出陣
「澄男様、失礼いたします」
道場で延々と素振りをしていると、唐突に道場の引き戸が開かれた。
リビングを出て、玄関の左隣にある応接室から外に出て通りを歩くと、その先にある道場。母さんも久三男も使わなくなってから、俺一人だけの憩いの場として使われている。
長らく俺以外の誰もが近寄ることのなかった道場へ初めて弥平が訪れた現実に、少しばかり驚きを隠せず、素振りをやめて弥平に向き直った。
「お耳に入れたいことが」
「何だ」
「水守御玲が、単騎で敵拠点を攻略しにいった模様です」
「…………は?」
あの御玲が、単騎で、敵拠点を、攻略。
なに寝言言ってんだ馬鹿にしてんのかワレ、といつもなら罵り返すところだが、相手は弥平だ。弥平がそんな寝言を、それも戦争間近で気を張っている俺の心情を察せていないワケがない。ということは、奴の言ってることに嘘偽りはなく、本当の事を言っているんだろう。
さっき会議を済ませてひと段落したばかりだってのに、また不祥事か。そろそろ予定どおりに事を進ませて欲しいんだが。
心の中で悪態をつきつつも、内心に沸く苛立ちを抑えながら、弥平に問うた。
「そんで、奴は今どこ」
「もう目的地に向かった頃かと」
「いやいや、止めろよ」
「問題ありません。彼女は敵拠点に向かえませんので」
「……んん……? どういうことだ。話が見えないぞ……」
「今回の会議に使用した霊子ボードには、一度再起動すると敵拠点の位置情報、もとい周辺地図情報を自動的に書き換えるよう、会議開始前にあらかじめプログラムをしておりました」
「ファ。じゃあ今回の会議に使った模式図とかは、全部デタラメだったってことか?」
「いえ。会議に用いたものは本物です。会議が終わって私が霊子ボードをポケットにしまったとき、あらかじめシャットダウンしておいたのです」
頭の中にかかっていたモヤが、晴れていくのを感じる。
会議に用いたデータは本物。そして会議が終わった直後に、弥平は霊子ボードの電源を切った。御玲もリビングには会議のときまでいたし、弥平がここに来て、御玲が出てったことを俺に伝えるまでの時間はほとんど経っていない。
つまり、会議が終わった後すぐ行動に移ったことになる。
御玲は魔法が使えない。目的地に行くには``顕現``の技能球を使う必要がある。そして``顕現``は確か、行ったことがある場所か、地図の情報を頭に叩き込まないと使えなかったはず。ということは、地図の情報を知るために霊子ボードを確実に再起動しているはずだ。
結論、奴は今、デタラメに書き換えられた地図をもとに、あるはずもない敵拠点を攻略しに行っていると考えるのが妥当か。だったら―――。
「御玲の位置は分かるか」
「久三男様を既に呼んであります」
弥平が一礼すると、引き戸からひょこっと天然パーマの眼鏡少年が顔を出す。
「もう出てきていいかな」
「いいも何も、出てこねぇと話進めらんねぇだろ」
てててて、と白衣を身に纏う我が愚弟は、ボールペン的なものを片手に俺と弥平の所まで駆け寄る。
久三男が持っているボールペン的なものはボールペンじゃなく霊子ボードだろう。ホログラムだかなんだかで何もない空気中に画面を映し出せるのはすげえ技術だと毎度思うが、知りたいのは御玲の居場所である。
「はいここ」
空気中に映し出された地図に、青い点がちょこんと描かれていた。多分この青い点が御玲の位置なんだろう。青い点を中心に、薄い青色の円が描かれている。
しかし我ながら器用な弟、個人を特定させると一秒もかからないのは清々しささえ感じる。同時にただの危ない奴にしか見えなくなってきたから、兄として注意の一つでもしてやる必要がありそうだが―――。
「またこりゃとんちんかんな所にいやがんなアイツ……」
霊子ボードに表示された地図を指で滑らせて動かしながら、御玲がいる地点の周辺を探る。
御玲のいる場所はド田舎もド田舎、田んぼと畑と木造家屋と山しかねぇような、ド辺鄙な場所だった。当然、親父の拠点からは滅茶苦茶距離が離れている。徒歩だと五日以上は余裕でかかる距離だ。
アイツのサバイバル能力は分からんが、年頃の女が野生児として生きられるとは思えない。明らかに今いる場所から親父の拠点に向かうのは阿呆もいいところだ。
「弥平、アレよこせ」
「お一人で行かれるのですね」
「たりめぇよ。そろそろアイツとはサシで話さねぇと気が済まねぇ」
技能球をよこせと弥平に手をさしのべる。
正直もう我慢ならねぇ。こっちが下手に出て引いてりゃ勝手な行動取りやがって。何のつもりかしらねぇが今日こそゲロ吐かせてやる。相手が女だろうが関係ねえ、こちとらフェミニスト野郎じゃねぇんだ。気に食わねぇなら女だろうと容赦しねぇ。必要なら今日食った飯全部ブチまけさせるぐれぇのことはしてやる。
