異形どもの実力
死、という究極の絶望から一転。唐突に救いの手が差し伸べられた。
今まで信じたことなんてこれっぽっちもありゃあしなかったけど、もしこの世に神なんて奴がいるとするなら、なんで俺みたいなグズに救いの手をさしのべるのだろう。復讐しか考えられない割に何も成せないような奴より、もっとさしのべてやるべき人は溢れるほどいるだろうに。
神なんてものの存在を前提にしている時点で、もう自分がどうかしているとしか思えないが、言える機会は今みたいな九死に一生を得たときぐらいだろうから、あえて言ってやる。
感謝はする。でもぶっちゃけ、クソ卑怯だし、嫌いだ。
いるなら一回ツラァ貸せ、テメェの左頬に渾身の右ストレートブチこんでやる。雲の上かどっかしらねぇが、偉そうに踏ん反り返ってんじゃねぇぞダボが。後お前姿不定すぎんだよ実体がねえのかジジイなのかはっきりしやがれややこしいんだよクソが。
自分でも何言ってんの馬鹿かとツッコミたくなるようなワケ分からんことを心中で呟いちまったが、とりあえず言いたい事を言ったらスッキリしたので、一息つく。目の前に突然現れた囚人たちに、ふと目をやった。
コイツらと共同。正直正体もよくわからん奴らと息なんざ合うわけないと思ったが、どこまでやれるか試す価値はある。
背丈は俺や御玲なんかよりもずっと小さい。ホントに意志をもったぬいぐるみだ。そんなメルヘンチックの塊みたいな連中が、ヴァズとかいう殺人ロボとやりあえるのか。
二人だけじゃ、どう足掻いても敵わなかった相手だ。むしろあくのだいまおうとかいう、容姿だけじゃなく名前からしてふざけたラスボスみたいな奴が戦った方がいいんじゃないかって思えてくるが、戦うのはあくまであのぬいぐるみどもらしい。
殺人ロボ相手に、メルヘンの塊がどこまでやれるか。
「ではミキティウス。貴方が要です、頼みましたよ」
「要かぁ……俺そういうガラじゃないけど、まあいっか。この姿で喧嘩すんの、初めてだし。分かりましたよー」
「まぁたアイツが主役かよ」
「しゃあねぇじゃん。こん中で雷属性系使えんの、アイツとパオングさんだけだし」
悪態をつく小熊を諭すように、黄緑色の蛙がまあまあ、と小熊の肩に手を置く。俺はなるほどな、と心中で呟いた。
機械のもう一つの弱点。それは電気だ。
機械にとって、電気は動力源だが、当然、過度な量の電気を流せば中身が壊れる。何事も許容できる量が最適ってワケだ。
あのミキティウスって奴が雷の使い手らしいが、さて。どう動く。
「んじゃあ行きますかーっと!!」
小学生ぐらいの背丈をした、ロン毛の少年が、消えた。
思わず、目を見開いてしまった。速い、なんてものじゃない。一瞬空間転移の魔法を使ったのか、と思ってしまった。
ミキティウスの空色の髪の毛に稲妻が走ったと思いきや、姿が雷撃となり、ものすごい速さでヴァズに近づいたのだ。
姿形が稲妻と化したと思いきや、数体の残像のような空色のモヤが、ヴァズの目の前に現れる。だがそれも一瞬、そのモヤは瞬く間にヴァズの身体を素通りしていく。
そして空色のモヤがヴァズの背後で全て合わさり、再びロン毛の少年を描いたとき、がしゃん、という金属音した。俺たちは音源に目をやる。するとそこには―――。
殺人アンドロイド、カオティック・ヴァズが膝をついていた。
槍に貫かれようが、凍らせようが、業火に焼かれようが、それら全てをもろともしなかった鋼の塊が、たった数体の空色のモヤが身体を素通りしただけで膝をつき、蹲っている。
思索の渦に飛び込もうとするが、ロン毛の少年ミキティウスはヴァズだけじゃなく、俺たちの思索すらも見逃さない。
また空色のモヤが走った。モヤとともに一瞬稲妻が走ったと思いきや、目にも止まらぬ速度で、蹲るヴァズの背に向き直る。
