今後の方針
母さんと廊下で別れた俺たちは、弥平の導きの下、奴の私室に場所を移した。
ちなみに弥平の従兄妹、白鳥是空は夕食の支度をするため同伴せず、白鳥邸方面へと去っていった。正直もっと話とかしたかったんだが、彼女には彼女のやるべきことがある以上、強く引き止めるワケにもいかず、彼女の去り際を潔く見送ることにした。
最後の最後まで紳士的に振舞っていたが、若干礼の角度が浅かったのは、ここだけの話である。言ったら直されるかもしれないからな。
「さてと……じゃあ明日からのことを話し合うとしようか。別に母さんに言われたワケじゃないけど」
「兄さん……流石にその言い草はキツイよ……」
「う、うるせーうるせー!! 身内の恥を晒されたんだぞ!! お前は少し恥ずかしがれよ!!」
「いや別に僕弱いから強がる必要とかないしさ」
「ぐっ……開き直りやがって……くそ、これだと俺だけなんか惨めな状況に……」
「澄男さまが惨めなのは元からなので、さっさと本題に入りましょう」
「おいそこ!! そこの青髪!! いまシンプルにディスっただろ!! 聞いたぞ完全に聞いた!! 俺の耳はごまかせねぇ!!」
「私から一つ、報告すべきことがございます」
「スルー!? いや……もういいや……分かった、とりま報告とやらを頼む……」
もはや誰も否定する気なし。甚だ遺憾だが話が進まないのも事実だし、恥を飲み込み奴の話に耳を傾けることにする。
「これもまた重大なことなんですが……」
「ああもういいよ、今更なに言われても驚く気にもなれんし」
「そうですか……? えっと、では簡潔に述べます。本家にありました澄会様の遺産ですが……私の父、流川凰戟様の命により、全て差し押さえられました」
「……え?」
なに言われても驚く気になれない、そう言ったと思う。あれは嘘だ。
母さんと弥平の親父には振り回されまくったし、もう余程のことでもない限り驚かない自信がついた矢先にこれである。その余程のことが起きてしまったのだ。
無一文。自分で金を稼いだことのない俺にとって、それはかなりの一大事。いままで金のことなど一切気にしたことなかったし、お金なんて望まなくとも一ヶ月に一度、母さんからお小遣いとして勝手にもらえるものだとばかり思ってただけに、その喪失感はでかい。
久三男なんて血の気が引いて顔面が真っ白になってやがる。そりゃそうだ。何を隠そう、本家で一番金遣いが荒いのは他ならぬコイツなのだ。
カキンとかいう謎のシステムに金を注ぎ込みまくっており、いつも一ヶ月にアホみたいな量の金を垂れ流していた覚えがある。俺は学校の帰りにテキトーに買い食いしていた程度だったが、よくよく考えてみれば金がなければ欲しいものは買えず、買い食いとかも一切できない。
これはマジで由々しき事態だ。
「……どうしよ……買い食いとかできないし困ったな……」
「はい? 何言ってんです? 重要なところはそこじゃないでしょう?」
「いや重要だろ。夕方、何かしらの帰りに買い食いしに出店に立ち寄るの、俺のささやかな趣味だったんだぞ。まあ学校に通わされてた頃の話だけど」
「いえ……あの、澄男さま? 重要なのは生活基盤の話ですよ? 買い食いができるかどうかなんて正直どうでもいいです。お金がないということは、最悪本家の生活基盤が崩壊するかもってことです。本家の生活基盤ってどうなっているんですか?」
いやいやどうでもよかねぇよ、と突っ込みたくなったが、弥平が苦笑いを浮かべていたことに気づき、これ以上の反論はヤバイと感じとる。
「生活基盤なんぞ俺は知らん。基本的に家にいて生活に困ったことなんてなかったし」
「ですよね。ちなみに聞きますが、電気や水道、ガスなどはどうなってるか、ご存知ですか?」
「知らん! どっかから無限に湧き出てくるもんなんじゃねぇの? 今まで使えなくなったことなかったし」
そう言った瞬間、弥平の苦笑いが深刻になり、御玲は額に手を当て大きく溜息をついた。
「御玲……兄さんにその手の話は馬の耳に念仏だから。僕が代わりに答えるよ」
居た堪れない重い空気が横たわる中、いつもは静かにしている久三男が口を開いた。御玲は小さく、助かります、と答える。
「まず電気、水道だけど、これに関しては大丈夫。全部流川家領で賄ってるから、光熱費はゼロだよ」
「やっぱりそうなんですね。念のため聞きましたけど、予想通りでした」
「電気は本家領に設置してる自家発電所から、水道は上下水道の浄化施設が同じく本家領にある。管理と維持はラボターミナル主導でやってるから、管理費とか維持費とか、人件費もゼロ。正直必要なのはお金じゃなくて、材料かな」
「施設や機器の部品を補修するのに必要、というわけですか」
「さすが弥平。そうなんだよ、施設や施設内の機械とかは経年劣化で壊れるから、補修するのに材料がいるんだ。それさえ準備してくれたら、あとは全部僕か、ラボターミナルが勝手にやってくれるから」
なるほど、と御玲も首を縦に降る。その頃、俺とカエルたちは案の定置いてけぼりを食っていた。つか早速眠い。
「兄さん寝ないで」
「んああ、寝てない寝てない」
久三男の声が鼓膜を貫き、朦朧としつつあった意識を見事に撃ち抜く。垂れそうになったヨダレを急いで拭き取ると、とりあえずシャキッと背筋を伸ばしておく。
「話聞いてました?」
御玲がすんごいジト目でこっちを見てくる。その青い瞳は濁り、心を開く前の頃の御玲を彷彿とさせてくれる。ヤバい、これはカチキレ寸前といったところか。
「いや大丈夫だ。聞いてた聞いてた。光熱費とかそういうなんか色々としたものは大丈夫って話だろ?」
「まあ……原型とどめてないくらい噛み砕かれてるけど結論は合ってるかな……」
「なら問題なし、続けてくれ!」
背筋をピンと伸ばし、聞く姿勢的なものを整える。
みんなの前で言うと流石に、というかもう御玲の堪忍袋が爆発するので心の中だけで言うが、俺は興味のない話を聞くのが苦手である。
復讐に躍起になっていた頃は親父を殺すためならという意気込みでやっていたし、戦いのための作戦会議とかは好きだから聞けていたし音頭もとっていたが、基本的には話を聞くということ自体が苦手なのだ。
じっとして長々とした話を聞くのは正直辛いし、況してや内容に興味なかったら記憶にも残らない。本音を言うと興味があるやつらが勝手に話し合って、結論だけ聞かせてくれと言って寝てたいくらいなのだ。
でも、そんなのが許されるワケもなく。
家長たる俺が、これからの展望の話をするってときに寝てるのは流石にダメだろう。そもそも最後は俺が決めるんだから、俺が寝ていたら話し合いに参加しなかったくせに後から文句言う害悪に成り下がる。それは絶対にダメだ。仲間をこれ以上困らせるワケにはいかない。これ以上は、だ。
「食料についてはどうなっているんでしょうか。澄男さまは、気がついたら冷蔵庫が一杯になっていたと仰っていましたが、冷蔵庫から勝手に湧き出る、なんてことはありませんよね流石に」
「あはは、そりゃないよ。食料はね、まあそのときそのときで色々なんだけど、母さんが山に行って野生の魔生物を狩ってきてそれを捌いて保存してたり、分家派に注文して届けさせたりして補填してたかな。兄さんはそこらへん興味ないから、あたかもそう見えてただけだと思う」
「でも澄会さまが殺されてから今日まで、食料は尽きませんでしたけど……?」
「僕が分家派から発注してたからね。冷蔵庫に入れる作業も面倒だから分家派に必要量を順次冷蔵庫内に自動転移するように指示してた」
「そんなこと、できるんですか?」
「可能です。久三男様の発注に関しては私の腹心である是空が携わり、転移魔法を応用した分家派製の魔道具を使用し運搬していたと報告を受けています」
「なるほど。腑に落ちました」
俺やカエルたちを置いてけぼりにして、話は進んでいく。
今のところ黙っているメンツでパオングとあくのだいまおうがいるが、アイツらはきちんと理解できてるだろう。ツッコミを入れてこないあたり、その程度は即興で理解可能という意思表示なのは明らかだ。しかし問題は俺である。
