団結!!
爆発音や衝突音、色んな雑音が鼓膜を揺らし、視界が開けていく。ようやく視力が全回復すると、その顔が御玲であることを認識し、俺は奴の膝から飛び起きた。
「……ようやくお目覚めですか」
女の膝の上で寝ていた。その事実に困惑する俺をよそに、御玲の顔はものすごく不満げだ。
なんで、なんて問いかけるまでもない。曲がりなりにも一軍の長が、敵陣の真っ只中で敵将と一騎打ちし、挙句クソ間抜けに負けてクソ間抜けに寝転がっていたんだ。寝首を狩られなかっただけ奇跡と言っていい。
「わ、わりぃ……」
頭をかきながら俯き、謝罪の言葉を言い放つ。当然の事ながら、御玲の表情は冷たいままだった。
「作戦会議のとき、あなたは言いましたよね。これは本来俺の復讐だ、だから佳霖の首は俺がとるって」
「……言ったな」
「……とれてないじゃないですか」
「……ああ」
「……負けてるじゃないですか」
「……ああ」
「……死んでたら、どうするつもりだったんですか!!」
がっしりと両肩を強く掴んでくる。少し力を入れて振りほどく程度では絶対に外れそうにないその握力と、眼の奥底が見えるほど澄んだ青い眼から放たれる眼力が、俺を離さない。
「私たちは、各々の理由であなたを信頼し、期待し、ここまでやってきた!! この戦いの先にある未来を掴みとるために!! 自分一人だけだと絶対に描けない未来を描くために!!」
「……っ」
「でもあなたがここで負けてしまったら、私たちの想いは、理由は、理想は、未来は……私たちがあなたの戦いに身を投じた意味は……一体どうなるんですか!!」
握力が格段に上がる。流石に痛みすら感じる力。だが痛い、という呟きすら許さない気迫と眼力が、すかさず口を全力で塞いでくる。彼女の目頭には涙が浮かんでいた。
「もっと自分の行動に責任を持って!! あなたが佳霖に倒されれば、あなたにも私たちにも未来はないのよ!! それともあなた、やっぱりただ単に復讐したいだけで、私たちのことはどうだっていいっていうの!! 自分の未来もなにもかもどうだっていいって、本当はそう思ってるの!!」
吹き抜けと化した大聖堂に響き渡るほどの大声。一瞬、弥平たちと佳霖の戦いの音が掻き消える。感情のあまり、もはや敬語すら外して怒鳴る御玲を前にして、ぎり、と歯を軋ませた。
「ンなワケねぇだろうが!!」
御玲が一瞬体をびくつかせるが、眼力は熱いままだ。過呼吸気味になりながらも、どことなく冷たく、でも熱い視線を浴びせてくる。
「確かに復讐をなすそのために今まで動いてきたし、それ以外を捨てる決意をした。でもここまで至るのに、俺はお前らと関わってきた。その関わりはどうでもいいの一言で片付けられるほど薄くはねぇ」
「……」
「お前らにはお前らなりの理由があって、俺の戦いに投じてるのはなんとなく察してる。だからこそ尚更、どうでもいいだなんて思ってないし思えねぇ。三月か四月くらいの俺なら、どうだったか分からなかったけどな」
「……正直なのね。そこは三月か四月くらいの俺でもって言うべきよ」
「悪いな。``仲間``に嘘はつかねぇ主義でよ」
「嘘がつけないの間違いでしょう」
俺の両肩を未だに強く握り締めながらも、頭を胸に預けてくる。女にこんな至近距離で詰め寄られるのは初めてなだけに少し顔が熱くなるものの、膝に滴る熱い雫によって、すぐさま我に帰らされる。
「あなたは私に新しい自分を見つけようと思えるきっかけをくれた。合理的だとかそういうのを度外視して生きる決意をさせてくれた。死のうとしていた私を引きとめて、心変わりさせて、更には復讐につき合わせたのよ。だから絶対負けないで……次倒れたら、絶対に許さない……!」
「ああ、分かってる。もうヘマはしねぇ。それに俺にも、やっと描きたい未来ってのに気づけたんだ」
握力が弱まり、二人揃って立ち上がる。俺は親父の方へ振り向いた。
そこには既に満身創痍の弥平と、虫みたくしつこく絡みつくぬいぐるみたち。全力で相手をしていても、やはり力量差は否めない。化物の等しい上にチート防具に守られた親父をいなすのに、弥平は精一杯なんだ。このままじゃ、いくらなんでも。
「お前の槍、貸してくれ」
御玲に右手を差し出す。意図をすぐさま察し、槍を託してくる。
狙いを親父の体の中央に定めた。近接戦闘じゃ奴のチート防具の特性なのか、身体から出てくる謎の突風的な何かで仰け反らされて攻撃できず、遠距離じゃ魔法攻撃しか手段が無い俺には火の球を連続で撃つしかないが、これも防具の影響で全てことごとく無効化されてしまっていた。
でも、だったら遠距離武器をブン投げたらどうか。御玲たちがここにくるまで、俺には遠距離武器をまるで持っていなかった。持っているのは自前の剣、焔剣ディセクタムのみだ。
今は御玲たちがいるおかげで、一人じゃできなかったことができる。
奴は今、弥平をぶっ殺すのに夢中になってる。やるなら今しかないし、外したらもう警戒されて同じ手は二度と使えない。
この槍に、俺の霊力を大量に込め、貫通力と打撃力を極限まで高める。
狙うは奴の体の中央、胴体の鎧だ。鎧のどっかさえ砕ければ、戦局は一気に変えられる。奴の防具が消えるってことは、その分、奴を守ってるチート加護も消えるってことだから。
遠距離攻撃、それも投擲には慣れてないし、割と距離があるから実際上手く当たるかは分からない。でもできるかできないかはどうでもいい。
``仲間``が危機に瀕している。だったら``やる``しかねぇ―――。
渾身の投擲。霊力だけじゃない、全力の殺意を込めた一投。槍は不自然なほど一直線に、馬鹿みたいな速さで飛んでいく。弥平が壁際に追い込まれた、親父がトドメと言わんばかりに大杖を振りかぶる。弥平の脳味噌がブチまけられるまで、もう一刻の猶予はない。
槍が速いか、親父が速いか―――。
「ぐふっ!?」
親父の手を止まった。息を切らしボロボロの弥平とその周りのぬいぐるみ連中も、親父に視線を集中させるが、次の瞬間に親父は壁へ吹っ飛んでどがんと壁の中へものの見事にめり込んだ。壁のひび割れが酷くなり、瓦礫が大量に降り注ぐ。
「まだ……終わらねぇ……!」
右腕に炎を纏わせた。厳密には右腕を真っ赤に赤熱させた感じだが、イメージとしては真っ赤になるまで温めた鉄みたいなもんだ。そして火に覆われたその手の平に、真っ白に輝く光球を錬成する。これも恒星をイメージしたらなんかできたやつだ。これをさらに圧縮するイメージで―――。
手の中で圧縮され、光球は更にその輝きを増していく。地面から湯気が出てくるほどの熱気が立ち込め、壁は赤熱し始めた。
ただの火の球じゃだめだ。ただ熱くて、全て焼き尽くす程度の業火じゃ、奴の鎧は破れない。
全てを焼き尽くし焦がし尽くす憎しみの業火ではなく、どんな困難、どんな災厄に巻き込まれようとも、己の意志を貫き通す光。
