第16章 深淵へ堕ちる?!
「えっ……?」
水霊児の瞳が煌めいた。まるで夜空に蘇った琉璃の星。
彼女はそっと手を伸ばし、星の袖をつまみ、そして控えめに彼の指先を握った。
その動作は小さく、まるで甘えているようで、どこか頼るような気配もあった。
「星、ねぇ見て見て――!」
声は宝物を見つけた子供のように弾み、彼女の指が足元を指し示す。
そこには、ゆっくりと立ち上がるように現れた星の光の波があった。
星もつられて視線を向ける――
目の前に広がるのは、夢のような幻想的な天幕。
星光が空気中を舞い、旋回し、まるで見えざる力に導かれるように、蒼穹へと吸い上げられていく。
「星が飛んでるよ! きれい……あれって、どこに向かってるのかな?」
彼女の声には、驚きと好奇心が隠しきれずに滲んでいた。
足元には、鏡のように澄んだ水面が広がり、無数の星の輝きを映し出していた。頭上には、青く揺らめく幻想花が蛍のように瞬き、語られぬ夢の一片のように重なり合って、星河へと続く道を描いていた。
星光は空中でくるくると舞いながら、次第に一つのまばゆい星へと凝縮していく。
それぞれの光が、忘れられたくない願いのように必死に瞬いていた。夜空に沈むことを拒むように――
水霊児は顔を上げ、ぽつりと呟いた。
「……きれい……」
彼女が指を伸ばしたその瞬間、一輪の星の花が降りてきて、触れた指先でそっと弾けた。
星屑の波紋が広がり、まるで微笑みながら砕けた夢のようだった。
「花びらが踊ってるみたい、ふふっ――」
彼女の笑顔はまばゆく、笑い声は星明かりに溶け込むように舞い上がり、この天地のどこよりも軽やかな風となった。
星は、ただ静かに彼女を見つめていた。
今の彼女は、星よりも、ずっと輝いていた。
ここは「忘憂の海」と呼ばれる場所。けれど星の光は、まるで記憶の温度のように、ひとつひとつ胸に降り積もっていく。
(これは、ただの忘却じゃない――まるで、優しい別れのようだ)
その時だった。
水面が静かに揺れ、ひとつの琴の音が風に乗って響いた。まるで月に落ちた風のように、やさしく、遠く。
琴蘭嬢が、水面を踏んで歩いてくる。音もなく、夢のように軽やかな足取りで。彼女の薄紫の衣が波紋を描き、銀青の光を幾重にも広げていく。
「水霊児、星。」
二人が振り向くと、光と影の交錯の中に、まるで一幅の絵巻から抜け出た仙女のように、彼女が静かに立っていた。
「姑姑――見て見て!」霊児は彼女の手を引き、空の星河を指差す。瞳は星と同じくらい輝いていた。「流れ星みたいじゃない? 一緒に星を見ながらお茶しよっ、ねっ?」
琴蘭は穏やかに微笑み、二人の手が重なっているのを見て、月明かりのような優しい声で言った。
「こんな夜は……願い事にぴったりね。」
彼女は数枚の符を取り出し、二人に手渡した。
「これは神影符。護身用よ。姑姑は少しの間、外へ行ってくるわ。」
霊児は素直にうなずくと、すぐにせかすように言った。
「はやく戻ってきてねっ、そうしないと見逃しちゃうよ!」
琴蘭はふふっと笑い、彼女の髪をなでる。「うん、すぐに戻るわ。」
彼女はふと空の彼方に目を向けた。
そこに、一つの星が不規則に瞬いていた――まるで、切迫した呼吸のように。
その瞳に、かすかな陰りがよぎる。
この忘憂の海は、もしかしたら今夜を境に――もう、穏やかではいられないかもしれない。
彼女はそのまま踵を返し、裾が水面をなぞるように揺れ、音もなく風に消えていった。まるで、まだ終わらぬ琴の音のように。
霊児はその背を見送りながら、なぜか一瞬、心がふわりと揺れた。
星もまた、空で回る星団を見つめた。胸の奥に、小さな不安が芽生える。
――まるで、何かが、迫ってきているような。
―――
その頃――