そして、躊躇なく右、左、右、左、とリズミカルにパンチを繰り出した。
パンチ一撃ごとに放たれる並々ならない雷撃。ヴァズの鋼鉄の体が空色の鞭で打たれ、それらが遠く離れた俺たちの肌までも掠める。
割と距離が離れているってのに、まるで肌を連続的に針で刺されまくっているように痛い。パンチの威力も尋常じゃなく、衝撃が俺たちの骨や肉にも伝わってきて、一撃打つごとに轟音と衝撃波が砂埃として空を舞い、地面に見事な蜘蛛の巣を描いている。
こりゃあ少なくともヴァズと同等、下手すりゃそれ以上。姿はホントにロン毛の小学生なのに、戦闘能力が尋常じゃない。
「思考破棄。反射対応モード」
弱点や隙を突かれボコボコにされても尚、ヴァズから闘志が消えることはない。
ミキティウスに向けられるミニガンの銃口。もはや目と鼻の先、物理的に考えて避けられる距離じゃない。
銃口が回転し始める。あのままだとミキティウスは蜂の巣に―――。
「お前、まさかこの俺をそんなもんで蜂の巣にするつもりかい?」
ミキティウスは懐から布切れを出した。俺は思わず、奴が出した装備、というかアイテムに目を疑う。
己が蜂の巣にされる。
こんな極めてシリアスな状況で、凄まじい速度で回避するか、もしくは甘んじて蜂の巣にされるか以外ではどうしようもないという二者択一の状況で、奴は何を思い、何を考えたのだろう。いや、もしかしたら何も考えていないただの馬鹿野郎なのかもしれない。
奴は突然、女物のパンツを頭から被ったのだ。
何をしている。何を考えている。なんで風穴だらけにされるという状況でパンツを被るなどという酔狂な真似ができるのか。
分からない。分かるワケがない。頭がおかしい。そんな安直な言葉しか出てこないくらいに、奴が見せた行動は、全くの意味不明だった。
「後は任せたぞ、ナージ!」
「あぁん? オメェ、後で食糞な」
「なんで!?」
ミニガンが炸裂した。
猛回転する銃口から際限なく放たれる弾丸のシャワー。それらを避けるなど人間では到底できる所業じゃない。況してやゼロ距離、なおかつパンツを被るという明らかに無駄な自殺行為までしておいて、無事ですむはずがない。少なくとも、そう確信した。
だがミキティウスという名の少年は、予想を容易く覆した。
俺たちの眼は、既にミキティウスを写してはいなかった。いや、悔しいが写せなかったというべきだろう。
速い、なんてものじゃない。まるでテレポーテーションを短時間に連続で繰り返しているかのような像を捉えるのが、持ち前の動体視力の限界だった。
物理的にありえない動きをしているのは明白。``顕現``か。否、魔法陣の姿はない。つまり相手は魔法など一切使っていない。
単純な肉体性能。ミニガンから放たれる霊力弾の弾速よりも速く見切り、速く動いて避けている。ただ、それだけなのだ。
人知を超えた回避を連続で行っていたミキティウスだったが、再び姿が掻き消える。
空色のモヤのようなものが、また空中を走った。ミニガンを回転させるヴァズの目の前に、何かが現れて―――。
がごん、という鈍い音が鳴り響いた。鋼鉄の塊たるヴァズが、独りでに吹っ飛んでいく姿とともに。
「本当なら俺とアンタは互角だったかもしれないが、アンタは生憎俺の戦闘スタイルを知らない。つまり、初見殺しってヤツだ。悪く思わないでくれよ」
どうやってヴァズの間合いに詰め寄ったのか。気がつけばヴァズが立っていた位置には、ずっと弾丸シャワーを尋常じゃない速度で避けていたはずのミキティウスがいた。
そういえば、カエルが言っていた。雷属性系を使えるのは、ミキティウスとパオングだけだと。
機械は電気が供給源、しかし一度に大量に流せばいろんな部品がブッ壊れる。雷にすらなれる身体。そして残像すら残さない回避性能。
初見殺し。あらかじめ戦闘スタイルや癖、固有の能力を熟知していない限り、対応できるはずもない。
