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ヴァルヴァリオンへの道中

 俺達の視界目一杯に映ったのは、氷と水しかない、あたり一面白銀に染まった世界だった。


 草木一本すら生えていない。あるのは本当に氷の大地と、氷が張った池だけ。前後左右見渡しても同じような風景が広がっていて、御玲(みれい)の後についていかなきゃすぐに迷ってしまうほど、背景に抑揚がない。


 だがなによりも挙げるべきデカい特徴といえば、とにかくクソ寒いことだ。もう来月には夏にさしかかるってのに、まるで真冬の真っ只中にいるみたいな寒さ。


 防寒着はあるが、まさか御玲(みれい)ン家の庭から出るまでの時点で、身震いするほどの寒さなんて予想だにしていない。


「うぅ……だめだ。風を遮るもんがないから更に寒さが……おい御玲(みれい)。俺、防寒着着るわ」


「かしこまりました」


 御玲(みれい)は一瞬だけ俺をチラ見すると、すぐに足を止め、前で手を組んだ状態で立ち止まる。肩掛け型のサブバッグをまさぐり、見るからにもこもこしたジャンパーを引き出した。


 これは弥平(みつひら)から手渡された流川(るせん)防寒着・特型。火属性系魔術を僅かに帯びた糸で作られた特注品だ。着るだけで効果を発揮し、保温性に優れる。


 この防寒着一枚で氷点下二十度までの寒冷地探索が有効に行えるらしく、探索に重宝するアイテムの一つとして、弥平(みつひら)が貸してくれたものである。また探知系魔術も盛り込まれており、一定温度を感知すると加熱をやめて、余分な熱を逃がす保温機構付きだ。聞くだけならかなり有能なアイテムである。


 その防寒着を広げ、素早く体に着込む。


「うおお……暖けぇ……さっきまでの寒さが嘘みてぇだ……」


 防寒着を身につけた瞬間、まるで布団乾燥した直後の布団に身を埋めたような、ほんのりとした暖かさが上半身を優しく包み込む。


「もうよろしいですか」


 暖かさを堪能してたのも束の間。俺の至福をよそに御玲(みれい)の冷淡な問いかけが、意識を現実に引き戻す。


 お、おう、と答え、俺達は再び歩を進め始めた。


 白銀に染まる雪景色を尻目に、前を歩く御玲(みれい)をじっと見つめる。


 それにしても、御玲(みれい)ン家を出てからそんなに経ってないはずだが、ものすごく気まずい。なんて気まずいんだ。


 さっきは防寒着を取り出すために声をかけたけど、その前は全然って言っていいほど話をしなかった。


 いやまあ必要最低限以外の事は話さないってのは、部屋から出る前に決めたことではあったけど、正直必要最低限以外では話さない、という状況が居るに堪えないほど気まずいとは思わなかった。


 空気も重いし、寒さも相まって耐えがたい苦痛だ。ぶっちゃけ、防寒着を取り出したのも、この重苦しく異常に寒い空気から逃れたいがためってのが強い。


 やっぱり世間話程度はするべきか。別に世間話ぐらいだったら気取られることもないし、というか俺は主人で相手はメイドなワケで、ちょっとくらい軽い話はしておくべきだ。


 比較対象がないから分からないが、主人とメイドの関係なのに何の話もしていないって方がおかしい気がする。


「こ、こほん」


 わざとらしい咳払いをし、切り出す準備に入る。


 さて何から話すべきか。流石に個人的すぎる話をするべきじゃない。そんな仲じゃないし、こう、一般的かつ当たり障りのなくて、相手が返事してくれそうな話題。


 そうだ。


「み、御玲(みれい)の庭って、意外と広いんだなー……」


 空を見上げながら、若干裏声で呟く。


 大概、こういうときって「今日は良い天気だな」って始めて盛大に爆死するというコミュ障典型の展開がありがちだが、俺はそれを予想した上で、あえて奴の身の回りに関する話題を投げる。


 これなら相手は絶対必要最低限の返答はしなきゃならなくなるから、今日は良い天気だな、からの、そうですね、で話が終わりまた気まずくなるという状況を回避できる。俺も本気を出せばこの程度の危機くらい、本来のコミュ力で回避できるんだ。


 今までは三月十六日のアレのせいで久三男(くみお)並みのコミュ障に成り果てていたが、ここで挽回してくれるわ。


澄男(すみお)さまのお庭の方が広いはずですが」


 計画通り。


 そう、俺の庭の方が確かに広い。だからこの返しに乗じ、次は俺の話を盛り込みつつ、次は御玲(みれい)が話題展開できるように問いかけを残して締めくくれば、キャッチボールは完成する。


 つまり、俺が俺の話をし、最後に御玲(みれい)が自分の話をできるように問いかけを残して締めくくる。御玲(みれい)が問いかけに答えて、俺が俺の話をできるような問いかけをして締めくくる。この繰り返しだ。


 この流れなら、理論上、無限に話ができる計算になる。


 今日の俺は、冴えている。三月十六日のアレを味わう前までの俺が戻ってきた。やっぱり俺は、天才だぜ。


「そりゃあな! なんたって本家の庭だし、ただ広いだけじゃないんだぜ? お前の庭には、他に何があるんだ?」


「特に何も」


「い、いや、あるだろ。氷と水以外に何かしら……例えば俺だと、そうだな……多分お前らは知らんと思うが、露天風呂があったりするぜ」


「そうなんですか」


「そ、そうなんだよ……」


「……」


「……」


 俺と御玲(みれい)の間に、恐ろしく冷たい風が吹き通り、防寒着を貫通して皮膚を容赦なく刺し貫かれる。


 どうしてこうなったのだろう。俺の天才的頭脳が弾き出した完璧なコミュ理論が誕生僅か数秒のやりとりで息絶えた。まさか一分も待たずしてまた重苦しくて気まずい空気に戻るなんて、誰が予想できる。


 散々キメていた挙句、自信があっただけに前より空気が重く感じる。


 こうなるんなら最初から声かけず、考え事に耽っとけば良かったか。三月十六日以前の俺が戻ったかなと思ったが、ただの気のせいだったらしい。


 むしろ日に日に悪くなっているんじゃないんだろうか。三月十六日から今日まで、俺は何か貢献できているのか。


 氷のデカブツのときも、裏鏡(りきょう)のときも、俺はただ喧嘩していただけで、ここまでの状況に持ってこれたのは、大半が弥平(みつひら)の手腕だ。俺は特段、何もしていない。


