迷い
もう何度壁や床に叩き伏せられただろうか。
霊力と暴力が支配する大聖堂。攻めては殴られ、攻めては殴られを無限に繰り返す俺は、自分が投じた戦いに終わりが見えずにいた。
まず間合いを詰められない。どれだけ攻めても、攻めた分を上回るしっぺ返しに見舞われる。
近接で殴りかかろうと距離を詰めると、どれだけ足を踏ん張っても踏ん張りきれない謎の突風的な何かに邪魔されて、どうにか踏ん張ろうとした矢先に金槌並みにでけぇ杖でぶん殴り飛ばされる。
この一撃がやたら重くて、頭に食らうと一瞬意識が飛んでなにも考えらんなくなるくらいには痛い。
近距離は気力の浪費と判断して遠距離から灼熱砲弾連射で大聖堂ごと焼き尽くしてやろうと思ったが、なんでか知らんが焦げの一つもつかず、ただ単に大聖堂だけが黒焦げになっただけという意味の分からない結果になり、なんでと考えてると、向こうはやられたらやり返すと言わんばかりに攻撃魔法をブッパしてくる。それも雷と風と氷をふんだんに使いやがる、面倒で厄介な組み合わせで。
「お陰で痺れて動きが鈍くなるわ、風で切り傷塗れになるわ、氷食らってただでさえ痺れて牛歩なのに更にノロマになるわ……最悪だクソが」
未だ痺れでぷるぷると震える手を切り傷に添え、冷えた身体をとにかく暖めようと身体の奥底から霊力を引きずり出す。身体から湯気が漂い始め、半身を凍てつかせていた氷が徐々に崩れ始める。
切り傷は持ち前の再生能力でどうとでもなるとはいえ、当たると全身の筋肉が硬直して痛くて堪らない金色の雷の魔法と、俺の全身を容赦なく氷漬けにしてくる氷の魔法は、こっちの足を潰してくるから厄介だ。
足を潰されると奴の魔法の雨をもろに食らう羽目になる。そうなると流石に精神的な辛さがピークに達してしまう。肉体は大丈夫でも、精神が奴の虐めについてこれなくなるのだ。
「どうした我が息子よ。さてはもう万策尽きたのか?」
玉座からほとんど動いていないクソ親父、流川佳霖は、嘲る笑みを顔面に貼りつけて、肩で息をする俺を見据える。あまりに舐め腐った態度が、神経を無造作に逆撫でしていく。
「チッ……!! ざけんじゃねぇ!!」
特に何も考えず、がむしゃらに突っ走る。周りから見れば、もはや考えなしのただの特攻だ。俺から見てもそう思う。でもこれ以外に策が浮かばないんだ。
考えて答えが出るならどれだけ気楽か。持ち前の再生能力を最大限利用してとにかく身体を動かすっきゃねぇ。動かすっきゃねぇんだが―――。
「お前はつくづく母親似の息子だな」
現実は容赦なく、精神をごりごりと削りにかかる。
案の定、接近を阻んでくる謎の突風が襲いかかり、足の筋肉にこれでもかと力を注ぎ込んでも、身体は言うことを聞かず後ろへと反ってしまう。状態を起こそうと次は背筋に力を注ぐが。
「げぁ……!」
容赦ない、力加減なんざクソ食らえってレベルの殴打に見舞われる。
昏倒する意識。身体中を蝕む鈍痛。視界がぐるんぐるんと回り三半規管も半ばおかしくなるのを感じながら、何度めかもう数えるのもアホらしくてやめてしまったが多分数十回めのめり込みを、再び経験する羽目になってしまった。
今回ばかりはあまりに滑稽すぎる。同じミスを何度繰り返せば、あの野郎の顔面に一発ブチこめるのだろうか。
「方策ならば、まだあるはずだが? なぜ使わない」
左側の頭から頰にかけての打撃を喰らい、鼓膜も破けたせいか、壊れかけのイヤホンを通して聴いているように思える親父の声。凹んだ左脳がべこんと不自然な音を立てて元の状態に戻ると、ようやく親父の言った内容を理解する。
鼓膜も治ったのも感じ取ると、壁を砕きながら這い出て身体についた破片や煤を手で払い、やはり玉座の前で直立不動の親父を睨んだ。
親父が言っている方策ってのは、もしかしなくてもゼヴルエーレの力のことだ。
確か名前は焉世魔法ゼヴルード。あらゆる無茶苦茶を、無理矢理に実現するクソみたいな力。やろうと思えば都合が悪いと思うだけで、世界すらも理不尽に消し飛ばすことができる破壊の権化だ。
俺はかつて、その力を何度か利用してきた。
一ヶ月前の大遠征のとき、あんまりにも魔生物がうざったくて、魔生物ごときにコソコソしなきゃならないのがあんまりにも屈辱で、昂ぶった感情をそのままぶつけたら、次の瞬間には魔生物の軍勢は跡形もなく消えてなくなっていたこと。
裏鏡水月とかいう、魔法攻撃も物理攻撃も生身で受け切って全部倍にして反射してくるクソチーターを、一度だけとはいえその生身を粉々に砕いたこと。
周りはその力を``超能力``と呼んでいたが、俺自身はその力に恐怖すら覚えていた。
いつからそんな力が備わっていたのかは分からないけど、ただ``想う``だけで目の前のもの全てが理不尽に消し飛ぶ。無かったことにできてしまう。まるで化物か何かにでもなった気分だった。
自分が自分じゃなくなるような感覚。禍々しい何かに呑み込まれる感覚。力を求めれば求める程、俺は``人間``という概念から乖離していくのをひしひしと感じるのだ。
それが嫌で嫌で堪らない。人間をやめてしまうのが嫌で嫌で仕方ない。人間をやめてしまったとき、それは同時に自分という存在を見失う瞬間と同じなんだ。
自分でもなんでもない、まさに純粋な化物になってしまう。理不尽を行使することになんの躊躇いもない、都合の悪いものを容赦なく消し去ったり改変したりすることになんの躊躇いもない、まさに血の通ってない物の怪になってしまう。そう考えてしまうんだ。
実際に俺はその物の怪になろうとしてる奴を二人知ってる。
一人はなんの臆面もなく平気な顔で理不尽な超能力を惜しみなく使いやがる銀髪野郎、裏鏡水月。
もう一人は目の前で俺を見下し嘲り笑ってやがるクソ親父、流川佳霖その人だ。
左の腰に携えていた愛剣、ディセクタムを鞘から引き抜く。柄を握りしめると、俺の想いに呼応するように刀身が赤くゆらゆらと輝き始め、まるで心臓の鼓動とシンクロでもしてるみたいにどくんどくんと脈打ち始めた。
「俺は``人間``でありたい。人間として、テメェをブチのめしたい。それだけだ」
ディセクタムの刀身が吠えた。刀から、そして俺の足元から、ごうごうと湯気が立ち込め、部屋の温度がぐんぐんと上がっていくのを感じる。大聖堂に散らかった椅子の成れの果てに引火し、大聖堂内は一瞬で赤色にその気色を変えていく。
俺の顔を見るなり、俯く親父。
俺は親父の感情が読めずにいた。落胆しているように思えたが、だとしたら意表をつけたということなのだろうか。だったらそれは願ってもないことなのだが―――。
「まだ、追い込みが足りないようだな」
刹那、氷の魔法をまともに受けたわけでもないのに、背筋が一瞬で凍りつくほどの悪寒が走った。一気に声のトーンが低くなったと思いきや、嘲笑に塗れていた親父の顔が、目にも止まらぬ速さで熾烈な殺意に上書きされたのだ。
