流川頂上対談
いや、分かってはいたんだ。結末なんて考えるまでもない。
負けは決まっていたことだ。アイツはそんな事はお構いなしに、俺との決着を望んでた。アイツにとっては白星返上を賭けた喧嘩だったんだ、勝ちにこだわるアイツの性格を考えれば、逃げ隠れする方が馬鹿らしいってもんだが、実際に戦ってみると、たとえ負けることがわかっていても、力の差はあまりにも歴然としてやがった。
手も足も出ない、足元にも及ばない。なんで負けたのか、何をされたのかすら分からないまま、俺は負けたのだ。
今までいろんな戦い、喧嘩をやってきたが、こうもわけのわからないまま一方的にブチのめされて負けたのは生まれて初めてだ。その証拠に、自分が負けた瞬間を頭ン中で何度も何度も延々と思い起こしている。
無意識に、何で負けたのかを自分なりに知ろうとしているんだろう。考えたって九割筋肉のこの頭じゃ、分かるはずもないのに。
「過去を無意味に思い返しても時間の無駄です。切り替えていきますよ」
気がつくとパオングが魔法陣を既に描ききり、後は俺が魔法陣の上に立つだけになっていた。御玲は俺の腕を掴んで引っ張る。
そんなことはわかっている。でも悔しいんだよ。
自分の攻撃っていう攻撃が一切通じず、敵の手の内を暴く暇もなく、気がついたら負けていた。
少しでも自分のやり方が通じていたらまだ良かったし、それでも負けるだろうなって思いで戦っていたけど、手も足も出ず相手が何をしていたかも分からないまま一瞬で、一方的に敗北に追いやられるってのは、単純に悔しい。ただただ悔しい。
そんなことがあっていいものかと、馬鹿みたいに言ってやりたい。その相手がもう、ここにいないんだけども。
「澄男さま、この際なので一つ言っておきます」
はぁ、と肩を落とし大きなため息をついた御玲は、俺の両手をとり、優しくそのほんのりと冷たい手を重ねてきた。
「あなたのやるべきことは何でしたか。忘れてはいないでしょう?」
俺のやるべきこと。ああ、知っている。
守るべきものは死んでも守り切れる、そんな大英雄になってみせる。ガキの頃から夢見てきたその理想を叶えるのが、俺が掲げる次の目標。
「ならば、裏鏡水月にもたらされた敗北が何だというのです? むしろ、悶々と悔し涙を心中で流すのではなく、やるべきことを確実になすために、その戒めとするべきでしょう」
「戒め……?」
「そうです。あなたは自覚が薄いと思いますが、世界は広い。流川本家の家長となり、怨敵であった流川佳霖をも討ち滅ぼした今、あなたはこの広大な世界で理想を抱き、それ叶えるために生きなければならない。それがどんな意味を持つか、お分かりですか?」
「どんな意味って……ンなこと言われても」
想像したことなんてねぇよ、世界なんて。そう言おうとした口は、一切濁りのない青く澄んだ瞳から放たれる眼力によって阻まれる。
こんなことを言うのは情けないとは思う。というかその自覚があるくせに、と思われるだろう。俺は外の世界のことなんて、ほとんど考えたことがないのだ。
今までやりたいことをやりたいだけやってきた。十六年の人生、いずれきたる戦いに備えるため、そのほとんどを修行に費やす。ただそれだけをやってきた。
だから外の世界のことなんて一切興味がなかったし、持とうとも思わなかった。いずれきたる戦いを想定している奴が世界に興味を持たないってどうなの、と思うかもしれないが、重要なのは戦いの内容よりも、最後は結局強大な力をもって敵を討ち滅ぼすことなのだと、ずっと考えてきたから。
その人生に後悔はしていない。もうそんな中身のない生き方が通じないのは、今回の復讐で身に染みて分かったつもりだ。でも言っちまえば、まだそれだけしか分かっていない。外の世界なんて、目も向けたこともなかっただけに。
「上には上がいる、ということです。それも力だけではどうにもならないような者たちが」
人差し指を立てて、意気揚々と言ってくる。その聞き覚えのある言葉に、反論する気が削がれていく。
「そんな理不尽に満ちた者達が跋扈するこの世界で、あなたは理想を抱いて生きなければならない。現実に、屈してはいけないんです」
押し黙ったまま口を開こうとしない俺に痺れを切らしたのか、ダメ押しと言わんばかりに語りを続ける。
「あなたはこれから、私たちが束になっても敵わないような存在も含め、色んな存在を相手にすることになります。流川家は確かに強大な力を持ちますが、それはあくまで流川家としてでしかありません。私たちだけなら、世界からすれば矮小な存在でしかないですからね」
ようやく締めくくられた。御玲の言葉一つ一つが、心の奥に突き刺さってものすごく痛い。
自分で言うのもなんだが、俺は世界じゃ一番とは言わずとも五番以内に入ってる自信はあった。でも裏鏡や親父、十寺との戦い、そして天災竜王とかいう超常の存在と力を目の当たりにして、そんな自信は粉々に砕け散った。
矮小な存在と面と向かって言われるのは癪だし、悔しくて堪らないが、否定できるほど俺は強くない。
俺らよりも強い奴。強くなかったとしても、力じゃどうにもならない奴。
