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悲劇

 短い黒髪を夕焼けの微風で靡なびかせながら、ただ一人、俺は廊下の窓際にもたれ、暇を潰していた。


 退屈すぎる。何回間抜けに欠伸をしただろうか。


 澪華(れいか)が生徒会室で事後業務を始めてから既に一時間。ずっとこの場で立ちっ放しだ。万年インドアの愚弟と違い、一時間立ち尽くしている程度で疲れはしないが、やはり退屈なものは退屈である。


 余りの退屈さに何か面白い事でも起きないものかと愚痴りたい気分だが、早く行ってやらないと弟―――流川久三男(るせんくみお)が待ちくたびれてしまう。


 ゲームか何かが常に無いと発作が起きるとかなんとか、意味不明なことを話されては堪らない。本当に限界がくると高等部にまで走ってくるだろう。


 何故か一人で帰ろうとしないのだ。もう今年で十五なのだから、一人で下校くらいして欲しい。そうでなければ―――。


 澪華(れいか)の微笑み姿を脳裏に過ぎらせる。俺は未だ、澪華(れいか)と二人きりで下校したことがない。


 原因はいつもいつも腰巾着の如く付いてくる愚弟が一人で下校してくれないせいだが、今度ばかりは二人きりで下校しなければならない理由がある。


 今日は三月十六日。我が唯一のガールフレンド、木萩澪華(きはぎれいか)の誕生日である。


 誕生日プレゼントを買うためにも、誕生日を忘れてた罪を贖うためにも、今日は絶対に二人きりで下校したい。


 下校しながらいつもの他愛ない掛け合いのような会話をして、誕生日プレゼントを買ってあげて、もうすぐ家に帰るという直前で、そして―――。


 帰る直前でチンピラみたいなのに絡まれて、ソイツらを全員ぶん殴って、澪華(れいか)を救うくらいの展開があったなら尚良い。


 救ってくれてありがとう、といつもの可愛い、いや可愛過ぎて悶死しそうになる笑みを返してくれる澪華(れいか)


 いやいやんなもんお安い御用よ。なんたって俺は流川(るせん)家の跡目だぜ、と胸を張って誇る俺。


 身分の差こそあれど、そこから始まる二人の甘酸っぱいプレリュード―――。


 そう、俺は流川(るせん)家の次期当主候補筆頭。この武市(もののふし)を建国した、強大な一大勢力の末裔。


 創設二千年の栄誉を飾り、連戦無敗の伝説さえ打ち立てた英雄の血筋。一般市民の澪華(れいか)とは、身分に明確な差がある。


 敵対勢力にマークされないよう、久三男(くみお)ともども流川(るせん)家の血族であることを、ババアの根回しで伏せてある。母親からも絶対に誰にも言うな言ったら破門だかんな、と釘を刺されているくらいだ。


 でも。それでも。


 俺は今日、己の素性を澪華(れいか)に話そうと思っている。澪華(れいか)と死ぬまでいられるなら、たとえ流川(るせん)家を破門されたって良い。


 周りに反抗的態度ばかりとって、クラスから学年から腫れ物扱いされた自分を唯一友として引き入れてくれた澪華(れいか)


 素性もよく分からん俺を心から信じてくれた澪華(れいか)


 アイツと一緒にいられるなら、英雄の血筋も、流川(るせん)家の代紋も、次期当主の肩書きも、何も要らない。


 澪華(れいか)を守れるだけの力があれば、それで良いのだ。そのためなら一般市民に落ちぶれたとして、何の後悔もない―――。


 ふっと息を吐く。柄にもなくまた考え込んでしまった。


 澪華(れいか)と出会ってからというもの、アイツの事になると考え事に耽ったり、あれやこれやな妄想に耽ったりと、脳味噌が忙しない。


 澪華(れいか)と出会う以前は、来るべき戦いに備えよとか、音量調節の芸をどこかに置き忘れてきたクソゴリラババアに毎日毎日しごかれ続ける日々。


 寝てる時と飯食ってる時以外は戦いと相手に勝つことだけしか考えた事がなかった。いや、それ以外考える暇がなかったが正しい。


 常に非力な久三男(くみお)はともかく、俺は流川(るせん)本家派当主候補。澄会(すみえ)の期待を一心に受けていた。


 一に戦い、二に戦い。三、四が無くて、五に戦い。


 そんな生活でも不満は無かった。戦いの事ばかり考えさせられる環境にこそいたが、存外戦いや喧嘩の類は嫌いじゃない。むしろ好きなくらいだ。


 机の上で文字書いたり、数式書いたり、やるだけ何の面白味も無く、勝っても負けても同じ意味にしかならない体育の授業よりも断然楽しい。況してや好きな女を守れて、気に入らない奴を無条件でボコれる。最高に楽しい生き方だって、今も思っているくらいだ。