これは、まずい。すぐ、殺りにくる。本能が、直感が、そう訴えかけてきてる。
「お前の考えはよくよく理解したぞ。ならばその考えを受諾した上で、私も己の考えを誇示するとしよう」
殺伐とした雰囲気は爆速でその濃度、密度を上げていく。それと同時に、親父の周りに幾多もの魔法陣が姿を現した。
ぱっと見なんの魔法を使っているのか皆目理解できないそれらは、俺の危機察知能力を全力で擽ぐる。
それ以上、考えるのをやめた。本能の赴くまま、身体の反射に身を任せて。
「灼熱砲弾!! 灼熱双撃!! 灼熱無限連射砲!! 灼爆煉輝弾!!」
気づけば、思いつく限りの技を親父にグミ打ちしていた。
霊力の配分なんぞ頭にない。ただただ思いつく限り、親父が動かない今の間に撃てるだけ撃ち続ける。
大聖堂が破壊されていっているが、そんなことすら意識下にはない。親父は何かをしようとしている。魔法陣から見て強化か。弱体化か。どちらにせよこれ以上あいつが強くなったりこっちが弱くなったりするのは避けなければならない。
ただでさえ今の時点で勝算が見出せてないのに、そんな面倒な魔法を使われたら今度こそ絶望だ。
ダメージが与えられなくてもいい、せめて、せめて詠唱の邪魔くらいはしなきゃ―――。
「ぐぎゃ!?」
左肩に熾烈な鈍痛。ごきゃん、と肩が砕け散る音が響き、身体の中で粉砕された骨が組織にぐさぐさと食い込む痛みが上乗せで襲いかかる。気がつくと目と鼻の先に杖を振り下ろした親父が立っていた。
いつ、間合いを詰められた。俺と親父、ついさっきまではそこそこ距離は開いてたはずだ。
それに俺の技を連続でまともに食らっておいて距離を詰められるはずがないのに、なんでコイツは無傷で、煤も埃も一切つけずに俺を杖で殴打してきやがるんだ。
ワケがわからない。意味がわからない。俺の唯一の得意分野、火属性魔法攻撃を無効にする力。なおかつ動体視力をはるかに上回る敏捷。さらには左肩やら頭蓋骨やら頬骨やら、所々を組織ごと粉砕してくるやたらめったらに高い打撃力。
これをチートと言わずなんというのか。物理的なダメージは毎度おなじみ再生能力でどうにでもなるが、勝たせる気がまるでないこの戦いに、どう終止符を打てばいいのか。
「一つ問おう。我が息子よ」
俺のただでさえ拙い思考回路は、突然の問いかけに脆くもぶっ壊される。答えるのも面倒だと、舌打ちしながら親父を睨みつける。
「そう邪険にするな。難しい話ではない。お前は私を殺し、その後何を成したいのか。ただそれだけの問いかけだ」
「くだらねぇ……ンなもん答えて何の意味がある」
「それは私が決めることだ。お前は黙って答えればいい。それで、お前は私を踏み越えて何を望む? 何を目論む? 何がために生きる?」
「はぁ……? 何を言って……」
やがる、と言おうとした瞬間。反則の権化、鏡面張りの銀髪を靡かせる少年―――裏鏡水月の姿が思い浮かんだ。
``一つ問う。復讐をして、お前は何を成したい?``
``復讐を成して後、お前はどうするのか、どうしたいのかと聞いている``
``お前の戦いは、復讐を成せば完結してしまう程度の儚いものなのか。面白くないな``
``復讐という概念に都合の良い虚栄の大義を求めている時点で無意義であるのに、見据えているのは現在のみ。その現況を面白くないと述べて、何が悪い``
``お前は未来を放棄している。人生を漫然と過ごし、無意義で無価値な時間を生きるだけの有象無象に成り果てるのだろう。実に負け犬が描きそうな筋書きだ``
同じ年齢の男とは思えない、荘厳でコクの深い声音。その声音が紡ぐ罵倒の数々が脳内をぐるぐると駆けずり回る、ただそれだけで何もかもぶっ壊したくなってくる。
自分は妄想癖も甚だしいことを戦いの目的に据えておいて、よくもまあ俺を否定できたもんだ。どっちが負け犬の描きそうな筋書きだろうか。
確かにあのとき、超能力とかいう反則の存在、そしてそんな反則を使われようと対応できなきゃどれだけ崇高な志を持とうがただの無能でしかないことを思い知った。でもだからといってアイツの目的を認めたワケじゃない。
現実離れもいいトコだし、聞いているだけで頭がイタくなってくる。マトモに取り合う気のなかった俺は、アイツに問いかけにこう答えてやった。
``ビジョンなんて何もない。そんなもんは、終わった後に考えればいいだけの話だ``
思い知らされても、その考えに揺らぎはない。復讐を終えた後の事なんて考えていないし、考える必要も感じてない。まだ親父をぶっ殺せていないのに、そんな夢物語みたいなのを考えてる暇なんざありゃあしないんだ。
親父といい、裏鏡といい、そもそもなんでそんな下らねぇことを今更聞きやがるのか。
「やはりな……お前はいくつになっても先々の事を考えるというのが、まるでできぬ奴だ」
親父は鎧を鳴らしながら、肩を竦める。馬鹿にされたとしか思えず、顔をゆがめてガンを飛ばす。
親父は平静に俺を見つめ、人差し指を一本立てた。
「つまりだ。先の事を何も考えていないのなら、もはやこの戦いに何の意味もない、と言いたいのだ。要するに時間の無駄というわけだな」
「はぁ? ざけんな!! テメェをぶっ殺す、ただそれだけで意味があるわ!! 頭沸いてんのか!!」
「ざっくりしすぎたか。ならば補足してやろう。未来を放棄している若人に、生きる意味も価値もない。どうせ未来を放棄しているのなら、私の軍門に下ればいい。お前の生に意味はなくとも、私の生には意味がある」
「冗談も程々にしやがれ!! 話にならねぇ!!」
「冗談ではない。あくまで合理的に、無駄な労力と時間を費やさない選択肢をお前に与えているだけのこと。私はお前のように暇ではないのでね」
「だったら残念だな、俺はテメェの逆を行く!! そんでテメェをぶっ殺す!!」
「そうか…………」
話しにならない、それをようやく理解したのか。親父は大きな溜息を吐き、そして俺の顔を強く睨んだ。
「お前はもはや、いつか来る``戦い``のため、何故修行に明け暮れていたのか。それすらも忘れてしまったのだな。実に愚かで浅ましい」
もう何度目の罵倒だろうか。同じような文言に、舌打ちで返した。
御託もここまで並べられるとご立派だ。もう取り合う気は更々ない。全力の殺意と怒りを込め、右拳に霊力を集中。爆発的に強化された右腕を振りかぶり、親父の土手っ腹を貫通させる思いで、遠距離から拳圧で殴り飛ばした。
スーパーボールみたく床を数回飛び跳ねた親父は土埃を巻き上げ、金属製の壁に頭からめり込んだ。苛立ちは親父を殴り飛ばして尚、収まる気配はない。床に唾を吐き捨てる。
何故修行に明け暮れていたのか。そんなもの、強くなりたかったからに決まってんじゃねぇか。
先代当主だった母さんは、俺がどう足掻いても勝ち目がないぐらいバカみたいな強さを誇っていた。