確かにそんなのが世界のどこかにいてもおかしくない。いや普通にいるだろう。俺がただ、知らないだけで。
「あなたが心がけるべきことは、負けた喧嘩をウジウジと振り返ることじゃない。たとえどんなことがあっても、どんな存在が相手だろうとも、前を向き、己の理想を突き通すこと。この言葉、絶対に忘れないで下さい」
そんな無茶苦茶なことを御玲は凛とした表情で言ってくる。
確かに世間の道理なんざ知らないし、これからどんな奴が待ち受けてるのかも分からない。でも一度掲げた理想は譲る気もなければ捨てる気もない。
たとえどんなことがあろうと理想に向かって走る。親父への復讐に代わり、俺がやるべきことは、もうそのただ一つだけなんだ。
「最後に一つ、私個人として授けたい言葉があります」
俺の両手に優しく重ねていた手を、ゆっくりと両肩へ持っていく。手から腕にかけて優しく撫でてくる手は氷のように冷たかったが、なぜかひんやりとした心地良さを感じさせた。
「たとえ戦いに負けても、生きて立ち向かうことを諦めない限り敗北ではない。これは私が思い描く理想の英雄にのみ掲げることを許された、一種の反則です。私も今後は、この反則を胸に刻んでいこうと思ってますので」
心の中に横たわる黒霧を振り払い奮い立たせてくるように俺の両肩を強く叩くと、ほんの少し距離をとる。パオングが描いた、転移魔法陣を手で示しながら。
いつの間にやら、目の前のメイドはやたらとメンタルの鬼になっていやがった。あながち鬼なのは間違いない。元は生き残るただそれだけに思考も何もかもを特化させていた食人鬼メイド。俺と物理的にも精神的にも腹を割り合うまで、その内なる狂気をずっと隠して生きてきた。
ついこの間までは暗澹として濁りに濁りきった眼をしていたのに、今のコイツの青空みたいな眼からは、その名残すら感じられない。今や俺よりも先に自分なりの理想へ向かって前に進んでいる、決意に満ち満ちた眼をしてやがる。
ふふ、と微笑をこぼしながら、肩を竦める。
理想の英雄にのみ掲げることを許された一種の反則。裏鏡の奴ならまさに負け犬の遠吠えだと一蹴する言い分だし、俺だってそう思うが、なんでかな。嫌いじゃない。
たとえ今は負けても、生きて立ち向かうことさえ諦めない限りは本当の敗北にならない。いかなる理不尽を前にしようと己の理想を抱き、そして突き通すと決めた俺に、これ以上相応しい理屈があろうか。
いや、あるはずがねぇ。あるってんなら持ってこい。目の前の気高いメイドよりもずっと相応しい理屈を並べられる奴がいるってんならな。
「悪りぃな。辛気臭くなっちまって」
頭をかきながら御玲の左手をとり、展開中の魔法陣に入り込む。準備完了とパオングに目配せすると、俺の視界は瞬く間に暗転したのだった。
視界が開けると草花溢れる庭の中にいた。
整えられた芝生と、きちんと切り揃えられてる木々がそこらかしこに植えられた広大な庭。俺ん家の縁側から眺められる庭と同じような作りをしているそれは、妙な話だが自宅にいるような安心感があった。
流川分家邸。弥平の実家にして、分家派の拠点。俺ん家から遥か北方にあるその邸宅は、人工建築物でありながら、自然と異常なほどに調和している。自然に侵されているわけでもなく、人工建築物が自然を侵しているわけでもない。両方が共生し合っているのだ。
流川本家も似たような感じだが、領土としては本家領の方がはるかに広い。そう考えると分家領は多少手狭で、その手狭さが調和率を際立たせているように思えた。
目の前にある引き戸の前に立つ。俺に反応したのか、手をかける前に引き戸は開かれた。
「は……? いや待て、ちょっと待て!!」
本家と同じで、分家の玄関も自動ドアらしかったが、もはやそんなことどうでもよくなるくらい、目の前の現実が全てを塗り潰していく。
玄関先で俺らを出迎えたその人物に、思わず甲高い声で叫んじまった。でもこれは、正直仕方のないことだと思う。だって。
「よォ澄男ォ!! テメェ佳霖をブチ殺したそうだなァ!! やるじゃねぇかァ!! ブハハハハハハハ!!」
有無を言わせず、岩石みたいな腕を俺に絡ませてくる。困惑する俺をよそに、一切お構いなしだ。つか御玲たちも状況が理解できず硬直してやがる。
そりゃそうだ。死んだはずの人間が、ドッキリ大成功と言わんばかりにのうのうと出迎えてきたんだから、ワケわからなくなるのも道理ってもんである。なにせ俺も大混乱してんだから。
「いやまじで待ってくれ母さん!! 状況!! 状況説明してくれ!!」
「んだよォつれねェ奴だなァ。ンなもん生き返ったからに決まってんだろォ? 馬鹿かテメェは馬鹿なのかァ?」
「馬鹿はあんただ!! 何が生き返ったからに決まってんだろォ? だよ!! 死んだ奴が生き返るなんざ漫画か小説の中だけの話だろ!!」
「いやいやだからなァ? それがありえたんだってェ。正直俺もよくわかんねェんだがァ、まあいっか、ってなァ!!」
「よくねぇよ分かろうよ頑張ろうよそこは!! なんで割り切れちゃうの!? そこ結構重要だろ!? 人が生き返るんだぞ!?」
