第27章 サーフィン大会、開幕⁉
──その一声が、ふたりの短い見つめ合いを破った。
「星、始まるよ。」
蕭楓はそっと彼の肩に手を置き、静かな声で現実へと引き戻す。
「……あ、ああ。」
我に返った彼が再び顔を上げたとき──
水神の姿は、もうどこにもなかった。ただ、空気の中にゆらめく水の光だけが、彼女の裾がそこにあったことを物語っていた。
「今の……俺を、見てたのか……?」
胸に手を当て、指が微かに震える。
その感覚は、まるで心臓が一瞬跳ねたかのようで……何か音にならない“ことば”が、静かに胸の奥へと沁みこんできた。
──そのとき、会場の実況席では。
「皆さまっ!お待たせしましたっ!」
実況のカロ・アイヴィが完全復活、ハイテンションモードに突入!
「フィールドの熱気が!すでにッ!最高潮ッ!!!」
「見ましたか!?さっきの!!水の浄土の守護神──」
──水龍宮璃瀅様が!
自ら会場に、ご降臨ッッ!!
観客の歓声が津波のように巻き起こる!叫び声、悲鳴、どよめきの嵐!!
「この気品……!完璧すぎる!出場者の半分が見惚れて水に転落しましたぁあ!アッハッハ!」
「夢蝶美人録の上位ランカー様だぞ!?その素顔が見れたら……もう死んでもいいわ!」
「は?お前ごときがあの方に触れられるとでも?足元の水にもなれねぇよ。寝ろ。」
──その中、蕭楓は静かに彼女の名を繰り返す。
水龍宮璃瀅。
その名前は、どこか遠く……現実感がない。まるで存在ごと、世界から“削除”されたかのような感覚。
だが──かつて“夢蝶美人録”の頂点に名を刻んだ、空白の伝説。彼はその名を耳にしたことがあった。
海の記憶を読み取るという、全知に近き存在。
──七翼の蝶がまだ現れぬ時代、
彼女こそが、まさに──神だった。
呼吸が、止まる。
千年前の「空白の神話」が、今、目の前に──
蕭楓は腰の紅玉をぎゅっと握る。関節が白く浮かび上がるほどに。
「……やっぱり、あれが“彼女”か。」
胸の奥で、言葉にならない震えが広がる。
畏敬、圧倒、衝撃、そして……運命が再びめくれはじめる、そんな予感。
「それでは──ただ今より!試合、開!始っっ!!」
審判の号令とともに、水面が爆ぜ、銀の光が四方に散る!
スタートライン前。
雪菲雅は両拳を握りしめ、鋭い目で前方を睨む。
そっと神座を見やる──あの氷のような青い瞳、此処を見てくれているだろうか。
──位置について!
──パァン!!
乾いた銃声が海に響き渡る!
選手たちが一斉にスタート!矢のように波を切って飛び出した!
星、雪菲雅、蕭楓──三人のシルエットが、星のような水しぶきを上げ、太陽の下で輝く。
蜜瀅児の鬼特訓は、ついに実を結んだ! もう水中で犬かきする日々とはおさらば!
「二人とも、先に行ってるぜ!」
蕭楓は波を裂き、舞うように滑り出す。その姿、まるで水上に躍り出た龍の影。
「雪菲雅、大丈夫か?」
「……なんとか……先に行って。」
顔は真っ青、視界もぐらつき、耳は波音と心音で混線中。それでも、彼女は歯を食いしばって前へ進む。
──璃瀅お姉ちゃんの視線が、きっと此処を見ている。
もっと、見ていてほしい──
星が小さくうなずく。
脚に力を込め、水飛沫を弾く!
飛魚のごとく、すべるように数丈を一瞬で滑り抜けた!
実況カロ、さらにヒートアップ!
「うおおおおお!選手たち、やる気全開だーっ!特に新副隊長の蕭楓選手、詩のような波乗り美技を披露ォォッ!」
「だがしかし!忘れるなッ!この試合はチーム戦!チーム全員がゴールしなければ、勝ちはないぞ!」
「つまり──CARRY神が一人いても!お荷物がいたら一巻の終わり!チームワークを見せてくれええっ!」
雪菲雅は必死にバランスを取っていた。身体が左右にぐらつき、今にも崩れそう──
──その時!
海が、裂けた。
「きゃあああああああ!?!? どいてぇえええ!!」
──ザブォォン!!
空から何かが降ってきた! 流星のごとく──海面に激突!
レーンが、巨大な波で……丸ごと、のまれた!
「な──っ……!!」
実況カロ、絶叫!
