遠征準備
「俺はヴァルヴァリオンに行く。お前ら、異論ないよな」
ありません、と弥平と御玲は呟く。
``皙仙``裏鏡水月との戦闘から翌日。
弥平、御玲、俺の三人は、性懲りもなく本家邸新館の居間にあるテーブルを、三人仲良く囲っている次第だ。
あの戦いの後、俺は数時間あまり眠りについていたらしく、気がつけば自分の部屋のベッドで目が覚めた。
そんで、御玲と弥平から裏鏡が吐いた情報とやらを事細かに説明してもらった。
裏鏡の話とあくのだいまおうの話。
どっちも胡散臭いこと甚だしい内容だったが、どっちの話にも出てきたのが``ヴァルヴァリオン``とかいう地名だった。
もうこれは決まりだろう。あくのだいまおうと裏鏡。お互い全く縁のない奴らが同じ地名を予言の如く口走ることなんてあると思うか。
無論、ただのホラという可能性も拭えない。でも、もうあくのだいまおうと裏鏡の話以外では真相に迫れそうな情報が皆無、という厳然たる現実がのしかかってるのも事実。
燻っているのもしゃーねぇってことで、俺は不安の拭えない顔色の二人から舵を無理矢理奪い取り、ヴァルヴァリオン行きを決行したってワケだ。
とはいえ、その結論に至ったすぐ後、己の行いを思い返し、猛烈な自責の念にかられる羽目になった。
冷静に思い返せば、上威区―――つまりは武市の中枢を、一部とはいえ更地にしてしまったのだ。
私がなんとかします、と豪語する弥平に流石に気が引けて、こっちでなんとかすっから、と食い下がったものの、本家の尻拭いも分家の仕事ですから、と言われ、まんまと押し切られてしまった。
正直ものすごく申し訳ない気分ではある。でもあの惨状をどうにかできる策なんて、俺にあるワケがないのだ。
結局下手打つより弥平に上手く取り繕ってもらった方が利口という結論で、無理矢理にでも自分を納得させることにしたのだった。
あの更地をどうやってどうにかするんだろう。俺になんか手伝えることがあればいいんだけど。
「それで、いつ頃にご出立を?」
弥平の問いかけで、意識は強制的に現実へ引き戻される。
唐突に問いかけられたから頭の回転が遅くなるも、頭の中にちぐはぐな漠然とした予定が浮かんだので、とりあえずそれを言っておく。
「あー……二日、三日で支度して、二日で段取り決めたら速攻行きたいんだけど」
「ということは、予定日としては五月十一日で、前後する可能性あり、と?」
弥平の問いかけに、ああ、と呟く。
今日は確か五月六日。できれば色々な準備や計画立案とかの作業は、余裕をもたせて最大五日間に設定して終わらせたいところだ。無論、早めに終わったなら出発日はその分繰り上げたい。
ヴァルヴァリオンは大陸の北の方にあるって話は聞いてる。かなりの荷物を持ち運ぶ羽目になりそうだし、なにより遠征計画とか、まだ全然煮詰めていない。
遠征の荷物やら計画やらを練ってたら、多分一日二日じゃ終わらんだろう。アイテムの取り寄せとかもするとなると、尚更だ。
「では近衛は……」
「いや、俺一人で行く」
弥平の言葉を急ぎ気味で遮る。
自国を更地にしておいて、なおかつ遠征のお供まで連れ回すとか流石にマズイ。
弥平にはマジで迷惑かけっぱなしというか尻拭いというか、俺がやるべきを代わりに全部やってくれてる感が凄まじいワケで。
これ以上、コイツの負担が増えるようなことは避けたい。このままじゃ、側近を荒々しくこき使う悪徳主人すぎて気が引ける。
「澄男様。お言葉ですが、お一人で大陸北方は危険すぎます」
弥平が真剣な面差しで詰め寄る。あまりに真剣な表情を、訝しげに思いつつ、俺は軽いノリで奴から目をそらす。
「慎重にいけば大丈夫大丈夫」
「探知系もお使えにならないのに?」
「そうだけど……でもなんとかなるって。今までもそんな感じだったろ」
澄男様……、と眉間にしわを寄せ、軽いノリで押し切ろうとする俺の腕を掴む。
顔の険しさと若干低くなっている声音。明らかにマズイ空気が場を支配する。反射的に自分から湧き出ているノリを抑え、奴の声に耳を傾けることにした。
「``北の魔境``へ赴くには、北ヘルリオン山脈を踏破せねばならないのですよ? 探知系を使わずになんて、投身自殺しにいくようなものです」
北の魔境。名前だけなら母さんから聞いたことがある。
人気が全くなくて、魔生物の巣窟になっているとかいうエリア。大陸の北の方にあって、何があるかほとんど分かっていない地域。
魔生物の巣窟ってだけなら、探知系だの阻止系だのそんな仰々しいもんが必要なほどのこともなさそうな印象なんだが。