「馬鹿野郎ォ!! 重要なのはなんで生き返れたかじゃねェ!! 生き返れたか生き返れなかったかだろうがァ!! 細けェこたァもう気にすんなァ!! ンなことばっかきにしてっとォ!! ちっせェ漢にしかなんねェぞォ!!」
「いや……だから……ああ……もういいやうん生き返れて良かった、良かったね母さんうんうん」
このとき、俺は全てを諦めた。
つかよくよく考えたら母さんに現実離れした状況の説明とか無理だった。なんでそこに思い至らなかったんだ俺。馬鹿なのか俺は。いや母さんが馬鹿すぎて俺が馬鹿だと錯覚しているだけだな。そうに違いない。
「えっと……澄会さま? ひとまずその……凰戟さまとの顔繋ぎをおねがいしたいのですが……初対面の者もいることですし」
混乱しながらもとりあえず状況の進行を図る御玲。その額には汗が滲んでいる。御玲は軽くカエルたちを紹介すると、母さんは「テメェらが澄男の新しい仲間かァ!!」と矢鱈でけぇ声で話していた。
流石は母さん。あのぬいぐるみどもを見てもなんの違和感を抱くことなく接してやがる。相手はぬいぐるみの人外だってのに、なんであんなに気さくに話せるんだ。少しは違和感持とうぜ。
「兄様に顔繋ぎだっけかァ? いいぜェ、ついてこいやァ」
まるで家主と言わんばかりの態度でどすどすと廊下を闊歩する。
相変わらずでけぇ足音。まあ身長体重ともに俺の倍以上あるし、筋肉の量も俺の比じゃねぇから仕方ないんだが、母さんが歩くと家が軋む軋む。
「そういや久三男がいねェみてェだがァ?」
「ん、ああ、アイツなら遅れてくるぞ。戦後処理の仕上げだとかなんとか」
突然話を振られて頭に思いついたことをとっさに答えた。
久三男は弥平と戦後処理に忙殺されており、今の今までほとんど会話ができてない。一応、魔生物軍の収容とヴァズの最終調整をラボターミナルで行いつつ、その他諸々私用をこなすとかなんとか言っていた気がするが、アイツの言うことはとにかくややこしいことばかりなので、あんまり記憶に残っていないのだ。
「アイツもいっちょまえに働くようになったかァ。色々あったがァ、感慨深いもんだなァ」
「まあな。今回の戦いもアイツがいなかったらまだ決着はついてなかっただろうし」
アイツがいないからこその発言だが、正直な話、今回の戦いのMVPは久三男だ。
アイツが総勢十万の兵を魔生物の軍隊で相手してくれていたからこそ、俺や御玲たちはさっさと本丸へ突撃できた。そうでなきゃ、俺らだけで総勢十万の兵と親父たちを相手しなきゃならず、気力、体力、霊力の浪費は避けられなかっただろう。
半日以内に決着という当初弥平が組んでた無茶なスケジュールをこなせたのも、久三男の魔生物軍指揮が大いに貢献してくれた結果だ。アイツを褒めるなんざ調子に乗らせるだけだから癪だが、今回はアイツのサポート面での有能さに感謝している。
「うし、着いたぜ。兄様ァ、俺のガキが来た、入っていいかァ?」
一切の遠慮なく襖を開けて中にいるだろう誰かに、これまたデカい声で話しかける。
母さんの兄貴、もとい弥平の親父はかなり豪華な私室を持っていた。一切歪みなく綺麗に張られた襖、廊下も綺麗に掃除がされていて、見る限り埃一つ落ちていない。廊下の窓からは太陽の光が絶え間なく入ってきて、当然ながら自然溢れる庭が窓越しで眺められる。
毎度思うが、もったいないくらい豪華な武家屋敷だ。俺ん家もそうだが。
「おう、入れや」
聞く限り疑いないくらいのおっさんボイスが襖越しに聞こえる。うっす、と女らしからぬ声音で母さんが軽く頷く。
母さんが頭を下げるあたり、母さんの兄貴は相当ヤバイ。何気に母さんが頭を下げたところ初めて見たし、一体何者なんだ。
俺らは母さんに誘導され、おもむろに部屋に入る。恐る恐る、母さんの兄貴と目を合わせた瞬間。
「うっ……!?」
身体が、急に重い。まるで突然クソみたいに重い重りを肩から背負わされたような感覚で、身体全体が一瞬でノロマになったと理解する。
まるで錘を載せられた挙句、馬鹿みたいに頑丈な糸で雁字搦めにされたかのような猛烈な束縛感。簡単に言うと、身体が動かない。
上座で太々しくオッサン座りしている、母さんと同じくらい図体のデカい白髪交じりのオッサンと目を合わせただけで、本能がヤバいと全力で訴えかけてきてやがるのだ。
間違いねぇ。このオッサン、バケモンだ。
「おう、座れや。兄弟」
盛大に煙草の煙を吹かす母さんの兄貴。
座れるならもうとっくに座ってる。なんなんだこのオッサン、マジヤバい、マジで身体が動かねえ。近づいたら潰されんじゃねぇのか。いやいやそんなことは―――。
「おいおいどうした?」
「やめてやれよォ兄様ァ。コイツ、兄様の霊圧にチビってんでさァ」
「ああん? ちと気ぃカモしただけだぜ? 修行が足りねぇんじゃねぇか兄弟」
思わず、はぁ? と言いたくなるが、その口すら動かない。
今まで母さんの霊圧は死ぬほど受け止めてきたけど、身体がピクリとも動かねえなんてなかった。いや母さんが手加減していただけって可能性も、いやいや、それこそない。ありえない。あの母さんに手加減なんて言葉は似合わないし、つーことは母さんの兄貴って―――。
