第18章 私はもう純潔じゃない…⁈
冷たい風が林を吹き抜け、枝々がざわめいた。
猟師たちは雪原の片隅に集まり、重苦しい空気が漂っていた。
罠の中には、雪のように白い小さな兎が、凍てつく地面にうずくまり、脚には血がにじみ、傷口の周囲からは不気味な黒い気が漂っていた。
その息はかすかだが、赤い瞳は炎のように燃え、歯を剥き出して怒りを露わにし、身体は小刻みに震えていた。
まるで追い詰められた野獣が、最後の一撃を放とうとするかのよう。
——なぜなら、もう後がなかったからだ。
「気をつけろ!あれは普通の兎じゃない、邪気に染まった魔物だ!」
猟師たちの顔色が一変し、斧の柄を握りしめ、殺気を放つ。
そのとき——
遠くの雪原がほのかに光を放ち、湖面のさざ波のようにゆらめいた。
優しく、それでいて抗えない力が一帯を包み、氷雪が自然と道を開ける。
水の上を歩くようにして、ひとりの細身の影が姿を現した。
銀白の長髪が風に舞い、水紋のような長衣の裾は龍の尾のように揺れ、マントは魚の鰭のように軽やかに踊る。
月光が髪先にきらめき、眉目は静かに澄みきり、その存在感は湖面の泉のように静謐だった。
それは、もはや人のものではない。
湖の中心から現れた神のような存在——
水龍宮の璃瀅。
「水神様だ!」
人々は一斉にひざまずき、頭を垂れた。
「その兎はすでに邪気に染まっています。どうか、ご裁きを!」
兎は震えながら身を縮め、耳には殺意と追放の声しか届かない。
歯を食いしばりながら、朧げな記憶が断片のように浮かび上がる。
——森の火災、魔物の襲撃、母の背中が飛びかかる姿、兄が血の湖に落ちていく瞬間……
そして最後に、ひとりだけが生き延びた。
雪はまだ溶けず、この静かに覆われた谷には、母のぬくもりと兄が持ち帰った野いちごの香りが、まだ微かに残っていた。
ただ、ここにいたかっただけ。騒がず、誰も傷つけず。
——なのに。
なぜ人間の目は、あんなにも怯えと嫌悪に満ちているの?
まるで、自分が怪物であるかのように。
兎は震えながら、小さな身体をさらに縮めた。
(こわい……本当に、こわいよ……)
(誰も傷つけたくなんてなかった。ただ、生きたかっただけ……)
赤い瞳から、一粒の涙が滑り落ち、雪の中に静かに溶けていった。
それは、彼女がまだ「生きている」証だった。
……
璃瀅はそっと身をかがめ、指先で兎の額に触れ、目を閉じてその気配を感じ取った。
しばしの後、目を開き、眉をほんのわずかに寄せる。
「……邪気には染まっているけれど、魂はまだ失われていない。心は……純粋なまま。」
彼女は顔を上げ、その声は雪に落ちる泉のように清らかに響いた。
「この子は、魔物じゃありません。」
柔らかくも、風雪の中にはっきりと届くその声。
「……ただ、慰めを求めている小さな白兎です。」
兎はその言葉に目を見開いた。
顔を上げると、神のような彼女が手を差し伸べていた。
指先には淡い光が流れ、瞳は静かな湖面のように澄みきっている。
「大丈夫、あなたはもう、よく頑張ったよ。」
「次は——わたしが、あなたを守る番。」
彼女は微笑みながら、優しく続けた。
「さあ、行こう。ここは、もうあなたの居場所じゃない。でもね、わたしが新しい家をあげる。」
——その瞬間、言葉にならない感謝が、視線の中で静かに流れた。
……
数年後。
雪菲雅はすでに人の姿へと変化し、十歳ほどの少女となっていた。
銀髪に水のような瞳、笑顔は朝の雪解けのように柔らかい。
短剣を抱え、ぴょんぴょんと岸辺の女性に駆け寄る。
「水神お姉ちゃーん!一緒に剣の練習して~!」
璃瀅は岸辺に静かに座り、水の気配を纏いながら、マントが風にたなびいていた。
彼女は手を伸ばし、雪菲雅の頬にそっと触れ、微笑を浮かべながら言った。
「こんなに可愛い子の顔に、傷が残ったら……もったいないと思わない?」
「お姉ちゃんはね、琴や書を学んでほしいなぁ。そのほうが、あなたには似合うと思うの。」
雪菲雅は頬をふくらませ、不満げに顔を背けた。
璃瀅は笑い、波紋のように柔らかな声で語る。
「わたし、あなたが踊る姿が一番好きなの。まるで炎の中に咲く鳳凰みたいに、誇らしくて眩しくて……」
「もしかしたら、無限花閣こそが、あなたが本当に輝ける場所なのかもね。」
そして、言葉を和らげてこう続けた。
「お姉ちゃん、時間ができたら必ず会いに行くから。いい?」
雪菲雅は彼女の瞳にある疲れに気づき、胸がきゅっと締めつけられたが、微笑みながら頷いた。
璃瀅は背を向けて去っていく。その後ろ姿とともに、水の温もりも遠ざかっていった。
雪菲雅は手を伸ばし、もう一度だけその姿を見つめる。
(……わたしも、あなたの力になりたいのに。)
……
——船室の中。
雪菲雅はふと目を覚まし、額にはうっすらと汗が滲んでいた。
陽光が窓から差し込み、金の斑が床を照らす。
彼女は額に手を当てて、小さくつぶやいた。
「久しぶりに……あの人の夢を見た。……もう千年になるんだね。」
彼女はふっと微笑んだ。その顔は雪解けの朝日のように温かかった。
「……もうすぐ、また会えるね。」
「おはよう、女王様~!」
星が勢いよく扉を開け、満面の笑みで温かい朝食を運んでくる。
「本日は小生めが、美味しい料理をご用意いたしました!どうぞ召し上がれ~!」
「……は?」
雪菲雅は眉をひそめ、奇妙な目で彼をじっと見つめる。
いつからこんなに素直になったのかしら?
