最果ての竜族
「さて、んじゃ最後の議題に入ろうか」
大きく深呼吸し、一息おく。この長かった話し合いも、ついに佳境。
これからの行動方針、そのほとんどが決まった。まず何をするべきか、そのするべきことをやるのに必要なことは何なのか。
一つ一つ整理すると呆気ないもんだ。実行に移すってなったらどれもこれも至難なんだろうが、行動に移す前に目標を眼に見えるようにすると闇雲に動くよりモチベが前向きになれるもんなんだってことが分かっただけでも収穫というもの。
だがしかし、まだ明確にできていないもんがある。それをはっきりさせねぇと、終われない。
「なあ、そうだろ? あくのだいまおう」
ついに俺は、最後に回した本題を語る上で絶対外せない奴の名を、槍玉にあげた。モノクルを指で調整する暗黒の紳士は、底なしの闇に彩られた瞳をこっちに向け、ニヤリと唇を歪ませた。
「俺が聞きたいことは、もう分かってんだろ? 教えてくれ。対価が必要ってんなら、必要なだけ支払う。一生賭けてもいい」
「に、兄さん……!?」
「よせ。みんなのためだ。それに俺は罪人だしな、今更枷が一つ増えようと大した差はねぇさ」
可能な限りひねり出した力強い声音で、久三男はほんの少し落ち着きを取り戻す。
弟の手前、強気になってみせたが、内心は冷静じゃない。どんな対価を要求されるのか、気が気じゃなかった。
あくのだいまおうは決して馬鹿じゃない。俺が支払えないような対価は要求してこないと思うが、だからといってタダで教えてくれるお人好しでもない。
俺が前を歩く目的、その半分の中核を奴から聞き出そうとしてるわけだからな。相応の跳ね返りは覚悟しなきゃならねぇ。
全ての対価は、家長の俺が引き受ける。仲間に迷惑かけっぱなしだが、これだけは譲れない。弥平が何と言おうが、御玲がジト目でにじり寄ってこようが、俺が引き受ける。これは決定事項だ。
「心配なさらず。私からは、特に何も要求をするつもりはありません」
「……へ?」
素っ頓狂な声が、むなしく部屋に響いた。
対価を要求しない、だと。予想外も甚だしい。どういう風の吹き回しだ。対価を要求してこそ、なんじゃないのか。むしろ逆に不気味だ。タダで教えてくれるなんてこれっぽっちも思ってなかったから疑心暗鬼にしかなれない。ただでさえ怪しさぷんぷんな野郎なのに、ここにきて怪しさが百倍増しである。
もうお腹一杯なんだ。ホント勘弁してくれ。
「これは申し訳ありません。対価を必要としていないわけではないのです。既に貴方は、この情報に見合うだけの対価を支払っておられるので、これ以上要求するつもりはないですよ、という意味なのです」
右手を左右に振り、不気味な笑みを絶やさない。
払った覚えがないんだけどな。それはそれで怖いぞ。払った覚えがないものを既に支払ってるってどういうことなんだ。
「私が貴方の復讐に手を貸したのは、二つ得たいものがあったからです。一つは既に得られ、最後の一つは貴方が復讐を乗り越えたことで、ようやく得られた」
「つってもな。特別アンタに何もしてないんだけど」
「私に何かする必要はありません。問題は貴方が何をしたか、です」
「俺が?」
「最初の一つめは、久三男さんとの和解です。今だから言いますが、もしあのとき久三男さんと完全に決裂していた場合、この世界は完全に滅んでおりました」
「はぁ!?」
「ええ!?」
久三男と俺は全くの同時に、各々部屋全体に響き渡るほどの大声で叫ぶ。身を乗り出し、テーブルに全体重をかける勢いであくのだいまおうに詰め寄った。
俺と久三男が決裂していたら世界が滅ぶ。何を一体どうしたら、そんな素っ頓狂な事態に発展するんだ。確かに俺と久三男が大陸のど真ん中でドンパチやったら大国なんて一瞬で蹂躙できるだろうけど、それで世界が滅亡するとは到底思えない。
俺や久三男の兄弟喧嘩ごときで滅ぶほど脆いはずがないし、全く理解に苦しむというかできないハナシだ。世界が滅ぶというより、人類が滅ぶの比喩ってんなら、まあワンチャン分からなくもないんだが。
「いいえ、そのままの意味です。最終的に、全世界からほぼ全ての生命の息吹が消え失せます。ごく僅かな最強種のみが生き残りますが、世界としての機能は失い、二度と元に戻ることはありません」
どういうことなんすか。なんでそんなディストピアになるんすか。