魔生物ってのは、山奥とか平原、沼地とか海、川とかにいる、いわゆる雑魚モンスターのような存在。
言葉も思想もなく、ただただ大自然を徘徊しているだけの生物である。そんな石ころみたいな連中、何を警戒する必要があるって言うんだ。
母さんは暇になると裏山の奥にでかけては飯の材料だのなんだのと言って魔生物を狩りに普通に行っていたし、俺なんて修行の暇潰しがてら山奥で久三男と秘密基地作って遊んだり、修行がてら乱獲したことだってある。
確かに魔生物はどこにでもいたし、ビビる久三男を背に格闘した回数なんざ数えるのも億劫になるほどだが、逆に言えばその程度のことでしかなかった。
もしかしてコイツ、山になんかトラウマでもあるんだろうか。
俺の顔色を見た弥平は、突然懐からボールペン的なものを取り出し、それを机の上に置いた。
そのペンは真ん中部分が生物みたく二つに割れると、青白い粒子が飛び出して、机の上にあるはずもないホワイトボードっぽいものを描きだす。粒子の展開が済むのを見届けると、弥平はようやく言葉を奏で始めた。
「澄男様。現状の流川家もしくは流川家直系暴閥幹部の中で、前衛を担うに足りる能力を持った者は誰か。分かりますか」
「は? 何だ突然」
「そう勘ぐらずに」
弥平の意図が上手くつかめない俺だったが、顎に手を当て、ほとんどが筋肉と化してると自分でも思うなけなしの脳味噌を、こねくり回してみる。
「えっと……俺、お前、御玲……あとはお前の母さんとか……?」
「いえ。先代は除いて」
「え? んじゃあ俺とお前と御玲と……あと裏鏡誘き出すときに顔合わせしたお前の従兄妹」
「是空は、どちらかというと前衛支援向けの人材なので除外ですね」
「じゃあ俺とお前と御玲の三人ってことじゃん」
「そうです。ここで、私たち三人の戦力をおさらいしましょう。まず私の全能度は七四一。御玲の全能度は七〇〇。澄男様は……」
「……ん? 待て待て待て待て」
手を振って弥平の話を無理矢理遮る。
流石の弥平も予想できなかったのか、怪訝な顔色を浮かべた。
意を決する。カマされるであろう二人のリアクションを想像しつつ、おそるおそる問いかけた。
「……弥平よ。阿呆な質問だと思うだろうけど許せよ?」
「はい」
「ゼンノードって、何」
弥平と御玲が、石像のように動きを止めた。居間の空気が凍りつく。
やっぱりか、と頭を抱える。居間に流れる冷たい空気に堪えられず、何度も瞬きしながら頭を無造作に掻き毟しった。
「いやあの……ね。そんな唖然とされてもこっちが困るんですけど……」
「い、いえ……``全能度``の意味をご存じなかったとは思わなかったもので……」
「だから阿呆な質問だと思うだろうけど許せよってわざわざ前振りしたのに……いや、知らねぇ俺も悪いけどさぁ……」
「言外の意図を汲み取れず、申し訳ありません。では全能度の説明から、改めてさせていただきます」
居間の空気が重くなる直前、それを払拭するように、ホワイトボードになにやら表のようなものを描き出した。
それが描き終えると、再び饒舌になり始める。
「まず``全能度``というのは、簡単な定義から申しますと``敵性対象の肉体性能を、大雑把な基準を下に、簡単な整数字で表す指標``でございます」
「いわゆるバトル漫画でありがちな``戦闘力``みたいなもんか?」
類似した指標ではあります、と話す。ホワイトボードに色々文字や絵を書きながら、口でそれらを補足するように説明を続ける。
「ただ``戦闘力``というのは、敵性戦力を破壊するのに必要な総合能力を表す言葉ですので、相手の肉体性能のみを数値化することを目的とした``全能度``とは、厳密に異なります」
あー、とうなづきながら、人差し指を立ててみる。
「つまり敵を確実にぶっ潰す戦略を立てられる知能とか、敵の情報を仕入れてそれをちゃんと使いこなせる能力とか、パーティをちゃんと指揮できる能力とか……そういう技術とか知能とかは度外視してるってワケか?」
「そのとおりです。敵性対象の純粋な攻撃力、防御力、機動力のみを表します」
朗らかな笑顔で頷いてくれる。
続けて霊的ポテンシャル、物理攻能度、魔法攻能度、物理抗能度、魔法抗能度、敏捷能度、回避能度という七つの用語を横並びで霊子ボードに描くと、それらを指で右方向にすーっとなぞった。
「厳密には、これら各々七つの尺度を一から千の幅で数値化し、それらを合算したものが、正式に全能度という数値となるわけです」
つまり、個人の霊力量、物理攻撃力、魔法攻撃力、物理防御力、魔法防御力、すばやさ、回避性能をそれぞれ一から千までの数字で表して情報交換に使うってところか。