「澄会様。ご快復、おめでとうございます」
また悶々と無駄な思考に気力を費やしてると、横から聞き覚えのある声が耳に入った。執事服を着こなす黒髪の少年、流川弥平が母さんに向かって深々とお辞儀した。
「おう。この愚息の世話ァ、ごくろうだったなァ。コイツ頼りねェからよォ、これからも頼むぜェ」
「仰せのままに」
母さんは俺の頭をごしごしと無造作に撫で回す。弥平はその場で跪き、また深く頭を下げた。
「澄男様、紹介したい者がいるのですが、構わないでしょうか」
「あ、ああ、そりゃ構わんが。なんだ、改まって」
「いえ。一度顔合わせしてはいるのですが、覚えてらっしゃらないかもしれないので」
そう言い、左へ一歩ずれる。弥平の背後から現れたのは、真っ白な軍服に身を包んだ白い髪の少女だった。
最近会話した記憶はないが、その少女が持つライトグリーンの瞳で覚える、酷い既視感。名前も会話も思い出せないが、どこかで会ったことがあるような不思議な感覚に、言い知れない違和感が俺の胸中を彷徨い歩く中、少女はおもむろに口を開いた。
「お久しぶりでございます、澄男様。私、白鳥家現当主にして分家派当主代理、白鳥是空と申す者です。覚えていらっしゃるでしょうか」
「白鳥……? ああ! 裏鏡を誘き出したときの!」
違和感が、俺の脳内に散らばった記憶の断片をようやく一つに集める。
白鳥是空。今から二ヶ月くらい前、裏鏡を誘き出すため、当主就任祝いとか銘打って会合みたいなものを開いたとき、弥平の紹介で一瞬だけ顔合わせした奴だ。
顔合わせの後、色々あって結局一度も会うことなく、俺も親父関係のイベントが重なって存在自体忘れてしまっていたが、相手は俺のことを覚えていてくれたらしい。
まあ立場の差ゆえに覚えていただけだろうが、あんまり話していないのに覚えてもらえているってのは、なんだかむず痒い気分だ。
「頭をあげてくれ。確かお前、弥平の従兄妹だよな?」
「はい。弥平様とは様々な経験をさせていただいております」
「そ、そうか。つかそんな硬くなくていいぜ? あんま年変わんないしさ」
「いえ……分家派当主代理たるもの、そのような不敬な真似は」
「是空、澄男様は砕けた態度での対話を望んでおいでです。その願いを聞き入れるのも、従者の役目ですよ」
「なるほど。努力いたします」
言った尻から深々とお辞儀する。
いや努力とかしなくても、フツーに話してくれるだけでいいんだけど。そっちが硬いとこっちもなんかそれなりの言葉遣いしなきゃみたいな流れになるし。正直敬語はトラウマしかないから、なるべく使いたくないんだよね。まあ俺が堂々としてりゃあいいだけの話なんだけどさ。
「まあとりあえずよろしくな」
はい、と言い残すと是空は所定の位置に戻り、超行儀良く正座した。背筋は綺麗なまでに垂直。猫背な俺とはえらい違いだ。
そんなことを思いながら、俺はどすんとオッサン座りで座り込むと、御玲にジト目で見られながら膝を叩かれた。
「ごめんごめん遅くなっちゃった!」
「遅レテ申シ訳アリマセン。皆様」
全員がそれぞれの座布団に座った直後、我らが愚弟とその手下第一号が到着。俺は早く座れと目で凄む。
全員が部屋に入ったことを確認すると、母さんの兄貴―――流川凰戟は煙草の煙を大量に吐き散らかしながら、ようやくかという感情を顔に描いた。
「よしお前ら、まず軽く謝辞から言わせてもらうぜ。佳霖討伐ごくろうだった」
「いやまあ……俺がやりたかったからやっただけですますが」
「敬語なんざいらねぇよ兄弟。無礼講でいこうや」
「そっすか。じゃあ……まあ自分がやりたかったからなんすけど、あざーす」
御玲がすんごいジト目で睨んでくる。もう面倒なのでとりあえず見なかったことにする。
「さて謝辞はこんくれぇにして、だ。さっさと本題に入るぜ」
刹那、凰戟から放たれる霊圧がまたその濃さを増した。一瞬呼吸ができなくなるほどの圧迫感が、俺を襲う。
「お前らを呼び出したのは、まあ佳霖への祝勝ってのもあるんだが、まず最初に兄弟、今回お前が佳霖を殺るのに殺した奴らの数についてだ」
はい? と思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。
俺が親父を殺るのに殺した奴らの数。親父がどこからともなくかき集めた十万の兵のことだろうか。確かに、そういえばどうなったんだろう。
佳霖以外正直どうでもよくて、倒した頃には十万の兵に関しては忘却の彼方だったんだが、最終的にどうなったかはまだ聞いていない。久三男が相手にしていた、ってことは知っているんだが。
凰戟のオッサンは懐からペン型の霊子ボードを取り出し、それを起動させて俺の前に転がす。
ホログラフィクスモニタが展開されると、その画面にはなにやらよくわからない項目と数字がごちゃごちゃと書いてあり、その中でも一際デカく書かれた数字が我先にと目に入った。
「一億八千二百十万……?」
なんの数字なのか、皆目見当がつかない。だがそんな俺とは裏腹に、煙草を咥える凰戟のオッサンは、澄まし顔でその答えを言い放った。
「お前がこの三ヶ月で殺した人の数さ、兄弟」
「……はぁ!?」
