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初めての黒星

澄男(すみお)様!!」


 耳の鼓膜を貫く声音。凛とした、しかし明確な存在を思わせる呼び声で、荒野に倒れる一人の少年の意識が舞い戻る。


 砂を引きずるような音とともに先に立ち上がったのは、銀髪の少年、裏鏡水月(りきょうみづき)であった。


「か……ひゅー……れい、か……?」


 ひゅー、ひゅー、と事切れたような呼吸をする何か。


 焦点は既に合っておらず、朦朧とした意識で、地に伏している澄男(すみお)だ。体力を使い果たしたのか、気力を使い果たしたのか。個人を判別することもままならない。


澄男(すみお)様……大丈夫ですか!? 御玲(みれい)、介抱を頼みます」


「は、はい」


 アーマースーツを着込んだ少年、流川弥平(るせんみつひら)は、地面に倒れ込んだ澄男(すみお)を、遅れて駆け寄ってきた水守御玲(すもりみれい)に任せ、裏鏡(りきょう)の方へ身体を向ける。


 澄男(すみお)を心配する表情から一転。裏鏡(りきょう)を強く睨みつけ、ナイフを引き出す。彼からは刺々しい感情が見え隠れする。


「もう、ここまでです。これ以上の戦いは無意味。武器を下ろしなさい」


 弥平(みつひら)から放たれた声音は驚くほど低い。しかし、それでも裏鏡(りきょう)は無表情で見つめたまま、立ち尽くすのみである。


 ほんの少し睨み合った末、弥平(みつひら)は肩を竦めた。


「……私達は戦いを望んではいません。貴方に相当な情報収集力があると推測し、接触した次第なのです」


「……」


「貴方なら私たちの実情も察しているはず。どうか、お願い致します。私達に、敵組織の情報をお渡し下さい」


 弥平(みつひら)は深々とお辞儀をした。腰を四十五度曲げた最高敬礼。本来、する義理などないけれど、穏便に事態を終息させるに越したことはない。


 裏鏡(りきょう)の立ち振る舞いを考えれば、謙譲の態度をとるのが最良だ。


 裏鏡(りきょう)の顔色は尚も変化しない。だが辺りを流れていた暫しの沈黙を、何の因果か、彼は唐突に、何の前触れも無く破った。


「……俺は撤退する」


 それは大気にすぐには馴染まない、濃い声音。弥平(みつひら)御玲(みれい)は、自身の鼓膜の揺れを明確に感じとる。


弥平(みつひら)、撤退とはすなわち敗走と言ったな。望み通り、俺が知っている情報をくれてやろう」


 裏鏡(りきょう)は静かに刀を鞘へ収めた。風通しの良くなった更地に、微風が通る。


「お前達が追っている存在は、遥か北方の地よりやってきた。地の名を、ヴァルヴァリオン」


 悔し紛れに歯噛みする。


 己の仮説、擬巖(ぎがん)が敵の首魁、という線は希薄になった。


 やはりあくのだいまおうの言っていたことの方が正解なのかもしれない。信用するとは言ったが、やはり全面的には不安があった。


 個人的には仮説の方が正解であって欲しかったが、現実はうまくいかないようだ。


「ヴァルヴァリオンは今、新設大教会と呼ばれる組織が牛耳っている。その者は、その組織から派遣された」


 思索をよそに、裏鏡(りきょう)の語りは続く。


巫市(かんなぎし)農村過疎地域。そこに支部の拠点がある。詳しくはお前達で探すがいい」


 彼の語りは横柄に締めくくられた。一字一句逃したりはしていない。弥平(みつひら)は手を挙げる。


「一つ質問を。何故そこまで知ってるんです? 貴方には関係のないはず。もしや」


澄男(すみお)を打ち砕いた後、俺が潰す予定だったからだ。俺は強者を求め、大陸を行脚しているからな」


 なるほど、と返す。どおりで狙ったタイミングで暴閥(ぼうばつ)関係者を襲撃できたわけだ。


『鏡はあらゆる真実をありのまま映しだす』


 彼はそう言っていた。超能力を使い、事前に倒すべき相手の情報を掴み、外に出てきたタイミングで襲撃を仕掛けていたのだ。


 襲撃された一人としては大変迷惑な話であるが、今回はその襲撃で望み通りの収穫が得られている。


「更に一つ。潰す予定だったということは、敵組織の首魁の情報もご存知なのでは」


 そう、最も気になるのはこれだ。敵の首魁は誰か。


 おそらく擬巖(ぎがん)家は、もう関係ない。あくのだいまおうが言っていた証言が、濃厚だからだ。


 ならば首魁は誰なのか。ヴァルヴァリオンということは竜人なのだろうが、竜人と澄男(すみお)、一体何の関係があるというのだろう。


 弥平(みつひら)が疑問符を湧き立たせる中で、裏鏡(りきょう)は淡々と質問に答えていく。


「その者は派遣された(のち)、強者を求めてある集団に寄生し、子を孕ませ、その子を苗床とした人体実験を敢行した。名をユダ・カイン・ツェペシュ・ドラクル」


 誰だかわからず、首を傾げる。御玲(みれい)の方にも視線を投げてみる。首を左右に振った。


 御玲(みれい)も知らないか。これはまだまだ質問しなければなら―――。


「またの名を、流川佳霖(るせんかりん)