確かに敵の戦術力とか、知能とかを含めるとかえってわけわかんなくなりそうだし、それだったら敵の肉体性能だけ数値化してみんなと共有した方が良くなるワケで。
肉体性能が数字で表せるだけでも、何もわからんより心構えとか違うし。
ただ、気になる点が一つある。
「でもそういうのって、大体インフレとかしてんじゃないのか」
ふと思ったことを口にした。弥平は、ふむふむ、と作り笑いめいた表情で相槌をうつ。
「たとえば、全能度一万とか一億、とかさ。いくら肉体性能だけ表すつったって、一万以上の数字を使うと流石にわけわからんくなるだろ?」
久三男と読んでいた漫画の内容を思い返す。
バトル漫画を久三男とよく読んでいたから分かるんだが、大体そういうのって最初はデカくて三桁、四桁ぐらいだったのが、どんどん強い奴が出てきて一万、一億、十億、百億、一兆とかになって、もうこれわかんねぇなってなるのがバトル漫画の定番だ。
実際にそんな指標があるとなると、同じこと起きているんじゃないかって心配になってくる。
情報交換が目的なのに、一万とか一億とか、でかすぎる数字は正直邪魔くさいし、不便以外の何物でもない。やるんだったら精々高くても三桁、四桁ぐらいがちょうどいいと思うのだが。
「そこは大丈夫です。こちらをご覧ください」
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各能度三(全能度二十一):一般成人平均
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各能度五(全能度三十五):一般人同士の喧嘩で勝利する強さ。
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各能度十(全能度七十):素質あり。鍛えれば更に強くなれる。一対一の対人戦で確実に勝利できる。任務請負人必要全能度の最下限。
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各能度二十(全能度百四十):単騎で大規模な国内紛争を治めることができる。
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各能度五十(全能度三百五十):自然災害を自在に起こし、国内、国外に限らず全世界情勢を、混乱に導くことができる。
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各能度七十五(全能度五百二十五):大国に壊滅的打撃を与える自然災害にみまわれようとも単騎で生存できるだけでなく、その自然災害の主権を奪い、自在に操作できる。
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各能度百(全能度七百):水守家現当主レベル(純粋人類の種族的限界、五大クラス)
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各能度百~百二十前後(全能度七百~八百四十前後):流川家、花筏幹部クラス。全能度七百未満の相手なら一撃で倒すに相当する攻撃能力。全能度七百未満の相手のあらゆる攻撃能力に対する絶対耐性。
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各能度百四十以上(全能度千以上):人外。歩く災厄。大規模な文明国を消し炭にでき、大抵の地図をも書き換えうる大規模破壊能力を保持。
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各能度二百八十以上(全能度二千以上):表面積五億一千万平方キロメトある、ヒューマノリア大陸すら消滅させうると目される怪物。巫市、武市、暴閥界が扱う、事実上の上限。
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弥平が見せたのは、さっきまでホワイトボードに書いていた、表のようなもの。数字と横棒と、文字で色々ごちゃごちゃ書いてあるが、その表の一番下の方に書いてある数字を見て、胸を撫で下ろした。
「最低値は七ですが、頻出する全能度の幅は二十一から七百までの数字ですね。七百より上の全能度は、一般に緊急時に扱うものとされています」