全世界からほぼ全ての生命の息吹が消え失せるって、もうスケールでかすぎてわっけわかんねぇ。なんで俺と久三男のただの兄弟喧嘩が世界全体の生命を破滅させるに至るのか。俺と久三男は破壊神か何かかっての。
「もしかして……だけど、それって僕が世界を滅ぼしちゃうの?」
愚弟が愚弟らしく愚弟のようなことを恐る恐る言ってのけた。なに言ってんだテメェはと言おうとした矢先、それは暗澹たる雰囲気を醸す紳士によって阻まれる。
「当たらずとも遠からず、といったところですかね」
「いやいやいやいや。確かに久三男ならなんかよく分からん兵器とか殺人電波とか飛ばして世界滅ぼせそうだけど精々そんなん人類滅亡くらいが関の山なんじゃ……全世界の生命の息吹を消し去るとは到底」
「まあ僕、もし兄さんを殺せてたら流川家を乗っ取って世界征服するつもりだったけどね。まず人類は滅ぼすつもりだったし」
「滅ぼすつもりだったのかよ!! なにそれ!! 俺が知らん間にそんなこと考えてたんかテメェは!!」
「だって……折角できた友達もいない、お母さんも殺された、兄さんも口先だけで大事なものを守れなかったばかりか僕程度にまんまと殺されてしまうような力だけの弱者だったら、もうそんな世界要らないかなって思ってて……」
「じゃあお前、そんなことした後どうするつもりだったんだよ? 世界滅ぼして人類も根絶やしできたとして、そんな世界何もないだろ」
「さあ? そこまでは考えてなかったな。自殺したか、あるいは欲望の赴くままに生きてたか……そんなところじゃない?」
すまし顔で、そんな絶望的な未来の推測をする久三男。奴との戦いで死なず、コイツと和解できたことに心の底から安堵する。
コイツが世界を、人類を滅ぼす事を考えてたなんて驚きどころの話じゃないが、確かに親も死んで、澪華も死んで、残った肝心の兄は口だけ達者な割に結果がまるで出せてないクズで、その全ての元凶が自分の父親ときたら、なにもかも嫌になるのは分からなくもない。
実際俺も復讐を誓った直後は全てが嫌で、否定したくて、可能なら世界でもなんでも全部ぶっ壊したくて仕方なかった。澪華も母さんもいない世界なんていらねぇ、そんな世界いっそのこと滅んでしまえばいい、と。結局世界を滅ぼす力はあっても度胸なんざなかったわけだが。
「でも兄さんの言うとおり、僕が全力で世界を滅ぼすために動いても、精々人類を根絶やしにできるかどうかだよ。純粋に全世界からほぼ全ての生命の息吹を消し去るなんて真似、流石にできないと思うんだけど……」
困ったようにあくのだいまおうに向かって視線を投げるが、奴はですから当たらずとも遠からずなのですと言い、その妄想染みた詳細を話し始めた。
「その世界では、人類を滅ぼす久三男さんとは全く別の存在が、世界を蹂躙します。その者は、この世界の枠外……この私ですら感知しえない遥かなる遠方より飛来し、瞬く間にあらゆる生命を消し去っていきました」
「なんだそりゃ……どんどん話がぶっ飛んできてるぞ……」
「その者の力は例えようのないほど絶大であり、この世界に存在する何者であろうと敵いません。回避するには、その者がこの世界にやってくることを含めた、その全ての歴史的事実を本史より断絶するほか方法はありませんでした」
「待て待て待て待て! 話のスケールがでかすぎる! 何の話をしてるのかさっぱり……」
「だからこそあのとき、カオティック・ヴァズの抵抗を諦めた貴方を私の部下どもとともに助けにきたのですよ。竜暦一九四〇年五月十日の、あのときに」
話の内容が大半理解できず話を止めようとしていた俺だったが、その一言で思考が一瞬滞る。
確かにあのときは都合良くあくのだいまおうたちが現れ、俺と御玲は救われた。そうでなければ俺はヴァズに抵抗するのをやめていたし、御玲は既に死にかけだったから無惨にも殺されていただろう。
ヴァズに抵抗するのをやめていたとすれば、俺は久三男と戦うまでもなく勝負は着いていたことにもなる。仲直りエンドには絶対ならなかったわけだ。
仮に戦っていたとしても仲直りエンドになっていたか分からないのに、よくやったものだ。いや、あくのだいまおうだから俺が久三男と戦えば仲直りすることが分かっていたってことなんだろうか。というか、そもそもだ。
「これは対価なしで答えてくれるとありがたい話なんだけど、無理ならいいんだけど、さっきから……いや、もう出会ってからずっと思ってたことなんだがさ」
「大丈夫ですよ、もう頃合だと思っていましたからね」