忘憂の海のどこかで。
ひとりの少女が川辺に座っていた。涼やかな水に足を浸し、静かに佇んでいる。
水面には星の光がきらめき、まるで夢蝶が舞っているかのように、幻想的で神秘的な空気に包まれていた。
橙金色の髪が朝焼けのように輝き、夢蝶の羽衣が光を反射する。スカートの裾が水に揺れ、まるで桃源郷に生まれた仙霊のようだった。
彼女の名は――フィロニー。
橙の浄土・浮夢花境から来た夢蝶の乙女。永遠と夢を探求する、桃花の秘境である。
「……わあ、きれい……」
彼女は呟きながら、掌にそっと星の涙を包んでいた。
その透明な珠には、花の海を駆ける白い狐の姿が映っていた。ぼんやりとしていながらも、温かさを感じる映像だった。
視線を岸へ向けると――
ひとりの少年が立っていた。紫の衣に銀の槍、月光を背に受け、その瞳は冷ややかに澄んでいた。
彼はフィロニーの護衛――曜風。
紫の浄土・剣舞神域の戦士。剣を尊び、名誉を信じる聖域の民である。
「お嬢様、時間です。」曜風は静かに言った。「そろそろ出発を。」
フィロニーは振り向かず、伏し目がちに言う。
「もう少しだけ……あと一度だけ、あの子を見ていたいの。」
言葉には、言い出せない寂しさが滲んでいた。
「ずっと……この美しさが、消えずにいてくれたらいいのに……」
そう言って、彼女は星の涙を静かに星海に放った。
「この星屑の中で……どうか永遠に、生きていて。」
星の涙が水面に落ち、波紋のように光が広がっていく。微かな光が夜空を照らし、一筋の不滅の軌跡を残した。
すべてが静けさに包まれ――
次の瞬間。
「えっ? まぶしい……あれは何?」
フィロニーが驚いて顔を上げた。その瞳に星光が急激に拡大し、異変を感じ取る。
霊薬の花海では、カロ・エイヴィが手を止めた。
「太陽? 今って昼じゃないはずだけど……」
蕭風は古木に寄りかかり、顔をしかめた。
曜風の瞳が見開かれ、震えた。「……何か、おかしい!」
すべてが凍りつく。
風が止み、星が凝り、天地が息を呑んだ。
まるで――審判を待っているかのように。
そして、次の瞬間――
ゴオォォォン――!
星空が揺れる。夢が崩れるように。
銀河が真っ二つに裂け、天がねじれる。ひとつの星が突然膨張し、予兆もなく、太陽のように輝きながら、落ちてきた!
天地が崩れ――忘憂の海が、その瞬間に爆ぜた!
「きゃあああああ――!!!!」
六人と一羽の兎が空に舞い、落葉のように翻りながら、必死に互いをつかもうと手を伸ばす。
「霊児――!!」
「星――!!」
互いに叫び、触れ合おうとした手は――
ただ、冷たい風をつかんだ。
吹き荒れる風が星屑を巻き上げ、まるで刃のように斬り裂いてくる。
星は空中に投げ出され、喉に鉄の味が込み上げた。
――初めて、彼は本当の恐怖を感じた。
落ちることが、怖いのではない。
そうではなく――
彼女の笑い声が、消えたからだ。
「霊児――!!!!」
返ってきたのは、砕けた星の光と、風の中に残された、言いかけたままの笑い声。
裂け目が開き、ひとり、またひとりと呑み込まれていく。
星屑が舞い、すべての影が、闇へ堕ちた。
かつて憂いを忘れさせたこの星海が、今は――
夢が砕ける、その始まりとなった。
―――
そして、その落ちた星の余波は、そこにとどまらなかった。
目に見えぬ光の波が忘憂の海から放たれ、湖に投げ込まれた巨石のように、水の浄土全土を震わせた。
「ねぇ、ママ……外、急に暗くなった……」
怯えたように窓辺に近づいた子供。その澄んだ瞳に、暗い空が映っていた。
本来は鏡のように青いはずの空が、まるで引き裂かれたように変わっていた。
母親は眉をひそめ、子の髪を撫でて言った。
「……雨でも降るのかしら。ちょっと洗濯物を取り込んでくるわね。」
