第二十二章 この私を脅すつもりか?!
星の表情が一変し、犬のように甘える目つきで近づいた。
「ま、待ってください女王様〜。こういうことは、ぜひとも僕にお任せを!お召し替えのお手伝いは、下僕として最高の光栄であります〜!」
厚かましく顔を寄せる──が、次の瞬間。
「最近のお前の態度……この私、ちょっと気に入らない。」
冷たい声。でも、その奥にはどこか探るような色があった。拒絶でも拒否でもない──ただ、試しているだけ。
(これは……チャンス?)
星の顔がぱっと明るくなり、尻尾があったら今にも振り出しそうな勢いだった。
「小人、猛省いたします!どうかご叱責を!」
彼の低姿勢に、雪菲雅は小さく鼻で笑い、口元をつり上げた。
(さっきはあんなに偉そうにしてたくせに、結局はこの私の手のひらの上ね。着替え?それは……ちょっと期待しすぎでしょ。)
「じゃあ、今後この私に逆らわないって誓いなさい。」
「はいはい、誓います!」
「――轟ッ!!」
紅蓮の炎がひと閃。水着、ヴェール、羽織が一瞬で完璧装備される。
星は凍りついた。銀灰の瞳が、完全に色を失う。
「え?これで終わり?信頼って何だったの!?俺、もう半分脱いでたのに……!」
雪菲雅は意地悪く笑った。目尻にはイタズラっぽい光。
からかわれたと気づいた星の中で、悪戯心がむくむくと湧き上がる。
「へへ……じゃあ、今度はこっちの番だな?」
一歩ずつ、彼女を壁際へと追い詰めていく。
「な、何するつもり!?近寄らないでってば……!」
雪菲雅は警戒して下がり、手の中にそっと炎を灯す。
星の目が、まるで悪戯好きな狼のように光る。
「なぁ、もしひとつ、俺のお願いを聞いてくれなかったら──君を食べちゃうぞ?」
「は、はぁ!?あんた、何言ってるの!?脅す気!?」
顔を真っ赤にしながら、雪菲雅の炎が小さく爆ぜる。
「もし断ったら……」星はそっと彼女の耳元に囁いた。「他の美人さんと楽しく過ごすことにするよ?それに──サーフ大会も、君抜きで行くから。」
──静寂。
雪菲雅は固まった。まるで雷に打たれたかのように。
「お、お前……この私を脅すなんて……!」
「脅したらどうなる?怒るか?」
「このクソ下僕ォォォ……許さないッ!」
彼女の怒りに満ちた瞳が、まるで炎そのもの。
しかし星は一歩も引かず、そっと手を伸ばし──
その指先が、薄衣の端から滑りこみ、腰のあたりの柔肌に触れた瞬間──
「っ……や、やめ……」
かすれた声。猫耳が小さく震えるような囁きだった。手で彼の胸を止めようとする。
「……嫌って意味?」
「ち、違う……ただ、慣れてないだけ。」
その一言で、星の声音がふっと優しくなる。
「大丈夫……抱きしめるだけ。無理はしないよ。」
「ほんの、少しだけ……それだけでいいなら……」
(……全部、言うこと聞いてくれるって?)
雪菲雅は戸惑いながらも、瞳を伏せ、唇をきゅっと結ぶ。
顔が、真っ赤に染まる。
(ちょっとだけなら……)
(……もう、初めてじゃないし)
彼女がふと気を抜いた瞬間、星はふわりとその身体を抱きしめた。
雪菲雅は象徴的に一、二度身をよじったが、それ以上は拒まなかった。
波の音と心音だけが、世界を包む。
ドクン。ドクン。ドクン。
「それ以上は……ダメ。」
紅い霞が、彼女のまわりにふわりと漂い、秘めた鼓動を隠そうとする。
星はその様子を見て、息を呑む。心が震える。
(……可愛すぎだろ)
ほんの少し、彼の顔が近づく──
雪菲雅もそれに気づき、耳まで真っ赤になる。
(ちょ、ちょっと待って……キス!?だ、だめだって……そんなの恥ずかしすぎる……!)
彼女の躊躇いを感じ取った星は、そこで止まった。
──わかっていた。この高飛車な不死鳥の心を溶かすには、焦りは禁物。時間をかけて、少しずつでいい。
大丈夫。まだ先は長い。
雪菲雅はそっと目を開けた。彼が、ただ静かに抱いてくれているとわかると、胸の中の不安も、少しずつ消えていった。
そうして、ふたりはそのままベッドの上で身を寄せ合い、眠りについた。
──だが。
「ドガーンッ!!」
突然、扉が派手に開かれる!
