第26章 水神さまに会えるなんて?!
白と紅、二つの影が波を踏みしめて現れる。まるで絵巻が広がるような美しさに、誰もが息を呑んだ。
銀髪に冷たい月を宿す白狐――狐仙ヤが、イルカに乗って滑るようにやってくる。その姿は、まるで月下に舞う清らかな雪のようだった。
紅い瞳に炎を宿す紅狐――狐仙ロウが、赤い紐を足に巻き、艶やかな眼差しで現れる。歩くだけで、まるで人の心を惑わす術そのもののようだった。
「Oh~Yes~狐仙シスターズ!」
浪Cが手を挙げて口笛を吹き、いかにもキザな笑みを浮かべる。
「ねぇ、キミたち~!オレと一杯どう?」
「……失せなさい。」
狐仙ヤが冷ややかに睨む。
その視線は、クジラすら凍らせるほどの冷気を放っていた。だが、浪Cはまるで感電したように笑い出す。
「ハハハッ~氷山美人か!オレ、そういうの一番好みなんだよな!大会でオレのパワーを見せてやるぜ☆!!」
一方その頃、星は紅狐ロウに目を奪われていた。彼女の艶やかな笑みを見るだけで、身体がふわりと浮き上がるような感覚に陥る。
──その瞬間、腰に鋭い痛み。
「……そんなに見とれてるの?」
雪フェアが耳元で囁いた。その声は、氷のように冷たかった。
「い、いやいやいや!そんなわけないよ!ウチの女王様には敵わないって!アハハハ!!」
「……ふん。」
その鼻息ひとつで、千年氷炎をも凍らせそうな冷たさ。しかし、なぜか星の心にはほんのりとした甘さが残った。
──そんなやり取りを耳にしてか、狐仙姉妹は足を止め、少年の方を見やった。本来なら無視して通り過ぎたはずだったが、星の腰に下げられた香袋に目が止まる。
そこには「華」の字が刺繍されていた。それを見た瞬間、二人の表情に微かな変化が現れた。
すると、狐仙ロウが目を輝かせ、いたずらっぽく微笑みながら近づいてくる。
「わぁ~、なんて素敵なお兄さま♡小女、狐仙ロウと申します~よろしくね♪」
その甘く痺れるような声に、星の心が揺れ動く。思わず、目の前の絶世の美女を見つめてしまう。
そして――彼女はそっとスカートの裾を摘まみ、優雅に、だが確実にその手を上へと滑らせていく。
星の視線は釘付けになり、魂すら抜け落ちたかのようだった。まるで神聖な領域に引きずり込まれるような感覚。
「ま、真っ白で……き、きれ――わあああああ!!痛いっ!!」
雪フェアが、無言で彼の尻に小さな針を突き立てる。
明らかに警告だった。
狐仙ロウは相変わらず優雅に微笑み、雪フェアを見やると目を輝かせた。
「あら?そちらはお兄さまの道侶かしら?目が離せないほど綺麗ね~♪」
「い、いや違うよ、彼女は別にそんなんじゃ──わああああ!!」
また一刺し。
(なんで刺すんだよ!?間違ったこと言ってないだろ!?)
星は心の中で叫んだ。
「ふん……!」
「…………(無言の圧)」
「うふふ~そう?道侶じゃないなら……今夜、時間あるかしら?私の部屋に珍しい仙酒があるの。一緒にお月見、どうかしら?」
その誘いの言葉に、彼女の艶やかな目が星の魂を奪う。
星の頭の中には、もう幻想の世界が広がっていた。
月下、ふたり並んで杯を交わし、微妙な距離感のまま近づいていく唇……
う、うわ~香りまでリアル……!
「いくいくいく!絶対いくから!!」
「じゃあ、約束よ~♡」
狐仙ロウはウィンクを残して去っていく。星は未だ夢心地で、彼女の柔らかな感触を思い返していた。
──しかし。
「ぎゃああああああああああああ!!!熱っ、熱ぅぅぅぅ!!」
次の瞬間、尻から煙を立てて水中にダイブ。
雪フェアが高台から見下ろすその視線は、まるでこの世でもっとも手遅れな男を見るかのようだった。
「なるほど、美女に誘われたらホイホイついてくのね?なら、私も誘ってみようかしら。」
「ま、待って……聞いて!説明させて……!」
「違うんだ……口が勝手に……!」
「私をバカだと思ってる?」
その瞬間、場の気圧が一気に崩壊。星は水面に顔も出せず、ただ浮かぶ屍のように漂うしかなかった。
「言っておくけど――浮気は禁止よ。一瞬でも他の女を見るなんて、言語道断。」
「ひぃ……そんな、美女に触れちゃダメなんて……飢え死にしちゃうよぉ……」
その声は、エビですら聞こえないほど小さかった。
「今、何か言った?」
彼女は再び手を構えた。
「ま、待ってください!落ち着いて!」
ショウホウが間に割って入った。「もうやめなよ!周りに見られてるって!」
雪フェアはひと睨みして、そのまま去っていく。
「……助かった……」
星は水の中で脱力し、怨念のように呟いた。
「あのウサギ女、マジで容赦ねぇ……」
ショウホウは笑いをこらえながら治療する。
「でもさ、お前イケメンだし、モテるのも仕方ないよな」
星は頷き、水面を鏡に自分の顔を見てニヤリと笑う。
「だろ?まったく、俺って罪な男……自分でも惚れそうだぜ……」
(それって、もしかして……ゲイ?)