「舐めんじゃねぇぞクソアマが」
思わず本音が漏れたのを、漏れた後に悟った。
悪い癖だ。感情が高ぶるとつい口から罵詈雑言が漏れちまう。大体この癖でつまんねぇ喧嘩が絶えなかったってのに、全く治せる気がしない。
そんな俺をよそに、弥平は黙って俺の手に技能球を置いた。俺は目を見開く。
「どうかされましたか」
「んにゃ、反対してくっかなーと思ったのに意外と潔く渡してくっからよ……」
「今でこそ言いますが、私は御玲がこの行動をとることを、大分前から予想しておりました」
「そうなの? いつから?」
「三月末ぐらいからですかね」
三月末って、俺がエスパーダと喧嘩した時期じゃねぇか。あんな頃から予想してやがったのか。
「私は我々の距離感を、当時より憂慮しておりました。今でこそ基礎が築かれつつありますけれど、コミュニティとして壊滅的だったのは、貴方も自覚があるでしょう?」
「あ、ああ」
「私が仲を取り持とうとも思ったのですが、やはり澄男様が音頭を取らねば、充分な効果は望めません。流川の現家長は、紛れもない貴方なのですから」
「いや……俺なんかよりもお前がやった方が確実だし速いだろ」
「私は所詮、分家派の当主。本家では一執事にすぎません。その場しのぎにこそなれど、それ以上の進展は望めないでしょう」
どう反論しようかと攻めあぐねた。むしろ俺がやった方がその場しのぎにすらならないと思うのだが、弥平の言うことに下手に反論する方が愚かだ。
確かに、コミュニティとしては終わってたに等しい。連携はおろか、血の分けた弟と殺し合いしてた始末だ。
ここまで事が進められたのも、俺や久三男や御玲がグダグダやってる間、人知れず根回しをしてくれてた弥平のおかげ。コイツの働きがなければ今頃復讐復讐とほざく割に何も成せないまま泣き寝入りする羽目になっていただろう。
抱く本音は弥平と異なるものの、コイツの今までの功績を考えると、俺ごときが蔑ろになんてできやしないのだ。
反論するのを諦めた。そしてやるしかねぇと腹を括る。
「……言っとくが、俺が行ったらどうなるか分かんねぇぜ。正直頭下げる気なんざサラサラねぇし」
「私がうまく取り繕っても、しこりは取れないでしょうから。全ては澄男様の意のままに」
弥平は深々と頭を下げた。
要するに、御玲とサシで話し合うことに反対しない、たとえ血が流れることとなろうとも、か。俺には勿体なさすぎる執事だ。
頭を下げる弥平の肩を、優しく叩いた。畳に置いてた汗拭きタオルを手に取り、ポケットから煙草を一本取り出して指の先から出た火で点火、煙を蒸かしながら道場を後にする。
「兄さんどこいくの、霊子ボード忘れてるよ!」
ペン型の霊子ボードを手に持ち、腰巾着みたく軽快な足取りで駆け寄る久三男。そんなアイツに、手を仰ぐ。
「汗でベッタベタだからよ、霊子ボードは洗面所に置いとけ」
「あ、じゃあ僕もほかる」
「お前汗かいてねぇだろ」
「いやー、実を言うとヴァズの修理と改修に没頭しててさー。もう数日ぐらいほかってないんだよね」
「おまえ……きったねぇな、ちゃんと入れよ風呂くらい」
「大丈夫だよまだ三日目だから」
「相当なんだが!?」
横に並んだ久三男と俺の後を追いかけ、背後から澄男様、と弥平が呼ぶ。
「着替えも洗面所に置いておきますね」
「おう、すまねぇな」
いえいえ、と言いつつ、弥平も俺に並んだ。
そのとき不思議な感覚が体に走るのを感じた。右に久三男。左に弥平。これが、世に言うデジャヴとかいうやつだ。
古い記憶からデジャヴに似合う記憶を漁る。出てきたのは、いつだったか、真ん中に母さん、右に俺、左に久三男が手をつないで並んで歩いている姿だった。
そういえば、ここ数年くらいは誰かと並んで歩くことがなかった。決まって必ず俺一人。背後には久三男か澪華がいたけど、横に誰一人として立とうする奴はいなかった。
いつからだったか、久三男ですらも横に歩くことがなくなっていたことに、俺は今になって気づいたのだ。
何年振りかは分からない。でも今、俺の横には久三男と弥平が歩いている。母さんの横を歩いていた、ガキの頃の俺や久三男みたいに。
なんで今まで気づかなかったんだろう。強くなることばっか考えてるうちにこんなあったかいものまで、俺は忘れていやがった。一人で前を歩き、自分より弱え奴を背後に下がらせる、そんな野郎に成り果てていたんだ。
今更気づいたと思うべきか、今気づいて良かったと思うべきなのか、分からない。でも前向きでいなきゃ身が持たねぇのは分かっている。だったら後者の解釈でいくしかない。