 ただ単に弥平(みつひら)が持ってきた有益な情報を二つ返事で承服して、それ目当てに動いているだけ。今回の探索だって、ほとんどの準備、計画は弥平(みつひら)だ。俺はただ、話し合いに参加して意見や質問をちょろっと言っただけ。何か大きな貢献をしたワケじゃない。


 結局俺は復讐復讐とそればかり。やったことといえば、誰もいない道場に足繁く通い、一人寂しく素振りしたり、火の球ポンポン撃ったりしていただけだ。


 その修行の成果は出たのかと問われれば、裏鏡(りきょう)の戦いで結果は出ている。アレが俺の修行の成果。よくもまあこんなザマで、御玲(みれい)に「大した能のねぇ口先だけの凡愚」だなんて言えたモンだ。


 御玲(みれい)はアレ以降、俺の暴言に関しては無かったことのように何も言ってこないが、内心では「テメェに言われる筋合いはない」とか、きっと思っているだろう。


 頭の中に湧き出た黒いモヤを振り払うように、頭を左右に強く振った。


 考え事をするとどんどん後ろ向きになる。ホント、ここで何か大きな事を成し遂げないと割と真面目に無能だ。口だけは立派な癖に、成す事は凡愚以下とか典型的な無能以外の何者でもない。


 そして無能な自分を晒していると他の奴らからも愛想を尽かされて、俺は本当に一人ぼっち。


 誰からも愛されず、誰からも相手にされず、ただひたすら他人にふてこい態度を取るしかない嫌味で惨めな人間に成り果てる―――。


 拳を握り締め、胸元に添えた。俯き、氷でできた地面を見つめる。


 氷の地面は半透明で、底が見えない。防寒着を着ているにもかかわらず、地面の氷が足にまとわりついてくる錯覚に、寒くもないのに身を震わせた。


澄男(すみお)さま。止まってください」


 御玲(みれい)が突如、足を止める。俺も連動して足を止め、ふと我に帰った。御玲(みれい)は前を向いたまま、しゃがめと手で指示する。


 指示通りにしゃがみ、氷の陰に身を隠す。


「ここから先は、魔生物の生息域。そろそろ、対策魔法を講じる必要があります」


「だったらなんで隠れる。そもそも、ここお前ン家の庭だぞ」


「もうすぐそばが生息圏だからです。物陰から見てみてください」


 御玲(みれい)に言われ、俺は氷の陰から首を少しだけ出すと、視界に現れたその情景に目を丸くした。


 氷の大地と、小さな氷山しか存在しないその世界に跋扈していたのは、青色の化物だった。


 身長は二メートルくらいか。肌はとにかく青く、サファイアよりも深い青色をしている。手足は細長いが、胴体は太くて、なおかつ身体の角はカクカクだ。まるで3Dポリゴンが主流の一昔前のゲームに出てくる雑魚敵みたいな感じ。


 久三男(くみお)がテレビゲームでやっていたのを偶々見たことがあるからピンときたが、マジで細長い直方体と太い直方体同士が繋がっているだけの生き物だ。


 身体も半透明だし、よく見れば体型は人間とそっくり。顔らしき何かもついているが、やっぱり直方体の塊が胴体に乗っかってるようにしか見えない。


「なんだありゃ……」


 目の前の情景に目を疑うしかなかった。


 魔生物ってもっとこう、分かりやすい雑魚モンスターみたいなモンしかいないと思っていたが、全然イメージと違う奴だ。一昔前のレトロなRPGから抜け出してきた3Dポリゴンのキャラみたいな、そんな奴。


「あれらは、フロスタン。この然水氷園(ぜんすいひょうえん)に原生する魔生物です」


「げ、原生!? あんなのが普通に庭ン中うろついてんの!?」


澄男(すみお)さまのお庭にも魔生物はいるはずですが……」


「そりゃいるけど……あんな野晒しで徘徊してるワケじゃ。もっとこう、ちゃんとしてたぜ」


澄男(すみお)さまのお庭にいる魔生物は、人工的に創られたもの。対して、彼らは自然界に原生するものですからね」


「待てや。人工的? 初耳なんだけど」


「そうでしたか」


 真顔で、話を締めくくる。


 嘘だろ。魔生物って人工的に創れるのか。なおかつ、俺ン家にあるちゃんとした魔生物って、全部人工的に創られた奴だったのか。初耳にも程がある。てっきり魔生物はひたすら狩られる雑魚敵みたいなものだと思っていたのに。


 ウチの庭にいるくせして部屋ン中まで何故か入ってこない上に、山奥にいる奴らとは違って庭で素振りやっていても襲ってこないのはおかしいな、とは思っていたけどさ。


 溜息を吐きつつ、御玲(みれい)に問いかける。


「…………で、あのフロ……スタン? はどんな奴なんだ」


「氷と水の属性系魔法を使い、辺りを氷と水だらけにする魔生物です。通常は温厚で中立的な魔生物なんですが……」


「なら対策する必要ないじゃん。普通に素通りしてしまえば」


「代々水守(すもり)家は、武具生産に必要な鉱産資源を確保するため、フロスタンを乱獲してきました。従って現在、この辺りのフロスタンは全て人間に対し、敵対的なのです」


 うそん、と項垂れた。


 まさかの乱獲したせいで、ヘイト買ってしまっているのか。鉱産資源って、あんな青色の直方体の塊みたいなのから何が取れるんだ。


「今はまだ見つかってませんが、これ以上近づけば、彼らの索敵範囲に入ってしまいます。なので」


 俺が携えている肩掛けサイズのサブバッグから一個だけ技能球(スキルボール)を取り出す。


「この技能球(スキルボール)には先ほどお話した、``隠匿(ラテブラ)``という魔法が封じられております。この魔法で姿と気配を消し、フロスタンの生息域を踏破しようかと」


 なるほど、と首を縦に降る。


 ``隠匿(ラテブラ)``。確か姿が見えなくなるだけじゃなくて、足音とか、足跡とか、体に宿ってる霊力まで、相手からいないも同然になる魔法だったはず。


 俺が一番目をつけてた魔法を早速使うときが来たか。その魔法を使えば確かにアイツらに悟られず突破してしまえる。


 が。


「興味本位で聞くんだが、アイツらって強いのか」


 技能球(スキルボール)を使おうとする御玲(みれい)に問いかける。


 別に戦いたいワケじゃないし、無駄な戦いは避けるべきなのは分かっているが、ああいうのがいるとなんというか、好奇心的なものが湧いてくる。


 例えるなら、ゲームで雑魚敵と遭遇したとき、あの雑魚敵どんな奴なのかなって気になって、攻略本読んじゃう。みたいな。


「魔生物という生態系から見れば、フロスタンは雑兵でしょう。確か、全能度は三百五十前後だったはずです」


「つーことは、俺らからしたら雑魚か」


「まあそうですね。一体なら私でも容易に倒せる個体ではありますが、あの数ですからね」


「ああ。軽く百はいそうだな。でも確か基準だと三百五十って……」


「全能度のみを見るなら国内、国外のみならず、全世界情勢を混乱に導けるほどの自然災害に相当しますが、彼らは物理攻能度七十、魔法攻能度八十五ですので、物理、魔法攻撃能力を鑑みると、それ以上の災害を起こせるかもしれません」


