襲来、カオティック・ヴァズ
「澄男さま、澄男さま」
何者かに身体を揺さぶられる感覚。ぼやける視界の中で、懸命に誰かを認識しようと、己を奮起させる。
脳味噌の回転が戻り始め、意識が鮮明になり始めると自分を起こしてくれた存在が、御玲であることをようやく理解することができた。
「俺、どれくらい寝てた?」
「一時間程」
そうか、と俯きながら呟く。
跡形もなくなった教会の跡地に視線を投げると、側で行儀良く正座している御玲に再び向き直る。
「アイツらは?」
「転移されました」
「まあ、こんな所でウダウダしてるような奴らじゃねぇか……」
「向こうも``顕現``の技能球を持ってるとなると、厄介ですね。転移強襲の戦術も知っているでしょうし」
「曲がりなりにも流川に名を連ねてた野郎だからな……」
そうですね、と御玲が呟いた瞬間、話題が途切れた。
なんともいえない重い沈黙が生ぬるい風とともに流れる。二人を隔てる温度差は更に増し、はぁ、と大きくため息をついた。
「別に気ィ遣わなくていいぞ。話したきゃ勝手に切り出せよ。久三男が裏切った、どうしましょうって」
「いえ。また暴走されると思いまして。そうなると私では対処できませんし」
「……そうかい」
「暴走されないのでしたら改めて。久三男さまが裏切りました。どうなさいますか?」
何だろうな、この寂しさは。
別に期待していたワケじゃない。どうせコイツのことだ、弥平みたくロクに気も回せねぇんだろうなとは思っていたし大したダメージはない。
でもさ、心配してくれてもいいじゃないか。こっちは実の弟に売り飛ばされたってのに、なんでコイツは終始淡々としているんだろうか。
他人事とでも思っているんだろうか。いや、他人事か。
コイツの目的は本家派当主の護衛であって、ただそれだけでしかない。言ってしまえば当主になり損ねた久三男のことはどうでもいいのだ。
裏切った、ならば敵として排除する。ただそれだけのこととしか思ってない。
同じ屋根の下で生活してたから勘違いしていたが、コイツには仲間意識などという甘ったるいものは持ち合わせてないんだ。
目的はただ一つ、本家派当主の護衛。当主ではない全ての存在は、ただの``他人``。
別に間違っているなんざ言うつもりは微塵もない。同じ立場だったら自分もそうしていた。
でも、なんだろう。胸がズキズキと痛むというか、きゅーってなるような、この気持ちは。
「澄男さま?」
「あ、ああ済まんちと考え事をな……」
「そうですか。それで、どうなさいますか?」
「どうなさいますか、って言われてもね……」
肩を竦め、地べたを見た。
あまりに予想外にもほどがある展開で、正直頭がついていってないのが本音だった。どうする、と言われても咄嗟の判断が下せない。
普通に考えれば、破門された親父と同罪なワケで、問答無用の誅殺しか選択肢がないワケだが、相手は実の弟だ。
誅殺しろと命ずるにしても、己の人生のほとんどを共にしてきた実の弟を殺すというのは気が引けるものがあるし、正直、何かの間違いだと思いたい。
いや仮に間違いではなかったとしても、何か事情があるはずだ。アイツが。いつも腰巾着みたいにつきまとってきたアイツが、兄を裏切るだなんて。
「澄男さま。ご命令を」
「いや待て待て。そう事を急ぐなよ」
「事は一刻を争います。どうかご英断を」
「こ、こういうのはほら、順序ってもんが……いろいろ調べてからでもさ」
「敵の首魁が自供したことですし、それを裏づける証拠は私たちが彼らに会えたという事実自体。調べる必要があると思えません」
「だ、だからって久三男を殺すのは……」
「澄男さま、ご英断を」
「うるせぇ!!」
怒鳴り声が、虚しく響いた。彼らに纏いながら緩やかに流れていく風が、すぐさま怒号を霧散させる。御玲を強く睨みつけるが、彼女の碧い瞳に宿る陰りは、消えることはない。
「テメェ……! 自分が何言ってんのか、分かってんのか……? 俺に……兄である俺に……実の弟を殺せってのかよ……? あぁ!?」
「澄男さまが直接手を下したくないのであれば、私が殺るまでのことですが」
「それでも俺が殺らせたことに変わりねぇだろうが……! 違うか!?」
「人の解釈次第だと思いますよ、それは」
「テメェさァ……他人事だからって勝手ほざくのも大概にしろや……? だったら聞くけどさァ……テメェが俺の立場なら、殺れんのかよ……実の弟を、姉を、妹を……殺れるってのか!?」
「殺れますよ」
驚くほど歪みのない真顔で、そう言い放った。あまりにも予想外の言葉と態度に、えぇ、とたじろぐ。
今コイツ、さらっとなんて言った。殺れます。そう言ったか。
なんでそんなことが真顔で言える。ありえない。コイツには人の心ってのがないのか。そんなんじゃ、本当に人形か何かじゃないか。
「逆にお聞きしますが、澄男さまはご自分の父上を殺るんですよね。近い将来」
終始真顔でそんなことを問いかけてくる。俺は眉を潜めた。
「裏切り者の父と、裏切り者の弟。この二つに、何の違いがあるというんです?」
「ち、違いって……」
「父か弟かという違いがあるだけで、``裏切り者``であることに変わりないではありませんか。今更殺る標的が一人増えたところで、何が困るというのでしょう」
くすんだ青黒い眼光が、血のごとく紅い瞳を抉った。思わず、一歩下がってしまう。
何をどう思えばここまで淡々となれるのか。いくら他人事とはいえ、奴から放たれた言葉は、人情ってものがなに一つ感じられないものだった。
確かに言われてみればそうかもしれない。徹底的に私情を挟まずに現状を考えるなら、コイツの言うことがもっともだ。
父親か弟か。立場に差があるというだけで、二人とも裏切ったことには変わりないし、今更裏切り者が一人増えたからって、ぶっ殺すのを躊躇する方がおかしい。父は殺すのに、弟は弟だからという理由で殺さないのは全くの意味不明な行いだ。
でも親父と愚弟とでは、親父がどう足掻いたって埋められないもんがある。それは、``思い出``だ。
親父はほとんど家におらず、家事や修行、育児などの家のこと全部ババアに押しつけて、久三男や俺とは、ほとんど話をしようともしなかった。
でも久三男は違う。久三男は常に、一緒にいてくれた。飯食うときにくだらない喧嘩したり、修行してないときはテレビゲームしたり、一緒に魔生物狩り行ったり、基本的に一緒にいてくれていた。
修行のときはなぜか決まっていなくなるし、気がつけばアイツの部屋が地下に移動していたが、それ以外では、ほぼ一緒に行動を共にしていたんだ。
アイツと培ってきた思い出は、あのクソ親父の比じゃない。だから裏切ったからって、淡々と殺すなんて。
そんなの、できるワケないんだ。
熱い紅眼と冷めた碧眼。暫時、睨み合う両者だったが、その沈黙を破ったのは、俺だった。
「久三男は殺さない」
沈黙を食い破ったその言葉に、御玲の眉が僅かに歪む。
「それは合理的な判断とは思えません」
「うるさい。なにもかも合理的に物事が進むと思うな」
「進めようという意志がないのと、物理的に進められないのとでは、明確な差がございます」
「黙れ。殺さないったら殺さない。なんかワケがあるはずだ。交渉する」
「時間の無駄だと思いますが」
「もうお前不快だから意見すんな。命令だ」
「……畏まりました」
無理矢理黙らせたというのに、目の前のメイドは顔色一つ変えず、淡々と一礼。メイド服についた煤を手で払いながら、立ち上がる。