「そうそれだよ、そのまるで最初から知ってたみたいな感じのそれ。最初はただただ頭良すぎて先読みスキルが狂ってるだけかなと思って気にしてなかったけど、今日のその話聞いて確信したわ。それ、先読みスキルなんかじゃないだろ? 未来予知か何かだろ?」
あくのだいまおうに関して、口に出すまい、気にするまいと誤魔化してきたこと。それはコイツの異常なまでの先読みスキルである。
まるで見てきたように、あることないこと詳細に語るその様は、まるで預言者。最初は胡散臭くて堪らなかったが、他に親父に関することを探るツテもなかった当時、俺と御玲や弥平は、眉唾と思いながらも奴の預言を下に行動してみた。
結果、あくのだいまおうの言っていた預言は本当だった。ゼヴルエーレは遥か昔の大国を滅亡に追いやったドラゴンで、俺がそのドラゴンの力を使えるということ。そしてヴァルヴァリオンに行けば、その全ての確証が得られるということ。
ヴァルヴァリオン大遠征時、俺がこの目と耳で親父から事の真相を語れなければ、ゼヴルエーレが俺に力を貸し与えなければ、信じようとは絶対に思わなかっただろう。
最初は親父と同じ黒幕かとも思ったが、もしそうなら土壇場で裏切ることができたはずだ。しかしそれもしなかった。
敵でもなく、純粋に味方として紛れもない真実を語ったのだ。偶然当たって、偶然上手く物事が進んだ、なんて到底思えない。
まるで実際見てきて、それを語った。そう考えればさっきの話もしっくりくる。あくのだいまおう以外だったならそれでも納得できないが、全てを終えた今なら、「あくのだいまおうならワンチャン」と思わせてくれるだけの説得力があるのだ。
「もしかしてあくのだいまおうは、別の世界線を観測できたりするの……?」
久三男が親切にも俺の問いたいことを要約してくれる。
別世界線の観測。そんなのは小説や漫画だけしかないスケールの話だと、つい三ヶ月前までは思っていた。でも色んな現実離れや反則を目にした今なら、そんな芸当ができる奴がいてもおかしくないと言い切れる。たとえ目の前の怪しげな雰囲気のモノクル紳士が、そんな芸当ができますと言ったとしても。
俺たちはあくのだいまおうの返事を待つ。奴は俺と久三男を交互に見るや否や、怪しげな微笑をこぼし、その口を開いた。
「流石です。貴方がたが今日ここまでの答えに辿りつくとは……このあくのだいまおう、感謝感激の至りでございます」
「やっぱりそうなんだ! す、すごいなぁ……」
「じゃあさっきの話もアンタは……」
「はい。この世界線とは別の、全てが滅ぶ世界線の竜暦一九四〇年五月十日以降の出来事です。三月二十三日に私たちが貴方がたの下へはせ参じたのは、竜暦一九四〇年五月十日に分岐する世界線のうち、一方を排除するのが第一の理由でございました」
「第一の理由ってことは、第二の理由は……」
「昨日、すなわち竜暦一九四〇年六月二十二日ですね。その日も世界線の分岐点でした。貴方がたが佳霖に負けて天災竜王が復活し、現代文明を滅ぶ世界線。そして佳霖に打ち勝ち、今日という日を迎えられる世界線。そのいずれかに」
「やっぱ俺があのとき親父に屈してたら、ゼヴルエーレの奴は復活してたのか……じゃあもしもその場合、アンタはどうしたんだ?」
恐る恐る、聞いてみる。
久三男との兄弟喧嘩で俺が久三男と戦うまでもなかった場合の未来は、あくのだいまおうたちの乱入によって潰えた。
さっきあくのだいまおうが言っていたように、今俺たちがいる世界線と、ワケ分からん奴に全て滅ぼされる世界線とやらが断絶したってことなんだろう。
じゃあ昨日の場合はどうだったんだろうか。乗り越えた今だからこそ聞ける怖い質問だが、もうここまできたら興味本位だ。仲間の一人として聞いてみるのも一興だろう。
「その場合、私たち自らの手で始末していましたよ。佳霖も、ゼヴルエーレも」
「ええ!? そうなの」
「はい。もしも貴方が負けた場合の手筈は、パオングを筆頭にカエルたち全員にしてありましたので」
「なるほどな……」
「あの待ってください」
もう脳死で感心していたら、さっきまで黙りこくってた御玲が割り込んできた。だがその顔に笑みはない。真剣な面差しであくのだいまおうを睨みつける。
「ゼヴルエーレを始末する予定だったとは、どういうことでしょう。貴方には、それだけの力があるというんですか」
そういやそうじゃん、脳死していたから聞き逃していたぜ。