 唇を歪ませて舌を打つ。


 突然ババアにボコられてこのガッコウに通うことになったのが、もはや去年の話。


 それから一年経った今、俺の考えや生き方に賛同する人間は、久三男(くみお)澪華(れいか)を除いて誰一人いやしない。


『戦いが好きだなんて、澄男(すみお)くん変なのー』


『自衛の為ならまだしも戦争なんてやだよ。死にたくないし痛いのやだし』


『強くなるとか喧嘩とかよりみんなと一緒に遊んでる方が楽しいよな。コイツ頭おかしいんじゃねーの』


『ゲームと現実の区別くらいつけろよ転校生!』


『喧嘩とか戦いとかそういうのって他人の事を考えられない馬鹿がやる事だろ。もしくは厨二病末期患者』


『そういうの何て言うんだっけ。思い出した、キチガイだ!』


澄男(すみお)君、また喧嘩? どうして喧嘩ばかりするの。どうして先生達の言う事が聞けないの』―――


 はぁ、と大きく溜息を吐き、額に手を翳す。


 糞みたいな記憶が思い起こされてしまった。正直こんなことを思い出す気は毛頭無かったんだが。


 クソババアから武市(もののふし)は実力主義、能力主義の世界だからとか言われてたときがあったが、どこがなんだろうか。


 冷静に考えれば、戦闘能力を持たない一般人がほとんどを占める中威区(なかのいく)の奴等に期待をしたのが、そもそも間違いだったのかもしれない。


 それだったら、行きたくなかった。


 元より行く気など母親にボコられなければ毛程も無かったし、澪華(れいか)がいなければ数日だけ行ってサボっていただろう。


 ただそれでも、ガッコウに行くという余計な作業をしている感は否めない。こうなるのが分かってたなら、絶対に行かなかったのに。


「あのゴリラババアの考えている事はほんっと分かんねぇ」


 黒い感情を吐き捨てる勢いで、大きな溜息をつく。地平線に三分の二が沈んだ橙色の太陽を、虚ろな目でぼうっと眺めた。


 本当に退屈だ。


 澪華(れいか)といる時は楽しすぎて時間があっという間に過ぎるのに、その澪華(れいか)がいなければ時間の速度がこんなにも遅く感じる。


 こういう時に面白い何かが、窓をぶち破って飛び込んでこないだろうか。日頃から久三男(くみお)が見てるアニメみたいな事が起これば、世話ないが―――。


「うお!?」


 胸糞悪さと鬱屈さ、虚しさを抱きながら、非現実に思いを馳せていたのも束の間だった。


 隣の窓が突如轟音を立てて破裂し、破片が廊下の至る所に飛び散る。


 事態の把握より先に、鍛え上げられた条件反射で防御の構えを取ると、窓ガラスの破片から身を守りながら、目を細くした。


 空中を四方に舞うガラスの破片と共に現れたのは、紺碧の髪をなびかせ、青色の装飾が施された槍を片手に、宙を薙ぐ少女。


 胴体には体格にあった軽い鎧をしているが、一番気になったのは明らかに鎧や槍などの武装に似合わないメイド服を着こなしているところか。


 身長は割と低い。年は同い年か一つ下ぐらいに見える。


 武装をしてはいけないなどという決まりごとのない武市(もののふし)において、武装している人間は珍しくない。


 ただ武装に紛れるようにメイド服を着ている人間は、今まで見たことがなかった。


 メイド服自体が装備なら、真面目な話まだ理解できる。俺の目利きじゃ、装備なのかただのメイド服なのかは、見当つかないけど。


 ただ服自体は、かなり作りこまれているのが分かる。見るからに上流階級の何者か。


 でもメイド服を装備として愛用している奴なんて、身に覚えはない。そもそも髪が青色なのが謎だ。


 胸は澪華(れいか)より小さいから年下か。貧乳は趣味ではないのだが、しかし勢いでなびく青いポニーテールがなんとも―――。


澄男(すみお)さま。緊急事態に際し、お迎えに上がりました」


 状況分析よりも先行してしまった男の性は、紺碧色の髪を宝石のように輝かせる少女の一言によって、強制的に引き戻される。


「……は?」


 あからさまに、顔をしかめた。


 どうしてこの女は、俺の名前を知っている。青い髪の女と親友になった覚えはない。いたら興奮と嫉妬の余り覚醒した久三男(くみお)にリア充破壊光線をぶち込まれ、お陀仏していてもおかしくないのだが、実は幼馴染だったとかだろうか。