流川本家の当主はあれぐれぇじゃねぇとなれねぇんだと、小さい頃の俺は悟った。だからこそずっと基礎体力から剣術修行、魔生物を標的にした実戦訓練を繰り返し繰り返し、何度も反復して修行をやってきたんだ。
それ以外に何の理由がある。強さが欲しい。母さんみたいな、いや、母さん以上に何もかもを力でねじ伏せて戦場を網羅する、圧倒的な強さが欲しい。
それで手前の大事なもんを全部死んでも守りきる、そんな``英雄``に俺は―――。
「え……? 俺……は……?」
思考が止まった。俺は今、なんて言おうとしたんだ。英雄になりたい。まさか、そう言おうとしたのか。
じんわりと大量の手汗が滲み、それを初めとして身体中の毛穴から汗が溢れだした。
``英雄``。
確かに、それはかつて俺が夢見ていた理想そのものだ。二千年とかいう気が遠くなるような戦いの時代をねじ伏せた母さんの力を目にしたその日から、俺は母さんみたいな英雄になりたいと思い、母さんの背を一人でに追いかけるようになった。
でもその理想は、三月十六日―――母さんも澪華も失ったあの日に捨て去ったはずだ。
大事なもんを何一つ守れなかった奴が、英雄を名乗る資格があるのか。あるはずがない。だったらもういっそ、捨ててしまった方がいい。英雄ではなく復讐鬼として、俺の何もかもを捻じ曲げた野郎や、それに関係する全てを惨たらしく徹底的にブチ殺すと、あのときそう誓った。
だからもう英雄なんて夢物語に一切の未練はないと思っていた。思っていたのに、いまさっき俺は。
「俺は英雄を……?」
「そうだ。お前は復讐など望んではいない」
振り向こうとした刹那、そんな隙すらも与える気はないと言わんばかりに、左上半身を鉄の塊みたいなのに全力でぶっ叩かれ、視界がぐらんぐらんと転げ回る。
身体中をのたうちまわる鈍痛。粉砕された肋骨が一人でに治っていく感覚を覚えながら、血反吐を吐き捨て辺りを見上げる。
そこには吐血の跡を顎に残す、クソ親父の姿があった。
「お前が復讐の鬼に身を落とすなど不可能だ。お前が澄会に無類の憧れを抱いていた事を、私が知らんとでも思ったのか?」
「俺は、俺はぁ!!」
「愚か!!」
飛びかかろうとするも、やはりトンカチみたいな杖の猛烈な殴打に阻まれる。自分でも流石に馬鹿なんじゃないのかと思えるほど考えなしの突貫に、誰よりも先に自分自身が落胆する。
「お前が誠に復讐の鬼と化しているなら、この戦場に立った時点で、敵がいくら馬鹿でくだらん御託を吐こうが迷いなど起こるものか!! お前は所詮、幼き頃の淡い理想を捨てられぬ、ただの小童にすぎぬのだ!!」
「そんなはずは……そんなはずはねぇ!! 俺は、俺はここに来て、テメェをブチ殺して、それで……!!」
「それでどうする? 私を殺してどうするというのだ? んん? 言ってみろ、私を殺しても殺せなくとも、お前の未来など無いぞ。己から放棄しているのだからな!!」
「俺は、俺、は……!」
復讐の鬼になる。なんでだ。なんでそんな簡単なことが口に出せねぇ。
いざ戦場に立ってビビってんのか。いやそんなはずはない。今更ビビるとか愚弟じゃあるまいし俺に限ってそんなことがあるはずがない。
もしそうなら親父みたいなクズ野郎とは徹底的に避けて避けて避けまくって生きる道を選んでいる。でも俺はこうして戦場に立って、親父と向かい合って殺し合ってる。
なのになんで、なんで俺は今になって、急に迷い始めてるんだ。迷う要素がないはずだ。
母さんも澪華も、親父とクソ寺に殺された。だから全力の憎しみを込めて殺し返す、それは三月十六日のあのときに誓った、生き様なんじゃなかったのか。
ここで迷っちまったら、数ヶ月かけて親父の目前までやってきた意味がなくなっちまうじゃねぇか。
「こうも容易く流れを乱す。敵の戯言にこうも深く逡巡していては、敵が私でなかったとしても生き残れぬな」
もう何度食らっただろう。何度目かも知らない杖による殴打。考え事をしてただけに防御も回避もまともにとれず、ボールみたくクソ間抜けに飛び跳ねて吹っ飛ばされる。
もうワケが分からない。
俺は親父との最終決戦に立つまでの過程で、既に決意は固めたはずだ。エスパーダに憂さ晴らしした時点で英雄になる資格がないことは、自分自身に問いかけて痛いほど理解している。だからこそ復讐者としての決意と意気込みを、更に固く固く誓ったはずだった。
なのに今になって何故だか迷いが出ている。今更になって本当に、未だ英雄などという夢物語の存在に未練を抱いているとでもいうのか。
だとしたら否定したい。そんなもんは、もう必要ない。
三月十六日、大半を失ったあの日から、俺は目の前のクソ野郎をブッ殺すただそれだけに全てを費やして生きると決めた。だからもう夢を見る気も希望を抱く気も理想を抱く気もない。
見据えるのは奴を殺す。ただそれだけでいいんだ―――。
「ごぼっ……」
次に放たれたのは、天井からの金色の雷。本来なら何故かほとんどダメージが受けないはずの雷属性攻撃に、全身が一気に泡立つ。
痛みに悲鳴をあげることもできない。口を開け、舌を出し、声にならない苦悶。内臓を内側から鉄板で熱せられているような熱さに、猛烈な吐き気を覚える。
落雷が鳴りを潜めた瞬間、スライムみたく床にべちゃりとへたりこんだ。
身体から夥しく漂う湯気。その湯気からは肉が焼ける匂いと鉄の匂いが混じり、そして床にこぼした吐瀉物の匂いで収まりかけていた吐き気がぶり返す。
「勝負あったな、私の勝ちだ」
やめ、と言う暇もなく、あたりの温度は秒速で冷たくなっていく。また身体に薄い氷の膜が張り始め、寒さに震え始めた。
身体から生きる気力が霧散していく感覚。命の灯火が小さくなっていく感覚。地面に、空気に、身体を食われてるんじゃねぇかと錯覚しちまうほどに、力という力が抜けていく。
コイツは曲がりなりにも俺の親父。俺の弱点を当たり前だが知ってやがる。虫の息になりつつある脳味噌を、なけなしの気合で奮い立たせる。が、もういくら考えても対処法が浮かぶとは思えなかった。
近接戦に持ち込もうにも謎の突風に邪魔される。火属性の魔法は何故だか分かんないけど効果がない。火で焼き尽くすか剣で切るか殴るか蹴るか以外に芸がない。
―――無理だ。勝てない。
光明を見出すには、どうあがいてもゼヴルエーレの力を使うしかない。全てを破壊する力を。全てを捻じ曲げうる力を。
でも使いたくない。でも使わなければ勝てない。どうすればいい。どうすれば。
―――``何ヲ躊躇ッテイル?``
気づけば、あたり一面暗黒の世界に沈んでいた。親父も、親父も中心に全てを凍てつかせていた氷も、ボッロボロに焼き焦げ蜘蛛の巣だらけになった大聖堂も、何もかも忽然と姿を消している。
一ヶ月ぶりだろうか、裏鏡と喧嘩したときに表した漆黒。その切れ目から紅い眼を覗かせる化物は、また俺を見下すように、無様に倒れ臥す俺を見つめていた。
