喧嘩を仲裁せよ
``顕現``で避難した三人は、近くの高層ビルに避難したものの、それだけでは安全を確保できず、三人はそのまま流川分家邸へ避難していた。
「弥平様、衛星写真の現像が終わりました。こちらです」
三人がいるのは流川弥平の私室。
彼と他二人が向かい合うようにして座り、白鳥是空が霊子ボードを片手にすらすらと液晶をフリックして、弥平に手渡した。
「これは酷いですね。地図を書き直さねばなりません」
弥平が見ていたのは、霊子ボードに映った衛星写真。武市の上空に存在する人工霊子衛星で撮影したものである。
弥平は、画像データを目の当たりにして、眉をひそめた。
もはや会場であった会場ビルは跡形もなくなり、今やそれがあった場所は、大災害の中心地と成り果てている。
まず、会場ビルを中心とする半径数キロメトの範囲は全て更地。本来高層ビルが無数にあったはずだが、悲しきかな、一家屋残らず消滅している。
次のページにめくると空全体を真っ赤な魔法陣が爆心地を覆っていた。魔法陣が邪魔で、何が起こっているのかよく分からない。
「これ……合成とかで誇張しているわけではないんですよね」
「そんなことをするメリットあります？」
ごもっともです、と御玲は申し訳なさげに一礼する。霊子ボードの液晶をタップして爆発地点を分析していく。
半径数キロメトが更地になるというのは、大型爆弾を投下しない限り引き起こせない破壊だ。
一般に霊力を使用しない通常兵器と、霊力を使用する霊的兵器の二種類があるが、前者の兵器で最も高い破壊力を望めるものは、核兵器。
魔法と科学が理論的に統一された現代。核兵器は旧型化により、もはや旧世代の遺物と化しているが、破壊力を通常兵器で分かりやすく換算する慣習自体は残っている。
この慣習に従って爆発力を通常兵器で換算するならば、数メガトンの水素爆弾一個分に相当する破壊規模。
霊子ボードを用いて簡易的に分析してみたが、言葉にならない被害状況である。
「弥平さま、素朴な疑問を言ってもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「澄男さまと裏鏡さまって……生きているのでしょうか……」
是空も彼女の疑問に共感するように、数回頷く。
数メガトンの水素爆弾一個分の破壊など、人間が耐えられる破壊力ではない。
重く建てられた大型建築物でさえ、跡形もなくなるのだ。人間など一瞬で砂塵と化すだろう。普通に考えるなら、生きているとは到底思えない。
「爆発後に魔法陣の展開が見られるので、考えにくいですが……生きているかと」
「未だ戦闘が続いているというのですか！？」
でしょうね、と弥平は苦笑いを浮かべながら、肩を竦める。是空は、す、凄い、と呆気にとられていた。
数メガトンの水素爆弾一個分に匹敵する爆発を受けて平然と生きている二人。挙句、まだ戦闘を続けている。
澄男も裏鏡も、一体何者なのか。
いくら核兵器が旧世代の兵器とはいえ、今の世でもそれなりの大量破壊兵器であることに変わりない。
彼らの戦いは魔法や魔術で身を守れるなどという次元を軽く超えている。常識という概念を全て無視しているとしか言いようがない。
「弥平様、これからどうなさるおつもりですか」
呆気にとられていたのも束の間、是空は顔色を切り替え、冷静に問いかける。
被害状況の推察と澄男達の状態は予想できた。問題はこれからどうするか、だ。
普通に考えれば、澄男達の下へ行って彼らの戦いを仲裁するべきだろうが、数メガトンの水素爆弾の破壊が平然と行われている戦場へ下手に割り込めば、致死率は言わずもがな。今にも朽ち果てる寸前の古橋を、走って渡るようなものである。
ふむ、と呟いて暫時思索の世界へ身を投じるが、すぐに現実世界に浮上する。
「装備を整えて行きましょう。爆轟耐性を重視したものに」
「同じ爆発が二度起こる可能性は」
「無きにしも非ずですが、このままずっと戦わせるわけにもいかんでしょう」
「弥平様、霊子通信を送って説得するというのは」
「当然やります。裏鏡様は埒が明かないので、澄男様で」
是空と御玲の疑問にさらさらと答えていく弥平。
本来やるべきことは、裏鏡と殺し合いをするのではなく、情報収集である。