ただの火でもなく、ただの炎でもなく、全てを焼き尽くすだけの灼熱の業火でもない。それは、夜だろうがなんだろうが関係なく、ずっと輝き続けられる星のような―――絶対に消えない、熱い意志。
「思いついたぜ……!! これが俺の新しい技!! 灼熱よりも熱く、あらゆる意志を貫く焔……!! ``煉旺焔星``だ!!」
胸を槍でブチぬかれ、さらには壁にめり込まれた宿敵、流川佳霖にめがけ、ぬいぐるみたち、そして弥平を掻い潜り、手の平に宿るその光球をブチ込んだ。
降り積もった瓦礫をぶっ飛ばしながら、槍に向かって光球が膨れ上がった。俺ごと巻き込んだそれは、容赦なく親父をさらにさらに壁へ深くめり込ませ、遂に壁が断末魔の叫びをあげた。
大聖堂の原型がどんどん崩れていく。もう壁だった場所から外を一望できるまでに広がり、光球によって床も壁もなにもかも、躊躇なく焼き尽くされていく。まるで大聖堂の中で爆弾が炸裂したかのように、大聖堂は熱線と炎の渦に包まれた。
やべ、やりすぎた。このままだとみんなも巻き込まれる。俺は放出した霊力を今度は自分の体内に戻していく。その衝撃で、俺の上にのっかっていた瓦礫が全てどこかしらへ吹っ飛んでいった。
大聖堂内の破壊が、俺を中心に一瞬にして収まる。厳密には俺が吸収したからだが、みんなは無言で立ち尽くしていた。
特に弥平は一瞬何が起こったのかという顔ですぐに俺をじっと見ていたが、粗方の経緯を察したのか、自分の負傷を省みず、俺の下へかけよってきた。
「わりぃな弥平。手間かけさせた」
「お目覚めになられたのですね」
「おう。このとおりピンッピンしてるぜ」
弥平たちは俺たちに駆け寄ってくる。弥平は全身血塗れの状態だったが、身体が緑色に光ったと思いきや、傷はものすごい速さで癒えていく。
戦場に行く前、パオングに渡された魔法薬の効果だろう。回復がし終わると同時、パオングがローレム・インターダムとかいう魔法を使い、また弥平の身体が光り始めた。
「澄男さん、寝てたらダメじゃないっすか。一応、一軍の長っすよ」
「たく間抜けしやがって、糞なげっぞダボが」
カエル総隊長は不満げに飛び出た眼でぎょろぎょろと睨み、ナージは般若レベルで顔を歪める。御玲のときもそうだが、今回ばかりは的確すぎてぐうの音も出ない。
全員を見渡す。御玲だけじゃない、全員が俺へ視線を向ける中、もう言うしかないと心に決める。
「みんな、すまなかった」
周囲には弥平、御玲、パオング、カエル、シャル、ナージ、ミキティウス―――全員が俺の顔を無言で見つめてくる。
「俺にしか得がねぇ復讐にみんなを巻き込んだ挙句、その言い出しっぺがあろうことか戦場で馬鹿みたく迷っちまった」
気恥ずかしくなり、頭を掻く。その言葉を聞いても、誰も何も言おうとはしない。
「だがもう迷わねぇ。俺は今度こそ決めたんだ。その決めたことは、何があろうとぜってぇ曲げねぇ」
腰に携えていた刀を鞘からゆっくりと引き抜く。焔剣ディセクタム、俺がそれを引き抜いた瞬間、赤黒かった刀身は一気に輝きを増し、赤を通り越して橙、橙を通り越して、ついには白に限りなく近い色にまで光りだす。
それはもはや、手に持つ者が掲げる意志に呼応して息づく``聖剣``のように。
「だからこそ聞いてくれ。流川本家の長……いや、俺個人の戦いにみんなを巻き込んだ張本人として、俺がいまここで決めたことを」
大きく深呼吸する。
もう隠す必要も、自分を騙す必要もない。笑われるかもしれない、というか確実に恥ずかしい。でも、それでも、当事者としてこれだけは言わなくちゃならない。
今までは妥協していたんだ。大事なもんを守りきれなかったから、もう二度と失わないために。
だからこそ逃げていたんだ。失うこともある、という非情な現実から。
理想も何もかも全部捨てて、己から何かを奪いうるその全てを力づくで破壊し続ければ、少なくとも失う辛さにさいなまれることは二度とない。
だって、得るものは何もないんだから。得る前に全部破壊し尽くしてしまうんだから。
だからこそ俺は復讐という盾で自分を保っていたんだ。復讐という肩書きの下で、失う前に何かを奪いうる奴らを粉々にしていけば、痛くもかゆくもない。
破壊への憂いは少なからずあるかもしれない、でも大事なもんを失う辛さよりは痛くない。必要最小限の痛みで済むなら、それにこしたことはないんだと、無意識に自分に言い聞かせてきたんだ。
でもどれだけ言い聞かせたって、俺は堪え性ってのがまるでない男だ。ずっと自分に嘘をつき続けて生きていけるワケがなかった。
結局自分自身についた嘘に向き合わなきゃならないときがやってくる。いくら目を逸らそうと、俺はその嘘からは逃れられない。どれだけ壊しても、自分で自分を騙してるっていう事実はあり、そして敵にそれを見透かされでもしたら、今回のように迷いが出る。
決意が揺らぐ。当然だ、虚構の決意で強くなれるはずがないんだから。
「いまここに宣言するぜ。俺は……」
今は戦地の真っ只中。呑気にこんなことをやっていれば、普通ならとっくにミンチにでもなってるだろう。だが不思議と時間はゆったりと流れているように感じた。
ただの都合のいい解釈をしているだけなのかもしれないが、俺は両腕を空高く上げ、腹に溜まったありったけの空気を使い、破壊され空が垣間見える大講堂に響き渡るほどの大声で叫んだ。
「俺は!! 大英雄になる!! 母さんみたいな……いや!! 母さんとも違う!! どんな災厄がふりかかろうが、どんな絶望がふりかかろうが関係なく!! 手前の大事なもんは死んでも守り切る!! そんな史上最高の大英雄に!!」
今この戦場で決めた、何があろうと絶対曲げないこと。それは、小さい頃から抱いていた夢。
流川本家の当主になるための修行を始めたきっかけであり、元々は生涯の目標であり、復讐を成し遂げると決めたあの日から、一度は捨てた誰にも譲れねぇ理想そのものだった。
「だからみんな、俺に力を貸してくれ!! 復讐もクソもねぇ新しい未来に、その一歩踏み出すために!!」
白く光り輝くその剣を空高く掲げた。天井は既に崩壊してなくなり、真っ白に輝く太陽の光が、俺を中心に煌々と照らす。
今度は絶対守ってやる。今いるこの仲間も、これから加わるだろう仲間も、全て。
もう絶対取りこぼさない。たとえどんな災難、天災、難敵が、俺に胸糞をブチこんでこようとも、俺と仲間たちとで力を合わせて全力ではね除けてやる。
絶対。そう、絶対にだ―――。
戦地は恐ろしいまでに静まり返っていた。気恥ずかしさがこみ上げてくる。ある程度白けることは理解してたし発言の内容も自分の実年齢を考えれば幼稚だし予想してたが、誰も何も口を開こうともしないほど閑古鳥が鳴かれると流石に顔が熱くなってくる。