さっきあくのだいまおうは、俺らが負けた場合はゼヴルエーレも佳霖も始末していたと語った。それすなわち、あくのだいまおうたちにはゼヴルエーレを始末できるほどの実力があるってことになる。
あくのだいまおうが戦ったところは、そういえば一度も見たことがない。奴は決まって預言者、もしくは大賢者ポジションだ。
見る限り霊力もほとんど微々たる量しか感じないし、肉体も精錬されてるわけでもない。お世辞にも戦闘能力が高そうには見えないし感じられないが、人は見かけによらないことは支部最強格紹介のくだりで感じたことだ。
「かなり手荒にはなりますが、一応可能です。仮にゼヴルエーレと完全武装の流川佳霖を同時に相手取っても問題にはならなかったでしょう」
「嘘だろ……流石にそれは……完全武装の親父なんて魔法攻撃も物理も大して効かないチート野郎だったのに」
「そんなことよりも、問題はゼヴルエーレを始末できることです。だったら今すぐに、貴方の手でゼヴルエーレを始末できるのでは?」
話が逸れそうになったのを感じ取ったのか、テーブルに身を乗り出して話の逸れ道を全力で塞ぐ。
確かにそれだけの力があるんなら、今からゼヴルエーレをサクッと始末できるんじゃないだろうか。ぶっちゃけそれならそれで越したことはない。
ゼヴルエーレは親父との最終決戦のとき、己の復活のために俺を見限った。俺は裏切りだけは絶対に許さない。奴と分かり合うのはもはや無理な以上、こっちの都合で始末することになんら躊躇いはないのだ。むしろ消えてくれたほうが後顧の憂いがなくなってスッキリするというもの。
もの、なのだが。
「残念ですが、それはできません」
ラッキーにも一つ面倒ごとが減る。そう確信した俺の期待とは裏腹に、あくのだいまおうは首を左右に振った。
「先ほども申したとおり、殲滅となるとかなり手荒になります。確かに容易に始末できますが、人類に与える影響は甚大なものになるでしょう。少なくとも余波で巫市は不毛の大地に。武市はごく一部除くほとんどの人間が死に絶えていました。それは、事実上の滅亡です」
「手荒ってレベルじゃねぇー……」
背中を仰け反らせ、天井を見上げながら、頭に浮かんだことをぼけーっと呟く。
とりあえず世界線分岐すると世界とか人類とか一瞬で滅びるのなんとかならんのか。なんでそんな極端なバッドエンドルートしかないんだよ。それだとトゥルーエンド掴まないと終わりじゃん。ノーマルエンドとかあってもいいと思うんだけど。
「パオングや貴方たちも、あくのだいまおうと同意見なのですか?」
聞き手にずっと徹していた弥平が、パオングに向かって問いかける。ブラックコーヒーを物静かに飲んでいたパオングだったが、コーヒーカップをテーブルに置くと、悠々と鼻をうねらせた。
「パァオング。確かに滅んでいたであろうな。それなりの余波が伴うゆえ」
「オレらが本来の力を解放したら、竜とか関係なく大半が消し飛ぶっすよ」
「下痢便みたいに脆いからな……一瞬だぜ一瞬」
「本来の姿より今の方がボクは好きかな」
「え? その裸エプロンのオッサン姿が?」
またなんか気になるワードが出てきたけど、もうキャパオーバーにも程があるからスルーだ。一人一人好き放題言ってるから統一性に欠けてるが、概ね同意見と見ていいだろう。
「要するに、今の俺からゼヴルエーレを始末するのは無理ってことでいいのか?」
「不可能ではありませんが、推奨はしません。数多の犠牲を出した上で行うのでしたら、話は変わりますが」
「いや、ならいいや。これ以上、無意味な犠牲を出してまで身勝手を突き通したくないからな……」
「そう言ってくれて私としては嬉しい限りです。貴方は五月十日と六月二十二日、その二つの分岐点を乗り越えて、仲間を絶対に守りぬく。無用な犠牲は出さないという強固な信念を確実なものにしてくださった。此度はそれを、対価として認めることにしたのです。では、何なりとどうぞ」
改まって並べられると、なんだか照れくさい。母さん以外にそこまで真っ当に褒められたことがないせいか頭がむず痒くて堪らんけど、あくのだいまおうも言ってることだし、そろそろ本題に入ることにしようか。
あくのだいまおうは驚くことに、別の世界線を観測するとかいう超級の能力を持っていた。それを今ここで知れたのは誤算だったが、なら俺が今から聞こうとしていることの信憑性も増すってもんだ。
俺が聞こうとしてるのは他でもない。それは―――。