「そんなんが……百体以上……うぇぇ」


 いた堪れなくなり、目を背ける。


 もはや集団そのものがただの災害の塊みたいなもんじゃねえか。


 これでも雑兵にすぎないってんなら、今から登山を興じるヘルリオン山脈には、マジで冗談言えないレベルのやべぇバケモンがいるってことになる。想像したくもないが、容易に想像できてしまう。


 俺をよそに技能球(スキルボール)に念を送り、魔法を発動させた。技能球(スキルボール)が一瞬光り輝いたかと思った次の瞬間、御玲(みれい)の姿が効果音一つなく、一瞬で掻き消えた。


御玲(みれい)!?」


 すばやく起き上がる。あまりにも消え方がナチュラルすぎるせいで、大声で奴の名を叫ぶ。


澄男(すみお)さま』


 突然の御玲(みれい)の消失に驚きを隠せない最中、脳裏に御玲(みれい)の声が唐突に掠め、俺は体をビクつかせる。


『うお!? な、なんで霊子通信送ってくんだよ!?』


『``隠匿(ラテブラ)``は音声も遮断してしまうからです。私が声を出しても、澄男(すみお)さまには聞こえません』


『ああ……そうだった。五感も霊力も感じられなくなるからそりゃそうか』


 胸をなで下ろすと同時に、眉間にしわを寄せた。


 アニメとか漫画とかなら、敵には見えないが味方にだけは見えるという好都合な展開が起きるはずだが、現実はそんな都合良いワケがない。


 五感も霊力も察知できない完全な幽霊になれる魔法って聞いたときはクッソ便利じゃんと思ったが、敵だけじゃなくて味方も見えなくなるのはクソ不便だ。


『一列縦隊で進みます。澄男(すみお)さまはとかく、前を見て進んでください』


『一列……縦隊って縦一列の事だよな?』


『そうです。左右に曲がるときは私が指示します。指示がない場合はとかく前進してください。足は止めないよう、お願い致します』


『ほいさっさ』


『では、行きます』


 御玲(みれい)の合図で、氷山の影から身を乗り出し、フロスタンがうろつく氷の大地を堂々と横断する。


 周りには大量のフロスタンが、氷や水を撒き散らして徘徊している。数えるのも億劫になるくらいの数だ。軽く五十匹はいる。


 バケモノの渦中を堂々と散歩するような感じで歩いているが、魔法の効果のせいで、どのフロスタンも俺と御玲(みれい)の存在に気づいていない。


 しかし``隠匿(ラテブラ)``、隠密行動には必須ってくらいの隠密性能だ。これがあれば、不要な戦闘は簡単に回避できるし、中々有能な魔法じゃねぇか。


 攻撃魔法以外には興味なかったが、習得してみるのも悪くないかもしれない。


澄男(すみお)さまッ。十時の方向、フロスタンが氷属性系魔法を発動しようとしています。二時の方向に旋回をッ』


『うお!! 危ねぇ……』


 軽やかに右四十五度の方向に回避する。左斜め前にいたフロスタンはどこからか撒き散らした水を氷に変え、凍土の上に十メートル近くの巨大な氷山を出現させた。


 あと二秒遅れてたら剥製にされていた。位置バレしていないのに魔法使ってくるとか厄介すぎる。


 そう考えると、位置バレしたらここにいるフロスタンどもが、一斉に魔法ポンポン撃ってくる感じになる。集団リンチってレベルじゃない。


御玲(みれい)……まだコイツらの生息圏抜けられないのか』


『もうすぐです』


 気づいていないと分かっていても、あんまり長居したい所じゃない。さっさと脱出してしまいたいが、そう考えれば考えるほど、長く感じてしまう。これがまた辛い。


 長く感じる錯覚に耐え忍びながらしばらく歩くと、フロスタンの数が目に見えて減っていくと同時、防寒着を着ているにもかかわらず、若干の肌寒さを感じるようになっていった。


 気のせいか、風当たりも強い。気がつけば空は暗雲に覆われている。辺りの景色に気を配っていると、突然御玲(みれい)が姿を現わす。


「フロスタンの生息域を抜けました。魔法を解きますね」


 御玲(みれい)が手に乗る技能球(スキルボール)は、光を失った。魔法を解くと言われても、感覚的に分かるもんではないだけに、実感が湧かない。


「俺の声、聞こえるか?」


「聞こえますし、見えてます」


 とりあえず問いかけてみたが、ちゃんと見えているらしい。一々確認しなきゃならんのは億劫だ。


「しかし、寒い。防寒装備しててもスースーするぜ。どこだここ」


「ここから先は、私も行ったことがございません。ただ、然水氷園(ぜんすいひょうえん)ができた原因、覚えてらっしゃいますか」


「あぁ……確か北風と運河でできたから、とかだっけ」


「はい。ここはまさしく、然水氷園(ぜんすいひょうえん)と、弥平(みつひら)さまが言っていた巨大氷雪山脈の境界。つまりここから先は、エヴェラスタと目される地域ということになります」


「マジか……つーことは更に寒くなるってことかよ……」


「現在気温……おそらく氷点下四十度。流川(るせん)防寒着・特型の暖房機能を以ってして、防寒しきれない寒さになりましょう」


「お前は大丈夫なのか……見てるだけで寒くなるんだが」


「フル装備状態であれば、氷点下百二十度の環境でも問題なく動けます」


「ひ、氷点下百二十度!?」


 思わず素っ頓狂な声音をあげてしまった。


 もう寒さに強いとかそんなレベルじゃねぇ。まず氷点下百二十度ってどんな世界なんだ。想像つかない。


 メイド服フル装備で氷点下百二十度に耐えられるってんなら、素っ裸でも相当耐えられる計算になるし、どういう修行してきたんだマジで。


「氷雪地帯に入るにあたり、弥平(みつひら)さまからの任務を遂行せねばなりません。霊子通信の準備を」


 有無を言わさず、さっさと話題を切り替えられる。


 弥平(みつひら)からの任務。それは、かつて戦った敵エスパーダと連絡を取ること。


 奴は永久氷山エヴェラスタに住んでいる人外。魔生物以外で、人外と出会ったのは、あのときが生まれて初めてだった。


 あのデカブツ然り、あくのだいまおう然り、あの手の人外がヴァルヴァリオンの何かしらを知っているのは、火を見るより明らかだ。


 デカブツの野郎も竜位魔法(ドラゴマジアン)のことを知っていたし、ヴァルヴァリオンに関しては嘘か真かはさておいて、そもそもあくのだいまおうが教えてくれた情報だ。手っ取り早くヴァルヴァリオンの在り処を知るなら、エスパーダに会うのが最も合理的ってことになる。