 いや、それにしては登場がダイナミックすぎる。


 窓突き破って名前も顔も知らない男に会いにくる幼馴染とは、どこのギャグ漫画のヒロインだ。


 ハートフルなギャグ漫画があれば、そっち系にクッソ詳しい久三男(くみお)に是非薦めてやりたいところだが、そんな事より。


「いや……うん。何が何だかわかんねぇんだけど、とりあえず。お前誰よ」


「話は後。私は貴方方を護衛する為に此処に来ました。久三男(くみお)さまは何処にいらっしゃいますか」


「いや待て。マジで待て。護衛って何? お前何の話してる」


「ですから貴方方流川(るせん)の者を狙う何者かが近づいてきてるんです! 久三男(くみお)さまの居場所を……」


「は? 流川(るせん)? ……待てやこら。なんで俺の苗字を知ってる。何モンだテメェ」


 声音に明確な敵意を宿らせる。少女の手に握られた腕を目一杯振りほどき、強く睨んだ。


 明確な威嚇を感じ取った少女は、己を落ち着かせるように深く呼吸。顔を上げ、俺に負けないほどの凛々しい蒼碧の瞳を向けてきた。


「私は流川(るせん)本家派側近水守すもり家現当主。水守御玲(すもりみれい)と申します。先程は申し遅れてしまい、面目次第もございません」


 これが証拠の代紋です、と美しい水色であしらわれた盾の紋章を見せ、御玲(みれい)と名乗るそのメイドは、深々と頭を下げる。


水守(すもり)……家……現当主つったらまさか。``凍刹(とうせつ)``!? 凍刹(とうせつ)御玲(みれい)か!?」


 俺に両肩をがっしりと掴まれ、煌びやかな眼光で迫られながらも、はい、と静かに返事をした。


 目の前の事実に、驚嘆の渦へそのまま呑みこまれる。


 流川(るせん)水守(すもり)みたく、人間社会に属さず、先祖代々戦いのみで生きる血族は、俗に``暴閥(ぼうばつ)``と呼ばれる。


 そして素性を隠す名目と、存在自体に栄誉を称える名目で、当主は暴名(ぼうみょう)と呼ばれる二つ名で呼ばれるのが普通。


 ``凍刹(とうせつ)``とは、まさしくコイツの暴名(ぼうみょう)。大概の暴閥(ぼうばつ)なら、知らない奴など一人もいないくらい有名だ。


「いやぁー……凍刹(とうせつ)っつーからてっきり男かと思ってたが、まさか俺とほぼ同い年だったとはなー!」


「納得して頂けましたでしょうか」


「ああ。そういや母さんが近々腕利きの近衛がつくぞー、とクッソキモい笑顔で呟いてたのすっかり忘れてたぜ」


「左様で。ところで澄男(すみお)さま、此処に居てはいずれ人が来ます。久三男(くみお)さまの下へ」


「そうだな。まあお前が窓からダイナミック登校してこなきゃ……」


 と、呟きながら特に理由もなく背後へ振り向いた。ただ単に人が来ていないか確認しようとしただけだったが、俺は時間が止まったかのように動けなくなる。


 御玲(みれい)は俺の異変に気づいたのか、首をかしげて顔色を伺う。


「……なぁ。お前が窓突き破って何分経った?」


「え? えっと……三十秒か一分か。そこらでは」


「お前、いずれ人が来るって言ったな」


「はい……言いましたが」


「今俺等がいる廊下にある隣の部屋ってさ、生徒会室なんよ。そんで生徒会の事後雑務してる俺の友達がいんだが」


「え……?」


「普通、窓ぶち破る音したら、すぐかけつけるよな。近くにいる誰かが。特にここ、生徒会室のすぐそこだぜ」


 言わんとしている事を察し、固唾を呑む。


 普通に考えれば窓を破壊するほどの轟音が校舎内に響けば、嫌でも誰かがすぐ駆けつけるはずだ。


 生徒でも先生でも、下校時間から一時間以上経っているとはいえ、窓を破壊する音が校舎内に響けば即騒ぎになってもおかしくない。