ホログラフィクスモニタに映ったそのドデカイ数字を、ただただ眼を見開いて何度も何度も桁数を数えることしかできない。
一億。なんで、どうやったらそんな馬鹿げた数の人間を殺らなきゃならないんだ。そんなに殺した記憶なんてない。つかなんで誰も突っ込まないんだ。おかしいだろ。俺がそんな大虐殺なんてした覚えは―――。
「あっ……」
思い出した。親父が用意した十万の兵以外で殺した人間。それは裏鏡を誘き出すニセ祝杯会を催したとき、俺は使っちまったんだ。ゼヴルエーレの力を。あの何もかも問答無用で破壊する、外道の力を。
確かそのとき、祝杯会の会場になった建物はおろか、周辺の建物の全てが消えてなくなり、広大な土地が更地になった。
俺はもう裏鏡をブチのめすのに夢中で、街を破壊した自覚なんて皆無だったけど、普通に考えてみれば大都市のど真ん中で核爆弾なんか比にならないレベルの大爆発を起こしたんだから、それに見合った数の人間がお陀仏してるのは当たり前のことじゃないか。
「上威区で一億三千万、中威区で五千二百万、巫市農村過疎地域で十万だ。まあ俺らは戦闘民族だからよ。仇討ちが目的だった以上、俺は非難するつもりはないんだが……佳霖一人を殺るのに、ちと殺りすぎたな。兄弟」
言い逃れなんぞしようがない、紛うことなき大虐殺。
武市から一億八千二百十万もの命が失われた。それも、俺が佳霖一人をぶっ殺すただそれだけのために。
実際に数字で表されてなお実感が湧かない。一億とかいう途方もない数の人間を皆殺しにしたという実感が。それもそのほとんどが俺の復讐にはまるで無関係な奴らだ。関与しているのは、それこそ十万の部分だけだろう。
弥平の親父が言わんとしていることは分かる。俺は、無関係な奴らを殺しすぎたのだ。
「……さーせん」
「謝るこたぁねぇさ。むしろ驚きだぜ? まさか俺の妹の息子が、一億もの人間を皆殺しにするなんてよぉ」
俺でも流石に一億はねぇぜ、と気さくに話してくる凰戟のオッサン。俺は俺で「さーせん」という言葉しか出てこない自分自身に驚いていた。
一億以上の人間を皆殺しにし、そのほとんどが俺の復讐の二次災害で死んだという結末。
普通に考えれば胸糞極まりない話だ。でも俺の心は酷く凪いでいる。いつもは無駄に動揺するはずの心は、冷酷なまでに冷静だったのだ。
なんで。一億もの人間を殺したってのに、なんでこんなにも冷静でいられるんだ。
「兄弟、お前に一つ聞きたい」
誰もが発言しようとしない中、凰戟のオッサンは煙草を灰皿に押しつけ、また新しい煙草に火をつける。
「お前は佳霖をぶっ殺したわけだが、その後何を目的に生きるつもりなのか、考えてるか」
「い……一応は」
「言ってみろ」
「仲間を……仲間を死んでも守り切る、そんな大英雄になろうと思ってる」
「はーん……そりゃ兄弟、ちと夢見すぎてんじゃねぇのか」
「ンなこと分かってる。でも俺は」
「それ以前に、だ。お前は一億もの人間を、その大半が復讐に無関係の人間を大虐殺してんだぜ? そりゃもう英雄じゃねぇ。もはや魔王の所業だろ」
言葉が喉元で詰まった。凰戟のオッサンから放たれた言葉が、あまりにも正しすぎて、ぐうの音も出やしない。
魔王の所業。そう言われてしまえば、もはやそれまで。
全てを狂わせた親父をなんとしてでもぶっ殺す。ただそれだけのために力を振るい、そして目的を達した。復讐の最中でも、御玲たちの存在だけは忘れなかった。だからこそ今があるとも言えるが、それでも御玲たち身内以外の人間に関しては、全く無頓着だった。
何人殺したか、そんなことも今の今まで頭になかったほどに。
まさに己の目的のためならば、いかなる犠牲も厭わない``魔王``。英雄なんてものには程遠い、業の深すぎる行いだった。
「さっきも言ったが俺らは戦闘民族だ。お前は本家の当主だし、勝つためならどんな手段を講じようと好きにすりゃいいさ。でもなぁ兄弟。漢として、物事のスジだけは通さなきゃなんねぇ」
煙をこれ以上にないほど大量に吐き出す。部屋に篭った煙が視界を曇らせ、煙草特有の匂いが鼻腔を撫で回した。いつもは美味しいと感じられる匂いも、今日に限っては不快に感じる。
「澄会の野郎は運良く俺の蘇生魔法で助けられたが……基本的に一度失っちまった奴らは取り戻せねぇ。英雄になりてぇんなら止めはしねぇが、どうケジメつけるつもりだ?」
火のついた煙草の先が目と鼻の先にまで近づく。年老いてもなお、衰えている様子がまるでない眼力と霊圧が、視線を逸らすことを許さない。
確かに俺は殺りすぎた。一億八千二百十万、そのうち復讐に関与してたのは十万の兵だけであり、それ以外の一億八千二百万は俺の復讐になんら無関係な命。
どんな殺人鬼であろうと霞むくらいの命を、この世から消し去ってしまった。だが何度自分に問い直しても、本音は変わらない。むしろ驚くべきことに「復讐を果たすのに必要な犠牲だった」と冷たく考えている自分すらいる始末だ。
笑えないくらいクズで身勝手で、独りよがりな考え。そしてそんな自分を否定する気にもなれない。