食料に関しては、俺も御玲と同じ疑問を抱いていた。腹を満たすのに困らない以上、些事だとすぐに興味は失せたが、分家派からピンポイントに物を転送できる技術があったのか。
まあ見た目の割に大量のアイテムを、それも色んな場所から出し入れできる魔導鞄とかいう兵站の概念ぶっ壊す系魔道具もあるし、特定の場所にものを運べる魔導具があっても今更感がある。
なんというか、マジで流川家って不可能とかあるのか疑問に思えてくるな。
「結論、食費もゼロで済む。ということでしょうか」
「まあ、そうだね。分家派で発注する分も支出ゼロだし、山から食料になる魔生物を狩るのは言うまでもなし。分家派に頼らない場合を考えても、冷蔵庫のラインナップが若干失われるだけで、基本的に自給自足は可能だね」
「えっと……それだと、結局お金がなくても生活には困らない、ということでよろしいんですか?」
「マジで? おい、どうなんだ久三男」
御玲と俺は揃いも揃って久三男に顔を近づける。突然顔をぐいぐいとかなりの気迫で近づけられて、半ば引いてた久三男だったが、澄まし顔を装い、答えた。
「まあ……そうなるかな」
「じゃあ金稼ぐ必要ないのかぁ。だったらずっと修行とかできるな!」
「……私としては、なんだかモヤモヤしますが、流川家がそういう仕組みである以上は、仕方ないですね」
「まあいいじゃんか御玲。面倒くさいことやらずに済むんだし、これから楽しく生きていこうぜ?」
「いえ、澄男さまには当主としての責務を果たしてもらいませんと」
「そんなのあんの?」
「ないんですか?」
「ないよそんなん。基本的に俺は修行して飯食って風呂入って寝る、それだけしかやったことないし、それが今までの生き甲斐みたいなもんだったよ」
「なるほど。要するにニートと」
「いやちが……わない? あれ?」
「でしたら私の仕事を手伝ってください。暇にはしませんよ。今まで言ってきませんでしたが、カエルたちでは手が足りないんですよ。二名以外はサボるので」
「ギクッ」
「やべっ」
「あんッ」
「さて俺はパンツパンツと……」
御玲が、突然態度がおかしくなるぬいぐるみども四体を一瞥し、俺はなるほど、と呟く。
だが、ぬいぐるみたちの気持ちは分からなくもない。御玲がこの三ヶ月間やっていたことといえば、料理、掃除などの家事全般だ。当然、俺は家事なんぞやったことがないしできる気もしない。というか普通にやりたくない。
理由、そんなものは簡単。興味ないし、楽しくないからに決まっているからだ。そんなんやるくらいなら久三男とテレビゲームして一日潰すか、アイツの部屋に入り浸って漫画しこたま読んでる方がマシである。
とはいえ、現状をどう打破するか。
俺の横で踏ん反り返り、各々知らん顔してる四匹のぬいぐるみどもは使い物にならんのは明らかだが、このままだと四匹が本来やるべき仕事を全部俺に押しつけられる形になるし、俺はぬいぐるみじゃないから御玲に隠れてサボるとかもできない。
久三男に協力して―――おいこら、そっぽ向くな。こっち向けやコラ。兄が困ってんだぞ助けろよ薄情すぎるだろテメェ。
「ご英断を期待しています」
うふふ、と青黒い瞳が光った。背筋が急に寒くなる。
アイツまさか氷属性の魔術で脅迫してやがるのか。いや違う。なんだこいつの目。死んでる。死んでやがる。まるでただの肉塊を見てるような。
待て待つんだ、早まるな御玲さん。それ以上はダメだ。なんかお腹ぐるぐる鳴ってきたし、というか心なしか吐き気も湧いてきた。
御玲の口から真っ赤な舌が艶めかしく唇を舐める。この恍惚な表情を忘れるわけがない。俺も御玲が一騎打ちで本音をぶちまけあったあの日、俺のはらわたを夢中で貪っていたときの顔だ。そのときの記憶が呼び起こされたのか、俺の腹の中がぎゅるぎゅると動いているし、心臓の拍動も妙に速い。
そこまでして俺に何かをやらせたいのか。いいじゃん修行で。何がダメなの。それがダメなの。いやさ、そこは適材適所じゃん。俺は修行。御玲さんは家事。弥平は密偵で、その他は、まあその他で。
それで困る奴ぶっちゃけいないしみんな幸せ、って感じじゃダメなのか。ダメみたいですね。ならば―――。
「弥平!! お前の類稀なる頭脳を駆使し、家での役割分担を決め」
「うぉぉい、お前ら仲良くしてっかぁ?」
猟奇的な雰囲気に満たされつつあった部屋をブチ開けたのは、対談のときに超絶やべぇ霊圧を放ってた流川凰戟その人だった。
自分は反論させる暇もなく我先に部屋からでてったのに、こういうときは都合良く現れるのか。やっぱあの母さんにして、この兄貴あり、だな。
「何用でしょうか、父上」
素早く凰戟のオッサンへ向き直り、跪く。自分の実の父親だというのに、真面目な奴である。まあ本家の当主がいるから格式を重んじているんだろうが―――。
「そうかしこまんなや弥平。是空に言った言葉、忘れてんのか?」
「はっ、つい癖で……!」
弥平が珍しく目を見開いて焦っている。アイツが素でミスったところ、初めて見た気がする。何気に目を開くところも初めて見た。今更だけど、なんで瞼閉じているのに前が見えるんだろう。
「まあいいや。つかお前らにやってほしいおつかいがあるんよ」
弥平に一枚の紙を手渡す。指令書的な何かだろうか。弥平はその紙に書かれた文章を読み下していくが、徐々に徐々に手を大きく震わす。
おいおい、なんか嫌な予感がするぞ。弥平が手を震わせるとか、これまた初めて見たんだけど。こりゃあまた爆弾投下レベルの案件がやってくるのではなかろうか。
「ち、父上……これは、本気ですか」
「ああん? 俺が嘘なんかつくかよ」
「で、すよ、ね……いやしかしですね、これを急に言われましても。私は別任務において、実地で失敗してますし足もついてる恐れが」
予感は、見事的中。どうやらクソ面倒な案件らしい。
弥平が今まで見たことないくらいに焦ってやがる上に奴ですら失敗したことを思うに、面倒なだけじゃなく内容もぶっ飛んでいる。
ああ、耳を塞ぎたい。つかなんなら家に帰りたいし寝たいんだけど、どうせ無理だろう。だって弥平の親父が持ってきた案件だ。拒否権とか、最初からあるわけがない。
「ンなもんテメェがしでかしたミスだろ? 自分できちんとケツ拭けや」
「う……確かにそうですが……これは……」
弥平の顔色がマジで悪い。今にもゲロ吐きそうな顔をしている。
おいおいそんなにやばいのかよ。お前のそんな顔、初めて見たぞ。もらいゲロしそうになるじゃねぇか。
どうするべきか。いや、迷う要素なんてありはしない。そんなの、決まってんだ。
「チッ、貸せよ」
勢いよく立ち上がり、弥平から諸悪の根源を奪い去る。あ、と真っ青な顔色で見つめてきたが、彼としてもどうすればいいか迷っているらしい。珍しく、俺に素で頼ってきた。
そんな状態で頼られたんじゃ、見捨てるなんてできるわけがない。つくづく俺は甘ちゃんである。
「どれどれ……巫市の貨幣の仕様変更につき流川家での自己造幣が不可能になったため、現地に赴き、貨幣を持ち帰れ。ただし巫市の武力制圧は厳禁とし、さらに貨幣を無断で持ち帰ることも禁ずる……なんだこれ」
その内容は、全くと言っていいほど意味がわからなかった。
どういう指令だこれ。難しいとか簡単とかそんなん以前に、貨幣を持ち帰れだとか、流川家での自己造幣がどうのとか、なんのこっちゃ? って話である。
そもそもそれやってなんか意味があるんだろうか。いや、とりあえず意味とかそういうのはひとまずどうでもいいとして、おつかいの主旨がわからん。
貨幣を持ち帰れって、そんなんそこらへんに落ちている金拾って持ってきたらいいだけじゃん。何が困るっていうんだろう。
全く意味がわからんという顔で凰戟のオッサンを見つめると、煙草を吹かしながら、ニヤッと悪辣な笑みを浮かべた。
「要するに、巫市と国交を結べって話だ。流石の兄弟でもこれなら分かるだろ?」