 特にここは生徒会室前の廊下。生徒会室は目と鼻の先。


 澪華(れいか)が生徒会室に入っていくのを確認している。つまり部屋には彼女を含め他にも生徒会役員がいるはず。


 でも御玲(みれい)が窓を破って暫く、ちょっとした会話をする程度の余裕があった。なのに何故、何故。


 誰も生徒会室から出てこない―――。


「テメェは久三男(くみお)んトコ行ってろ!! アイツは中等部の一階だ!! 教室はテメェで探せ!!」


 廊下を蹴り壊す勢いで地を蹴り、御玲(みれい)の制止など聞かず、一方的に言い放つ。


 生徒会室の引き戸に手をかける。だが手をかけた瞬間、今までに感じたことのない薄気味悪い寒気が、背骨で暴れ回った。


 端的に言うと気持ち悪い。まるでこの扉の先に見たことがないような、醜悪でおぞましい何かがいる。そんな脅迫的観念が、俺の背にもたれ掛かってくる。


 何の根拠も証拠もない、ただの野生の勘だ。


 でも激情と衝動に駆られている俺が。どんな時も猪突猛進の限りを尽くしてきた俺が。


 一瞬でも戸を開けるのを躊躇う絶大な不気味さに、第六感が盛んに信号を放っている。


 ぎりっと歯を食い縛る。


 何やってんだ。何があろうと澪華(れいか)を、愛する澪華(れいか)を守ると決めたじゃないか。


 たとえ流川(るせん)家を破門になろうが関係なく、どんな巨悪に追われようが関係なく、澪華(れいか)を守り、そして生きる。その為なら何でもやると誓ったじゃないか。


 なのに何故、躊躇とまどっている。手を震わせている。脂汗を垂らしている。


 ここに転入し、澪華(れいか)に出会ったその時から、腰の左側に携えたこの刃、力、技―――持ち得る全てで澪華(れいか)を守ると心に決めていた。そして今、澄会(すみえ)との一方的な模擬戦以外で、俺の確固たる意志で、剣を振るい研鑽した技で、敵を屠る時が遂に来たんじゃないか。


 意を決し、勢い良く引き戸を開けた。今にも壊れてしまいそうな雑音とともに、左手で剣を構える。


 生徒会室一杯に広がるほどの大声で、守るべき者の名を、愛する女の名を、強く、強く叫んだ。


澪華(れいか)ぁ!! ……ぇ……?」


 そこにいたのは、学生服を全て脱がされ、ほぼ裸体に剥かれた女子高生。そして四、五人くらいの、全く同じ模様の覆面を被った集団だった。


 裸体でぐったりと床に伏している女子高生を取り囲み、引き戸を破壊する勢いでこじ開けた俺に虚無の視線を浴びせる。


 俺は本来隠されているべきアレを見て、後ろに一歩後ずさる。


 その覆面の奴等の股間から伸びているそれは、夕焼けに照らされ、何故かワックスでも塗っているかのように、光を散乱させていた。


 よく見ると床には至る所に水の跡があり、水の跡の間を縫うようにして、牛乳でも口から吹いたようなものが付着している。


 どういう状況なのだ。なんでコイツらは目の前で裸体の女がぐったりとしているのに、顔色一つ変えない。


 そもそもなんで女は裸。服からしてうちの学生なのは明らかだが、一体こいつらはその女で何をしていた。


 喉が鳴るほど強く、固唾を飲み込む。


 なんで生徒会室がこんなに水浸しなのか。床に散らばる白いのは何なのか。そもそも、そもそも―――。


「理解できない……いやしたくないという顔をしているね。``流川(るせん)``澄男(すみお)君」


 生徒会室の奥から聞こえた凛々しい男の声音に、覆面の者どもは道を開ける。


 俺の目線の先に、生徒会長の席にふんぞり返る眼鏡をかけた優男。尊大に足を組み、生徒会長十寺興輝(じてらこうき)と書かれた札を、机の左側に寄せる。その男からは、隠そうとしても隠せない品行方正さが、佇まいから滲み出ていた。