―――``破壊ガ惜シイカ``
尚も問いかけてくる漆黒の何か。
俺は薄い意識の中、顔を上げて漆黒の切れ目を見つめる。相変わらず弱り果てた虫を見下すような眼で。
「なぁ……俺は……アイツに勝つには……どうすれば……いいんだ」
藁にも縋る思いだった。誰でもいい、あのチート親父の攻略方法を教えてくれ。
接近させてもくれない、火で焼き尽くすこともできない。なら俺に何ができるっていうんだ。
俺は殴るか蹴るか、焼き尽くす以外に能がない。それらさえ通じればなんとかできるのに、それら全てが無効化される。
だったら俺はこの戦場で何ができるっていうのか。ただの弱音、言い訳なのは分かってる。でも俺は勝ちたい。勝たなきゃ先に進めないんだ。頼む。意地悪せずに俺に最良の答えを―――。
―――``甘エルナ、小僧``
ゼヴルエーレの紅い眼光が光った。一瞬殺気に満ちた視線を感じ、俺は身を震わせる。
ごう、っと熱いのか冷たいのかよく分からない風が肌を撫で、不快感が身体全体を抉り通る。
―――``最良ノ答エダト? ソンナモノヲ求メルマデノ存在ナラバ、モハヤオ前個人ノ生ニ意味ハナイ``
縋った藁は容赦なくひきちぎられた。無慈悲なその言葉に、一瞬で血の気が身体から引いていく感覚を覚え、吐き気がこみあげる。
―――``前ニ言ッタハズダ。生殺与奪ハ世ノ常。弱キ者は滅ビ、強キ者ノミガ生キ残ルト``
「い、今はそんな御託はいいんだ。頼む、助けてくれ。俺に、俺に力を貸してくれよ」
―――``……コレホドマデニ惰弱ダトハ。所詮ハ弱小種カ``
せがむ俺を突き放すかのような、どこまでも冷徹な声音が、身体の節々を抉るように貫いた。思わず反論するための口が塞がる。
ゼヴルエーレの声音は今までは打って変わって酷く冷たく、そして敵意に満ちていた。まるでゴミのように捨てられた気分に苛まれた俺は、本能的に切れ目へと手を伸ばすが、ゼヴルエーレの眼光はどんどん冷たいものへと変わっていく。俺の願いに反するように。
―――``コノ際ダ。立場ヲ明確ニシテオクゾ小僧``
ゼヴルエーレの紅い眼光が一層強く光る。切れ目から覗かせる睥睨は、輝きの強さに反し、寒気を感じさせるくらいに冷たい。
―――``我ハオ前ガドウナロウト興味ハ無イ。滅ビヨウト生キヨウト、我ニトッテハ同ジ事ニスギンカラナ``
「は……? なんだそれ……お前、俺の中に宿ってるんだろ? 俺が死んだら、困るんじゃねぇのかよ……」
―――``困ラヌ。オ前ガ死ネバ、オ前ノ父、流川佳霖トノ契約ガ履行サレル。ソレダケノコトダ``
「待ってくれ、意味がワカンねぇ、ワカンねぇよ、契約ってなんだ。お前は何を言ってるんだ。いやそんなこと今は……!」
―――``察シノ悪イ奴ダ。オ前ハ何ノ為ニ父ト対面シタノカ``
思わず頭を掻きむしった。今はそんな話をしたいんじゃないっていう腹立たしさと、唐突に意味の分からないことをウダウダ言い始めたことへの腹立たしさが一斉に殴りかかり、頭の中はてんやわんやだ。
どうしてコイツは結論をさっさと言わず、こうも嫌がらせみたいに回りくどい言い方をすんのか。
俺が馬鹿なのは分かってるだろうにいい加減学習しろよワカンねぇんだよ考えるとか苦手なんだよだから答えをとっとと言えって毎度毎度毎度毎度口酸っぱくして言ってんのになんでだよなんでなんだよなんで伝わらねぇんだよふざけんな虐めるのも大概にしろこのクソ竜王が。
ゼヴルエーレをにらみながら、卑しく唾を吐き捨てた。もはやプライドもクソもない、ただの悪態だ。
―――``佳霖ハ言ッタ。目的ハ完全ナル社会ノ創造。ソシテ、ソノタメニ必要ナノガ、コノ我ノ復活ダト``
「だからなんだって話なんだよ。そも復活するんなら俺が死んだら意味が無いじゃん。お前も死ぬじゃん……」
―――``ダカラ立場ヲ明確ニシテヤロウト言ッタノダ。オ前ガ死ネバドウナルカ。答エハ明瞭。オ前ヲ苗床トシ、我ハ現世ニ復活スル``
「………………は?」
凍りついた首を無理やり捻らせ、首をかしげる。確かに結論を言えと言ったが、今度は端折りすぎだ。全く意味が分からない。なんで俺が死ぬとお前が復活する流れになるのか。
―――``ソレガ流川佳霖ト交ワシタ契約。佳霖ハ我ヲ現世ニ蘇ラセルコトヲ条件ニ、コノ世界ヲ、人類社会全テヲ手中ニ治メル力ヲ欲シタノダ``
「……て、こと、は……もしや……」
―――``ヨウヤク悟ッタカ凡愚。オ前ガ死ヌコト、スナワチ我ガ大願ノ成就。故ニ手ヲサシノベテヤル義理ハ、モハヤ無イ``
「……ふ……ふっ……!!」
―――``万策尽キタナラバ、早ク死ヌガイイ。我ノ力ヲ借リネバ大敵ト渡リ合ウコト能ワヌ、愚カデ哀レ、無知デ無能ナ小童ヨ``
「ッッッッザケンナァァァァァァ!! ァァァアアァァァぁあアアアアァァアアア……!!」
頭が真っ白になった。思考がホワイトアウトする。声が枯れようが喉が潰れようがとにかく叫ぶ。叫び続ける。
もう何も考えらない。考えたくない。見たくない聞きたくない知りたくない。
だってまた。まただ。またしても。俺は。俺は裏切られたんだ。
裏切り。信じていたもの、味方だと思ってた奴から手の平を返されるあの不快感。ゼヴルエーレを完全な味方だと思ってたわけじゃないが、それでも裏鏡との戦いに勝つ方策を教えてくれたとき、力を貸してくれたとき、敵だとか味方だとか関係なく信じてみた。そして奴を見事撃退した。喧嘩に勝ったとは流石に言えないまでも、追い出すことくらいはできたんだ。感謝していたくらいだ。
ゼヴルエーレはなんだかんだで俺を窮地から救ってくれてた。奴がいなければ、乗り越えられた喧嘩は数少なかったかもしれない。得体の知れないまでも、力を貸してくれた恩人程度には思っていたのに、なのに、どうして―――。
「どうして裏切んだよおおおお!! なんで……!! なんでなんだ!! 答えろよ!! クソ竜王!!」
クソ親父の魔法のせいでゴリゴリに凍りついた身体を無理矢理動かし、凍った部分は砕いてゼヴルエーレのところへ歩み寄る。暗黒の裂け目から片目だけ覗かせ、ボロ雑巾と化した俺を傍観するアイツの目ん玉に隙あらば一発拳を叩き込んでやりたいという、ただそれだけの殺意を込めて。
―――``全テハ、大義ノ為``
だが激情に駆られる俺とは裏腹に、ゼヴルエーレは不気味なまでに冷静だった。
俺みたいなガキが放つ殺意など屁でもないとでも言うように、平静に、落ち着いた口調でそんなことを言いはじめる。相変わらずワケわかんないこと山の如しだがもうつっこむ気力も湧かない。
―――``オ前ガ佳霖ノ復讐ニ全テヲ利用シテキタヨウニ、我モマタ、己ノ大義ノ為……利用可能ナ全テヲ利用シテキタ。タダ、ソレダケノコト``
言葉に詰まった。いつもどおりワケわかんない言葉で俺を逆撫でするんだろうと思いきや、唐突に放たれたその言葉には、身に覚えのある内容が込められていたからだ。