「しかし呼ぶっつったって、どうやれば……」


「名前を呼び続ければよろしいのでは」


「い、いや……まあ、それしか、ない、か」


 眉間にしわを寄せつつ、凛と佇む御玲(みれい)を見つめる。


 他人事みたいに言っているけど、結構虚しい。


 いや確かにそれ以外に手がないから仕方ないとはいえ、少しくらい温情的なものがあっても良いのに。そりゃあお前からしたら他人事かもしれないが。


「ここから先は何がいるか分かりません。``探査(プローブ)``の技能球(スキルボール)で索敵しながら進みます。私が先頭、澄男(すみお)さまは後ろの一列縦隊で」


「お、おう。そうなんだがちょっと」


「では、行きましょうか」


 お前も手伝ってほしい、と言おうとした瞬間、御玲(みれい)は合図を言い残しすぐさま身を翻した。


 エスパーダを呼び出す。それが俺の成すべきことってか。


 まあ御玲(みれい)はエスパーダと鉢合わせしてないし、呼んだところで答えてくれない可能性が高い。やるだけ無意味か。


 それに二人で同じことするより、どちらか一方が周囲を警戒し、もう一方が呼び出し役をした方が効率良いし、合理的だ。二人ともエスパーダを呼ぶ方に気を取られて、魔生物に隙を突かれたら一巻の終わりだし。


『エスパーダー……エスパーダさんやーい』


 誰に向けるワケでもなく、白い景色にひたすらに呼び続ける。歩き進める度に、視界の靄は白く濃くなっていく。


 少し寒い程度だった北風は、顔が強張るほどの冷たい風に変わり、雪までも降り始めた。身体が無意識に震える。防寒着がなければ速攻で凍え死んじまう。


 だがそんな中でも、御玲(みれい)は吹雪なんぞもろともせず、俺の前を突き進む。まるで、自分が盾になるかのように。


 そんな奴の背中を見ながら、顔を強張らせた。


「……なぁ。一回前後ろ交代しねぇ?」


 特に意識せず、ぽろっと頭の中に浮かんだ言葉を口にした。同時に、なんでこんなことを言ったのかという疑問に苛まれる。


 御玲(みれい)が寒そうだったから。


 肉盾のように扱っているのが居た堪れなくなったから。


 御玲(みれい)の身体が心配になったから。


 違う。特に理由はない。ただなんとなく、変わった方がいいかな、なんて思っただけだ。


「必要ありません」


 俺の問いかけを氷漬けにするかの如く、目の前を歩くメイドの返答は、驚くほど冷たい。こっちを振り向ことうともせず、前を歩きながら、淡々としている。


 凍てつくような北風を、雪ごと融かすくらいに熱い何かが、心の奥底から込み上げた。


澄男(すみお)さまにはエスパーダなる存在を呼びだす重大な任務がございます」


「そりゃそうだが、ンなもん前でも後ろでもできることだ」


「マルチタスクな作業は、両方の精度を低下させます。優先順位は重大任務の方が上。しかし達成確率は低い。ならば最大限の精度を維持し、少しでも達成確率を高い状態で任務遂行に尽力するべきだと思いますが」


「ンな事は分かってる。でもそれじゃ二人一組の意味がねぇだろうが」


「言っていることの意味がよく分かりません。今の状態が、最良の役割分担だと考えている次第ですが、澄男(すみお)さまには今以上の役割分担案が浮かんでいるのですか」


 買い言葉が思いつかず、口を噤む。


 当然、浮かんでいない。ただなんとなく前と後ろを変わった方がいい気がして問いかけたが、理不尽に弾き返されて、売り言葉に買い言葉を吐き出したにすぎない。


 急いで頭をこねくり回すが、何も浮かんでこない。どう考えても今の状態が最良だし、俺が二役買ったとして、中途半端になるのが道理だ。


 仮に御玲(みれい)も同時にしんがり兼周囲警戒をやって、俺の中途半端を補うとしても、それは撤退の場合のみ。むしろ俺が前にいたら、御玲(みれい)は咄嗟の反応が行えない弊害が出てくる。


 くそが。なんでこんなことも考えずテキトーほざいたのか。またやらかした。同じミスは二度と繰り返すつもりはなかったのに。


 唇をぱくぱくさせる俺をよそに、御玲(みれい)は急に立ち止まる。


「``探査(プローブ)``に反応……? 魔生物……?」


 俺を容赦なくおいてけぼりにして、何かを悟ったように左右を見渡す。


 おいどうした、と問いかけようとしたと同時、奴はすばやくしゃがみ、四つん這いになって耳を凍土に当てた。


 あまりに咄嗟の行動に、は、と間抜けの声を上げてしまったが、御玲(みれい)はまたもや咄嗟に立ち上がり、俺の腕を素早く掴んだ。


「雪崩が来ます。走って!」


「え。どこかぐッ」


 ちょっと。ちょっと待て。状況が読めない。雪崩。全くそんな気配がないんだけど。


 どこもかしこも白い景色が広がっているだけだし、顔が痛くなるくらい寒い北風がびゅうびゅう吹いていて視界も悪い。


 北風と雪が邪魔で、全然見通せないのに、コイツは何を理由に雪崩とか言ってるんだ。


「うお!?」


 刹那、凍土が一瞬揺れ、自分から見て右側から微かだが何かが(とどろ)いてるような音が鼓膜を揺らす。


 その音は徐々に徐々に音量を上げていき、たった数秒の間で地響きへと豹変する。


 迫りくるは、大雪崩。


 冷静に大きさを分析するのもアホらしくなるほど幅広く、かなりデカい。あんなのに巻き込まれたら、ひとたまりもないぞ。


「……ッ。間に合うか……!」


 俺の腕を力一杯引っ張りながら全速力で走り続ける。


 お世辞にも御玲(みれい)の足は速くない。雪崩から逃れるよりも、多分雪崩が俺達に先手を打つ方が確実に速いだろう。このペースじゃ、二人とも生き埋めだ。


澄男(すみお)さま!?」


 俺は勢いよく御玲(みれい)の手を振りほどき、全てを呑み込まんと俺らに牙を剥く雪崩の前に立ち塞がる。


澄男(すみお)さま!! 何をしているのです!? このままでは呑み込まれて……」


「テメェの足じゃどっちみち共倒れだっつーの!! だったら選択肢は一つしかねぇだろ!!」


 右手から火の球を練り出す。


 爛々と輝く火球。その熱量は右手に収まらず、凍土、吹雪。周囲一帯にまで及び、立ち込める水蒸気の量は、火球から放たれる膨大な熱量を物語る。


 俺の火球の温度はビルの鉄筋すら歪め、アスファルトをドロドロにしてしまう。氷の地面や吹雪なんざ相手にならねぇ。何もかも全部、煮詰まった鍋みたく湯気を放り出させてやらぁ。