「天災竜王ゼヴルエーレって、何者なんだ?」
しばらく、部屋の中の時が止まった。
天災竜王ゼヴルエーレ、結局その正体は謎のままだ。一億年以上もの昔に栄えた竜人の国ヴァルヴァリオンを滅亡寸前に追いやった古のドラゴンにして、太古の義勇軍に討たれた後、心臓だけで数億年もの間生き長らえた正真正銘の化物。
何の因果か、親父の野望によって俺の心臓に、その魂は植えつけられた。
これらの情報は事実ではあるけど所詮は言い伝えにすぎず、ゼヴルエーレという存在の核心に迫れるようなものじゃない。
たとえばゼヴルエーレはそもそもどこから来たのか、とか。最初からこの大陸に生まれて育ったのか、もしくはこの大陸の外からやってきたのか。
親父もゼヴルエーレを信望していた割には、ゼヴルエーレの出自について全く語らなかった。普通に知らなかったのか、あえて語らなかったのか。今となっては分からないが、単純に謎なのは確かである。
もう一つ挙げるなら、なんでゼヴルエーレは竜人の国を滅ぼそうとしたのか。竜だから、と結論づければ簡単だが、ゼヴルエーレは意志を持ち、少なくとも俺ら人間と同等以上の知能を持った存在だ。というか対話したことのある俺だから分かることだが、普通に俺より理知的な気がする。
そんな奴が、訳もなく国落としなんざしようと思うだろうか。暇潰し、という線もなくはない。でも奴の理知的な性格を考えるに、暇潰しで国をぶっ潰すってタイプにも思えないのだ。
何かワケがあって、竜人を滅ぼそうとした。そう考える方がしっくりくる。
本人に聞ければ苦労しないのだが、生憎、俺の意志でゼヴルエーレに連絡をとることはできない。今までの経験からして瀕死にならない限り、アイツに会うことはできてないわけだし。
呼びかけたりもしてみたが、応答なし。何か条件があるのかもしれないが、それを考えたって仕方ないことだ。だから俺は俺で、勝手にアイツの外堀を埋めていくことにする。
ふむ、と顎に手を当てるあくのだいまおうだったが、すぐに俺へ視線を投げた。
「その問いに答えるならば、まず竜族について話さなければなりません。澄男さん、貴方は凰戟さんとの対話で``ゼヴルエーレは世界の果てからやってきた竜なんじゃないか``って仰ってましたよね?」
「ああ、言ったけど……おいおい、まさか……!?」
「貴方の推測どおり、存在していますよ。``最果ての竜族``がね」
開いた口が塞がらない、って言葉は、まさに今の俺の顔を表す言葉に相応しい。
世界の果てで、超絶文明を築いているドラゴンがいるかもしれない。正直ただの思いつきで、馬鹿丸出しで言ったつもりだったのに、まさかホントにいるなんて。
御玲はおろか、弥平までも珍しく目を開けてあくのだいまおうを凝視している。流石の弥平ですら、許容範囲を超えてしまう事実だったらしい。
俺はもうとっくの昔にキャパオーバー済みだけど、もうここまで知らないことの連続だと驚くことに飽きてくる。
「正しくは``最果ての竜族``と呼ばれています。この世界メタロフィリアが創造されたときより存在する太古にして唯一無二の種族。今も尚、全世界の実権を握る強大な存在です」
「じ、じゃあクソでけぇ蜥蜴みたいな奴がどこからともなく飛んでくるのって……」
「この大陸ヒューマノリアは、大海ユグドラに浮かぶ辺境の大陸ですからね。天幕を超えて、最果てからはぐれた下位の竜がやってくるのでしょう」
「いわゆるチンピラみたいなもんか……?」
「人間の尺度に置き換えるのならば、そうなりますね」
予想外に予想外が連なり、もはや逆に冷静になってきた。
種族が違えど、どこにでもいるんだなチンピラって。その割にはデカいし破壊力桁違いだし、国一つ消滅させられるぐらいには強いけど。国一つ消せるチンピラってなんなんだよ。竜なだけにチンピラのスケールもでけぇよ、いい加減にしろ。
「竜族は大雑把に下位、中位、上位、最上位、混沌の五つのヒエラルキーで完全に隔たれた縦社会種族で、下位の竜は、より上位の竜に逆らえず、上位の竜は強ければ強いほど世界全体で強権を主張できるシンプルな社会観を持っています」
「つまり、上位と最上位と混沌の三勢力が、その``最果ての竜族``? ってわけか」
「混沌に関しては立場がまた異なりますが、概ねそうです。上位以上の竜は世界の中心―――この大陸から見て世界の果てを生息圏にし、世界の実権を握っています。それを踏まえた上で、ゼヴルエーレの話になるのですが」