利用できるものは全て利用する。それは俺が、あのクソ親父に復讐すると誓ったあの日から胸に刻んできた言葉。実際その言葉どおり、主に弥平を筆頭にしてぬいぐるみどもやら自分の手の届かないことができる奴とともに、ようやく今日、親父との最終決戦が実現したんだ。
胸に刻んだその言葉を否定するつもりはない。でも、なんだ。何か違う。
確かにその意気込みでこの戦いに身を投じ、親父に抗う道を選びはしたが、こんな捨て石みたいなやり方を取る気はなかった。今回、俺を親父との最終決戦まで導いた最高殊勲者を挙げるなら弥平だが、一度たりともアイツを捨て石にしようなどと考えたことはない。捨て石戦法なんざそれこそあのクソ親父と同等のクズに成り下がる。
自分を立派な人間だとは思わない。むしろ並の人間と比べりゃ自己中で粗暴で粗悪な自信はあるが、そんな俺でも落ちぶれたくない下の下ってのがある。だから俺を捨て石にするって言うんなら、俺とお前じゃ同じ利用するって言葉でも、意味合いは違うものになるはずなんだ。
―――``フッ。青臭イ。無様ニ地ヲ這イズルノミノ無能ナ青二才ニハ、オ似合イノ言イ訳ダナ``
心中で吐露する俺を無礼にも読み取り、ばっさりと言ってのけるゼヴルエーレ。がくりと、首を垂らした。
共感を求めていたワケじゃないし、温情を求めていたつもりもない。とはいえ、こうも冷たくあしらわれると、色々ともう虚しくなってくる。
どうして俺の周りには冷たい奴らしかいないのか。類は友を呼ぶって言葉があるが、それにしても理不尽がすぎる。
どうして俺がこんな目に合わなければならない。どうして俺が馬鹿みたいな奴らに巻き込まれて馬鹿みたくもがかなきゃならない。
俺の無関係なところで勝手に騒いで勝手に滅ぶ分にはどうだっていいし、自業自得だろと無視してやるのになんで当事者が俺なんだよ。なんで本来の当事者が傍観者キメてんだよ。なんで父親が父親しねぇんだよ。なんで十寺みたいな頭のおかしい奴に、澪華をただの別物に変えられなきゃならねぇんだよ。
クソが。どいつもこいつもクソだ、クソばっかりだ。
俺はただ巻き込まれただけ。なんで巻き込まれただけの被害者が全ての尻拭いをしなきゃなんねぇんだよおかしいだろふざけんないい加減テメェらだけで処理しやがれ俺は俺でやりたいことやら何やら色々あるんだよそれを奪うなよ奪われてきたから奪い返すだぁ? ンなもん逆恨みもいいトコだ馬鹿が知るかって話なんだよ奪ったの俺じゃねぇし俺は修行してただけだしなんで全部俺のせいみたいなことになってんだよ元をただせば俺の親とか先祖とかそこらのせいだろ俺のせいにすんなよふざけやがってああもうなんか全てが面倒になってきたしこの際全部ぶっ壊してリセットしようかなゲームとかなら面倒になりゃあリセットボタンで全部消せるし俺そのチートみたいなことできるしやろうかな目の前のクソ竜王も使い物にならねぇしつーかコイツが復活しようがしなかろうが俺には関係ないじゃんなんでそんなクソ単純なことが思いつかなかったのか俺にとって重要なのは親父をぶっ殺すただそれだけじゃねぇかブッ殺せれば正直なんだっていいじゃんもういいそうしようもう知らん何も考えない考えたくない考えた結果頭を使った結果こうなったしやっぱ何も考えずに動くのが一番楽だし手っ取り早いああやっぱ慣れないことするとロクな目にあいやしねぇ―――。
そこで、ようやく念仏が途切れた。本能の赴くまま、今日までずっと胸にしまいこんでた色々なものをゲロみたくブチまけたことに気づいたのは、全てを言い終えた直後のことだった。
自分がどれだけ追い込まれていたのか、今ようやくわかった気がする。心中を無様に吐露しないと自分の事が分からないってのは滑稽なことだ。まあ今まで自分を客観的に見直そうだなんて思ったこともないし、なんなら自分が間違ってるとも思ってなかったからだが。
俺の周囲に魔法陣が展開される。それはいつぞやの、血のように紅く、そんでなんて書いてあるのか皆目意味の分からない詠唱文が書かれた魔法陣だ。
俺の吐き散らした怨嗟に反応しているのか、それともただの雰囲気が錯覚させてるのか。前に見たときよりも、魔法陣とそれに描かれている文章の禍々しさが増しているように思えた。
俺が詠唱しているワケでもなく、強いて言うなら魔法陣が意志をもって詠唱しているように見えるそれは、空中から夥しく湧いてくる文字を吸収し、自ら詠唱文を形作っていく。改めて見ると、魔法陣自身が生き物みたく生きてるみたいだ。
完成しつつある紅色の魔法陣を見上げる。
魔法陣の完成するってことは、俺の願いどおり``全てを破壊する``ってことだ。親父も何もかも、俺の人生を踏みにじり面倒ごとを呼び込んだあらゆる全ての存在を。既にある世界の戒めを粉砕し、俺自身の戒めを世界に無理矢理刻み込む無茶が、まもなく行われる。
無論、俺の望んだ形じゃない。でもこうでもしなけりゃ親父をこの世から消すことはできない。殴る蹴るも通じず、得意の全てを焼き尽くす攻撃も効かない。ならばもっと大きな力で、それこそ何もかも無理矢理に捻じ曲げ粉砕するくらいの力で全てを破壊する。
無かったことにするしかないんだ。クソ親父という理不尽を消し去るには、アイツ以上の理不尽を使うしかない。理不尽には、それ以上の理不尽で立ち向かうしか。
「いや、言い訳だよな……分かってんだよ。そんなことは」
乾いた笑いをこぼしながら、ぼそりと独り言を言ってみる。これだけ無様に言い訳をこぼしまくってても、魔法陣を展開してても、俺の中にはまだ抵抗があった。
全てを破壊したくない、他にも方法があるんじゃねぇのかっていう迷いが。クソ親父とクソ竜王に脅されて力を使うなんざダセェ、やっぱクソ親父は俺自身でぶっ殺すべきなんじゃねぇのかっていう天邪鬼な迷いが。
全てをぶっ壊す、それはつまり俺の周りから何もかもがいなくなるということ。消えてなくなるということ。``失う``ということ。
親父とその手下のせいで、澪華を失い、ゼヴルエーレの影響で人間であることすら失った。それが嫌で、納得いかなくて、許せなくて、勝手なことしやがってふざけんなって思って、親父に復讐してやることを誓った。
でも俺がここで全てを破壊する道を選んだとき、俺と親父との間に差はあるんだろうか。もしかして理不尽を理不尽で返したとき、俺はクソ親父と同等のカス野郎になるんじゃないのか。
理性的に、今の状況を冷静に見れば理不尽にはそれ以上の理不尽で跳ね返すのが妥当だと思うし、それこそが今の絶望的状況を打開する、唯一無二の最適解だ。楽で手間もかからない。理不尽で全てを終わらせられるのなら、それに越したことはないし、俺がやっているのは戦争であってゲームでもスポーツでもないんだ。
