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第23章 駆け落ちの誘い⁈

湯煙が立ち込め、熱気がふわりと舞う。


翡翠色の湯が岩壁から滑り落ち、まるで絹のように林の間を優しく覆っている。水面を泳ぐ魚影がきらめき、蒼く揺らめく光の帯のように、水と空を自由に行き来していた。まるで、世界全体がこの静謐な夢の中に沈んでしまったかのように──


透き通るような泉の小道に沿って、ふたりの影が並んで歩く。水面は揺らぎ、波紋が広がるたび、翡翠の階段を歩いているような錯覚を覚えた。


「……ここが、彼女が言ってた温泉?」


雪フィアの声はひそやかで、まるでこの神秘的な仙境を驚かせないようにしているかのようだった。瞳を大きく見開き、その奥には空の色と水の色が映り込み、そしてほんの少しだけ──胸のときめきも隠せずにいた。


「まるで夢みたい……」


「だろ?」


星はふっと笑みを浮かべ、足取りをゆるめた。「正直、俺も……飛び込みたくなってきた。」


「じゃあ、行こっ♪」


彼女は迷いもなく星の手をつかんだ。まるで、今つかまなければ彼が逃げてしまうとでも言うように。


「ちょ、ちょっと待って!?手が……折れるってば!」


星は顔をしかめて叫んだ。ふと見下ろすと、雪フィアが彼の手首にしがみついている。溺れる者が唯一の浮き輪にすがりつくかのように。細く白い指が赤くなり、牙の跡と青痕がはっきり残っていた。


「ダメ……。一度だけ、好きにさせてくれるって、言ったよね?」


彼女の声は低く、まるで拗ねた子供のよう。うつむいたまま手を離そうとせず、頑なな気配をにじませる。


「……お湯、まだふくらはぎくらいしかないから。溺れる前に俺が死ぬっての……」


星はため息をつき、こめかみをピクつかせながら心の中でぼやく。


(なんで俺の桃花運はいつもトゲ付きなんだ……このウサギちゃん、マジで扱いづらっ)


──(ああ、水霊児が恋しい……癒し成分足りねぇ……)


すると、雪フィアが鋭く睨んできた。唇を尖らせ、むくれて小声で文句を言う。


(ただ水が怖いだけなのに……いつも私のこと好き勝手しておいて、鬱陶しいってなにそれ!……最低!)


「はいはい、そんな顔しないの。ちょっとリラックスさせてあげるよ。」


星は手を返し、指先に淡い光を灯す。すると、海のような青い蓮の花が、ふわりと咲いた。静かに回転しながら、周囲の湯気を柔らかな靛青に染めていく。


その瞬間、空気までもが静まり返った。


雪フィアは呆けたように見つめ、表情が少し和らぐ。


「……この花、精神を落ち着けるの?」


星は黙ってうなずき、膝を組んで座る。掌に咲くその花をじっと見つめながら──


(前よりずっと……道韻が安定してる。まさか……完成した!?)


彼は試しに、他の六色──赤、黄……紫を凝縮しようとした。


……が、触れた瞬間、すべて崩れた。唯一残ったのは、青だけ。


(やっぱり、水霊児と神魂が融合した影響か……彼女が強くなった分、俺にも変化が起きてるんだ)


水の道韻を導いてみると、泉の流れが答えるように彼の身体をやわらかく包み込んだ。


(これなら……修練できる。ようやく、顔だけで食っていかずに済むぞ!)


彼は低く笑い、瞳に決意の光を宿す。


(帰ったら……ちゃんと彼女を守ってやらなきゃな)


(朝から晩まで……一緒に修練)


──そのとき、ふと横を見れば、雪フィアがいた。


水を怖がっていた彼女が、静かに隣に座っている。


もし……彼女とも神魂融合できれば。俺の赤い蓮も、進化できるかもしれない──


星の目が光り、口元に悪戯っぽい笑みが浮かぶ。


「……その目、なに?」


雪フィアはぞくっとして、無意識に半歩後ずさる。


「いやいや、なんでもないって~」


星は無害そうに笑いながら、小さな瓶を取り出した。「たださ、カロ・エイヴィからもらったこれ……試してみようかなーって。」


「えっ!?」


彼女の目が一瞬で輝いた。「この香り……仙品のアロマオイルじゃない!?なんでそんな貴重な物、持ってるのよ!?」


春の花のような甘い香りがふんわりと漂い、心までとろけそうになる。


雪フィアは興奮して飛びつくと、顔のヴェールを外し、桃色の頬を見せた。目元には水のような煌めきが宿り──その姿は、ただ「可愛い」では言い表せない。心を奪うほどの、魅力だった。


星は危うく理性が崩れかけ、歯を食いしばって深く息を吸う。


(落ち着け……今は、まだその時じゃない……)


手の中の瓶をひらひらさせながら、いたずらっぽく言う。


「欲しいの~?」


彼女は首がもげるほど頷く。


「じゃあ……キスしてくれたら、あげよっか?」


──キィン。


突如、冷たい光がきらめく。


いつの間にか、彼女の手には紅色の小刀が握られていた。


笑顔は変わらないまま、声だけが妙に優しく、しかし甘さの裏に殺気を潜ませて囁いた。


「ん?今なんて言ったのかしら?もう一度、本座に聞かせてくれる?」


星は即座に土下座。両手で玉瓶を差し出す。


「女王様、英明にして神武でございます!この仙宝、謹んで献上いたしますッ!」


「ふふっ、よろしい♡では……ご褒美に、人参一本進呈するわ♪」


パァンッ──


一本のニンジンが、彼の額にぽとりと落ちた。


星は顔に苦笑いを浮かべながら、立ち上がろうとした──その時、甘く芳しい果実の香りがふわりと漂ってくる。


「わあ〜、ここ広いねぇ!」


蜜瀅兒が、きらきら光るゼリーの皿を手にぴょんぴょん跳ねながらやって来る。その隣には、私服に着替えたカロ・アイヴィの姿。凛とした佇まいの中に、思いがけない爽やかさが漂っていた。