 そう、簡単だ。逃げられねぇなら、融かし尽くしてしまえばいい。いやむしろ、水蒸気に変えてしまえばいい。


 それらを融かすは、炎。煉獄の如き業火。恒星の如き火球だ。


「``灼熱砲弾``!!」


 全てを融かし尽くす熱の塊は、全てを覆い尽くさんとする雪崩に臆することなく、大量の水蒸気とともに、雪崩とぶち当たった。


 フライパンでちんちんに熱くなった油にてんぷらをぶち込んだかのような音が響き渡る。


 だがしかし、火球と雪崩が衝突し合ったのも束の間。


「は!? マジか!!」


 目の前に広がった予想外の情景に思わず悪態をついてしまう。


「畜生……!! 灼熱砲弾の威力が思ったより弱えぇ……!!」


 雪崩の大部分は文字どおり融けた。


 そこまでは見事予定どおりだったのだが、奴らは全て水蒸気にならず、洪水みたいな大量の水へと姿を変え、滝となって迫ってきたのだ。火球じゃ水蒸気にしきれなかった分の雪や氷が、水として激流となって流れてきているといった具合である。


 つまり、俺の灼熱砲弾が雪崩ごときに押し負けたってことだ。ふざけんじゃねぇ。


 眉間にしわをよせ、盛大に舌打ちをブチかます。


「あーもうめんどくせえ!! だったら二つぶち込んで全部湯気にしてやらぁ!!」


 今度は両手に、いつもより力みながら火の玉を練り出す。


 やっぱり周りが寒すぎるせいで身体全体が縮こまっちまってやがる。本来の灼熱砲弾なら、氷や雪ぐらい一瞬で水蒸気にできるはずなのに。


 これだから寒いのは嫌いなんだ。寒いと感覚も身体も鈍っちまうから、いつもの(りき)が出なくて今みたく消化不良を起こしちまう。一撃でキメられるものもキメられなくなっちまう。


 本来できることがクソくだらねぇ理由でできなくなる。俺が腹立つ原因三位以内に入る事象だ。こんなんで舐められたとなればシャレにならねぇ。


 でも、手がないワケじゃない。


 往生際の悪い激流が俺らを呑み込むってんなら、呑み込む前に全部湯気にしてしまえばいい。ただそれだけの簡単なことだ。なんら難しいことじゃない。


 そして灼熱砲弾一つで足らないってんなら、同時に二つブチこめばいいだけのこと。


 小さい火一つだと水をかければすぐに消えてしまうが、あまりに強く大きい火は、水をも滅する。それはもはや、火山から無限に噴き出す溶岩の如く。


「``灼熱双撃``!!」


 双子の火球は、主人の手から同時に放たれた。遥か彼方から流れこんでくる滝を、たった二つで迎え撃つ。二つの火球が、一瞬凄まじい輝きを見せる。降り注ぐ雪全ては、ものの見事に一瞬で雲と帰した。


 さっきまで吹雪いてた風全てを、一瞬だけ温風に変えるほどの熱を以って。


 露出した茶色い山肌を眺め、首の骨を鳴らす。山肌からは湯気が立ちこめ、覆っていた雪や氷は、跡形もなく水蒸気と化していた。


 木々があったであろう山肌は綺麗さっぱり消えてなくなり、ただの焦げ茶色の絶壁になっていた。少しやりすぎた感はあるが、こう見ると寒さに苦しめられてた分、中々爽快だ。


 唯一、一瞬温風に変えられた吹雪がすぐに冷たくなっちまったのは気にくわねぇが、雪崩に生き埋めになるとかいう、吹雪にうたれるよりも苦しい状態を避けられただけでも儲けもんだと思っておくか。


 流石に寒すぎて目障りになってきた白い雪を、一部とはいえ山肌に生えている木々ごと消せたんだ。それで許してやるとしよう。


「どした御玲(みれい)


 雪崩をブチ殺す、ただそれだけに思考が集約していたから忘れていたが、ふと振り向くと、ただただ呆けた顔をしてその場に立ち尽くしていた。


「んじゃ行こうぜ」


「お待ちください」


 さりげなく前に行こうとした俺に、御玲(みれい)は俺の手を強く握った。


「なんだよ。危機を乗り切れた礼なら」


「もう私に、不要な話をするのはおやめください」


「……は?」


 予想外の返答に、俺は素っ頓狂な声音を思わず上げてしまう。


「この探索任務に際し、必要な意見を述べるのは結構。しかし、そうではない会話は任務遂行の妨げになるだけです。お控えくださいませ」


「いや待てや。いつ俺がそんな害悪行為をした?」


「私が周囲への警戒を厳としている中、事あるごとに問いかけてきたではありませんか」


「アレのどこが任務の妨げなのか。別に一人騒いでたワケじゃあるまいし」


「当たり前です。そもそも澄男(すみお)さまには重大な任務があると再三申しているはずですが。エスパーダを呼び出すという任務が」


「ンなもん今から続きをすりゃあいいだけの話だろうがよ。何キレてんの?」


「あの雪崩に呑み込まれていたら、という場合を考慮されていたのですか。もし呑み込まれていたら、その時点で任務の遂行は不可能になっていたかもしれないのに」


「そりゃそうだけど……実際そうなってねぇし、過ぎた事じゃん。目くじら立てるようなことでも……」


 御玲(みれい)が突然、だん、と地面を足で叩き、俺の前に立ちふさがるように仁王立つ。


 凛とした姿勢と、真剣な面差し。飄々とした態度で反論を受け流そうとしていた俺は、奴の態度に少したじろいだ。


「あらゆる局面において、最悪のケースを考慮するのは戦場に立つ者として当たり前のことです。それをしないのであれば、ただの無謀、博打に他なりません。もっと一歩二歩先を考えて行動して下さい」


