敗北、再び
あれから、どれほどの時間が経ったのだろう。
自由落下の感覚を味わいつつも、視界が真っ白になったと思いきや、そこから記憶が途切れてしまった。
空が見える。雲一つとない青空が視界一杯に横たわっていて、心が洗われていくようだ。風通しも良い。程良く涼しい風が身体全体を素通りしていく心地良さに、身を委ねてしまいたくなる。
気がつけば地に伏していた俺は、むくりと立ち上がり、周囲を見渡した。
ビルも周辺にあったはずの建物も、何もかもが消えた灰色の大地。
見渡す限り、何もない。眼を凝らすと、ギリギリ向こう側に建物が見えるかな。そんな程度だ。
ああ。そうか。使ったんだ、竜位魔法を。破壊したんだ。周りにある、ありとあらゆるもの全てを。
何もかもをぶっ壊す。その思いだけで発動したが、本当に周りから何もかも消し飛ぶと誰が予想できただろう。
「ほう……」
見渡す中で、更地に佇む一人の男。俺は目を見開いた。
比類なき大爆発とともに、全てを亡きものにした大魔法陣を食らったはず。
だが目の前のソイツは、さっきまで戦っていたソイツは、立っている。何事も起こっていなかったかのように。一切合切、何も感じてないかのように。
空虚で奥深い瞳が灼眼を貫く。``皙仙``こと、裏鏡水月は―――``無傷``だった。
「う……そ……なん……で……?」
「なるほど。これが世界の最果てにあるといわれている身技……最果ての竜族の力か」
「お前……なんで……なんで無傷なんだよ!?」
「物理的は破壊では、俺を破壊できないからだ」
周囲全てを焦土と化す爆発を受けていながら、服すらも破けていない。ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、悠然と俺を見つめる。
言っている意味が分からない。コイツの言うことは、どうしてこうも分からないんだ。
「俺にとって、肉体とはただの器だ。イデアを組み込む為の箱。魂を憑依させる為の人形。単体では、存在意義を表明できない無機的な概念に他ならない」
裏鏡は右手を上げた。ほんの少し揺れたように見えたが、みるみるうちに肌色から銀色に変わっていく。
まるで指先から銀色のペンキが湧き出てくるかのように。
「俺は鏡術で、肉体を自在に変化させることができる。変化の範囲に際限はなく、物にも、者にも変化できる。肉体の修復も、俺の意志次第で思いのままだ」
裏鏡の手が大きな鉤爪に変化する。かり、かり、と乾いた音を鳴らし、遮る物の無い大地の上から見下す太陽光を反射させる。
「人形が壊れたらどうするか。簡単だ。また新しく作り直せばいいだけの事。損傷とは、所詮その程度でしかないのだ」
解説を終えた。鉤爪を普通の手に戻し、白銀に染められた手は普通の肌色を取り戻していく。
「お前は``事象操作``を知っているか」
「じしょう……そうさ……?」
「……まあいい。特別に教示してやろう。お前は``超能力``という権能を知っているか」
「……しらねぇよ、んだそりゃ」
「では``魔法``と``魔術``、どちらが上位互換か、分かるか」
「魔法が上だろ。それぐれぇ知ってるっての……」
はぁ、と深くため息を吐く。戦闘を生業とする暴閥界隈じゃ、魔法と魔術の二種類の概念がある。主にそこらの有象無象が使うのが魔術で、その上位互換たる魔法は、ごく僅かな強い奴しか使えないぐらい結構強い。
弥平とかの分家は、まるで当然の如く使っていたが、アレは世間的に見ればありえないのだ。
使えるのが当然、なんじゃない。ポンポン使える方が、異常。
色んな種類の魔法を使えるとなれば、世間的には化け物。一生豪遊して死ぬことさえも許される。それぐらい、魔法は強い。
ついでに魔術しか使えない奴を``魔術師``。魔法も魔術も使える奴は``魔法使い``とか、``大魔道士``とか呼んで区別したりする。
「この世で魔法を自在に操れる存在は、大陸八暴閥の流川と花筏。アポトーシスの三大抗隊、それらを統べる``聖なる見張り``、三大魔女の九種」
「はあ……」