親父との戦いで自分を誤魔化すのをやめた今、もう取り繕う気はないのだ。一億だろうがなんだろうが、復讐を果たした結果それだけ殺ったってんなら、それは殺りすぎだろうとその復讐に見合った犠牲だったのだと、異常な割り切りの良さと冷酷さに驚きこそすれ、偽善者ぶる気はサラサラない。
でも、そんなのはただの開き直りってのも分かっている。
俺はそれで良くてもみんなはどう思うだろうか。少なくとも俺とほとんど接点がなかった白鳥是空からしたら、俺なんてクソという二文字をどれだけつけても足りやしない、人を人とも思わねぇ冷酷無比な大悪党にしか見えないだろう。下手すりゃ十寺と同じ、人としてぶっ壊れた狂人と思っているかもしれない。
そんな奴がみんなを死んでも守り切る大英雄になりたいとかほざいてやがるんだ。寝言は寝て言いやがれバーカって話である。弥平や御玲だって、本心じゃどう思っているか。
弥平の親父の言うとおり、本当に``みんなを死んでも絶対に守り切る大英雄``になりたいんなら、ここでケジメをつけなきゃ先に進めない。
ただ身勝手を突き通すだけじゃダメだ。俺は本家当主の立場上、強権を発動すればあらゆる身勝手を全て押し通すことはできる。でもそれをやったら最後、俺は紛うことなき血塗れの大悪党に堕っこちる。それこそ英雄には程遠い、本物の魔王みたいな存在になっちまうだろう。
なら、俺がここでつけるべきケジメは―――。
誰も言葉を発しようとしない空気の中、視線を逸らすことを許さない眼力そのままに煙草を蒸す。部屋の中は煙で曇り始めていたが、俺が霊圧を放ち返したことで、部屋が一気に本来の色を取り戻した。
「アンタが……いや、誰がなんと言おうと俺のやるべきことは変わらねぇ。みんなを、仲間を絶対に守り切る。そんな大英雄に俺はなる」
「そりゃあさっき聞いたぜ、でもなぁ」
「言わずとも分かってる。そんなもんただの夢物語で、ガキくせぇ理想でしかないことくらい」
「……それで?」
「確かに仲間を守るためとはいえ、今回の復讐みたく目的のために無差別殺人なんてやってたらそれこそ血塗れ大悪党なのは違いねぇ。それに俺は、堂々と言うのも恥ずかしいが一人じゃ何もできねぇ無能だ。だから俺一人でできないようなことは、仲間に頼ることにする」
「ああん? なんだぁそりゃあ。他力本願にもほどがあんじゃねぇのか」
「そう……かもしれねぇ。でも、もしみんなと相談して、力を合わせて、乗り切ることができるなら、俺一人だと大虐殺とか大破壊でもしない限り乗り越えられない危機でも、必要最低限のことで乗り越えられると思うんだよ」
ふむ、と凰戟のオッサンは煙草の灰を灰皿に落とす。
俺だって全く何も考えていないわけじゃない。今回、一億もの犠牲を出してしまったのはなんでなのか。自分なりに答えを出している。
復讐に囚われていた頃の俺は、自分以外の存在を全く当てにしなかった。当てにし始めたのは、弥平の有能さに気づき始めた頃だったが、それも当初はただ役に立つ程度にしか思っていなかった。
復讐をなすため、復讐の邪魔になるものはただの一人も、全部力づくでなんとかしてきた部分が多い。自分の力が及ばない部分は有能な弥平に丸投げし、ただただ目の前に敵と思える奴が視界に入ってきたら、力一杯暴れる。
その繰り返し、その結果こそが、今回の大虐殺。
仲間に頼るなどせず、自分の都合の悪いことは全部有能な奴に丸投げ。それ以外の身の回りのものは全部無視して、とにかく暴れて壊して怒って殺す。それが復讐に囚われていた頃の俺の実態だ。
もしも仲間という存在をもっと早く自覚していて、家長の俺がきちんとみんなの音頭をとって心を一つにしていれば、結果は違ったかもしれない。親父と十寺だけを始末できたかもしれない。
そんなの今言っても後の祭りだけど、今後もなんらかの危機や敵に遭遇する度に大虐殺するわけにはいかない。別に魔王になりたいわけじゃないし、なにより俺は仲間を、大切な身内を純粋に守りたいだけなんだ。
敵は確実に始末するし、脅威は絶対に排除する。これだけは変わらないとしても、無関係な人間を目的の為に無差別虐殺するのは避ける。
俺だけなら無理でも、仲間がいれば、それも絶対できると信じている。誰がなんといおうとも。
凰戟のオッサンは俺の顔をじっと見ながら、煙草の煙を顔面から吹かし続ける。
ぱっと見興味なさげに、理解半分で聞いているようにしか見えないが、そんなことは関係ない。凰戟のオッサンは足を組み替え、煙草の先に積った灰を灰皿に落とした。
「……漠然としてんな、その必要最低限のことってなんなんだ?」
「えっと……守り切るっつっても、状況次第じゃ相手を殺さなきゃなんねぇこともあるだろうし、流れ上、色々ぶっ壊しちまうこともあるだろうし……」
「ぶっ壊しちまったら弁償するぐれぇのことはできろよ」
「違う。敵の拠点とかだ」
「いやいや、ンなもん当然だ。無関係な住居区画とかはどうすんだって話だよ」
「そ、それは……うん。そんときに、なんとかするさ」
「……まあいいや。んじゃ最後に聞くぜ?」
「まだあんのか……」
これ以上の質問攻めは流石にキツイ。思わず本音がポロっと口から出ちまったが、凰戟のオッサンは気にしない。その年に合わないギラギラとした眼光で俺の顔を舐め回すようにみてくる。
