聖女の役割
異世界に転移したユリアは、広大な王宮の庭で目を覚ました。金髪の王子と美しい女官たちに迎えられた彼女は、自分が「聖女」として召喚されたことを知らされた。異世界では、魔物の脅威が増しており、聖女の力がその危機を救うのだという。
「私がこの世界を救うんですか?」
戸惑いながらも、人々の期待に応えたいと感じたユリアは、自分の力が役に立つのなら、とその役割を受け入れた。
王子や側近たちの尽力で、ユリアは「聖女」としての訓練を始めた。祝福の祈り、魔物を退ける呪文、そして儀式の準備。すべてが完璧だった。彼女の周りには常に人がいて、賛美の声が絶えなかった。
それでも、彼女はどこか引っかかるものを感じていた。皆が笑顔で接するのに、どこか距離を感じる。特に王子の目は冷たく、「聖女様」と呼びながらも、どこか事務的な響きがあった。
そして運命の日、ユリアは王宮の中心にある巨大な祭壇に案内された。石造りの階段を上ると、そこには彼女が見たこともない美しい装飾が施されていた。王子が微笑みながら彼女を迎えた。
「ユリア、今日がその日です。あなたの力で、この国は救われる。」
「私……本当にできるんでしょうか?」
ユリアは不安げに尋ねたが、王子はそっと彼女の肩に手を置き、優しく答えた。
「心配いりません。君がここに来た時から、すべては決まっていました。」
その言葉に少し安心し、ユリアは祭壇の中央に立った。周囲に集まった人々が一斉に祈りを捧げ始める。聖歌のような呪文が響く中、ユリアの体が温かい光に包まれた。
しかし、その温かさは徐々に熱さに変わり、痛みに変わっていった。
「な、何これ……?」
ユリアは驚いて声を上げたが、誰も助けようとはしなかった。王子は遠くから冷ややかに見つめ、ただこう言った。
「君の存在そのものが、この地を清めるのだ。」
その瞬間、ユリアの足元から赤黒い光が渦巻き、彼女の体を飲み込むように上昇してきた。体が焼け付くような痛みが走り、ユリアは叫んだ。
「助けて!これは違う!こんなはずじゃ!」
だが、誰も動かない。周囲の祈りはさらに高まり、人々の目は彼女を見ていなかった。むしろ、遠くの空に何かを祈っているようだった。
ユリアはその瞬間、すべてを悟った。彼女はこの地を救うための「聖女」などではなく、ただの生贄だったのだ。
「どうして……こんな……。」
痛みの中、彼女の意識は徐々に薄れていった。最後に見たのは、王子が微笑みながら目を逸らした瞬間だった。
祭壇から赤い煙が立ち昇り、やがて静寂が訪れた。魔物の脅威はぴたりと止み、王国には平和が戻った。
「すべては聖女様のおかげだ。」
人々はそう語りながら、王宮の庭に新たな像を建てた。それは、祈りを捧げるユリアの姿を模した像だった。
その夜、王宮の奥深く、誰も入れない部屋の隅で、かすかな囁き声が響いた。
「助けて……私は……ただ……救いたかっただけ……」
その声は、二度と誰にも届くことはなかった。
ーーー
レオナード王子は玉座の間で足を組み、退屈そうに召喚の儀式の準備を眺めていた。異世界から「聖女」を呼び出す、この国にとって最も重要な儀式――だが、彼にとってはただの形式に過ぎなかった。
「今回の聖女は、どんな顔をしているのかね?」
側近に問う声には、わずかな興味しか含まれていない。彼にとって聖女とは道具だ。生贄として差し出されるためだけの存在。
「美しい方です。王国中が感嘆するほどに。」
「そうか。それなら問題ない。」
レオナードは笑みを浮かべた。彼女が美しいかどうか、それが何の問題になるのか。重要なのは、彼女が民衆を安心させる「聖女」の役割を果たせるかどうかだけだ。
数日後、召喚されたユリアはレオナードの前に引き出された。白い衣装を身にまとい、不安そうな瞳で辺りを見回す彼女。その純粋さに、王子は心の中で冷笑を浮かべる。
「貴女はこの国を救う聖女です。」
彼女が恐縮しながらうなずくと、彼は微笑みを装い、手を差し伸べた。その手はあくまで表面上の優しさであり、心の中では彼女の無知さを嘲っていた。
「貴女の力があれば、この国を救われるのです。私が貴女を支えます。」
ユリアはその言葉に感激したように微笑んだ。その笑顔を見ながら、レオナードは心の中で呟く。
(哀れなものだな。この国を救うのはお前自身ではない。お前の命だけだ)
儀式の前夜、ユリアが一人静かに祈りを捧げている姿を、レオナードは遠目に眺めていた。側近が小声で尋ねる。
「王子、どうかなさいましたか?」
「いや、ただ感心しているだけだ。自分が生贄にされるとも知らずに、よくもまあ純粋な顔で祈れるものだ。」
「彼女が疑問を抱いていないのは、王子が上手く演じているからでしょう。」
「当然だろう。」
レオナードは自嘲気味に笑った。彼は幼い頃から嘘をつくことを教え込まれ、それを王族の美徳だと信じてきた。必要なのは国の安定だけ。個人の命など、何の価値もない。
「彼女が泣き叫ぶこともなく祭壇に立つ。それが大事だ。」
そして儀式の日が訪れた。
白い衣装を身にまとったユリアが祭壇に立つ。民衆は熱狂し、聖女の姿を称賛していた。レオナードはその様子を冷めた目で見つめていた。
「さあ、これで全て終わります。」
祈りの声が響き、ユリアの体が光に包まれていく。彼女の表情には、まだ希望が残っている。その瞳を見ながら、レオナードは思う。
(最後まで知らないまま、役目を果たしてくれてよかった。)
儀式が完了し、ユリアは光とともに消えた。民衆は歓声を上げ、平和の訪れを喜んでいる。
その中で、レオナードはただ一人、冷たい笑みを浮かべた。
愚かなものだ。誰一人として真実を知らないまま、平和を享受している。
彼の胸には何の罪悪感も残らない。彼にとってユリアは道具であり、道具が役割を果たしたのなら、それで十分だった。
そして、彼は何事もなかったかのように玉座へと戻る。その背中には、どこか冷たい影が漂っていた。