そんな冷淡な彼女を見ながら、何を思ったのか。また悪癖が出てしまったのか。ふと口を滑らせた。まるで、体の中にあった毒を吐き出すかのように。
「……なぁ。もうやめにしねぇか」
それは今までの鬱憤が思わず飛び出したかのようだった。いつも思うが、どうしてこうも堪え性がないのだろうか。
言わなくていい事をおもわず言ってしまう。言わなければ問題にならないのを分かっているのに、口に出してしまう。
昔っからずっと不思議に思っていて、でも治す余地が無いから放置してきた悪癖だが、今回は、その悪癖を遺憾なく使いたいと思う。
だって、あんまりにあんまりにも、コイツは卑怯だ。
こっちは本音ブチまけているのに、向こうはだんまり。ただただ合理的だの無駄が無いだの当たり障りのないことばかり言って人の本音を軽くあしらっていく。
卑怯というか、フェアじゃないというか。そこが気に食わないのだ。
ゆっくりと顔をこっちに向けて、眉をひそめた。ほんの僅かに眉を吊り上げて、こっちを見てくる。表情は依然変化がないが、御玲は何故か、どことなく不機嫌そうに見えた。
「……何を、でしょうか」
「いい加減さ。サシで話そうや。正直息が詰まりそうなんだよ」
「私は問題ありません」
「ここに来る道中は主人とメイドの立場を重んじてた癖に、今は自分基準なのか。主人が不快がってんのに。それっておかしくないですかねぇ」
「何が言いたいのか、よく分かりません」
「はぁ? 寝言言ってんなよ馬鹿が。言葉のとおりだサシで話せって言ってんだよこっちは」
「その行為に利点があるとは思えません」
「俺の気分が良くなるっていう利点があるが?」
「今後を考えると利点だとは言えません」
「利点かどうかは主人の俺が決める事だと思うけど」
御玲は黙り込んだ。反論することが思いつかなくなったのか、黙秘権を行使することにしたらしい。
さっきまでの反論とは、明らかに程度が低い。まるで何かをひた隠しにしてるような言い草。
支離滅裂で、言動が破綻しまくっている。罵り合いと恫喝以外じゃ、相手を黙らせる自信がない自分でも、あまりに穴だらけと分かる口ぶりだ。
ため息混じりに息を吐き、頭をかく。都合の悪いところを突かれてだんまりを決め込む子供のような姿の御玲に、おもむろに口を開いた。
「命令だ。サシで話せ」
一切の人情を捨て去り、淡々と物事を押し進めようとするメイドに、かけてやる慈悲などない。
だんまりを決め込むならだんまりできないようにとことん追い込む。コイツが最初に主人とメイドの立場を明確化させたんだ。だったらそれを逆に利用してやる。
メイドは主人の命令には逆らえないのだ。頼んでも言わないなら、命令して腹を割らせるまでのこと。あんまり舐めんなよクソアマが。
「……嫌です」
ぼそりと小さく呟いた。二人を生ぬるい風が身体を逆撫でしていく。そして片足を後ろに少しだけ退かせた。主人の髪が、燃え盛る炎のように逆立ったのを決して見逃さなかったからだ。
「……あぁ……? 嫌ァ……? なんで」
「話す意味がないからです」
「ンなこたァ俺が決めんだよ」
「どうして話さなければならないんですか」
「俺が気になるから」
「理由になってません」
「なってんだろうがよ主人が気になるってんだから」
「嫌です」
「テメェに拒否権はねぇ」
「澄男さまはサシで話せとの命令されました。ならサシで言わせていただきます。嫌です」
「お前馬鹿? サシで話す、を辞書で調べてこい」
「とにかく、お断りします」
「無理」
「嫌です」
「は、な、せ」
「嫌です」
「主人の命令に逆らうとか……メイドとしてどうな」
「嫌!!」
甲高い叫び声が、雑草しかない痩せこけた平原に響いた。メイド服のスカートを掴み、わなわなと身を震わせる。暫時、重い沈黙が流れた。
双方睨み合う最中、微風に虚しくそよぐ雑草と、僅かに舞い散る土埃のみが吹き抜けていく。ものすごく居た堪れない雰囲気が、場を支配していった。
ここまで問い詰めても、コイツは話してくれねぇのか。
本気の拒否反応を示す女の姿を生まれて初めて目の当たりにして、情けなくも気圧されたってのもあるが、それ以上にここまで強情だとどうすりゃいいか単純に分かんない。ぶっちゃけ、完全に嫌われている。
特段絡みもなかったというのに、なんでここまで嫌われてしまったのか。やっぱりエスパーダとやりあったときの罵詈雑言を根に持っているのか。
いや、もういいやめんどくさい。なんかどうでもよくなってきた。
よくよく考えれば、相手は所詮メイドだ。コイツは否が応でも徹底した無駄のない主従関係がご所望らしいし、だったらこっちがウダウダ考えてやる理由もない。
もう二度とコイツのことに気をかけなきゃいいただそれだけのことを、こっちが淡々とやりゃあいいんだ。コイツの腹割らせるより簡単なことじゃねぇか。
無駄なことに時間と精神力を無駄遣いしちまった。やめだやめだ。クソつまらねぇ。
頭を掻きながら、御玲に手を差し出す。
「……魔道鞄よこせ。聞きたいことは聞いたんだ。もう帰るぞ」
大きく溜息をついて、魔道鞄を手渡した。溜息を吐きたいのはこっちなんだが。
``顕現``の技能球を掴み、御玲に肩を触るよう、目で指示する。淡々と、御玲の冷たい手が肩に触れたたのを確認すると、転移するべき場所を頭に思い浮かべて、技能球を握っている手を強く握りしめた。
転移する場所は、御玲の家。正しくは御玲の親父が用意していたVIP専用個室のような部屋だ。結局ただの一回寝泊まりするためだけに使っただけだったが、専用個室なだけあって居心地は悪くなかった。終始、肩に手を載せているメイドがいたことを除けばだが。
視界が暗転し、即座に回復すると、初日に使ったダブルベッドと暖炉のある部屋が視界に横たわった。緊張をほぐすべく、その場で大きく背伸び。御玲は意に介さず、淡々と撤収作業を始めた。
一人黙々と撤収準備をするメイドをさしおいて、今まで起こった全ての出来事を頭の中でまとめるべく、堂々とベッドに寝転がる。
後は生活必需品とかを鞄にしまって、また転移で自分ン家に戻るだけ―――が、当初の予定だった。
本来なら家に帰って仮眠して、弥平にとっととクソ親父のアジトを特定してもらって、クソ親父を文字どおりブチのめしにいく予定だったのに。
久三男が裏切った。にわかに信じ難い話だ。
腰巾着で、弱っちくて、よく分からない御託を並べるのと、よく分からないオモチャを作るのだけは得意だった、あの久三男が。
三月十六日以降、現実味がイマイチ無いことばかり起きててなんだか感覚が麻痺してきているが、冷静に考えれば由々しき事態ではある。
まず裏切り者が本家邸にいるってことは、久三男のことだ。ヤツは本家邸に籠城していることになる。
つまり、帰れない。でもだとしたら、どうして弥平はなんの連絡もしてこない。
親父と十寺は会える事を知っていやがった。ホラだとしても偶然がすぎる話だし、久三男が情報を横流ししたってのは本当だとして、ヴァルヴァリオンに行く計画を立てたのは、五月六日。
今から四日前、つまりその四日間で親父とコンタクトを取ったことになる。どうやってコンタクトを取ったか、は考えるまでもないこととして、ヤツが裏切りの行動を取ったのは、つい最近ってことだ。
となると裏切りがバレるのは時間の問題になるし、戦う能のないアイツは籠城するしかないワケで、そうなると本拠点を失った弥平は異変に気づいてこっちに霊子通信を事前に送ってくるなりなんなりしてくるはず。
ない頭で考えて思い浮かぶ原因は三通り。