 今、何と言った。


 大気の流れ、風の音、そして時間。全ての物体が一瞬、停止したような感覚に襲われた。


 聞き間違いだろうか。流川佳霖(るせんかりん)。彼はそう言ったか。


 その者が誰か、この場で知らない者はいない。その者は、むしろよく知られている人物だからだ。


 流川(るせん)白鳥(しらとり)水守(すもり)。この三家の中では、名の知れた存在。


 何故なら、流川佳霖(るせんかりん)と呼ばれる、その人物は―――。


 流川澄男(るせんすみお)の実父にして、流川(るせん)本家派の幹部の一人なのだから。


佳霖(かりん)様が……?」


 内通者がいるという証拠は掴んでいた。そして目星もつけてはいた。


 佳霖(かりん)を疑っていたのは言うまでもないことだが、ただ単に敵組織に情報をリークしているだけの存在だと思い込んでしまっていた。


 だが、その前提こそが、敵の罠だったのだ。


 内通者が首魁であるはずがない。首魁はまた別にいて、組織の末端なのだと。


 先入観にまんまと嵌ってしまった。寄生した集団とは、まさしく流川(るせん)本家派のこと。本家派の信頼を得れば、分家派の信頼も自動的に得られる。


 幹部クラスの座につき、水守(すもり)家の部隊を動かせる程の実権を有していたのだから、流川(るせん)が彼に絶大な信頼を寄せていた証拠だ。


 しかし、その信頼自体が裏切りの伏線。


 仮に裏切りがバレて、敵としてマークされても、ただの内通者というイメージで捜査が進む。


 流川(るせん)の幹部クラスが何者かと内通している。でも、敵の首魁ではないはずだ。首魁はきっと別にいる、と。


 信頼を下に先入観を植えつけることで捜査を撹乱させ、どこかにいる別の首魁を想起させる。そうすれば、時間をかなり稼ぐことができる。


 流川(るせん)の幹部が別組織と内通しているというだけで、内通先の分析を行わなければならなくなるし、そもそも事実の裏付けなどもしなくてはいけない。


 捜査の方向性を意図的にずらされていたとすれば、かなりのタイムロスを強いられたことになる。内通者が敵の首魁で、内通先の組織が内通者の作った組織など、誰が真っ先に予想できようか。


 トランプゲームが始まる前、一番弱いカードをあらかじめ引き抜いておき、ゲームが終わった後、ジョーカーを破り捨て、引き抜いておいたカードをジョーカーに塗り替えられたようなものである。


 ジョーカーを真っ先に引き抜かれたら誰でも分かる。しかし、一番弱いカードなど、誰も気には留めない。況してや、ゲームが終わった後に最初のジョーカーを破り捨て、一番弱いカードをジョーカーに据えられたら、気づくまでに時間がかかる。


 少なくとも、またトランプゲームをしようと誰かが思わない限り、誰も気づきはしないだろう。


 思わず、奥歯を噛み締めた。


 巧妙で凄まじく手間の込んだことをしてくれた。最後の最後で裏切る、ただそれだけのために先代の当主達に取り入る。どれだけの手間を注ぎ込んだのか、想像もできない。したくもない。


 でもこれだけは言える。


 あんまりにあんまりにも、酷すぎる。


「後はお前らの好きにするがいい。澄男(すみお)の意志に免じ、佳霖(かりん)の討伐は見送ってやろう」


 裏鏡(りきょう)は身を翻した。一方的に、自己中心的に、語るだけ語って三人から視線を外す。


 だが足を一歩踏み出したところで、彼の動きがぴたりと止まった。


「……``弟``……奴からは、絶大で、極めて禍々しい悪意を感じる」


「弟……? それは、久三男(くみお)様ですか」


「奴を中心に、滅びの像が観える。早急に対処することを推奨する。復讐を果たす前に、世界が滅んで欲しくなければな」


「……ッ!? それはどういう」


「興味範囲外だ。後の事など、俺は知らん。だが、約束は履行した。弥平(みつひら)


 なんでしょう、と肩を竦めながら呟く。


 肝心な事は曖昧にしか教えてくれないことに苛立ちを覚えながらも、胸の奥底に本音を無造作に押し込む。


「俺は澄男(すみお)の戦いに更なる高みを垣間見た。執念……今の俺には風化しかけていた感情だ。今宵、俺は修行し直すことにする」


 裏鏡(りきょう)の銀髪が風に揺れた。鏡面加工されたような髪は、太陽光を全力で乱反射させる。


 弥平(みつひら)御玲(みれい)は、網膜から伝わる痛覚に、思わず眼を細める。


「此度の戦い、極めて賞賛に値する。よって澄男(すみお)、お前に暫時、白星を預けよう。修行が終わり次第、俺は再び、この地に戻る……奴に、そう伝えておけ」


 虚空が歪み、水面のように波打つ。波形を描く水面に体を押しつけるように、空間の境界面へ、身体はみるみるうちに染み込んでいく。


 最後の最後まで命令形を崩さなかった裏鏡(りきょう)。彼は背後にいる三人に手を振ることもなく、振り向きもしない。


 ひたすら悠然と、飄々と、更地と化した平原に浸透していく。まるで姿見に入り込むかのように。


「然らばだ」


 彼らは聞き逃さなかった。彼が虚空へと消える寸前、最後に放たれた、色濃い余韻を残す、言の葉を。

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