 顔から足まで、全ての所作が凛々しさの表れともいえるくらい、その姿は学校内の生徒の長、生徒会長に相応しい容姿をしている。


 だが一つだけ、品行方正さと凛々しさからかけ離れているところを挙げるなら―――死んだ目をしている。


 何もかもに絶望し切った、腐敗臭を鼻腔を撫でた。


「お前……生徒会長だろ!? 女が倒れてんのに何黙って傍観してんだよ!!」


「……はは。あの方から聞いていた通り……傑作の馬鹿だな。この状況を見て察しがつかないとは」


 これなら事は難しくなさそうだ、と十寺(じてら)が薄ら笑いを浮かべながら呟く。その態度に、俺は近くにあった机と椅子を力一杯蹴り飛ばした。


 机等は吹き飛び、生徒会室の窓が叩き割られるが、十寺(じてら)は最低限の動作だけで難なく避ける。


「テメェ……!! もういっぺん言ってみやがれ……!!」


「僕に怒るよりさ。先に言うべき事、あるんじゃないの」


 半ば嘲笑気味の十寺(じてら)は、俺から放たれる髪を逆立てさせるほどの殺気をいとも簡単に受け流す。


 怒りという名の激情に駆られ、一瞬やるべきを見失った俺は、盛大に歯軋りをしながら``言うべき``台詞を望みどおり言い放つ。


「……澪華(れいか)は。澪華(れいか)をどこにやったァ!!」


「そこにいるじゃないか」


「アァ……?」


 十寺(じてら)は意気揚揚と床に伏している全裸の女子高生を指差した。俺は眉間にこれでもかと皺が寄せる。


「テメェふざけてんのかァ……こんなんが澪華(れいか)なワケ」


「こんなァ……? こんなって言ったね君ィ……腸が捩れる程の傑作だヒヒヒヒヒハハハハハハハ!!」


 刹那、唐突に十寺(じてら)から狂人地味た笑い声が放たれ、生徒会室を震わせた。


 十寺(じてら)の豹変振りに思わずたじろぐが、お構いなしと叫び散らすように、全生徒の頂点に立つ存在は、狂乱するが如く生徒会長席で転げ回った。


 その姿は、まるで別人。


 凛々しさと正義、真面目の塊の生徒会長が嘘のように、奴の威厳や言動は、もはや見る影もなく腐っていた。


「何がおかしいィ!!」


「……だからさァ。そこに倒れてるソレ、澪華(れいか)だから」


「……ぇ……?」


「逆にどうして澪華(れいか)以外の女を連れてくる必要があるんだい? そんな事する利点無いよねェ?」


「は、は……? え」


「だーからソレ、澪華(れいか)ちゃんだよォ? さっきまで愛し合ってたんだよォ?」


 おい誰かそこのガキに澪華(れいか)の顔見せてやれよォ、とほぼ情緒不安定の狂人と化した十寺(じてら)が覆面に指示を飛ばす。


 覆面の一人が女子高生の髪を鷲掴みにし、ソレの顔を俺に見せた。


 絶句。


 澪華(れいか)と言われたその女子高生``だった何か``の顔面は、床の汚れや髪の毛、白濁した何かなど。もはや何が付いているのか分からないくらいに色んなものが混ざり合って、こびりついて、ドロドロになっていた。