「敵だけを的確に殺し、できる限り敵の拠点のみを破壊し、仲間を守る……聞こえはいいけどよ、お前にそんな器用の真似ができんのか? 佳霖一人ぶっ殺すのに、一億の人間と二桁は下らねぇ都市を更地に変えたお前がよぉ? 言っちゃ悪いがドがつくほどの不器用なのは違いねぇし、世辞でも期待できねぇな」
吸い尽くした煙草を、煙草だらけの灰皿に乱雑に押し込みながら、そう吐き捨てた。
一人分の飯が乗る程度の小さい机にデカい足を放り投げ、両手を頭に添えて上座に似合わぬだらけた姿勢でどっしり構え直す。十人に聞けば九人は行儀が悪いと叫ぶであろう姿だが、それに文句を言う奴は誰もいない。まるで俺を見下すように、じっとりとした視線を向けてくる。
一瞬ナメられていると思い、心の奥底がざわついたが、俺は騙されない。
ここでキレたら負けだ。なんでかわかんねぇが、そんな気がする。いくら弥平の親父といえど、試されるなんざ癪で堪らねぇが、もう分かっているんだ。答えるべき答えくらい。
全身の肌が痺れるほどの霊圧。肌から筋肉にまで痺れが伝わるそれは、だらけきっている姿とは裏腹に、怠惰を微塵も感じさせない風格を持っていやがる。
間違いない。ここでスカした答えを言えば、確実に終わりだ―――。
負けじと俺も霊圧を解き放つ。障子が破け、畳が裂ける。
見えない力と力のぶつかり合いが部屋の中を揺るがすが、凰戟のオッサンから放たれる霊圧は格が違った。押しのけられるようなもんじゃない。全力で放った俺の霊圧は、瞬く間に押さえつけられていく。
だが、そんなことはどうでもいい。鼻っから力で敵うなんざ思っていないし、答えるべきを答える。ただ、それだけのことだ。
「俺はなる、そう決めた。だったらできるかできないかじゃねぇ。やるかやらないかだ。当然俺は``やる``ぜ? 漢に二言はねぇ!!」
今の自分が放てる精一杯の霊圧を飄々とした顔で押しのけられる中、全身から痺れと体感重力の増加を感じながらも、凰戟にそれらの負荷を微塵も感じさせない顔で言い切った。
霊圧を放つ前から、答えるべき答えは一つだけ。これ以外にありえない。むしろこれ以外を答えようものなら、凰戟のオッサン以前に自分が許さない。
俺は殴る蹴る壊す焼く以外に芸はないし、それ以外の芸を覚えようとは思わないが、仲間を全力で守るためなら、仲間を悲しませるような真似は絶対しねぇ。それが俺の、俺なりの身勝手の線引きなんだ。
「ふふ……フハハハハハハハハ!!」
何の脈絡もなく笑い出した凰戟のオッサン。顔を天井に向け、腹を抱えて大笑いする様は理想的なまでにオッサンだったが、涙を浮かべて笑いを堪えながら、母さんに視線を投げた。
「できるかできないかじゃねぇ、やるかやらないかだぁ? ハッハッハッハ!! おい聞いたか澄会、やっぱコイツはテメェの息子だわぁ!!」
予想外の反応に、間の抜けた声が出てしまう。わけのわからないまま、母さんも母さんでだァろォ? 自慢の息子なんだよォ、と背中を手加減なしでぶっ叩いてくる。
いま俺、なんか変なこと言ったか。確かに合理性も欠片もない、嘘もへったくれもないただの本音をブチまけたんだが、いくら親とはいえ他人の本音を嗤うのはいかがなものか。流石に不愉快になってくる。
背後で満足気に背中をぶっ叩いてくる母さんをよそに、俺の顔色を察したのか、凰戟のオッサンは首を横に振りながら態勢を元のオッサン座りに戻した。
「いやな、お前のソレ、若い頃の澄会が言ってた台詞と同じでよぉ。アイツも本家当主就任の頃にな、その台詞をオヤジに言いやがってよ、堂々としてやがるぜと思ったぜ。殴られても殴られても同じ台詞を吐き散らかしてたもんだから、ホント血の繋がりは侮れねぇもんだよなぁ!!」
ハッハッハッハ、と豪快に笑いながら過去らしき話を語る凰戟のオッサン。多分だけど凰戟のオッサンが言っているオヤジってのは先々代の当主、つまり俺からしたらジジイにあたる奴のことだろう。
ジジイとババアには出会ったこともないし、顔も名前もしらねぇが、母さんも同じようなことを言って本家の当主に就いたってことなのか。別に真似たつもりはないんだが、正直そこまでツボにハマることなんだろうか。
周りを見渡す。やっぱ俺だけじゃなく、周りのみんなも置いてけぼりを食らっていた。顔には僅かに動揺が漂ってる。弥平や是空までもどう反応すればいいか困っている様子だ。
そりゃ子供を置いてけぼりに自分らの過去を笑いながら語られたらわけわかんないよな。だって実際に見ていたワケじゃないし。さっきまで緊張しっぱなしだっただけに、みんなも同じ気持ちだったのがすげぇ安心感だ。
「さてと。その頃の澄会の苦労を間近で見て知ってる俺としちゃあ、その言葉は胸にストンと落ちるってもんだ。もう俺から言うことは何もねぇ、テメェはその道を突き進みな!! よし、話終わり!! 解散!!」
「え……? いや、え?」
未だに状況変化についていけない。さっきまで俺の志というかこれからの展望に疑いの目を向けてたくせに、なんか俺が本音を包み隠さずブチまけたら手の平をくるっと返された。