ちょっと前までの俺には、いなかった。でも今の俺には、隣を歩いてくれる奴がいる。守らなきゃなんねぇ奴がいる。
手からこぼれ落としちまった澪華やババアのためにも、今度は死んでもこぼれ落とさねぇようにしなきゃなんねぇ。絶対に。絶対に―――。
久三男と弥平を交互に見た。霊子ボードを弄っていた久三男と、偶然目が合う。久三男は訝しげな表情を浮かべ、首を傾げた。
「……なんでもねぇよ」
その仕草に、思わず微笑みがこぼれてしまったのだった。
「んじゃ、行ってくらぁ」
風呂で久三男と修行の汗を流し、自前の私服に着替え、必要物を粗方持った俺は玄関の自動引き戸の前に立つ。
玄関の前まで見送りに来てくれた弥平と久三男は、忘れ物がないかを逐一聞いてくる。それら全てに大丈夫だ、と右腰に携えた焔剣ディセクタムを叩いた。
「兄さんさー……」
久三男が俺を下から上まで舐めるようにして見つめてくる。眉間に皺がより、まるで睨んでるかのような顔で若干気持ち悪さを感じさせる。
男に隅から隅まで見つめられるとか、背筋が冷たくなる。怖いとかそんなんじゃなく、気持ち悪さ的な意味で。特に相手が弟だと尚更だ。
「前から思ってたけど、防具とかしないの? いっつもTシャツに短パン、もしくは学ランって……やばくない?」
「防具なんざ要らねぇよ、ババアが着てたような鎧着て戦うなんざやってらんねぇぜ」
「でもTシャツと短パンって……子供は風の子って言うけどさ」
「お前、それは俺がガキだって言いてぇのか?」
「違うの?」
「い、いや……そうだよ」
「澄男様は素の肉体性能が極めて高いので、むしろ軽装の方が、実戦時に引き出せるパフォーマンスは高いと思われますが」
一人マジレスしてくる弥平を見て、俺らは顔を見合わせた。
なにがなんだかおかしくて、俺も久三男も、思わず高らかに笑ってしまった。その笑いは、ここ数ヶ月でものすごく久しく、ひどく懐かしいものだった。
今思えば、復讐を誓ってからというもの、怒ったり悲しんだり憎んだり悔しかったりと何一つ楽しいことがなくて、何にもない日は血まめが潰れて手が血まみれになるくらい剣を振り、足がタコだらけになるくらい畳を踏んでいたくらいだ。
心の底から楽しい、幸せ、と感じたのは、ホントに、ホントに久しい。このままコイツや弥平と馬鹿みてえに馬鹿な話でもしていたい。
と思った矢先に、御玲の顔が脳裏をよぎる。
そういえば、アイツと一つ屋根の下で暮らすようになってから、もう三ヶ月。アイツが笑ったところを、一度も見たことがなかった。
人形を連想させる無表情。ハイライトが一切ない、死んだ青い眼。感情を挟み込まない、機械みたいな冷たい考え方。
ぶっちゃけ人間ってより、ある種のメイドロボットと言っても遜色ないくらい、アイツが感情を顔に出したところをほとんど見たことがなかった。何がアイツをそこまで追い込んでいるのか。
誰にも本音を語らない。誰にも心を開かない。考えなくとも分かる。そんなんじゃ、心の底から笑うなんざできねぇってことくらい。
別にアイツを心の底から笑わせたいワケじゃねぇ。ただ、言いたいことがあるクセにそれを言わず言いたい素振りだけ見せてるアイツの態度が、やっぱり気に食わねぇ。
だからアイツんトコに行くんだ。自分の中のモヤモヤを、晴らすために。
「んじゃ、今度こそ行ってくるわ。弥平、火くれや。それと、久三男のこと……あと、家のこと、頼むぜ」
「ちょっと、家の管理は僕もできるんだけどー。というか僕の本領なんですけどー?」
「あーはいはい頼むな家の戸締り」
「なんで戸締りなのさ!? 全部できるよ!」
「冗談だっての。弥平と二人で、な?」
うん、とはつらつとした表情で答えた。
奴の顔は復讐だのなんだのを決意する前のそれだった。むしろ色々つっかえが取れて、前よりも明るくなったかもしれない。表情がこれでもかと活気で満ち溢れてて、兄としてはものすごく微笑ましい。
さて……、と弥平に点けてもらった煙草から大量の煙を吹かして一服、手に持っていた技能球を強く握る。
久三男からもらったペン型霊子ボードから、地図じょーほーを技能球に直接いんすとーるとかなんとか、よく分からんことを本人にやってもらったから、後は念じるだけで御玲のいる場所へ転移できる。
技能球が強く光った。転移が始まる。
言いたいことが言い合える。三ヶ月分の、溜めに溜めてきたお互いの本音を。結果なんてどうでもいい。本音を言い合うことで更に拗れることになっても構わない。大事なのは、言いたいことは正直に言い合うっていう行動自体なんだ。
今度こそ、二人に手を振った。同時にいつものごとく、視界は暗転した。