「……は? 国交……?」
「おいおいマジか? 国交って言葉の意味すら知らんのか兄弟」
「いやそれは流石に知ってるわ。問題はそこじゃない。国交? 巫市と? 話が飛躍しすぎててワケわかんねぇんだよ!! 詳細!! 詳細をできる限りわかりやすく簡潔に頼む!!」
「兄弟……お前も中々無茶苦茶だな……流石は澄会の息子だぜ……」
褒めているのか貶されているのか、イマイチ判断つけられないけどこの際どうでもいい。
巫市と国交を結ぶ。それをする意味やらなにやら、その全てがまるっきり全く分からんのだ。どうねじ曲がったら貨幣を拾って持ってこいって話が国交樹立とかいう極大スケールの話に化けるのか。
それに至るまでの過程的なものが当然あるはずで、そこが分からないことには指令を受ける以前の問題だ。拒否権なんて最初からないんなら、詳細を聞く権利くらいはあるはずである。
「弥平、話してやれや」
いやお前がしろよ、説明。
指令持ってきたのお前だろ。なんで弥平なんだよ。そりゃ弥平なら紙見ただけで即興理解して他人に分かるように説明するのは余裕だろうけど、本来なら持ってきたお前が説明しなきゃダメなやつだろ。
とか言ってもどうせ聞いてくんないんだろうけどさ。ああもう、母さんの血縁者は話の聞かない奴ばっかりかよってそれ言ったら俺もじゃん。クソがぁ。
特大ブーメランが頭にぶっ刺さった俺をよそに、弥平は立ち上がって説明を始めた。
「今年の一月、巫市は貨幣の仕様を一切合切変更することを可決し、二月に全ての貨幣の仕様を変更しました。その仕様変更というのは、貨幣の不正造幣を防止するセキュリティ面の強化ですね」
「セキュリティが強化されて、流川家でも勝手に造れなくなったってことか? つか、今まで勝手に造ってたの?」
当主なのに知らなかった盛大な事実を、またサラッと告げられたことに、何度めか分からない遺憾を覚える。
まあ仮に知らされていたとしても、今までの俺なら「んなもん今はどうだっていい」の一言で一蹴していただろうから強く出れないが、普通にダメだよね。勝手に他所の人のものを作るのは。
まあ俺ら流川家にダメとかそんなんは通じないし、やろうと思えば好き放題できるから本来ならダメってワケじゃないんだけど、巫市からしたらたまったもんじゃなさそうだ。他人事だからイマイチ共感できないが。
「技術上は造幣可能なのですが、決められた場所以外で造幣するとアラームが送信され、造幣場所と造幣者の能力が巫市側に露呈。アポトーシスが出動し、造幣者を逮捕。不可能なら軍事行動により滅却処理されます」
「あの天使どもは動き出すと面倒だからな……」
「おおっと、アポトーシス? 天使?」
「アポトーシスというのは、巫市が保有する軍隊のことです。基本的には巫市内の治安を保持する存在で、武力行使の際、頭上にトーラス状の魔道具を用い、陸海空、全てを独自の物量戦で掌握することから、我々暴閥、ひいては武市民からは``天使``と呼ばれています」
「なんかよくわからんけどめんどくさそう……」
「特に暗部を出張らせるとダルい。最近は聞かねぇが、数年前までは``n次元の悪魔``とかいうやべぇのが、ブイブイ言わせてたからな」
凰戟のオッサンがそんなことをぽそりと呟くと、弥平がみるみるうちに顔を陰らせた。
そういやコイツ、昔に隣国でなんか事件に巻き込まれたとかなんとか、そんな話を裏鏡を誘き出す作戦のときに話していたっけか。
「詳しく話せよ」
顔色の悪い弥平の背中をさする。リラックスしたのか、弥平の強張った頬がほんの少し緩む。
「これは以前お話ししたことですが……私はかつて、実地訓練を兼ねた巫市暗部の密偵任務に就いていました」
少し陰鬱ながら、巫市での密偵任務のなりそめを語り始める。
弥平は今から二年前、分家邸でできる全ての修行を終え、分家派当主に相応しい実力がきちんと備わっているかどうかを確かめてもらうため、凰戟のオッサンから巫市への潜入任務を言い渡され、巫市の中央都市部にある中枢組織―――統制機構ユビキタスへと向かった。そこでアポトーシスエージェントとして潜入に成功し、「エサンアスリ」という偽名で一年間活動していたそうな。
任務の内容は、ユビキタスしか知らないとされる存在―――暗部の正体に関するデータを無事に分家邸へ持ち帰ること。話を聞いててそんなん久三男に任せたらいいんじゃねぇのかと思ったが、なんとも驚き。今でこそ久三男が何者も越えられない世界屈指の技術者だが、当時は久三男の技術力とユビキタスの技術力は互角だったらしい。
変に足がつくと久三男、ひいては流川家が目をつけられる可能性があったため、ときにアナロジーなやり方のほうが、足がつきにくい場合もある。そんな凰戟のオッサンの考えに基づき、当主就任の試験がてら弥平自ら探ることになった。
本来の予定はもっと長丁場になるはずだった。データを入手したあとはテキトーな理由をつけて円満退職し、分家邸へ堂々と帰還する手筈だったんだが、実際は予定から大きく外れたばかりか、任務は散々な結果で終わってしまう。
あの銀髪野郎、裏鏡水月の襲撃があったのだ。
戦いはしたが言うまでもなく実力差は明白。生き延びてその場をやりすごすことを最優先した結果、やむなく戦死を装う形での撤退となり、任務の続行は不可能に。
当然暗部の情報を入手する前段階での襲撃だったため、任務は悲しくも失敗という形で終わってしまったのだ。
「入念に、それもかなりの時間をかけ、慎重に慎重を期したのですがね……全て台無しになってしまいましたよ」
今にも泣きそうな顔で、任務の全貌を吐露し終えた。
弥平の得意分野は密偵だ。敵の内情を密かに探り、敵の情報を的確に抜き取って俺たちに報告する。まさに最も信頼できる情報屋と言える存在。
それに弥平は全力で密偵の役割を果たしていた。それは復讐を掲げていた俺が一番知っている。弥平がいなければ、そもそも復讐をなすとかそんなこと自体不可能だった。親父がどこに隠れているかも不明なまま、俺は親父のつまんねぇ理想の駒にされていただろう。
それを避けられたのも、弥平の密偵としての能力の高さと、密偵という仕事に誇りを持って挑んでいたからこそである。
だからこそ、そのダメージは計り知れない。俺なら自己嫌悪と裏鏡への憎しみに押し潰されて、何もやる気がなくなって不貞寝ブチかましている案件だ。そうしないあたり、弥平はホントに有能で、強くて、良い奴である。
「お前は悪くねぇよ。悪いのは裏鏡だ」
背中をさらに優しくさする。
俺の言葉なんか腹の足しにもならねぇかもしれんけど、それでも少しでも痛みが和らぐのなら、それでいい。俺にできることは、それぐらいしかない。
「悪いがこれは総帥命令なんでな。失敗してようが関係ねぇぜ?」
だが凰戟のオッサンは、目の前で苦しんでいる息子を見ても澄まし顔だ。俺は眉をつりあげる。その澄まし顔が一瞬、あのクソ野郎にして俺の親父、流川佳霖に見えたからだ。
「おうこら。少しは言葉選べやオッサン」
「ああん?」
「弥平が悪いワケじゃねぇだろ。父親なら、慰めの一つくらいくれてやれよ」
「ンなことしてどうする。失敗した事実は変わらねぇよ? 失敗なんざしないのが前提だし、もししたなら責任持って自分のケツについたウンコくらい自分で拭き取れって話だ。違うか?」
「違わねぇけど……俺が言いたいのはそうじゃなくて」
「慰めなんざただの気休めにしかならねぇよ。俺はそんな気休めさせる気はサラサラねぇ。休むのは自由だが、どんな理由であれ失敗は自分の手で拭い去る。できねぇってんならそれまで。そんなこたぁ当たり前のこったろ」
こちとら遊びでやってんじゃねぇんだぜ、と凰戟のオッサンは一切譲る気配がない。反論を考えるが、凰戟のオッサンの言ってることが正論すぎて、何も言い返せなかった。