弥平もグル。だとしたら分家も敵ってことになるが、それだとガチで打つ手がない。力が強いだけの本家派当主と、高々人間最高峰程度の槍使い二人だけでどう相手にしろというのだろう。完全に詰み。ジ・エンドだ。
もう一つは、幽閉されていて連絡できない状態にある。
これはかなり希望的観測だし、現実そんなに甘くないだろうから希望している反面、ほとんど期待していないけど、もしそうなら糸口はある。弥平ン家にいって分家の奴らと結託して、久三男と戦うという選択肢が生まれるからだ。
本家の領地は難攻不落ならぬ絶対不落の戦闘要塞と言っていいぐらいチートの吹き溜まりみたいな場所だからブチ抜くのは至難だが、分家と本家派当主と槍使いが結託すればなんとかなるはず。
最後の一つ。弥平は既に死んでいる、だ。
合理的に考えるなら、弥平はもう久三男にブッ殺されている、もしくは寝返っていてもおかしくない。仮にも流川の事を知り尽くした密偵だし、ほっとくと何しでかすか分からん存在なワケで、面倒を減らすって意味で殺してしまっている可能性は十分にある。
「御玲。お前は弥平がどうなってると考えてる?」
淡々と片付けに勤しむ御玲に問いかけた。
一応コイツも今は貴重な戦力だ。腹を割るのは見事に失敗したが、意見を聞くくらい損はないだろう。
「幽閉、既に殺害されている、もしくは久三男側についているかのいずれか」
作業の手を止め、御玲は真顔で答えた。既に浮かんでいた考えを答えるが如く。
「お前もそう思うか」
「ただし幽閉されていると考えるのは些か希望的観測がすぎますので、殺害されているもしくは裏切っている前提で私は動きます」
なるほど、と淡々と返す。
御玲も同じ考えか。だったら話は早い。とっとと準備を整えて、本家の方に行って今ある道具でカチコミしかけるっきゃねぇ。そうと決まればちょっと休んでからカチコミに―――。
「ぐあ!?」
「ぎゃ!?」
それは、突然だった。あまりに唐突すぎる現象で、何が起こったか理解ができなかったというのが正直な感想だ。
耳を塞ぎたくなるような轟音とともに、背中で爆弾が炸裂したかのような爆風が、身体を強く殴打する。混沌と化した視界が回復したとき、ようやく自分の身に降りかかった災厄を認識した。
崩壊した部屋。窓やベッドは完全に影も形もなくなり、暖炉は粉々、床もへしゃげ壁や天井は辛うじて原型をとどめているようなありさま。
自身の服に被った土埃を払いのけ、未だ思考が追いついていない脳味噌を回転させる。
何が起こった。現実世界の豹変が認識能力を凌駕している今、何が起こった、という言葉以外、何も出てこない。
さっきまで身支度を整えるメイドを尻目に今後のプランを練っていた。しかし気づけば全身土埃まみれになり、床へ転がっている。何が、どうして、今に至ったのか。考え事をしていただけに、現実世界の変化に未だ思考が追いつかない。
久三男の裏切りといい、親父のクズさといい、三月十六日のアレといい。一体全体、何がどうなっているのか。
予想外のことばかり起こっているだけでも胸糞悪いのに、しまいには考え事を真面目にしていたら部屋が独りでに爆発して藻屑となる始末。
一体、前世にどんな罪を犯したんだ。もういっそ何もかも捨て去って前世に赴き、前世の自分ブチのめしたら全て解決しているとかいう滅茶苦茶展開とかあってもいい気がする。むしろもうあってもいい。それで今までの予想外がなかったことになるのなら。
風通しが大変良くなった部屋の成れの果てで呆然と立ち尽くしていると、土煙から大きな人影が、壊れかけの床に伸びた。
がきん、がきん、という野太い金属音。まるで一歩一歩、デカい鉄筋が地面を強く踏みしめているような音。一歩踏みしめる度に、その音は音量を増していく。土煙が風で希釈されていく中、視界に現れたのは、顔に大きいバイザーをつけた、筋肉隆々の巨漢であった。
身体は黄緑色と白が混ざり合い、髪の毛は紫という外装の何もかもが気色の悪い配色をした大男。顔はバイザーをつけていて素顔は分からないが、配色が気持ち悪い以外は、人間と遜色ない風貌をしている。
思考回路が凍結している中でも、眼球は目の前の現実を認識せんと動くが、大男のある一点が、全ての認識事項をかなぐり捨てさせた。
黄緑色の坊主頭をした巨漢の右腕は、人の腕では既にない。人間の腕の数倍はあろうミニガン。そして左腕もまた見知った腕ではなく、周辺にガラス片のような、半透明のパーティクルが舞う小型砲身だった。
何、これ。人間、じゃない。
ロボット。なんで。どうして。分かんない。なんでロボットが。マジで何。夢。違う。現実。嘘。信じらんない。意味不明。目の前にロボットがいるのか。分かんない。もう何が何だか、分かんない。
だれか、誰か分かるように今の状況とコイツを二十文字以内で簡潔に説明しろ。命令だ。畜生。ふざけんな。こっちは弟が裏切って親父にボコられて執事が音信不通だってのにロボットの相手なんてしてらんねぇんだよクソが次から次へと意味不明なのがポンポンポンポンクソみたいに湧きやがって誰かなんだかしらねぇがめんどくせぇもういい全部ブッ壊す。
「流川澄男、捕捉」
淡々と右手をこちらに向け、ミニガンの銃身は、ゆっくりと回転し始める。
おい嘘だろ。もしかしなくてももしや。
「クソが!!」
脱兎の如く、高速回転するミニガンの照準から逃げ惑う。
ミニガンから放たれる大量の弾丸は、水守邸の壁や床、天井を蜂の巣にしていくばかりでは飽き足らず、粉々に粉砕していく。木造の武家屋敷など、ミニガンを前にしてなすすべなどない。崩壊の音色を、愚直に、かつ盛大に奏でるのみ。
すばやく厚くて堅そうな金属の壁に潜り込んで身をひそめる。
「ざけんなやマジで!! なんで俺が見ず知らずのロボット? みたいなのに唐突に殺されなきゃなんねぇ!?」
湧き上がる焦燥と憤怒。際限なく滲む脂汗と、吐き気を催すほど強く速い拍動が、精神の荒々しさを表していた。
もう冷静に物事を考える余裕はない。できることは敵に突撃してブチのめすことだけ。相手がどれだけ強いか分からないのに、無謀なのは火を見るより明らかだ。でもだったらどうしたらいいっていうんだ。
この馬鹿みたいに素っ頓狂な状況を打開する案があるなら、今すぐ手を挙げろ。すぐにでも役を交代してやる。
『やあ兄さん』
罵詈雑言を吐き散らしながら、半ば過呼吸気味になっている脳味噌をかち割るように、聞き覚えのある少年の声音が反芻する。
誰かは言うまでもない。今日という日まで、忘れたことのない人間の声だ。
「久三男テメェ……! 一体何の冗談だ……! 笑えねぇぞクソが!!」
『僕はいつだって本気だよ。力ばかりに固執して、最後まで驕りを捨てられなかった兄さんと違ってね』
実の弟、流川久三男。今日という日まで、なんだかんだ味方だと信じていた唯一の血縁。いつもと打って変わって実の兄貴を見下すような口調と声音に、腹の虫が更に暴虐の限りを尽くす。
まるで、親父と会話しているような気分だ。
「なんで……! なんで俺を裏切りやがった!! ふざけやがって……! テメェまじで許さねぇ!! そこで待ってろよ、ぜってぇブッ殺してやらぁ!!」
『僕をブッ殺すより先に、兄さんが死ぬ方が先じゃないかな、多分』
「テメェはほんと昔っから寝言が好きな奴だよな、ンなのどうやって……」
そのとき、顔を上げた。
自分を殺すとのたまうロボット。久三男が得意なのはオモチャ造りだった。ロボットから感じる殺意は本物だ。冗談で済ませられる範囲を超えている。
ぎり、と歯が軋む音が響き、強く拳を握りしめる。
「そうか……あのロボットはテメェの差し金だな!!」