「この温泉には、緑と橙の道韻が宿っているの。癒し効果だけじゃなく、寿命を延ばす効果もあるのよ。まさに洞天福地ね」


「星〜、シェフィア〜、ゼリー持ってきたよ〜!」


シェフィアの目がぱっと輝き、勢いよく星を置き去りにして駆け出していった。


星は自分の横に残された空っぽの手を見下ろし、そっとため息をつくと、仕方なく後を追う。


湯けむりがふわりと立ち上る中、四人は湯船の縁に並んで座る。石の上には、透き通ったゼリーが並べられ、湯の光と笑い声が交差する。まるでこの世から切り離された幻想のような光景だった。


カロはすでに厳かな装いを脱ぎ、金の紋様が施された水着姿に。豊かな胸元が湯の流れに合わせてたゆたう。すらりとした体つきが水面に照らされ、その美しさは、まるで夢から現れた女神のようだった。


星は思わず目を奪われた──


彼女が振り返り、ふっと微笑む。艶やかで、どこか誘惑的な笑み。そのまま静かに彼へと近づいてくる。


「ねぇ星、翡翠酒があるけど、一杯どう?」


「えっ……あ、うん」


彼女は星のすぐそばに身を寄せ、そっと肩に腕を回す。吐息が耳にかかり、まるで夢の中の囁きのようにやわらかい。


(ちょ、ちょっと……このお姉さん、積極的すぎない!?)


星はあたふたと杯を受け取り、ひとくち口に含む。冷たくて甘く、爽やかさが一瞬で全身に染みわたる。


「美味しいでしょ?これ、私の故郷の仙酒なの〜」


彼女は楽しげに杯を掲げる。その姿はまるで天界から舞い降りた仙女のよう。


「ほら、乾杯〜」


それから他のふたりにも声をかけた。


「あなたたちも飲む?」


「やだ〜」


シェフィアは蜜瀅兒の腕を引いて、こっそりその場を離れた。立ち去る直前、星に向かってじろりと鋭い視線を投げつける。


その目は──警告、嫉妬、そして……言い表せない何かを含んでいた。


星は慌てて言い訳しようとしたが、ふと気づけば、カロがじっとこちらを見つめていた。


その瞳の奥には、淡い感情が秘められている。


──近い。呼吸が交差するほどに、近すぎる。


「ごほっ……カロさん……」


「ん?」


「その……普段から、そんなに……積極的なんですか?」


視線は定まらず、心の鼓動はまるで太鼓のように乱れ打ち。


(ヤバい……これ以上近づかれたら、俺……キスしてしまいそうだ!落ち着け、俺!)


カロはくすりと笑い、距離を取ることなく、低く囁いた。


「深く考えなくていいわ。こういうの、嫌いじゃないでしょ?」


星は小さく頷く。その声が、ふと優しくなる。


「……うん。すごく好きだよ……ありがとう、カロ姉さん」


「ふふ、それなら良かった」


その声は羽根のようにそっと掌に舞い降りてきて、まるで夢の中でふと聞こえた一言のように、やさしく響いた。


彼女は空を見上げた。深い青に染まった夜空に向かって、遠くを想うように語り出す。


「この世界にはね……まだまだ、素敵な場所がたくさんあるの。私たちを待ってるんだよ」


彼女は一本の指を伸ばし、星海の最も奥深く、夢のように揺れる光点を指し示した。そこには、何の曇りもない憧れが宿っていた。


紅の浄土──無限花閣;


橙の浄土──浮夢花境;


黄の浄土──星楽園;


緑の浄土──百花仙庭;


青の浄土──清憂聖地;


藍の浄土──仙学院;


紫の浄土──剣舞神域;


……そして──


彼女は少し言葉を止め、目の奥に淡い金の光を宿した。


──極楽浄土。


「世界樹の頂上にあるという、伝説の起源の地。すべてが永遠に続き、あらゆる願いが叶う場所だって……ほんと、憧れるわよね」


星は思わず引き込まれた。彼女の夢の中に、ふわりと誘われるような気持ちで。その瞳に、憧れが静かに浮かんでいた。


「……なんか、本当に夢みたいだな」


だが、彼の言葉は、次の瞬間に途切れる。


カロがくすっと笑い、星が反応するより早く、するりとその腕を首に回した。


鼻先が触れそうなほどの距離。頬を撫でた彼女の体温が、思わず息を飲むほど熱い。


「でしょ?ねぇ星……一緒に、旅に出てみない?」


その声は耳をかすめる羽毛のように甘く、くすぐったいほど心に沁みる。星の頭の中は「ブーン」と音を立てたように真っ白になり、思考が完全に停止した。


(だ、ダメだ……これ以上は本当に……耐えきれない!!)


星は必死で彼女の目から視線を外し、話題を無理やり変えた。


「ごほっ、ごほごほっ!ま、まあちょっと興味はあるけど……な、なんで俺なんですか?」


カロ・アイヴィは、星をじっと見つめたまま微笑む。その表情は、答えを知っているのにわざと口にしない、いたずら好きのギャンブラーのよう。


「さあ、どうしてだと思う?」


その問いは、急がず焦らず、でも確実に心の奥をくすぐる。星の鼓動はさらに速くなり、言葉を発しようとしたとき──


彼女はふいに視線を落とし、指先で彼の胸元をなぞった。


その仕草は、決して攻撃的ではないのに──なぜか、体がひとりでに強張ってしまうのだった。

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