澄男がまんまと裏鏡の挑発に乗せられて始まったこの戦い。言うならば、自己満足をお互い満たしているだけの喧嘩だ。情報収集という確固な目的がある手前、決して喧嘩をしにきたわけではない。
そもそも自国を大規模破壊してしまっている時点で、社会的には極めて芳しくない状態でもある。
「是空、装備を持ってきなさい。二人分」
御意、と是空は返事をすると襖を開けて、弥平の私室を後にする。
流川分家邸には、人類最高峰の魔法、科学技術が結集している。
世界情勢の監視。魔法の研究。技術力の向上と新開発など、例を挙げると様々だが、そのうちの一つに局所的戦闘用の装備開発がある。
流川家が使用する対人戦装備は、主に分家邸と、本家邸のラボターミナルで製造されている。弥平の執事服も、その一つである。
襖が再び開けられた。是空が持ってきたのは、二着のフルアーマースーツであった。
色は無機質な銀。少し灰色がかっているが、傷一つなく、未だ使われた形跡がないように思えた。是空はテーブルに置いた二着の装備について説明していく。
これらは爆轟耐性のない者が空襲地点へ赴くことを想定して製造された対爆轟局所潜入用装備である。
潜入用であるため機敏性に大きく欠けるが、装備すれば身体全体を覆うように霊壁を展開することができる。
鉱物で造った複合装甲との二層防御で、爆弾炸裂時の熱線や全方位に放出される爆風圧からは、概ね身を守れるといった構造だ。
「ただし旧型モデルのため性能不足が顕著であり、霊的兵器による極めて強力な爆撃や、超能力による効果からは身を守れません」
「霊的兵器による爆撃というと……マナーム空爆ですか」
「はい。ただそれでも物理学的兵器が相手であれば、数メガトン級の水素爆弾の爆風圧にも十分耐えられます」
御玲は、是空と弥平の専門的な話に必死になって食いつく。
マナーム空爆というのは、現代の軍事技術において主流となっている、魔法の技術を用いた空襲手段のことだ。
大気中の霊力に強い刺激を与えることで物体の熱運動を爆発的に増大させ、超広範囲を一気呵成に蒸発させる焼夷弾を用いて行われる。
焼夷弾と言われているが、この空爆で使用される焼夷弾、マナーム弾は世間では核爆弾と同様の存在として知られている。何故なら、たった一発のマナーム弾で半径五百キロメトを更地にできると言われているからだ。
核兵器が全く使われなくなったのは、まさにこの霊的兵器が軍事産業の台頭となったからであった。
弥平と御玲は、早速アーマーを装備する。
当主に就任してから長いが、防具と言えば、ずっとこのメイド服``軽鎧・水護冥土``のみだ。これ以外の防具は装備したことはない。況してや、局地戦場潜入用のアーマー装備なんて、この目で見るのさえ初めてである。
是空にも手伝ってもらいながら、なんとか三十分程度の時間をかけて装備できた。
是空は弥平に技能球を手渡す。分家邸に避難した際に、弥平があらかじめ霊力の補填を頼んでおいたのだ。
「私は分家派当主代理として、ここに残ります。……どうか、御武運を」
是空は弥平の両手をぎゅっと握り締めながら、作り笑いを絶やさない彼の顔を、切実な表情で見つめた。
大丈夫ですよ、と一言を添え、御玲の方へ身体を向ける。
「では行きましょうか。御玲、手を」
言われた通り、弥平の手の平に手を添える。彼の片手に宿る球が明るく光るや否や、視界は一瞬真っ暗になり、再び景色が見開かれた。
そこは際限のない灰色の大地と雲一つない青い空。場所は武市上威区。ついさっきまで情報収集の為の舞台、祝宴会場ビルがあった近辺だ。
本来なら高層ビルが密集しているはずの場所は、綺麗さっぱり消えてなきなっていた。ほんの僅かな瓦礫と、高層ビルの亡骸というべき鉄筋の成れの果てが、斜めに地面を貫いているのみである。
少し前までは火が燃えていたのだろうか。よく見ると所々黒く焦げている場所が散見される。
見るも無惨に変わり果てた都市の一部に、御玲は呆然と立ち尽くした。
「行きますよ。二人はあちらにいるようです」
弥平に二回右肩を叩かれ、我に帰る。
目の前の惨状を垣間見ても尚、弥平の表情に困惑はない。いつも通り、彼の瞼は閉ざされたままであった。
「データによると澄男様達は、会場ビルがあった場所から南西へ移動しているようです」
「まだ戦いは続いているのでしょうか」
「風があるでしょう？」