「まあ二千が、俺らが住んでる大陸を破壊するレベルだしな……むしろそんなバケモンがいたのかって話なんだが」
「我々の親世代の全盛期は千から二千が当たり前だったそうですよ」
生前の母さんの猛威に触れ、毎度毎度ボコボコにされていた日々を思い出し、思わず苦笑いを漏らす。
昔、そんなバケモンたちがドンパチしていたってのに、よく耐えられていると思う。ヒューマノリア大陸。
どれだけ修行しても、ババアに勝てたことは一度もない。アイツは強すぎるんだ。どんだけ殴っても蹴っても焼き尽くしてもダメージ食らわないし、むしろどんどんパワーを上げていきやがる。
裏鏡もそうだが、母さんこと澄会もそういう意味では反則レベルの強さだった。本気で挑んで一度も勝てなかった母さんみたいなのが、戦国時代に跋扈していたのかと思うと懐かしさと同時に少しだけだが恐怖を禁じえない。
そこまで思い出しながら、余計なことだと追憶を振り払う。その証拠に、頭にぱっと浮かんだ別の質問を、弥平に投げつけた。
「思うんだが、一から千の幅で表すってことは、一番大きいのは七千なんじゃねぇか? なんで上限が二千なんだ」
我ながら、粗探しする悪癖が出てるな、と常々思い知らされる。
弥平は言っていた。七つの尺度を一から千までの幅で表して、それを足し算したのが全能度だ、と。
だったら合計すると全能度の最大は七千ってことになるが、この霊子ボードに書いてある表は、二千が上限ってことになってて、二千より上の数値に関する説明が何もない。
深い興味があるワケでもないが、後々齟齬が出ると面倒くさい。モヤモヤもするし、聞いておいて損はないはずだ。
「仰るとおり、本来は七千が最大値です。しかし二千よりも大きい全能度は、あまりにも定義しているスケールが大きすぎて、全く使われたことがないのです。従って、今まで使われたことのある二千までしか記載しなかったのですが……」
不都合だったでしょうか、と問いかけてくる弥平に、いやそれでいい、と返す。
仮にヒューマノリア大陸を一瞬で消滅させられるようなバケモンと、それ以上の破壊ができるバケモンがいたとしよう。そんなブッとんだ奴に数字を適用する意味なんかあろうか。答えは``ない``だ。
自分が住んでいる大陸を破壊する以上の存在に数字を適用するだけ無駄な試みなのは、考えるまでもない。
そもそも、そんなバケモンすぎる奴なんざいてほしくないし、いるべきじゃない。
正直使いもしないのに定義だけあるのは謎でしかないが、使う意味もなさそうな感じだし、だったら深く考えたり勘ぐる必要もなさそうだ。
シリアスに問い詰めてみたが割とどうでもいい情報でリアクションに困ったが、とりあえず今までの話を頭ン中でまとめて、無意識にうんうんと独りでに会釈する。
話を聞いてみて改めて思うが、めちゃくちゃ知っていた方がいい知識じゃねえか。
二千より上の使いもしない定義だとか、詳しいところには興味ないが、大雑把に把握しておくぐらいなら損はない。むしろ得しかない。この手の知識には知らなくても後悔しないタチなんだが、戦いに関与する情報交換の知識なだけに、流石にこれは悔やまれる。
第一、弥平たちには唖然とされたし、今後もこの手の話をすることがあるだろうから、覚えておいた方がいいだろう。
「話は以上ですが、ご理解いただけましたでしょうか」
「おう。あらかた理解したぜ。すまねぇな、手間かけさせちまって」
「いえいえ。澄男様の知識向上に貢献できて、この弥平、光栄の至りですよ。話を戻しますが、よろしいですか?」
かまわねぇぜ、と上機嫌に問いかけに答えた。
弥平の顔色は、やはり作り笑いめいていたが、どこか朗らかさを感じる微笑をみせてくれた、ような気がした。
「さて、さきほど申しましたとおり、私の全能度は七百四十一、御玲の全能度は七百です。澄男様は……」
「俺、自分の全能度なんて知らんぞ……というか全能度ってどうやって測るんだ」
「様々な事実関係を、基準と照らし合わせながら客観的に推測したり、実際に戦ってみた感触を、基準を下に数値化したり。大抵は複数人で議論しながら候補値をいくつか列挙し、それらを平均するのが一般算出法ですけどね」
「流川家や巫市は、相手の肉体組成を分析して自動的に測定する魔法陣と、その魔法陣を組み込んだ眼球改造手術の開発に成功したと聞きましたが?」
さっきまでずっと黙り込んでいた御玲が唐突に問いかけを投げ込んでくる。あまりに唐突だったので、思わずビクついてしまう。
「最先端ならば、確かに技術としてはあります。実際、私は分家邸にある開発段階の最新装置を使って測定しましたし。でもそれはまだ主流ではありませんからね」