誰か。誰か罵倒でもなんでもいい。なんか言ってくれ。
「なるほど。それが澄男さまの……」
開口一番、ため息混じりで返事をしたのは青髪のメイド、水守御玲だった。
「全く……私、あなたみたいな人に人生を変えようだなんて思わされたんですね……」
「わ、悪かったな!! 言っとくが俺は本気だぞ。嘘じゃねぇ、もうなるっつったらなる。男に二言はなしだ!!」
「どうだか。さっき負けてましたし」
「いやホントだって!! 今度のは本気も本気、大本気!! 今までとは決意の強さがちげぇんだよ!!」
「では今度こそ証明してみせてください。あなたのその、本気とやらを」
弥平は両手にナイフを。
御玲は自分の霊力で錬成した槍を。
パオングは魔法陣を展開。カエルは細長い足。シャルは真っ白に輝く槍。ナージは茶色い何か。ミキティウスは己に雷撃を纏い―――。
各々が各々の武器を手に持ち、それぞれの意志を空に掲げた。胸が踊る。鼓動が高鳴る。頰が綻ぶ体の奥底から湧き出てくるその感情を抑えるのは難しい。だがこれだけは言える。今までは怒りだとか、悲しみだとか、憎しみだとか、禍々しい感情ばかりだったけれど、今は違う。
これが、俺が昔から待ち望んでいた``仲間``。その仲間が俺の意志に応え、今ここにいる。これ以上嬉しいことなどありはしない。今こそが、俺が本当に心の底から求めていた瞬間なんだ。
「馬鹿め……」
突然の霊力波。すかさずその根源を見据える。
壁にめり込み、胸を槍で貫かれ、その後これでもかと圧縮した霊力弾をブチこまれて焼き尽くされたはずの親父が、何故か全快し、それも馬鹿みたいな霊力を垂れ流してこちらに歩み寄ってきていたのだ。
ぶっ飛ばされるまで装備していた鎧が全て剥げた代わりに、汚れが一切ない純白の神父服が顔を見せる。
「槍で投擲し、純粋な高密度霊力弾で無理矢理装備を破壊するとは……益々澄会に似てきたな我が息子よ。だが……壊すなら胴ではなく、靴にしておくべきだったな」
「しらねぇよ、どこだっていいだろ。つーか、大人しく死んでろや」
「我が故郷の神器の一つ、シューズド・エラドルクには竜神の息吹という恩寵があってな。一度限り、装備者を一切の対価無しで全快、蘇生することができるのだ」
「へぇ。要はズルってことじゃねぇか。解説どーも」
「戦いにズルも何もありはしない。流川に身をやつすお前なら悟っているはずだ。いかなる思想を掲げようとも、この世は勝者こそが全てだと」
「ああ、知ってる。耳にタコができるほどババアに言い聞かされてきたからな。だから」
ファーストスターのように光り輝く焔剣ディセクタムの切っ先を親父に向ける。
切っ先を向けられてなお、親父は薄ら笑いを絶やさない。そのツラを射殺すように、強く、強く親父を睨みつけ、そして言い放った。
「ここでテメェも、テメェの野望も全部なんもかんもブッ壊して、俺たちが勝つ!! それだけだ!!」
「ほう。私に手も足も出なかったお前がか」
「確かに俺一人じゃテメェは倒せねぇ。でも俺には、俺をテメェの所まで導いてくれた``仲間``がいる!!」
「それは初耳だな。``下僕``の間違いではないのか?」
「下僕じゃねぇ、仲間だ!! 俺が仲間っつったら仲間なんだよ!! ガタガタいちゃもんつけんなクソ親父!!」
「そんな一方的な関係を仲間とは言わんぞ。仲間という言葉を辞典で調べることだな。父親からの、せめてもの教えだ」
「うるせぇ!! 今更父親ぶりやがって!! 俺が誰を仲間と決めるか、ンなもんは俺が決める!! 辞典とかいうただ分厚いだけの本に決められてたまるかよ!!」
「……全く。自己中心的で怠惰。無知無学で無礼ときた。お前という奴は、何度言っても学習せんのだな」
御玲の槍で貫かれた傷を癒した親父が、槍を投げ飛ばし、首をぼきぼきと鳴らしながら、じわじわと距離を詰める。
霊力波の強さがどんどん増していく。身体から俺が竜人化したときと同じ爬虫類みたいな鱗が生え、筋肉は盛り上がり、尻尾が生えて、眼が真っ赤に染まる。
「やれるものならやってみるがいい。付け焼き刃ごしらえの分隊如きで、このユダ・カイン・ツェペシュ・ドラクルを止められると思うなよ」
どうやらようやく本気を出す気になったらしい。でも俺たちがやる事は変わらない。
この戦いをみんなで乗り切る。それだけだ。
「行くぞお前ら!! これで最後にすんぞ!!」
勢いよく一歩を踏み出した。竜の爪と化した親父の爪と、焔剣ディセクタムが真正面からぶつかり合い、豪快に火花を撒き散らす。
衝突の勢いは満身創痍の大講堂を更に追い込み、俺と親父を中心として、大講堂の床はぐにゃりと円形に沈み込んだ。
「私たちがいることも」
「お忘れなく」
鍔迫り合いをする俺と親父の両隣に現れた二つの人影。
右側に槍を構えた御玲が、左側にナイフを両手に携えた弥平が現れる。右側からは夥しい冷気が漂い床や大気を凍らせ、左側からはぴりぴりと微小な雷撃が走りだす。
『兄さん!』
脳内に直接響き渡る声。魔生物軍総指揮を任せた我が愚弟、久三男だ。
『父さんの拠点は完全に無力化できた!やっと繋げられたよー……』
『んなこたぁいい!! 要件はなんだ!!』
『あ、ごめんごめん。パオングから通信。もう父さんの防具は全部なくなって丸裸だから、みんなで連携して一気にけりをつけようって』
『おう!! で、どうすりゃいい!!』
『パオング! 我が説明しよう』
頭の中にパオングが割り込んでくる。それを始まりに、俺の頭の中にいろんな奴の気配がなだれ込んできた。おそらく、みんなの霊子通信だ。
『佳霖の防具は、さきほどの竜神の息吹とやらの対価により全て消し飛んだようだ。ならば、こちらの攻撃はかなり効くようになったはず』
『なるほど。対価なしというのはハッタリでしたか。妙だとは思っていましたが』
『如何にも。それで作戦だが、結論から述べると有効打となる者たちで佳霖を攻め滅ぼす。それ以外の者は、その補助である』
『つまり?』
『弥平殿、御玲殿はできる限り佳霖の気を逸らす役に徹し、その間に二名以外の全ての者はできる限り大火力の攻撃、弱体化攻撃で奴を削る。筆頭は澄男殿、そなたである』
『なんつーかすっげぇパワー押しで作戦と言えるのか怪しいが分かりやすくていいな!』
『此度の敵は、言うなれば澄男殿と同等の力を持った歴戦の覇者である。時間が経てば経つほどこちらが不利になるのは自明、ならばその前に戦いを終わらせねば勝ち目はない』
『だからこその力押しというわけですか。確かにそれなら私や弥平さまは足止め役に回った方が賢明ですね。澄男さま達と違って致命打には欠けますし』
『いや、足止め役も大事だ。どれだけでけぇ攻撃も避けられたら意味がねぇ。今だってほぼ俺の攻撃ガードされて鍔迫り合い状態だし』