「うわっ!?この部屋、景色サイコーだね〜!」
蜜瀅兒が元気よく飛び込み、カロが続く。
「え?星くん……って雪菲雅も!?まさか、ふたりで……?」
「ち、違うってばぁああ!!」
「無理やりされたんじゃなくて……ちょっと添い寝……いや、休憩を一緒に……ッ!」
「ほうほう、そういうことね〜。わかるわかるぅ〜♡」
ニヤニヤしながら蜜瀅兒は雪菲雅の手を取り、無理やり連れていく。
「さ、行こ行こ〜!海で遊ぶよ〜!」
「だから誤解だってぇぇええええええ!!」
——
陽光がちょうどよく、波のささやきが耳に心地よい。
ミーインとカルロは海の上で追いかけっこをしていた。笑い声は海風に揺られ、まるで二つの光のような魂が青春の輝きを映し出している。
その少し離れた場所で、シェフィアは椰子の木の下に静かに座っていた。膝を抱え、長い髪は肩に垂れ、そよ風にそっと揺れている。
彼女の視線は、きらめく海面を越え、まるで時間を超えて届かない過去を見つめているかのようだった。
その瞬間、彼女はこの世界と――まるで糸が切れたかのように断絶していた。
突然、頬を冷たいものが滑り落ちる。
「……冷たい」
彼女は驚いて顔を上げると、星が笑顔で彼女の前に立っていて、冷たい湯気の立つジュースを差し出していた。
「君に。さっき飲みたいって言ってたから。」
彼女は手を伸ばし受け取ると、指先がふと彼の手のひらの温もりに触れた。そのささやかな感触が、まるで静かに心の奥に潜り込む優しさのようだった。
「……ありがとう」
彼女は小さく囁き、視線はまだそのジュースに留まっていた。
「さっき……本当に、抱きしめただけ?」と、少し落ち込んだような口調で問いかける。それは確認でもあり、かすかな期待でもあるようだった。
星は無邪気に目をぱちぱちさせて答えた。
「もちろん。君がダメって言ったから。」
「ふん……今回は許してあげるわ。」
彼女は唇を噛んで軽く鼻を鳴らし、顔をそらした。強気な口調の裏には、本人も気づかないほどの弱さと恥じらいが隠れている。
彼女は視線を落とし、太陽の光を浴びて徐々に深まるオレンジ色のジュースを見つめた。まるで何かの記憶の色に染まったかのように――血のような赤、思い出の奥底から浮かび上がる残影のように。
星は彼女の沈黙を感じ取り、静かに尋ねた。
「君は水が怖いの?生まれつき?」
シェフィアは首を横に振り、その声は潮が引くときの砂の音のようにかすかだった。
「違う。」
彼女は少し間を置き、長年封印してきた真実を話すべきか迷うようだった。
「幼い頃……血の海の中で、両親の冷たくなった遺体を見ていた。」
「水の冷たさは、いつもあの夜に戻してしまう――」
その口調はあまりに冷静で恐ろしいほどだった。まるですでに涙を枯らした魂のように。
星はその場に立ち尽くし、どう返していいかわからなかった。
「じゃあ……どうして“忘憂の海”に行って、記憶を封じないの?」
彼は慎重に尋ねた。押し付けがましさはなく、ただ純粋な気遣いだった。
シェフィアは顔を上げ、少し茫然とし、また悲しみを帯びた瞳で答えた。
「私も忘れたい……でもできない。」
「その記憶の中には、彼らが笑っている姿もある。あと――リーイン姉さんも。」
彼女は無理に笑顔を作ったが、どうしても目の奥の虚無を隠せなかった。
「それが私の人生で、唯一の光……君たち以外は、残りはすべて血と火。」
言葉が落ちると同時に、脳裏には無数の映像が浮かんだ。
屍の山、血の海、炎に焼かれる身体。
彼女は血を舐めて生き、冷たさと刺す痛みの中に自分を包み込み、ただ少しでも長く生きるために。
無限花閣の一員として、彼女の人生は決して自分のものではなかった。
運命は彼女が生まれた瞬間にすでに檻を描き、選択肢を与えなかったかのように。
彼女は静かに頭を上げ、空を見つめた。
背後で五対の火の翼が静かに広がる。
それは――息をのむほど美しい翼だった。
しかしその翼はひび割れに満ちており、まるで幾度も烈火に焼かれ、引き裂かれ、無理やり再生されたかのようだった。羽の一枚一枚が過去の痛みを囁いている。
彼女はふと星の方を向き、口元にほのかでほとんど直視できないほどの微笑みを浮かべた。
「でもね、今は……僕が従者になったから、日々はそんなに退屈じゃなくなったみたい。」
その口調は冗談めいているが、風に吹かれれば消えそうな願いのようにも聞こえた。
「これが終わったら……無限花閣を離れて、自分が望む人生を生きたい。」
彼女の笑みは別れの前の光のようで――
短くても、深く彼の心に刻まれた。
星は彼女を見つめ、その言葉の裏にある決意に気づかず、ただ優しく笑って言った。
「じゃあ、一度だけわがままに付き合おう。ちょうど、伝説の水神様に会いたかったんだ、へへ。」
突然、波の向こうから澄んだ声が響いてきた――
「シェフィア~水遊びしようよ~!」
ミーインが波を踏みしめながら走ってきた。手に色鮮やかなサーフボードを抱え、声は陽光の下の風鈴のように甘かった。
彼女は夢のような水着を身にまとい、陽の光を浴びてまるで海と空の間から降りてきた妖精のようだ。
星はそっと彼女に伝えた。
「彼女はちょっと水が怖いんだ。」
「水が怖いの?」
ミーインは目をぱちぱちさせ、すぐに笑って手を挙げて遠くを指さした。
「じゃああっちに天然温泉があるよ~一緒に足湯しながらおしゃべりもいいよね!カルロ・エイヴィも呼んでくる!」
シェフィアは静かにうなずいた。足湯ならまだ受け入れられそうだ。
二人は並んで温泉の方へ歩き出した。
霞の光が斜めに差し込み、蒸気が立ちこめ、まるで夢の境界がそっと開かれたかのようだった。
夢の始まり、そして夢の続き。