初見殺しな上に、機械の弱点を的確に突いている。この戦い、最初からヴァズには分が悪い采配だったワケだ。
おそらくこの戦略を考えたのは、俺たちの背後でミキティウスの戦いを俯瞰する、怪しげな紳士だろう。だが一つだけ、どう考えても分からないことがある。考える必要もないし、多分意味なんて絶対ないのだろうが、あえて問いたい。
なんで、パンツ被ったのだろうか。
「じゃあいくか」
ミキティウスによる雷を含んだ物理攻撃のラッシュにより、大幅に認識能力が低下したヴァズに追い打ちをかけるが如く、一匹の熊のぬいぐるみが、空を飛んだ。
空に広がる一対の翼。ミキティウスには遠く及ばないが、飛行速度は速い。砂埃が舞い、木々が強く揺らめくほどの衝撃波が放たれる。
「んじゃまずは……妙技``排便空襲``からいっとくか」
ナージは飛びながら態勢を変えた。翼の形態そのままに、彼はこれまた何を考えたのか、ヴァズ付近の上空でうんこ座りをし始めた。
それはまさしく、和式便所で用を足すが如き姿勢。
「おら鉄クズ。オイル代わりだ、俺の糞食らいな」
紛うことなき``アレ``が、天空から放たれた。
空気抵抗を受けつつも、大陸の重力に引っ張られ自由落下する``アレ``。よく見ると一個ではなかった。機体の底面に張り付いた爆弾を都市に浴びせるが如く、焦げ茶色をした``アレ``が、数えきれないほど沢山降り注がれる。
それらはもはや、汚物の空襲。本来ならば下水道へと消えるべき物体が、空から焼夷弾の如く大量に降ってくるという煉獄。
ミキティウスの華麗かつ圧倒的な戦況から一変。戦場は一気に地獄絵図へと姿を変えた。
反射的に、本能的に、思わずバックステップで距離を離す。頭上から降ってくる汚物の射程圏外へ、とにかく距離を離す。
理性が働かなければ、危うくそのまま逃げ出すところだった。でもありえるか。相手は弟が兄を殺すために派遣した殺人ロボットとはいえ、一応今は戦いだ。
でもあの熊のぬいぐるみは、あろうことか戦場で脱糞したのだ。一般に``ウンコ``と呼ばれる、汚物の中の汚物を撒き散らかしたのだ。
汚いなんてものじゃない。そもそも、一体何を考えているのか。分からない。ミニガンを突きつけられて平然と女物のパンツを被るミキティウスも分からないが、ナージはもっと分からない。
「おいテメェ!!」
思わず怒鳴る。あまりにもワケの分からない行動をとるぬいぐるみに、憤慨と疑問の念を込めながら。
「舐めてんのか!! マジで……何してる!?」
「あぁ? 脱糞ですけど? 空から糞撒き散らしてるんですけど?」
「認めた!? いや……お前、おかしいだろ!? なんでこの状況で用足してんだ!! ふざけてんのか!?」
「ふざけてねぇよ、真面目に脱糞してんだよ」
「そこ真面目じゃなくていいから!! 真面目にするところ違うから!!」
「馬鹿かオメェどんな状況でも盛大に脱糞できる、それが真の男ってもんだろうが」
「いや意味分かんねぇよ!! ただの変質者だろそれ!!」
「変質者ならミキティウスだろ。見てみろよアイツ、頭にパンツ被ってんぜ」
「公衆の面前で糞撒き散らかしてるテメェよりマシだわ!! やめろ、今すぐやめろ!!」
「ごめん無理。だって俺の攻撃手段、ほとんど糞しかないし。というか糞以外邪道だろ。剣とか魔法なんてもんなんざ、例えるなら路上にほっとかれて干からびた犬の糞並みに糞だぜ?」
「いや明らかに糞撒き散らかす方が邪道だよね!? お前、実は攻撃手段のなさを棚上げして自分にないものを邪にしたいだけだろ!!」
痛烈な叫びもむなしく、彼の表情は変わらない。なんの躊躇いもなく次の一手を打つ。
「ああそうだよ。だって俺、糞するしか能がねぇもん」
