夢蝶美人錄

第33章 雪フィアの執念

「くすくす……見つかっちゃったのね〜」

その声は水滴が花びらを撫でるように優しく、耳の奥にふわりと波紋を広げた。

目の前の瓦礫と焦げた大地は、まるで鏡の中の幻影のように、色を失ってゆっくりと消えていく。

降り注ぐ陽光。揺れる長い髪。現実とは思えないほどの温もりが空気に満ちていた。

「……わたし、生きてるの？」

雪フィアは無意識に自分の無傷の身体を確かめ、そのまま呆然とつぶやいた。

「今のは……時の流れの術？それとも──」

「うわあああああああああ！！　ユキ──フィ──ア──！！」

誰かの叫びと共に、まるで逃げ出した塩焼き魚のように、ある人物が彼女に飛びついてきた。

「もう二度と会えないかと思ったんだぞぉぉ──！！」

「な、なにしてるの！？　顔を吸わないでよっ！ちょっ、ちょっと待ってってばーー！！」

顔を真っ赤に染めた雪フィアは象徴的に抗議の手を動かすが、結局は本気で振り払うこともなく、ぽつりと囁いた。

「……みんな見てるから……ふざけないでよ……」

二人がわちゃわちゃと騒いでいるその時——

淡紅色の霧が、ひっそりと舞い込んできた。

紅い紐が宙を踊り、狐の尾が揺れる。霧の中から、美しい影が花の香りと共に姿を現す。

狐仙・柔、登場。

「気をつけて。」

雪フィアの表情が凛と引き締まり、星を庇うように身を寄せ、低く呟く。

「彼女がこの幻境の元凶。……厄介な相手よ。」

星は唖然とした顔で問い返す。

「君でも“厄介”って感じるほどの相手なのか？」

「私には脅威じゃないわよ。」

彼女はちらりと星を横目で見ながら、言葉に重みを込めた。

「……でも、男には致命的。」

「……は？」

その言葉を聞いた瞬間、星は反射的に半歩後ろに下がった。

雪フィアは霧の中の女をじっと見つめ、その目に警戒の色を浮かべる。

「記憶が正しければ……紅の浄土、相思樹の下に棲んでいる“夢魘狐”。」

「恋人たちの縁を操り、夢を織る幻術の頂点に立つ存在。彼女がその気になれば、人を永遠の夢に閉じ込めることさえできる。」

その言葉に、星の脳裏にかつて師匠・瓊華仙が語った記憶が浮かぶ。

（私は昔、双子の弟子を取ったことがある。うち一人は、希少な“夢魘狐”だったわ。）

星は呆然と、目の前の絵画のような姉妹を見つめた。

「ま、まさか……この二人って……師姐？それとも千年前の姿……？」

その時、狐仙・柔がにこやかに近づき、狐仙・雅の肩にそっと手を置いた。

「ねえ、妹ちゃん。もう怒りは済んだでしょう？そろそろ落ち着いてもいいんじゃない？」

「……ふざけないで！」

狐仙・雅は手を振り払って立ち上がり、剣を抜いた。その耳の先まで真っ赤になっている。

さっきから身体が熱くて息が荒くて、胸の奥に妙な衝動がこみ上げてくる。

──あの丹薬、まさかカップル向けの……いやらしいやつ！？

舌を噛み、なんとか理性で衝動を抑えるも、表情はいつもの涼しげなまま。

──とにかく……あいつだけは絶対に斬る！！

絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対に！

「妹ちゃんさ〜、ただ身体を見られただけじゃない？そんなに騒ぐこと？」

狐仙・柔が星の方に目をやり、いたずらっぽく微笑む。

「だったら、いっそ──お嫁に行っちゃえば〜？」

静寂、三秒。

「なに言ってるのよあああああああああ！！」

空気、爆発。

雪フィアの顔色が沈み、その瞳は墨のように濃く染まる。

彼女たち三人は皆、紅の浄土の出身。伝統は厳しく、身分も高い。

見られた以上──嫁ぐか。

あるいは──殺すか。

「……まさかとは思うけど、本当に……見たの？」

星：「ぼ、僕は誓ってもいい！わざとじゃない！絶対にっ！！」

その瞬間、二本の剣の刃が彼の首筋にぴたりと触れる。

星は両手を上げて投降し、瞬時に“命乞いモード”へ突入。

「お、落ち着いて！話せばわかるって！まず座って話そうよ！ね？」

「……ふふ、そうね。」

雪フィアの冷笑。

「まずは地下牢へ連れていきましょうか。拷問器具はたっぷりあるし……ゆっくりお話できるわ。」

「うちのイルカも最近グルメでね……新しい味、試してみるのもいいかしら。」

星の顔が真っ青になる。

その瞬間——

虚空に、波紋が広がった。

銀の光が天から降り注ぐ。

水が弾け、月の光と波紋の中から一人の女性がゆっくりと歩み出る。