なるほど、と添えて、特に疑問もなくなったのか、御玲はまた気配を消すかのように黙り込んだ。
二人が何を言っているのか皆目理解できなかったが、もう面倒なのでとりあえず分かっているフリをしつつ、話の方向を無理矢理戻す。
「じゃあ結局のところ、お前らは俺の全能度をどれぐらいだと考えてんだ?」
「そうですね……エスパーダとの戦いと、裏鏡様との戦いを鑑みるに……最低九百……最大千以上はあると思われますが」
「え。俺、最大で千以上あんの」
「中威区を完全に凍土に変えたエスパーダは、おそらく私と御玲二人がかりでも敵いません。低く見積もっても九百以上は確実です」
「でもアイツ、なんか特定範囲を絶対零度にする固有能力とか使ってたけど」
「固有能力ですからねぇ……詳しくはなんともいえません」
困ったような表情を浮かべるが、すぐにいつもの作り笑いめいた表情に戻る。
「ただ、澄男様はそんな極低温環境に晒されて生存している事実がある以上、最大千以上はあってもおかしくないと、私は思いますよ」
「それに澄男さまは、裏鏡さまとの戦いで半径数キロメトの球形範囲内にある、全てのものを一瞬で更地にしています。あれは紛れもなく、地図を書き換えうる広範囲破壊攻撃。この御玲も、最低値九百、最高値千以上と目しています」
弥平に続いて、御玲も盛りすぎじゃねってレベルの補足を添える。
改めて今までの戦いでやらかした俺の破壊行為を並べられるとむず痒くなる。確かに事実は事実なんだけど、一応俺、流川の出なのを除けば、ただの人間なワケで。
それに、俺がそんな評価なら、ゼヴルエーレの奴が「どう足掻いても今のお前では勝てない人類種最強の存在」と評した裏鏡は、単純に考えれば俺以上の全能度ってことになる。
まあその地図を書き換える攻撃とやらをまともに受けて無傷だった野郎だし、今更不思議でもなんでもないが。アイツはもう反則だ。手の施しようがないチートそのもの。
全能度二千超えていても、納得してしまうくらいだ。
でもそう考えると、全能度千以上って、案外ぽんぽんいたりするんだろうか。だとしたら、ゾッとする事実だ。考えたくもない。裏鏡みたいなのがうようよいるなんて。
「しかし、です」
思索を遮り、弥平が話の流れを否定で切り返す。
「最低九百、最高千以上と目される澄男様を戦力として加味したとしても、北ヘルリオン山脈の魔生物は、依然として危険であることに変わりないのですよ。残念ながら」
あまりにシリアスな弥平の顔色に、フッと軽い笑いをこぼしそうになるが、奴から放たれる雰囲気が、それを許さない。霊子ボードを五本の指で巧みに操り、さっきのホワイトボードとは全く別の画面を映し出す。
それは、``魔生物大辞典``と書かれた電子書籍っぽいもの。それを指で右方向にフリックしていくと、木の化物の映像が映ってるところで、手を止める。
「南北ヘルリオン山脈の麓に原生している魔生物はご存知ですか?」
「いや知らんけど……」
「マンドラウネとアラクラウネですね」
弥平の回答を遮るように、御玲が問いかけに淡々と答えた。俺は完全に出遅れる。
「アラクラウネとは樹木に擬態した魔生物で、血肉を好んで食べる食肉植物のことです」
「確か、全能度百強でしたよね」
はい、と弥平は答えた。俺は一生懸命、頭ン中の棚を手当たり次第にこじ開けていく。
そういえば小さい頃母さんが、暇だから庭掃除すっか、とか言って目と鼻はないが口だけは何故かついてる謎の木の化け物と格闘していたことがあったっけ。アレそんな名前だったのか。
「アラクラウネは、然程脅威ではありません。やろうと思えば、私達でなくとも容易に狩れます」
また画面をフリックしていく。次はさっきの木の化物を、体色だけ赤くした奴が映った画面で、手を止めた。
「一方で、マンドラウネという魔生物は、私達ですら非常に危険な存在なのですよ?」
「何が違うんだ。コイツもおんなじ植物なんだろ?」
「マンドラウネは、全能度三百四十一とアラクラウネの二倍近く強い魔生物ですが、それ以外はほとんどアラクラウネの生態と大差がありません」
「じゃあ、ただの雑魚じゃねぇか……」
「しかし一つだけ、特筆するべき特徴がありましてね。一定範囲に近づいた生物を確実に捕獲するため、甲高い叫び声をあげながら急接近するのですが」
「お、おう」
「その絶叫を聞いた生物は速やかに死に絶え、マンドラウネの食物になってしまいます」
「待って」
思わず、手を差し出して弥平の話を遮る。