翼をはためかせ、ナージはうんこ座りから、お父さん座りへと体勢を変えた。その瞬間、ナージの身体はみるみるうちに薄い茶色から焦げ茶色へと変化する。
それはまるで大腸にとどまること数日、水分を吸われ続け、もはやカッチコチになってしまった糞の如く。
『澄男とか言ったっけ。オメェは力押し以外に能がねぇんだろ? だったらその糞で、弟の糞なんざ塗り潰しちまえ。情報? 知るか糞食らえ、ってな』
霊子通信でナージの声が直接脳味噌に反芻する。
久三男は戦いに情報が必要と言った。もっとまともな、先を見据えた戦いをするべきだと、一人前を気取って吐き捨てた。
そしてカオティック・ヴァズというカラクリで、それを証明してみせた。
なら自分はどうか。それで納得しているか。
確かに久三男の実力は身を以て知った。戦死寸前にまで追い込まれた。でも久三男の理屈に納得しているかどうかと言われれば、していない。
裏鏡のときと答えは同じ。誰がなんと言おうと、自分が決めたやり方を突き通す。
今更利口になるつもりもないし、人に褒められるような人間になるつもりもない。身勝手に、自己中に、自分がやりたいと思ったことをやる。たとえ悪党と呼ばれようとも。
そう。``俺``って奴はこうじゃなきゃいけねえ。それ以外の生き方なんざ、どうあがいたってできるワケねぇんだ。
危うく、見失なっちまうところだったぜ―――。
乾いた笑いをか細く漏らす。そして両手の拳を強く、強く握り締めた。
「やべぇ。澄男さん、御玲さん、パオングさんのところまで離れてくだせえ!!」
カエルが突然、パオングの方へ手招きしながら大声で叫ぶ。シャルも速く来いよー死ぬぞー、と裸エプロンをはためかせながら手招きする。
まず何をやらかすつもりなのかと聞きたかったが、前衛のカエルとシャルがなりふり構わず後ろに下がり始めたため、渋々俺たちもパオングの所まで下がる。
彼らが自分の所まで集まったのを確認すると、戦場にいる、全員を包囲するほどの広く茶色い魔法陣が展開した。
「``部分無効:地属性系``」
パオングが呪文を唱えた、次の瞬間だった。
鳴り響く轟音。思わず耳を塞いでしまうほどの大音響とともに、大地には広大な蜘蛛の巣状のヒビが走った。
木々が次々と倒れていき、大地の神が咆哮する。不幸にも、裏手は山だった。
木々が倒れたことで地面に張り巡らされていた根がなくなったのだ。土は行く手を失い、そのまま土砂となって崩れ落ちる。地震や暴風雨によって引き起こされるはずの自然災害が、戦場と化した水守家領のほとんどを呑みこんでいった。焦げ茶色の菩薩と化したナージによって引き起こされた、大地震によって。
「待ってください!? このままでは私たちまで……」
勢い留まらぬ土砂崩れに顔を引きつらせる御玲だったが、唐突にパーオパオパオパオと長い鼻を天高く上げて笑いだしたパオングが、慰めるようにして奴の肩に手を置いた。
「メイドよ、心配するでない。土砂崩れは、年がら年中発情期に苛まれておる、そこの中年男が片づけてくれよう」
「腐☆腐!! ついにボクの出番ってワケだね!!」
「あれ待って。オレの出番なくね? オレ、総隊長なんだけど。一応、この軍団の隊長なんだけど!!」
カエルの叫びは何者の鼓膜も揺らさなかった。
「いでよ、ボクのち◯こ!!」
裸エプロンの中年男が唐突に卑猥なワードを口ずさむ。すると、シャルの股間から煌々と光り輝く何かが、ゆっくりと引き抜かれた。
現れたるは、純白に輝く一本の棒。煌びやかに光り輝くそれは、シャルの体躯に似合わない大槍だった。
柄の部分は黒いが、棒の部分は銀色という異色を放つ槍。全てを押し流さんと迫る土砂崩れを前に、シャルは大槍を片手に持ち、仁王立つ。
彼の身体より生まれ、彼のみが持つことを許された神槍は、彼の手の中にあるのが嬉しいのか一層、その輝きを増した。