本来ズルだとか卑怯だとか、そんな概念はないしチートだろうとなんだろうと勝ちは勝ちなんだ。使えるものは全て使う、利用するという言葉どおり、全てを無かったことにすれば、それで終わる。俺の復讐は完了する。
でも本当にそれでいいのか。理性的、合理的には最適解でも、俺にとって本当の意味で``最適解``なのか。
現に俺は納得していない。状況を合理的に判断すれば全てを破壊するチートを使うしかないってだけだ。
本当は正攻法で、真っ向から親父を打ち砕きたい。たとえそれが、非合理で感情的で、甘ったるい理想論だとしても。
「そうだ。それが、俺がしたかった本当の``復讐``なんだよ」
刹那、魔法陣にノイズがかかり始めた。詠唱の速度が突然遅くなり、魔法陣にヒビが入り始める。
全てを破壊する以外で親父を討つ方法はない。俺だけの力じゃ、どうあがいても親父には勝てない。奴も何やらよく分からないチートみたいな加護に守られているのか、こっちの攻撃が掠りもしやがらない。
その絶対防御を打ち破るには、俺だけの力じゃ無理だ。俺ただ一人の力だけじゃ―――。
``おいババア!!``
``だァれがババアだァ!! せめて母ちゃんと呼びなクソガキがァ!!``
突然、二つの声が脳裏によぎった。
もう一人は俺に似てるけど幼さを感じさせる男の子の声。いかにも悪ガキそうな、不良みたいな声音で筋肉ガッチガチのエプロンを着たおばさんに蹴りを入れている。
拡声器も無しに鼓膜が破れるんじゃねぇかってくらいでけぇ声で男の子を蹴り飛ばす筋肉の塊みたいなおばさんは、壁にめり込んだ男の子を無造作に引きずり出した。
``ったくなんだその眠てェ蹴りはァ!! その程度で俺を蹴り飛ばせるとでも思ってんのかテメェはよォ!!``
``う、うるせぇ!! こちとら修行して時代遅れのババアなんか速攻超えてやるぜ!! 見てろよクソバーカ!! バーカバーカ!!``
``だァから母ちゃんと言えェ!!``
``ごばぁ!?``
片足だけ掴んでいたおばさんは、その男の子を力一杯床に叩きつける。床が弾け飛ぶ轟音とともに、男の子はものの見事に上半身が床に埋もれ、足をピクつかせながら動かなくなってしまった。
側から見ればただただ凄惨な虐待だが、不思議と全く不快に感じない。そりゃそうだ、これは俺の。
「俺の小さい頃の記憶……!?」
眠っていた記憶が掘り起こされているのか。徐々に徐々に、背景が鮮明になっていく。
まだ久三男が物心つくずっと前、俺がまだ修行を始めて間もないくらい幼かった頃の記憶。今になってどうしてそんなのがぶり返すのか。今更思い出したって、何の足しにもなりゃあしないのに。
``んー……!! な!!``
見事にめり込んだ床から足腰の力だけで抜け出す幼い頃の俺。それでもなお不満気な母さんは、腰に手を当て幼い俺をじっと睨みつける。
``俺、ぜーっっったいババアを超えてやる!! そんでもって、ババアなんかぜーっっったいなれないような大英雄になってやるんだ!!``
``ロクに人も蹴り飛ばせねェ弱ちんがかァ?``
``弱ちんじゃねぇ!! 俺はなる!! なるったらなるんだ!! 今に見てろ、ババアなんかすーぐ追いついてすーぐ超えてやるからな!!``
``そりゃあ見物だねェ。ンじゃあ未来の大英雄に一つ聞きてェことがあるんだがァ?``
``なんだ!! なんでも聞けやババア!!``
``だからババアじゃあねェ!! 母ちゃんだ母ちゃん!! 母ちゃんと呼びなァ!!``
力加減一切してないだろと言いたくなるレベルの拳骨を振り上げる母さん。その証拠に、幼い頃の俺はまた床に足をめり込ませていた。
``テメェはなんで英雄になりてェ? 世界で一番強ェ奴にでもなりてェからかァ? それとも他になんかあんのかァ?``
身体が筋肉質すぎて全く似合わないエプロン姿のまま、鉄筋並みに太い腕を組み、大魔王みたくガキの頃の俺を見下げる。頭をぶん殴られた痛みで未だスタンを食らってた俺は、自分の頭を撫でながら、半泣きの状態ながらも睨みをきかせる。
``世界で一番なんかどうだっていい!! いや……できればなりてぇけど……そうじゃない!!``
``ほう……? だったらなんでなりてェんだァ?``
``いつどんなときでも手前の大切なもんを守り切る!! そんなカッコいい奴に俺はなりてぇんだ!! それだけだ!!``
``えらく単純な理由だなァ!! それもカッコいいってなんだお前ェ!!``
``う、うるせぇ!! 別にいいだろ!! なりてぇもんになるのにややこしい理由なんて要るか!! しんぷるいずべすとだ!! ババアがいつも言ってたじゃんかよ!!``
``ブハハハハハハハハハハ!! 確かにそうだったなァ!! いやァ!! こりゃ一本取られたぜェ!!``
``ぐべあ!?``
腹を抱えて大笑いする我が母親は、己の息子の肩をこれまた力加減一切なしにぶっ叩き、三度目の床めり込みを食らわせる。
流石にかつての自分が可哀想になってきたが、どうして今になってこんな記憶が呼び起こされるのか。
かつての俺が言っていることは、世の道理や理不尽を全く知らない、ただのガキの理想論だ。夢しか見てないからこそ言える、夢物語。
現実を知った今の俺だからこそわかる。当時の俺が言ってることは、実にくだらない夢物語だと。そんなものが通じるなら、母さんも澪華も失っちゃいねぇと。
でも現に二人は俺の手からこぼれ落ちた。目の前のクソ親父が目論んだ、くだらねぇ野望に食い潰されちまった。
俺は守れなかったんだ。いつなんときも手前の大切なもんを守り切る。自分が言葉にしたそれを、果たすことができなかったんだ。
言葉に出しておきながら、宣言しておきながら、それを果たせねぇなんざただの無能。口だけは達者な間抜け以外の何者でもない。
当時はガキだからまだ許された。でも今の俺はガキじゃねぇ。
母さんもいない今、母さんに代わって流川を支えていく本家の家長。そして母さんと澪華をブチ殺したケジメを親父につけさせるため、家長としてこの戦場に立っている一人の戦士長でもある。
現実をまるで見てない夢物語を見ている暇はないし、もう許される年でもない。戦場に立ってる今、俺はもう一人前の戦士なんだから。
``もののついでに聞いていいかァ?``
``なんだ!! なんでも聞きやがれクソババア!!``
床から足を引っこ抜きながら声を張り上げるガキの頃の俺。いい加減家ぶっ壊すなよと思いながら、母さんの切り出しを待つ。
首の骨をごりごりと鳴らしながら、母さんはおもむろに口を開いた。
``テメェはさっき、手前の大切なもんを守り切る。そのために英雄になりてェって言ったなァ?``
``それがどうした!!``
``ンじゃあテメェにとって大切なもんってェのは、なんなんだァ?``
いつになくシリアスな顔になる母さん。このときの母さんの顔なんざよく覚えてもいないはずだが、いつも全てにおいてふざけまくってる母さんらしくない表情だった。
