エピローグ:それぞれの思惑
神父服を着こなす中年の男、流川佳霖は、一息つくとホログラムモニタを切った。
彼が見ていたのは、実の息子たちの死闘。兄、澄男と、弟、久三男の兄弟喧嘩である。
椅子の横に置いてあったグラスを、ゆっくりと口に運ぶ。
澄男が戦っていた自動人形。久三男が製造した殲滅型アンドロイドとするなら、久三男の最大戦力は、あの人形ということ。
もはやゼヴルエーレの持つ竜位魔法を全て使え、なおかつ今までとは比較にならないほどの潜在霊力を扱える澄男には、敵になりえないといったところか。
仮にまだ隠し玉や切り札があったとしても、ゼヴルエーレが復活すれば、警戒するに値しないだろう。澄男は着実に、そして確実に、天災竜王ゼヴルエーレに近づきつつあった。
「かの天災竜王の復活も近い……そろそろ、澄男を我が手に統べる時が来た」
「つまりは佳霖様。決戦、ですか」
左様、と佳霖は答えた。
遅かれ早かれ、流川との戦争は避けられまい。だがそれは避ける必要などないことだ。何故なら我々は戦争を望み、今までの悪行を行ってきたのだから。
流川と戦争をし、天災竜王を我が手に治めれば、流川も、それと対を成す花筏の巫女もまた、敵になりえない。戦争となれば、澄男は必ずアジトへやってくるだろう。その瞬間こそ、古くより自分が夢見てきた状況なのだ。
念入りに、武力統一大戦時代から計画してきた流川との戦争。戦う以外に能無しの妻に子種を植えつけ、数多の信頼を裏切り、天災竜王をこの手に治めるただそれだけのために全てを捧げてきた。
その苦労が、幾十年捧げてきた数えきれぬ苦労が、今、報われようとしているのだ。これほど狂喜なことがあろうか。
いや、ない。あるはずがない。戦争、本来なら避けるのが賢明とされる流川との戦争が、とても、とても、待ち遠しい。
高らかに笑った。もはや体の奥底から湧き上がる狂喜が抑えられない。笑わずにはいられない。喜ばずにはいられない。奮起せずにはいられない。二千年間あらゆる戦役で無敗を誇った戦闘民族と戦おうというときなのに、興奮が抑えられない。
恐怖などないのだ、失敗など気にならぬ。我が息子のこと、私とは一騎打ちで倒したがるはず。そうなれば、もはや天災竜王は手中も同然。流川など恐るるに足らない存在と成り果てよう。
「さて……十寺よ」
「はいはーい」
醒め止まぬ興奮をそのままに、佳霖は意気揚々と十寺に命じる。悠然と、そして傲慢に、玉座で足を組みながら。
「決戦準備にかかれ。二千年無敗の戦闘民族が相手だ。``駒``はたくさん、用意しておけよ」
「抜かりありませーん。佳霖様が流川の謀反者で助かりましたよー」
佳霖は椅子に深く座り込んだ。天井ガラスから降り注ぐ陽の光を浴びながら、己が全ての頂点に立ち、このヒューマノリア大陸に君臨する未来の姿に想いを馳せるのだった。天災竜王の力を得た、己の姿に―――。
鏡台に座り、鏡に映る自分を見つめる私、水守御玲は、燃え盛る業火のごとき怒りに打ち震えていた。
「何も……できなかった……!」
澄男と久三男の死闘から三日が経った今日。私は戦いが終わってから今日まで、ずっと己の無能さを噛み締めている。
澄男との旅の道中。十寺、佳霖との邂逅。カオティック・ヴァズとの戦い。そして、久三男と澄男との死闘。
私はそのどれにも大したことはできないまま、場に流されて終わった。十寺には人質に取られて何もできず、ヴァズとの戦いでは瀕死の重傷を負い、ようやく流川本家邸に戻ったと思えば、久三男の近衛に八つ裂きにされてまた瀕死。
二足歩行をする黄緑色の蛙のような不思議な生物がいなければ、私は戦死していただろう。いやむしろ、戦死した方がマシだったとも思えてくる。
あまりに無能だ。無能すぎる。最初から自分なんていない方が良かったくらいに無能すぎる。いてもいなくても同じなら、ただの無能だ。無能じゃないと言い張れるのは、戦う力の無いただの有象無象の中だけ。
しかし私は最上位暴閥、水守家の末裔。曲がりなりにも``五大``の一人に数えられる存在だ。強者の部類に入る私がこの体たらくでは、生きている意味や価値などあろうか。生き恥を晒しているような気分だ。
「ならば……やむおえないわ……」
鏡台から勢いよく立ち上がる。勢い余って鏡台の椅子が倒れ、その音が部屋に耳障りにも反芻するが、私の意識には遠く届かない。
弥平が佳霖や十寺のアジトを見つけるのも、時間の問題。あとは組織構造の分析と、侵攻ルートの形成、兵站の確保などの戦略立案作業のみ。
私に戦略立案など不可能であるし、今までの戦闘で生き恥レベルの戦果しか挙げられてない以上、残された道はただ一つしかない。
「でもこれでいい。これでいいの……私はこれで……解放される」
鏡台に映る自分の姿を、もう一度眺めた。
低い背。平坦な胸部。堅いだけの身体。色気のない幼い顔つき。忌々しい思い出しか想起されない青髪と碧眼。
鏡面に指を滑らせる。鏡に映る己の鏡像は、寸分違わず同じ動きをしていた。ただ左右真逆なことを除いて。
自分の鏡像を、上から下、下から上へ舐めるように一通り見つめると、私は鏡に拳をふりあげ、力強く打ちつけた。
ガラスの割れる音と同じ音が、部屋内に響き渡る。指紋一つと無い綺麗な鏡面を誇っていた姿見は、見るも無惨に蜘蛛の巣を描き、己の鏡像を、支離滅裂に映し出す。
私は笑った。唇を吊り上げ、小さく、小さく微笑んだ。それも満足気に。鏡に映る、粉々となった私自身に。
「さよなら、私。さよなら……``水守御玲``」
側から見れば、ただの奇行。そんなことは分かっている。しかし私を気にかける者など存在しない。寂しいか、否。所詮、ままあることである。
第六章「煉獄冥土編」に続きます。