体躯に合わぬ槍を構え、切っ先を土砂へ向ける。
シャルのやろうとしていることが分からない。いくら槍とはいえ、周囲の大木すらも一瞬で生き埋めにしてしまうほどの土石流を止められるわけがない。薙ぎ払える量ではないし、投げたところで意味もない。況してや、刺し貫きにいくなど自殺行為も甚だしい。
なら、何をしようというのか。
「あぁ~!! くる、くるくるくるぅ~!! この……この体の奥底から湧き上がるリビドー……!! んんんんんぎもぢいいいいいいいい!!」
突如、裸エプロンの中年男は呻いた。槍を構えながらも、小さい身体をよじらせ、顔を赤らめ、過呼吸気味に吠える。
「さあ土石流!! このボクをぐちゃぐちゃにして、めちゃくちゃにして、生き埋め窒息プレイを堪能させてみせろ!! いやむしろしたいぜひさせてほしいんほおおおおおああああああああ!!」
俺たちは身構えた、シャルの豹変ぶりに。酒を飲みすぎて酩酊し、あらゆる理性のタガが外れたオヤジの如く、体の奥底から湧き上がっている何かに悶える姿に。
もはやそれは、アレである。言葉にする必要もないし、今の状況で吐く言葉ではないの確かだ。しかしながらあえて言葉にするとしたら、アレが適切だろう。
「コイツ、ただのドMじゃねぇかぁ!!」
迫る土石流の中、俺の怒号が響いた。土石流が全てを飲み込む音をかき消して。
「いや……おま……マジ何してんの!? 今の状況分かってんの!? 今そういう場面じゃねぇだろ!?」
「あ、ああああああ~!! も、もうイク!! イクイクイクイクイイイイイイイイ~…………!!」
槍の切っ先に溜まる白い球体。
光の粒子が寄り集まってできたそれは、シャルの大いなる宣誓とともに、その輝きを炸裂させたのだった。
「イッくうううううう!!」
俺の制止を見事にかき消し、視界の全ては白銀に染まる。
鼓膜が破れそうになる轟音。土石流の音すら聞こえなくなるほどのすさまじい爆音と、爆心からかなり離れているのにも関わらず身体全体を打ちつける猛烈な風圧が、五感の全てを支配する。
今までのぬいぐるみどもがやってきた中でも、最大にして一番ドがつくほどの広範囲破壊攻撃。おそらくアイツらの切り札だろう。
もう、感想という感想が出てこない。多分、コイツが一番ヤバい。隙あらば猥褻物の名を口にしてるから正直文字どおり頭がイッてる奴だとは思ってたけど、これはぶっちゃけ、想像以上だ。
爆音と風圧がなくなる、俺たちは目を開けた。
「マジ……かよ」
俺たちを呑み込まんと迫ってきていた土石流は、影も形もなく消え失せていた。草も木も、何もなく、禿げた土壌が広がってるだけで、後はホントに何も無い。
強いて何が残っているのか、と問われたなら、地面にうつ伏せに押しつけられ、土砂まみれになっているヴァズと、土石流すらも消しとばす霊力の塊を浴びても尚、ヴァズの上に石像の如くのしかかっているナージのみといったところか。
「いかがでしょう。私どもの強さ、ご納得いただけましたでしょうか」
真横に立っていた妖異な紳士、あくのだいまおうは、自分より背丈の低い俺の顔を覗き込む。
納得もクソも、予想外すぎて何も言葉が出てこない。パッと見、子供がままごとで使うただそれだけために存在しているようなぬいぐるみと同じ姿をしているのに、持っている力はあまりに強すぎる。
姿だけでも異形だが、力もまた異形のそれに恥じないだけの代物だ。ただのぬいぐるみ程度の奴が、一体どんな突然変異を起こしたら土石流を一方的に消しとばせる力を得られるのか。
でも不思議だ。つい最近あらゆる反則を平然と使いこなす銀髪野郎とやりあったせいか、俺自身、あまり驚いていないように思える。もう感覚という感覚が麻痺してきているらしい。
「どうでしょう。ご所望であれば、ショーの続きをいたしますが?」