『よし、弥平、御玲。アイツの足元を凍らせてなおかつ痺れさせろ。そこに俺が大便光弾ぶち込んで目を潰す』
『なら俺はその前に弥平さんの雷属性攻撃にアシストを』
『んじゃあボクは、澄男さんの攻撃の後にすかさずボクのち◯こを奴の股間にブチ込む役を!!』
『ならオレは今日最高のゲロをくれてやるぜ!!』
『お、おう……』
後半二人の下品さに少し頼りなさを感じる俺だったが、むしろこの会話を聞いていて、さらに力がみなぎってくるのを感じた。
『最後に澄男殿』
『んあ?』
『佳霖にトドメを刺すのはそなたである。作戦の後、全てをぶつけよ』
パオングの言葉に、脳裏で俺は笑みを溢す。そしてさも当然のように、最初から返事は決まっているといわんばかりに、その言葉を返した。
「言われるまでもねぇさ!!」
そのままの勢いで俺は親父を前へ押し出すと、その瞬間を見逃すまいと、雷撃と化したミキティウスを纏う弥平の雷が、御玲の氷槍が、親父の足元から体にかけて迸る。
槍は親父の右横腹を貫き凍えらせ、ナイフは親父の太い腕を深く斬りつけ、そこから雷撃が全身をかけめぐる。
「雑兵が。相手をしてやるまでもないわ」
親父は体勢こそ崩れど、苦悶の表情一つも見せない。俺と同じ、超人的な再生能力が、二人の殺意を大きく阻んでいるからだ。
「いいや!! 十分だ!!」
二人の攻撃で一瞬よろけたその隙に食らいつき、焔剣ディセクタムの斬撃が一閃、親父の体を上から下へぐしゃりと斬りつける。
刹那、親父から血が溢れ出ると同時、親父の血は一瞬で蒸発して消え失せ、親父の神父服ごと後ろの壁、そして床を縦に焼き尽くした。まるで、斬撃で部屋を真っ二つにしたかのように、大講堂が炎に巻かれながら悲鳴をあげる。
「……ただの霊力剣のはずだが……」
思いの外の威力に、流石の親父も困惑を隠せない。かくいう俺も、そしてみんなもだ。だがそんなことはどうでもいい。俺の攻撃に見て、ナージがすかさず何かを投げつける。
爆裂する閃光。ナージが投げた茶色い物体は、佳霖の足元で弾け、目が潰れるほどの閃光を迸らせる。俺たちは思わず目を覆うが、誰もが目を覆いたくなるほどの光の中に飛び込んでいった、二体のぬいぐるみの気配を俺たちは逃さない。
「珍具換装・鎚!! 妙技``愛の百トンハンマー``!!」
「まだまだいくぜ、秘技``吐瀉錬弾``!!」
何故かハンマーに様変わりした槍でぶっ叩かれた親父は、すかさず薄茶色の液体を頭から被り、全身から湯気が立ち込める。ドロドロと神父服が液状化し床へぼとりと落ちていく。
「くだらん技を……!!」
「オレの吐瀉錬弾を舐めてもらっちゃ困るぜ、それは相手の霊力活性と肉体活性を抑える魔法毒入りの特性ゲロだ!! 普通じゃねぇ奴でもシャレになんねぇぜ!!」
「魔法毒か……!! ならば、``解除``!!」
親父の真上に白い魔法陣が展開されるが、すかさず粉々に砕け散る。親父は起こった出来事に逡巡するが、すぐにその犯人を見つけだした。
「パオング。その詠唱速度では、一生我が魔法を打ち破ること能わず。解呪魔法、他、行使されると面倒な魔法はあらかた封じさせてもらった。悪く思わぬことだ」
飄々と戦場を短い足で闊歩する、金冠を載せた象のぬいぐるみである。
「珍妙な奴らめ……だが」
抑えられた霊力を脚力に回し、強化したのか。床が砕けるほどの力で蹴り上げ、パオングに接敵する。
「それほどの魔法を使えば、もはや抵抗できまい!!」
「パオング!」
俺も同時に床を蹴り、親父へと肉薄する。魔法攻撃、前衛支援の要であるパオングは、魔導師である以上、いくら手数が尋常じゃないとはいえ、相手がフルパワーの親父じゃ流石にただではすまない。
何故か微動だにしないのが気になるが、もしかして霊力が切れたのか。なんにせよこれ以上、仲間に危険が及ぶことだけは避けたい。
大事なもんは死んでも守り切る。この戦いで、それを心に決め、そして絶対何があっても曲げないと刻んだんだ。ここで反故にしてなるものか。
「く、間に合……ん?」
高速で肉薄する俺に、パオングは一瞬視線を投げ、手で制した。何か策があるのか、接敵した親父を倒すなんて流石に無理が―――。
ある、と思った、その瞬間だった。
ほんのわずか、あと少しというところで親父は上から放たれた大量の霊力弾幕にグミ撃ちされ、再び壁に叩きつけられる。
俺たちは霊力弾幕の射線を辿った。そこには、砕けた大講堂の屋根の一部に乗っかった紫色の髪と顔の半分をバイザーで覆った大男と、彼に連なり黄緑色のフルプレートの兵士、左腕がキャノン砲で雷撃を纏った水色の体色の化物が各々数十体、俺たちを見下ろすように立っていたのだ。
そいつらが何者か、考えるまでもない。
『間に合ったようですね。拠点が破壊され、転移が使えるようになったのが功を奏しました。皆さん、ご無事でなにより』
『兄さーん、みんなー、大丈夫ー?』
頭の中に呑気な奴らの声が聞こえる。あくのだいまおうと久三男の声だ。
大男、カオティック・ヴァズと彼率いる魔生物小隊が大講堂へと飛び降りると、すぐさま俺たちに向かって膝をついた。
「遅レマシテ申シ訳アリマセン。残存敵兵力ノ完全廃絶ト、軍ノ再統制ヲ行ッテオリ、予想以上ノ時間ガカカッテシマイマシタ」
「いや十分だ。ありがとう。俺の弟のために」
「私ハ……」
「いいんだよ。俺のために動くこと。それは弟のために動くも同義だ。頭ん中のメモリーかなんかにでも入れておけ」
「ハッ。Cドライブ内、最重要記憶領域ニ保存シマシタ」
「う、うん。よくわからんけど、それでいい。さて……」
煙をあげながら膝をつく親父に、俺は白く輝く焔剣を突きつける。
多勢に無勢の状況でも、親父から戦意が消え失せることはない。その淀んだ眼光からは、俺らへの殺意に彩られていた。
「それで王手をかけたつもりか……?」
「いいや、そんな甘い考えはもうねぇよ。つかお前こそどうなんだ。結構不利だぞ」
「お前に心配される筋合いはない。たとえ魔法毒でこの身が侵されようとも、私は理想を体現する……!!」
「そうかい!!」
剣を横薙ぎに、奴の首を飛ばす勢いで振りかぶるが、それを親父は右腕を犠牲にして防御する。斬り裂かれた右腕からは血がシャワーのように溢れ出す。
「言ったはずだ……体現すると……全ては理想の社会の創造のため……私のような存在が、誠の有能者とならんがため……!!」
カエルが吐き出したゲロ的な何かのせいなのか、奴から感じられる霊力は格段に弱くなっている。
それでも奴の顔からは諦めの二文字は見えない。右腕を犠牲にしてなお、何かにすがりつくように身体のどこからか力を掻き集めてきている。
「親父……一つ聞かせてくれ」
焔剣が親父の右腕を焼いていく。生焼け肉の焼けるような匂いが鼻腔を撫でた。