『そうさ。僕が造った対兄さん殲滅用アンドロイド、カオティック・ヴァズ。どうかな、感想は』
「ああ……最高にクソだよ全く!!」
はははそれは良かった、と久三男は向こう側で薄ら笑いをこぼす。ぎりぎりと、歯軋りが止まらない。
「久三男……なんでこんなことすんだ……? 俺が一体何をした!! ワケわかんねぇ!! なんで俺がお前に裏切られて、挙句ブッ殺されなきゃなんねぇんだよ!! あぁ!?」
『残念だよ。兄さんは、僕と交わしたあの約束……覚えてないんだね』
薄ら笑いさえもこぼさず黙り込んだ久三男だったが、しばらくして大きなため息が吐き出され、語り出した。驚くほど、低い声音で。
「約……束……?」
『もう十年くらい前だけどさ。僕言ったよ? もしも兄さんが戦いで負けて、何か大事なものを失うようなことがあったなら、僕は僕のやり方で、兄さんを殺すって』
「はぁ……? 待てや……十年前って……そんなの覚えてるワケないじゃんか!!」
十年前の約束なんざ知るか。それでブッ殺されるとか堪ったもんじゃない。悪ふざけも大概にしやがれ。
『知らないねそんなの。覚えてない兄さんが悪いよ。兄弟との約束を忘れるなんて、酷いや』
「酷いのはどっちだ!! 十年前だかなんだかしらねぇがそんな大昔のことで俺をあのクソ親父に売り飛ばした挙句こんな殺人ロボットまで送りつけやがって!!」
『確かに大昔の事さ。でもね、僕にとっては転機だったんだよ。僕は兄さんの為……兄さんの役に立ちたかっただけなのに!!』
久三男の低く、冷えた声音が、急に突沸を起こし、思わずたじろぐ。それでも奴の語りは止まらない。反論する隙を与える暇もない言葉の連鎖が、脳内を駆け巡る。
『僕は兄さんの役に立ちたくて、その想いだけでやりたくなかった基礎体力作りを本気で頑張ってきた……でも兄さんは、僕の努力を認めてくれなかった!!』
「そりゃあ」
『兄さんは知ってる? 僕のやりたかった事。僕の好きな事。僕の趣味……僕はね、それを全部さしおいてでも、兄さんの役に立ちたかったんだよ……? 本気で、そう思ってたんだよ……?』
「そんなの……」
『でも兄さんは!! そんな僕の努力も辛さも趣味も得意な事も、なにもかも分かってくれなかった!! 兄弟って言うのなら、僕の気持ちくらい、少しは分かち合ってくれても良かったのに!!』
「……」
『暴閥の世界じゃ、戦う力の無い存在に生きる意味も価値もない……最悪僕は破門されて、奴隷になっててもおかしくなかった……結局、僕を救ってくれたのは久々おじさんただ一人だけだった』
「……」
『兄さんは戦う力があったから良かった。でも僕にはなかったんだ。それでも僕は、流川澄男の弟として、相応しい人になりたかった!!』
「だったら……」
『でも兄さんは僕のやり方を否定した。挙句、僕との約束を忘れてる始末。なら僕は弟として……いや、男として……兄さんに宣言した約束を、今ここで果たす!!』
「っ……!? 久三男!!」
反論する余地も、罵詈雑言を吐き散らかす暇もなく、弟からの霊子通信は切断される。思わず拳で地面を叩いた。爆弾が炸裂したかのような轟音が響き、水守邸の床に蜘蛛の巣が巡る。
正直、久三男はただ甘えているだけだと思っていた。だから兄として、弟の尻を叩いていたつもりで過ごしていた。奴が言っていた約束とやらはてんで記憶にないが、愚弟の野郎は本気だ。
交渉すればなんとかなる。そう思っていた自分をぶん殴りたくなってくる。
「っ……」
過去の自分に怨念を送っている最中、野太い金属音を打ち鳴らしながら、地面を踏みしめる音が鼓膜を叩く。
久三男が言っていた殲滅型アンドロイド、カオティック・ヴァズ。そのロボットの気配が近い。音源は確実に近づいている。舌を打ち、息をひそめる。
「澄男さま……」
急に背後から声をかけられ、体をビクつかせる。
振り向くと、全て落としきれなかったのか、急いで探していたのか。髪の毛やメイド服が若干量の煤にまみれた御玲が、気配を殺し、囁き声で忍び寄ってきていた。
「背後から声かけんな……危うく顔面ぶん殴るところだったろうが」
「コード666含め、全ての回路が不通になっていまして。おそらくですが、妨害霊波の影響かと」
「久三男の野郎……霊子通信で分家に支援要請できなくしやがったな……」
尚も歯軋りが止まらない。
今回の敵は久三男だ。情報技術や工作になると右に出る奴はいないだけあって、妨害対策はバッチリってワケか。おそらく、カオティック・ヴァズから馬鹿みたいにでかい妨害霊波的なモノがビンビン出ているんだろう。
「私が出ます」
「お、おい待て!!」
壁陰から身を出し、己の身長よりも高いであろう槍を握ると、奴の足場は一瞬で凍りつき、周囲に大量の霜が降りる。空気中に遍在する細かな水蒸気をも凝固させる冷気が吹き荒れ、壊れかけの家屋は、冷気によって固められた氷雪で舗装されていく。
槍を構えた。狙いは右手にミニガンを構えた巨漢のアンドロイド。まだ幾ばくかの距離がある。敵の性能が明確ではない以上、使う技は既に決まっている。
「水守流槍術・氷槍凍擲!!」
渦巻状のブリザードを纏いし槍は、持ち主の手から放たれた。目指すは目前のヴァズ。
御玲から離れた槍は、槍にあらず。鋭利な切っ先を持つ砲弾。
大型戦艦から放たれる徹甲弾に相違なく、文字通り重装甲を刺し貫き粉砕する砲丸と化していた。壊れかけの屋敷を更に塵にしていくその槍は、遂にミニガンで持ち主に照準を合わせていたヴァズへ肉薄し―――。
「っ……!」
がきん、という音とともに、気が遠くなるほど冷たい暴風は一気になりを潜める。気温の急な変化に疑問符を浮かべる中、苦虫を噛み潰したかのように、顔を歪めた。
全てを刺し砕かんとする意志で放たれた槍は、むなしくも地面に落ち、甲高い落下音を打ち鳴らす。
確かに槍は右手にミニガン、左手に砲身を持つアンドロイド、カオティック・ヴァズの胸元に命中した。手応えも、音も、狙いも、全て完璧に決まったと誰もが確信さえ抱いていた。
しかし、現実とは世知辛い。砲塔から放たれた渾身の投擲は、ヴァズの装甲を貫くことはおろか、傷一つつけることも叶っていなかったのだ。
槍の威力が低かったわけでも、御玲の肩が弱いわけでもない。話はただひたすらに単純。ヴァズの装甲が、あまりに堅すぎた。ただ、それだけ。
「水守御玲、認識。敵性反応。任務阻害確認。抹殺リストに追加」
ヴァズの右手が、確実に御玲を捉えた。無機質な機械音を発しながら、ミニガンは躊躇なく回転し始める。
「水守御玲、抹殺」
放たれる大量の弾丸。壊れかけの武家屋敷を容赦なく蜂の巣にしていく様は、まさに殺人用に作られたアンドロイドそのもの。バイザーを覆った顔からは表情は伺えないが、底知れぬ冷徹さが垣間見れた。
「おい、なんで俺の方に逃げる!! よその物陰に入れよ!!」
「もうほとんど破壊されて、隠れる場所はここくらいしかありませんよ!!」
「ここももうダメだってのに……ちっくしょう、やるっきゃねぇ!」
「待ってください!」
裾をぐっと掴んでくる。急に引き止められ体勢を崩してしまうが、ヴァズはその瞬間を見逃さない。弾丸の雨が、脚を肉片にせんと襲いかかる。
「おっまえざけんな!! 危うく俺の脚が跡形もなくなるところだったろうが!!」
「どうして澄男さまは無計画に敵へとびかかろうとするのですか!! 敵の性能、戦術、特性、戦場の状態が不明なのですから、それらを把握するのが先でしょう!!」