来た、と改めて聞く姿勢を整える。だが、もう粗方予想はできているのだが。
「この大陸ヒューマノリアに原始生命が宿るよりも遥か太古の昔……かの竜は全く別の名で呼ばれ、全世界に大戦の火種をばら撒いておりました。その名も``殲界竜``ゼヴルガルア」
その言葉を皮切りに、まるでその時代の出来事を見てきたかのように事細かに語り始めた。
それは、最初聞いていた天災竜王の伝説なんか一瞬で霞んでしまうぐらいの、壮大な内容だった。
``殲界竜``ゼヴルガルア。全世界の全てを牛耳っている最強の種族、``最果ての竜族``の中でも、最大最悪の邪竜と揶揄されたドラゴンで、当時は全世界に戦争を仕掛けては、気が遠くなる時の中、血で血を洗う殺し合いをずっとし続けていた。
その力は絶大で、同じ最果ての竜族ですら手に負えないほど強く、世界中に飛び回っては全てを破壊し、殺し尽くす勢いで暴れ狂っていたらしい。
だが、その暴威を見かねて重い腰を上げたドラゴンがいた。その名も``黄金竜``フェーンフェン。
フェーンフェンとゼヴルガルアは、人間がいくら転生しても足りないくらい長い間戦い続けたが、それでも尚二匹の実力は拮抗し勝負はつかなかった。そこでフェーンフェンは、命を賭してゼヴルガルアの肉体を消滅させて魂を三つに引き裂き、そのうちの二つを霊力に変換してこの大陸、ヒューマノリアにばら撒いたそうな。
残り一つは魂が浄化されることを願い、最果ての竜族が築き上げた天空の神殿の奥深くに封じられた。
それで話は終わればよかったのだが、そう都合良く話が終わるはずもなく。
あるとき、しょうもない諍いで神殿の一部を破壊した間抜けなドラゴンがいた。その諍い自体はすぐに終息したのだが、神殿が破壊された影響で封印が解かれてしまい、その魂は浄化される前にどこかへと飛び去ってしまったのだ。
「そんで流れ着いたのが……俺ら人類が住むこのヒューマノリア大陸だったってわけか」
さらに言うなら、その三つに分断された魂の一欠片が天災竜王ゼヴルエーレ。最果ての竜族でも敵わない、ゲロ強い邪竜の残りカスってわけである。
その後の経緯は、おそらく親父やエスパーダの野郎が言っていたヴァルヴァリオンの天災竜王伝説に繋がるんだろう。魂の欠片だったゼヴルガルアは、天災竜王ゼヴルエーレと名乗り、当時繁栄していた大国を襲ったのだ。全盛期の頃と同様、全てを破壊するために。
聞いているだけで頭が痛い。俺は、そんな神話級のバケモンの魂をクソ親父に植えつけられたってのか。
嘘だって言いたい。でもあくのだいまおうが言ってんだから嘘なワケがなく、全部現実離れした真実なんだろう。
何をどういう因果で、俺の心臓にそんなバケモノが宿ることになるんだろう。運命だとか宿命だとか、そんな実際にあるのかどうかもワカンねぇもんは信じない俺だが、もしホントにあるんだとしたら、俺は全力でソイツらを憎んでやる。それこそ全部ぶっ壊してやらぁ。
あくのだいまおうから放たれた、もはや神話にしか思えない話に俺だけじゃなく他の連中も唖然としていた。ぬいぐるみどもを除いて。
「ゼヴルガルアとフェーンフェンの死闘は有名っすよね、竜祖神話に載ってるレベルの話っすよ」
「有名ってレベルじゃねぇだろ、常識だ常識。健康な奴はバナナウンコを捻り出す、それぐれぇの常識よ」
「いやー、そんな超級の神話に載ってる竜の一端が目の前にいるなんて、最強にして究極のパンツを見つけたのと同等の感動を得てるよ今の俺」
「ちょっと澄男さん! ボクのち○こより輝くのはやめてよ!」
どうやらぬいぐるみどもにとっては常識レベルの話らしい。驚いている様子はまるでなく、むしろ神話級の竜の魂の欠片が俺に宿ってることに感心している様子だった。
「と、とりあえず……とりあえずですよ? その御伽噺のような話を本当だとしましょう……ではどうやって、ゼヴルエーレに対抗するんです……? 正直、勝算ありませんよね……」
額を手で押さえながら、自分なりに頭の中であくのだいまおうの話を咀嚼しているのだろう。
このメンバーの中で最もリアリズムな脳味噌をしてる御玲にとって、御伽噺めいた話を前提にするなんざ反吐がでる状況なんだろうが、語り手が語り手だ。御玲だって意固地にはなれない。
だが神話の内容に驚くよりも、その先を冷静に見据えているところがなんとも御玲らしい。俺もいつまでも思考停止している場合じゃない。