一人の男が、何かを死んでも成そうとしている姿。それはまさに執念、相手が何人いようと、ソイツらが全員敵だろうと己の信念を突き通す。そういう鬼気迫る何かを感じさせる。
俺には親父の理想だとか、信念だとか、理解できないし今となってはするつもりもない。むしろ聞いた上でその理想を真っ向から打ち砕くというクソみたいな真似をしなきゃならない。
俺にも譲れないものがある。英雄になってやる、大事なもんを今度こそ守りぬいてやるという譲れない夢が。
それを突き通すには目の前の敵、親父をブチのめす以外に道はない。
だが同じく``信念の下で生きている者``として、親父たちの前で己の夢を表明した。だからこそ、親父の理想とやらを聞いてみたい。
聞いた最後に、それを一切の容赦なく、塵芥も残さず粉々にすることになるとしても―――。
親父の返答を待つ。が、親父は何も答えなかった。ただただ淀んだ眼光を俺や俺の背後で構える仲間たちに向けるだけだ。
右腕が焼かれる痛みすら感じさせない、その微動だにしない表情に、自分が問いかけを投げたことに後悔する。
己の信念、己の夢を表明した。そしてそれでも親父の戦意が消えることはない。
それはつまり、これ以上の語らいは不要ということ。
俺が夢を、信念を表明した時点で、その先にあるのはただただ黙して殺し合う。その道しかないということ。
馬鹿だな俺は。愚問だったぜ。
力一杯焔剣に力を託し、パワーで親父の右腕を切断する。切り口が焼けただれた右腕の一部が宙を舞い、そのままぼとりと床に落ちる。親父の右腕の切り口からは、ぐつぐつと肉が蠢いていた。
「ああ分かってる、再生するんだろ!!」
同じ再生能力を持つ者同士、考えてることはなんとなくわかる。アイツにとって右腕の切断程度、傷を負ったうちに入らない。俺だってそうだ。
だからこそ、やることは一つ。再生すら追いつかねぇほどの力でブチのめす、ただそれだけだ。
片手に煉旺焔星を、片手に白く輝く焔剣を振りかざし、一切の躊躇いない攻撃をブチこんでいく。床は焼き焦げ、壁は次々にぶっ壊れ、もはや最上階の大講堂は見る影も形もないが、そんなことはどうでもよくなるくらいに全てを焼き尽くす星の連弾と、全てを焼き尽くす焔剣の猛威が、親父の身体を目も止まらぬ速さで焼いていく。
マホードクとかいうがそんなに効いているのか、依然として親父の体から感じられる霊力は弱い。戦い始めた頃とは比べものにならないくらいに弱まっていた。
パオングによって魔法をことごとく封じられ、反則能力を持った防具も失い、俺に一切の隙もなく焼かれ切り刻まれ続ける親父は、抵抗するのもおぼつかずみるみる逃げ場の無い壁へと追い込まれていく。
それでも全てを切り刻む剣と焼き尽くす手の動きを止めない。これは俺と親父の信念の戦いだ。手を緩めることも慈悲を与えることも許されない。
たとえ一方的だろうとこのまま跡形もなく打ち砕く。そこに可哀想などという甘ったれた感情は、もはやない。
「これで終いだ、親父」
何度焔剣で八つ裂きにし、何度焔星をブチこんだか覚えていない。気がつけば親父は壁に深くめり込んでいた。
自前の神父服も焼き尽くされてほぼ布切れと化し、炭化した腹が露わになっている。それでも親父の身体は再生しようと黒ずんだ肌が綺麗な肌色に染められていっている。
皮膚を炭にした程度で終わらないのは分かってる。だからこそ。
「だからこそ、この焔剣に俺の想いの全てを託す」
片手に持っていた煉旺焔星を尚も輝き続ける焔剣にブチこむ。焔剣は煉旺焔星を一瞬で食い尽くすと、輝きを一層増大させ、刀身が紅い炎に包まれた。
焔剣の熱量は往時を遥かに超え、ただ存在するだけで床を融かし尽くしていく。それはまるで、俺の意志、信念を代弁しているかのように。
「テメェがどんな理想を持ってるのか、そんなのはもうあえて聞かねぇ。ただ何かの信念、何かの理想にしたがって生きた、それだけは理解した」
焔剣の鞘を力強く握りしめる。親父は満身創痍ながらも、殺意に染めた眼光を絶やさず、無言で壁を破壊し、己の体を拘束する全てを砕いていく。
「俺は自分の夢を語った。でもここにきたのはテメェへの復讐のためだ。一度やると決めた以上、今ここでそれを果たす」
親父は壁から解放された。
霊力が弱まりながら尚も魔法を行使しようとしている。片腕からは雷撃、もう片腕からは冷気。俺の苦手な属性をまたブチこむ算段らしいが、それに臆する今の俺じゃなかった。
「これは人生を狂わされた俺と愚弟の分!!」
立ち上がった親父に、容赦ない一閃。肉が焼ける音と匂いとともに、噴き出した血が一瞬で蒸発し、猛烈な鉄の匂いが鼻腔を刺激する。
「これはテメェに殺された母さんの分!!」
縦に一閃した次に、すかさず横に一閃。十字に深く斬られた胴からは夥しく血が噴き出すが、すぐに焔剣によって蒸発させられ、傷口は一瞬で炭化する。
再生した皮膚は再び血も滴る暇もなく炭だらけとなったが、既にそんなことは頭になかった。
「そしてこれが!!」
焔剣の輝きが、もはや太陽にすら匹敵するくらいに強くなる。俺、愚弟、母さん、その三人の次に頭に思い浮かんだ最後の人物が、何もかもを塗り潰していったからだ。
似合いの学生服を身に纏い、常に傍若無人な俺を理解し、俺の側に立って物事を考えてくれていた、優しい微笑みと小悪魔的な仕草が魅力的なアイツ―――。
「テメェらの下らねぇ野望のために虚しく滅茶苦茶にされた、澪華の分だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
焔剣は、もはや全てを焼き尽くす赤白い大剣の如く。荒れ狂う紅炎と純白の光爆が俺たちのいる空間全てを包み込んでいく。
俺は斬った。全てを断ち切る想いで。俺は焼き尽くした。今まで抱え込んでいた憎悪も、悲しみも、虚しさも全て。
目の前の敵、流川佳霖というただ一人の怨敵に全てを集約して。
最後に放った斬撃の衝撃は、ついに大講堂を打ち砕いた。一瞬無重力を感じたと思いきや、体がどこかへと落ち込んでいく感覚を覚える。荒れ狂う紅炎は爆炎となり、最上階のみならず、親父の拠点全てを焼き尽くしていく。
俺は炎の中にいた。色んな想いを吸収して、もはや大剣並みにでかくなった焔剣ディセクタムとともに一つ、二つ下のフロアに着地する。落ちてくる瓦礫とかは全部剣で融かし尽くし、ようやく剣を鞘に収めた。
「パオング! 凄まじい霊力の波動である。標的が佳霖一人に絞られていなければ、半径五キロメトは軽く焦土と化していたな」
「全く……パオングの霊壁が間に合ったから良かったものの……澄男さま、完全に私たちの存在、忘れてましたよね」
「流石澄男さん!! 俺たちの存在ごと全てを焼き尽くす容赦のなさ!! まじゲロいぜ!!」
「まさにち◯こ並みの臭さ!!」