「ンなのアレにブチ当たれば全部分かる話だろうが!! なんでそうコソコソしたやり方する!!」
「コソコソじゃありません、戦いにおいて情報の収集と精査は基本だと言っているだけの事で……」
刹那、ぼごんという鈍い音とともに、二人の間へ太い腕が割り込んだ。金属でできた鉄壁をものの見事に貫き、剛健に最後の砦を真っ二つに粉砕。二人との間に割って入るようにして、佇む。
透明なパーティクルを舞う砲身の左手はメカニカルに変形し、見知った形に戻ると、カオティック・ヴァズは無表情に隆々とした左腕を、猛々しく振り上げた。
大地が、へしゃげる。振り下ろされし左拳は、まさに剛強な素材で作られた鉄槌。猛烈な衝撃波とともに、大地は豆腐のように沈み、ほんの一瞬パルス波形を描いた。
二人はあまりの衝撃波に吹き飛ばされるが、辛うじて着地。そのまますばやく体勢を整える。
ヴァズを中心に発生したクレーター。まるで岩の塊が高い所から落ちてきてできた穴のように、ぽっかりと地中を覗かせる。
機械音がした。舞い散る砂塵の中で、一歩一歩、確かな足踏みを大地に刻んでいく。
「舐めんじゃねぇぞゴラァ!!」
力強く、腹を空かし獲物を見つけた肉食獣の如き勢いで、ヴァズとの距離を詰め、右手が赤く燃え上がる。現れたるは、全てを焦がし焼き尽くす光球。熾烈な光と、猛烈な熱。目を開けていられないほどのそれは、持ち主の激情に呼応するかのように、黄金色の炎を纏う。
「灼熱!! 砲弾!!」
灼熱の光球と、黄緑色の重装甲が遂に重なり合う。衝突の勢いで光球は弾け、溢れんばかりの炎の渦が、ヴァズ含め水守邸を躊躇なく呑みこんでいく。
大地は焦げ、武家屋敷は焼け、草木は消滅する。赤き業火が全てを包み込み、人も人ならざる者も通さぬ焦土が、完成した。
「そうか、そうだよな、効かねぇよなァ!!」
二人を取り囲むは紅き炎。しかし、全てを焼き尽くす業火を放って尚、カオティック・ヴァズの装甲は美しい黄緑色を保ったままだ。
融けた様子も、焦げた様子もない。裏鏡のときと同じ、``無傷``であった。
「いい加減マンネリなんだよ!!」
輝く、紅き眼光。体色はみるみる焦げた黒色へ変化し、皮膚からは鱗がその姿を現す。右手の拳を強く握った。刹那、右腕が猛々しく隆起する。
「パワータイプなら話が早ぇ!! だったらこっちもパワーでブチのめせばいいただそれだけのこったァ!!」
右拳がヴァズの胸部を捉え、がきん、という金属音が炸裂する。勢いで軽く後ろへ下がるが、自分の右拳を見、目を丸くした。
握ったり、離したりを繰り返すが、特に操作に問題ない。ただ何故なのか、いつもより力が出ないのだ。感覚的にしか分からない、でも本気で殴ったはずなのに、手応えがない。そんな感覚が、未だに違和感として残っている。
なんで、どういうこと―――。
「ぐぇ!?」
思考を遮るように左頬に激痛が走り、視界が暗転する。
自分が殴り飛ばされたと知ったのは地面に身体が衝突したときであったが、予想以上の痛覚と意識の混濁が、認識速度を遅らせる。口の中に歯ごたえのあるものが舞い、鉄の味が舌を撫でる。
勢いよく、歯茎から抜けた永久歯を吐き捨てた。左頬を撫でながら、鋭利な視線をヴァズに投げる。
ヴァズの足元からロケット噴射のような青白い炎が出ている。炎というより、濃い霊力そのものというべきか。ものすごい勢いで霊力を噴射し、その推進力をパンチの威力に加算した、といったところ。
脳味噌の八割は筋肉じゃないかという自覚は前からあったが、それでも残りの二割でその程度の予想くらいはできる。
だが僅かな思案もつかの間。ヴァズの右腕が再びミニガンに変形する。また弾丸のシャワーを浴びせるつもりか。二度も同じ手に食うワケには。
「はぁぁ!!」
がごん、という金属音。ヴァズの背後から棒状の何かが、ヴァズの頭部に一撃。
間髪入れず、氷雪舞うブリザードが、禍々しい殺意を以ってヴァズを包み込んでいく。身体の至るところに霜が降り、まるで時間が止まったように、その場で石像と化した。
「澄男さま!」
ヴァズの背後から御玲が顔を出し、すばやく彼の下へ走る。しかし、背後から大木の幹をへし折るような音が響く。凍結による足止めも長くは続きそうにない。
「クソが……力が出ねぇ。なんでだ」
「力が出ない?」
「よく分からん。手応えがねぇんだ。テメェみたいな小技使いに遅れを取るなんざ……」
「ならおそらく……佳霖が打った注射の効果では」
「どゆこと」
「澄男さまの症状がよく分かりませんが、デバフがかかっているとしたら、澄男さまの身体に変化が起こった前後でしょうから」
なるほど、と返すと同時、怒りを込めた舌打ちを鳴らす。
注射なんぞ打たれた記憶はないが、確か久三男に裏切られたと親父に言われたときに記憶が飛んで、気がついたら御玲のそばに倒れてたから、おそらくその間にまた暴走か何かをしたんだろう。
それを抑制するために何かブチこまれたのなら、デバフの理由に納得がいく。
「澄男さまが全快でない以上、ここは連携して機体を破壊するしかないと愚考します」
「冗談。テメェと俺じゃ合わねぇよ、今までのやりとり思い返せば分かんだろ」
「ではどうするというのですか。澄男さまは全快でない今、いつものやり方では、あれは倒せないのですよ」
「……ンなこと言われたって……」
氷を砕く音が響いた。ヴァズを足止めしていた鎖が解き放たれた合図である。勢い良く振り向く。氷雪を砕き、氷水で濡れたミニガンが、二人の中央を捉えた。
「澄男さまは右、私は左!!」
悔し紛れに舌を打つ。軽やかに飛び上がる御玲。弾丸のシャワーが再び襲いかかる。
あのロボットの中で、抹殺の優先順位は自分が一番高いらしい。御玲も殺すと言っていたが、久三男が作ったロボットってんなら、真っ先に殺しにくるのは道理か。
だったら優先度の低い御玲を利用して、一応だが連携できなくもない。ただ付け焼き刃すぎてあまりアテにはしたくないが、贅沢言ってられる状況じゃないのも確かだ。
左手で焔剣ディセクタムを構えた。刀身が赤熱し、焼けるような熱さを、皮膚の至る所から感じる。
ヴァズの左手が変形し、ガラス片のパーティクルが現れる。が、パーティクルの流動は以前よりも激しく、砲身の中心部が白く輝き始めていた。
砲身へ収束する光の粒子。荒ぶるパーティクル。光の粒子は一点へと集まり、その数、その密度を増していく。
そして―――。
薄青色の稲妻を纏って放たれた真っ白な光球は、まさに若々しい恒星だった。ガスや塵が、長い年月をかけて己の重力で寄り集まり凝縮して完成した、生まれたての恒星。
高密度にして高温。青白い稲妻は産声の如く。恒星から放たれる熱線は全てを静観する大海の如く。照準に定めたもののみならず、周囲にある地、草、木。その全てを滅さんと牙を剥いた。
「だったらァ……!」
大きく息を吸う。自分が持つ全ての肺胞に大気が浸透していく感覚を覚えるが、目一杯、肺に含んだと感じとるとそれを全力で吐き出した。
口から放たれたのは窒素八割、酸素二割、僅かな二酸化炭素と、微小の希ガス類を含む気体などではない。紅き眼光と勝るとも劣らない、ある程度成熟した恒星が放つ紅炎であった。
ぶつかり合う青白と紅蓮。両者から放たれる熱源は、あらゆる水分は蒸発させていく。
土壌はひび割れ、草木は焦げ消え、気温は沸騰する。両者の衝突が、相殺という名の終局を迎えたとき、水守邸の半分以上は影も形もなくなっていた。
「でああぁぁあ!!」
高熱のぶつかり合いが終わったと同時、白銀の冷気が再びヴァズを焦土ごと呑み込む。