星は冷や汗をかきながら、内心で必死に祈る。
(清き女神さま……どうか、昨夜のことだけは忘れていてください!!)
雪菲雅は膝を抱え、ベッドに座り込み、乱れた前髪の下でまだ夢の余韻に浸っていた。
まるで、雪林の子供時代に毛布にくるまっていたあのときのよう——
だが次の瞬間。
昨夜の記憶が、寒波のように一気に押し寄せた。
「!!」
目を見開き、頬が一瞬で真っ赤に染まる。
(き、昨日……わたし、あいつの胸に自分から寄りかかってた!?しかも、あの男……!)
「か、身体の調子悪いの!い、今すぐ出てって!!」
絶叫とともに布団に潜り込み、声は裏返った。
「バタンッ!」
扉が閉まり、星は壁に背を預けてずるずると座り込み、冷や汗を流しながら荒く息を吐く。
(あぶなかった……気づかれてたら、魚の餌になってた……)
ベッドの上で、雪フィアは枕に顔を埋めたまま叫んだ。羞恥が津波のように押し寄せてくる。
そろりと頭を出し、自分の体を点検する。そして――安堵の息を吐いた。
(……よかった、最後の一線は守った……)
胸に手を当てる。そこにはまだ、微かにぬくもりが残っていた。
(……どうして、彼の体から……太陽の匂いがするの? 安心できるなんて……)
枕の下から赤い蓮の花を取り出す。その上には、星の気配がまだ微かに残っていた。
(この花の効果は限られてる。でも……彼の力を借りれば、私の火の蓮台も……きっと回復できる。もしかしたら、それ以上に……)
脚をぎゅっと閉じ、頭の中にあの時の「神魂融合」の映像が浮かぶ。胸が震えるようなあの感覚――
「っ……!!」
びくりと震え、顔を両手で覆う。そのまま体を丸め、布団にくるまった。
「ダメ……もう考えるの禁止っ! なんであんなことでドキドキしてるのよ……終わった、私もう純潔じゃない……!」
小さな声でぶつぶつと呟く。
「絶対あの銀髪の色魔のせい……私が汚れたんじゃないんだから……」
そこへ、ふんわりといい匂いが漂ってくる。視線を向けると、テーブルの上に朝食が置かれていた。
彼女はむくりと起き上がり、一口かじってみる。
「……意外と、美味しいじゃない……」
(ふん、いいでしょ。これから毎日、私にご飯作らせてやるんだから……)
―――
船は一日一夜をかけて進み、ついに港に到着した。
香りと賑わいが一気に押し寄せてくる。
水脈に沿って蛇のように伸びた街並み。屋根には風鈴と彩り豊かなランタン。水路では、子供たちが魚型のスケートボードに乗って、風のように滑っていた。
港町はまさにお祭り騒ぎ。色とりどりの旗が舞い、人波があふれ、水の流れは光を反射して虹のよう。
「女王様~、ちょっと街をぶらぶらしません? 一緒に行きましょ?」星がドアをノックする。
「カチャッ。」
ドアが開く。
雪フィアはすでに雪の模様のマントを纏い、マスクとベールで顔を覆っていた。その表情は冷たく、まるで神の化身。昨夜の幼い少女の姿とはまるで別人だ。
「行くわよ。」
冷淡な口調で言い放ち、先に船を飛び降りた。
「……この切り替えの速さよ……」星は思わずため息をつく。
昨日のあの子……可愛かったのになぁ。
また見られる日は来るのだろうか――
―――
水脈に沿って続く街道。水面がきらめき、人々が行き交う。星と雪フィアは肩を並べて歩いていた。
と、その時。人混みの中から歓声が沸き起こる。
一人の少年がサーフボードに乗り、水面を駆け下りてくる。まるで燕が波をかすめるような華麗な動き、波を踏む影が幻想的だった。
「うわぁ……」
星の目が輝く。もっと近くで見ようと一歩踏み出したその時――
前方から、かわいらしい声が響いた。
ゼリーのスイーツ屋台の前に、一人の少女が立っていた。
水色のグラデーションがかったゼリー質の短いスカートに、腰にはヒトデ模様の小さなポーチ。髪はふわふわで、キラキラの貝殻ヘアピンをつけている。手には巨大なスイーツスプーンを持ち、笑顔で客を呼び込んでいた。