不満を口々に漏らす俺の仲間たち。パオングを中心に球形のバリアに守られた奴らは、まるで風船みたく地面に着地し、バリアは破けるように弾け消えた。
「わ、悪りぃ……もう色々と夢中で」
「夢中で塵芥にされては堪ったものじゃありませんね」
「わ、悪かったって御玲……」
尚もただ一人不満気な表情を見せる御玲だが、その顔はどこか膿が取れて明るくなっているように思えた。むしろ不満というより、ただの軽い皮肉に聞こえ、どことなく心地良い。
「それで、佳霖の方は」
「ああ、今見に行く。多分まだ死んでねぇ」
サクッと表情を切り替え、意識を戦場に戻す。
あれだけの攻撃と斬撃を加えて尚、どこからか親父の霊力波が感じられた。さっきよりもっとその霊力波はクソザコと化しているが、心臓の鼓動に似た霊力の波は、親父がまだ辛うじて生きていることを示している。
「テメェらはそこにいろ。俺が見てくる」
仲間たちは俺の指示に無言で頷き、その意志を背中で感じ取ると霊力がする方へと走っていく。
数ある瓦礫を蹴飛ばし、投げ飛ばし、霊力波を辿って掘り起こしていくと、片腕と片足、顔の半分が消し飛んだ、見るも無残な親父の姿がそこにあった。
「……チッ。まだ再生しやがるか。まあ分かってはいたが」
親父の身体は満身創痍ながら、未だ失った血肉を取り戻そうとそれらを再構成しようとしている。やはり親父を完全に滅するには、存在そのものが感じ取れないくらい、それこそ言葉通り跡形もなく消しとばさないとダメってことだ。
再び柄に手をかける。
「その……必要は……ない」
鞘から焔剣を引き抜こうとしたときだった。親父が掠れた声音が鼓膜を揺らす。
「悪りぃが慈悲を与える気はねぇ。テメェには消えてもらう。跡形もなくだ」
「フッ……お前には……私を滅するなど……できぬわ……言われずとも……私は滅びを……受け入れた」
「なに?」
予想外の返答に思わず首をかしげる。それと同時に胸の奥底からざわざわと何かが強く騒ぎ立て始めた。鞘を持つ手汗が溢れ出てくる。刹那。
「……っ!? お前、何を!?」
突然の出来事に柄から手を離してしまう。親父は無事だった方の腕を槍のように構え、自らの心臓を串刺しにしたのだ。
全く意味不明な行動に、胸の奥底から騒ぎ立て、なにかがさらに強く強く俺に訴えかけてくる。凄まじいほどの嫌な予感がする。
コイツがしでかすことなんざ今までロクなことがなかった。それこそ色んな奴の人生を黒く塗り潰すだけのことをやり遂げた野郎だ。
当然今更、今までの悪行を省みて贖罪に励むとか、そんな殊勝で都合のいい人間ではないし、そんな甘ったるい想像すら憚られる。
「これだけは……切りたくはなかったが……やむおえん」
凄まじい胸騒ぎと同時に、背筋に氷水が流れる感覚が走った。さっきまで辛うじて感じられるほどに弱かった霊力波が、爆発的に急上昇し始めたのだ。親父の心臓の鼓動が爆速で速くなっていき、貫いた傷口の隙間から白い光が溢れ出す。
「ま、まさか……!! お前……!!」
「我が息子よ……切り札……というものはな……``最期``まで……残しておくものだ……」
「テメェ……!! まだそんな隠し手を……!!」
「褒めてやろう……我が息子よ……ここまでの……ことをやってのける……とはな……初めてお前の……ことが……羨ましく……感じたぞ……」
「ンなこたぁどうでもいい!! いますぐやめろ!! そんな馬鹿でけぇ霊力解き放ったら……!!」
「だが……私は……狭量だ……羨ましさは……すぐ妬みに……変わる……お前は……最後に……全ての想いを……私にぶつけた……ならば……私も……父親として……ただ一人の息子に……私の全ての想いを……ぶつけるとしよう……!!」
盛大に舌打ちする。身を翻し、御玲に向かって焔剣をブン投げた。
「それを頼む!! コイツは俺が止める!! みんなは早くここから逃げろ!!」
「パオング!! そなたら、我に掴まるがよい。現戦域より即時離脱する」
御玲たちは一切疑問の声を投げかけない。霊力波の強さを肌で感じ取り、親父が何をしようとしているのか悟ったからだ。
俺やぬいぐるみどもはともかく、御玲や弥平はおそらくこれから起こる出来事には耐えられない。アイツらの未来のためにも、早くここから逃す必要があった。
「澄男さま!!」
鞘に収めた焔剣ディセクタムを抱え、真剣な眼差しで俺を見つめる。その眼差しは、真剣を通り越して睨みつけてるように思えるほど、強く純粋な双眸だった。
「絶対に帰ってきて下さいよ、でなきゃ承知しませんから!! 墓だって、作ってあげませんからね!!」
「ああ!! わーってる俺がこんなつまんねぇトコで死ぬわきゃねぇだろうがよ!! 分かったらとっとと行け!!」
その言葉を投げたのを最後に、パオング自慢の転移魔法によって姿は掻き消えた。霊力の気配も無い。おそらく俺の感知範囲の外に転移したのは間違いないだろう。そこらへんに転移したワケじゃないことを感じとる。
「親父……もうここには俺とテメェだけだ」
「そのようだな……」
親父は大量の脂汗をかきながら、血反吐を漏らしていた。でもそんなことはおかまいなしに、どんどん体内の霊力の流れを強めていく。
もう奴の身体は自らの霊力の流れの強さに耐えられず、内側から崩壊しかかっている。例えるなら電子レンジで自分の身体をチンしてるみたいなもんだ。さっきみたく肌が炭になる程度じゃ済まねぇだろう。
どうやら親父は本気で、ここを墓標にすることを決めたようだ。なら、その覚悟に答えてやるのが男ってもんだ。
「来いよ!! テメェの想い、俺が全部受け切ってねじ伏せてやっからさぁ!!」
体内の霊力を極限まで高め、これから起こることに身体を備える。
親父は不遜な態度を全く崩す気のない俺を笑った。しかしその笑みにいつもの嘲笑はない。まるで男と男、父と子の間で交わす笑顔のような、熱くて温かい笑顔だった。
「母なる大地に沈め我が息子よ!! 我が気高き理想とともに……!!」
刹那、視界がホワイトアウトした。
身体が四方八方に引き裂かれる感覚。鼓膜を一瞬で潰すほどの爆音。視界を一瞬で真っ白に染める光の渦。どれをとっても俺が人生で食らった攻撃の中で一番重い一撃。
ただ物凄いだけじゃなく、一つ一つが俺という存在を、この世界から消し去らんとする意志そのものでできている。だがそれでも俺は消えていなかった。
たとえ肉体が引き裂かれようが鼓膜が潰れようが目が焼けただれようが、それら全ての痛みを受け止め、一つ一つねじ伏せていく。
このまま少しでも力を抜けば辺りは跡形もなく消えてなくなってしまう。最小限にとどめるには、俺がここで踏ん張るしか道はない。
「ぬぉぉぉ……ぉぉぉ……!! や、べぇ……!! お、もい……!!」