続きなんて、する必要ない。むしろ見ているこっちが困惑しているぐらいなんだから、十分すぎるデモンストレーションだ。信用するとかしないとか、この際どうでもいいと言ってしまいたくなるし、そんな小さいことを気にしていた自分が馬鹿みたいに思えてくる。
でも、執り行うよう指示したデモンストレーションを聴衆として垣間見、見終わって後に頭によぎった、ただ一つだけ感想を言うなら、この一言に尽きるだろう。
「テメェら一体……何者なんだ」
竜人と化し、力を爆発的に高めた俺と、その援護をする御玲をもってして手も足も出なかったカラクリを、一方的に嬲り殺しにできる強さを持ち、なおかつまるで昔から仲間だったことを思わせる、手際の良い連携。
相手に反撃の隙を与えず、的確に抉りこむが如く追撃をしていく姿。まさに理想的な戦闘を見せてくれた。
ただ感情のまま突っ走り、結局色んな尻拭いを御玲や弥平にさせていた自分と違って。
これだけの戦いができる有能が、無名なワケがない。自然災害すら鎮める力を持ちながら、今まで一体、人知れずどこで何をして生きていたというのか。
「まあ、私どもについては追々。それよりも、当主殿。判定を」
顔に貼り付けたような笑顔で、はぐらかした。
判定を、と言われてもただただ凄い、という感想しかなくむしろ今まで偉そうに振舞ってたのを謝りたいぐらいなんだが、よくよく考えればデモンストレーションして実力を証明しろと言ったのは俺なワケで、判定しないのは尚更無礼というもの。
気が進まないが、致し方ない。
「文句はない。合格だ」
その言葉を聞き、ありがたき幸せ、と頭を下げた。やめてくれ、と言いたくなる気持ちを抑えつつも、土砂まみれになっているヴァズに向き返る。
「お前らはもういい。ここからは俺がやる」
ぬいぐるみたちの追撃を受けながら、それでも尚まだ動こうとするヴァズ。
流石は久三男が作った殺人アンドロイドというべきか、奴のバイザーからは尾俺を抹殺するという堅い意志が伝わってくる。
当然、ここで引き下がる気はない。売られた喧嘩は買ってこそだ。ぬいぐるみどもが強いことは分かった、でもコイツらにカタをつけさせるワケにはいかない。
「いいえ、澄男さん。貴方は戦線から離脱してください」
ヴァズへ踏み出そうとした俺の肩を、あくのだいまおうは強く握る。顔をしかめ、力一杯、彼の手を振りほどいた。
「ざけんじゃねぇ。確かにテメェらの活躍には感謝してる。だが売られた喧嘩を途中で投げ出すつもりなんざ更々ねぇよ」
「貴方のするべきことはなんですか。ここであの機械を木っ端微塵に破壊することなのですか」
「そうだよ」
「違いますね。貴方に喧嘩を売ったのは、あの機械じゃない。あの機械を作った父親。違いますか」
「……」
「大丈夫です、貴方に無断で破壊してしまったりはしませんよ。貴方は、貴方が向かうべき本当の戦場へ、先に向かってください」
朗らかに、でもどこか作り笑いめいた不自然な表情を禁じえないあくのだいまおう。何か手玉に取られてるみたいな感覚に、俺は感謝七割怒り三割という微妙な心境で、金冠を載せた象パオングに向き直る。
あくのだいまおうの左横にちょこんと佇んでいたパオングは、長い鼻を唸らせて大柄に笑った。
「パァオング!! 本家派当主殿、この我欲の神パオングが、貴殿の望む場所へ誘ってしんぜよう!! さて、どこがご所望か? なんなりと申されよ」
俺が向かうべき本当の戦場。あの殺人ロボットの生みの親が偉そうに引きこもっている場所。それは―――。
「決まってんだろ。万年引きこもりの弟の部屋だよ。久しぶりにカチコミしたらぁ!!」
死んだ魚の目を光らせ鼻を蛇のように唸らせる象に、俺は唇を釣り上げた。そして悪どい笑いでパオングの問いかけに答えたのだった。