「いや待って。それって即死じゃん……耳栓でなんとか」
「残念ながら、マンドラウネの絶叫は耳栓で回避できません。聴覚が音を認識した時点で、固有能力が発動してしまいます」
無理ゲーじゃねぇか。心の中にぽっと湧いて出た盛大かつ冷静なツッコミを、一人寂しく呟く。
麓の時点で相手を即死させるとかパワーバランスおかしいし、そういうのは最深部とかで出てくるべき存在なんじゃないのか。いくらなんでも殺人的すぎる。
なおかつ回避不可能って、初見だったら間違いなく死ぬ。
RPGならセーブデータからやり直せばいいけど、これは現実だ。人生は常にオートセーブ、死んだらジ・エンドだってのに。
抑えられない苦笑いをこぼしつつ、弥平の解釈を自分なりにまとめる。
「……まあ……つまりだ。ソイツを回避するために探知系は必要だと」
「いえ。マンドラウネ以外にも、警戒するべき魔生物は沢山います。私が言いたいのは、ヘルリオン山脈の麓ですら、そんな危険生物がいる。ということなのです」
あー、えっと、と懸命に纏まってた考えを解して、別の考えを埋め込む。
「……つまり、もっと奥にいけばいくほど、全能度がインフレしていく上に固有能力もクソチート持ちが増えていくと」
「はい。例えば、そうですね……」
霊子ボードに魔法陣を重ねた。
ページが勝手にフリックされていく。数え切れないぐらいのページをめくり終えると、焦げ茶色の図体のデカい二足歩行の竜っぽい生物の映像が目に入る。
「山脈中腹に存在する大渓谷には、ドラゴアースと呼ばれる魔生物が生息しているとされています。彼らの全能度は推定でしかありませんが、千百以上が妥当であると言われているほどです」
「なるほど。中腹の時点で少なくとも俺と同等の破壊行為ができてなおかつクソチート能力持ちが山ン中を跋扈してると……」
溜息をつきながら、大きく項垂れた。もはや先に行かせる気がまるでない体たらくだ。なんでそんな魔窟みたいな状態なんだろうか。
と、ヤケクソに言ってみたけれど、それが大自然の法則ってやつだろう。傍迷惑以外の何物でもない。
それに、確か``北の魔境``は北ヘルリオン山脈の更に北だったはず。ということは、もう頭を回転させるまでもない。というか、もうしたくない。
「ですから、探知系や阻止系など、己の身を守る無系魔法は必須です。麓や山脈前半部分の魔生物はともかく、中腹以上はもう、どんな魑魅魍魎がいるのか分かったものではありません。不必要な戦いは、積極的に避けるべきでしょう」
項垂れ気味に頷いた。
不必要な戦いは避ける。極めて合理的なやり方だ。アニメや漫画とかだと全部相手にしたりするが、ンなもんは架空の世界での話。
戦う必要がないなら、戦わない。それに越したことはないし、不必要に戦ったところで命を落とすリスクを背負い、無駄な気力と精神力を費やし、アイテムも無駄遣いするだけ。良いことなんて、何もないんだ。
やっぱり俺、まだちゃんと現実見れていない。見ようとしているつもりなんだが、どうしても自分に都合良く解釈しようとしてしまっている。もし弥平がいなきゃ、多分道中で確実に死んでいた。
いた堪れない気分が胸にどっぷりと横たわる。眉間に少しだけしわをよせつつ、二人に向かって頭ン中で紡いだ言葉を早口気味に投げつけた。
「……とりあえず、お前の言いたいことは理解した。それで、その無系とかいうのを使う奴についてだが」
腕を回し、わざとらしく肩をほぐす仕草をしながら問いかける。
無系魔法が必要なのは分かった。なら問題は、誰がその無系を使うか、だ。
ちなみに悲しきかな、俺は攻撃系の魔法と魔術しか使えない。それも火属性限定だ。
探知系とか阻止系とか、存在は知っているが、使おうと思ったことがないし、使うための修行をしたこともない。今更修行しても間に合わないし、俺以外の誰かに代わりを務めてもらうしかない。
個人的に弥平はダメだ。奴なら適材適所、百パーセント確実に全ての場合に対処できるだろうが、主人としてこれ以上、奴に重荷を背負わせるワケにはいかない。
「私は行きませんよ」
断ろうとした矢先、我先に弥平が断ってきた。俺は思わず、え、と高めの声をあげてしまう。
「今回の事後処理と敵組織拠点の割り出し作業で、分家邸に缶詰ですので」
ああ、と思い立ったように呟く。
裏鏡からの情報で、敵組織の拠点は巫市農村過疎地域に絞られ、なおかつ敵首魁もあの放蕩オヤジだってことが分かった。弥平達から敵首魁のことやらを後になってから色々聞かされたけど、それに関して存外驚きはしなかった。