深い意味があるとは思えない問いかけに、何を考えてやがるのか。
``ハッ。ババアはホントクソババアだなあ!! ンなもん決まってんだろ!!``
今の俺の伺いなんぞ知る由もないガキの頃の俺は、人差し指を立て得意げに胸を張る。
当時の俺はなんて答えたんだろう。自分にとって大切なもの。当時の俺にはそんな大層なもんは持ち合わせていないはずだ。
持ってないから失うものも何もない。失うものがないから失う痛みを知る由もない。
今の俺には到底吐けない台詞だ。澪華を失った痛み、母さんを失った痛みを知る、今の俺には―――。
``これからできる、一生の仲間だ!!``
かつての俺は先代英雄を前にして、なんの恥ずかしげもなく、家中に響き渡るほどの大声で高らかに宣言した。
家族の絆だとか、仲間だとか、友達だとか、そんなことを言うと思っていたけれど、少し予想と違った。
ただ単に仲間、友達、家族を守るってワケじゃない。``これからできる、一生の仲間``。
それはつまり、これからおこりうるどんな苦難も一緒に乗り越えられる、家族やらなにやらそんなんよりも、もっと深くて強い関係ってことだ。
``よォし。ンじゃあ、そんなテメェに先輩の俺がいいコト教えてやるよ``
かつての俺の小さな肩に、鉄球並みにでけぇ母さんの手がのる。それはいつもみたく床や壁にめり込ませるぐらいの、力加減の欠片もない感じではなく、まるで母親が、実の息子に優しく接するときのような感じの力加減で。
``もしも遠い未来、テメェ一人の力じゃどうしようもねェ状態に追い込まれたり、どうしても、どれだけ全力を出しても、一人じゃ守りきれねェってとき……``
``そんなもんおこらねぇ!!``
``起こったらの話してんだよォ!! 最後まで話聞きやがれェ!! でだ、そういうときは必ず今自分の周りにいる仲間のことを思い浮かべろ。失ったもんを数えるな。仲間の顔、姿、声、なんでもいい。全部思い浮かべるんだ。それは必ず、テメェの力になる``
``仲間って死んでも守るもんだろ!?``
``そりゃそうさ。でもなァ、現実ってのは残酷だァ。どう足掻いても一人だけの力じャあどうにもなんねェときってのがある。この俺にだってあったさ。でもなァこれが不思議なもんでよォ。戦いを一緒にくぐり抜けてきた奴らのことを思い浮かべるだけで、たとえどれだけボッロボロになろうが力ってのはどこからともなく湧いてくるもんなんだぜェ? 俺も戦争時代に死にかけたときとか流石にやっべェ何もできねェって感じたときとかは、兄様のことを思い浮かべて乗り切ったもんさァ``
怪訝な顔をするかつての俺。しかし母さんは自慢げにもはや筋肉の塊と化した大胸筋を張りあげる。
``仲間を死んでも守りきる。それはクッソ大事だが、いざってときは心の底から信じあい、背中を任せあって戦えるってのがベストだ。それぐれェの仲間と出会えりゃあ、どんな敵や災害がテメェらをブチ殺しに来ようが、怖いもんなんざなァーんもねェからよォ``
母さんはニシシ、とガキくさい笑みを浮かべながら、かつての俺の頭を無造作に撫でた。髪がボサボサになり、昔の俺はやめろよ!! と母さんの手を振りほどくが、それでも母さんはブハハハハハハハハと一人笑っていた。
そんな二人のやり取り、もとい母さんの言葉を傍から聞いていた俺は思わず空を仰ぎ、溢れ出しそうななにかを必死に抑えるために顔を手で覆った。
なんて俺は馬鹿なんだろうか。厳密には、今の俺がだ。
確かに俺は失った。澪華という初めての仲間を。久三男や母さん以外で、唯一心を通わせられた友を。
でも澪華だけが、仲間だと言えるんだろうか。
失ったものばかり数えて、すでに目の前にあるものを蔑ろにしているように思える。今日、この日までに出会った奴らはどうなのか。アイツらは``仲間``って言えるんじゃないのか。このときの俺なら、迷いなく仲間だと言えたはずなのに。
「笑えるぜ……」
母さんに小さな胸をこれでもかと張る幼い頃の俺を見て、思わず目を背けたくなる。
現実の道理を何も分かってないからこその宣言とはいえ、このときの俺は常に前を向いている。
今の俺はどうか。自分は前を向いて歩いているんだと、復讐に向けて前を向いて走ってるんだと、そう言い聞かせて復讐とかいう都合のいいものを盾に自分を誤魔化しているだけなんじゃないのか。
だからこそ今になって迷いが出る。誤魔化してるからこそ、本心からの行動じゃないからこそ、一瞬の迷いが生死を分かつ戦場で葛藤してしまう。
飛んだ間抜け野郎だ。もしも今の俺が、このときの俺と同じ心意気だったなら、絶対に迷わなかったはずだ。親父という巨悪と戦うにあたり、絶対に迷いなど起こらず前を向いて戦ったはずだ。
「だったら、今の俺がやるべきことは……」
脳裏に浮かぶ、澪華を失った後に出会った奴らの姿。
俺が喧嘩ばかりしている中、着々と親父との最終決戦のための段取りを組んで動いてくれていた流川弥平。
なんだかんだと色々気にくわないところがあり、最終的には殺し合いにまで発展したが本当は人間になりたかった、ただそれだけの想いを胸に秘めていた専属メイド、水守御玲。
一時は澪華のことで絶縁してたけど、命を賭した兄弟喧嘩の末に和解した流川久三男。
正体不明でワケの分からん生き物ながらも、実力の高さを見せつけ俺に協力してくれたぬいぐるみたち。
奴らが生涯にわたってあらゆる苦難を乗り越えていく、守りきらなければならない仲間だとするなら、今ここで決断しなきゃならねぇことは、ただ一つしかない。
俺一人だけじゃ無理でも、アイツらと組めば絶対、きっと、親父を倒せるはずだ。俺だけじゃなく、みんなで力を合わせれば。
―――``虫ノ良イ奴メ``
希望の光が一筋見えてきた俺の進路を阻むように、暗黒の切れ目から赤い目玉だけをのぞかせる竜王様が鼻で笑う。いまさっきまで見えていた昔の俺と母さんの情景が真っ黒な闇の中に消えていく。その声音は、どこまでも冷え切っていた。
―――``都合ノ良イトキノミ他ヲ頼ル……愚カシクモ惨メナ小僧ダ。オ前ハ奴ラヲ一生ノ戦友ダトデモ言ウツモリカ?``
「悪いかよ。確かになんだかんだ色々あったが、俺はアイツらのお陰でここまで来れたって本気で思ってる」
―――``高々二ヶ月程度トモニシタダケノ連中ヲ? 図々シイ餓鬼ガ。奴ラガ何故オ前トトモニイタノカ、分カランノカ?``
「そ、それは……」
俺のため、と言おうとしたところで口をつぐむ。
たしかにアイツらとは三月十六日―――俺が見ていた世界ががらんと変わったあの日以降に出会った。
決戦日の今日までの期間を数えれば、確かに高々二ヶ月あまりの付き合いだ。昔馴染みの友か、と言われれば全くそんなことがない、というかまだお互いのことなんぞまともに知らない仲である。
戦友だとは、とてもじゃないが言い難い。付き合いの長さで、奴らを推し量るのなら。