「ふむ。結論から申しましょう。御玲さんの言うとおり、勝算は皆無に等しいでしょうね」
何故、だなんて考えるまでもない。相手はドラゴンの中でも最強クラスの連中が神話として語り継ぐぐらいゲロ強いドラゴンだ。人外の領域に片足突っ込んでる程度の人間と人類最強程度の人間なんて、クソザコ以下でしかない。下手したら羽虫レベルだ。
戦いが成立する次元じゃあない。真正面からぶつかれば、なすすべなくクソ間抜けに蹂躙されるのは火を見るより明らかだった。
なんというか。俺ら流川家の物凄さが霞んで見えてきた。所詮は井の中の蛙でしかないわけか。そんなもんだ。最強の暴閥なんて。
「ただし、それは貴方がただけで倒す場合に限ります」
己の無能感に打ちひしがれていた矢先、助け舟のような切り返しが投げられる。
それでも圧倒的絶望感を払拭するには当然足りない。もう不貞寝ブチかましたい気分だが、今は頼みの綱があくのだいまおうの話しかない以上、聞かないわけにもいかなかった。
「確かにゼヴルエーレは、ある種ゼヴルガルアの転生体と言える存在ですが、三つに分断された魂のうちの一欠片でしかありません。貴方がたのみで倒すとなると辛いでしょうが、徒党を組めば倒せない存在ではないでしょう」
「つまり、戦力を集める必要があるワケか……と言っても……そんなツテなんざないよな……」
チラっと弥平に視線を送る。案の定、無言で頷いた。
そう、流川家とは人類最強の暴閥。だが裏を返せば、社会に帰属しない孤独な民族でもある。
そりゃ当然だ。最大最強の民族であるが故に、他の勢力に頼る必要がない。助け合いなんて要らないし、最強の自分らさえいれば何もかもがなんとかなる。
だからこそ、こういう自分達でどうにもならない状況には弱い。助けてくれる勢力もいなければ、今ここにいる仲間を除いて、いざってときに相談して頼れる友もいないのだ。
現に本家の当主の俺なんて、母さんと凰戟のオッサンみたいなバケモン先代当主たちしか頼れそうな人は思い浮かばない始末である。
孤独。その言葉が、俺の胸中に重くのしかかる。
ふてこい態度ばっかとらずに少しは暴閥関係以外の友達作っとけば良かったな。今更すぎて全く笑えんが。
「俺らが全身全霊で戦えばワンチャン……」
「その場合、ここにいる複数人は必ず犠牲になるでしょう。いえ、消されると言った方が正しいですかね」
消される。その言葉に心当たりがないわけがない。
ゼヴルエーレが扱う竜位魔法``焉世魔法ゼヴルード``は、三つの系譜に分かれる。そのうち、ありとあらゆる全てのものを、ただの意志一つで強制的に消し去る外法``破戒``がある。
アレを仲間に使われる可能性を想像しただけでゾッとする。アレはホントのホントに問答無用で気に食わないもの全てを一瞬で消し去れる外道の法だ。まるで「最初からそんな奴はいなかった」みたいにできてしまう。
ゼヴルエーレと戦うならそれを覚悟でやらなきゃならないことを考えると、俺らだけじゃかなり厳しい戦いだ。
経験則から思うに、竜位魔法の発動には必ず結構なタイムラグがあるんだが、それまでに妨害できず使われてしまえば一環の終わり。俺ら全員その外道の法で消されでもしたら即負け確である。
ラスボスにしてはあんまりにもチートだ。一瞬でこっちを全滅させられるって何の冗談だろうか。
「思うんだけどさ……そんなに絶望的かな、この状況」
さっきまで黙っていた愚弟が急にアホみたいなことを言い出した。腹の奥底から、久しぶりにドス黒い感情が湧き出る。
絶望的だろうがよどう考えても。話聞いていたのかテメェは。頼むからこれ以上腹立つ発言すんなよただでさえ万策尽きてて見通しつかなくなってるってのに。
もういっそのこと全員寝るか話し合いも長引いてることだし腹も減ったし心なしか部屋の空気淀んできたしさこれ以上話込んでても無駄だろ余計な作業だろどうせはあああああああだから考えるのとか嫌なんだよ考えた結果ロクな答えが出なかったとかただただ気力と精神力と時間の無駄遣いにしかなんねぇしだったら何も考えず身体動かしてる方がマシなんだよまったくさてどうしようかマジでこの状況。
青筋立てながら全力で久三男をにらみつけるが、あえて俺の顔面を見ないようにして無視し、俺を除いた全員に向かって視線を投げた。
「僕は外に出れないけど、兄さんたちは外に出て人間社会に関わっていくんでしょ? 花筏家との同盟とか、巫市の国交樹立とか成し遂げるんなら、その過程で色んな人と出会って知り合わなきゃならないわけじゃん? その中からゼヴルエーレをなんとかできる人脈とか、形成できるんじゃないの?」