元々愛着がほとんどなかったなんちゃって父親だったせいか、敵首魁だと言われたらむしろ迷いなく納得してしまったくらいだ。
だって、家族愛だとか父と子の友情だとか、あんなクソ親父だろうと僅かに感じていたはずだなんていう生温い微かな希望さえ、敵だと分かった時点で影も形もなくなってしまったのだから。
残る感情といえば、ぶくぶくに膨れ上がって破裂寸前の殺意と、生みの親にこっ酷く裏切られたというクソみたいな憎悪だけ。むしろこれほど殺し甲斐のある相手とか中々いないんじゃないかとか、そんなドス黒い感情さえ湧き始めてる。
まあ、強いて気になることといえば、なんで流川に接近したのかってくらいだが、それはヴァルヴァリオンに行けば分かるかもしれないし、深く考える必要はないだろう。
「従って、今回の遠征は澄男様と御玲のお二人に一任しようかなと」
弥平の言で、脳味噌をうごめく呪詛の連鎖が途切れる。俺はクソ父親の事なんざ捨ておいて、さっきから口数の少ない御玲の顔色を覗いた。
確かに、弥平以外に前衛が務まる近衛といえば、コイツしかいない。でも前にめちゃくちゃ悪口言った手前、話しづらい空気は未だに続いている。
完全に過去の俺のせいだし、人材がコイツしかないのは分かっているものの、正直やりづらい相手だ。
「私は問題ありません」
御玲は真顔で、凛と答えた。期待していますよ、と弥平が返す。俺はというと、やっぱり声がかけづらい。
なんて言えばいいか分かんないし、そもそも全然こっち向いてくれない。終始真顔で、何考えてんのかイマイチ分からんのが拍車をかけている。
マジでこれ、どうにかしないと。なんで俺はこうも物事を拗らせることは得意なんだろうか。
「……御玲、お前は無系使えんのか」
俺はおそるおそる問いかけた。とりあえず会話だ。会話を―――。
「使えません」
初っ端から返しようのない返事しやがった。
使えないなら問題ないどころか問題外じゃねぇか。正直きっぱりと問題ないとか言うから、ちょっと期待したのに。
俺の困惑をよそに、御玲は弥平の方へ視線を投げる。
「ただ、技能球に無系魔法を封入してくだされば、適材適所で使えなくはありません」
「以前、魔法には詳しくないと言ってましたが、あれは攻撃系のことでしたか」
「基礎的な無系魔法であれば、多少素養がございますので」
なるほど、と弥平は返し、俺も納得する。
確かに技能球に魔法を封じ込めておけば、無系魔法を使えない奴でも無系魔法を使うことができる。
だから問題ないって言ったのか。危うく強めの反論をして墓穴掘っちまうところだった。基礎的な無系魔法ってのが、俺にはよく分かんないけど。
「技能球の支給は分家派で行いましょう。準備ができ次第、こちらに配達致します」
俺と御玲は、弥平の結論を快諾する。
本当はその程度、この俺がやるべきことなんだろうが、自分の芸のなさが恨めしい。
この期に基礎的な無系だけでも使えるようになるべきだろうか。いやでも中途半端な奴が下手に魔法を使うより、能のある奴が魔法を使った方が利益はデカい。
俺はただ単に攻撃系特化のパワー馬鹿。やるんだったら使い慣れている攻撃系を突き詰めるべきだ。
「次に遠征ルートですが」
弥平が机においてあるペン型の霊子ボードをタブレットみたく操作し、ホワイトボードから世界地図の上に色々うじゃうじゃと矢印を描いた画面に切り替える。
「私としては水守家を拠点に、エヴェラスタを経由していくべきだと具申します」
「エヴェラスタって確か、あの氷のデカブツのテリトリーだったよな」
はい、と頷く。地図を拡大し、エヴェラスタがあると思われる範囲にマーカーが描かれた。
「あの事件の後、彼らはエヴェラスタへ帰りましたからね。今もあそこにいるはずです」
「あいつらに頼んで身の安全を保障してもらう感じか」
そうです、と作り笑いが光る。
あの二人には貸しを作ってある。俺らの住処を荒らしたツケをまだ払わせていない。奴らも長期間、借りを借りたままなのは嫌なはずだ。
借りを返せる機会があれば、必ず返しにくる。貸しを蔑ろにするような連中だとは思っていないが、これで味方かどうかもはっきりするだろう。
「でもよく分かったな。エヴェラスタの場所」
「水守家が何故氷と水の囲まれているのかを調べると、ドンピシャでしてね」
「然水氷園を、ですか」
御玲が弥平の呟きに反応する。
そういえば、水守家は領地の半分以上が氷原に覆われていて、そこには澄んだ水が流れてるって聞いたことがある。
母さんが、ソイツの眺めは酒とつまみがあればもう最高だとか絶賛していたっけ。
