていたかもしれませんわね。

 けれど、申し開きようもないんですけれど、私、本当にその辺のことどうでもいいと思ってしまっていて。

 男の後始末が女のしあわせだというのに、彼の話と言ったら、なんと言うか、楽しく無かったんですの。

 スラムを撲滅する? 結構。

 関税を平均化する? それも結構。

 その結果何が起こるかなんてお人形の私にはわかりませんもの。

 ただ、結果が見えているものに対して力を割くらいバカみたいなことはございません。



 はっきりと不要だと言われたのは、婚約を破棄される直前だったか、婚約が成立した直後だったか。

  あら、もしかしたらその両方だったのかも。

 まあ、要するにしょっちゅう言われてたのかもしれませんわね。

 だからかしら、私、最後まで彼の方の結末に興味がかけらも湧きませんでしたの。

だって、彼の方の言うやりたいことって、あまりにお粗末で……。ねえ?

  それがやりたいことなんて、殿方ってなんて、ええと、なんて……幼稚? 浅い? 違うわね、ええと……つまり、なんていうか、そうなのかしらって、思いましたの。 

  それでも、私、私の幸せのためにちゃんと動いてましたわよ。彼の方の低い、ああええと、雑? ちょっと弱い? プランを聞くたびにその補強、というか、補足、と言うか、そう言うものをやっておりました。

 まあ文句は言われましたけど、その時は殿方ってそう言うものだとしか思っていませんでしたから、特に苦痛も感じませんでした。

 ですからある日突然、代わりはいくらでもいると言われて、それはもう驚きましたの。この人、要るとか要らないとか分かるんだわ、と思って。ですから婚約破棄にも頷きました。だって女の幸せは男性に対して頷くことですから。

 

その後はご存じのとおり、お父様が見つけてきてくださった方と何の障りもなく結婚いたしました。


 そうしたら!

  旦那様ときたら、それはもう荒唐無稽な夢ばかり語る方でしたの! しかも、その夢は、全部領民のため、領地のため、みんなのため!

 

 職にあぶれた大人たちがスラム街を作るのだ。ならば、長年かからなかった暴れ川に橋かければよろしい、そうすればスラムの子供がいつかあの川に耐える橋ではなく、いつでも戻す橋を建てるだろう。そしていつでもそれを検査する、いつの間にかある橋を作る大人も生まれるに違いない。荒波に乗るような素材で川の暴れが終われば橋となるような。

 いつでも崩れて波に乗り、事態が治れば元に戻るような、そういう橋を。

 この場所でしか生まれない、この場所でしか育めなかった橋がいつか国土全体を覆うのだ。


 なんて。



 こんな話を延々とされて、さらにあなたがきてくれて良かったなんて微笑まれたら!



 そんな無茶苦茶な、けれど完璧な夢なんて、叶えなくてはならないじゃないですか。だって浅くもない、ただ必死にみんなで良くなろうとするためのものでしたから。そう言うのって浅いじゃなくて、無謀でもなくて、本当に必死って言うんですのね。夢を語る旦那様についていかなければと思ったのも良い思い出ですわ。

  たくさん届いた招待状の中からいくつか選び、ドレスを着て穏やかなお茶会で微笑みました。婚約破棄された哀れな令嬢に向けられた好奇心という一時の知名度が大変助かりましたわ。だって哀れな令嬢なんですもの、その私が微笑んで旦那様の夢を語れば、バカにするためにでも同情するためにでも、とにかくなんでも話を聞きたいという方々は多くいらっしゃいましたの。ちょっと面白そう程度で構いません。噂は噂を呼びますから。

 そうやって資金を募り、旦那様の夢のために駆け回って、そうしたら、旦那様が泣きそうな顔で何度もお礼を言ってくださるんですの。

  そこでようやく、意味が分かりましたのよ。ああ、だから女は男性の後始末に幸せを感じるのだわって。



「ですから使者様」

 もうとっくに冷めた紅茶のカップに触りもせずに夫人が笑う。

 つい半年前まで第三王子の婚約者だった彼女は何度も召集状を送ったのに応じず、第三王子本人が直接行ってもアポがないと蹴り飛ばし、幾度も門前払いを喰らわせた。けれどようやく叶った使者との面会で、いきなり飛ばしてきたのだ。

  女の幸せってご存知? と。

「私、そちらに出向くことなんてできませんの」

 


「ですが、殿下の施策を成功させるにはどうしてもあなたの」

「申し訳ございません、使者様」

夫人は笑う。その目の奥まで綺麗に笑う。馬鹿にもせず、見下しもせず、ただ笑う。

「私、やりたいこともないのですから、旦那様の許可がないと何もしませんの」

  辺境の地で、叡智とかつて呼ばれた夫人はそうやって笑っている。

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― 新着の感想 ―
幼かった彼女に「但し、尽くし甲斐のある旦那に限る」っていう大事な部分を教えてあげたいなぁ。でも遠回りしてやっと人生を通して彼女は学んだんだろうな。 そして第三王子は尽くされてることも理解してなかった…
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