俺が言いたいのは言い方を考えろって話なんだが、確かに優しく言っても失敗した事実は変わらない。むしろ言い方を考えた結果、思ったことが伝わらないんじゃ本末転倒だ。だったらむしろドストレートに言った方がマシって話になる。俺が凰戟のオッサンの立場なら、迷わずそうしただろう。
言われた側は傷つくだろうが、だったら最初から失敗すんじゃねぇよと、そう付け加えるはずだ。
なんというか、まるで自分自身を相手しているみたいで分が悪い。これ以上反論したら墓穴を掘るだけだし、どうするべきか。
「いいんです、澄男様」
反論できないと知りながらも、反論を考える中、弥平が手で制した。そして俺の方へ顔を向ける。
「ありがとうございます。貴方に慰めていただいただけで、この弥平……力が湧いてくる所存であります」
「そう、か? でも無理は……」
「いいえ。私は流川分家派当主であり、澄男様の影。その肩書を背負うだけの自負と覚悟、そして誇りがある以上、失敗は私自らの手で拭う所存です。澄男様は澄男様にできることをやってくだされば、それで充分です……!」
屈託のない、一切の陰りすら感じさせない爽やかな笑顔が、そこにあった。
ホント、良い奴すぎるだろ。なんでこんな有能で人畜無害な奴が俺の影なんてやっているんだろうか。仕えるべき相手を間違えていないか。
クズで身勝手で独りよがりでキレ性で、殴る蹴る焼き尽くすことと、身勝手を突き通すことしか強味のない俺にはあまりに勿体なさすぎる。むしろ俺が影に隠れていた方が、世界は平和になるだろう。
そんなつもりは毛頭ないが、俺は弥平を絶対に大切にしようと胸に刻もう。
弥平は、言うなら世界の良心みたいなもんだ。本来なら密偵だなんて汚いことやるべき人間ではないはずなのに、黒く染まることなくその白さを保っている。それはマジですごいことだと思うし、俺には絶対に無理だ。
だから弥平、俺はお前を絶対守ってやるから。だから。
「困ったときは絶対、俺に頼れよ。絶対だぞ」
はい、と弥平は笑顔で頷いた。いつもの表情に戻り、弥平は深呼吸する。
さすがは弥平である。メンタルの復活も秒だ。俺なら完全復活まで二週間はかかるし、一度拗れたら当分ソイツをブチのめすことしか考えられなくなるが、そう考えると俺、マジ無能説。
いやいや、流石にそれはないな。ないない。俺には誰に何と言われようと身勝手を突き通せるという最後の砦が残っている。ちょっと無能でも、マジ無能というわけではないはずだ。
「とりあえず、話を戻すぞ。その暗部連中だが、さっき弥平が言った通り情報入手に失敗してる。敵対すると後手に回る上に、一番やばい``n次元の悪魔``の正体が不明な以上、最悪こっちが落とされる可能性もある」
しれっと話を戻す凰戟のオッサン。色々と言いたいことはあるが、それはもういい。俺が気になるのは、それ以上に。
「その``n次元の悪魔``って、そんなにヤバイのか? つか、他の暗部が正体不明なのに、なんでソイツのことは噂が流れてるんだよ」
それは率直な疑問だった。
暗部だというのに、なんでソイツだけ目立っているのか。暗部として成立しなくなるし、多分二つ名だろうけど、それでも二つ名つくくらい有名ってことは、少なからず足はついているわけで。
最近聞かないとか言っていたから噂になりすぎて消えたか、死んだのかもしれんけど、正直存在が矛盾していてモヤモヤするのだ。
「そりゃあ噂になって足がつこうが、対処不能だからだ」
凰戟のオッサンは煙草をふかしながら、その疑問に難なく答えた。そんなもん、当然と言わんばかりに。
「そもそも``n次元の悪魔``を実際に見た奴は存在しない。見た瞬間にお陀仏してるからな」
「じゃあなんで噂になるんだ。見た奴いないなら噂になんかならんじゃないか」
「いやなるだろ。よく考えてみろよ。昨日まで生きてた知人が、急にいなくなるんだぜ? そんなのが立て続けに、それも決まって無法者ばかり。そうなりゃ誰もが暗殺者の存在を疑うが、どうやってもその正体を掴めない。だから大半の奴らは怖がって``n次元の悪魔``って呼ぶようになるわけよ」
「いなくなるって、死体もか?」
「死体なんて残してたら、それこそ暗部として格がしれるだろ。死体はおろか、ちょっとした証拠すら絶対残さねぇ。まさしく無法者だけをどっか別の場所に攫ってくみたいに消しちまう。それで一時期、巫市に関わるのをやめる奴らが続出したくらいよ」
今はいなくなったとかで、またちょっかい出している奴がいるけどな、と笑いながら揚々と白い煙を吐き散らかす。
「とかく、だ。アポトーシスや巫市の暗部、そして``n次元の悪魔``との敵対は避けたい。だからいっそのこと、俺らで造幣するのは諦めることにしたわけよ」
「は?」
またサラッと意味の分からんことを。
おつかいの内容を考えるなら、その最終目的は貨幣を持ち帰って分析し、分家派で貨幣の造幣をできるようにすることだと推測していた。
でもそうじゃないってんなら、おつかいの真の目的ってなんなんだ。
ジトっと凰戟のオッサンを睨むが、そんな程度でオッサンが怯むはずもない。凰戟のオッサンは意気揚々と白い煙を吹かし、ヤニ知らずの白い歯をまじまじと見せた。
「俺らに金を貢くっていう大義があるだろ? 巫市のものは、巫市の貨幣じゃねぇと買えねぇのよ」
なるほど。ふざけんじゃねぇぞ、このオッサン。
さっきまでのマジな話が一気に消し飛ぶ言い分に、拳をわなわなと震わせる。それを見破ったのか、凰戟のオッサンは澄まし顔で煙草の煙を俺に吐き散らしてきた。
「あのな兄弟。お前らが裏鏡を誘き出すとか言って破壊し尽くした大都市群。アレ、俺ら分家が手を打ってなきゃ確実に戦争になってたんだわぁ? 世間知らずの兄弟には実感ないかもしんねぇけどよぉ?」
何すんだ、と言おうとした瞬間に放たれた、重い台詞。
その大破壊と世間知らずさを棚にあげられると、何も言い返せないのが辛い。何を言ってもただの見苦しい言い訳にしかならないし、男として格上相手に見苦しいザマをみせるわけにもいかない。
凰戟のオッサンの攻撃ならぬ口撃は続く。反論しない俺を見て、少し唇を吊り上げた。
「大変だったんよ? そこの久三男が手伝ってくれなきゃ、後始末が後手に回ってただろうからな。大規模な記憶操作なんぞ二度とやりたかないね」
その言葉に、久三男の方へ顔を向ける。久三男は顔を赤らめながら、さっとそっぽを向いてしまった。
たくコイツ、俺のこと殺すとか言ってバリバリ殺意剥き出しだったくせしやがって、キザな真似を。
まあアイツのことだから俺を陥れる方法はいくらでもあったんだろうけど、面と向かって俺を倒したかったっていう想いが強かったんだろう。
よくよく考えれば、アイツは俺を面と向かって倒したがっていた。いつもみたく、部屋の中に引きこもっていれば常に有利になれただろうに、わざわざ相手の土俵に立って俺を殺そうと全力で戦ってきたのだ。
たく。男気があるのかないのか、イマイチわかんねぇヤツだ。
「つーわけだからよ、その分を俺らに貢いでもバチは当たんねぇと思うんだが?」
顔をぐいと近づけ、目を見開いて睨んできた。顔から放たれる馬鹿みたいに強い霊圧。というか顔から放つって妙に器用な真似しやがる。目が見開いてて虹彩が小さく見えるあたり、脅すときの癖も母さんと一緒か。
肩を竦め、やれやれと両手を挙げる。白旗を持ってるわけじゃないが、本当なら持ちたくなんてないものだ。
「さっすが兄弟、分かってんじゃねぇか! 漢ってもんはそうでなきゃシマらねぇ!」
ハッハッハッハ、とこれまた豪快かつでけぇ声で笑う。背中をバンバン叩いてくる凰戟のオッサンに半ば呆れながらも、さっさと話を進めることにする。
「とりあえずオッサン。武力制圧が厳禁なのは理解したけど、無断で持ち帰るのはダメってこれどういう意味? どっか道端に落ちてるやつ拾ってもダメってこと?」
紙をなぞりながら、その文章を指差す。
武力制圧は面倒な奴に目をつけられるから嫌だって理由で俺も納得だ。でもだったら淡々と道端に落ちているやつを探して拾っちまえば済む話である。国交を結ぶ必要がまるで感じないんだが、オッサンは真顔で首を縦に振った。