正直感情論そのものでしかない本音を言ったつもりだから、もっとグダると思ったし、グダッても俺は絶対に譲る気なんてなかったが、こんなにすんなりと受け入れられるなんて予想外にも程がある。
一体どういうことなんだ。凰戟のオッサンは俺が疑問を投げるより先に、さっさと私室を出てしまう。待てよ、の一言すら言う暇もなく最後まで自分のペースで俺たちを翻弄して。
母さんを生き返らせたことについても聞きたかったのに、その説明もなしか。いや、もうそれは弥平あたりに聞けばいいや。めんどくさい。
「あー……」
とりあえず置いてけぼりを食らったままのこの状況をなんとかするべく、頭をひねくりまわすが、当然ながら答えは出ない。
「よォし!! お前らァ!! 今日は泊まってけやァ!! 明日からのことも話し合わなきゃなんねぇんだしィ、ちょうどいいやなァ!!」
母さんがこれまたでけぇ声でそんなことを言い出す。久三男以上に空気読めない発言をすると俺の中で話題の母さんだが、今回はその空気の読めなさに助けられた。というか。
「明日のこと? どういうことだよ」
素直に気になったキーワードを投げかける。毎度のことながらそういうことをサラッと言ってくんのどうにかならんのだろうか。いや、そんなこと今はいい。
「ああ? 明日のことは明日のことだろォ? 思い立ったが吉日って奴さァ、明日から行動に移せってこったよォ」
「あ、明日からって……流石に早くね? だって俺ら親父ブッ殺したばっかだし、俺としては夏休みとは言わねぇけど一週間くらいは寝て過ごしたいんやが……」
また本音をブチまける。親父への復讐を成したのは、何を言おう、昨日の話だ。それに今日は相手にするだけ精神がすり減るだけの裏鏡との負け戦をして、さらには弥平の親父に尋問されるという精神に負荷がかかることばかりこなしてる。
正直な話、裏鏡が喧嘩売ってこず、弥平の親父が俺らを呼びつけたりしなけりゃ、一週間はダラダラと過ごす予定だった。なんだかんだで精神的に疲れたし、復讐という牢獄から解放されたんだ。外の空気を吸いたいというのは自然なことだと思う。思うのだが。
「ああん!? なァに間抜けほざいてんだボケェ!!」
母さんの顔が、まさしく鬼の形相と化していく。いや鬼の形相というより、もはやマジもんの鬼そのものに。
「やること決めたんならさっさと始めるゥ!! それが漢ってもんだろがァ!! 夏休みの宿題ギリギリまで残すガキみたいなこと言ってんじゃねぇぞテメェ!!」
「ンなこと言ったって!! つーか休むの抜きにしても、明日からじゃ何も始めらんねぇよ!! 準備期間がいるだろどう考えても!!」
「ンなもん今日寝るまで時間はたっぷりあんだろがァ!! それでも間に合わねェなら徹夜しろ徹夜ァ!!」
「無茶苦茶か!? アンタ少しは考えてモノ言えよ!? 徹夜したところで五十歩百歩だろうが!! 少なくとも五日はいるわ五日は!!」
「黙れェ!! テメェさっき自分が吐いた言葉忘れたかァ!! できるできないかじゃねぇ、やるかやらないか、だろうがァ!! 言った以上ォ、漢なら責任持って果たしやがれェ!! 分かったなァ!!」
「いや……それとこれとは話が」
「おいテメェ、俺に二度も言わせるつもりかァ? 分かったなァの次に答える返事は決まってんだろうがァ? ああん?」
「えっと、だから」
「おい、あんま舐めてっとマジ潰すぞワレ?」
母さんの眉毛が吊り上がり、目が見開かれる。目が見開かれたせいか、虹彩が小さくなったように感じるが、それと同時に畳と壁と襖、俺らを囲うこの部屋全てにヒビがズタズタと刻まれた。だがそんなことは知らんと宣うばかりに、フランクフルトレベルでぶっとい指をぼきぼきと鳴らしながら、俺へじりじりと距離を詰めてくる。
久三男は既にライオンに追い込まれた兎みたく、部屋の隅で縮こまってしまっている。当然だ。久三男と俺にしか分からないヤバさ、それは母さんのマジギレである。
母さんはカチキレると本気出した俺じゃあ手に負えない。気が晴れるまで一方的にサンドバッグにされて、全身血だるまにされるのだ。意識なんて最初の一発で飛ぶし、意識が飛んでも殴られ蹴られ吹っ飛ばされ続けるそれは、もはや地獄そのもの。
いや、地獄すら生温いかもしれない。俺なんて何度、母さんに殺されかけたことか。
当然、場所も考慮なんかしてくれない。母さんがキレれば、ここら一帯は確実に草木一本も残さず穴ぼこだらけの荒地になるだろう。
俺だけならなんとか死なずに済むだろうが、俺以外はどうなるか。間違いなく久三男が死ぬのは確定だが、そんなことよりも弥平や御玲、是空を巻き込むのは忍びないというか俺が許さない。たとえ母さんといえど、例外なんてないのだ。ならば、ここで答えるべき最善の言葉は―――。
じりじりと迫る脅威を目の当たりにして、全身から力を抜いた。そして片腕をピシッと顔まで近づける。これでもかと美しい敬礼を頭で思い描きながら。
「ハイわかりやした!! 準備しやす!!」
答えるべきその最善の言葉を、迷いなく言い放ったのだった。