辛うじて声を漏らせるが、とにかく凄まじく重い。霊力を極限まで高めてなお、外へ弾けようとしている親父の霊力は莫大な力で俺を押し込んでいく。ヴァズの自爆をねじ伏せたときと同じ要領でやっているが、全く抑えられている気がしなかった。
「でもな……!! 俺は……負けるワケには……いかねぇんだぁ……!!」
これでもかと霊力を体から搾り取ってそれを肉体強化に極振りする。久しぶりに霊力切れの倦怠感がのしかかるが、それを気合と体力で耐えきり、全ての力を霊力を抑える、ただそれだけに注ぎ込む。が。
「く、おぉぉ……力が、足りねぇ……!!」
足りない。やはり、足りない。自分の持ちうる全力を以ってして、この莫大な霊力の爆発を抑え込めない。
あともう一押し。もう一押しあればいけそうなのに、そのもう一押しが足りず、どんどん親父の霊力に呑み込まれていく。
身体が焼けるように痛み、親父の霊力が俺の体の中を駆け巡る。内臓がぐつぐつと沸騰する感覚と、身体が内側から焼け爛れる感覚が襲いかかり、意識が昏倒する。
気を失いそうになりながらも、それも気合で持ちこたえる。このままではジリ貧だ。自前の再生能力で内臓が融けようが、身体が内側から焼けただれようが死ぬことはないにせよ、爆発は抑えられない。抑えられなければ、この辺り一帯は―――。
―――``澄男``
どこからともなく声が聞こえる。直接脳裏に訴えかけてくるような声音。霊子通信か。今は誰とも話していないはずだが、妙に聞き覚えのある声だ。
ハッと意識を鮮明に引き戻す。そうだ、この声は。
「れい、か……? 澪華なのか!?」
木萩澪華、彼女の声だ。だがそれだけじゃない。
溢れ出る霊力の中から構成される一つの人影。俺と向かい合うように現れたそれは、黒色のブレザーを身に纏い、頭に可愛らしいカチューシャをつけた長髪の女の子。
木萩澪華本人だった。
―――``澄男。私を使って``
「何を言って……? てかお前は一体……?」
―――``私は澄男の想いと、この莫大な霊力でようやく姿を保てるようになった私自身の意志。ごめんね、こんな姿で再会になっちゃった``
「……そうか。お前がそうなら、本物はもう……」
―――``うん。本当の私は、快楽を貪った果てに死んだ……私も人間だから、快楽には抗えなかったの……ごめんね、本当にごめんね……``
「謝ることなんかねぇよ!! お前は悪くねぇ……!! 悪いのは俺だ、俺はお前を守りたかった、でもできなかった!! 全部無能な俺が悪いんだ……」
―――``そんなことない。澄男には、もう新しい仲間ができた。だから私の代わり、っていうのも変だけど、私の分まで新しい仲間の人たちと一緒に色んな苦難を乗り越えて、笑顔で過ごして``
「お前の代わりなんて……澪華……俺は、お前のこと……!!」
―――``はい。もう泣き言はなし。男の子がそう簡単に泣いちゃいけませんッ。それにその言葉の先は、私よりもっとふさわしい人のためにとっておいて``
「お前よりも相応しい奴なんかいるもんか……!!」
―――``私なんてただ優しいだけ。私じゃ澄男の隣は務まらない。私以上に死ぬまで隣にいてほしいって思える人に、その言葉を伝えてほしいの``
「なんで……なんでさっきからそんな一生の別れみたいな言い方……!!」
―――``一生も何も、私はとっくにこの世界にいない。本当の私はすでに死人だよ。死んだ女の子にずーっと想いを重ねてるなんて、そんなメンヘラ臭い男になってほしくないし、私はそんなこと望んでない。だから、私から最後のお願い``
薄っすらと身体が透けている澪華は俺に向かって手を伸ばす。細い指一本一本が美しく、三月十六日までの彼女を思わせる。
もはや肉体を失くし、魂すら失くし、俺の中のただの記憶の一部に成り果てようとも、俺にとって澪華は澪華に違いなかった。
だからこそ、強く強く、これまでになく胸が締めつけられて、痛くて、今にも涙が溢れ出てきそうになる。
今にも泣き出しそうな俺を悟ったのか、澪華はいつもの優しい笑顔を向けてくれた。
―――``遺志を使って。そして、澪華を乗り越えて``
澪華は笑顔を保ったまま、優しい声音で答えた。
これはただの直感だが、多分この手を取れば最後、澪華とは二度と会うことも話すことも叶わない。
目の前にいる澪華はただの記憶であり、意志であり、遺志だ。それを使えば、その存在を保つことはもう二度とできないだろう。使わなければ、澪華とまた会うことは叶うかもしれない。でもきっと、それは彼女が望んでいない。
望まぬ出会いを望むほど、俺は馬鹿じゃない。その程度の意志を汲み取れないほど愚かじゃない自信もある。だからこそ、やるべきはひとつだ。
―――``ありがとう。元気でね``
視界がホワイトアウトする。澪華の姿が搔き消えると、体の奥底に何かが入り込んできた気がした。
力が奥底からみなぎってくる。これまでにない凄まじい力が。ただの火事場力なのか、それともただの気合の問題なのか。なんにせよ、これならいける。
「それはこっちの台詞だっつーの!! お前こそ、元気でな!!」
滾った力を底力に、すべての力、気力、霊力、体力、精神力。
それら全てを爆発寸前の霊力に定め、まるで風船を粉々に破く感覚で、それらをぶつけたのだった―――。
「みんな!」
澄男の指示によりパオングの転移魔法によって本家邸のリビングに撤退した御玲たちの前に、ホログラムモニタを複数展開して戦況を中継していた白衣姿の男の子、流川久三男がかけよってくる。
「兄さんが凄い霊力の渦に……!」
「ええ。分かってます。こちらも何か策を講じましょう」
御玲は真剣なまなざしで久三男を見つめるが、久三男は目を逸らし、申し訳なさげに頭をかいた。
「あ、あるにはあるけど……ごめん。無理だよ」
「何故ですか!」
「兄さんが止めようとしてる霊力は、三百マジアンを優に超える。エネルギーに換算したら十の三十乗ジュール以上。一年間に太陽から放出されるエネルギーと同じくらいか、もしくはそれ以上さ」
それを聞いて、御玲は反論の手を弱めた。
あまりに想像絶する膨大な力。下手をすれば大陸そのものが吹っ飛びかねないエネルギーだ。それも専門家の久三男が言うと、どれだけ現実離れしていても、その説得力はただの妄言とは思えないものへと変わる。
「一応、僕が試作中の霊力特異点発生装置を使えば、理論上は爆発前に全て吸収できなくもないんだけど……」
「な、なんですかそれは……」
「今年の六月ごろから、流川航宙基地にて開発中の新型兵器ですね。簡単に申しますと、霊力場で構成される人工ブラックホール発生装置みたいなものです」
唐突に意味不明な装置の名前を言われての混乱する御玲に、弥平がさりげなく補足する。
つまり、抑えるのが無理ならブラックホールに飲み込ませて無かったことにしてしまえばいい、という算段である。妥当ではないかと考える御玲だったが、弥平も久三男も浮かない顔をしていた。