「仕様変更後の巫市の貨幣は厄介もんでな。巫市領外へ持ち出すと不法所持扱いになっちまって、これまた天使どもを呼ぶアラームが送られるんよ。だから道端に落ちてるやつを探して持ってくるのもアウトなわけさ」
「えぇ……なんで……? 外に持ち出すのもダメって不便すぎないかそれ」
「そりゃあ外に持ち出す奴がそもそもいないからな。仮にいたとしたら、それは勝手に国境を侵す無法者しかいない」
オッサンの話が突然意味不明になった。頭の中で疑問符が立て続けに並ぶ。
なんで外に持ち出すのがダメなんだ。別にいいじゃんそれくらい。何がダメなのかさっぱり分からない。それじゃあ俺たち暴閥や、武市の連中は巫市の物何一つ買えないし、持ち出しただけでその扱いは流石に問答無用すぎるのではなかろうか。
俺の顔色を察したのか、オッサンは顔を歪ませ、弥平に向き直った。
「おい弥平、兄弟に今の世界情勢とか教えてねぇのか?」
「は、はい。なにぶん、佳霖討伐に力を注いでいたもので」
「たくよぉ……佳霖が憎いのは分からなくもねぇし、俺もハラワタ煮えくり返る想いだが、少しは世界に目を向けろってんだ」
額に青筋を浮かべ、盛大に白い溜息をつくオッサン。
なんで俺、怒られているのだろうか。だってそんなの知るわけないじゃん、興味ないし。
「あのな兄弟。今の武市と巫市は、国交断絶状態なんよ。つまり、二国間で人や物は全く行き来してないってわけ」
「へー。そーなんだー」
「そーなんだー、じゃねぇよ!! 他人事じゃねぇぞ兄弟、下手すりゃお前だって無関係じゃねぇ話なんだぞ!!」
お、おう、と途端に声を荒げた凰戟のオッサンにビクつく。
巫市って、俺のイメージじゃただの隣国って感じだし、関わらなければ特に問題も起こらないと思っていたし、そもそもこっちから関わるつもりなんぞ毛頭なかったワケで、そう強く言い寄られても困る。
とはいえ、何が無関係じゃないんだろうか。全くワケが分からんのだが。
「マジでこういう後先まるで考えてねぇところは澄会の野郎そっくりだな、なんでそんなダメ遺伝子はちゃっかり受け継いでんだか……まあいい。よく聞けよ、兄弟!!」
「お、おう」
「まず第一に、巫市と武市の間に国交はない。物や人の行き来もないのはさっき言った通りだが、国交がないってことは、二国間で決まり事も一切ないってことだ。これはわかるか?」
「えっと、ルールとか無くて無法地帯的な?」
「そうだ。それなら、だ。極端な話、武市と巫市はもう戦争しててもおかしくないって思わねぇか?」
「は? 今は戦争になって……ないんだろ?」
「ねぇよ、だから不思議だと思わないかってこと。そんな無法地帯だってのに、なんで武市と巫市はお互い各々の平和を謳歌できてるのか。疑問に思わねぇか?」
うーん、とない頭をこねくり回してみる。
そう言われれば、確かにそうだ。ルール的なものが何もないのなら、やりたい放題好き放題やっても、それを咎める奴はいないってことだし、だったら理不尽な奪い合い殺し合いが起きて、それがきっかけで国の存亡を賭けた大戦争が起きてるのが普通だろう。
でも凰戟のオッサンが言うには、そんなことは今まで起きたことがないらしい。なんでだろうか。うん。全くもって分からん。
「……あー……じゃあ答え合わせな。まあ簡単に言うと、だ。お互い武力で脅し合ってるって感じよ」
そんなこともわからんのか的な溜息を吐かれ、なんだか不快な気分になる。
じゃあ最初から答え言えば良かったのでは、無駄な思考に頭使ったじゃんか、という文句を言いたくなったが話が進まなくなりそうだし、なによりカチキレられそうだったのでやめとこう。脳味噌九割筋肉と自負する脳筋な俺でも、少しは学習するのだ。
「巫市にはアポトーシス、そして暗部という軍事力を持ち、対して武市は国に住んでる住民全てが一種の軍事力だ。お互い領域侵犯すれば、武力の行使を辞さねぇぞって態度で硬直してる。それが武市と巫市の、現在の実情ってわけよ」
「へぇ……でもそれ、すっごいバランス悪くね? アポトーシスがどれくらいの規模か知らんけど、武市は住民すべてが武力なんだろ? 数で押せちまうじゃん。なんで武市の連中は、それでも巫市を侵略しないんだ?」
「良い質問だ兄弟。それはな、アポトーシスの戦力の質が答えだ」
凰戟のオッサンが指をパチンと鳴らし、ニヤリと悪辣に笑う。弥平が霊子ボードを取り出すと、ホログラフィックモニタに動画が再生される。
それは真っ白な軍服を全員が着こなし、天使の輪っかみたいなものを頭の上に装備した、まさしく``天使``みたいな奴らが、まるでアリのように規則だった動きで群がり、大量の魔法陣を展開して敵拠点らしきものを瞬く間に襲撃、攻略している映像だった。
空から侵攻する奴らから放たれる魔法攻撃の雨と、地上から侵攻する奴らの物理攻撃の暴威をもろに浴び、敵らしき連中はなすすべなく駆逐されていく。
総勢百名を越える大群でありながら、一切無駄のない連携と戦闘。殺意すら感じさせない、極端なまでに作業的な作戦行動をとる``天使``たち。他人事とはいえ、俺は思わず固唾を呑んだ。
敵だって手加減している様子もない。拠点だってかなり立派だ。生半可な攻撃や戦力じゃあ、攻略するなんて無理ってぐらいには堅牢にできているように見える。
でもそんなことなど``天使``たちは全く意に介していない。むしろ拠点ごと全てを貪り食うように、地上から、そして空から同時に淡々と攻略していっている。
その様は、もはや砂糖の山に群がるアリの大群。巣の周りにいた外敵に容赦なく襲いかかる働きバチそのものだった。
「アイツらとマトモに火花散らせられるのは、武市の中でも上威区を支配できるカースト上位の連中だけ。それ以外ははっきり言って雑魚だ。どれだけ徒党組んだところで、物量戦を得意とするアイツらの敵になりえねぇってわけよ」
凰戟のオッサンも、その映像を見て頬に汗を滴らせる。
物量戦を得意とする、``天使``の大軍。一人一人は大したことないかもしれない。だが問題は、大軍全体の無駄のなさ。緻密に計算された連携と戦闘だ。
この大軍には殺意が全く感じられない。全てが作業と言わんばかりに、一切の躊躇がないのだ。己の死を恐れる様子もなく、敵を殲滅・排除する、そういう淡白な思いしか感じられない。
それはなんだか、一線を越えた敵には一切容赦しないって考え方の俺らに似てる。おそらく奴らにも奴らなりの、殺す、殺さず生け捕る、の線引きはあるだろう。でもその一線を超えた奴らには、血の雨を降らせることを厭わない。この映像からは、なんとなくだけど、その思想の一端のようなものを感じた。
だってこれはもう戦いじゃない。どちらかというと掃除だ。親父との最終決戦のとき、一切の躊躇いなく十万の雑兵を殺り尽くしたのと同じような。
それだけのことを平然とやってのけるなら、確かに腕っ節にかなり自信がある程度のモヒカン頭系、ハゲ頭系チンピラが馬鹿みたいに徒党を組んだところで意味はない。むざむざと全員殺されるか、生け捕りにされて拘束されて終わりだ。
相手をするなら、それなりに戦場を潜り抜け、なおかつ大軍を一気に呑み込んでぶっ潰せるくらいの、自然災害を平気で起こしたり操作したり普通にできるだけの能力を持ったバケモン級の個人でもない限り、まともに務まらない。
当然そういうことをできる個人ってのが、凰戟のオッサンのいう「カースト上位の連中」なんだろうが、だったらまた疑問が一つ湧いて出る。
「じゃあそのカースト上位の連中は何してんの? 寝てんの?」
まさしくこれだ。疑問ってのは、そのカースト上位の連中の動きである。
チンピラがどれだけ連合軍を結成したところで意味はないが、``天使``たちにとって、カースト上位の化物たちは依然として脅威だ。そいつらが攻撃に打って出れば、戦争に発展してもおかしくないはず。
凰戟のオッサンは、そんな疑問など振り払うように首を左右に振った。
