突然の刺客
弥平と御玲が歓楽街で密談をしている頃。場所は、栄えある血族、流川の本家領。
武市最南端、緑の草木と灰色の石段で囲われた壮大な丘。その丘すらも覆い尽くす王道楽土が、ゆっくりと呼吸していた。先進した都市様相と異なる時間軸にいるかのように、周囲の自然と同化している。
草木に囲まれた領土に建つは、巨大な邸宅。塗装は大木の色彩に統一され、その壮麗さは、まさに巨木の迷宮。
一般家屋の数十倍はある城は、周りの自然を拒絶する事なく、むしろ自ら受け入れている。
もはや本家領にある全てが、文明進歩の結晶たる無数の高層ビル群を見据える為にある桃源郷のようであった。
「全くあの悪ガキィ、また寝巻をそこらにィ……帰ってきたらぶん殴るゥ」
自然溢れる庭から、女性の声。
齢五十程度。年寄りでもなく、しかし若くもない声音には、晩年を思わせない。むしろ老いを玉砕する猛々たけだけしい百獣の王の風格が、色濃く滲み出ていた。
縁側に人影が映る。エプロンこそ纏っているものの、女は異常なまでに武骨であった。
腕、足、胴、胸、首。至る所が炎症でも起こしているように、全ての筋肉がぼこぼこに隆起している。
例えるなら、狂暴なグリズリー。
手は大の男の頭を鷲掴めるほど巨大に腫れ上がり、少し力加減を間違えれば、こづいただけで何もかも砕いてしまう鋼鉄の砲弾である。
人間の姿を模したグリズリーは手を止め、地面に落ちていた携帯ゲーム機を拾い上げる。ばき、という鈍い音を鳴らして。
「あ。力加減ミスったァ……どうしようこれェ……完全にお陀仏してんよなァ……」
巨魁はポロポロと破片を地面に落とす携帯ゲーム機を片手に、暫し考え込む。
「よくよく考えりゃあ片付けてねェ澄男が悪いじゃねぇかァ!! よォしィ!! テレビ台の下に隠しとくかァ!!」
バレて喧嘩吹っかけられたら殴り返せば良いや、とお亡くなりになった携帯ゲーム機の死体を台の下に滑らせる。
澄男達が学校に行って早六時間が経ったが、主婦のやる事は多い。ずっと家にいるんだから暇があるんじゃねと思うかもしれないが、実際は結構忙しい。
食器洗い、部屋の掃除、洗濯など。膨大な量の仕事が山積している。息子たちが帰ってくる前に夕食の用意以外の家事を終わらせねばならないと考えると、かなり重労働だ。
それに今日から家族が二人増える。女一人と男一人。水守すもり家の出と分家にいた甥の二人だ。息子たちにはさりげなく話をしておいたのだが、どうせ忘れているだろう。
なら丁度良い。サプライズにして奴等の度肝を抜いてやる。
特に見ず知らず女が今後ずっと一つ屋根の下と知れば、テンぱる姿が容易く浮かぶ。
流川家は先祖代々男系一強。女っ気に耐性が皆無なアイツらなら、憤死は免れない。
エプロン姿の巨魁主婦―――流川澄会は彼らの顔色を想像しながら、床に置いていた掃除機を手に取る。
掃除機と澄会が一瞬光ったと同時、空気を吸う轟音が居間に鳴り響いた。
居間に散らかっている衣服等を適当に押しのけ、床に蔓延る埃を虐殺していく。
埃の死にゆく悲鳴が居間を駆け巡る中、突如インターホンの鈴が廊下から響く。
「あァ? 誰だァ」
澄会の眉が僅かに歪み、手に取っていた掃除機を投げ捨てて廊下に出る。
近衛の荷物が来る時間ではないはず。兄曰く夕方頃に届けると連絡が入っている。まだ昼下がりの午後、況してや宅急便や郵便の類など論外だろう。
此処は流川家の本家領だ。通常の霊動宅急便や霊動郵便など絶対に届かない。
テロの可能性を考慮し、本家に届けられる荷物全ては分家派の検閲を必ず通さねばならない規則がある。生半可な物が郵送される事はまずない。当然、澄男達を護衛する予定の近衛が生活するにあたり、必要な荷物も遥か北方にある流川るせん分家邸で、厳しくチェックされているはずだ。
訝しげな表情を浮かべながら、急ぎ足で玄関へ向かう。
「ドコの閥のモンだァ? 名ァ名乗りなァ!」
大きい図体によって生み出される重力が床を軋ませ、エプロンをどこかに投げ捨てると、玄関の戸口に手をかけた。