周囲から水分も、湿気も蒸発しきってしまった一帯に、以前のような氷雪は起こらず、霜もほとんど降りないが、ブリザードに呑み込まれたヴァズの機体は、自分が放った高熱源と紅炎によって加熱された状態から、一気に、凄まじく、速やかに冷却されていく。
水守流槍術・羅刹貫槍。槍の切っ先を中心に、持ち主ごと氷と雪の膜で覆い、敵へ特攻する技だが、御玲はこの技でヴァズを仕留められないことを把握していた。
狙いは己の技で打ち砕くことではない。本家派当主専属メイド、人類最高と謳われる槍使いの真なる狙いは。
「灼熱からの極寒……金属の身体が裏目に出ましたね……!」
白い湯気がヴァズと御玲を急速に包み込む。
知っている者なら知っているだろうし、知らない者は知らないかもしれない。しかしながら大半の者が知っているであろう物理的性質。熱収縮である。
基本的に物体というものは、加熱されると自身の温度上昇によって、体積が膨張する性質を持つ。
温度が下がるにつれて物体はゆるやかに元の体積へ戻るのだが、その物体を急激に冷却すると、物体内部に生じる、元の体積に戻ろうとする力があまりに強すぎて、その力が物体自身を破壊してしまうのだ。
カオティック・ヴァズの装甲はあまりに堅い。劣化ウラン他、霊力の込められた鉱石の複合装甲で身をやつし、更に霊力の壁で覆い防御力を強化した強力無比の主力戦車であろうが、一撃で爆破粉砕する氷槍凍擲を軽々凌いだ重装甲である。
物理的に外部から破壊しようとするのが、そもそもナンセンスなのだ。わざわざ外側から力を加えて破壊する必要はない。体の外側が堅固なら、逆に内側から破壊してしまえばいいのである。大概のものは、内側から加えられた力に脆弱極まりないものだからだ。
なおかつ、カオティック・ヴァズは人間ではない。人間を殺傷する為に造られた、殺人ロボットである。
肉体の組成は血肉にあらず、鋼百パーセントの金属製。熱伝導は、全体の八割が水分でできている人間の肉体と比べるべくもない。
自分自身が生み出した熱エネルギーと、澄男から受けた熱エネルギー。それらを全て受け止めたことによる機体の温度変化は通常の比ではなく、そこに氷点下の冷気を大量に浴びれば、熱収縮によって生じる応力は、熾烈を極めるものとなるだろう。
いくら堅固であろうと、内側から脆くなれば、外側から力をかけて破壊するのは容易くなる。
いくら性能が並外れていようと、所詮は機械。感情という不確定要素のある人間と違って、あらかじめ決められたプログラムでしか動けないのだから、パターン化してしまえば恐るるに足りない。
後は澄男が望んだとおり、力押しで勝てる程度には弱まっているはずである。
湯気が晴れてきた。真っ白に塗りつぶされた視界が、ようやく色彩を取り戻していく。御玲は勝利を確信した。装甲が脆くなり、損壊寸前の哀れな機械を想像して―――。
「え……?」
物事の流動が時間の流れに沿って、全てが過去になっていくように、勝利への確信が過去の出来事になるのは、次の瞬間のことであった。
槍はヴァズの右腕一本、隆起した二の腕一本で止められていた。擦り傷も、焦げた跡もなく、酸化した痕跡もない。遜色なき黄緑の装甲が、槍の切っ先を、余裕をもって受け止めていたのである。驚愕のあまり、眼振を起こす。
強靭。丈夫。堅固。剛強。二字熟語で表せる耐久力ではない。熱応力をもってしても、脆弱にならない金属など存在するわけがないのだ。
熱膨張、熱収縮は物質なら全てのものに適用される物理現象。物理法則に準ずるものであれば、避けて通れない物理現象の一種である。
しかし、現実は物理法則を無視した。物理法則を無視できるとするなら、方策は限られてくる。
『御玲も兄さんも、馬鹿なんじゃないの?』
脳内に、嘲りがほとばしる。声音には軽蔑とともに、どこか愉悦感のある、甲高い声音であった。
『僕が、この僕が、生みの親たるこの僕が、熱収縮を考慮してないとでも思ってるのかい?』
「……ありえません。熱収縮による応力で壊れてもおかしくないはずなのに」
『残念。カオティック・ヴァズの装甲は百パーセントに限りなく近い純正のドラゴナイト結晶を使ってるし、あらかじめ``霊壁Lv.6``も符呪してある、超業物だよ?』
「うそ……この機体が全て……ドラゴナイト……!?」
御玲は槍を持ったまま、唖然としながらゆっくりと後ずさる。
ドラゴナイト。硬さにおいてダイヤモンドはおろか、霊力の含まない鉱石の中で最硬と言われるウルツァイト窒化ホウ素をも凌駕し、一キログラーの原石で、大国一つ分のあらゆるエネルギーを賄うことができると言われている超希少金属。
竜の化石から生成される鉱石で、採掘には山脈の最深部、地下の奥深く、もしくは海底にでも行かなければ、まず見つからないと言われているほどの希少金属の一種である。
ドラゴナイト鉱石は、大量の霊的エネルギーが、長い年月を経て濃縮されて自然界に発現した鉱石。常に強大な霊力場によって物理法則から内部構造が守られているため、物理的な方法では決して破壊することはできない。破壊するには、もっと高エネルギーをぶつけて粉々にするか、高度な魔法を駆使してデバフをかけるか、それこそ裏鏡が用いていたような、``超能力``が必要になる。
これが味方だったなら、どれだけ心強かったことだろう。今はただひたすらに厄介この上ない鉄屑だと、皮肉を漏らさずにはいられない。
「前から思ってたけどよォ……テメェには男のプライドってのがねぇのかァ……?」
澄男は、思わず本音が漏れ出ていた。ぐつぐつと沸き立つ黒い濁流に身を投げ、実の弟に口汚く言い詰める。
「人の見えないところでコソコソして、当のテメェは高みの見物。表に出る能の無いただの雑魚と何が違うってんだ」
愚弟は鼻で嗤う。兄の罵詈雑言が想定の範囲内だと言うかのように、飄々とした態度を崩さない。
『プライド突き通せばいいってものじゃないでしょ。結局、結果を出せなきゃただの間抜けさ。兄さんは果たして、どっちなんだろうね』
「馬鹿が……二度とそのクソみてぇな吠え面かけねぇようにしてやっからそこでヨダレ垂らしながら頬杖ついてろ!!」
『……うるさい黙れ……! 減らず口なんて死んじまったら叩けねぇんだよ、やれるもんならやってみやがれ!!』
霊子通信が一方的に、力強く打ち切られた。投げやりに地を蹴る。顔は般若のように歪み、紅い眼光がぎらぎらとくすんだ輝きを見せた。
彼の感情を汲み取るプログラムなど、目の前のアンドロイドにはない。砲と化した左腕の照準は、容赦なく向けられる。これまで以上の殺意が篭った視線はヴァズの装甲を焼いて融かして、ただの塊にしてしまう勢いで貫いたが、冷淡にして冷徹なアンドロイドには何の効果も、何の痛痒にも値しない。
抹殺対象に狙いを定め、殺す。ただ、それだけの作業を実行するだけと言わんばかりに。
「二度も同じ手は食らわねぇんだよ!!」
御玲の制止など、もはや無視。感情の昂りが、己以外の全ての音、気配を阻害する。
あのキャノン砲は威力こそ高いが溜めが長い。すなわち溜めている間はただの無防備になるってことだ。どれだけ威力がデカくても、溜めている間は無防備なんじゃ、ただのノロマと大差ない。
子も子なら、親も親。アイツも存外にどんくさくて、ロクに動けもしないノロマだった。親の特性が子供に滲み出てる以上、アイツはどこまでも詰めが甘い。クソ親父のせいで、いつものパワーが出ないのは鬱陶しいことこの上ないが、あのロボットの左腕をもぎとるぐらいできる。