彼女が外へ出たその瞬間――
鋭い寒風が顔を切りつけるように吹きつけた。
本能的に襟をかき寄せて、空を見上げた。
そして――凍りつく。
「……これは……何……?」
水の浄土を覆っていた泡が、すべて凍りついていた。
天地は、まるで氷の星に閉じ込められたようだった。空には古の審判を思わせる符文が流れている。
空気は凍え、呼吸さえ困難だった。
遠くで、人々の悲鳴と逃げ惑う足音が響き始めた。
天地が――変わろうとしていた。
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遠く離れた場所──ある宿屋の一室にて。
灯火は豆のようにかすかで、窓辺にひとりの人影が静かに佇んでいた。
深い藍色のロングコートをまとい、その身には星のように煌めく光が瞬く。
肩にかかる星晶石は、運命の光を屈折させるように輝いている。
腰には銀の帯、そこに吊るされたサイコロが、彼の一歩一歩にきらめく残光を刻む。
その男の名は──玄郎。
黄の浄土にて“賭徒”として知られ、星塵商会の幹部の一人である。
「入れ。」
気だるげな声だったが、その奥には抑えきれぬ興味が滲んでいた。
扉が開き、使用人が低く頭を下げながら報告する。
「玄郎様、外界に異変が発生しました。
この一帯が霜により封鎖され、通行不能となっております……」
玄郎は目を細め、腰のサイコロを指でなぞりながら呟く。
「歴史の彼方に忘れ去られた者が──動き出したか。」
「ふふ……面白くなってきたじゃないか。」
―――
一方、水の浄土──中央街区。
鉄靴が一斉に地を打ち鳴らす音が、戦鼓のごとく街に響き渡る。
その音に驚いた水鳥たちが、一斉に羽ばたいて逃げた。
銀霧が渦巻き、水面が風に揺れる。
灯りが水面に映り、銀の鱗が舞い踊るように、街は夢幻の如き美しさを帯びていた。
その先頭を歩くのは、ひとりの少女。
年の頃は十七ほど。
銀白と氷藍が織り交ざったマントを風に靡かせ、
胸元の水晶の紋章が月の光に反射して輝く。
胸に刻まれた“調律者”の印──それは、寒星のような鋭さを秘めていた。
彼女こそ、水の浄土の守護騎士隊長──泉。
秩序の刃にして、風の理を操る者。
彼女は規律の化身にして、裁きの鋒である。
「異変の源……忘憂の海のあの建物か。」
少女の声は氷泉の如く冷たく、鋭い視線は霧の奥を貫く。
しかし──
突如として霧が静まり、街道の先に、見知らぬ人影が現れる。
白一色の長衣を纏い、白い仮面をつけた女。
その姿は音もなく、まるで天地そのものから生まれたかのように、静かに立っていた。
花の蔓が絡みつき、草木はひれ伏し、あらゆる命が彼女へと頭を垂れている。
その女こそ──琴蘭嬢。
泉の瞳孔が収縮し、胸の奥が強く脈打つ。
思わず足が止まった。
骨の髄にまで染み込むような、名状しがたい危機感。
深く息を吸い、精神を極限まで集中させる。
「ここは異象の発生源と疑われている。私は命を受け、調査に来た。」
その声は凍てつく風のように鋭く、指先に風の精霊が揺れる。
「道を──開けていただこう。」
琴蘭は目を上げ、その瞳は霜のように澄みきっていたが、そこに温もりはない。
「この道は、通れません。」
泉の眉が僅かに吊り上がり、殺気が漂う。
背後には風の三対の翼がうっすらと浮かび上がった。
「道を阻むというなら──敵と見なす。」
言葉が終わるや否や、風が渦巻く。
杖が手に現れ、気が爆発的に膨れ上がる。
目に見えぬ風の嵐が街道を吹き荒らし、風圧が唸りを上げ、時が止まる。
「──最終警告だ、退け!!」
しかし、琴蘭は沈黙のまま、微動だにしない。
泉の顔が凍りつき、杖を振るった瞬間、風の矢が雷鳴の如く轟き、まっすぐに彼女を貫いた!
──ドォン!!!