―――``思イ返セ。一人一人、何故奴ラハオ前ト戦イヲトモニスルノカヲ``
反論しようとした俺の言葉を発する前に遮り、クソ竜王は容赦なく言葉で抉りこむ。あまりに冷静かつ辛辣な問いかけに言葉が出ない。
―――``水守御玲。奴ガ求メルハ、己ノ存在価値。理由。ソシテソレラノ証明。アノ小娘ニトッテ、オ前ナド存在証明ノ為ノ利用手段ニスギン``
「そんなこと……!」
―――``流川弥平。奴ハ分家派当主ガ背負ウ責務ニ従イ、本家派当主ノ立場ニアル者ニ従事シテイルニスギン``
「……っ」
―――``流川久三男。和解ハシタトハイエ、オ前トノワダカマリガ消エタワケデハナイ。奴ハ今モ尚、オ前以上ノ力ヲ欲シテイル``
「……」
―――``ヌイグルミドモ。奴ラヲ味方ダト判断スルノハ愚カヲ通リ越シ底ナシノ阿呆ト言ワザル得ヌ。奴ラガオ前ニ加担スルノハ、オ前ニ加担スルコトデ、何ラカノ利益ガ奴ラニアルカラニ他ナラヌ。謀レテイルダケダト知ルコトダ``
「……」
―――``我ガ見解ヲ以ッテシテ、奴ラヲ信用スルト、オ前ハ言ウノカ?``
聞きたくもない、考えたくもなかった現実をタラタラと述べられ頭が痛くなってくる。
反論したくても、ここまで事実を突きつけられると反論しようがない。反論しようがないが。
「……悪りぃかよ」
奥歯を噛み砕くくらいに強く噛み締めながら立ち上がり、割れ目から冷え切った視線で見下すクソ竜王ゼヴルエーレを睨みつける。
ゼヴルエーレの眼を見ていると自分の姿が虚勢を張りながらも、それでも自身を誇示するちっぽけな野犬のように思えたが、構やしない。俺は理性をかなぐり捨てた。
「みんなを、ここまで俺を運んできてくれたみんなを信じて、悪りぃかよ!!」
理屈も事実も、なにもかも全てを無視したただの感情の吐露。子供が冷めきった大人に向かって吐き出す駄々にしか思えない言葉に、ゼヴルエーレの眼力が急上昇する。
裂け目から吹き出す風が途端に刺々しくなり、身体全体を袋叩きにするように吹きつける。
「テメェの言うことは正しいさ、これっぽっちも間違っちゃいねぇ!! アイツらにはアイツらなりの理由があって俺に付き合ってるだけかもしんねぇよ、でも俺は……それでもアイツらのことを信じてみてぇんだよ!!」
―――``裏切リヲナニヨリモ恐レ、カツテハ己ノ力ノミヲ信ジル他ナカッタオ前ガ?``
「ああ!! 今でも裏切られるのは怖えよ、嫌だよ、自己嫌悪と裏切った奴への憎しみで死にたくなるし殺したくて堪んなくなるよ、それでも信じなきゃ始まらねぇことだってあるだろ!! 今みてぇに八方塞がりで一人じゃどうにもなんねぇ状況だって変えられるかもしんねぇなら!!」
―――``変エラレル確証ナドナイトイウノニ、確証ノナイ選択ヲスルト? オ前ニハ、確実ニ佳霖ヲ殺セル力ガアルトイウノニ?``
「テメェのクソみてぇな力を借りる気はねぇ。アレを使っちまえばクソ親父と同じクソ野朗に成り下がるだけだ」
―――``利用可能ナスベテヲ利用スルト豪語シテイタ奴ガ、随分ト矛盾シタ宣誓ヲスルモノダ``
「俺とテメェらはちげぇんだよ。確かに俺はそう言った、でもアイツらを踏み台にする気は更々ねぇ。そんなの俺が思い描く復讐じゃねぇんだ」
―――``タダ覚悟ガ足ランダケダ。己ノ思イ描ク信念ノ為、利用デキルモノヲ全テ利用シ、用済ミニナレバ打チ捨テル、ソノ覚悟ガ``
「そんな腐った覚悟なんざいらねぇ!! テメェらがテメェらの理屈を勝手に貫くってんなら構いやしねぇ、だったら俺はその逆を行ってやる!! 誰も犠牲にせず、親父の腐った野望を木っ端微塵に打ち砕くっていう道をよォ!!」
ようやく、クソ竜王からの反論が止んだ。感情のあまり過呼吸気味の俺をよそに、叩きつけてくる敵意は弱まる。
まだ御託をガタガタ抜かすつもりなんだろうか。でもそれでも構やしない。そっちが理屈と現実で攻めてくるんなら、こっちは感情と理想で攻める。
理想を語って何が悪い。感情的に動いて何が悪い。理想のために、感情をバネにして邁進することの何が悪い。
テメェが間違っているとは言わないし、むしろ正しいと思う。でも俺はただただ納得いかない。
現実がそうだから、事実がそうだからなんでその通りに生きなきゃならねぇ。なんで可能性の高い選択ばかりしなきゃならねぇ。
低い可能性の選択したっていいじゃねぇか。そこに求めるものがあるんなら、そこへ全力疾走するのが人間なんじゃねぇのか。
他はどう思うかしらねぇが、少なくとも俺はそう思う。だから何度言われようが俺の考えは変わらない。甘ちょろいだの甘ったれだの甘えだの理想論だの感情論だの言われようが関係ねぇ、俺は俺だ。俺は俺が思い描く道を行く、たとえそれが全く理に適ってねぇ、もう馬鹿しか選択しないようなイバラ道だろうと突き進む。
そこに、俺が求める未来ってもんがあるんなら―――。
―――``モウイイ、ワカッタ。黙レ``
沈黙していたゼヴルエーレがようやく口を開いた。声音には呆れ混じりの弱々しさが感じられたが、それでも眼力から放たれる威圧感が萎えることはない。終始身体、心を押さえつける圧力は半端ないくらいに強い。
―――``コレ以上ノ対話ハ無意味ダ。ソコマデノコトヲ口走ルノナラバ、見事ソノ大義、果タシテミセヨ``
「どこまでも上から目線な野朗だな。気にいらねぇ」
―――``当然ダ。我ハ煉壊竜。又ノ名ヲゼヴルエーレ。オ前ラ人間ヨリ遥カ高ミヲ生キル、竜ノ一柱``
「だから俺を試すと。上等じゃねぇか!! テメェのそのえっらそうな鼻っぱしへし折ってやっから首洗って待っとけクソ竜王!! 竜だかなんだかしらねぇが、あんま人間舐めんじゃねぇぞ!!」
―――``フンッ。弱小種ガ、ドコマデ足搔ケルカ。見物ダナ``
俺にかけられた圧力が止まった。
身体が軽くなった感覚に、その場で軽くストレッチ。親父の魔法でガッチガチになっていた身体は、さっきブチギレたせいかすっかりほぐれており、戦う前のコンディションに戻っている。
無論、コンディションが戻ったからといって親父と互角に戦えるワケじゃない。全快したところで、迷いを振り切ったところで、俺が奴に勝てない事実は変わらない。
でも俺にはみんながいる。たったニヶ月あまりの付き合いだが、なんだかんだで俺と同じ道を歩んでくれたみんなが。
まだ知り合って月日は浅いし、みんなのこともよく知らない。それでも俺は``流川澄男``という一人の男、一人の人間として、アイツらを信じてみることに決めた。
信じた先に何があるかなんて分からないし、もしかしたら胸糞悪い展開が待っているかもしれねぇが―――そんときは、そんときだ。
暗黒の帳から差す一筋の光を見つける。気がつくと裂け目から目玉だけをのぞかせていたゼヴルエーレは消えていた。もう戦場に戻れってことだろう。
少しずつ、少しずつ大きさを増すその光の向こう目指して、俺は走った。