「その然水氷園の出自は、然水氷園よりも北の方から吹いている北風と運河によるものなんです。それらを辿ると、暗雲に覆われた大型の氷雪山脈地帯らしき地形が、北ヘルリオン山脈と隣接していることが判明しましてね」
「それがエヴェラスタなのか?」
「おそらく。詳しくは実地調査を実施しなければ分かりませんね。なにせ常に濃い暗雲に覆われていて、衛星が役に立たなくて」
北風がなければ分かりませんでした、と弥平は語る。
まさかの水守家とエヴェラスタがお隣さんだったとは。
まあでもそうじゃないと水守家が氷漬けの土地にある説明がつけられないし、北風が吹いてるんなら、そういうのがあると目星をつけるのが妥当か。
「もしエヴェラスタであるなら、入ればエスパーダの方から来るかもしれません。自身のテリトリーですし」
「一応、エヴェラスタを守ってるって自称してんだから、気づかなかったらとんだ間抜けだしな……」
「しかし実地調査を行なっていないのに、澄男さまを行かせるのは危険では」
「……いや、実地調査なんざしてたら時間が足りなくなる。俺らがさっさと行けばすぐに分かる事だ」
御玲の疑問を被り気味で言い詰める。正直これ以上ウダウダとここで燻るのはごめん被りたい。
実地調査って言ったって、それがいつ終わるのかも分かんないし、その間ずっとここにいるなんて時間の無駄だ。敵の正体と大雑把な拠点の場所は銀髪野郎の情報で分かったワケで、後は経緯というか、因果関係をさっさと知りにいくだけ。ウダウダと足踏みする意味はない。
「ちなみにエヴェラスタは氷山ですし、然水氷園もかなり寒い気候ですから、澄男様は必ず防寒装備をしていってくださいね」
「んあぁ……凍土だしな。寒いのは動きが鈍くなるから苦手なんだが、この際しゃーねぇ」
弥平は、ははは、と作り笑いを浮かべた。
暑いのと乾燥しているのは平気なんだが、寒いのとジメジメしているのは苦手だ。
動きも頭も鈍くなるからできれば近寄りたくないし、ずっと寝て過ごしたくなってしまう。だが当然、ンなことを言える立場じゃないから我慢するが。
「ではまとめます。拠点は水守家。出発予定日は五月十一日」
「ほい」
「はい」
「ルートは水守家から北へ出発し、エヴェラスタらしきエリアでエスパーダを捜索」
「弥平さま、エスパーダに霊子通信は使えるのでしょうか」
「不可能な前提で臨んでください。霊子通信は、あくまで人類規格ですからね」
「俺は使えたが……?」
二人の会話が止まった。
そんなに驚かれても困るんだが。使えたものは使えたんだ。それ以上も以下もない。
「それは……澄男様から送ったのですか」
「いや向こうから」
「向こうからですか……では澄男様から試みてくださりませんか」
「いいけど……できるかわかんねぇぞ」
「構いません。試すだけの価値はあると思います」
確かに、向こうからこっちに送れるんなら、こっちから向こうに届く可能性は普通にある。
自分のテリトリーにうるさそうな性格していたし、こっちから呼び続ければ、姿を現わすかもしれない。
「装備は防寒装備と高山病対策装備を一着。技能球もセットで、分家派より発注いたします」
「一着?」
「私は寒さに耐性があるので。氷点下数十度程度であれば、問題ありません」
マジかよ。そのメイド服姿で氷点下数十度に耐えられるとか、どんな修行してんだ。
いや、冬になるとさっみぃぃなぁ澄男ォ、ちょっくら山奥にある火山までひとっ走りしてマグマ溜まりでひと泳ぎしようぜ、とか平気な顔で毎年言ってたクソババアと比べればマシだけどさ。
よくよく考えれば、身の回りの奴らで人間真面目にしている奴といえば、久三男か弥平くらいなもんか。
「手筈としては以上です。詳しいルートと、日程は折り入って伝えますので、また十一日に」
弥平の締めにより、会話は終えられた。さてと、と呟き、俺はむくりと立ち上がる。
弥平達、分家の準備が終えるまで俺がするべきは決まっている。修行だ。
一ヶ月修行して編み出した技は、裏鏡に全く通じなかった。今度はもっと相手を抉るような技を編み出さなきゃならない。
結局今までの俺はただ裏鏡とかエスパーダと喧嘩していただけで、ここまでの状況を持ち込めたのは弥平のおかげだ。本家派当主として、弥平の足を引っ張るような真似はできない。既に幻滅されている可能性だってあるんだから。
居間を出ると、二階へ向かい、愛用の剣を腰に携える。
どうせ汗塗れになるTシャツをベッドへ投げ捨てると、一階の応接室からいける道場へと直行したのだった。