彼女の掌から、水の精霊のような幻影が現れ、ぷるんとした透明なドラゴン型ゼリーに変化。そのまま指先で跳ねる様子は、まるで小さな水の妖精そのものだった。
「女王様、ひとつ食べてみません?」星が横から覗き込んで尋ねる。
雪フィアは無表情のまま、その屋台をちらりと見る。口は開かない――だが、その視線は、踊るウサギゼリーにしっかりとロックオンされていた。
「……分かったよ分かったよ。」星は苦笑して歩み寄る。「お嬢さん、ウサギ型ゼリーをひとつお願い。」
「はーいっ♪」少女は明るく微笑み、スプーンを翻しながら、水を操る。まもなく、耳までぴょこぴょこ動く精緻なウサギゼリーが完成した。
「はい、お兄さん♪ ウサギゼリーできたよ~☆」
キラキラとした瞳で笑いながら、ゼリーを差し出す。
「ありがとう、お嬢さん。」
「蜜瀅兒って呼んでね~☆」少女は春の光のように笑い、雪フィアに視線を向けて目を輝かせる。「わぁ、そっちのお姉さんって、お兄さんの道侶? めっちゃ美人~!」
二人同時に固まった。
「ただの……友達だよっ!」星は慌てて否定する。少し声が裏返った。
「奴隷よ。」雪フィアは冷たく言い放つ。声は氷のように鋭い。
「きゃーっ、仲良しさんですねぇ~♪」蜜瀅兒はまったく気にした様子もなく、にっこりと微笑んだ。
星は頭を抱え、話題を変えようと必死だ。「さっき言ってたサーフィン大会って、何それ?」
「それはもう、大事なイベントなんだからっ☆」蜜瀅兒のテンションが上がる。
「百年に一度の大イベント――水の聖域・サーフィン大会よっ!」
彼女は空を指さす。
その方向を見ると、街の果て、水の流れが天に向かって巻き上がり、まるで雲の階段のように蜿蜒と続いていた。巨大な龍が舞うかのような光景は、圧巻だった。
星はごくりと息を呑み、脚が震えた。
「た、高すぎるだろこれ……!」
蜜瀅兒は目を輝かせながら言う。
「あの雲の階段を登り切ってゴールまでたどり着いた人は、なんと……私たちが最も敬愛する水神様から、直接祈願してもらえるんだよっ!」
雪フィアの動きが止まった。
あの懐かしい名前が、水の光の中から呼びかけてくるようだった――
水龍宮・璃瀅。
指先が微かに震え、心臓が跳ねる。水の波紋が記憶の幻のように揺れ、夢と現の狭間に浮かび上がってくる。
「璃瀅お姉さま……」
彼女はそっと呟く。口元が柔らかくほころび、目には水の煌めきが宿った。
――私は、あなたを探しに来たの。
「お兄さんは、どんな願い事があるの~?」蜜瀅兒がにこにこ聞く。「水神様がOKしてくれたら、ぜ~んぶ叶っちゃうよっ♪」
星の目がキラリと光る。けれどすぐに、あの雲の階段を思い出してため息をつく。
「願い事は素敵だけど、命はもっと大事……俺はウサギゼリー食べてる方が幸せだわ……」
その瞬間――背後から冷たい気配が走った。
「私たち、参加するわ。」
雪フィアの声は氷刃のように鋭く、決意に満ちていた。星はびくりと震え、恐る恐る彼女を見る。
「ま、待ってください女王様っ! あなた、水遊び向いてないっていうか……俺、サーフィンとか無理なんですけどっ!」
彼は慌てて首を振る。あの雲の階段を思い出しただけで、膝がまたガクガクしてくる。
「二人一組で参加できる。」
雪フィアの瞳は揺るがない。声には一切の感情がなかった。
「あなたに、付き合ってもらうわ。」
それは疑いの余地すら許さない命令だった。
千年の氷河に佇む神が、すべてを見下ろすような威圧感。
星の首がすくみ、心の中で絶叫する。
(終わった……今度こそ、本当に殺されるかもしれないっ!!)
みんなが応援してくれるなら、それだけで嬉しいよ。
日本語から翻訳するのは初めてなので、誤訳があったらご容赦ください。本文は下記URLにあります。
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