言われてみればそうだ。俺だけじゃなく、御玲も弥平も納得の表情を浮かべる。
花筏家との同盟。巫市との国交樹立。これらが俺たちだけで行えるわけがない。
花筏家との同盟だって花筏の連中と絡まないといけないし、巫市との国交樹立にいたっては巫市の連中に信用されるだけでなく、それ以前に巫市へ行くための正式な任務をもらうために武市の連中にも信用される必要がある。
ゼヴルエーレをどうにかするまでに、俺らは色んな奴と嫌でも出会うことになるんだ。その中で仲良くなる奴もいれば、敵になる奴もいるだろう。
でもその仲良くなった奴で連合を組む、なんてこともできるかもしれない。いや下手したら戦わずにゼヴルエーレを対処できる方法が分かるかもしれない。
選択肢の幅が広がるのだ。何も倒すだけが全てじゃない、今はない選択肢も生まれるかもしれない。俺たちの人との関わり方、行動次第で選択肢に際限がなくなるんだから、可能性はまさしく無限大だ。
一気に目の前が明るくなる。希望だ。希望が見えてきた。
「じゃあ当分は花筏家との同盟と、巫市との国交樹立に集中できるのか……」
「いま焦ったところで仕方ないってことですね」
良かったです、と御玲と一緒に胸を撫で下ろす。
確実な見通しが立ったわけじゃないが、全く希望がないわけでもないことに気づけて本当に良かった。後はその希望を掴むために、目の前のやるべきことを一つ一つ片付けていくだけだ。
全てが片付いた後、また改めて考えればいい。その頃には、選択肢が今の倍以上になっていることを信じて―――。
「よし! これで話すことはもうないな。終了!」
「澄男様、そして皆さん。長くなりましたが、おつかれさまでした」
「いやいや、お前こそごくろうさん。今日くらいゆっくり休めよ」
ありがとうございます、と頭を下げてくる。よせよ、と下げてきた弥平の頭をこつんと軽く叩いた。
ようやく決めるべきことは全て決められた。弥平は通常どおり密偵として役目を果たさなければならないので俺らとは別行動。おそらく俺の想像絶する難易度の事柄をこなすことになるだろう。
難しいことは弥平に任せることになってしまうが、その代わり俺は俺のやるべきことを全力でこなすのみだ。
「では皆さん、今宵はこの分家邸で英気をお養いください。本家邸ほど落ち着かぬかもしれませんが、ほんのひとときの御休息を」
「そうさせてもらうぜ~。あー終わった終わった~。弥平、俺腹減ったぜ。もう飯できてっかな?」
「是空に確認をとって参ります。しばしお待ちを」
難しい話の連続で気が抜けた途端に空腹がこれでもかと押し寄せてきた。三時のおやつすら食ってない状況で、脳味噌が何かしらのものを所望してやがる。
どうせ明日から動かなきゃならんだろうが、今日だけは全て忘れて今を楽しむとしよう。久しぶりに、みんな揃っての夕食だ。
会議を終えて身体をほぐし、各々を見渡す。
復讐を決意してから丸々三ヶ月。あれから仲間や家族と揃って食事をする、なんてことはほとんどなかった。
母さんが死んで、久三男と絶縁状態になって、メイドとギスギスし合って。もつれた糸を弥平の力を借りながらも力づくで一つ一つ着実に解いてきた。そして死に物狂いで全てを果たした結果が、今だ。
こんな至極当たり前の幸せを得るのに、一億もの人間を消し去らなきゃならなかったのは今でも納得いかないけど、それでも俺が取り戻したかったものは、全部じゃないが取り戻せたんだ。
「澪華……」
脳内に浮かぶ初めての友。本来ならもっと親密な関係になるはずだったソイツは、今でもどこかで笑っているだろうか。
アイツは俺に自分を乗り越えろと言った。アイツだけは取り戻せなかったけど、でももう今の俺の仲間はアイツだけじゃない。
母さんは言った、失われたもんは数えるな。今いる仲間を信じろと。
澪華は言った。自分を乗り越えろ、そして本当にふさわしい人に本気の想いを伝えろと。
絶対、無駄にはしない。これからのやるべきことのために、この魂に刻むぜ、澪華。
是空に確認をとると言って部屋から出てった弥平が戻ってきた。どうやら飯はできてたらしい。御玲たちに目を配り、飯にしようぜと一声かける。
その夜、これまでにないほど騒がしく、そして驚くほど平和に時間は過ぎていったのだった。