 一目見ただけでは、澪華(れいか)だとは分からないくらい人相が変わっている。


 少なくとも俺は誰なのか分からない。澪華(れいか)と言われても、到底信じられない。信じたくない。


 嘘つくのも大概にしろよ糞野郎が―――いつものテンションなら言えた。だがあまりに現実離れした事態に、いつもの罵詈雑言すら喉に詰まる。


 左手から矛が溢れ落ちた。一歩、二歩、三歩。後ろへ下がる。女子高生だったものが一歩近づく度、一歩下がる。


 俺の後ずさる姿を見るや否や、げらげらと狂ったように笑い続ける十寺(じてら)の表情からふっ、と全ての感情が消える。


 刹那、澪華(れいか)の頭を鷲掴みにしていた覆面の首が、真っ赤な噴水とともに空を舞った。


「おいお前、俺の澪華(れいか)に何してんの。殺すよ」


 とか言いつつもう殺してしまったり、とまた再びけらけらと笑い始めた。


 何だ。何なんだコイツ。


 さっきまで頭のネジが外れた異常者みたくげらげらしていたと思いきや、無表情で仲間らしき者を平然と屠った。


 ワケが分からない。人を殺しておいて、仲間らしき者を殺しておいて、なんで笑っていられる。


「お前……ソイツ」


「んー」


「仲間……じゃねえのか」


「いや別に。いくらでも代えが効く量産品だけど」


「量産……品……?」


「そもそも捨て駒と仲間、どっちも大差ないでしょ澄男(すみお)君。どうせ同じ人間なんだからサ」


 未だ軽薄な笑みをだだ漏れさせる狂人は、床に寝そべっている女子高生的な何かが意識を取り戻したのを確認し、表情を明るくする。


 俺が言えた義理なんざないが、これは流石に頭がおかしい。そもそもやっていることが人間じゃない。


 仲間を平然と殺しておきながら笑っているし、床でベトベトになっている何かを見れば、頭も何もかも壊れた狂人に。でも次の瞬間には、おもちゃを見つけた無邪気な子供の表情に早変わり。


 怒ったと思えば嗤い、嗤ったと思えば無邪気になる。


 俺も未だ十六年程度しか生きていないガキだ。多少情緒不安定な面があると薄々思ってた。でも、これは比じゃない。


 まだ喧嘩でボコってきた不良の方が断然マシだと、胸を張って言える。人間かどうか疑うくらい気狂いした人間を間近で見るのは、初めてだ。


「分かった分かった澪華(れいか)。そう急かすなよォ、ちゃぁんとあげるからさ」


 澪華(れいか)と呼ばれたその何かは、床を蛞蝓のように這いずり、泥酔した中年の如き呂律でくしゅり、くしゅりと宣い続ける。


 何が、どうなっているのだろう。


 もう何が何だか意味が分からなすぎて、あんまりにあんまりにも急展開すぎて、脳味噌の処理が追いつかない。


 現状を理解できてない俺がおかしいのか。俺だけがおかしいのか。


 ただ単に悪い夢でも見ているだけなら早く醒めてくれ。まだ笑い話にできなくもない。


 間違いなく今まで見てきた夢の中では気持ち悪さと現実味、どれをとっても余裕のナンバーワンだ。ただの夢なら、母親や久三男(くみお)にでも話して笑い話にしてやる。


 澪華(れいか)を助ける為に、愛する人を助けられるヒーローのつもりで来た。でも今はただの蚊帳の外にされている。


 俺のよく知る生徒会長十寺興輝(じてらこうき)だった奴は頭のおかしい、人間性をどこかに投げ捨ててきた狂人。


 澪華(れいか)と呼ばれているその何かに至っては、もうぐちゃぐちゃ。


 複数の覆面の奴等に囲まれ、十寺(じてら)だったソレは女子高生だっただろう何かとおままごとでもしているかのように戯れている。こんな魑魅魍魎が跋扈する魔境に、どう適応しろというのか。