壊せないなら、攻撃できない程度に破壊してしまえばいいただそれだけだ。四肢をもがれた人形なんざ、相手にする意味も価値もない。
「うおら!!」
荒々しい獣の如く、敵との間合いを読むだの、相手の出方を分析するだの、それらを全てかなぐり捨てて、ヴァズの左腕に食ってかかる。
左腕から、金属の軋む音がする。引き千切ろうと全力で引っ張るが、ヴァズの左腕は堅固であった。引き千切ることも、歪ませることもできない。まるで、曲げることも壊すこともできない鉄の棒を持っているかのようである。
「澄男さま、無理です!! やはりここは連携を……」
「うるせぇ!! 俺も男だ、こんなオモチャにパワーで負けるワケにゃあ……!」
槍を突き立てていた御玲を、剛腕な右腕で払いのけると、槍の防御から解放されたヴァズの右腕は、澄男の頭部に狙いを定める。
ごっ、という鈍い音が響いた。空中で盛大に回転するそれは、ゴミのように地面へ転がり落ちる。
払いのけられた御玲が先に立ち上がった。そう遠くへは飛ばされていない。損傷も軽微。まだ戦える。
転げたときに手放した槍を手に取り、ヴァズへと向き直ろうとした刹那。彼女の視界は、純朴なまでに、ホワイトアウトした。
沸騰する血肉。踊り狂う臓腑。叫ぶことも、助けを乞う暇もなく、五感の暴走が神経回路を伝わって大脳新皮質を駆け巡り、暴虐の嵐が肉体を引き裂く。
意識は速やかに混濁、思考をするほどの判断力、注意力は一瞬にして灰燼に帰した。
「ごぽ……」
気がつけば、地に沈んでいた。
視界のホワイトアウト、肉体の沸騰とともに身体の炸裂感が襲ったと思いきや、その煉獄を堪能した後、薄れいく意識の中で、自分自身が地に沈み、もはや戦うだけの力が残っていないことを、本能で悟る。
身体からは湯気が出ている。痛くて熱くて、動かせない。絶え間なく襲う嘔吐反射。あまり美味とはいえない、苦くて舐め慣れているはずの鉄の味が、何度も何度も、舌を撫で、口元から溢れ出ていくのを、僅かに残った触感が感じ取った。
遅れて澄男も目覚めた。頭部に一撃をもらい、復帰までに時間がかかったが、何のことはない。
顔面や脳天を殴られるなんて今までままあることだっただけに、もう慣れた。頭を殴られたぐらいで昏倒して、気絶してしまうような雑魚ではない。
ゆっくりと立ち上がり、戦場を俯瞰する。
「み……れい……?」
そこには地面に生ゴミの如く打ち捨てられた御玲と、右腕と左腕を交差させた状態で、器用に静止しているヴァズの姿があった。
ヴァズの右腕は言うまでもなく澄男に向いている。だが肝心なのは、左腕。彼の左腕はものの見事に完璧に、死体の如く転がりこんでいる御玲へと向いていたのだ。
澄男を殴り飛ばすと同時に、溜めていたキャノン砲で御玲を空かさず狙撃。澄男は左腕に注意がいっていたので、右腕の存在に気づけなかったのだ。
御玲は突貫した澄男に気を取られた挙句、右腕に弾き飛ばされて、すぐ反撃に出られなかった。まさに奇跡と言わんばかりのタイミングで、二人が同時に地面にダウンしている。
奥底から冷たいものが湧き上がった。これを焦り、というべきなのか。
手汗が滲んで多少の気持ち悪さを感じつつ、避けたくても避けられない、逃げたかったけれど、逃げられない厳然たる事実を、脳内で走らせる。
対澄男殺人アンドロイド、カオティック・ヴァズ。奴は確実に``学習``している。つまり、``成長``しているのだ。
最初はただ単調に、破壊力と装甲の厚さにものを言わせる、単純明解な力押しだった。
でも今の戦いには明らかな``戦術``があった。二人の隙をついて、確実に殺してやるという戦術が。
まだ戦術としても単純ではあるし、まだ殺すまでには至っていない。それでもヴァズの戦いには着実にして確実な殺意が、込められつつある。
オモチャは成長などしない。ただ持ち主の思うがままに動かされるだけの物。``者``ではなく``物``でしかないという単純な差は、どれだけ高性能な``物``を作ろうと、``者``には敵わないという事実の証明でこそあった。
だが、目の前の``物``は違う。成長という過程を手に入れている。経験を活かすだけの能がある。
ただのプログラムの羅列を復唱するだけに飽き足らず、己が培った経験をもとに、新たなプログラムを書き下す機構を持ち合わせているのである。
思わず、膝をついた。
佳霖によく分からないものを体内に打ち込まれ、全快ではない。あらゆる攻撃が通じず、相手の装甲を打ち抜けない。ならば、残された選択肢は一つ。
ゼヴルエーレから授かった恩恵、いや、天災というべき力。不可能を無理矢理に可能にする無法。身勝手を強制的に具現化し、現実を力づくで捻じ曲げる奥義。焉世魔法ゼヴルードで消し去る以外に手段はない。
だが、アレの発動にはしばらくのタイムラグがある。それを埋め合わせるための陽動役がいなかった。
御玲は、ものの見事に霊力キャノン砲の直撃弾を受け、瀕死の状態。手を打とうにも、手を打つための手がない。手が足りないのだ。
ヴァズの性能のみならず、自分自身の状態、戦場の状況。その全ての都合が、作為的なまでに負けるように仕向けられているかの如く、悪い。
今までなら、勢いだけで、力押しのみで、なんとかなっていた。十寺に対して暴走したときも、エスパーダに八つ当たりしたときも。
裏鏡に関しては、ゼヴルエーレの思惑どおりに動いたら、向こうがなんか知らんが勝手に退いてくれたから厳密には力押しじゃないけれど、概ね滅茶苦茶なパワーに身を任せていたらなんとかできたのだ。
でも、今回は違う。どうにもできない。純粋素朴に純然に、詰みだ。
今の状況を己の都合の良い展開に覆せる最大最強の手立ても、それをなすだけの力も、なにもかも持ち合わせがないのである。
``戦いは力だけじゃない、情報も大切だって言いたいんだよ``
突然、脳裏に愚弟の声がよぎった。霊子通信でもなければ、幻聴でもない。もういつだったか、どんなときに聞いた言葉だったか、もうほとんど思い出せないけれど、ただそれだけの言葉が、脳裏に何度も、何度も、何度も、よぎった。
戦いは力だけではない。情報も大切。敵の位置や性能、特性を把握して、どうやって攻めるかを考える。情報を集めて、選りすぐって、必要な事柄から戦略を組み立て、戦術に昇華する。
視線の沿線上に映るは、カオティック・ヴァズ。狙いを定め、澄男を屠らんと次の攻撃を無感情に実行しようとしている。
今思えば、澪華を守れなかった理由もなんとなく分かってきた気がする。
自分は強い。英雄の名をほしいままにしてきた母親の下で修行に明け暮れ、大半の奴らは怖がって近づこうとすらしない魔生物を、一日に幾百もぶっ殺してきただけに、自信はあった。
だがありすぎたのだ。いくら数があろうと負ける気がしない魔生物。澄会の腹から生まれたことで得た戦いの才覚。
それらさえあれば、なんとでもなる。父親が歪んだ理想を下に植えつけた無法の力を差し引いても、自分は自分を評価しすぎた。
まさに、過大評価というやつである。必要なのは、強大な力。自分に敵対する奴ら全てを一方的にブチのめし黙らせる圧倒的暴力。それさえあれば無敵だと、いつしか信じるようになってしまった。
だが、もう遅い。力のみを信じ、それ以外の全てを投げ出してきただけに、今回ばかりは白旗を揚げるしかない。
この戦いで白旗を揚げるとは、すなわち死。戦いの敗者にあるのは、戦いに負けたことへの償いだ。そして、久三男との約束が生か死かなら、残された道は死のみ。
カオティック・ヴァズは、やや前かがみになる。がこん、と顎が外れ、背中から大量のヒューズのようなものが飛び出す。