「……ンなもん考えてたらキリがないと思うんだが。それで八方塞がりになって動けなくなるようなら、とんだ無能というかただのノロマよね」


「キリがないことはないと思いますが。澄男(すみお)さまが私に余計な問いかけをしなければ、危機を未然に察知できました。そして澄男(すみお)さまも、無駄な霊力を消費することはなかったはずです」


「あの程度、別にどうってことねぇよ。消費のうちに入んねぇわ」


「無駄な霊力を消費したことに変わりありませんでしょう……」


 頭を抱え、盛大に溜息をついた。同時、俺の心中にはふつふつと熱くて黒い何かが沸き起こる。


 何だコイツ。ああ言えばこう言いやがって。


 まるで全部俺が悪いみたいに言っているけど、別にそんな無駄な話してないし、ただ単に前後ろ交代しないかって聞いただけじゃねぇか。


 その前にしたのは明らか雑談だし、言っちまえば無駄だけどそれはテメェん家の庭で話していたことであって無駄かもしれねぇが任務に支障がないだろうが。フロスタンの生息域を抜けるところからが本番みたいなモンだし。


 もういいや。拗れるけど我慢できねぇから全部吐き散らしてやらぁ。


「仮に未然に察知できたとして、テメェのウスノロな敏捷で雪崩から逃れられたとは思えねぇんだけど。察知できても回避できないんじゃないんすかねぇ?」


 御玲(みれい)の表情がほんの僅かに強張ったような気がした。


 俺の売り言葉に呼応するように、御玲(みれい)もまた買い言葉をかます。若干、低い声音で。


「未然に察知できたなら私が全速力で走り切る必要もありませんでしたが」


「今回はな。でも次の危機だったらどうだろうか。察知できたところで、そんなウスノロじゃあ回避できたモンじゃねぇや。俺が灼熱砲弾で焼き尽くした方が確実だろうよ」


「でしたら澄男(すみお)さまが前、私はしんがりを務めさせていただきます」


「は? 別にいいよ、お前が前やれや」


「灼熱砲弾で焼き尽くした方が確実だと申されたのはご主人さまです。確かに私は鎧を着ていますし、元より走る速さには自信がありません」


「いやいいよもうやる気ないし。あの問いかけが邪魔だってんならもうしねぇ。テメェが前で俺が後ろな。俺は心の中でエスパーダエスパーダと連呼しとくわ」


 ぎり、と歯が軋む音が聞こえた。


 歯ぎしりしたいのはこっちなんだが。ただの問いかけしただけでなんでこんなに言われなきゃならんのか。


 何故か動こうとしない御玲(みれい)に、俺の腹の虫は大きく駆り立てられる。奴の腕を鷲掴み、力一杯前へ引っ張った。


「なにつったってる。とっとと前行け!」


 あまりの勢いに転けそうになった御玲(みれい)だったが、すんでのところで踏ん張り、俺をほんの僅かに睨んだ後、改めて身を翻した。


 ガン飛ばしてくるぐらい不満があんなら全部吐けや。まあ売られた喧嘩は買う主義だから吐き散らかすんだったらこっちも言い返すが、それでも言わないよりマシなのは考えるまでもねぇハナシだろうがよ。


 なんだろうな。こっちは思ったこと晒してんのに、向こうはそれでも吐こうとしないってのは。


 別に強制する気は全くないが、サシで話しているんだからテメェも腹割ってサシで話せっての。人形じゃあるまいし、本音の一つや二つあるだろうがよ。


「チッ……クソが!!」


 大声で、御玲(みれい)にも聞こえるように悪態をつく。しかし御玲(みれい)は無反応を貫いた。まるで聞こえてないかのように、俺の罵声を華麗に無視する。


 ああそうかよテメェがその気なら俺も無視だ無視。


 胸糞悪いなんなんだよ俺が何したってのただ単に問いかけただけじゃんそれが邪魔ってんならテメェの集中力クソザコすぎんだろうがよ第一あの問いかけすらも無駄なら必要最低限度の意志疎通もできたもんじゃないしそこらへん考えてんのかコイツ俺が言えた義理じゃねぇがあのときの問いかけは無駄だなんて俺は思わねえ絶対にな。


 怨嗟を呪詛のごとく心中で吐き出した瞬間、俺の中で灰色の感情が渦巻いた。


 うん虚しい。思ったことを吐き散らせないとこうなるから嫌だ。


 なんで俺がこんなクソみたいなことで悶々としなきゃならんのだろうか。それこそ気力の無駄遣いよね。


 考え事で頭は回る割にモチベはひたすら下がり続けるこれほど無意味で虚しいことがあろうか。こんなことならコイツに全部丸投げして道場でずっと素振りしておけば良かったわ。


 あーぁ、あーぁ。つまんね。


 つまんねぇなああああって、嫌がらせ目的で叫んでやろうかなマジで。言わないけど。流石に口に出したらクズすぎるし、どうせガン無視かましてくるだろうからやるだけ虚しいだけだ。


 心の中で怨嗟をブチまける最中、気がつけば、吹雪が吹き荒れていた。


 あたり一面ただ白いだけでなく、白く靄がかかったように先が見通せない。地面は雪が積もり、膝の部分までが雪で埋もれてしまう。


 荒れ狂う吹雪。横たわる沈黙。防寒着を貫通する肌寒さは俺からモチベを容赦なく削り、何か呟くことすら許さない沈黙は、ますます俺の首を絞める。


 ちくしょう。なんだろうなこの違和感。思ったことを吐き散らし足りていないのか、御玲(みれい)を罵り足りていないのか。


 いや、違う。何かが違う。何かが足りない。でもその何、が分からない。考えたって分かりはしないのに、どうしても気になるから考えてしまう。


 こんなときほど、自分の堪え性のなさが恨めしい。堪え性があったなら、こんな無駄なことに頭を使わず、なすべきことに最適なモチベと手間暇をかけられただろうに。


 あーぁ、虚しい。虚しくて虚しくて、もう嫌気がさし―――。


『我が地エヴェラスタにて、業火を振り撒く者に告ぐ。この地を焼き払うのであれば、その身体、永遠(とわ)なる凍土に没することとなろうぞ』


 頭の中に直接響く声。それは野太く、濃厚な声質。


 裏鏡(りきょう)の声も濃かったが、アイツとは違うコクの強さだ。裏鏡(りきょう)はコクこそ強いが若々しい凜とした声をしていた、でもこれはコクとともに年配と貫禄を感じさせる。