 俺の狼狽など察する気はないのだろう。十寺(じてら)は懐から何らかの液体が入った注射器を出す。


 その注射器を見ると同時、女子高生だった何かは突然身体を激しく揺らし、生徒会長の机をがたがたと振り子のように揺らし始めた。


 もはや呂律が壊滅的で、言葉と言葉の間が繋がってしまいただの奇声にしか聞こえない。


 人間というより、さながら主人から餌を待つ犬。尻尾を振り、主人の餌を待つ愛玩動物のようだった。


「これこれ、そんなに涎をだらだら垂らしても駄目だよ。これは注射って言うんだ。もう分からないだろうけどね」


 好きな所に打っていいよ、と十寺(じてら)は注射器を手渡すとソレは、注射器を無造作に胸に勢い良く刺し、ぐっと強く押し込んでいく。


 中の液体が全て体内に入ると注射器を投げ捨て、床でぐったりと寝転んだと思いきや、口の中にある全てを恥じらいもなく曝け出した。


「凄いでしょアレ。一本打つだけでたちまちトランスできる優れ物」


「……」


「どしたの。この国では違法でも何でもないはずだけど」


「……」


「まあ精神系魔術の一種だから薬物じゃないんだけどね、専用の溶媒に……」


「んなことどうでもいい!!」


 俺の怒号に、嬉々として語る科学者面から一転。つまらなそうな表情で彼を見据える。


 平坦な無表情が、俺の背筋を不快に撫で回した。


「テメェ頭おかしいんじゃねえのか!? こんな事して……人間としてどうなんだよ!? え!?」


「……はは。君に言われるなんて、心外だなァ」


 相手の怒りの吐露など何のその。十寺(じてら)は後ろで腕を組み、窓の外の景色を眺めながら、ぺらぺらと話しだした。


「君とは分かり合えるかなと思ってたんだけどね。結局同じなんだ」


「はぁ……? もういい加減に」


「君も思ってたんじゃないの。この学校の連中の無理解さに嫌気がさ」


「……それは」


「仕方ないよ。この学校の連中は皆、教師も生徒も揃って最低限を熟す程度の芸しか持ち合わせてない能無しの吹き溜まりだから」


「俺はそこまで」


「何だかんだ言って自分の平穏と安寧しか考えていない。それ以外考える能が無い。だから僕らみたいなのは異常者として排除される」


「……」


「経験、あるよね」


 十寺(じてら)の言葉に口を噤み、俯いた。


 自分の考えを理解してもらえない疎外感と周囲の無理解さ、理解意欲の無さには、確かに怒りに似た感情を抱いていた。


 転入してから澪華(れいか)に出会うまでの間、目つきが悪いだの気に入らないだの目立つだの、理不尽な因縁で後輩からも先輩からも喧嘩を売られた。


 その喧嘩を一つ残らず買って再起不能にしていく日々。正直通学するのやめようかなと思ってたくらいだ。


 喧嘩は憂さ晴らし程度にはなった。


 でもそこに魂のぶつかり合いも、大義名分も無く、ただ下らない恨みと恨み同士がぶつかり合っているだけのチンケなものにすぎなかった。まだ自宅で母親にしごかれている方が、全然マシだったと言っていい。