開かれた顎から、白い光の粒子が集まる。
霊力が収束している。それも、左腕のキャノン砲とは比較にならない威力のもの。どうやら、久三男との約束が生か死かなら、残された道は死のみ。どうやら、久三男から派遣された殺人アンドロイド様は、勝負をつけるつもりのようだ。
むなしく息を吐いた。今まで子供が駄々をこねるように、学生がわけのわからない屁理屈をこねるように、都合の悪い事から目を背けてきたのだ。
今回は潔く、現実を受け入れよう。戦争じゃ、なんだかんだ言って弱い奴が死に、強い奴が生き残る。久三男は前衛戦力としては軟弱だったが、自分なりのやり方で、実の兄を殺すという目的を達成した。
その点、どうだろうか。ババア譲りのパワーとクソ親父に植えつけられた無法をもってして、最愛の澪華を守れず、ババアを死なせ、挙句クソ親父のクソみたいな理想に振り回される始末。
己の腰にしがみついていたあの愚弟は、いつしか兄の背から離れ、自分の力で立ち向かう術を編み出していやがった。ただ力に溺れ、力を弄する以外に芸がなかった兄と違い、アイツは自分の目的のため、そのために必要な努力を、全力でしていたんだ。
魔生物狩りが沢山できるただそれだけで強くなった気でいたかつての自分が、クソに見えてくる。
「フッ……強くなったじゃねぇか……久三男」
粒子の収束が終えた。白銀の死が迫る。ガラス片のパーティクルは回転速度を加速させる。カオティック・ヴァズの口から、雪白の彗星が放たれた。
高出力で放たれたそれは、膨大な衝撃波とともに周囲の全てを洗い流し、あらゆる全ての景色を真っ白に染めあげていく。
絶大な光量と熱量。それら全てを鱗滲む黒色の肌で感じながら、視界は真っ白と化し―――。
「うお!?」
真っ白に化した、と思われた。
全てを葬り去らんとする彗星に視界を潰された矢先、何故か視界は再び黒く塗りつぶされたのだ。おそるおそる周りを見渡すと、口から大量のビームを出しているヴァズの姿があった。
確か、真ん前にいたはず。なのに、どうして真横にいる。何が起こったかを予想するなら、転移。空間転移で直撃の寸前に飛んだとしか考えられない。今は技能球を持っていないし、この場でそんな大それた魔法を使える奴はいない。
ヴァズはまだ、極太光線を口から吐き散らかしてて察知が遅れている。なにがなんだか分からんが、早く体勢を立て直して奴の背後を―――。
「パァオング! どうやら間に合ったようだな」
空を見上げた。声音は紳士的だが、どこか尊大さを滲ませるその声に、思わず歪な表情を浮かべてしまう。空にはふわふわと浮く、一匹の象がいた。
象といっても、本物の象ではなく、象の姿をしたぬいぐるみだ。頭に金の王冠を載せ、体色は暗い青色をしているが、それよりも可愛らしいフォルムをしている割に、その象のぬいぐるみの眼光は妖しくも黒光りしていたことが気になる。
死んだ目をしているのに、その奥底には薄暗い輝きがあるように思えるのが、不思議でならない。
「ありがとうございます。では、皆さん。手筈どおりにお願いしますよ」
背後からも、妖しげな声音。振り向くと、身長百八十はありそうな紳士が見下げていた。
パオングとは裏腹に、その印象は全てが暗黒。いや、常闇というべきか。なにもかもが闇で覆い尽くされているような、曖昧な感覚。
相手はたしかに人だ。しかし人ならざる暗黒の何かが、とぐろを巻いているように思える。第六感が、そう告げている。
紳士は眼鏡の位置を少し直し、驚くほど淀みのない真っ黒な瞳で見つめてきた。
「お、まえ……あくのだいまおう……?」
おそるおそる呟く。当然だ、目の前の紳士は顔見知り。それもつい最近、情報を引き出して地下牢にブチ込んだ奴らの首魁。今はまだ牢屋の中にいるはずの奴が、何故か牢屋にブチ込んだ張本人を見下ろしているのだ。
「ど、どういうことだ……? なんでお前が」
「弥平さんに言われましてね。澄男さんと御玲さんを助けてほしいと」
「弥平が……?」
「はい。あの人なら今、久三男さんに捕まってしまわれました。私は入れ替わりで脱獄……あ、釈放と」
やっぱり捕まってたのか。どおりで連絡が全く無いわけだ。でも捕まったということは、まだ奴は生きてるってことでいいよな。
「澄男さん、貴方と交わした契約を今、ここで果たさせていただきますが、よろしいですよね」
「契約……?」
「デモンストレーションですよ。私達の実力、試したかったのでしょう?」
あぁ、と空返事をする。そういえばそんな約束をして、地下牢にブチ込んだんだった。
忘れていたわけじゃないが、当初の予定だと親父との戦争のときにやってもらおうと思ってたのだが、よくよく考えればそれだと意味がない。
「分かった。でもその前に……」
「御玲さんですね、分かってますよ。カエル!」
「なんすか旦那!」
「あそこに寝ている瀕死の彼女に、アレを」
「ぇあ? おほ、あんなところに血だらけの女が落ちてんぜヒャッハー!!」
「待てやカエル!! まずボクがあの子のマ◯コに一本マン足バーをブチ込むのが先だ!!」
「は? ざけんじゃねぇ、まずはこのアマのケツ穴にしこたま溜まってる糞を食い尽くす俺が先だろ。オメェらみてぇな糞はすっこんでろ糞が」
あくのだいまおうの背後から現れた、三匹の異形。
パオングと同様、ぬいぐるみのような姿したそれらは、血だるまとなり瀕死の状態の御玲に集り、輪を作って囲い始める。
全身黄緑色、何故か右目に眼帯をしている二足歩行の蛙。何故か裸エプロンを着ている中年の男。そして、般若のように顔を歪め、御玲のスカートに潜り込もうとする、白い翼を生やした熊。
ぬいぐるみと言わざる得ないファンシーな容貌とは裏腹に、彼らの口にする言の葉は、あまりに薄汚い欲望に塗れていた。
「カエル、早くお願いします。死んでしまいますし」
「ほいさ、りょーかい!!」
血だるまの御玲を取り囲み、その場で小躍りする裸エプロンの中年男と、スカートの中でもそもそしている熊のぬいぐるみを払いのけた二足歩行の蛙は、御玲の前で仁王立つ。
大きく息を吸い、蛙の腹は膨れていく。細長い両腕を目一杯広げると、カエル総隊長は御玲の胸に手を当てた。
「久しぶりにいくぜ!! 秘技``蘇・生``!!」
刹那、カエル模様が描かれた緑色の魔法陣が彼女を取り囲んだ。
御玲の身体が黄緑色に神々しく輝くやいなや、彼女に傷という傷が、血という血が、身体の中へ収束し、みるみるうちに修復されていく。
「大丈夫ですか、御玲さん」
あくのだいまおうは、むくりと身を上げた御玲に手を差し伸べる。彼を見るや否や、御玲のはあからさまにしわを寄せた。
「弥平さんからの命令でしてね。いやはや、この私。二人から同時に交わした契約を果たさねばならなくなりましてね」
「……」
「まあ言いたい事は分かりますよ。さて、そろそろ反撃といきませんか?」
「……色々とアレだがしゃあねぇ。今はガタガタ言ってる暇があんならあのオモチャ片付けねぇとな」
「はい。カエル、シャル、ナージ、ミキティウス!! 貴方方は前衛を、パオングは後方で支援魔法を」
「「「アイアイサー!!」」」
「パオング!! その我欲、叶えてしんぜよう」
「澄男さんも前衛。御玲さんは私の指示で陽動を。いけますか?」
「いつでも」
「言われるまでもねぇさ」
何が起こったのか半ば把握しきれていない中で、有無を言わせないあくのだいまおうの言葉に身を任せる。少なくとも窮地から脱したという安堵感とともに、凛とした返事を返したのだった。