「カースト上位の連中は強いだけじゃなく賢いからな。そもそも巫市と事を構えるとかそんな間抜けな考え自体持ってねぇ。第一、俺らだって相手の``戦略``や``戦力``を総合的に考えて、敵対する気はねぇしな。物の分かる奴は共存か、不可侵の道を選んでるってわけよ」
なるほど、と口にし、俺は一つずつ話を整理する。
武市と巫市は国交断絶状態にあり、お互い自分の領域を侵犯されたくなくて牽制し合っているのが現状。
武市の連中の中でも強い奴らは敵対の考えを持たず関わらないようにしているが、それ未満のクソ雑魚どもは身の程を弁えず調子ぶっこいているものの、アポトーシスとかいう名の``天使``の大軍、``n次元の悪魔``とかいうバケモンを筆頭とする暗部が怖くて、ちょっかいだしてこそいるが内心ヒヨッている。そんな感じか。
怖いなら調子に乗らず黙ってすっこんでればいいのに。まだ高校生やっていた頃、その手のチンピラとは幾度となくストリートファイトしたもんだが、弱い癖に外野でキャンキャン駄犬のように吠えつつ、ちょっかいだけは出してくる無能なクソ雑魚は際限なくいたもんだ。
舞台の規模は違っても、その手の奴はどこにでもいるってワケか。めんどくさいことこの上ないハナシだ。
昔を思い出しながら肩を竦めたが、そこで俺はあることに気づく。
「そのカースト上位の連中は敵対の意志がないみたいだけどさ。よくよく考えたら俺ら流川家を頭数に入れた場合、武市の連中、俺らには流川家がバックにいるんだぞ、って調子ぶっこけるんでねぇの? それとも武市の連中って俺らを頭数に入れてないの?」
これまた率直な疑問だった。というか分からないことだらけで率直な疑問しか出てこない。
正直、俺らを頭数に入れていないってんなら話は単純で、俺としては面倒事はごめんだしそれでいいんだけど、頭数に入れていて牽制されているなら腑に落ちない。
いくらカースト上位の連中とはいえ、強いバックがいたら調子ぶっこく自惚れた勢力の一つや二つ、出てきそうなもんである。それで、その手の奴らが戦端を開いてそうな気もするんだが、実際は、武市と巫市はよく分からない絶妙なバランスで牽制し合っている。ということは、つまり。
「巫市にも、武市の連中全員をビビり散らかせるガチのバックがいるってことなの……いて、いでででで!? いてぇんだけど!?」
そう言い放ったとき、突然凰戟のオッサンが頭をごしごしと撫でてきた。あまりに突然だったので振りほどくことすらできず、されるがままに頭を撫で回される。
「ハハッ、なんだなんだ兄弟、ノリに乗ってきたのか? 急に冴えてんじゃねぇか、 ええ?」
「いやただ思った事を言っただけでなんだが!?」
「ご名答だぜ兄弟。巫市にはな、俺ら流川家を頭数に入れても武市の連中を調子づかせないバックがいる。誰か分かるか?」
「えっと、要は俺らがバックでも怖くて調子に乗れないってことだから、俺らと対等? な奴ってこと?」
「そうだそうだ!」
「んー……誰だ……? えっと……」
必死になって勢力図を思い出す。
確か何ヶ月か前に弥平から俺らの親戚みたいな奴が何人かいるとかなんとか、そんな話をした気がする。確か``四強``とか``五大``とか、そんなんだったような。
「``四強``の誰かってことか?」
「お、それは知ってんのか。まあ自分が名ぁ連ねてるんだから当然だわな」
あれ、そうだっけ。ああそうだわ。確か俺もその四強とかいうわけわからん勢力に勝手に襲名させられてたんだっけ。それで裏鏡も確か同格として名を連ねていて、それで裏鏡をおびき出そうぜって話になって―――じゃあ残り二人は誰だっけ。
「澄男様。恐れながら四強には、この私も襲名しております」
弥平が自分の胸に手を添える。そうだった、弥平も四強の一人だった。となると俺に弥平、裏鏡で三人確定するから、あと一人誰だ。
「確か……巫女……ああ、花筏の巫女か!」
ようやく頭の中でバラッバラに散らばっていた記憶の欠片が、一つに合わさった。
裏鏡のことで頭が一杯になって以降、存在自体を軽く忘れかけていたが、花筏の巫女といえば母さんが昔、喧嘩を売るときは気をつけろよと言ってた相手であり、それを聞いた弥平が絶対ダメだと豪語していた奴だ。
本来なら裏鏡を誘き出すために企画したあの祝杯会にも来る予定だったが、確か当主が不在とかなんとかで断られたって話だったか。
まあ結局あの祝杯会、裏鏡の野郎がめちゃくちゃにしてくれた上に俺もカチキレちまったから、それを考えれば来なくてよかったが、裏鏡、俺、弥平を除いて残る四強は花筏の当主おいて他にいない。
「正解だ。花筏巫女衆……俺ら流川と並び称される人類最強の集団戦闘特化民族。それが巫市のバックよ」
凰戟のオッサンが意気揚々と、何故か自慢げに胸を張った。
花筏家がいるから、カースト上位の連中も調子に乗れないってわけか。ということはつまり、流川と花筏、そしてアポトーシスとカースト上位の連中で、良い感じに力の釣り合いが取れていて、だからこそルール無用の無法状態にもかかわらず、巫市と武市の間で大戦争は起こらないって寸法なのね。
ようやく二国間の力関係が理解できたけど、確かに絶妙なバランスで成り立っているな。例えるなら崩れかけのジェンガみたいな状況。誰かがミスれば、その時点でバランスが崩壊する。そうなれば、戦争ルートまっしぐらってワケだ。
「理解できたみてぇだな。そうなると重要なのは、流川も無関係じゃなくなるってところだ」
「そこなんだよな。仮に戦争とかが起きたとして、俺らが無関係じゃなくなる意味がわからんのだが」
謎が謎を呼ぶ。俺ら流川は確かに武市の頂点だとか最強暴閥とか仰々しい立場にあるが、実際に武市を統治しているワケじゃない。だって家長の俺自身、武市の内情なんてほとんど知らないのだ。
一応母さんに無理矢理高校生やらされたとき、放課後に買い食いしたくて出店寄ったりしていたから、商店街の様子ぐらいなら知らないことはないけど、そういう目的以外じゃ外出すらしたことがない。
いわゆる降臨すれど統治せず。本家の当主なれど、いま武市を仕切っている奴の名前や顔、組織名すら知らない、なんちゃって王様である。
自分で言っていて自分の存在価値って何なんだろうってすごい虚しくなってきたが、悲しきかな、それが事実なのだ。
「例えばな、兄弟」
凰戟のオッサンが煙草を指でつまみ、白い息を吐きながら眠たそうな顔をこっちに向けてくる。
「戦争が激化して、巫市がある疑いをかけたとしよう。その内容が``流川家が格下の市民を焚きつけて世界を征服しようとしている``だ。そうなると、巫市の連中は誰に助けを求めると思う?」
「……は、花筏?」
「正解。となると、だ。花筏は巫市に加担して俺らに敵対する可能性が出てきちまう。それだけは絶対に避けなきゃならねぇ。奴らが敵として出張るとなると、冗談抜きで俺ら流川の存亡に関わるからな」
「ま、待てよ。ちと飛躍しすぎじゃねぇの? 第一、そんな状況になったとして、俺らは関係ないって言い張れば」
「ンなガキみたいな言い分なんざ誰も信じねぇよ。好き勝手してる連中を放置してたら、誰もが流川家主導だと信じ込むだろ。状況証拠って奴だ」
「いやいや……」
「いやでもなんでも、北方の巫女どもが判断を下した時点で言い逃れできやしねぇ。アイツらは基本的に弱い奴らの味方だ。理不尽に虐げられてる連中が実際にいたなら、不本意ながらでも俺らに戦いを挑む可能性がある。弱い奴を守るために、な?」
何も言い返せなくなった。
凰戟のオッサンが、俺ら流川家が無関係じゃいられなくなる理由。それは巫市の救援相手がバックの花筏家であり、仮に流川家に疑いがあるなら、疑いを晴らしにいくにせよなんにせよ、弱い奴らを守るという理由のみで俺らに喧嘩ふっかけてくる流れができてしまう。そうなれば本格的な世界大戦になるのは、バカな俺でも分かる。