 澪華(れいか)に出会うまでは。


「……正直言うとさ。僕も澪華(れいか)の事が好きだったんだ」


 俺は突然の告白に、思わず顔を上げた。床に寝そべって身を捩るソレをよそに、十寺(じてら)は身を翻して歩み寄る。


「だって彼女、こんな僕にでも分け隔てなく接してくれるんだよ。こんな僕に。君にすら頭のおかしいって言われた、こんな僕にさえ」


 へたりと座り込む彼の前に来るのと同時、死んだ魚の目が塒を巻く。冷徹な視線が脳天を貫き、歪いびつに歪む唇が、恍惚な感情をぶくぶくと湧き立たせた。


「だから告白したんだ。好きです、って」


「え……?」


「何て言われたと思う」


「……」


「私には心に決めた人がいる、だから生徒会長とは付き合えません……って、言われちゃった」


「心に……決めた人……?」


「……はは。気付いてないんだ。まあそうだよね君だし。だから……」


「げはっ!?」


 刹那、俺は顔面を強く殴打され、全体重を押し付けられる。


 開けにくくなった目を全開にして、十寺(じてら)の顔を睨もうとするが、本能が目をそらせと警鐘を鳴らした。


「だからいっその事ぶっ壊してやろうと思ったんだよォ!! どうせお前のモンになっちまうくらいならさァ!!」


 もはや既に原形をとどめないくらい歪んでいる。


 一言で言うなら、醜悪。蔑みの言葉以外では、もはや例えようがないくらいに。


「うぐ……」


「なんでお前なんだよォ……なんで俺じゃねえんだよォ……なんで俺は欲しいものを手に入れられないんだよォ……」


「ぐ……」


「クッソ馬鹿馬鹿しいわ本当。柄にもなく告白なんざするんじゃなかった。最初からいつも通りやっておけば余計な作業なんてせずに済んだのに」


 必要のない痛みを味あわずに済んだのに、と俺を床におさえつけたまま、狂ったように頭を掻き毟る。


 頭を激しく揺らし、生徒会室に響き渡るくらい大きな奇声を狂ったように叫んだ。くそがくそがくそがくそがァと。


「心に決めた奴ってのがお前だと気付いた時は心底憎んださ!! お前にも澪華(れいか)にも、そしてその場の情にまんまと絆された自分にさァ!!」


「……ッ」


「何でお前みたいなのにも奪われなきゃならねえんだよォ……! ぶっ壊したら澪華(れいか)かどうかすら判別する能もねえこんな奴によォ!!」


「……」


「おいどうした何か言えよ澄男(すみお)ォ……罵倒の一つもねえなんざらしくないぜェ……」


 顔面を押さえつける足とは別の足で、胸を思い切り踏みつける。


「ぐはぁ!!」


「お前は良いよなァ。あの名家出身だもんなァ。欲しい物とか、親を使えば何でも手に入るんだろうどうせェ……」


「げはぁ!!」


「創設二千年の歴史を誇る連戦無敗の英雄ってかァ……俺からすりゃあ下を這いずる奴等を平気で踏み躙るしか能が無い糞にしか見えないけどォ」


「ぐ……はぁ……」


「それだけでも虫唾が走るくらいなのにさァ、澪華(れいか)まで自分の物にしちまうのは虫が良すぎねぇかァ……」


「ごはぁ!!」


「お前等みてぇなのはさ、正直独占しすぎなんだよ。力が強いだけで喧嘩する以外に特段芸のない凡愚なら尚更ッ!!」


「げっはっ!!」


 何度も何度も胸を踏みつけられ、蹲うずくまる俺を生徒会室の廊下へ蹴り飛ばす。壁に激突し、血反吐を吐きながら倒れこむ俺に、十寺(じてら)は俺の指に足をかけた。


「なァ。俺がどうやって欲しいモン手に入れてきたか教えてやろうか。こうやってきたんだよ!!」


「うぎゃあああアア!! 痛いいたいいだいイダイイダイイダァァァ!!」


「指砕いた程度で騒ぐなよお前あの流川(るせん)の出なんだろうがァ? こちとらお前の指以上のモン犠牲にしてきたんだっつーの!!」


「イダイイダイイダアアアアアア……ガアアアああああぐっ」


「うるせぇ。男の喚き声なんざ趣味じゃねえんだ」


 廊下の床がみるみる朱色に染まり、夥しい鮮血が俺の指だったモノからどくどくと流れ出る。


 ひー、ひーと喚く俺。軽薄で狂人地味た笑みを絶やさない十寺(じてら)


 醜悪な顔を近づけ、思っていた事を全て吐き出すかのように、奴の一方的な語りは続く。


「これで分かったろう。``奪われる側``の痛みってヤツが」


「ひー……ひーぅぐ」


「まあこんな程度じゃ全く足しにもなってないんだがな。おい、そこに落ちてる木刀持って来い」


 指示を飛ばされた覆面は床に落ちていた俺の剣を手に取り、十寺(じてら)に手渡す。


 剣の鞘を投げ捨て、汚れ一つ無い刀身を見るや否や、十寺じてらの顔は恍惚に歪み、舌で刀身をべろんと舐めた。


「さァて。生徒会長からプレゼントをあげよう」


「ま……て、やめ、ろ……なにをするき……」


「君が持ってた、澪華(れいか)を守る為に持ってたこの剣で、君に色んな痛みを教えてあげるよ。そうじゃないとさァ……モウ僕ノ気ガ済マナインダ……!」


「やめ、やめろ……!」


 不気味なまでの恍惚かつ醜悪な表情を隠さなくなった十寺(じてら)を止める者など、もう誰もいない。


 女子高生だったソレと、一言も喋ろうとしない覆面。そして狂人しかいない生徒会室でただ一人。俺の無様で痛烈な断末魔だけが、際限もなく破壊的な音色を、奏で続けた。

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