 そしてなにより、つい最近聞き覚えのある声である。


 なんともいえない虚しさを尻目に、返事するのだるいな無視しようかななどと思いつつも、先の事を考えたらそうもいかないと思いとどまり、素直にソイツに対して返事をすることにしたのだった。


『俺だ。覚えてるか』


『……この声質。どこかで』


『テメェと前にやりあった小僧だよ』


『む、あのときの小僧か!? いや、しかし……何故ここにいる。ここは人の子が赴く地ではないぞ』


『ちと野暮用でよぉ。テメェとサシで話がしてぇ。急だが俺んトコ来れるか?』


『可能だが…………まあいい。その場で待て。直ちに向かう』


『ほいさっさ』


 奴との繋がりが切れた感覚が頭に余韻として残る。どうやら、俺の火球で存在に気づいたらしい。自分の陣地の割に少し鈍い気がせんでもないが、どうやら結果オーライだった。


 さて、文字通り無駄のない必要最低限の返事をしようかね。


「おい。エスパーダと連絡取れた。止まれ」


「ここに来るのですか」


「それ以外に止める理由ないよな」


 軽く一礼し、その場で両手を前に組んで立ち止まる。自分でも驚くほど低い声音で話したが、案の定、御玲(みれい)の顔色はほとんど変わらない。


 裏鏡(りきょう)ほど無機質で人形って感じじゃないが、これだけ言っても感情を表に出さないとなるとむしろ超がつくほどの頑固者なんじゃないのかと思えてくる。


 御玲(みれい)の態度に大きな溜息をついていると、突然、吹雪の強さが一気に増した。


「うおおお……!?」


 踏み止まるのもやっとな暴風が吹き荒れる。防寒着を着てるのに、まるでそれを貫通していくかのように寒い何かが腹から背中へと素通りしていく。


 思わず身体を包ませてしゃがみこんだ。一方、御玲(みれい)はスカートこそ抑えているものの、寒がっている様子はない。


 マジか。この吹雪の中でもスカート気にすんのかよ。普通寒くてンなもん気にする余裕ないだろうに。やせ我慢してんじゃないだろうな。そうじゃなきゃ流石に寒すぎる。


「この吹雪……変ですね」


「あぁ……?」


「この風は旋風……こんな寒冷地で旋風が起きるのはおかしい、と言っているのです」


「あーそうかいそうかい解説どーも」


 と悪態をつきつつも、吹雪を見つめる。


 確かに右回りの旋風だ。旋風が起きる要因はよく分からんが、コイツの言うことが正しいとすれば、この吹雪は霊力によるもの。つまり、エスパーダの仕業だ。


 旋風の吹雪が俺らを見舞う最中、巨大な氷柱が地面から生える。それも一本だけでなく、何本も何本も。旋風の中心を囲うようにして、生えてくる。


 吹雪の中心が白く濃くなった。それは人一人分の輪郭を描き、その輪郭が両手らしきものを広げた刹那。


 旋風の吹雪は、沢山の雪や霜と一緒に消し飛ぶ。俺と御玲(みれい)の目の前に立つ、巨躯の大男と彼を取り囲む氷柱を除いて。


「よぉ、俺だ俺。つかお前……デカくね?」


「これが本来の大きさである」


 久しぶりにあった旧友のようなノリで目の前の大男に挨拶する。前は普通の男ぐらいの背だったのに、今日は三メートル以上ある巨人ぐらいのデカさだ。


 本来の大きさとか言っていたが、あのときは変なものでも食っていたんだろうか。


「コイツがエスパーダな。お前も自己紹介したとき会っただろ。あのぬいぐるみみてぇな連中。アイツらの仲間的なやつだ」


「あぁ……アレらと同族の」


 露骨に嫌悪感をにじませた表情を浮かべた。俺もこればかりは同情してしまう。


 エスパーダをボコしたあの日、弥平(みつひら)に紹介されるがまま応対したが、正直即座に関わり合いたくない奴らだと悟った。


 そもそも何なんだアイツらは。全く意味がわからん。


 存在そのものが理解できない。むしろ俺たちが住んでる世界と本当に同じ所に住んでいるのかと疑ったくらいだ。


 どう考えても童話の世界からはみ出してきた連中としか思えなかったし、正直夢でもみているんだろうとすら思った。


 でも夢なんかじゃなく、アレもまた現実だった。


 魔法だの超能力だのが実在しているんだから、摩訶不思議存在がいてもおかしくない気はせんでもないが、できれば俺らとは無関係でいて欲しかったのが、ぶっちゃけた本音である。


 まあアレ以降、弥平(みつひら)に地下二階の牢屋にブチこまれて全く顔合わせしてないから、今頃何してんのかさっぱり分からんが。


「失敬な小童どもだ。我をアレらと同類に見るのはやめよ」


「ンなこと言われても……知り合いなんだろ」


「腐れ縁だ」


 じゃあ知り合いじゃねぇか。どう違うんだ。むしろ知り合い以上だろ。


「して、そなたらは何故この地に来た。此処は人の子が赴く地ではない。戯れ目的ならば、即刻立ち去るがよい」


「誰がこんなクソ寒すぎる所に遊びに来るかよ。野暮用つったろ」


「野暮用とは。構わん、申せ」


「俺らはヴァルヴァリオンっていう国を探してんだ。でも肝心の場所が分かんねぇで宛てもなく歩いて探してる。テメェなら知ってると思ってな」


「ヴァルヴァリオン……だと? 法国ヴァルヴァリオンを何故小童の貴様らが?」


「お前には関係ないことだ。俺が知りたいのはヴァルヴァリオンって国の場所だ。どうなんだ。知ってるのか、知らんのか」


 エスパーダは押し黙った。首を少し捻り、俺たちを交互に見る。なにやら考え込んでるように。


「……どうなんだ」


 おそるおそる問いかける。


 コイツが分からんといえば、本当に宛てもなく彷徨い歩くことになってしまう。それだけは避けたい。


 正直御玲(みれい)と二人っきりは息が詰まりそうになるし、できれば御玲(みれい)と早く距離をおきたいのだ。知っていなければ困る。


 俺と御玲(みれい)を交互に見ながら考え込むエスパーダを下から覗き込む。次の瞬間、エスパーダはおもむろに口を開いた。


「……知っている。案内(あない)が必要だというのであれば、案内(あない)してやることもできる」


「マジで!? やっっったぜ!!」


「だが、今の貴様らでは、案内(あない)したところでヴァルヴァリオン法国には辿り着けぬぞ」


「は?」


 嬉しさのあまり飛び上がった俺だったが、一気にどん底へと叩き落される。


「どゆこと」


「言葉のとおりだ。貴様らの戦闘力と身につけている装備では、ヴァルヴァリオン法国に行くまでの道中に生息する魔生物には敵わぬ」


「いや、それなら俺ら素通りできるから別に……」


「仮に``隠匿(ラテブラ)``で素通りできたとしても、ヴァルヴァリオン法国跡に住む集落の竜人は、強欲の極みである。見つかれば宴の肴にされよう」


「じゃあ何だ。不用心に踏み入れば住民に袋叩きにされるってのか」


「袋叩きにされ、全ての持ち物を毟り取られる。最悪そこの女子(おなご)は持ち帰られる可能性もある」


 腰が砕けそうになる気分を、なんとか手で払いのける。

 