街の壁が崩れ、塵煙が舞い、草花が千切れ飛ぶ。風が竜のように咆哮した。
だがその全てを、柔らかな緑の光の幕が、まるで深い水のように呑み込んだ。
琴蘭は変わらずその場に立ち、衣は揺れず、眉一つ動かない。
緑の光は春の芽吹きのように弱々しく見えながらも、
雷と刃の暴力を静かに呑み込み、音さえも立てなかった。
泉は目を細め、杖を槍に変化させる。
剛風が巻き起こり、布が激しくはためく。
(手加減している場合じゃない──全力で攻めて、どこまで通じるか試すしかない!)
そう決意し、風と化して背後に回り、咄嗟に白衣の女の首元へ横一閃の一撃を──
──キィィン!!!
気の爆発が広がり、周囲の石畳は粉砕され、地面には蜘蛛の巣のような亀裂が走る!
しかし、そのすべては琴蘭の前、わずか三尺の距離に届くことなく──
再び、あの緑の幕がすべてを吸収していた。
あまりにも柔らかく、されど底知れぬ深淵のようなそれは、衝撃も風も、まるで初めから無かったかのように消えた。
泉は一歩退き、右腕が微かに震える。
杖がかすかに軋む音を立て、手首は白くなっていた。
(あり得ない……この一撃は、玄鉄でさえ断ち割る威力だったのに……袖すら揺れていない……?)
彼女は初めて、本気の戦慄を覚えた。
(まさか……私の力量では、到底敵わない相手……?)
「お前は……いったい何者だ……?」
声はかすれ、震えていた。
琴蘭は答えなかった。
──ドォン!!!
紫雷が天より落ち、白衣の胸を貫く。雷電が吹き荒れ、蔓は燃え尽きた!
泉は目を見開く──
次の瞬間、気づく。自分はまだその場に立ち、杖を構えている。
周囲に舞うのは、雷でも煙でもなく──花粉?
「……幻覚……? いつ……私が……?」
背筋に、氷のような悪寒が走る。
(自分がいつ幻に囚われたかすら気づかないなんて……)
「とんでもない実力だ……」
パチン、と場違いな拍手の音が響いた。
琴蘭は静かに目を向け、眉をひそめる。
「あなたは……星楽園の“賭徒”……」
その男は、深い藍の衣に星の文様、手に扇子を揺らしながらサイコロを弄び、飄々と笑っていた。
まさしく──玄郎。
黄の浄土、星楽園の出身。星塵商会の七人の幹部の一人にして、
浄土の富と権力の多くを握る者、黄の浄土の「最高戦力」。
「まさにその通り。」
玄郎は優雅に一礼しながら微笑む。
「ご心配なく、私は介入する気はありません。ただ、通り道が凍ってしまって困っているだけでして……結界を解いていただけませんか?」
琴蘭は首を振る。
「申し訳ありません。それはできません。
ただ、数日間滞在していただければ、相応の補償はいたします。」
玄郎は顎に手を当て、目を細める。
「ほう? 数日の時間稼ぎ……ということは、何か隠してるのかな。
あの建物には──よほどの秘密があるらしい。」
その言葉とともに、指先に雷光が走り、空気中の花粉を焼き尽くしていく。
「花の道理で幻を構築し、人の心を無音で奪う──この世に、それができる者は、そう多くない。」
琴蘭はしばし沈黙し、自身の正体が見抜かれたことを悟った。
だが、彼がそれを口に出さないこともまた。
彼女は冷静に問い返す。
「……あなたの目的は?」
玄郎は肩をすくめ、笑みを浮かべたまま答える。
「数日前、あなたが“特別な”宝を手に入れたと聞きましたが──」
その瞬間、彼の瞳に閃光が走る。
五対の雷の翼が背に浮かび上がり、気が爆発的に広がる!
雷気が空を覆い尽くすように殺気を孕み、街に重くのしかかる!
琴蘭の額に、うっすらと汗がにじむ。
ついに、眉がわずかに動いた。
──これが、彼女にとって初めての“圧”の表情だった。
(同じ“五翼夢蝶”でも……彼の道は、殺戮に特化している……)
紫電の嵐を見つめながら、琴蘭は心の中で苦悩する。
(どうしたものか……)
(……手加減しないと──彼を“一撃で”傷つけすぎてしまうわね。)
みんなが応援してくれるなら、それだけで嬉しいよ。
日本語から翻訳するのは初めてなので、誤訳があったらご容赦ください。本文は下記URLにあります。
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