銀白の長髪。顔を覆うヴェール。水紋の長衣と、風に舞う魚の鰭のようなマント。

まるで、海神が人の姿で降臨したかのような神々しさ。

彼女が歩いた瞬間、空気が止まり、世界から光が消えた。

三人の女はすぐに剣を収め、膝をついて頭を下げる。

「水神様に──謁見いたします。」

星は呆然と、目の前の絵画のような存在を見つめる。

「彼女が……水神様……？」

すべての謎の、はじまり。

存在しないはずの、神。

璃瀅はゆっくりと目を伏せ、水面のさざ波のような声で告げた。

「顔を上げなさい。」

「大賽はまだ終わっていない。君たちの行動、理性を欠いている。」

そして、視線が星に移る。

口調はあくまで穏やかだが、その言葉は冷ややかだった。

「場を壊し、参加者を負傷させ、混乱を引き起こした──損害はすべて、君の責任とする。」

星：「？？？　僕！？せめて弁明くらい聞いてくれても──」

璃瀅は狐仙・雅へと視線を移し、言った。

「処分は……あなたに任せるわ。」

狐仙・雅の口元がにやりと吊り上がる。その笑みは「お前、死んだな」級の完成度。

星の顔から血の気が引く。

「……俺、次の章に無事登場できるのかな……？」

璃瀅は彼の嘆きを一切無視し、雪フィアを見つめた。

「あなたが……雪フィア？」

その一言は、水のように穏やかな声だったにも関わらず、雷鳴のように響き渡った。

雪フィアは、その場で雷に打たれたように硬直する。

「……はいっ！！」

彼女はほとんど叫び出しそうだった。声は震えていた。

璃瀅は彼女を見つめ、唇の端をわずかに上げて、優しい口調で言った。

「ずっとあなたを見守ってきました。あなたはよくやっている——私はあなたを高く評価していますよ。」

簡単な一言が、まるで羽根が湖の真ん中に落ちたかのように、千の波紋を巻き起こした。

雪菲雅は呆然と彼女を見つめ、目の縁が一瞬で赤く染まり、涙があふれた。

無意識に一歩前へ踏み出し、まるでそのヴェールの奥に記憶の中の笑顔が隠れているかのように確かめようとしていた。

（璃瀅お姉さま……）

彼女の心は一瞬にして思い出の渦に巻き込まれた。

それは静かな夜のことだった。

璃瀅お姉さまは水辺に立ち、遠くの街の灯りを静かに見つめていた。

その瞳にはいつも深い悲しみが隠れていた。

そんな時、私はいつも彼女を笑わせようと努力した——

「私の踊りが好きだって言ってくれた。花火みたいに輝いているって。」

あの頃、彼女の顔には必ず笑顔が浮かんでいた。

……

だから私は無限花閣へ行った。

もっと輝くために——

最高の自分を彼女に捧げるために。

彼女が……ずっと笑っていてくれますように。

千年もの間、ずっと、ずっと

……あなたの笑顔を待っていたのです。

彼女は唇を噛みしめ、両手を強く握り締めて跪いた。

涙は静かにこぼれ落ち、地面を濡らした。

だが、彼女は飛びつかなかった。

声を上げて泣かなかった。

——今はまだ、その時ではないから。

璃瀅は静かに彼女を見つめ、瞳に微かな波紋が揺れたが、感情は表に出さなかった。

そして静かな声で言った。

「おめでとうございます。優勝を勝ち取りましたね。私に一つだけ願いを言っていいですよ。」

雪菲雅は顔を上げ、遠くで手を振る蕭楓を見て、地面に草の塊のように横たわる星の姿をもう一度見た。

彼女は甘い笑みを浮かべて言った。

「決めました。」

「彼の処罰を免じてほしい。」

星はその場で涙を流して叫んだ。

「雪菲雅！僕は、僕は君を愛してる……！」

「だめ！！」狐仙雅が飛び出してきた。

「水神さま！こんなに簡単に許してはいけません！！

こいつは悪質な行為者です、空気を汚している！この草の塊を私に処分させてください！」

璃瀅は頷き、真剣に考えた後、こう言った。

「それも一理ありますね。死罪は免れても、生きている限り罰からは逃れられません。」

彼女は星を見つめ、意味深な口調で言った。

「今、私のそばにはメイドが一人足りません。あなたは——メイド長のもとでしっかり学びなさい。彼女が直接監督しますよ。」

星は血を吐くように叫んだ。

「僕は男なんだあああ──！」

璃瀅は静かに笑った。

「構いませんよ。女装すればいいのです。」

三人は同時に腰を曲げて笑った。

空気は奇妙だが和やかだった。

星は頭を抱えて天を仰ぎ、長い嘆き声を上げた。

「ああ、俺の自由な人生がああああああ──！！！！」