 俺の住んでいる国も似たような特色があるが、肥溜めのような場所ってのは、どこにでもあるものなのだろうか。


「竜人にとって、貴様ら現代人類の装備品や服装は物珍しい。どこかに隠さねば横取りされるぞ」


「だったら戦うしかねぇじゃん」


「人類と竜人では、肉体性能が違いすぎる。貴様ら二人がかりで一匹やれるかどうか」


「ただの一般住民相手だぞ」


「今や蛮族に身を落とした者どもとはいえ、二足歩行するドラゴンであるからな。力だけは屈強なのだ」


 なんて面倒な連中なんだ。気が休まる暇がないじゃないか。


 思わず大きく溜息をつき、肩を落とす。なんかもういろいろ嫌になってきた。面倒くさくて。


「面倒ですが、身を隠しながら探索するしかありませんね」


「``隠匿(ラテブラ)``の技能球(スキルボール)でか……なら大丈夫だな……」


「しかし、技能球(スキルボール)に封入されている霊力では全然足りませんね。今日はフロスタンを通過する分で使ってしまいましたし、連続使用した場合、長く見積もって一時間程度……」


「い、一時間!? たったそれだけじゃいくらも動けないじゃねぇか……」


「ですから、切れたら転移で拠点に帰り霊力を補填。補填されたらまた転移で探索地点から再開、を繰り返すしか」


「それ、面倒ってレベルじゃないんだが」


「他に方法はございません。先に言っておきますが、戦闘は極力避ける方向でいかせていただきます」


「極力避けるって……なんでそんなコソコソしなきゃならんのだろうか。ただ単に探索っつーか、情報が欲しいだけなのにさ」


 その場で萎れるように座り込んだ。


 ヴァルヴァリオンは存在した。でもそれまでの道中には魔生物がいて、それらを抜けたとしても、クソみたいなごろつきしかいない爬虫類の親戚がうろうろしてて、挙句力は強いときた。


 そんなクソどもに怯えコソコソ隠れながら、拠点とヴァルヴァリオンを行ったり来たりなんざ、やっていられない仕打ちだ。


 いや、復讐のためならなんでもやると決めたのだからやるけれど、なんというか、一言で言うなら気にくわない。この一言に尽きる。


「情報……? 何の情報なのだ。差し支えなければ我が答えるが」


 へたりこんだ俺を見て同情してんのか、唐突にデカブツが口走ってくる。


 いつもならうるせぇ黙ってろ不快だ今はそんな気分じゃねぇと罵ってやるところだが、今は正直藁でも蜘蛛の糸でもなんでもいい。なにかに縋りたい気分で一杯だ。


 面倒だし一々説明するのが余計な作業にしか思えないが、仕方ない。


 モチベ不足による気だるさを感じつつも、顔を上げて役に立つのか立たないのかイマイチ分からない頼りなさげのデカブツに事情をかいつまんで説明する事にした。


「あくのだいまおうって奴に、竜位魔法(ドラゴマジアン)の事、俺らが追ってる組織についての事を知りたきゃヴァルヴァリオンに行けって言われてな。それで来たんだよ」


「ああ……そなたが使った、あの災厄の身技について、か……」


「お前何か知らねぇか。知らねぇならもうとっとと案内してくれ。これ以上無駄な気力と時間を費やしたくない」


「我も伝聞しか詳しく知らぬ。なにせ我が生前の出来事であるからな」


「ならそのデンブンとやらを話してくれ。歩きながらでいい」


「否。``顕現(トランシートル)``を使えばヴァルヴァリオン平原まですぐに跳べる。話すならば麓が良かろう?」


「あぁ……それで頼む。寒すぎんだよここ。つかお前ここの支配者なんだろ。この吹雪止めてくれよ」


「吹雪を止めれば蛮族が我がエヴェラスタを荒らしに来る故、それはできかねる」


 あっそ、と眉間にしわを寄せながら、低めの声音で突っぱねる。


 竜人が害悪すぎる連中なのは分かった。これは御玲(みれい)の言う通り、関わり合いにならないようにコソコソしてた方が良さそうだ。


「しかし、その情報提供者は、あくのだいまおう……なのだよな?」


「あぁ? ああ、そうだけど。だからどうした」


「いや……あの方であれば、知っている事全てをお話しされればいいはず。何故……?」


「あーもうそういうのいいから。どうせ考えたところで分かんねぇよ実際に見たら分かることなんだし一々考えんな面倒くさい……」


 なんかボソボソと言い出すエスパーダに、若干の苛立ちを覚えつつ詰め寄る。


 なんとなくだが、コイツが腐れ縁のアレらに``アザラシ``って呼ばれている理由が分かった気がする。


「む、そうか。そうだな。ならばエヴェラスタの麓まで転移する。我に掴まるがよい」


 俺と御玲(みれい)はエスパーダの指示通り、奴の身体に触れる。奴の身体から滲み出る濃厚な霊力に、目を丸くした。


 戦ったときからなんとなく分かっていたけど、コイツの身体、やけに冷たい。まるで氷を素手で触っているような冷たさだ。


 それに、前よりパワー上がっている。あのときもかなり強かったけど、なんか前よりも強いパワーの質的なものが、俺の手に伝わってくる。


 身長も前より結構伸びているし、もしかしてあのときは手加減してたのか。いや、そんな感じには見えなかった。


 となると例えば、なにかしらの影響で力にリミッター的なものがかかっていたとか。ずっと前に久三男(くみお)が言っていたツーシンセーゲン、とか、パケット、とか、それらと似たようなやつ。


 まあ、どうでもいいし考えるのはやめようか。


「跳ぶぞ。準備はよいか」


「ああ」


「問題ありません」


 エスパーダの問いかけに、俺らは悠然と答える。


 その答えに呼応するように、身体を蝕むが如く吹き荒れる吹雪の中で、俺の視界はいつものようにブラックアウトしたのだった。

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