そして今の流川の大将は俺だ。要は濡れ衣を着せられ、花筏家の連中に濡れ衣を着せられたことを証明できなきゃ、なし崩し的に戦争に巻き込まれるかもしれないってハナシで、こりゃ本気で取り組まないとマズイぞって結論に至るワケか。
「嗚呼、めんどくせぇ」
頭を掻きながら悪態交じりに本音を吐いた。
せっかく親父という怨敵をぶち殺したのに、なんでこうもまた面倒ごとの種があるんだろうか。いや、そんなもん考えるまでもない。俺が流川本家の当主であり、流川家の血をひく末裔だからだ。
理不尽かつかったるい因果だ、全く。
「とりあえずオッサンの意図は理解した。でもまだ疑問点があるんだが」
「なんだ」
「もし仮に俺らと花筏が喧嘩になる流れになったら、ドンパチする前にオッサンが口添えすれば回避できるんじゃねぇの? よく知らんけど、花筏と俺らってそんなに仲悪いワケでもないんだろ?」
もう何度疑問を投げかけてきただろうか。今まで知らなかったことが、一気に押し寄せていて粗探しが絶えない。
花筏と流川の関係。正直俺は詳しく知らない。母さんから喧嘩するときは気をつけろだとか、弥平から喧嘩ダメ絶対と言われた以外、関係性など把握していないのだ。
まず、その巫女衆とかいうのを見たことがない。花筏家の今の当主も不在とかなんとかで、その正体も分からない。
花筏を敵に回すのはヤバイってのは分かるんだが、それ以上のことは何一つわからんのである。知らない俺が悪いってのもあるけど、だったら今知ればいい話なのだ。
「そこはまたややこしくてな……」
ため息を吐く俺に、凰戟のオッサンは顎に手を当てながら答えた。
「結論から言うと、それは無理だ。何故なら本家の当主は、今はもうお前だからな」
「俺だから?」
「俺らと花筏の関係、簡単に言えば友好関係だ。昔は敵対してたが、先代の流川本家派当主たる澄会と、先代の花筏家当主たる花筏無花が、俺を保証人として和平協定を結んだことでそうじゃなくなった。それで二千年続いた武力統一大戦時代も終わったんだが、その和平協定は、もう今となっては過去の産物なんよ」
「でも今も仲良くしてるんだろ?」
「まあ年末年始に手紙送り合う程度にはな……でもな? 兄弟」
タバコを咥え、鼻から白い息を放ちながら、人差し指を立てた。 俺は腕を組んで聞く姿勢を自分に都合の良い形で整える。
「永久に効力を持つ約束事なんて、この世に存在しねぇ。暴閥間の約束事も同じことで、たとえ無期限のものでもどっちかの当主が変われば、その時点で約束事の効力は事実上消失する。そうなりゃ後を継いだ奴らの胸先三寸になる」
白い溜息をつきながら、弥平の私室の空気を淀ませる。
武力統一大戦時代を終わらせるきっかけになった流川と花筏の和平協定。それによって今の世界があるんだろうが、流川家の当主は本家、分家ともに代変わりしちまった。
花筏はどうか知らないが、俺らが後を継いでいる以上、母さんが結んだ協定はもう効力を失っている。凰戟のオッサンの言葉尻からして、効力がなくなったからといってまた険悪になるわけじゃないみたいだが、今の花筏家の当主と俺は友達であるどころか、知り合いですらない。
本家の当主が俺である以上、花筏家は俺に真意を問い質す流れになるが、俺らが世界を征服しているって巫市の連中が助けを求めれば、花筏の連中は「流川が期限切れを名目に、和平協定を一方的に破棄した」と考え、真意を問い質そうともしない可能性があるワケだ。そうなれば弁解の余地もなく、即戦争になるだろう。
お互い友達になっていないってのが、俺ら当主間だとこうも重い意味合いになってくるとは。世界屈指の戦闘民族の末裔だからこその重みってやつだろう。こればかりは、俺個人の力でどうにかなることじゃない。
まさしく御玲が言っていた、``力じゃどうにもならないこと``そのものだ。力が通じないって事実が、ものすごく高く聳え立つ壁のように見えてくる。
「つーことは、花筏家とも仲良くしとかないとダメだな……後々面倒になるのなら……」
「ほう? 北方の巫女どもと五分の盃交わしてくれんのか?」
「そうした方がいいだろどう考えても。ダメなのか?」
「んいや。俺としちゃあ願ってもねぇこったぜ。だが一筋縄じゃいかねぇぞ?」
悠々自適に古い煙草を携帯灰皿に押し込み、また新しい煙草に火を点けて煙を吹かす。その顔は、まるで苦労する俺の姿を想像し高みの見物をしてるような、クッソ鼻につく表情だった。
「なんたってあそこの今の当主は放浪癖で有名だ。巫女どもは生真面目が服着て歩いてるような連中だから、当主が不在じゃ盃直しに絶対応じちゃくれねぇぜ? まずは探すところからだな」
マジかよ、と思わず吐露する。
そういえば、花筏家の今の当主は放浪癖があって消息不明だとか、弥平が言っていた。探すつってもどうすればいいんだか。
裏鏡みたいに戦闘狂とかだったら誘き出せるんだが、そうじゃないんだろうし。というか巫女って以外に知っている特徴皆無だから、現時点じゃ誘き出すも見つけ出すもクソもない。もっと情報が必要だ。
「なんか特徴とかないのか? その花筏家の当主の……俺ら名前すら知らんわけだし」
「暴閥にとって真名は命と同等の価値だからな……流石の俺らでも、今の当主の真名は知らねぇ」
弥平も申し訳なさげに首を横に振った。
我らが有能バトラー、弥平さんが知らんのなら、もはや詰んだに等しいが、だからといってじゃあ諦めます。というわけにはいかない。
最悪の場合、責任なんてとりようのない世界大戦に巻き込まれるなんざ、大事な仲間を死に物狂いで絶対守り抜くという意志を掲げる俺には極めて都合が悪い。なんとしてでも知り合い程度にはなっておかなければならないのだ。
「だが分かってることなら一つあるぜ」
考え込む俺に白い息を吐きつけ、意識を現実に引き戻す。
「まあ腹の足しにもならねぇこったが、今の花筏家当主``終夜``は、北方の巫女どもの監視網を難なくくぐり抜け、一般市民に化けられるほどの高い潜伏能力を持ってるってことだ。はっきり言ってヤバいぜ」
「済まん、イマイチヤバさが伝わらん」
「だろうよ。でもな、北方の巫女どもの監視網をくぐり抜けるなんざ、この俺でも不可能に近い……って言ったら、お前はどう考える?」
悪どく笑みを浮かべる凰戟のオッサンだったが、対して俺は言葉に詰まった。
流川凰戟、俺の見立てだと母さん並みか、あの母さんすら凌ぐ実力を持っているマジモンのバケモン。初対面でブチかまされた霊圧で、俺がどれだけパワーを上げても勝てる相手じゃないってのがすぐに分かったくらいだ。
霊圧を放つだけで、戦わずして相手に自分の実力を的確に伝える技量と貫禄、そして体内から僅かに滲み出てる、ありえないほど豊潤な霊力。
母さんもそうだが、間違いなく凰戟のオッサンは霊力量でも俺を遥かに上回っているだろう。俺も並の人外を、その莫大な霊力量をフルに使って蹴散らせる自信があるが、御玲が言うように、``上には上がいる``わけだ。
「流石、戦闘関係になると理解が速いじゃねぇか。北方の巫女どもの探知能力を掻い潜るなんざ、達人どころの話じゃねぇ。もはや神の身技よ」
凰戟のオッサンが目配せすると、弥平が霊子ボードから出力されたホログラフィクスモニタの図を切り替える。
映されたのは、人を簡略化した図に、その体内を循環する青い矢印、そしてその簡略図から四方八方に放たれる赤色の矢印が描かれた絵だった。
一瞬なんだこれと突っ込みそうになったが、その疑問はすぐに取り払われる。
「奴らは体外へ滲み出る霊力だけじゃなく、体内を流動する潜在霊力すら見通すことができる。そしてその潜在霊力から、相手のあらゆる情報を的確に推察して共有するんだ。一度網に引っかかったら最後、逃げるのは至難を極める」
「でも、その``終夜``って奴はそれができる、と」
「いや、そもそも監視網にひっかからねぇ。それをやろうと思うと、体内霊力を一般市民か、そこらの昆虫以下にまで抑えなきゃ無理だ。ンなもん本来、やろうと思って完璧にできる技じゃねぇ」