「それを使うと父さんの暴走させた霊力ごと、兄さんも霊力特異点に飲み込まれてしまう。そうなったら、たとえ兄さんといえど戻ってこられない」
「そうでしょうか……澄男さまはあんなんですし、相手がブラックホールでも大丈夫な気がするんですが」
「パオング。それはどうだろうな」
金冠を載せた象がよちよちと歩いて話に割って入ってくる。御玲の青い瞳を、淀んだ黒い瞳が深く見つめた。
「確かにただの猛烈な引力場となれば澄男殿の敵ではなかろう。しかし、相手が霊力特異点となると話は変わってくる」
「父さんが自爆するのに解き放った霊力は三百マジアン以上。それを吸収しようと思うと三百マジアンよりも大きい霊力量を有する特異点を用意しなきゃいけない」
「久三男殿、澄男殿の霊力量はいかほどのものか?」
「僕の計測によると、兄さんの体内に流動する霊力量は平均して二五〇マジアン。霊力特異点の影響は普通に受けてしまうし、霊力圏に捕らわれたら最後、霊的潮汐力には絶対に逆らえない」
「となると、仮に不死性がうまく機能し潮汐力による破壊に肉体が耐えられたとしても、霊象の地平面からは脱出不可能になる、というわけであるな」
「余生はずっと潮汐力に嬲り殺され続けることになるだろうね……」
久三男とパオングの魔法科学談義が一悶着ついた。
ところどころ専門用語がちらついているが、結論、吸い込まれたら生きていけるとしても現実世界には帰ってこれなくなる、という話だ。
弥平も反論はしない。おそらく彼らの理論に間違いがないのだろう。
「では、どうすれば」
拳を強く握りしめる。
このまま黙って見ていろというのか。何か手立てがあるなら、講じるべきではないのか。
沈黙がリビングを支配する。そこで、執事服を怪しげな雰囲気ごと身に纏う紳士あくのだいまおうが前に出た。
「彼を信じてみてはいかがでしょうか」
その言葉に、御玲は顔を上げた。弥平や久三男も顔を上げる。
「パァオング。それが最良の策であるな。下手に動いたところで、澄男殿の想いを裏切るだけになろう。我々は彼の意志に賛同したのだしな」
パオングも首を縦に振る。続いて弥平が胸に手を当てながら言った。
「私もそう思います。澄男様が一人でなんとかすると仰ったのですから」
「確かにそうですが……」
「頼りないと?」
「恐れながら」
「まあ、宿敵を前にして決意が揺らぐ、きちんとした装備もしない、行き当たりばったりで出た所勝負といった人物ですので、気持ちは分かります」
「でしたら尚更」
「でもそんな人に私たちはついてきた。戦場で聞いた彼の雄雄しい宣言。一切恥らうこともなく自分が新たに見据えた夢と未来を語ってくれた彼に」
「……」
「貴女が彼にどんな思いを抱き、この場にいて、この戦いに臨んだかは聞きません。貴女もまた彼とは関係のない理由で彼とともに戦いに臨んだか、何かを無意識に期待してのことなのでしょうが、なんにせよ、彼の夢と思い描く未来を聞いて尚、貴女はともにいることを選んでいる。なら今こそ、彼の意志に応えるべきではないでしょうか」
口をつぐみ、それ以上の反論をやめた。
まるで自分にも自分なりの理由があって澄男についてきたと言っているような台詞に、否定できない。
自分も澄男と同じ戦いに臨んだのは、澄男みたいに一度限りの人生、最後は馬鹿な選択をして本当の新しい自分というものを見つけてみようと思ったからだ。
復讐という思いで歪んでこそいようと、その輝きを失わない紅い双眸。かつての自分の青い双眸にそれを重ね、名誉の自殺を諦めて彼についていくことを決めた。
それは無意識的にせよ、彼に細かな期待、信頼をしたが故の行動だ。だからこそあのとき、澄男の理想を聞いて真っ先に賛同の意志を示したのは、他ならぬ自分だった。
どうやらまだ、なんでもかんでも合理的に取捨選択してしまう癖が抜けていないらしい。ならやるべきことは唯一つ。
溜息を吐き、そして深呼吸。御玲は空かさず久三男の方へ視線を投げる。
「爆発が収まり次第、再び戦場へ向かいます。久三男さま、澄男さまが爆発を食い止められた場合の被害は?」
「そうだなあ……多分父さんの拠点が跡形もなく更地になる程度で済むんじゃないかな。大半は兄さんがどうせ吸収しちゃうだろうから」
「その他の影響は?」
「爆音と地震が響くくらいかな。熱線とかは地面とかを焼き尽くす程度だし、隣国には影響はないと思う。爆音と地震で警戒される可能性があるくらい?」
「ではモニタしてください。今はどのような感じですか」
「な、なんか兄さん並みに人使い荒いような……」
「いいから早くしてください。今こそ数少ない力の見せ所ですよ」
「数少ないは余計じゃないかな!?」
ぷんすかと不満を漏らしながら、一枚のホログラムモニタを投げてくる。それは上空から見た佳霖の拠点であった。
完全に白いドーム状の光に阻まれ、もはやその全貌を見ることすらできないが、澄男はおそらくあの白いドームの中にいるのだろう。空に浮かぶ雲を破り、爆風があたりの草花や魔生物を吹き飛ばす映像が流れる。
爆発の勢いはキノコ雲のように空まで届いていた。よく見ると、いくつかホログラムモニタが砂嵐を起こしている。おそらく爆発の勢いで映像を撮影していた人工霊子衛星が破壊されてしまったからだろう。久三男が渡してきたのは、そのうちまだ生きている衛星の映像を映したホログラムモニタだ。
ドームはみるみるその範囲を拡大していく。まるで今にも破裂しそうな風船のようにぶくぶくと膨れ上がっていく様は、とてもじゃないが止められているようには思えない。
だが、誰も動こうとはしなかった。
刹那、巨大な雷が落ちたかのような轟音が鳴り響き、リビングが一瞬凄まじい揺れに襲われた。電気が明滅する。まるで巨人が足踏みでもしたかのような現象だが、それがなんなのかは考えるまでもない。
「流石、凄まじい爆発であるな。巫市農村過疎地域からの余波が、遥か南方に位置するこの流川本家邸新館まで轟くとは」
「これはちょっと戦後処理がめんどくさくなったね、弥平」
「それも仕事のうちです、上手くやりましょう。実際に甚大な被害を被りさえしなければ、情報の消去は十分に可能な範囲です」
「今の地震、震度どれくらいっすか久三男さん」
「三。巫市だと四。幸い都市から距離があったから大地震はギリギリ避けられたかな。でも騒ぎにはなってるだろうね」
「パオング。ということは、すなわち?」
「転移魔法の準備をお願いします」
ホログラムモニタを久三男に返し、パオングに向き直ると、彼は首を縦に振り、承ったと手を差し出す。
あくのだいまおうと久三男を除く全員はパオングを中心に手を置き、そして魔法陣が展開される。彼らの視界は、次の瞬間に暗転した。