「その通りさ……」ショウホウは声を低くして続ける。
「ただし、彼女の気持ちも分かってやれよ……。」
「へ?」
「紅の浄土では、恋人との誓いが絶対なんだ。一生に一人、道侶はそれだけ。」
彼は星の肩に手を置き、真剣な目で告げる。
「だからさ、雪フェアを大切にしてやれ。彼女を泣かせるな。」
星は目を見開く。
「でもさ、無限花閣って、そういう自由な……ほら、そういう場所じゃなかったっけ?」
ショウホウは頷く。
「昔はな。でも今は違う。七閣主と鳳瑶女帝が手を組んで改革した。今じゃ掟は厳格になったんだ。」
「もし浮気がバレたら、重罪になる。」
星はゴクリと唾を飲む。
「ば、バレたら……どうなるの?」
「…………」
「即、死刑だ。」
「はああああああああ!?なんだよそのバグった掟ぇぇぇぇぇ!!」
星の顔が一気に絵文字になり、絶叫する。
だが、次の瞬間、目を輝かせてひらめく。
「でも待てよ……バレなきゃセーフってことだよな?ふふふふ……俺って天才!」
ショウホウはその様子を見て、ため息をついた。
──と、ちょうどそのとき。
会場に雷鳴のような太鼓の音が響き渡った。
「皆さん、お待たせしました!!第二十回・仙界サーフィン大会、いよいよ開幕です!!選手の皆様はスタート地点へ!!」
音楽が鳴り響き、会場のボルテージが一気に上がる。星も高台の出発地点に連れて行かれ、下を見下ろすと、脚が震えた。
ショウホウが肩を叩いて言う。
「安心しろ、下には転送陣がある。落ちたらスタート地点に戻るだけだ。思いっきり楽しめ!」
「星~!雪フェア~!がんばってね~!」
「がんばれトゥルージェリー!」
ぷるんとしたゼリーのような質感の蜜瀅兒が、観客席の端から手を振りながら叫んでいる。甘くて、どこか癒される笑顔だった。
星も思わず笑みを浮かべ、少しだけ肩の力が抜けた──
──が、その瞬間。
風が、止まった。
波が、静まった。
音楽が、ぷつりと消えた。
──まるで、海辺全体が神の眼差しに包まれたかのように。
沈黙と荘厳に支配される。
「……えっ?」
星はわずかに唇を開き、首をかしげながら空を見上げた。
次の瞬間、海面が仄かに輝き始める。
泡のような光が旋律となり、無数に重なって流れ出す。
水流が渦を描き、やがて光の橋となる。
その中心──泡の奥から、誰かが歩んでくる。
夢のように。
幻のように。
まるで神が現れ、星と月の冠を戴いているかのように──
彼女は月白の薄紗を身にまとい、
腰には水紋の龍の鎖が銀の瀑布のように垂れていた。
スカートは龍の尾のように波光を反射し、
髪のあいだからは水晶の角が天の銀月を映していた。
その背中は魚のヒレのように優雅に揺れ、
彼女の放つ気配は、音もなく天地すべてを圧倒した。
──その瞬間、世界中の音が、彼女の存在に道を譲った。
無数の人々が息を呑み、目を見張る。
「……女神さまだ……!」
続いて、雷鳴のごとき歓声が一斉に湧き上がった。
まるで潮が逆巻くように。
空を震わせるほどの熱狂だった。
星は彼女を見上げた──天から降り立った神のようなその女性を。
心臓が、一瞬、鼓動を忘れたかのようだった。
視線を、逸らせない。
呼吸すら、いつ止めたのか覚えていない。
「……彼女が、水神さま……?」
問いかけたのか、呟いたのか、自分でも分からなかった。
その気配、その美しさ──想像を、遥かに超えていた。
そして、その時。
雪菲雅の瞳がわずかに揺れる。
彼女は、見覚えのあるその姿に目を見開き、
その唇がかすかに震えた。
驚きなのか、喜びなのか──
それとも、喜びと哀しみの入り混じった感情なのか。
だが何よりも先に滲み出たのは、抑えきれない深い想いだった。
「……璃瀅お姉さま……」
彼女は、風に溶けるような小さな声で囁く。
「やっと……会えたのね……」
そして、そのすべての視線を集める女神さまは、まるでそれに応えるように──
人混みを越えて、星のほうへと目を向けた。
視線が、交わる──
その瞳には、不思議な懐かしさが滲んでいた。
まるで、忘却と運命が交錯する過去にて、何度も見つめ合ってきたかのように。
その瞬間、星の胸がふと詰まる。
何かに引かれるような痛みが、じんわりと走った。
もしも──運命の糸が見えたなら。
今、彼と彼女のあいだには、
静かに、けれど確かに一本の赤い糸が結ばれていたはずだ。
音のない海を越えて、運命の深みに絡みつくように。
「君は……まさか──」
「……星──」
彼女の唇が、そっと名前を呼ぶ。
その声は、まるで潮風が砂浜を撫でるように、優しく淡かった。
夢のように、霧のように──
その響きだけを、ほんの一縷、残して。
次の瞬間には、歓声の波にかき消されていた。
星には届かなかった。
その声も、その想いも。
それでも、彼女は静かに──
ただ、彼を見つめ続けていた。