弥平に言われ、怪訝な表情を浮かべながら大気に感覚を研ぎ澄ませる。
言われてみれば風が強い。でもそれは、建物という建物が全て消し飛んだからだと思っていた。違うのか。いや、もしや。
「これは自然風ではありません。``衝撃波``ですよ」
勘は見事に的の中心を射た。転移してきた直後は、風通しが良くなったことで多少強い南風が吹いているとばかり思っていた。
しかし、これは波動。二人がぶつかり合ったことで生まれる大気の振動が、あたかも南風のように吹いているだけなのだ。
まだかなり距離があるというのに、中心部はどれだけ激戦状態なのか。想像できない。
「応答して下さい、澄男様……！」
弥平は切実に願いをこめながら、霊子通信を送る。
霊子通信は霊子回線と呼ばれる、霊力で作られた通路でお互いの脳味噌を繋ぎ、精神的な繋がりで生まれた空間の中で会話をする技術。
距離が遠ければ遠いほど消費霊力は高くなるが、頭の中でリアルタイムリーな会話ができる。
本来なら相手を念じながら声をかけるだけで応答が返ってくるのだが、いくら呼びかけても澄男からの応答がない。
戦闘中だから無視しているのか。いや、考えにくい。
弥平は御玲にも、澄男に呼びかけるよう指示する。
霊子通信で相手が応答しない原因で主に考えられるのは四つ。
距離が遠すぎる。気絶している。眠っている。体内の霊力が空になっている。霊子通信に反応できないくらい精神衛生が悪い。このいずれかであるが、今の戦況を考慮すれば原因は明白だ。
距離が遠すぎる。圏内に近づいているのでありえない。
気絶しているか眠っている。体内の霊力が空。霊子衛星から取得した気象データによれば今も尚、戦闘による大気の変化が見られるので、これらもありえない。
よって、原因は霊子通信に反応できない精神状態にある、となる。
「さて、どうしたものでしょうかね……」
徐々に澄男達がいるであろう地点へ距離を詰めながら、顎に手を当てる。
霊子通信に応答できない状態で戦っている人間に割り込む。それは溺れた人間を助けようしたが、パニックになったその人に手足を掴まれ、ともに溺れるのと同じだ。
物理的に仲裁する。しかしどうやって仲裁する。裏鏡には本気で挑んでも勝ち目はない。
エスパーダ戦と今回で、二回も竜位魔法を目の当たりにした手前、いくら対爆轟用装備をしているといっても、澄男の方に割り込むのも分が悪い。
二人がかりで止めようにも、半径数キロメトの全てを更地に変え、尚も戦いを繰り広げられる人外を二人も相手にするのは、はっきり言って不可能だ。
思索の波を激しく打ち立てる弥平をよそに、御玲は澄男の顔と己の姿を頭に思い浮かべていた。
流川澄男。流川本家派の当主。力も強く、一ヶ月前に中威区を凍土に変えた北方の山脈に住む怪物と互角以上に戦い、未曾有の力で勝利を収めた。
まさに英雄の力だ。人間では決して敵わない存在に立ち向かい、互角以上の戦いを繰り広げた末に勝利する。
流川家という英雄の血統に恥じない功績を挙げている。
だがなんだろう。このモヤモヤは。このやるせなさは。
水守御玲。その名で生まれてから十五年が経ったけれど、その人生は澄男のように華やかなものでは決してなかった。
澄男のように、戦いに長けた才能もない。澄男のように、大陸の三分の一を支配できる強大な血統も持っていない。
自分にできたのは、ただただ途方もない努力、研鑽。ただひたすらに修行をする無機質な日々。
もし水守に流川と同じ力があったなら、もっと使いようを考えていただろう。間違っても、目的を見失った喧嘩には費やさない。そんなの、擁護しようのない才能と血統の無駄遣いだ。
我が主人は、流川澄男は、自分が持っているものの価値を、全く分かっていない―――。
奥歯を強く、強く噛みしめた。胸から湧き上がるもやもやとした感情を、泥団子を作る要領で何個も、何個も丸め込み、それらを粗雑に一個の巨大な団子にする。
霊子回線はまだ繋がっている。弥平は打開策をまだ考えている様子。
能ある鷹が皆立ち往生している今、状況を打開しようと動けるのは誰か。考えるべくもない。
主人が起こした、わがままで、このくだらない喧嘩を終わらせる。
御玲は目に見えぬ霊子回線の入り口に、丸めに丸め込んだ泥団子を無造作に放り投げたのだった。