「たったそれだけしかいないわけだが、お前は魔法よりも上位の力があると思ったことはないか」
「そんなもんあるんなら、使ってみたいもんよね」
問いかけに一々答えるのがいい加減面倒になった上、終始馬鹿にされている感が否めず、怒りを込めて皮肉を吐き捨てる。
魔法より上位の力とか、馬鹿かと言いたい。魔法が使えるだけでも大概を捻じ曲げられるのに、それ以上があるとか考えたくもない。
火の玉撃つぐらいしか芸がない奴からあらゆる尊厳を奪うのが趣味なのか。もしそうならクソみたいな趣味だ。実に嗤える。
「お前がさっき行使した爆発。あれが超能力なのだが、それすらも知らずに使っていたのか」
「……は?」
心の中で暴言を吐き連ねていた最中、裏鏡の言葉が鼓膜を揺らした時、思考が凍りついた。
あくのだいまおうから竜位魔法だと聞いている。竜が使う魔法の一種だと。大昔の伝説にあるドラゴンが使ったとかいう天災と同じものだと。
魔法陣だってこの目で見ているし、魔法だと疑いはしなかった。でも超能力。超能力ってどういうこと―――。
「俺の教示は、ここまでだ。最後に、お前に返すべきを返そう」
「返す、べき……?」
身体から、脂汗がだらだらと湧き出す。服がしっとりと濡れていくのを感じた。
凄まじい寒気。疼く第六感。灼熱双撃、灼熱連射砲撃、その直後に裏鏡りきょうが突然放った真っ白の光線。
アイツはあのときも返すべきを返そうとか言っていた。アレが火属性系の魔法の成れの果てだとすれば、もしや―――。
裏鏡の頭上に魔法陣が放たれた。それは真っ赤なトーラス状の魔法陣。不可解な文字列を流転させる、見覚えのあるオブジェクト。
「う……うそ……そんな。そんなのって……」
「鏡は光の反射によって、鏡像を映し出す。すなわち、お前が実像であるなら、俺は鏡像。お前が力を行使したとき、俺もまた同じ力を行使できる。……だが、ただ模倣するだけでは、やはり芸がないな」
裏鏡の頭上に浮かぶ魔法陣が赤から白へ、その姿を変えた。景色も同時に白くなり、更地と化した地面が凍る。
奥底から湧き出る既視感デジャヴ。それもつい一ヶ月前に経験したばかりの肉の記憶。
魔法陣から全方位に放たれる吹雪。身体を刺し貫く冷風。白雪の混じった暴風に晒され、凍っていく更地。
裏鏡の瞳は驚くほど冷たい。暗黒に染まった瞳の中心が、己の瞳を呑みこもうと手を伸ばす。無地のTシャツが吹き荒れる風で舞い上がろうと、奴の顔色は変わらない。人形のような無表情を、ただただ向けてくるだけだ。
「``鏡術・超能改変``。相手の実像を鏡像として模倣し、そして改変する。俺の鏡に映ったもの全ては、俺という鏡像へ還るのだ」
「だ、だったら……!」
「もう遅い。お前はもう、俺の``鏡``からは逃れられない」
魔法陣上に描かれた文字列の回転が、一気に加速する。
やばい。やばいやばいやばい。逃れようにも隙がない。防御したくても防御の仕方なんて習ってない。相殺したくても、もう間に合わない。
人の切り札パクって改変するとか、セコすぎる。
なんでできるのとか、セコすぎるだろとか、超能力とか意味わかんねぇよワックステカテカ銀髪野郎とか、空気感ぶち壊してでも問い質したくなってくる。
攻撃こそ最大な防御、どんな攻撃も回避できるなら無意味。戦いにおいてよく主人公とかが口走る常套句だが、この状況を打開する常套句はないのだろうか。あったら教えて欲しい。本当に、本気で。
でも、今なら言えることが一つある。
他人に切り札を使わせておいて、でも全部無効化して、なおかつパクって改変する。そんなの、そんなのって。
―――``反則``、じゃないか。
「``鏡術・超能反射``」
言葉にならない反論を投げかけた刹那。爆轟とも言える冷え切った突風が、身体を熾烈に殴打する。皮膚、血液、筋肉、臓物。その全てが凍っていく感覚が、痛みとなって脳を貫く。
叫び声をあげることも、助けを呼ぶことも叶わない。あらゆる余裕を削り去り、肉体は秒を刻む速さで凝固していく。
「く、くそがあああああああああ!!」
ただ、虚しさと悔しさを存分に滲ませた、今際の際の慟哭を残して。