珍しく悔し紛れな表情を浮かべる。
五十半ばのオッサンが、俺らと同い年ぐらいであろう巫女に嫉妬するって図はなんだか変な感じだが、要するに凰戟のオッサンが言いたいのは、そんな不可能を涼しい顔でやってのけてしまうバケモンの中のバケモンだってことだろう。
もし喧嘩にでもなろうものなら、戦って勝てる相手じゃない―――かもしれない。
「俺や澄会がよく知る先代の花筏家当主花筏無花ですら、そんな馬鹿げた芸当はできなかった。むしろ体内霊力が莫大すぎて肉体にガタがきてたからな。その莫大な霊力を受け継ぎ、堂々と放浪してのけてる子種だってことを考えると、``終夜``は間違いなく歴代花筏家当主最強……くれぐれも付き合い方間違えるんじゃねぇぞ」
お前は無駄に澄会の野郎に似てやがるからな、と軽く肩を叩いてきた。
さっきまで上から目線で厳しいことを言ってのける上司みたいな雰囲気だったのに、今の台詞だけは、ものすごく暖かく、そんで優しく感じる。
凰戟のオッサンが慈しんでくるほどってことは、マジで気をつけないと地獄を見るぞってことだろう。凰戟のオッサンから向けられた優しさが逆に刺々しく心に突き刺さり、生唾を喉奥へと呑み込ませる。
「さて、お前らに与えるおつかいの詳細は以上だ。そんで兄弟、最後に一つ忠告しておく」
今日で何度目かの嫌な予感がまたよぎり、あからさまに不快な顔で見つめる。生唾を呑み込んだ後に凰戟のオッサンお墨付きの忠告とか、心臓に悪すぎる。
巫市との国交樹立に、花筏家との五分の盃。どっちも見通しがまるでついてないってのに、また難題課されるとなると流石にキャパオーバーだ。いや、もう現時点でキャパシティ超過もいいトコだけど。
「兄弟のココに関して、だ」
凰戟のオッサンは自分の左胸を親指で指し示す。その仕草に、指し示しているモノが何なのか、すぐに悟った。
「天災竜王ゼヴルエーレ……だっけか。言っちゃ悪いが、それに関しちゃあ、完全に俺らの埒外だ。弥平からの経過観察の結果からしてすぐにどうにかなるもんでもないだろうが、分離の手立てくらいは考えておけよ」
柄にもなく心配そうに、そんなことを言ってくる。
天災竜王ゼヴルエーレ。親父をブチ倒して尚、俺から奴の存在が消えることはなかった。むしろ契約が履行されるとかなんとか言っていた割に、親父をぶっ倒した後は全く音沙汰なしである。正直、何を考えているのかさっぱりわからない。
一々回りくどい言い方をして、無駄に偉そうな態度で人を小馬鹿にしてくる奴だが、結局ゼヴルエーレは何がしたいんだろうか。
俺は奴の力を借りず、仲間を信じて親父を倒した。だから奴の思惑は外れて復活は成されなかったはずなのに、奴からはあれ以降何も言ってこない。復活を諦めた―――なんてことはないはずだし、マジでわけのわからんこと山の如しである。
まあ俺にとってアイツの思惑などどうでもいいし復活もクソもないんだが、確かに奴と俺が分離できるのなら、その手立てはほしいところだ。
いつまでも得体の知れない蜥蜴が心臓に宿っているとかいう意味不明な状況に囚われているわけにもいかない。いずれ仲間に降りかかりうる災厄になるのなら、尚更だ。
「弥平から聞いたときゃあ……俺の息子、頭ぶっ飛んだのかと思ったぞ。一億年以上前に大国を滅亡寸前に追いやったドラゴンって、小説の粗筋か何かかよってな」
「気持ちは分からなくもねぇけど事実なんだ。水守家から北上してすぐのところにある氷山エヴェラスタの領主的な奴も、俺んトコで雇ったあくのだいまおうって奴からも、言質とってるし」
「そこがわけわからんのよ。確かに氷山地帯があるのは最近の地理調査で分かってはいたが、そこに知的生命体がいるなんて前代未聞にも程があるって話だ」
首を左右にふり、ありえない、と小さく呟く。
そう言われても、実際にいたしこの目で見たし、なんなら会話もしているのだから、アレが幻覚とは到底思えない。
百歩譲ってエスパーダの野郎が幻覚だと無理くり判断するとして、だったらあくのだいまおうの話はどうなるのかってハナシである。実際、親父もゼヴルエーレの伝説は知っていたし、ありえないなんてことはないはずなんだ。
「まあなんにせよ、俺の想像絶する何かなのは確かだな。そもそも文明を一方的に滅ぼすドラゴンなんて、俺ら分家が持ってる最古の古文書に記された``最果ての竜族``ぐらいしかピンとこねぇし、前提にするのも阿呆らしい話だぜ」
「でもドラゴンって実際にいるんだろ?」
ンなもんただの空飛ぶ蜥蜴よ、と煙草片手に馬鹿馬鹿しいと嘆息する。
今まであんまり気にしたことなかったし、この目で見たこともないんだが、母さんからドラゴンに関する話は聞いたことがあった。
どこからともなく現れ、本能のままに破壊の限りを尽くす天空からの破壊者。いかなる鋼よりも堅牢な鱗と、全てを吹き飛ばす巨大な翼を持ち、空を飛んで地上にあるもの全てを破壊し食い散らかす災厄。
母さん曰く、時々どっからともなく現れて庭を荒らして邪魔だったからと狩り殺して食糧にしていたとか言っていたし、俺もゼヴルエーレの存在を知るまでは、庭を荒らす空飛ぶクソでけぇ蜥蜴としか思っていなかった。
ドラゴンへの見方が変わるのは、あくのだいまおうたちと出会ってからのことである。
ゼヴルエーレも自分をドラゴンだと言っていたが、どう考えても奴の存在は、ただの空飛ぶクソデカい蜥蜴のそれじゃない。むしろもっと強大な、途方もなく禍々しい怪物のような何かだ。だとすれば。
「ゼヴルエーレって、世界の果てからやってきた竜だったりして……な」
冗談交じりにそんなことを言ってみる。馬鹿言うなよと思われると思ったが、案の定、凰戟のオッサンが鼻で笑ってあしらった。
「いくらなんでもぶっ飛びすぎだぜ。``最果ての竜族``の存在は神話の領分だ。お伽話扱いした方がしっくりくる話だし、そもそも世界の果てなんてもの自体、俺ら人類には計り知ることのできねぇ未知の領域……頭の片隅に留めておく程度が無難だろうよ」
だよな、とすぐに自分の意見を撤廃する。
自分の言ったことがホントだとは毛程も思っちゃいない。俺だって信じられねぇし、世界の果てなんぞもはや論外だ。そんな理解しようがないものを前提に行動するなんて馬鹿げた話である。
だが凰戟のオッサンが「頭の片隅にとどめておけ」と言うあたり、完全に無関係だと断じるのも早計、ってことだろう。実際、天災竜王ゼヴルエーレの伝説とか、あくのだいまおうや親父の口から聞かされて、なおかつこの目でゼヴルエーレを見るまでは絶対に信じはしなかっただろうから。
ならば世界の果てに俺たちの知らない未知の世界が存在していて、そこにはゼヴルエーレの同等、もしくはそれ以上の超級のドラゴンが、超絶文明を築いて生活していることだってありえるかもしれない。
ある、という証拠はないが、ない、という証拠もまたないのだ。調べていけば、馬鹿げたことも糸口になるかもしれない。覚えていて、損はない。
「うし……結構長く話し込んじまったな。俺からもう何もないから、後は任せたぜ。本家派当主様よ」
「その呼び方はよしてくれ。さっきまでみたく兄弟でいいさ」
「そうかい、じゃあ精々励めや。兄弟」
煙草片手に揚々と去っていく。その背は広くて、デカくて、厚い。頼もしくて思わず寄りかかりたくなるそれは、やっぱ目の前のオッサンが生きる英雄なんだと思わせてくれる。
俺にもこんな親父がいたら、どんな奴になっていただろうか。やっぱ弥平みたいな人畜無害に育ったんだろうか。まあそんなもしもの話したって虚しいだけだが。
俺と弥平は席に戻る。凰戟のオッサンが乱入したせいで立ち話が長くなってしまったが、それを踏まえてまた話し合いをやり直さなきゃならない。絶対に聞きたいこともあるわけだし。
あくのだいまおうに視線を投げた。だが当然というべきか、そんな視線を臆することもなく、あくのだいまおうは深々と一礼する。その所作に、一片の乱れを感じさせずに。