「まさかのッッ!!浪C選手ぉおおおお!!!天からのダイブッ!!華麗すぎる登場ッ!?みんな見たかーーッ!?」
「選手が一列まるごと、ぶっ飛んだーーー!!」
両腕を天に掲げ、BGMが脳内再生される男、浪C登場!
波に浮かぶ、脱落者の山。
「来たぞ来たぞォ!浪C様のお通りだァ!」
「イケメン!!かっこよすぎる!!子供作って……浪C!!」
隣の狐姉妹は余裕のバリアで水を弾く。
「Oh yeah♡ 美人ちゃんたち、このロマンティック波乗り、気に入ったかい?」
浪Cが眉を跳ね上げ、髪をかきあげながら中二全開で去っていく。
「俺様の──ウェーブ・パーティ、楽しんでいけよなぁぁぁ!!ハッハッハーーー!!」
「…………」
「姉さん、お願い。私、あの脳味噌バグった虫、絶対にぶった斬るから!」
白狐──狐仙雅が冷たく刀を抜く。氷気が周囲を走り、イルカすら牙を剥いた。
「妹よ、ただの虫に怒ることはない。」
紅狐──狐仙柔は微笑で宥めるが、その視線は一瞬たりとも逸らさず──
遠く、星の姿を……捉えていた。
水中に、一つの影が急降下する!
「シュフィア!!」
セイは勢いよく水に飛び込み、意識を失った彼女を抱きかかえた──
転送陣が光を放ち、二人は場外判定でスタート地点へと戻された。
「ゲホッ……ゲホッ、ゲホッ……!」
シュフィアは地面にへたり込み、激しく咳き込みながら手で床を掴む。顔色は血の気が引いて、まるで紙のように真っ白だった。
セイはタオルを差し出し、そっと水を拭ってやる。
「まだ本調子じゃないんだし……少し休もう、な?」
彼女は首を振り、無理に立ち上がろうとした。だが、足元がふらつき、そのまま再び崩れ落ちる。
全身から力が抜け、呼吸も乱れている。煌めいていた水滴が、徐々に赤く染まりはじめた。
……心の傷が、また疼き始めた。
「……恥ずかしい……見られたよね、きっと……あんなみっともないところ……」
「どんなに……練習しても、結局……このザマで……」
彼女はそう呟きながら、頭を垂れる。濡れた掌を見つめ、雫が水なのか涙なのか、自分でも分からなかった。
彼女は何度も夢見た。陽の光を浴びて輝きながら優勝し、リイン姉さんが拍手を送ってくれる、その瞬間を。
だけど現実は? ただの、転んだ笑い者。
シュフィアの耳がしょんぼりと垂れ下がる。波に打たれて砕けたバラのように、心も沈んでいた。
セイはそんな彼女をじっと見つめる。胸の奥が詰まり、口を開こうとしても声が出ない。
──このままじゃ、壊れてしまう。
考えるより先に、体が動いた。
彼は彼女の冷えきった身体をぎゅっと抱きしめ、柔らかく語りかける。
「シュフィア! 泣かないで! まだ優勝のチャンスはあるよ!」
彼女は拒まなかった。ただ静かに、彼に身を預ける。
その瞳は、糸が切れた人形のように虚ろだった。
ここまで、どれだけ努力してきたか──
もう、これ以上落ち込ませたくない。
どうにかして……どうにかして……。
ふと彼は、手元のアイテムバッグに視線を落とし、それから彼女を見上げる。目の奥が、怪しく光る。
そして──にやりと笑った。まるで、何かとんでもないことを思いついたように。
「安心して、シュフィア。俺に任せてよ……君を優勝させる方法があるんだ」
それは冗談なんかじゃなかった。命を懸けても、彼女を勝たせるという決意の証。
「……今、なんて言ったの?」
彼女は顔を上げ、かすかに震える目で彼を見つめる。
「本当に?」
「もちろん!」
彼はイタズラっぽく笑いながら、姉のカロから預かった“チートツールセット”を取り出す。
中には──驚きが、ぎっしりと詰まっていた。
「だから君はゆっくり休んでて。道は俺が作るから、任せて!」
「絶対、リイン姉さんの前で──超絶カッコよく優勝させてみせる!」
そう言いながら、セイは彼女の頬をそっとつまんだ。
シュフィアは涙をこらえていたが……その一言で、
「絶対、君を超絶カッコよく優勝させる」
──ぷっと、笑ってしまった。
その笑顔は、
まるで嵐の後に差し込んだ、最初の陽射しのようだった。
セイの胸の奥が熱くなる。恋の予感が、そっと色を帯び始める。
──この時、セイはまだ知らなかった。
シュフィアの心の中では、すでに一つの決意が芽生えていたのを。
もし、本当に君がやってのけたら……
……もう一度、マッサージしても……いいかも。
ご褒美として──ね。