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星を知っている

作者: 神楽健治

夜のグラウンド裏、小高い斜面の上。

望遠鏡を組み立てながら、僕は静かに息を吐いた。

街の明かりが届かないこの場所は、校内でもほんの一部の生徒しか知らない。

そして、彼女が現れるのも、決まってこの時間だった。

「……遅くなってごめん」

灯の声が、夜気を割って届く。

制服の裾が風に揺れていた。

「大丈夫、星は逃げない」

僕は笑いながら応え、ピントを調整した。

「今日は南の空がきれいだよ。アンタレス、見える」


灯――篠原灯。

地味で、静かで、どこか物語の外にいるような存在。

けれど僕は、彼女の観測ノートを一度だけ見たことがある。

そこには、整った文字でびっしりと星の名前が記されていた。

まるで祈りのように。


「遠野くんって、優しいよね」

「優しくなんかないよ。ただ、星が好きなだけ」

「でも、人に教えてくれる」

「それは……君が、ちゃんと聞いてくれるから」


ふと、灯が笑った。

あの笑顔を見ると、心が少しだけ温かくなる。


「……ねえ、遠野くん。あのさ」

「ん?」

「この学校、昔、天文台があったんだって。知ってた?」


僕は顔を上げた。

「え? そんな話、聞いたことないけど」

「先生も知らなかった。でも、古い新聞に載ってた。観測中に事故があって、それ以来封鎖されたって」


「事故って……」

「詳しくは書いてなかった。でも……夜中に生徒がひとり、いなくなったって」


風が強く吹いた。

どこかで金属が軋むような音がした。

灯は望遠鏡から空を見上げたまま、ぽつりと呟いた。


「……その人、今も空を見てるのかな」


僕は返す言葉が見つからなかった。


***


観測を終えて器具を片付ける頃、灯はまだ空を見ていた。

「……ねえ、遠野くん」

「ん?」

「星って、見てると時間の感覚が変わるよね。まるで、今が今じゃなくなるみたいな」

「うん。わかる」

「わたし、昔……時間が止まってしまえばいいって、本気で思ったことがあるの」


それは、笑いながら言うような言葉ではなかった。

けれど灯は微笑んでいた。

それが一番、こわかった。


「それ、いつの話?」

僕が聞くと、灯は視線を外した。

「中学のとき。友達がひとり、事故に遭ったの。そのとき、ね」

「……君の、せいじゃないよ」

なぜか、そう言わなきゃいけない気がした。


灯はうなずいた。

「わかってる。でも、星は全部知ってるの」

「え?」

「その日、空にあった星の並び。風の音。匂い。――全部、あのときと同じ」


僕は無意識に空を見上げた。

目に入った星の並びに、言いようのない違和感があった。

どれも見慣れた星たちなのに、どこか“欠けて”いる気がする。


灯はそっとノートを開いた。

その最後のページに、ひとつだけ線で囲まれた星座が描かれていた。

見たことのない名前が添えられていた。


「エイレネ星群」


「これ……どこにも載ってない星座だよね」

僕が尋ねると、灯は目を伏せたまま言った。


「うん。たぶん、あの子が“向こう”で見てる空にだけ、あるんだと思う」


風が止んだ。


灯が笑った。


「――だから、今夜も探しに来たの。わたしが、星にならないために」


その声は静かで、でも確かに、ここにいる誰かに届いていた。

それが僕だったのか、誰か別の存在だったのかは、わからない。


ただひとつだけ。

灯のノートに記された“エイレネ星群”は、翌週から空の地図に書き加えられることになった。

誰の手によってかは、今も不明のままだ。

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